朝方、バスに乗っていて、誰か隣に座っている夢を見たわけですが、ふと前を見たら会いたい人が乗ってきたので、私の方から隣に座りに行く、という夢を見ました。瞬間的にうとうとしながら見た夢でしたが、会えて良かったと思います。
カテゴリー: 日記
夏に雪を蒔く天候神
普段私はあまりテレビを見ないのですが、おとといは出先でたまたまテレビのついているお店に行ったので、そのお店で用が片づく間テレビを見ていたら、相葉ちゃんの出ているミスドのCMが流れていたわけです。で、夏なのに(というか夏用の冷菓商品の宣伝ということで)小型の降雪マシーンを2台抱えて相葉ちゃんが雪を降らせてましたので、「水色の天候神が2つ?」とかって思ったわけですが。
本日はテリピヌの記事をアップしました。メソポタミアの楔形文字は、横書きで右から読んでも、左から読んでも可な文字で、そういう点からの神のバリエーションもたくさんあって、テリピヌというのは単純に「ニヌルタ」の逆読みなのだ、ということに気がついて「うーむ」と思ったのでした。単純に書いた言葉を逆に読んでいるだけなら、それは「ほぼどちらも同じ」と言って過言ではないわけです。で、メソポタミアのニヌルタはニンフルサグの息子であり、名前からしても「太陽神」的な名ですから、ニンフルサグを男性形に変えた神ともいえると思うのです。古い時代の文化は、主に農業文化と牧畜文化があって、双方が共存できるように様々な形での「習合」が試みられて、「軍神」としての神の性質は牧畜文化から来ているわけですが、誰もが平等に暮らせるように様々な努力が成されていて、その結果が各地の「神話」なのだと思うようになりました。だから、逆に「牧畜文化」の人たちだけが威張ってる文化には、農業文化の人々の神だけを犠牲にするような傲慢な神話が作られるわけで、神話を見るとそこに暮らしていた人々の「思想」が分かる、とそういうことなのだと思います。テシュブとテリピヌは、どちらもニヌルタに近縁性の高い神ですが、ヒッタイトの神話では、太陽女神の夫がテシュブ(シュメールではエンキ)、息子がテリピヌ(シュメールのニヌルタ)という感じで纏められ、メソポタミアではそれぞれ仲が悪くて喧嘩ばかりしていたのが、みんな仲良く暮らせるように神話を作っているのだと思います。だから、ヒッタイトの思想は、古代において「平等」ということを大切にした、ある意味「理想の思想」なのだと思う。テシュブもテリピヌも本来同じ神であるけれども、一方は夫で、一方は息子だから、テリピヌに相当する方は「年下」なのでしょうか? とそんな風に思うわけでーー;。2つの似たような「天候神」、だけど異なる「天候神」なわけなのだと思います。
今日は、Hey!Say!JUMPのsmartから気に入った曲を纏めたりしていました。「はじまりのメロディ」とか、なかなか良い曲だと思います。
6月の悪夢
20年前の6月27日に「松本サリン事件」があって、私の同級生が一人亡くなったわけです。当時、私は学3(要するに医学部の5年生ということ)で、事件のあった日は講義も休講になって、当初は何が原因なのかも分からずに、全体にピリピリした空気が漂っていたように思います。で、2コマ目の時間に、学3も学4の講義室に集められて、学4のクラス長が、泣きながら彼女の死を報告してた。あまりにも、突然過ぎて衝撃的な事件でした。(なんで、学4の彼女が私の同級生なのかというと、私が1年だぶってるからなわけですが)
ここ1ヶ月くらい、ハンナハンナに取り組んで、類話を考察して、どうも自分でも良く分からない点があって、なかなか前に進まなくて。で、アップして気が付いたわけです。6月27日っていうのは、だいたい夏至から5~6日のところにくるんじゃないのか、と。それが神話的に示唆することはただ一つ、曰「タンムーズの葬式」。
