21年3月1日 おまけ

 で、本願寺別院に行って、尼さんに「あそこに気を通せば、妻科、後町、諏訪町方面の気が流れ込みやすくなるはずなんだけど」と言われる気がするわけで。で、何となく、とりとめとなくいろんな事を考えていたわけですが。

 結局、元の契約の金額は、色々込みで、3900万円なのですよ。結局、それが、まあ話全体がうまく進めば3600万くらいに圧縮できるかもしれない、のですけれども、「うれしくないのか?」みたいに聞かれる気がするわけで。え、だって、こちらの見解では地盤調査をちゃんとやってないのは、栗田建設と三樹設計が悪いんだから(法的に厳密にいえば三樹設計のせい、と思うのだけれども)、法的に価値のない建物に3000万円も払わされて、うれしいわけがないでしょうが、と思う。しかも、裁判で2年以上無駄にさせられた、と思ってるし。で、「地盤に問題がない」という判決はどう思うのか? と聞かれる気がするわけで。・・・問題がない、という根拠は、「圧縮された木くず」とか「圧縮されたコンクリート」とか「圧縮されたアスガラ」とかのことだよねえ? そもそも「圧縮された木くず」って何なの? それって現実に存在するものなの? あるって言ってるのは、栗田建設と三樹設計とそっち側の証人と裁判官だけだよねえ? で、具体的に実物がどういうものなのか、誰が見せてくれたの? 現実にない創造の産物を証拠として採用したのは裁判官なのだけれども、まあ、裁判官は空想上のものを証拠として採用して判決を書く権利があるんでしょうねえ? 国家権力の後ろ楯でねえ? としか言いようがない。まあ、でも、私の個人的見解では判決文はファンタジー小説であってはならないものなので。机上のファンタジーな文章を現実の工事とかモノに明確に反映させたければ、「圧縮された木くず」を具体的に持って来て、土中に100年埋めても腐らないってことを「客観的」に証明してくんないかな? としか言いようがない。そもそも、裁判は紛争をお金で解決するものだから、個人の生活の在り方に干渉はできないし、干渉したら憲法11条・幸福追求権とか、憲法19条の思想・良心の自由の侵害で、国賠モノですよ、何言ってるのか? となる。裁判なんて、結局は机上の空論なんだから、金だけ払って栗田とは縁を切って、自分自身に必要な工事を進めた方が一番良いのではないのか、と3年まえの私が案じたことは間違ってなかったと思います。「金を払うな」って言ったのは小池市蔵って人じゃん。今一番むかっ腹が立ってるのは、そのあたりなんだけど?? という気がするわけですがー;。だいたい、地裁の裁判官が堂々とファンタジーを書くなら、最高裁まで行っても結果は見え透いてるでしょ、意味不明なことからはとっとと手を引くに限る、って私の考えは間違ってないと思うわけですが-;。