21年4月28日

 本日は出かける日だったので、外作業は午後のみでした。母親は土の埋め戻し、土の清掃、石片付け等、姉は土の清掃、石片付け等、私は土の清掃でした。

 長野市民病院から、受診前に検査をやって貰えることになった、と連絡があって、やって貰えることになりました。それが普通の病院のかかり方では・・・? じゃなくて、なんて良心的で良い病院なんだろう、と思います-;。別に私が患者ではないので、私のこととか一々リサーチしなくても、普通に患者を診て頂ければ・・・?? と思うわけですが-;。でも、「ちゃんと診ないと、キーキー言うのは患者じゃなくてあなたでしょ?」と言われる気がします-;。それはその通りですけれど・・・も???-;;

 裁判関連は、今日も動きがありませんでした。供託金の差し押さえってそんなに時間のかかるものなの? と思います。このままだと片付くのがGW開けまでずれ込みそうな気がします-;。

 今日は買物に出て、再び事務キチであれこれ買って。指定の物品を少しづつ買う度に世界が少しづつ変わって行く気がします。そして最近ではどこでも付箋を持ち歩くようになったので、どこでもテキパキとメモできて便利です。なんだか、自分の気分というか、考え方もちょっと変わるような??

 そして、暇があればちょっとずつ柳田を読んでいるわけですが。獅子舞の「獅子」は元は「鹿」であり、かつては鹿が犠牲獣として祭祀に捧げられていたと示唆されるようなことが書いてあって。鹿同士が戦い合って、その後首を埋めた(勝った方か負けた方かは不明)みたいな伝承がある、というようなことが書かれていて。昔の人は鹿も人も(熊も?)兄弟だと考えていたと思うので。これを人に置き換えると、八面大王とか、温羅とか果ては蚩尤に至るまで、戦って「負けた」方が殺されてバラバラにされ、何らかの祭祀とか呪術に使われる、というのと、意味的には同じ伝承ですよねえ? 鹿(しし)に関する伝承はねえ? と思う。で、一般的には「人間の犠牲」→「それでは可哀想だから代わりに動物の犠牲」→「それも可哀想だからしまいには人形とか」って祭祀が変遷するように考えられがちだと思いますが、そうではないと思います。昔の人は人も鹿も熊も「兄弟姉妹」だと思っていて、「兄弟姉妹」を食べるのが当たり前、みたいな発想だから。というか、食べられるものと食べる者は一体化するから同じ物、という発想なので。「人間だけが特別である」という「人権」という発想はない。逆に「人権」というものがあるとすれば、「鹿権」も「熊権」も同じようにある、というのが昔の人の発想なので。人身御供と犠牲獣という存在は同時並行して存在したし、殺した初子と魚を一緒に煮て食べたりしてたわけだから。どちらも同じレベルで「祭祀における生贄」だよねえ? と思う。だからこそ、殺された人の目が魚に化生したりする。どちらも等しく「食べるもの」だから。

 だから鹿同士が戦い合って、その結果「犠牲の祭祀」がある、という伝承は、闘牛的でもあるけれども、「鹿同士が戦い合う」といっても実際に戦い合ったのは、鹿に扮した人同士であったかもしれないと思う。でも、戦って負けた方が生贄に捧げられる、っていうと、どうも「古代ローマの剣闘士」というものを彷彿とさせるので。相撲とかも古代における相撲は、神に奉納するもので負けた方が殺されるものであったわけだから。日本の古代の祭祀の歴史は歴史的には紀元後に確立したものが多く、世界的には古代ローマの文化もキリスト教も発生後のものであるので。元からあって蚩尤の伝承が西の果てまでいって、剣闘士とか闘牛の文化になった後、また戻ってきて「鹿が戦う」という「獅子舞」の文化へと変遷したか? と思う。ちょっとローマ的(あるいは「牡牛を倒すミトラス」の如く地中海的)な匂いのする伝承だし、祭祀だなあ、と思います。日本における起源は、紀元後であってそれほど古くはないのではないか、と思います。
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 1杯目。風呂配管周囲の土。1/3弱が石分。