そういえば、待合室で診察を待っていたときに、ふいに誰かが悔しがって泣いている気がして。家の中で、もめ事を起こさせて、家族がバラバラになるように必死で仕向けたのに、私が姉を見放さずに付き添って病院に連れて行ったことを忌々しく思ってる者がいるのだという気がする。エリザベスのおお婆ちゃんではないけれども、「家族の間でどんなに揉めても、家族間の問題は家族の中で解決して、家の外に対しては一致団結しているように。」という言葉を思い出す。それは「人道的な信念」というよりも、もっと別の「政治的な覚悟」である気がする。私が私という政治家である限り、それをやり続けなければいけない、とそんな気がする。怨霊が泣こうがわめこうが関係ないです。私にだってできることに限りはあるけれども、自分でそれをやりたい、と思うかどうかも別として、できることはやらねばならない。それが「怨霊に勝つ」ということなのだと思います。