新しい記事をアップしました。そして、
思い切り疲れ
ましたーー;。どうも神話と、そういう世界に近い古代史を勉強するのは世界観がわりと単純で楽しいのですが、現代に通じるような
民族自立
とか、そのための
排他的な宗教とか神様
というのは、どうも調べていてもやや疲れるわけですし、「カーヴェ」っていう名前は「カアバ」と同語源でしょ。その言葉が意味する神サマを自分達だけの神サマにして、自分達の民族の優位性とか特異性とかを誇る材料に使っていいのかしら? 太陽の神サマは誰の上にも平等であるのではないの?
とか思うわけです。私はムスリムではありませんが、預言者ムハンマドがジャーリヒーヤ時代の古き神々を全て廃したのは、そうやって民族神等の固有の神々の優劣だけを争うことは間違っていて、
みんなで協力して助け合うこと
こそが「アブラハムの宗教」で、「良い考え方」だと思ったからこそではないの? とか思うわけですが。
「民族自立」
ということは、確かに悪い面だけがあるとは思いませんが、そこに拘りすぎると
「自分達だけが特別」
という選民思想にも陥りやすい気がするわけです。すると、悪魔はそこに取り憑いて
「もっともっと選民意識を持て」
とそそのかすと思います。そうして、誰もが
「自分達だけが特別な「Ker-Ber」の神の子孫だ。」
と思うようになると喜ぶのです。何故ならそうすると、人々はどちらも相手よりも自分が上だと思って互いに見下しあうことになり、そうすれば互いに争わせることも簡単ですし、何より互いに対等に協力し合うということができなくなれば、
みんなで協力してザッハークに立ち向かう
こともできなくなるからです。
こうして、闇に潜む蛇は肥え太るがまま、かわいそうなお魚エンキは「ザッハーク」なんていう変な名前にされたまま、ということになるわけです。こういうことを考えるのは、確かに気が重いことなのですよねーー;。
カテゴリー: 神話
資料採集日和
せっせと書きながら資料採集をしているうちに、また別の資料が必要になって、
本論の戻れるのはいつの日やら?
みたいな状態になっておりますーー;。ともかく集められるだけ頑張って集めようと思います。
クリ・ドラ再び
クリ・ドラというのは「クリスタル・ドラゴン」の略なわけですが。
そういえばふと思い出したのですが、この漫画の主人公アリアンは、魔法使いの見習いなのに普段は魔法をほとんど使えなくて、たいしたことはできないわけです。一応見習いですから、薬草の知識とか「頭で覚えられること」はある程度分かっているわけですが、実施がうまくいかないわけ。でも、一応風の精霊と契約していて、風はある程度自在に操れるわけです。
風を自在に操れる
ということは、その点だけでも、彼女が西洋の「太陽神」を意識して描かれてるんだ? と今になって気が付いたわけです。むこうの太陽神は天候神でもありますので。でも、彼女は魔法そのものは滅多に使えないわけです。でも、たまに感情が高ぶったりすることがあると、魔力が暴走して大暴風雨的な騒ぎを起こしたるするわけ。そんなものだから、先輩の魔法使いから
「自分の力を制御する術を学んで、実力をつけなさい」
とか言われてしまうわけ。でも、当人にはそのやり方が良く分かってないわけです。
でもって、「邪眼のバラー」の姉の魔法使いというのはアリアンとは対照的で、有能で悪い魔法使いだから、「魔」とかを呼び出してじゃんじゃん好きなように扱えるわけです。で、こっちの方はアリアンが族長の娘と一緒に村から逃げ出したものだから、二人を殺そうとして、手下の悪魔に後を追いかけさせるわけです。で、バラーもそれとは別に、逃げた二人を連れ戻すために手下を送り出すわけ。
そうして、追われたり逃げたりして旅をしている内に、アリアンはソリルという男性と出会うわけです。この人は魔法は使えないわけですが、いわゆる「戦士」なわけ。でもって、アリアンに戦士の才能がありそう、ってことで剣の使い方とかを教えてくれるわけです。で、このソリルという人物は普段は割と温厚な方ですが、いったん戦場に出て興奮すると、敵でも味方でも見境なく殺しまくる、というわけで、西洋の神話ではこういうタイプの人を「狂戦士」というわけです。敵であっても、味方であっても「戦場では会いたくない」タイプです。んでもって、ソリルに連れられてアリアンも戦場に出る羽目になるのですが、そこでアリアンも
自分も同じタイプ
だと気が付くわけです。やっぱり戦場で興奮すると見境がなくなるタイプだったらしいです。そういう自分を
嫌だな
とも思うわけですが、
