細々とやっていた一日でした。
なので、執筆活動の方はあまり進んでおりません。でも、身の回りのことはずいぶん進んだ気がします。
全ての道は西安に通ず
中国の都市西安、昔で言う「長安」の都は、黄河流域にあるのです(正確にいうと、黄河の支流の流域)。黄河といえば、
四大文明の一つ
というわけで、周辺には黄河文明の遺跡がたくさんあるようなのですが、だいたい9000年くらい前に遡る新石器時代の文明に、「裴李崗文化」というのがあるわけです。これは西安よりも黄河の下流にあった文化なのですが、黄河文明の中でも古い時代の文化にあたります。で、そこから
賈湖契刻文字(かこけいこくもじ)
という文字様の印が発掘されたので、インダス文明の古い文字と関係があるのでは? と言われているようです。でも、「文字」といったら、まずは
中国ご本家の漢字の元
では? と思うわけで、実際、「目」とか「日」の文字の原型と思われるものがあるわけです。で、そのうちの一つが上の図なわけで、あまりにも
あんまりだ
と思うので、Wikipediaから拝借してきましたが、これはどうも個人的に思うに、
インダス文明
というよりは
メソポタミアとエジプト
に直結する「印」じゃん、なんで16個発見された「印」の中からこれを選んで載せるのですかね???
というわけで、これは
表意文字
です。でもって、当然
漢字の原型
でもあります。そして更にいうと、
t
の原型、できの悪い「師匠の肉」の原型である
ヒエログリフのパンを示す t
の原型となる文字なわけです。
いったい、何がスコーピオン・キングなんだか!?
というわけで、せっせと
シルクロードの地図
を描いているわけです。描かないわけにいかないからですーー;。
M神列伝
このシリーズが一段落つきました。最初はヒエログリフをちょこちょこと軽く分析するミニシリーズにするはず、だったのが意外と大変でした。来る日も来る日もユニコード表とにらめっこする羽目にーー;。ということで、「月神」について述べているのに、肝心の正々堂々と
月神
と名乗っている神々のことはまだ何も書いていませんので、クヌム、ミン、コンス、トートといった有名所を纏めて、かつ、今まで書いた記事を修正できるように、メソポタミア方面のことも書きつつ、当面の目標は、
オシリス一家
までたどり着ければよいな、とそういう感じなわけです。オシリスというのは、
「バラバラにされて殺された神」
ですが、その属性を「月」なのか「太陽」なのかを考えたときに、「月」を示す言葉が最初の「オ」しかないな、と気が付いたわけです。で、オシリスは「アサル」ともいうわけで、そうなると、「月」を意味する言葉がなくなってしまいます。でも、オシリスのヒエログリフには
右目(すなわち「月」)
が含まれていて、「月」に属する神であることは間違いないと思うわけです。で、「m」という言葉が付いて、オシリス同様、死して冥界の王的存在となる王(生きているときは良い王)に、イランの古神話のジャムシード王とか、インドのヤマとかがいるわけで、彼らは「mがつく月」から派生した半人半神といえます。だけど、
「m」
がつく「月」は
「永遠」
の存在でもあるのに、何故この神は死ぬの?
ということになる。そうすると結局、
「バラバラにされたオシリス」
とは
ハイヌウェレ型農業神
といえると思うのです。で、オシリス一家の中に「サティ」という女神がいるのですが、インドに行くとオシリスではなく、この女神がバラバラになる神話があるわけで、この
バラバラ殺神
と関連の深い一家のことを書き出すと、その起源が
エジプトでもメソポタミアでも 「無い」
だけに、
分かっていても、書きたくない、
ただでさえ、エジプトとメソポタミアでアップアップしてるのにーーーー
となるわけです。古代中国のハイヌウェレ型三神を個人的には
盤古、炎帝神農、蚩尤
と考えているわけで、この3つは
「同じ神」
だと思うわけです。黄河文明の農業の始まりに関わる神で、その起源は1万年近く昔に遡り、時代が下ると、土器等の
水盤の底に張り付いている 「盤蛙」 となるわけで、
この農業に関する 「蛙神」 のことを語り出すと、芋づる式に
井戸尻の蛙女神、農業に関わって、左目が 「月」 を示す 「波紋」
になっている神まで一直線なのですけれども、どうも
「黄帝」
という敵の手によって、左目が太陽で男性に、本場中国では変えられてしまっているので、
偉大な炎帝神農
のはずが、「人面魚」扱いしかされていない、と、
そういうことにとめどもなく繋がるから、書きたくないわけです。なにせ、シュメールのイナンナの正体を掴むまででも四苦八苦している状態なわけですからーー;。
農業の黎明と共に中国からもたらされたこの神は、同時期に別ルートからもたらされた「男性の蛇神信仰」と習合した結果、
女神
に固定されて、日本では日本式に独自の発展と展開を遂げているわけです。「夫」の方は「石棒」とか「男根」の神様ですので、あちこちの神社で今でもみられます。
では、
妻の方は?
となるわけで、右目が太陽、左目が月のこのハイヌウェレ的であった盤蛙女神は井戸尻遺跡の土器から始まって、今でもあちこちにいるわけですが、
誰もそのことは語らない
と、そういう感じのようです。まあ、でも一番有名な所では、伊勢神宮の内宮の女神ということになるのでしょう。(結局、外宮の女神も同じ神のような気もするのですけれどもねーー;)
金曜日ですので
Music Stationを見たわけですが、
ウルフルズってあんなに、あんなだったっけ?
とか思ったわけで。なんというか、
ああいう風には年は取りたくないな、
というか、なんというかーー;。
毎日毎日
ヒエログリフとにらめっこしております。
だいたい、どうして「月」について書き始めたのかというと、西洋の信仰文化の源流は、古代エジプトとメソポタミアという2大文明だと思うわけですが、この2つは宗教的にはとても似通っている、けれども、微妙に異なる。そして、月信仰がとても強い、という大きな共通点があるわけです。で、メソポタミアで有名な月の神を
ナンナ(Nanna)
というわけで、一方エジプトには
ミン(Min)
という月神がいるわけです。で、時代がもっと下ったヒッタイトにはクシュフ(Kashku)またはアルマ(Arma)という月神がいるわけで、アルマ(Arma)の方は、ミン(Min)にArをつけたものだな、と分かるわけです。でも、クシュフ(Kashku)はどこから来た名前なのかがはっきりしません。しかも、信仰の形が似通っているのに、メソポタミアだとナンナ(Nanna)となって「N」から始まるものが、なんでエジプトだとミン(Min)となって、「M」から始まる言葉になるのも謎だったわけです。
そこで、まず「M」と「N」の違い、あるいは「変遷の過程」を明確にできれば、と思っていろいろと調べ始めたわけです。それで、エジプトでは、
単に「混沌としての月」を示すときは「N」
だけれども、
「人の運命を左右する月」を示すときは2倍体の「M」
を使う傾向があるのだな、と気が付いて、やっと自分の疑問の一つに答えをみつけたわけです。セネト・ゲームは名前の上では
「N」の月
が残っていますけれども、それがメヘン・ゲームになると名前の上でも
「M」の月
がつくようになって、おそらく両方のゲームの根源的な思想は、宗教的な意味合いが強くても、そうでなくとも、変わらないものなんだろうな、と思うようになったわけです。
でも、人間の一生はゲームではないし、それに
「勝ったものだけがいい思いができる」
なんておかしなことだと思うのです。