本日は雨模様だったので、外作業はお休みして、古い家の片付けに行ってきました。なんだか家中にいろんな種類の紙が散らかっていたので、それを片付けて纏めました。どうも、普段無人の家だからといって、ゴミを散らかしているわけではないのに、行ってみるとあちこち見慣れないゴミが散らかっていて。どうも留守中に誰かが引戸をはずして入っているのではないかと思います。しかも、帰る時には裏山で木を切る音が響いていて。こんな雨っぽい日に木を切る人なんている? しかも、そんなに切る木がある?? と思う。こういう音は昔から良く聞こえていて。録音なのではないか、と思うわけです。
テレビは、昼と夜は「News Zero」の録画等を見ました。
纏めると、善光寺界隈については、善光寺ができる前には
諏訪神(父) ー 八坂刀売(母) ー 彦神別神(子)
という三位一体の神々がいたと思われます。彦神別神は犀川水系に数カ所祀られていて、人としての事績がほとんど語られていませんので、実在の人物を神格化した、というよりは、犀川水系の「水内の神(おそらく九頭竜)」と習合させたうえで「ヤドリギ」が取り憑いて乗っ取るために造られた人工的な合成神なのではないか、と個人的には思います。
諏訪神には多くの子神がいるわけですが、出早雄命(いづはやをのみこと)という神は「近世の伝承では建御名方神の次男で、父神の世継ぎとして諏訪を治めたと伝わる。」とWikipediaにあります。大祝諏訪氏の先祖と言われています。長男と言われるのは彦神別神です。出早雄命は各地で開拓神として扱われており、諏訪神の子神としては一番有名な神、ともいえるらしいです。興味深いのは、出早雄命が治める地域は、外県(伊那)、内県(諏訪)、大県(佐久)と思われることで、だいたい古代の東山道沿いであり、現在の木曽・松本・長野といった犀川流域は含まれていない、ということです。犀川水系は木曽は良く分からないのですが、松本付近の中信は安曇族、現在の長野市から北は彦神別神の管轄だったと思われます。だいたい、信州新町出身の私が出早雄命の名前を今まで知らなかったくらいですので、北信では出早雄命は有名な神ではないのです。北信では更埴市界隈の須々岐水の建五百建命(信濃国造金刺氏の祖)が、将軍塚古墳に鎮座して善光寺平を見下ろしており、善光寺を創建した本田善光も金刺氏の一族の者と思われますし、水内郡(現在の長野市)は金刺氏の本拠地の一つだったわけですから、北信は本来、建五百建命(諏訪神の婿)が氏神となり、その子孫(金刺氏)が祖神に奉斎すべきところ、建五百建命の代わりに彦神別神を新たに作り出して、むしろ
建五百建命 = 彦神別神
のように装って、諏訪系の氏族がまるで仮面とか看板のように、建五百建命の上に被さっており、祖神を奉斎すべき信濃国造家の本隊そのものは・・・どこへ行った? となっているわけです。自分達の神には諏訪系の神の仮面を被せておいて、ヤドリギそのものである金刺氏はどんな仮面を被っているのだろう? となります。そしてもう一ついえること。長野県(信濃国)は一つ、と思われがちですが、諏訪系の人々の領地である県(あがた)と安曇族の安曇野と金刺氏の水内郡(北信)は、それぞれの氏族が支配しており、古代の信濃国は少なくとも3つの大きな勢力が存在した、と思われます。
善光寺の彦神別神は後にその父神と習合し八幡神に置き換わったと思われます。
彦神別神 = 諏訪神 = 日本武尊 ・・・(景行天皇(日本武尊)を中心とした系図)
八幡神 = 日本武尊 ・・・(応神天皇を中心とした系図)
ということです。応神天皇(八幡神)も実在性が疑われる天皇ですし、日本武尊も少なくとも伝承の通りの人が存在したとは思いがたく、この辺りの神々は「モデルとなった人は存在したかもしれない」合成神といえるのではないか、と思います。諏訪神と日本武尊についてはもうちょっと後で書きます。
東信の出早雄命については、後(中世以降)に熊野信仰と習合したと思われます。松代の皆神山には熊野出速雄神社があり、「中世以降は熊野修験の聖地として「熊野三社権現」と呼ばれた」そうです。坂城町には会地早雄神社という神社があり、会地早雄とうのは、出早雄命のことと思われます。なぜなら、「熊野権現がこの会地に出現し、出速男神ともいう。したがって、会地早雄神社と称し、4座の神がこの殿にいる。(會地早雄神社@埴科郡坂城町鼠)」という伝承があるそうだからです。天武天皇の時代に熊野権現が祀られたそうで、出早雄命に熊野権現(伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、伊弉冉尊(いざなみのみこと)、泉津事解男命(よもつことさかのうのみこと)、速玉男命(はやたまのおのみこと))が祭神に加わりました。また、日本武尊の東征伝説があって、日本武尊が大穴持命(大国主)を祀ったと言われています。日本武尊が諏訪神と同じものだとすると
出早雄命(子) ー 諏訪神(日本武尊・父) ー 大国主(祖父)
とつなげることができると思います。熊野信仰も
須佐之男(子) ー イザナギ(父)・イザナミ(母)
という三位一体の信仰ですので、出早雄命は須佐之男になぞらえて、先住の
出早雄命(子) ー 諏訪神・八坂刀売
の組みあわせが、熊野の組みあわせと習合し、出早雄命が須佐之男になぞらえられていることが分かります。この場合、諏訪神と八坂刀売に取り憑いているヤドリギはイザナミ・イザナギといえると思います。