そして、この手の「勝負」に関して、私が許容できるのは、せいぜいが裁判で「証拠の数が88」とか、そういうお遊びの範囲かなー、と思う。法曹関係者は「裁判だって、人の人生を左右する大事な問題」って言うかもしれません。でも、裁判に勝っても、負けても誰も死ぬわけではない。人生は、もし例えつまづくことがあっても、生きていさえすれば可能性は無限にあると思います。でも、人は死んでしまったら、「それで終わり」なので。人の生死に関わることを勝負事の対象にすることはいけないことだと思う。
4番目の子には、「あなたであればそう言うと思っていた」と言われる気がします。というか、これが女王卑弥呼の理想であり、大名家の理想であるらしい。「人は誰でも、自分の命を削るようにして働いて生きているのだから、それを勝負事の対象にしてはいけない」ということらしい。私と7番目の兄さんは良く似ているけれども、この点では考え方が違うらしいです。だから、それが大名家と他の人達との考え方の違いにもなっていて、色々なところに波及しているらしいー;。でも、7番目の兄さんも良い人だし、話して分からない人ではないと思います。今回の件については、「あなたがそこまでの名医の器とは思わなかった」って言われて謝ってもらったので、まあ、「良し」といたしましょう。そして、良い方向に行くように頑張りましょう。