21年5月19日

 本日は出かける予定がなかったので、一日外作業でした。母は土の埋め戻し、土掘り、土の清掃、石片付け等、姐は土の清掃、石の片付け等、私は土掘り、土の清掃でした。夕方は雨っぽかったので、早めに上がりました。

 で。「月神」についてですが。そもそも中国よりも北に住む人たちは、単純に「天の神」「地の神」といった自然信仰しか持っていませんでした。でも、中国の文化の影響、特に祖先信仰と、ハイヌウェレ的な生贄の文化の影響を受けているし、人為的に神話が書き換えられている部分もあるわけです。中国南部の稲作文化の信仰は、チベット系の文化と漁撈民の文化が混血してできたもので、最初は母系でした。太陽女神と月神が唱和して世界を創世し、妻の太陽女神を養うために、夫である月神達は鳥となって天と地を行き来して、食物を運んでいた、という神話があったものと思われます。西王母神話の原形です。で、月が地面に降りている間は天に月は見えません。これが「月の満ち欠け」の説明となっていたと思われます。月は、人々が捧げる生贄を妻の元に運ぶ、と考えられていたと思われます。そして、その見返りに人々に農作物の豊穣をもたらすと考えられていました。こうして、チベット系の日月信仰と、漁撈民のハイヌウェレ神話(人食いの月神信仰)を合わせて、整合性の取れた神話と文化が形成されたわけです。

 北方の印欧語族の先祖は稲作文化の信仰の影響を受けて日月信仰を取り入れて、「日の神」「月の神」は「天の神」の一部として扱われることになりました。信仰を取り入れる、ということは「臣従した」と言えなくもありません。

 でも、主人の方が搾取を好む「よろしくない主人」だったので、謀反が起きました。ようするに「月神」が「太陽女神」に「食事を運ぶ」というのは、「下々を搾取する」ということだったのだと思われます。「太陽女神」はチベット系の生きた「現人神」であって、チベット系の人々は今でもそうだけれども、彼らの「聖なる存在」は生きた人で、特定の条件で交代して受け継がれていくものです。ネパールのクマリは初潮が始まると次の女神と交代するし、ダライ・ラマは先代が亡くなると生まれ変わりを探しに行く。だから、「太陽女神」もおそらく、死とか加齢とかの特定の条件で次の代に交代したと思われます。そして普段は人々の前に姿を現さず、その「夫」が女神に食事を運んで世話をしたり、女神の言葉を人々に伝えていたと思われます。この場合「月神」は「太陽女神」の言葉を人々に伝えるシャーマンでもあります。

 で、謀反の結果、稲作文化の「月神」は殺されて、印欧語族の王が新たな「月神」として婿に入って、悪政が行われないように監督することになりました。でも、その息子は母親の方の味方についたので、印欧語族の王は自分の息子に殺されて、シャーマンの地位は息子が受け継ぎました。

 印欧語族の側から見れば、印欧語族の王は印欧語族の側から見れば、悪政を正してくれた英雄なので、子孫である人も、ない人も、「偉大な英雄」だと思って死後も尊敬して語り継ぎました。でも、稲作文化の子孫に言わせると「そんな先祖のことなんかどうでもいい」ということになって、こっちの子孫は今でもそんなことしか言ってないようです-;。それは自分達が搾取しておいしい思いをしていたのを邪魔にしてた余計な先祖に過ぎません。うちのじいさんや姉が、家族の医療問題で奔走する私を「余計な者」と思ってる程度にしか、「余計な先祖」と思われてないわけだ-;。子孫にとって大事なのは「おいしい思い」をすることを肯定してくれる先祖だけです。肯定して頑張ってくれてたのは「殺された方の月神」ということで、子孫は「殺された方の月神」を神として祀り続けることにしました。でもそうすると、悪政に反対する臣下から非難されるので、表向きは「まともな月の神」を祀るフリをして、実際は「殺された方の月神」、すなわち「饕餮」と「蚩尤」を祀り続けました。そして、「まともな月の神」と「饕餮」と「蚩尤」は「同じ物」であるかのように一緒に祀って、「祖神」と言うことにしたわけだ。だから、心の中で「まともな先祖」を尊敬している人はまともな行いをしようと心がけるし、「自分だけがおいしい思いをすることを肯定する」ことが当たり前だと思ってる人は「饕餮」と「蚩尤」を心の中では「自分の先祖だ」と思って祀ってたわけです。それは表面的な祭祀からは、どちらを神と考えているのかは分かりません。でも、ご当人の行いを見れば、どちらを「先祖として尊敬しているのか」は周囲には丸分かりになるわけです。・・・・だから、あらゆる意味で「一族郎党だけがおいしい思いをするばかりなのはよろしくない」とそう考える大昔のひいじいさんと、一番最新の私は、両方とも7000年の時を超えて、一族郎党からは「おいしい思いをするのを邪魔する余計な者」らしいです。・・・こっちはてめえの腎症の進行を止めようとしてるだけなのに、ふざけるな、って誰か私の代わりに言ってやってって思う(苦笑)。

