真打ちネタ登場?

ええと、朝方ふと目が覚めて、「ASKA容疑者の裁判」は、「女癖の悪い芸能人の旦那には愛想をつかせ」っていう、なんというかそういう「意図」のものなんだ? と気が付いたわけです。確か奥さんは、ASKAさんが逮捕された時には「支える」とかって言っていたけど、彼の女性関係が明らかになるにつれて愛想を尽かし、裁判には出廷しなかったとか。なんだかね、これ変なニュースな気はしていたわけです。ASKAさんも奥さんももうけっこう「いい年」なわけですし、最初からある程度浮気していたことは分かっているわけですから、そういうことを乗り越えて「大人の判断」で奥さんが「夫を支える」と決めたのであれば、他に100人くらい愛人がいても、そんなことちょっとは予想がつくことだし、それをも込みで「支える」って決めたんでないの? と思うわけで。一人の愛人が二人とか三人に増えたからショック、っていうのは、なんだか「変」と思ったわけです。

で、なんでしたっけ? 「女癖の悪い芸能人」でしたっけ? 誰のこと言ってるの? っていうか、私がまだ何が起きているのかも良く判断できてない内から、こんな攻撃ネタを仕込まれても、それこそ「何を言ったらいいのやら?@@」という感じなわけですが。

まあ、これに関しては、いろいろな面があるわけですが、例えばなんというか、相当変則的な縁談話?(っていうか「縁談」に関するネタなんだよね? これ? ってそこのところがどうにもまだ半信半疑なわけですが 苦笑)であっても、周りの人たちの気持ちというものもけっこう伝わってくるわけで、福山君という人は知らず知らずの内に、周りの人を巻き込んでしまうくらい強い力を持っているし、その気持ちに個人的に共鳴して、役割分担の域を踏み出して応援したいと思うほどに、好かれているし愛されている人だと思う。
例えば、個人的にプロモーションに来てくれた亀梨君とか、7月から8月にかけて心配そうな顔をしながらMステの司会をしていたタモリさんとか、彼らは役割がどうのというのとは別に友人として、福山君の幸福を心から願っている人たちなのだと思う。でも、その気持ちがどうしても前面に出てしまうから、その代償に失ってしまったものも他の人たちよりも多いという気がします。タモリさんは「笑っていいとも」という大きな仕事を失ってしまったし、KAT-TUNはグループとしては何度も存続の危機を迎えるような、大きな波に翻弄されながら頑張って踏ん張ってる。彼らは、そういうことの責任が「誰かにある」なんてけっして言わないで、自分のこととしてそれ以上のことなんか表に出さないだろうけれども、そうやって大きなものを失ってしまってもなお、「友人の幸福はここにある」と示してくれている人たちの気持ちが見えないほど、私は子供じゃないと思うわけですが。
こうやって、いろんな人たちの期待と願いがかかっていることは、私からは壊せない。壊す権利があるのは兄さんだけで、彼はその気になれば、どんな女性でも落とせるし、そうやって自堕落に生きてもそれを周りを巻き込んで納得させて自分の味方にさせてしまうだけの「力」は持ってるし、「禁忌」というものを超えて踏み出してしまった時に持っている耐性も、きっと私同様けっこう強い人だと思うので、そうしたければいくらでもそうできるだけの力は持ってる。彼は自分が思っているほど弱い人間ではないです。その力は私が知っている誰よりも突出しているから、その点でバランスを取るのに油断がならないと思うほどだから。

だから、この件に関しては、まあ、他にも理由はいくらもあるわけですけれども、亀梨君がこの件に関して心をどれだけ砕いて頑張ってくれたか、ということに感謝の気持ちを示したいですし、誰をどのように信じるのかといえば、亀梨君の一途に頑張ってくれた姿を私は一番に信じてる、とそういうことにしたいと思います。
(あとは、「金爆を喰うよりも、福山雅治を喰ったほうがよっぽどマシ」って、言えってリクエストが某所よりある気がするので、書いときますけどもね(苦笑)。まあ、これもちょっと福山君に対してヒドイ言いぐさなわけですが、この手の毒は一部で受けがいい気もしますので。妙な攻撃ネタは、なんでその方が「マシ」なのか、よく勉強して理解してから出直してきて頂ければ、それが一番かと。)

