外作業は母親が土の埋め戻し、石拾い等、姉が土の清掃、石片付け等、私が土掘り、土の清掃でした。今日も午前中は出かけていたので、私と母は午後のみの作業でした。午前中は新町病院の方へカルテ開示の書類を郵送しに行きました。そして、ついでに買物もして来ました。そろそろ、いろんな条件が揃って、寒色系もある程度使えるようになってきた、とのことで、寒色系のカラー用紙なんかも買ってみました。出かける前に、軽く市民病院へ持っていくお手紙なんかも書いていました。必要な書類の精査も、あんまり疲れていないときにやりたいと思いますー;。
テレビは、昼は「VS嵐」の録画の続きと「夜会」の録画を見ました。夜は「夜会」の録画の続きと「少年倶楽部」の録画とMステを見ました。
・・・今夜のMステ・・・。なんだか、冒頭からタモリさんを見てると「支払いも無事に済んでほっとしました」とご挨拶頂く気がする。JUMPの兄さん達を見ていても「今夜は自分達の言いたいことはそれが全てです」と言われる気がする。それに、今朝インスタを見ていたら、玄ちゃんがピースサインをしている写真をアップしていたので、「そういうものなのかなー」となんとなく思っていて。
でも、それだけで終わりではなくて。平井堅君がトリに出ていたわけですが、「1995」という歌を歌っていて、「あの世のリズムとこの世のリズムで踊らせてよ」とかっていう歌詞の曲で、しかも堅君が自身のフィギュアの生首を抱えて、自分は笠で顔を隠して歌う、という演出で@@。「首がついていないのに、動いているし歌も歌う」ってそういうこと?? と思う。というか、そういうモノを見ると「首だけの饕餮(須佐之男)」と「首のない蚩尤(月読)」を思い出すわけで。今回歌っているのは明らかに「首のない方」である。しかも「あの世の住人もこの世の住人も」医者の口先三寸で踊ってるのが「病院」というところだよねえ? と思う。1995年は堅君がデビューした年でもあるけれども、私はその頃「病院」という所に非常に近い所にいた。生者も死者も「診断」という烙印を押されて踊っていたわけですが。その頃、一番私の近くにいた男は誰? と聞かれる気がする-;。「首のない蚩尤(月読)」と答えるのはたやすい。でも、私にはどうも、その人が何を考えているのか、良く分からないのですけれども? と思う。敵か味方か? ということになると、何を敵、何を味方か、ということになるわけですが。「味方=生者」、「敵=生きた死者」とするならば、「首のない蚩尤(月読)」は「生きた死者=敵」となるわけですが。でも、堅君は私に対する敵意があまりない人のように感じるわけで。カーステレオの中の堅君の「お歌」もそのままにしてあるわけで。で、ともかく次は「市民病院」である。だいたい、そういうことを暗示してるのでは? と思う。
で、「1995」は堅君のデビュー25周年の記念アルバムの中の「代表曲」という位置づけでもある。ということで、部屋に戻って堅君のアルバムの方をちょっと調べてみた。そうしたら、ジャケットの写真は、堅君が強いフラッシュの光を浴びているもので、光が強すぎるので顔が白くなってしまって、まるで「月」のようだった。太陽の「光」によって照らされる「月」のような感じである-;。で、アルバムのタイトルは「あなたになりたかった」というものらしい@@。「月」は自らの力で輝く「太陽」のようになりたかったってことですかねえ? 露骨すぎでしょ;、と思う-;。・・・やっぱり、その人が何を考えてるのか良く分からないんですけれども? と思う;;。で、少し悶々としながら、なんとなく嵐のDVDが見たくなって、ずっと見ていて。そうしたら、「その人のことは「妖精国の騎士」のオディアル・ルーフィフィスだと思うといいですよ」と、ふっと言われる気がするわけで@@。「そーゆーことかい」と思う。オディアル・ルーフィフィスというのは、見かけはひ弱な人間だけれども、本性は黄泉の国の王子で、父王を倒して王位を手に入れるためにいったん人間の世界に生まれただけの魔物である。主人公のことは苛めるけれども、害意がそんなにあるわけではなくて、どちらかといえば自分のために主人公を利用しようとするけれども、全体としては好意的である。要するに、「黄泉の国の神」の一柱である月読は、自分が黄泉の国で首座に着きたいから、他の神々を蹴落とすために「太陽」を利用したいわけだ。・・・どうりで、あんまり敵意はないわけだ、と思う-;。そして、そうやって「太陽」と「月」をイザナギから離反させようと執念深く目論んでるフェンリルがいるわけですな。