 で、「まともな月の神」と「搾取好きの太陽女神」から生まれた男子は、自分が一番になって威張りたかったので、父親も殺してしまいましたが、姉妹に権力を譲る気もありませんでした。だから、「自分は月の神の言葉を聞く代理人だ」と言い出して、亡くなった「月神」達を祀り出しました。おそらく、母親はともかく姉妹の太陽女神は殺してしまったのではないかと思います。太陽女神は置くとしても、自分の支配下におけるものしか置かなくなりました。要するにここで、現実世界でのシャーマンと女王の地位が交代したわけで、家庭内の問題ではなく、政治的に文化は母系から男系に交代してしまったわけです。以後、中原では男系が台頭し、中国では女帝は武則天しか歴史上に存在しない、ということになりました。そして人々は「生きた月神」ではなく「死んだ月神」とそのシャーマンである皇帝を敬わなければならなくなったわけだ。そして「死んだ月神」は「「太陽女神」を殺してその財産を奪う月神」、ということになってしまったわけです。太陽女神を殺して、その財産を自分のシャーマンに与えてしまったからです。だから、以後、その家系では「シャーマンの言いなりになる太陽女神」しか立てなくなったわけで、「言いなりにならない太陽女神」は先祖のひいじいさん同様「余計な者」ということになってしまいました。「余計な者」に財産を渡さないために代が変わると、先代の太陽女神は殺してしまう、とかそういうことをしてたのだと思う。だいたい、初期の漢王朝とか、皇后は皇太子が即位する時に、余計な口を出させないために殺してしまう、とかそういう物騒な風習があったはず。

 一方、こういう政治的宗教改革を経たことは、印欧語族の先祖にも影響を与えるわけだ。彼らは元々自然信仰の人々なので、英雄は英雄であって神ではありません。でも、上が英雄を神として祀り始めたので、自分達も英雄を神として祀り始めました。だから、ここでも混乱が生じます。それまで彼らの「月の神」は自然のままのものを拝んでいたから、人間と同じようには生きていたわけでも死んでいたわけでもありません。でも「死んだ月の現人神」をそのまま神として祀り続けるようになると、結局上にならって「死んだ月の神」を祀るようになって、月そのものが「死んだもの」となることになってしまいました。彼らの「太陽神」は元々上の「太陽女神」とはあんまり関連しないので、それほどの影響は受けません。だから、印欧語族の中には、部族によって、よくよく古い形式の「天と地を行ったり来たりする月の神(これは生きた月の神)」に対する信仰と「死んだ月の神」に対する2つの信仰が生まれ、どちらを採用するかで上に対する忠誠心も分かる、ということになりました。上をどの程度見習っているのかは、彼らの習慣を見れば分かる、すなわち「寡婦殉死」を強く採用している部族ほど、忠誠心が厚い、と言われる気がするわけで@@。そして、印欧語族の「月の神」は、元々「天の神」でもあるので、「月の現人神」が衰退するにつれて、もう一つの天の神である「太陽神=雷神」の方が前面に出て来ることになりました。彼らにとって、英雄と神を習合させることは、英雄を「月の神」として扱うのみならず「天の神」とか「太陽神」として扱うことにもなりますので、結局「戦争に強い神」ということで「雷神」ということに落ち着くことになりました。だけど、自然現象とか、元々現人神だったものを「死んだ月の神」とかに変更して無理矢理習合させたおかげで、部族によって政治的思想も解釈も異なるので、印欧語族の間では「似て非為る神話」が大量に生まれることになったわけです。しかも、そこに常の各地の漁撈民との混血習合によって、ハイヌウェレ的思想が大なり小なり神話の中に入ってくることになります。