 

 

<追記>あとは、「パフォーマーもお客さんも、両方とも楽しんでいるような、福山君のそういうライブを見るのが好き」って書きましたら、芸能チームに喜んで頂けたようで<(_ _)>。でも、ライブってそういうものなのではないですかねえ、やっている方が「やらなければならないからやってるだけ」のライブなんて、見ている方が辛くなるだけなのが当たり前な気がするわけなのですが。(まあ、でもそういう私だったら見たくないようなライブを見て、残酷に喜ぶ人もいるのかも知れませんが。そういや、ライブではありませんが、一年ちょっと前くらいにどこぞの病院でそんなような講演を見た気もしないわけでもないですが。客がいっぱい入っているからって、何でも必ずしも良いことなわけではないわけだーー;。)

さて

今日は、「誕生日に真白な百合を」のPVを見て、2010年の「FNS歌謡祭」のビデオがあったので、それもついでに見てみました。確か、この頃から「FNS歌謡祭」ってコラボ的な企画モノみたいな曲が多くなって、で、客席でゲストが他のゲストのステージを見ている、という感じになっていて、それも何だか変だなと思ったのですが、この時、福山君だけソロで、しかも3曲も歌っていて、どうもそれが「この人いつから、こういう特別扱いみたいなのを受けるような人になったのかしら?」って、その時にとても不思議に感じたことを、今でも鮮明に覚えているわけです。たぶん「FNS歌謡祭」なんて見ちゃいけなかったのでしょうけれども、見ちゃったものは見ちゃったわけですし、当時は何も分かっていませんでしたから。で、歌われた曲は「HELLO」「桜坂」「心color」だったわけで、確かこの時、全体にどうにも前向きじゃない歌ばっかりだったというか、そんな感じがしていて、「心color」だけが唯一ちょっと前向きという感じで心に残ったので、確かそのことを日記に書いた覚えもあります。(でも、この曲もちと危うい感じなので、今なら取りませんけれども。)
でも、今見直せば「桜坂」を歌っている時の福山君の目とか、とても気の毒で見れたものではないわけで、しかも、今になって気が付いたのですが、このビデオを見ているとちょっとなんだか腹が立つというか、そんな感じになるわけです。そこにすかさず「だから見ちゃダメなんだってば」という突っ込みが来るわけで、よく考えてみれば歌っている人はともかくとして、客席は芸能人ばっかりいて、みなそれなりに「目力」を持っている人々ですから、まあ、そういう人たちが纏まればそうなるのかな、というか、「もしかして、そのための番組だったんだ、これ??@@」ということが分かりまして、こんなビデオでも効力があるなんて、すごいな、と改めて思ったのでした。確か「FNS歌謡祭」は面白いと感じなくなって、次の年から見なくなりましたが、その次の年は2012年ですから、まさに、けっこうギリギリな時期だったんだな、と思います。

で、その後はDUNLOPの新CMを見に行って、午後になってから週刊誌を買いに出かけました。そうしたら、なんというか、白黒まみれになっていまして、すごいな、と。表紙のSexy Zoneの中島健人君、BIG BANG、美輪明宏様、吉田鋼太朗さん、吉高由里子ちゃん、小沢真珠さんあたり。で、白黒の兄さんはといえば、目力全開で
「ふりかへらない道をいそぐ」
ですか。なんというか、確かに前に行ったときに比べれば、何もかもが違う、と感じます。(以前は「悪役だけど本当はいい人」ってそればっかりであった気がーー;)
ゆずの「よろこびの歌」がかかった時にも、なんだかよろこんでくれた方々がいたようですし、本当に「千と千尋」のようだと思ったのでした。エネセーブのタイヤは本当にいろんなところで役にたってくれているもののようです。

今日は

いろいろとありすぎて日記まで書く余裕がありませんでした。また明日ということで<(_ _)>。

本日も

外出する用事があったので、あちこちに出かけていました。

 

