そして

 でもって、現在立場的に「まずい」のは、市民病院のウロではなくて、若旦那の方なわけ。

 その理由、薬に関しては

1.ミカルディス60mgが「標準的な治療」ではないから
2.高カリウム血症とeGFR(あるいはCr)が悪化する可能性をきちんと患者と家族に説明していないから

病態に関しては

3.血尿++を隠蔽して、腎硬化症の精査をすべきを、勝手に患者を抱え込んで治療しているから
(これは父親の糖尿病に対してもいえます。精査なしで抱え込んでる)

です。で、それに対して、ミカ60を使用すべき、と私が判断している理由は

1.カルブロックがアレルギーがあって使用できないから
2.カルブロックを飲んでると、期外収縮の数が少なくとも、家庭用の血圧計では増える傾向にあり、患者もだるそうにしているから
3.2に対して、ミカを飲んでから、患者の全身状態は改善傾向にあり、期外収縮の数も落ち着いているから
4.心臓の評価具合にもよりますけれども、心臓に難がある人の第一選択薬はARBとかACE阻害剤なので、その点からいえば、ミカの使用は必ずしも間違ってません。ミカには心筋の保護作用もあるからです。

ということになります。だから、患者にとっては、ミカ60は、標準的な治療とはちょっとずれてても、副作用さえなければ、現段階で、患者に一番メリットのある治療方法、ということになります。でも、高齢者だし、ミカには欠点もあるので、この治療法に同意した以上、医者には高カリウム血症と腎機能低下を、通常の高血圧治療患者よりも強めに経過観察をする義務が生じます。そして、高血圧と腎機能低下のある患者に対して、3ヶ月毎の一般検査(尿検査と血液検査)は、けして査定に通らないような検査ではないし、追求されても、事情があってミカ投与が最適の患者だから、フォローが必要、といえばいくらでもいえる患者なので(しかもレセプトの提出先で嘘ついてるし)、血尿が心配で尿検査してるとしても、蛋白尿と血尿の確認の有無、でレセプト通せる案件ですのでね。患者側が3ヶ月に1度の検査を希望してるのに、医者が強引に半年に1度って言ったら、その間に何かあった場合、それは100%医者の責任ですよ、患者の家族には医者がいて、専門的な見地から妥当な検査を求めてるので、それに対してあらゆる点で嘘をついて、診療拒否してるのは主治医の方だから、ということになります。第2の栗田建設になる道を選んでるのは主治医自身、ということになります。

 ・・・・まあ、でも患者の状態は良いし、eGFRは素で44あるから、まず副作用は出ないでしょ、って全体的にはそうなるわけですが、医者が手抜きしてること、患者と家族の同意が得られていない手抜きを、嘘を塗り固めて強行しようとしてることは事実であるので。腎硬化症の精査は良いですけれども、治療法を変えようとか、更に手を抜こう、とかおかしなことを企めば、医者の立場は更に悪くなるだけです。なんで、市民病院のウロのことばっかり大騒ぎになるのか、そのことの方が「法的」には不思議です。

だから

個人的には、「医療訴訟」で大切なのは

1,標準的な治療や検査を行っていたか
2,治療や検査に関して、充分な告知を行い、患者のコンセンサスを得ていたか否か
3,治療効果があったのか否か(それと副作用の有無)

だと思います。多少標準的でなくても、コンセンサスと治療効果があれば、それは患者にとってメリットのある結果であってよしとされると思う。標準的な治療であっても、効果がなかったり、乏しかったりすれば、別の治療法を探るのは当然じゃん?? と思います。でも、CABを止めた時は、合意を求められてはいないですよ。説明されていないし、文書もないから説明したという証拠を挙げることはできません。せいぜい今からカルテを書き換えてごまかすくらいなんじゃないの??? と思う。

20年10月24日

 ええと、結局色々考えて、「前立腺癌診療ガイドライン2016年版」も読んだ結果、CABの再開はやはり求めないことにしたいと思います。理由は

1,「標準的」ではないにしても、ビカルタミド単剤も治療の選択内ではあること、
2,治療効果が出ていること

の2点です。でも、その代わり、次には泌尿器のドクターと話して、家族も治療法を精査した上で、現段階ではビカルタミド単剤投与で了解していること、単剤で効果がなくなったらCABを再開して試すか、あるいは別の抗癌剤に切り替えるかを「市民病院で共に検討すること」を確認すること、としてあげたいと思います。「ビカルタミドだけで足りない」って言われても、足りてるんで-;。少なくとも令和2年以降は、泌尿器科の医者と家族と当人との間で合意の上で納得して行っている治療法、ということでお墨付きをあげておきたいと思う。お医者サマめは、それをカルテに書いておいてくれても良いし、こっそり録音しておいてもいいし、好きにすれば? と思う。それが、何かあったときに、ちゃんと家族にも治療や薬のことを説明して合意を得た上で診療を行った証拠になるでしょ? 家族も単なる素人ではなくて、私みたいな名医が混じってるんだし?? と思う。普通の素人に説明した、というよりも強い責任は、こちらに割り振れますよ、裁判とか、法的に問題になった場合には、と思う。

