本日は雨という天気予報で、予報通り朝から雨だったので、私と姉は外作業をしませんでした。母親のみ土の埋め戻しをしました。ハツリについて、コンクリートを薄く削って、振動ドリル等で穴を開けて割っていくのも有効かと思い、振動ドリルを買いに行きました。それから母親用の防塵マスクとかも買いました。
で、後は「リスボン条約」に関するお手紙などを作成中であって、ともかく医者にかかる順番の都合上、現在一番問題であるのは、小谷医院の小谷素子さんの言動であるわけで、しかも小谷医院のHPには「最新の治療ガイドラインをふまえて、個々の患者さんの症状にあわせて検査・治療をすすめていきます。(http://www.kotani-clinic.net/feature/index.html)」とわざわざ書いてあるわけですから、「よく冒険して暴言を吐いたな」とむしろ関心するくらいであって、債務不履行、不法行為もだけど、不法行為に「詐欺」も主張できるでしょ、あわてんぼうさん、とか、そういう感じであるー;。でも、次に行くのは、順番からいって、春日内科・糖尿病医院の春日広一さんのところであるので、特に父親に関しては、私から見ればそれほど問題がある状態ではないわけですが、何を言われるのか分からないし、ある程度は共通の認識も必要、ということで、お手紙を書く準備をしています。
で、糖尿病というのは日進月歩が激しい病気でもあるので、ともかく最新の知見を纏めるのに、頭を使うわけです。だいたい、我が家の父方の家系の特性としては、2型糖尿病を発症する、症状は割と軽度だけれども腎障害を伴う、食後高血糖がまず来ることが顕著である、という特性があるわけです。食後高血糖と、その反動ともいうべき食前の低血糖は、私の場合、もう中学生くらいから来てるわけです。食前に非常に気分が悪くなる、で傾眠傾向も出る、食後は逆に一過性の高血糖で軽度の意識障害が来る、ということで。食前にも、食後にも「意識障害」が来ます。糖尿病発症の前段階で、まずこういう症状が出て、日常生活に支障が来ます。でも幸いなことに未だに「糖尿病」の定義には入らない状態です。2型糖尿病というのは体質的な要素をけっこう含むので、特に発症しても軽度の家系では、食事に気をつけていれば「糖尿病」の定義に入らない人もいる。でも、血糖値の乱高下が起きている状態だと、腎臓へのダメージは来ます。
で、こういう「糖尿病前段階」という状態に対して、医師がどれほどの認識を持っているのか、というと、私がまだ学生だった頃、信州大学医学部では「食前・食後に傾眠傾向の出る糖尿病でない人」は、内分泌科の対象ではなく、精神科の対象で、精神論の問題で、血糖値と傾眠傾向(意識障害)との間には関連性はない、という見解が学内の大半を占めていました、と思う。たぶん-;。「そうじゃない」なんていう医者や医学生に会ったことないし? 私以外に? と思う。まあ、これが長野県の最高峰の医療の現場の「精神状態」ですから、まあ全体に言って、「まずお前らが精神科を受診するべき」という状態だったと申し上げるしか無く-;。「食前・食後に傾眠傾向の出る糖尿病でない人」は「怠け者だ」ってあからさまに嫌悪感を示す、「未来の腎臓内科医」とかいたわけだから、恐ろしい場所だったわけで。当時は長野県人の栄養状態が非常に特殊であったので、「糖尿病」という病気を診たことがある医者が信州大学医学部にはいなかったんじゃないのか、と思うわけですが(爆)。まあ、国立大学の医者なんでこの程度に馬鹿で、問題がある状態だったわけです。25年前はね(呆)。
とうわけで、「糖尿病精神論説」で教育を受けた医学生が、今、長野県の主な病院の腎臓内科だの、内分泌科だののお偉い方の医者になってるから、ガイドラインがあっても理解できないし、ついていけない医者ばっか、というステッキーな状態であって。患者に迷惑をかけまくるわけです。で、うちの父親については、春日の若旦那が「腎症ではない」と連呼して、どうも居心地が悪いというか、「DKDって言えば?」とか「微量アルブミン量の測定が必要って言えば?」と思うけれども、私の方からはあんまり口にしたくない、という微妙な「問題」があるわけです。なぜ私が口にしたくないのか、と言えば、結局は、なんで今まで父親が「微量アルブミン量を測定したことがないのか」という問題があるからです。