あの時、あの教室にいて、沈痛な面持ちをしていた人たち、泣いてた人たち、彼らは、もしこの世に「神」というものが実在するのだとしたら、その時神に何を願ったのだろうかと思う。タンムーズの死に嘆き悲しむふりをする人たちのように、死神の復活を望んだのか、それとも正義を願ったのか。それは私には分からない。私は「神」というものの存在は基本的には、信じる人ではなかったし、その後のマスコミと警察の迷走ぶりはまだ知らない段階だったから、もっと単純に「法治国家」というものの理性を信頼していたし、その内容に自分が口を挟めるような立場ではないと思っていた。そういうことは警察や司法に任せるべき問題だと思ってたし、民主主義とは、間違ったことがあれば、たとえ一人であっても、法律に則って誰に対しても正統に権利を主張できるもの、であると「悟る」ようになったのはもっと後のことで、だいたいあの時、私個人に何か主張できる「権利」みたいなものがあるとも思っていなかったし。だって、死んだのは私ではないのだし、彼女の死を悼むことはできても、彼女に変わってその権利を主張することはできない。
かくして、泉水ちゃんの時と同様に、死は私の近くを足早に駆け抜けていき、その後の警察やメディアの動きも含めて、「世の中ってこんなことが起き得るんだ!」という深い衝撃だけが残ったわけで。私の受けた衝撃と、その時に感じた孤独感を知っている人はいたかもしれないけれども、直接に私が話せた人はいなかった気がするわけで。当時、信大病院は、あの騒ぎの中、自分のところの学生以外は受け入れない、みたいなことをやっていて、確か一命を取り留めた同級生も、民間の病院に入院していたように思う。
私がこの件に関して、同級生達の言葉で印象に残っているのは、とある人が、同じクラスの某K氏が、事件の後、怯えて泊まりに来て困った、と愚痴をこぼしてたことと、誰かが、信大病院の姿勢を批判するようなことを言ってたことだけだった。実際、患者の治療を断るような真似しておいて、治療法を纏めるような場にだけ、主人公面して仕切ろうとする当時の信大病院の姿勢はどういうものかとは、私も思っていました。(でも、この「誰か」というのが、どうもちょっと正確に思い出せないというかーー;。大人しそうな人だけれど、時々こういう鋭いまっとうなこと言う人が言ったような気がするのですけれどね、違ってたらゴメンね、という感じなわけで。福山君の海月っぽい「暁」とか聴いて思うこととか無いですよ。それはきっと気のせいかとーー;。)
そして、20年たって、とかく最近の世の中は、神話的に暗喩的に思えて、どうも私にとっての「世の中」とはそういうものなのであろう、と悟るようになったわけですが、先週も先々週もMステには泉水ちゃん絡みのVTRが流れていて、「揺れる想い」も「負けないで」も好きな曲ですけれども、なんで今更泉水ちゃんなんだろう? とは思ったわけで。今の彼女の曲には「死の臭い」がどうしてもつきまとうように思うからです。それで気が付いたのですけれども、夏至の時期に彼女の曲を流すことにも「暗喩的な意味」があるのかも、ということに。泉水ちゃんの死に、何か暗喩的な意味があったのだとしたら、人々はそこに何を見たのだろうかと思う。
かつて、すぐそばにあった「理不尽な死」に対して、何の反応も無かった者が、怒りに目覚めた時に、そこにいたのは「正義と平和を愛するアテーナー」であったのか、覇王アレクサンドロス3世の胸に輝くのが相応しい「破壊と死の女神メドゥーサ」であったのか。でも、本当はそのどちらでも無いのだと思う。
「死が穢れ」というけれども、死は誰にでも訪れるもので、自然なもので「穢れ」なんていうのがおかしいのだと思う。神を「死神」にしたいから、「理不尽な死」を捧げるのだというのならば、それはその「死」が穢れているのではない、何の罪も無い人をそんなことに利用しようとする者の性根こそが「穢れて」いるのです。理不尽なことに怒りを覚え、正義を求めて、理性と理論で戦うことができるもの、それが「人間」だと思うから、ただ、そのように人としてありたい、と思うだけです。でもまあ、世の中にはいろいろな「目」があるということも分かってきた昨今ですので。そういうものに惑わされずに人としてあることも大切なのだな、と思います。
ここ2年くらいで、急変した生活の中で、「最初」と「最後」という言葉とか、「ありがとう」という言葉とか、なんだかキーワード的な言葉をあちこちで見かけたわけですが、遂にその場所でも「最初」とか「最後」という言葉を見かけるようにもなったのだな、と思う。夏至の季節を乗り越えて、神が誰かの死を得て、復活するものなのだという思想こそが消えて欲しいものだと思います。何年の時を経ても、神とはそのようなものではあってはならないと、人としてそう思うだけだから。それだけのことです。
20周年?
