執筆活動を続けています。
ええと、今日は「狩人のパレット」について途中まで書いて、ナルメルのパレットと、タマネギの神サマを描いていました。いろんなことが佳境に近づきつつある気がしますが、最後まで気を抜かずに頑張りたいと思います。
後、今朝方見た夢は、なんだかものすごく広い会場で女子会をしている夢で、中学とか高校の同級生が女子ばっかり集まっているという夢で、私は中学の時に仲の良かった子とフラフラしながらいろんな人たちと話をする、という感じでした。
それから、昼間見た、白昼夢? というか何というか、今日は暑かったので、ちと涼しい所でうたた寝でもしようかな、と思って横になりましたら、
「○○ちゃん、こんなところで寝てると、冷えちゃうよ。起きて、起きて。」
と言われて、ゴロゴロと揺さぶられる? というか転がされる? という夢? だか何だかで眠れませんでしたーー;。まあ、こういう分かりやすいのは、うれしい、といえばうれしいですが。というか、日常生活的には「愛してる」とか言われるよりも、こういうお世話を焼いて貰える方が、愛を感じるかも、とかそんなことを思った日でした。
あとは、某所のBGMで、尾崎豊の「I LOVE YOU」がかかりまして。この曲を聴いたら、何を思い出すか? と言われたら、あれだけ聴かされたんだから、「一つのことしか思い出さないでしょう」ということを思い出すわけですが。なんだか、いろいろと「濃い」一日だった気がします。
カテゴリー: 日記
夢
どうも昨夜は、寝る直前に、上機嫌の白鳥にまとわりつかれるイメージというか、そういうものが何故か思い浮かんだわけで、でも、まあ疲れているし、いいか、と思って寝てしまったわけです。
で、何だか朝方に変な夢を見たわけで、前半はゴチャゴチャしてた夢なわけであまり良く覚えていないわけですが、街中のカフェで知り合いとお茶をしているような感じで、で、一緒にお茶を飲んでいる相手が嵐のメンバーの内の二人で松潤とあともう一人誰だかいたわけです(あまり良く覚えていないわけですがーー;)。
で、急に家に帰らなければならなくなって、家に帰ったら家が湖みたいに大きい川のほとりにあって、で、なんか、
「殺人事件があって川に死体が投げ込まれたらしい」
とかそういう話で、川に死体の捜索の船が一杯出ていて、で、それを何故か家の屋根に登って見物していたわけです。そうしたら、家の敷地内に子供達がどかどかと入ってきて
「ここで野球の試合をする」
とか言い出したものですから、
「人の家で何をするの!?」
ということで、追い出しましたら、今度は野球のユニホームみたいなのを着た大人がどかどかと入ってきて、勝手に試合開始の挨拶を始める人とかいるわけです。で、そういう人たちも追い出すのにすごく苦労した、というところで目が覚めまして、
「脈絡の無い夢だなー」
と自分でも思ったわけですが、なんかこの夢のどこかに福山君も出てきてた気がするのですが、どこで出てきたのか思い出せないとーー;。
でもって、朝、いつも見に行くニュースサイトを見に行きましたら、福山君のツアーの最終日の記事が載っていまして、で、なんかそれによると、一番最初に「Beautiful life」を歌って、最後に「家族になろうよ」を歌ったらしいです。ま、どちらも「Human」の収録曲なんで、妥当といえば妥当な選曲なのかもしれませんが、どうもハウル的なイメージの強い「Beautiful life」が最初で、節目、節目にあちこちで耳にする「家族になろうよ」が最後なんだ? 最後の最後に「始めと終わり」のネタでしめくくり? みたいな気が個人的にはするわけでーー;。
Twitterもひとまずは終了ということで、福山君的には「またやろうな!」ってことらしいので、またいつかやる気なのかもしれませんが。こういう状況で、こういうツアーというのも希有なことという気がしますので、またいつか再開される時が来たとしても、その時に私は彼の書き込みをどこでどう思いながら見るのやら、とかそんな気がしたわけです。
本日は雨がちな一日。「狩人のパレット」を無理矢理終わらせて、「ナルメルのパレット」と「タマネギの神サマ」をせっせと描いております。
オルクスからハヌマーンへ
今日は一日、わりとのんびりしていた日でしたので、日記を書こうとして
「今日は何をしたっけ?」
