21年6月7日

 本日は両親を小谷医院に連れて行きました。検査もちゃんとやって貰って、まずまずだったと思います。これでやっと家族全員小谷医院の方に引き出すことができました。(でも、最新の「サンデー毎日」がなかったような・・・。)どうも、緊張したのかもしれませんが、じいさんの血圧が高かったので、家でもしっかり測ってみたいと思います。で、その後石捨てに行ったり、買物をしたりしたので、午前中は外作業はできませんでした。

 外作業は私と母親は午後のみで、風呂の配管の下に埋まっているゴミを掘りました。風呂の配管は家の中で最大に水が出入りするところですし、その「下」というのは、要は「井戸の下」ということで「黄泉の国」ということですよねえ? と思う。午後1時間ちょっとくらいの作業でしたが、母と姉と私と3人で掘って、八幡の鉄筋であるところのイザナギの死体は掘り出しました。正確にはまだ測っていませんが、80cmくらいあったかも-;。

 テレビの方は、昨夜は「ニノさん」「A studio+」の録画他、今日の昼は「食宝ゲットゥーン」の録画を見ました。

 で、先日「駒形嶽駒弓神社」のお守りを売っている店を見かけて、「買うように」と言われたので買って貰って。実は佐久に行くときに「持って行くように」と言われた気がするのですが、時間的に間に合わなかったので「代替として生島足島神社のお守りを買っていくように」と言われていて。どうやら「その2つは同じ物だから」と言われる気がするわけです。だいたい須々岐水神社祝神社に建五百建命が祀られていて、松代の祝神社に生魂神が祀られているのだから、建五百建命と生魂神は同じもの。大阪では生国魂と書いて「いくたま」と読むのだから生魂神と生国魂神も同じもの。生国魂神社に生島大神が祀られているのだから、生国魂神と生島大神とは同じもの。生島大神は「万物を生み育て生命力を与える神」で、これは伊邪那岐のことです。だから、

伊邪那岐、生島大神、生国魂神、生魂神、建五百建命

は同じものです。それに対応して

伊弉冉(イザナミ)、足島大神、咲国魂神、足魂神、会津比売

も同じものです。「生魂神が霊魂を活動せしめ、足魂神が霊魂を充足せしめる神」ということで、男(生魂神)が魂(生命力)を与え、女(足魂神)が肉体を生み出す、という思想です。それを拡大解釈して、国土を産み出したのがイザナミ、そこに魂を与えたのがイザナギということです。政治の形態や機能をこの国に持ち込んだ者こそが、イザナギということですよ、と言われる気がするわけで@@。政治の形態や機能(魂)がなければ、土地はあっても「国」はないのです、と言われる気がするわけで@@。昔は、足魂神は咲魂神と呼ばれたのです。「咲」は「開」と同じで、開ける、とか始める、と同じような意味です。「咲魂」の「佐久」ですよ? 信濃国が開けて始まった土地、という意味です。そこは国産みの女神の名前を貰った土地です。だからイザナミ、イザナギを祀る熊野神社が点在し、イザナミを祀る神社があるんじゃないのですかね? そういう「はじまりの地」が「黄泉の国」じゃ困るんですけど? と言われる気がするわけで@@。

 だけど、政庁が上田に移ると、政治の中心には生魂神、足魂神を隠すように建御名方富命と八坂刀売が前面に出て来ます。でも、境界系の神の名残で事代主がそこに加わっているのです。事代主の別名である事解男はイザナギとイザナミの子神で、境界神です。生島足島神社に境界神である祓戸の十三神が祀られているのは、彼らがイザナギとイザナミの子供(すなわち生島と足島の子神)であり、両神を結びつける神でもあるからです。だから境界神である事代主が生島足島の代わりに祀られるようになります。東信は国が始まった地であり、イザナミとイザナギの境界の地でもある、という意味です。佐久はイザナミの側の土地、上田は境界、屋代はイザナギ側の土地、といえます。でも「会津」という地名もあります。「会津」とは「2者が出会った地」という意味で、古くはイザナミとイザナギが出会った地、ということだったと思われます。でも時代が下ると、それが建五百建命と妻・会津比売の親である建御名方富命の2つに置き換えられて、須々岐水神社には、イザナギである建五百建命、舅の父である大国主、息子の事代主が祀られることになります。イザナミとか会津姫は、「イザナミが死んで離婚」ということで、須々岐水神社(現世)からは排除されています。

  で、川を渡って善光寺平に入ると、「独身となったイザナギ」は「八幡神」に名前を変えて、今では君臨しています。でも、八幡神が作り出される前の古い時代にはそれは「彦別神」という名前でした。「彦別神」とは、諏訪神に似ていて、「諏訪系」を前面に出して隠れ蓑にしているイザナギのことです。犀川水系の「水内の神」と習合し、乗っ取るために作られた神です。東信で生島足島が諏訪神を前面に出して隠れ蓑にしているのと同じ構造です。だから、生島神もイザナギだし、彦別神もイザナギです。なので、駒形嶽駒弓神社の神も、生島足島神社の神も、「諏訪系」を隠れ蓑にしたイザナギなのです。「同じもの」とはそういうことですよ、と言われる気がするわけで-;。

 我は、イザナギと一体となって、黄泉の国の底にイザナミを連れ出しに行ったらしいです。事解男は「事物を明らかにし事態を収拾させる神とも、魔を祓う神とも言われている」らしいです。仲良くしてると「魔を祓う」ことの役に立つらしいです。でも、老害なじいさん達には「スサノオの方が成績が良かったのに-」と言われる気がします-;。そして色んな関係者は、私と事解男の仲がよろしくない、ということに少々衝撃も受けているらしい-;。ご宣託を受けると「てめえは空調の効いた所で気楽に医者なんかやってるくせに」とののしるあたくしと、私のことを「よくよくどうしようもなく察しの悪いニブい女」と思ってる事解男である-;。相性は悪いと思います-;。でも、悪霊払いは大事ですので、ビジネス的に仲良くしてるのです。そして今日は、なんだかうれしそうだった小谷の姉さんと、すごくうれしそうだったお守り屋のおばさんと、後は黒い服(特にズボン)ばっかり着ている通行人の集団がとても印象的だったのでした。