 腎機能関連については、内分泌・腎内に戻す方針で。

 というか、糖尿に関しては、病院を切り替えるときに、投薬が必要でない状態で、近所の医者につれて行ったら、それが「腎臓なんてものを知らない循環器の医者」だったらしくて、「医者に来る必要なし」って言ったそうなのね。その時に私は一緒にいなかったけど。それで、経過観察が途中で途切れてたわけ。医者の方ではね。でも、私はウロの血液検査の結果で経過を見てたんだけど?? 何か問題ある?? となるー;。

 で、ウロはといえば、最初はCABをやってたわけです。でも、2回くらいで「必要ない」っていって、カソ単剤に切り替えてしまったわけ。で、その後厚生連新町病院でずっとカソ単剤でやってきていて。で、長野市に引っ越したので、古巣である市民病院に戻って。新町病院でも特に何も言われたことはない。市民病院も新町病院も医者はおそらく信大から医者が来てるので、上が黙ってろっていえば、黙ってどんな手抜きでもやる、って普通に想像するよね、全くのところ。そもそも、前立腺癌の治療を開始するときに、放射線をやるかやらないかでも揉めたわけですが、こっちが「適応内だからやってください」って言うと、青山とかっていう若い医者サマめが、どっかに電話かけて相談してからやることに決まったわけで。もうね、最初から手を抜こうとしてたじゃん?? と思う。

 ということで、様々な手抜きは「ペーパードクター」であるあたくしが何も知らない、と思ってたからできたことで、私が単に手抜き医者を泳がせていただけ、って分かったら「まずいし、やばい、修正しなきゃ」と思う人がここに来て急に増えたらしくてー;。なんで、私のこと「ペーパードクター」って思ったのかな? 医学部は学生だって医学について習うことはけっこう多いし、市民病院の腎臓内科医とほぼ同じ教育を受けてたんだけど?? あたし?? と思う-;。その人だって、医者になってから急に医学を勉強しだしたわけじゃないと思うわけですが-;。

 だいたい、そもそも信大系の医者が中心になって、あからさまな殺意を持って、組織的に手抜き医療をしてるとしたらですよ?? これは25年来の、パワハラとセクハラを隠蔽するための粛正と内ゲバ案件なんじゃないんですか? と思うわけで-;。これだから、学生時代に、学生運動ばっかりやってて、勉強を全然やって来なかった馬とか鹿は困るんですよ。自分の医学レベルと私のとを一緒にするな、って私が言いたいかどうかは、ご想像にお任せします。というか、単に私の妄想かも。

20年10月23日

 で、なんだか、どうも腎臓の内科関連のつじつまは合いそうでも、ウロだけ「標準的ではない治療」が取り残されてしまう上に、「標準的でない治療」が内分泌と腎内にも共有されてしまうことになるので、体裁的に困ってるらしい@@。・・・そんなこと知らんがな、「手抜き医療殺人未遂??(笑)の共犯」が嫌なら、誰か気が付いた人が修正すれば良いでしょ。というか、じいさんは六年まえからそういう治療しか受けてない気がするので、わざと見落としている腎臓内科医がいるよねえ?? 私の大学時代の名簿のすぐ後ろの人?? と思うし、「かかりつけ医」も共犯てことになるんじゃん?? と思う。でも、これは私は動く気はない。何故なら、標準的でなくても、どういうわけかビカルタミド単剤で薬効は出てるので、過剰医療は好きじゃない。医者の体裁のために患者は存在するんじゃない。持ち回りで、医療ミスを隠蔽し合って、生理学の大橋先生が言うところの「みんなで肩たたき合って沈んでいく」という状態なら、それが今の長野市民病院の真の姿なんじゃん? と思う。そちらに関しては、今にビカルタミドが効かなくなって、他の抗癌剤に切り替えなければならなくなった時に、標準的な治療に戻してくれればそれで良いと私個人は思ってます。同僚でもなんでもない連中の体裁よりも、親のQOLの方が私には大事である。だいたい、標準的な治療に戻す機会はあったのに、医者の方から「わざわざ」戻さなかったんですよ? そんな真似しておいて、体裁も何もないですよ。そして、私たちの方から、抗癌剤の治療をやめてくれ、替えてくれ、なんて希望したことは全然ないんだし、医者が全部勝手にやったことだから。自分達で自分達の体裁を潰してるんじゃん。

そして

そして、この手の「勝負」に関して、私が許容できるのは、せいぜいが裁判で「証拠の数が88」とか、そういうお遊びの範囲かなー、と思う。法曹関係者は「裁判だって、人の人生を左右する大事な問題」って言うかもしれません。でも、裁判に勝っても、負けても誰も死ぬわけではない。人生は、もし例えつまづくことがあっても、生きていさえすれば可能性は無限にあると思います。でも、人は死んでしまったら、「それで終わり」なので。人の生死に関わることを勝負事の対象にすることはいけないことだと思う。

 4番目の子には、「あなたであればそう言うと思っていた」と言われる気がします。というか、これが女王卑弥呼の理想であり、大名家の理想であるらしい。「人は誰でも、自分の命を削るようにして働いて生きているのだから、それを勝負事の対象にしてはいけない」ということらしい。私と7番目の兄さんは良く似ているけれども、この点では考え方が違うらしいです。だから、それが大名家と他の人達との考え方の違いにもなっていて、色々なところに波及しているらしいー;。でも、7番目の兄さんも良い人だし、話して分からない人ではないと思います。今回の件については、「あなたがそこまでの名医の器とは思わなかった」って言われて謝ってもらったので、まあ、「良し」といたしましょう。そして、良い方向に行くように頑張りましょう。