と思ったわけですが、よく考えたらオルクスをトレースし終わって、ハヌマーンを書き始めたのでした。ベス・バッカス・オルクス・ウルリクンミと繋がっていることが分かっていても、私がこれらの神サマを一括りに「ベス系」としたくないのは、「月神」つながりでハヌマーンとか、「ベス」とは似ても似つかぬ名前になっていたるするからです。しかも、この神は「太陽神」の方向に入り込んでいるものもいくつかいるわけで、上手く仕分けていかないと逆に混沌に入り込んでしまうからです。だからとりあえず、最小の共通項として「猿」あるいは「岩生神」としているわけです。
昔、山田ミネコという漫画家の作品で「最終戦争シリーズ」というのがあって、これは未来に戦争が起きて、地球上が壊滅状態になって、生き残っている人々が旅をしながら生き残る道を探る、みたいな話だったわけで、だいぶ前の漫画ですから、内容も現代的とは言えない感じで、まあ、二昔か三昔くらいにありがちだった? かもしれない設定の漫画だったわけです。で、その中のメインの話の主人公は永都(ながと)という男の子で、この子がちょっと特殊な超能力? みたいなものを持っていて、簡単に言うと物語の中の「救世主」的な存在になるという設定だったのですが、最後の方はなんというか、眠っていて意識を遠くに飛ばして地球滅亡の原因を探る、みたいな状態になってしまって、メインのストーリーにあんまり出てこなくなったわけです。で、そのかわりに新しいキャラが何人か出てきたわけですが、その中に「お猿のハヌマーン」という頭がハゲてる? のか剃ってる? 人が出てきていたので、なんでハヌマーン? とか思っていたわけです。
そもそもハヌマーンとは、インドの猿神で、ラーマーヤナのラーマ王子を助ける神として有名なんじゃないかと思います。というか、私が子供の頃に買ってもらった絵本に、子供向けに直したラーマーヤナが載っていて、その中にハヌマーンも出てきていましたので、この神自体は、小学校に上がる前から「ラーマ王子を助ける神」として知っていたわけです。でも、そんな重要な神だと意識したことはつい最近になるまでなかったわけで、まず
1,各地の月神の図像を調べている時に、インダスのパシュパティ・シールの図を見て、「猿に月神の象徴の角が生えている」ことに気が付いて、「有角獣じゃないのに、なんで猿に角が?」と思ったのが最初であった
わけで、その次に
2,ヒッタイトのベスとかオシリスの周囲に「猿」がいるけどなんで? っていうか、古代エジプトの猿って「トート」のトーテムの一つでもある気がするんだけど、それがオシリスやベスとどういう関係が? っていうか、ベスとオシリスって、同じ語源じゃん、それ? と気が付いたわけで。猿は月神で、もしかしてベスやオシリスと「同じもの」なんだ? そういえばハヌマーンも、「コロンの男」っていうような名前で、「月の男」っていう意味かも? とやっと気が付いて
トートの鴇ではない、もう一つの姿「猿」は、ベス・オシリス・オルクス・ハヌマーンって全部繋がっているんだ? すなわち、死に神!!!
ということで、この神の重要性が初めて分かったわけです。今気が付きましたけど、ラーマ王子も「ローマ王子」も同然な名前なわけですし、インドの神話って、本当に印欧語族の神話と深く繋がっているのだな、と改めて思います。一方の「猿」の方は、暴れ猿の孫悟空、「道の神」とも「天狗」とも言われるような「猿田彦」に通じるわけで、これらの神々は本来、全て「暴力的な死に神」の象徴だったのだと思うわけです。だから、西洋の神話だけでくくれば「ベス系」で纏められなくもないのですけれども、そうすると「ミトラス・イエス・猿田彦」のルートが消えちゃうんで(苦笑)。この神をミトラスにまで繋げていきたいわけです。「天国の門」とやらが本当に「狹い」ものかどうかは、よくよく調べなければなりませんからね。(きっと、狹いのは悪魔にとってだけなんじゃないですかねえ? って気もするわけですがーー;)
獅子頭の蛇女神
1日かけて、メヒトとメヘンとセクメトを結びつけてみました。ヒエログリフを書いてみて分かったことですが、セクメトって、通称で読むと「テシュブ」とも読めるのではないの? ということで。元々、「テシュブ」の語源を紐解きたくて始めた「獅子頭女神」の考察なのですが、意外と早めに目的に達したような期がします。古代エジプトの主な獅子頭女神の中で、残るはテフヌトだけなわけで、この女神を引き出すと、ようやくムトにたどり着けるかな、と。セクメトのトーテムの一つに「ハゲワシ」があるわけですから、セクメトとテフヌトが「同じもの」であれば、当然テフヌトも「ハゲワシ」なわけです。テフヌトまでたどり着いて、「接頭辞としてのTの意味」と「ムト」が何者であるかを書かなければならないわけです。でないと