邪眼のバラーと戦うためにはそういう才能も必要かも
とも彼女は思うわけです。で、そんなこんなでアリアンはローマへ向かうわけですが、仲間になったソリルとは別ルートで向かったので、広いローマでどうしたら良いのか分かりません。一方のソリルはローマで剣闘士として暮らしていたことがあって、街のことは良く知っているわけです。
そこで、ソリルは自分は昔の剣闘士仲間の宿舎に潜伏するのですが、その一方でアリアンの方は奴隷に売り飛ばされたりしたら闘技場で買い取るように手配するわけ。そうすると確実に落ち合える、ということで。まんまとその手に引っかかったアリアンは奴隷として闘技場に連れていかれるわけですが、いろいろ事情があって
男子の宿舎
に放り込まれて、髮は切られちゃうは、男装はさせられるは、というわけで、名前も「アラン」という名にするように言われるわけです。で、その格好で闘技場にも出たわけですが、そこで
悪い魔法使いが送り込んだ「魔」が取り憑いた人物と出会って、それが襲ってきたもので闘技場に悪魔があふれかえって見せ物どころではなくなる
わけ。それで暴発したアリアンも魔力を全開にさせて、闘技場をボロボロに破壊してしまうわけです。そんなものだから、奴隷の剣闘士達も逃げたい人たちは逃げてしまった、と。
どうもね、漫画でアリアンがローマに行った時に、何をやったか思い出さねば
みたいな気分になって、思い出したこと、それって、コロシアムをズタボロにしたこと?
自分の能力が自覚できなくて、制御する方法を知らない狂戦士って、どういうことだろう、それ?
とか、ふと思ったわけです。そういえば、「ソリル」っていう名も「太陽」のことじゃんねえ? とか思うわけで。(でもソリルは名字がニールセンとかだった気がするから名字には「蛇」の子音が入っているわけですが。)
どうせ、こういう記憶力だけは良くできているわけです。全くのところ。
ナルト叙事詩
ちと、西洋の「鍛冶神」を纏めてみたくなりましたので、あちこちの鍛冶の神様を調べております。蛙と魚についても、ちょこまかと調べてはいるのですが。さて、どうなるのでしょうか。
エトルリア神話
印欧語族の神話を語る上で、古いヨーロッパの神話を知ることは欠かせませんので、エトルリアの神様を調べていたわけです。で、調べているとなんとなく「クリスタル・ドラゴン」という漫画のことを思い出したわけです。
この漫画は古代のアイルランドが舞台で、アリアンロッドという魔法使いの見習いの女の子が、「邪眼のバラー」という族長を抱く部族に自分の部族を皆殺しにされてしまうのがとっかかりで、アリアンは村を離れていたので皆殺しにはあわずに済んだわけですが、復讐しようと思ってバラーの村に忍び込むわけです。でも、バラーの姉は強力な魔女で、魔を操って弟を不死身にしているのでバラーを殺すことができないわけです。でもって、バラーに取り憑いている「魔」はどこにいるかというと、彼の左目にいるので、普段は「邪眼」といわれるその眼を人に見せないように眼帯で隠しているわけです。で、必要があるとそれを外す、と。
このままでは復讐は無理、ということでアリアンはいったんバラーの村を逃げ出すわけですが、逃げる時に捕まっていた族長の娘ヘンルーダを助けて、女の子二人で逃げるわけです。で、これがこの漫画の冒頭部分に来るわけで、あとはずっとアリアンの旅の話、ともいえるわけで、アリアンとバラーが直接会ったのは冒頭の場面だけなわけ。で、バラーに会ったときにアリアンは思うわけです。
「彼と私はどこかで繋がっている。同族とかそういうのではなくて、もっととても古い所で。」
と、そんな感じなことを。これはちょっと謎めいた設定ですが、私が読んでいた時点では物語の中でこの謎が明かされることはありませんでした。
で、エトルリアの神話を調べていると、このシーンがどうにも浮かんで来るわけで、それに調べてみるとエトルリアとケルトというのは、けっこう文化的に近いわけです。なので、バラーに近い語源の神様って誰かいるのかしら? と思って調べてみたわけです。そうしたら
Februus
という神様が出てきたわけで、この神は、頭のBの子音がFに変化したバラーだと思われるわけです。バラーというのは正確にはバロールというわけで、元々は「BBR」という子音で構成されており、この神の「FBR」という子音と交通性があると思われるわけ。で、どういう神様かと思ってみてみると、
冥界神
とか書いてあるわけです。これでまた、
「おや」