そういえば、昨日のMステではTOKIOがデビューして20周年記念とかで、3曲のメドレーを歌うし、昔の思い出話とかをしていたわけです。で、昔のテレビ朝日のリハーサル室の話とかしていて、MCの最後に「もう1度」とかという言葉を連発してましたので、「20周年」と「もう一度」って何か関係のある言葉なのかしら? と少し気になったわけで。
それで、寝る直前に某所のブログを見て、別の「20周年」もあったのだな、と改めて気が付いたわけです。それについて、「表向き」な感じでいろいろと述べることは、今の私にはちょっと難しいことでもある気がするのですが、なんというか、人によって物事というのはこんなにも感じ方が違うものなのだな、ということを一番強く感じたわけで。
なんだか、そのブログによると、信州大学はその前の年くらいから、某オとムのつく教団のポスターがあちこちに貼られていて異様な状態であったようですが、当時個人的にはそれはそんなに気になっていなかったように思います。当時は、その数年前から一種の「新興宗教ブーム」が世間で起きていて、たぶんこの教団だけでなくいろんな集団がいたように感じます。で、そういう人たちは駅前で勧誘したり、ポストにビラを入れていったりしていましたから、私にとってはこの教団もその内の一つに過ぎず、その内に誰の熱も冷めるだろう、くらいにしか思っていませんでした。もちろん、活発に活動していた様々な集団の全てが十把一絡げのいかがわしいものだとは思いませんでしたけれども、個人的には「神話」に興味はあっても「宗教」に興味は無い人でしたので。だから、「異様」であったのは、学内ではなく世間そのものであって、それはもう私が高3くらいの頃から始まっていたように思います。
確か、大学に入ってアパートを借りて引っ越しの準備をしている時にも、この教団の勧誘員がビラを配りに来ていて、とっととお帰り願ったわけですが、もうそんな頃から状況は「異様」であったし、事件の後も、警察やマスコミが一体となって、無実の人に罪を着せようとしていたことも「異様」だと感じていて、何もかもがただただ「ヘン」だと、個人的にはそんな感じだったわけです。だから、そういう「ヘンさ」に慣れてしまっていて、神経がある程度麻痺していたというか。
そして、「学園祭協力金」とか、そんなことはいっさい記憶に無い、というか、今改めて読んで「そんなものあったんだ?」とか思うくらいであって(苦笑)。まあ、私もこういう性格ですので、普通に払う何かの経費、くらいに思って何も考えずに払っていたか、さもなければ私にだけ請求が来なかったのかも? とか思うくらいなわけですがーー;。まあ、そこまで無頓着なので、教祖の講演とやらにも全く興味は無くて、見にも行かなかったわけです(確か見に行った人もいたはず。だいたいもし言ってることが本当だとしても、「空が飛べた」ら何かいいことあるの? とか、その程度の薄い興味・関心しかなかったわけでーー;)。
でも、今であったら、ああいう「新興宗教ブーム」で、勧誘を必死にしていた人達って、生活費はどうやって捻出しているんだろう、名もないような新興宗教がなんで急激に信者を増やして台頭できるんだろう、とか、
だいたい大学の自治会なんて、「宗教は麻薬」系の思想の人たちで占めることが多いのに、なんで「麻薬」の中でもうさんくさそうなのを特に呼ぶのだろう、いったい、どういうツテやコネがあるのだろう?
と、客観的に見て、そういう突っ込みはすると思います。しかも、事件後急激に「オウムウォチャー」みたいな人たちが専門家みたいな顔をして、テレビにどんどん出るようになったわけで、
なんで、この人たちは閉鎖的な教団の中のことをこんなに知っているのだろう?
みたいにも思うわけで。某教団に纏わる件は、私にとっては何もかもが「異様」に見えてた気がします。でも、20周年のTOKIOを見ていると、今の私の方が、長瀬君が松本にドラマのロケに来ていた頃よりも、気が付けることは多くなったのかな、と思います。たかが20年、されど20年というところでしょうか。
それに、当時の私は、個人的にも悩みが多くて、宗教的な興味関心なんて、蚊帳の外、という感じでしたので。ゼミのネタはね、「何も言わないでしょ」って言われてしまった人と、言った人のことしか覚えていないわけですが(苦笑)。あれから、どうにも多くの人のわざとらしい後ろ姿を見てきたわけですが、こちらの方は20周年どころか、更にその8年も前から始まったことのように、今となっては思うわけです。最初に追いかけた後ろ姿と、最後に追いかけた後ろ姿というのも、忘れ得ないわけです。福山君の歌詞に「どれほど信じ合っても分からないことがある」云々というフレーズがありますが、信じるとか信じないとかそういうことじゃなくて、なんで「後ろ姿」なのかって、それは今でも最大な謎なわけですがーー;。まあ、こんな感じで、マイペースに生きている私は、他の人ともちょっと目のつけどころが違うのかも? とは、そんな風には感じたわけです。
コツコツと
執筆活動を続けております。
昨夜は、医学部時代の夢を見て、なんだか医局員全員が掃除を言いつけられて、
「こんなの俺たちの仕事じゃないのに」
みたいに言いながら、いやいや掃除をしているような、そんな夢を見ました。でも、その夢のどこかで、とても会いたい人に会えて、なんだか目が覚めたときに、ほんわかとうれしかったような、そういう夢だったわけです。こういう夢はたまにしか見れないので、うれしかったです。