男装した河馬
まで辿り着けないとーー;。で、そこまで行かないとアメンの「真実の名」にもたどり着けないと、そういうことになっております。古代の神官とかも「月の秘密」とやらを、こうやって回りくどいやり方で勉強してたんですかね? とか思うわけですが、コツコツ頑張りたいと思います。
それ以外では、家のデイジーがどんどん咲き出しています。後はタイムとか紫蘭とかもちょこちょこと咲きかけております。紫蘭というと彩雲国物語の米倉門番・静蘭を思い出すわけですが、我が家の紫蘭も私の子供の頃からずっと玄関を守っていてくれた花だったわけです。いろいろと工事をしたので、数は大分減ってしまいましたが、丈夫な花ですから紫蘭とセイタカアワダチソウにはずっと我が家の門番でいて欲しいかな、と思うわけです。
なんだかイシュタルとタンムーズのネタみたいですがーー;。「天国の門」にも頑張って近づきつつあるようです。
猿の惑星
昼間は夏のように暑い毎日が続いていますが、なでしこ、デイジー、キンセンカ、カモミール、桜草等々が咲き出しています。
我が家は現在細々とリフォーム中で、今日は一部の床を剥がしたのですが、床下から子供用の赤いボールが出てきてびっくりしました。それは、小さい頃の私とか、我が家の子供の遊んだものではなくて、親戚の子が昔遊んでいたものらしいです。私は全然覚えていなかったのですが、親が覚えていて
「遊んでいたのは見たけど、ボールをいつの間にか見なくなったと思っていた」
と言っていました。そんなものが何もなく床下に入るわけがないわけで、誰かが家の中の開いているところから無理矢理投げ込んでいったものらしいです。まったくのところ、こんなことばっかりが続いていた気がする我が家ですが、だいぶ片づけたと思っていたのに、まだあってびっくり、という感じでした。日が当たらない床下の赤い玉なんて、黄泉の国の太陽ネルガルとか、でなければ日の当たるところにいないプタハみたいだ、という気がしますーー;。
で、執筆活動の方は、仕上がる時にはいくつも仕上がるというわけで、いろいろとアップしてみました。一方でヘバト・シャウシュカ・イシュタル・蛙と繋がっているわけですが、もう一方の蛇女神の方も、メヒト・メヘン・ネイト・ハトメヒトと繋がっているはずなのに、どちらも分断されていて、別々の女神みたいにされているところに不条理を感じるわけです。メヘンとネイトが同じものだから、夜の混沌の世界(要するに生まれてくる前の世界ということで、羊水の中の世界)にいるラーが母たるメヘンに取り巻かれているのは当然ともいえるわけで、「同じもの」だと分かっていれば理解できることが、分断されているから理解されにくいこと、みたいになっている気がします。
で、そろそろ、「母なる太母から生まれた神」ではなくて、「岩から生まれた猿」とかの領域にも近づきつつあるわけで。東洋人でしたら、「岩から生まれた猿」というのはまず「孫悟空」が思い浮かぶべきかも? とか思うわけですが、実のところ「岩から生まれた猿」の神って、あちこちにいたことが分かっているわけです。孫悟空というのは、そういう猿神の一種が、仏教娯楽小説? みたいなところに取り込まれて完成したキャラだと思われます。で、これがドラゴンボールにまで続いているわけだ。(ちなみに星矢は読んだ私ですがドラゴンボールは読んでおりません。まあ、ハリウッドのB級悟空は見に行きましたけれどもーー;)
ドラゴンボールといえば、大学の教養時代にどこかの講義の先生が、この漫画の話をしていて、『神様も死ぬという設定が斬新だ。神様というのは死ぬものじゃないと思っていた。』と言ったこととか、アニメ版のエンディング曲の歌詞の中に「神サマも辛い」とかそんな言葉が入っていたな、とか、そういうことを微妙に思い出すわけですが、中身は読んだことがないのでさっぱり分からずじまいなわけで。どうも鳥山作品はあまり合わなかったみたいな気がするわけですが。
まあ、それはともかく、フィクションの話はともかくとして、現実にはこの猿神があちこちにいるわけで、人類は猿の代理人に振り回されている「猿の惑星」というのは、フィクションなの? それともノンフィクションなの? とか思う昨今なわけです。全くもって
猿の代理人
とはーー;。何をか言わんや、です。ともかく床下を綺麗にできて良かったです。