と思うわけ。バラーもこのフェブルスという神様も、子音の中に「蛇」を意味する文字がありません。でも、彼らの性質は破壊性が高くて、あんまり良い性質ではないのです。これは何故なのかと、きっと彼らはメソポタミア由来の神であって、メソでは読む子音に「蛇」の音をつけなくても、楔形文字で読まない子音として「蛇」をつけるから、それが楔形文字を使わない文化に移行しても消えないのだと思うわけです。で、このフェブルスという神様は、
2月、すなわち英語でいうところのFebruaryの語源になっているわけ。
ということは、邪眼のバラーって2月生まれなんだ? と思うわけです。そうえいば、2月生まれの誰かさんが、ホルンの部長とか言っていたわけですが、ケルトの太陽信仰っていうと、豚のキアンしか知らない私としては、ケルトに羊信仰なんてあったっけ? と思ったわけで、これまた調べてみたわけです。そうしたら、ケルトの説話には
「白い羊の群れと黒い羊の群れの間に川がある。白い羊の一頭が啼(な)く度に、黒い羊の一頭が川を渡って白い羊になる。黒い羊の一頭が啼(な)くと、今度は白い羊の一頭が川を渡って黒い羊になる。川岸には一本の巨木が聳(そび)え立っていて、その半分は根元から頂部に至るまで焼け焦げているが、もう半分は青々と茂っている。」
という話があるのだそうです。ケルトの羊の神様って白と黒の間を自在に行ったり来たりするんだ? ということで、そういや誰か白黒写真ばっかり出していた人がいたな、と思い出したわけです。そして、ついでに「クリスタル・ドラゴン」の「邪眼のバラー」を思い出したわけで、この悪魔のような人物は、主人公のアリアンの敵ではあるのですが、時には助けてくれたりするわけで、微妙にアリアンに好意がありそう? だけれども、別にだからといってあちこちの村を襲うようなろくでもないことを止めるわけでもないわけで、要するに
良いことも悪いことも微妙に行うような人物
で何を考えているのかが良く分からないわけです。ということは、白と黒を自在に行ったり来たりして、その間に心の中に、良心とか悪心とかの境界を持たずに、あたりまえのことのようにそれができることって、
それって一種の「神がかっているような」才能なんだ?
と初めて気が付いたわけで(汗)。そういう才能を持つ者は、本気で勝とうと思えば、その才を正の側にも、悪の側にも自在に使い分けて誰に対しても勝てると思う。その能力こそが
邪眼
なんだ! って初めて思ったわけです。そうなんだ、裁判に勝つために書類に、嘘のことも本当のことも、区別がつかないくらいに巧妙に書いて平気で提出したことがあるとか、そういうことには全く心当たりが無いよ! と感じたわけですが(苦笑)。
どうやら、アリアンはローマまで旅して、魔の奥津城にたどり着いた時に、どうやら鏡の中に映っている自分の姿が「邪眼のバラー」そのものだということに初めて気が付いたのだと思うわけです。アーリアの杖、フルリの太母と同じ名を持つ者は、「2月」という言葉の中に、「月」という言葉のないその言葉の中に、「BBR」という「蛇」がついていないはずのその子音の中に、古きメソポタミア時代につけられた「魔」をみつけ、それがBel-Bellisという自分の真の名前と同じものだと初めて知ったと。それで、アリアンは
「私とバラーはとても古い時代に近い存在だった」
のだと思ったのだな、とそう思ったわけ。
だから、何だと言われても困るのですが、あまりにも頭の中に羊が飛び交うので、数を数えられなくて眠れない、というのも逆に困るんで(苦笑)。鏡の中のバラーに邪眼がついているということは、アリアンの左目も邪眼なんだ? もしかして? とそういうことなわけです。
どうりで、私は 2月に生まれた人物になんか誰一人として、何の心当たりも無いよ!
ということで、誰がどんな邪眼で挑んで来ようとも、東京で何があったかは絶対に忘れるもんですか。まずは、鏡をたたき壊して
「男たるものは小人たれば、大人に従え」
といって、狼の腹を割いて、飲み込まれた子供達を引っ張り出してお家に連れて帰るのが先決だと思うわけです。私はフロドでもなければ、アリアンロッドでもないし、まして千尋でもないんで、吐き戻し薬を飲ませるとか、そんな優しいことをする気は全くなし。
山羊のお母さんは、狼の腹を割いて、子供達を取り出したら、代わりに石を詰め込んで川に投げ込む
のが昔からのお約束な気がするのでね。ペンという剣で、やれるだけのことをやらせてもらいましょう、とそういうことなわけです。
だいたい、ソスランてのは、フルリの神じゃないのさ。どこが、エトルリア固有の神なのか、まずそこからほじくらねばなりますまい。