2014年に腎機能の低下が発覚したので、父親は長野市民病院の腎臓内科を受診しました。主治医は、糖尿病学会の認定だったと思うわけですが、微量アルブミン量の測定が必要だとの説明は行わなかったし、測定もしてないと思います。訊いたことないし。しかも、定期的な測定が必要とも言わず、厚生連新町病院でも同じ扱いでした。つまり、2014年の段階で、世間では「糖尿病性腎症の病気を確認するために微量アルブミン量の測定が必要である」という状態だったにもかかわらず、長野市民病院でも厚生連新町病院でも医者はそのような認識を有しておらず、世間一般の見地よりも信州大学医学部特有の「糖尿病精神論」を支持していて、医療の現場で実行しているとしか思えず(苦笑)。まあ、少なくとも父親が「微量アルブミン量測定」をされていない最大の原因は、長野市民病院腎臓内科の掛川哲司さんのせいなんじゃないか、と思うわけで。これがまた学生時代に私の名簿のすぐ後ろに名前が載っていた人であるので、学生時代にどんな教育を受けていたのか知ってるだけに、どうも必要以上に関わりたくないし、まともな医療の期待なんてできねーだろーなー、という意識があるのはいたしかたないわけで。同じポリクリの班にいたわけだから、いいところも悪いところも知ってるし、私が中検のやり方についていけなくて、うんざりしてた頃に、私の前に突然出現して「重役出勤?」って侮辱してくれたことも忘れてないし、と思う。
「食後に意識がぼーっとして仕事に集中できないのは精神的に問題があるから精神科を受診しろ」っていうことも同然のことを勝山教授に言われて、信州大学医学部を見限って辞表を出したあたくしから言わせれば、春日の若旦那は「微量アルブミン量」のことを知っているはずなのに、何故そのことを口にしないのか、口にできない「圧力」がどこかからかかっているのか、私の方から言わせて何をしたいのか、というか、そもそも私が口にしたくないんだが? 掛川哲司さんとも信大から来てる内分泌の教授ともあんまり関わりたくないから、と思うわけですが-;(日赤の小林衛さんについても以下同文なわけですがー;。)。まあ、こういう諸事情があるにもかかわらず、ガイドラインはある程度尊重しないと、私の医師免許が泣くと思うので、お手紙を書くのに頭を悩ませているわけです。まあ、でも手紙には書くよ、当然。
「微量アルブミン量」の問題と「血糖値」に関する問題は、25年まえに信州大学医学部が一人の医学生・研修医をどうやって追い込んで自殺においやろうとしたのか、と、そういう問題に直結する、と少なくとも私の中ではそういう問題である。人の世の法律行為には時効があるが、人の記憶に時効はないのでね。25年前の私が今の私であったのなら、黙って済ませるような問題ではなかったのですが。でも、糖尿病から見た場合、「微量アルブミン量」を測定しないことは不法行為でないとはいいませんが、測定しなかったからどんな損害が患者に出るのか、って言われてもですねえ? むしろ、そのことよりも、春日の若旦那が高齢者にすすめられない薬を盛ろうとしてることの方が損害に結びつくでしょ、となるのでねえ。真面目に話をしようとすると、「90過ぎたじいさんの尿蛋白なんかどうでもいいじゃん。やれることだけやれば。(そしてやれることをちゃんとやってれば尿蛋白は止まるわけで)」っていうのが私の本音っていうのが、偽らざるところなわけですが。「微量アルブミン量」を測定しないついでに、患者に必要もなさそうな薬を盛れ、っていうそういう発想が普通じゃないのですよ。ガイドラインを無視するのは実害のない範囲に留めるべき、という節操の無い巷の医者が悪いのです。「微量アルブミン量」について書くのも言うのも構わないわけですが、その結果どこに帰結するのを目的とするのかが良く分からないから困る、とも言う。まあ、目的は自分の頭で考えて、自分で決めるしかありません。何故なら医師免許を持ってるのは私だから、となるわけです。糖尿病というのは、真面目に勉強すると、けっこううざい病気だ、と病理医は本音ではそう思っております(苦笑)。細胞に異型があるのかないのか、癌なのかそうじゃないのか、を単純明快に見るような仕事の方がやはり私は好きです(笑)。