 そして、古代のヒッタイトでは、「男性形の月の神(生きた月の神)」の神話を残していたことから見ても、女性を差別する社会ではなかったし、皇帝は専制君主ではなく、皇后は夫の死後も一定の権力を認められて維持し続けていました。一方、月を女神に変えてしまったローマでは、寡婦殉死の制度こそ早くに廃れましたが、女性には相続権・参政権がなく、女性差別の激しい社会であったことは明確だったわけで。「女は教会では黙ってろ」といったパウロ主義のキリスト教を採用してることからもその姿勢は明らかである。同じ印欧語族でも、神話を見れば、「自分だけがおいしい思いができればいい」と思ってるかいないかはあからさま、ということらしいです。だけど、黄帝とか饕餮とか蚩尤とか、全部いっしょくたに纏めてわけが分からなくして祀って、女性差別とか、その名前を弱者に対する差別の原動力として悪用している点については、「まともな月の神サマ」の方から大いに異議があると思われますので、その状況は解消していかねば、ということらしいです。堅君の「1995」の歌詞に「嘘みたいな噂が真実をつくる」という言葉があるわけですが、「黄帝と饕餮と蚩尤が同じもの」とか、そういうあからさまな嘘を押し通して7000年もの間「真実だ」と言い張って、世界を自分がおいしい思いをするためだけに利用して食い物にしていた家系がある、ということで。だいたい、どう聞いてもあまらさまな嘘を平気でつくよねえ? その人たちねえ? と思う-;。腎機能がボロボロなのに「もう良くなった」とかさあ??

 というわけで、金曜日は堅君を見て、その後嵐のDVDをひたすら見てたわけですが。今日は「自分達を見て欲しい」と剛君に言われる気がするので、KinKi-KidsのDVDをひたすら見る。まあ、色々な言い分を聞いたわけですが、ともかく古い中国南部の稲作文化では、ひいじいさんが婿に入り込んで来る以前から、母系の家系で太陽女神に対して二人の月の神が夫につく、というのが伝統だ、ということで、ひいじいさんに対して「本来の太陽女神信仰に戻せと言うのであれば、お前が入り込んできて家長面する以前の体制に戻せ」とあからさまに言う人もいるらしい、ということで-;。まあ、それも妥当なご意見だとは思い出すので、そうさせて頂ければ、と思います-;。というか、一部のお偉いさんからは、「英雄も神も何も、その人は元々豚飼いでしょ。印欧語族の先祖は豚を飼いながら東洋から西洋へ移動したんですよ。」と言われるわけですし-;。あたくしは、ひいじいさんが豚飼いのキアンでも「そんな先祖はどうでもいい」とか言うつもりはありませんが。ともかく、誰も彼もの「身分意識」というものには頭を抱える-;。でも、今蚩尤とは、なんだかよくよくウマが合わなくて、ビジネス・フレンド的な関係になりそう、ということで、兄さん達は喜んでいるらしいです-;。言い換えれば、よくよくの呉越同舟ですな-;。

 でも、ものごとを何でも誰でも良いと思う方向に持っていこうとして「余計な者」と言われてつまはじきされて殺されたひいじいさんの苦労は良く分かるようになった気がするわけで-;。気をつけなければ、自分も二の舞いだよー、と思う-;。7000年経ってもそんなサイコパスな家系って、どういう遺伝子なの、と思うのでした-;。