あとは、「天火明命」について一言欲しい、と言われる気がするわけで。「天火明命」については、端的に述べればWikipediaに「天津神系の出雲神を源流としていることが伺える」とあり、名前から男性の太陽神であることは明らかなので。出雲系の大国主神話は印欧語族の「呪的逃走」の形式を良く残しており、グローバル的には印欧語族の「男性形の太陽神」=「雷神」であることが伝統でもあるので。その名前は「火明」を祖神とする人々が良く相談して、誰に割り振るかを決めるように、と思う。
私は、板橋の小さな諏訪神社にも足繁く通ったけれども、一番最初に神社巡りを始めたのは丹後の籠神社と真名井神社からだった。真名井の宮は「元伊勢」と呼ばれ天照大御神が大和から最初に移った場所とされている。よって、古くから土着の「太陽女神信仰」があった場所と推察される。その起原が中国南部であれば、その夫は月の神とすることが妥当である。実際伊勢でも、外宮の女神とその北にある月読の宮の神は夫婦神のように構造からは扱われている。丹後半島では宇良神社の祭神と真名井の祭神は夫婦である、という伝承があったように思う。それは浦島太郎と乙姫の名前が充てられていたように思うが、元は伊勢の構造と同じく月読と太陽女神の組み合わせだったのだと思う。「男性」という観点からいうと、丹後半島は籠神社の火明(太陽)、宇良神社の月読(月)、すなわち表の太陽、裏の月、という信仰が成立しており、太陽は太陽女神と並立し、月は太陽女神の夫である、という構成になってる、と今では思う。そして、「天の神」がいずれも男性である、というのは古い時代の印欧語族の思想と一致する。というよりも印欧語族の一番古い思想は「天の父神」という形式であるので、彼らの父神は太陽神でもあり、月神でもあり、雷神でもある。
一方、「太陽が女神である」という思想は中国南部の母系社会が起原である。(ちなみに「月が女神である」という思想は母系の漁撈民の思想だと思う。)「太陽が女神である」という思想から見れば、「夫は月の神でなければならぬ」ということになるので、二つの民族が協調して同じ土地に住む場合には、印欧語族の方が折れて、「天の神」を「月の神」をメインに書き換えて、太陽女神を擁する民族と政略結婚をするのが妥当だったのだろうと思われる。その一方で、祖神として「太陽の神」をメインにした神も作り出したので、「火明」と「月読」は「表と裏」で、元々一体のものだったのだと思う。しかし、その後の人間の歴史の変遷により、「月読」と「丹後半島の太陽女神」が夫婦であった、という伝承は正式な神社の起原からは消し去られてしまい、民間伝承と伊勢の外宮の「構造」にのみ残されることになった。太陽女神と夫の月神は、いったいどのような事情で引き裂かれたのか、その謎を知りたい、と思ったのが私の旅の出発点だった。そして、それに加えて、「その謎を解き明かしたらあなたの願いは叶う」と言われたのが、オカルトな超常現象の出発点である;。
太陽と月が共に男性形であり、印欧語族の神であるということになれば、元の姿は自然信仰の「天の神」であり、それが男系の台頭と共に「天の父神」へと変遷したものである。すなわち、「火明」と「月読」の原形は、中国の人が「天帝」とか、あるいは「黄帝」と呼ぶ者であると思う。「月読」の方は、元の持ち主に全て還すわけにはいかない事情がある。何故なら、これからディオルト・エンゲリックの住み家に行く、という仕事があるわけですが、それに対応して、新月の月の如く「隠れている」のは、光ちゃんではなくて潤ちゃんだからである。6番目の子に「月」の役割だけを背負わせて名前を与えないのでは公平性に欠ける。「火明」の方は「祖神」であるので、子孫が決めるが妥当であると思う。でも、私がこう言えば結局その名前は7番目の兄さんのところに行くと思う。私に異議はなく、異議がないと言えば、一番最初に私を丹後半島に招いてくれた方々に喜んで貰えると思うわけですが、如何に? となります。それが私の考えです。