そして、いろいろと新たに分かったこともあるわけです。例えば、フェニックス(Phoenix)という言葉はメソポタミア周辺地域では女神の名なわけです。そして、例えばWikipediaなんかではベンヌ(Bennu)が「古代エジプトのフェニックスに相当する。」とか書いてあります。
フェニックスの子音は「(B)P-(k)e-n-(k)x」となるわけで、全体としては「B-(k)-n-k」という構成ですので、ベンヌとは最初の2文字しか構成が一致していないわけです。ところで、古代エジプトには「オヌリス(Onuris)」という神サマもいます。厳密にいえば、ギリシア語で「オヌリス(Onuris)」、古代エジプト後で「アンフル(Anhur)」というらしいです。要するに元は「K-B-N-K」で現されていた神が、ギリシアで「K-N-K」、古代エジプトで「B-N-K」と変化したものがオヌリス・アンフルであるようです。オヌリスって「フェニックスと同じ子音構成じゃん!?」というわけで、なんでも「男系化」が好きなのは古代エジプトもメソポタミアと同様、というわけで、おそらくオヌリスとその妻神メヒトは、元は一つの「太陽神」であったものが、「夫婦神」に分けられて、夫の方が黄河型「狩猟の神」、妻の方が女媧的死神女神へと分けられたもののようです。だから、エジプトにおける「フェニックス」は男性形なわけで、ヌビアの砂漠に疾走した妻を探して連れ戻す神とされているわけです。
オルペウスでもイザナギでもなくて、そこんところだけ「オヌリス」なんだ、それで「フェニックス」かい!! というわけで、どうりで春分の日に超緊張していたわけだ、というか、連れ戻される獅子頭の妻神メヒトって、イナンナ・ネイトと同じものなんだ? 最初から計算しておったね??
ということで、けっこう愕然かつげんなりとしております。

まあ、それもありますが、最近のテーマ曲はどうにも「Ready Go!」なようでーー;。せいぜい1週間ドキドキしててくださいな、というか、今からあれやれこれやれっていっぱい来るのは何故? っていうか、「待ち焦がれて会いたい」っていうような用事で会うんだ?? というか(まあ、「神話」的にはそうなのかもしれませんがーー;)。そんな感じで疲れております。まあ、できるだけ頑張ってみたいと思います。

(あとは「One Love」も安定的な強さは誇っております。まあ、確かにすごいことではありますが。私も緊張の方が先に立つので、うれしいとか、そういうこと言う余裕があまり無いわけで。申し訳ないのですがーー;。)

そういえば

29日には久しぶりのMステがありますので、曲目をチェックしてみました。倉木麻衣ちゃんといえば、昔、東京に住んでいて、池袋のサンシャインシティに用があって行った時に、ビルの前にレコード店もなかった? のに、何故か麻衣ちゃんのツアートラックが2台停まっていて、そこに彼女の顔がでっかくプリントされていましたので、それが「なんで、ここにツアートラックが?」という疑問と共に、強い印象に残っていたのですが、泉水ちゃん亡き後もBeingが大切に守ってきた歌姫の麻衣ちゃんですし、テレビに出るのは珍しいことですので、彼女のパフォーマンスを見るのを楽しみにしているのです。
そして、Beingといえば、なんといっても1年ちょっと前に「裸足の女神」を唄ってくれたB’zもBeingのアーティストなのですが、稲葉さんの歌声と松本さんのギターの効用はとても安定していて、どんな時でも心の奥までしっかりとすっと届く強さがすごいと思うのです。
真逆にいるのが福山兄さんの曲で、ともかく状況に応じた変化というか、使い分けも「すごい」と思うわけですが、その分時によってはこちらが疲れてしまうこともあるので、そういう時にはB’zの安定した力がものすごく支えになってくれるわけです。ジャニーズの曲とか、たいていの曲は状況によって多少の変化があるものですが、B’zにはそれがほとんど無いのです。

まあ、それにしても私は、家とか司法関連で「蛇になっちゃえ」をやられるとLady Justiceになるし、病院ではどうにもイナンナ・ネイトになってしまうらしいですーー;。ネイト(イシス)は無差別に人を殺す神なんてすり込もうとしても無駄な話で、私は生命と豊穣と正義を愛する人なのだと思う。でも、「蛙の皮を被った蛇」かも、というところは否定しません。かわいい蛙女神でいるのは、家でのほほんと縫い物をしてる時ぐらいで、まあ、たいていの場合は尻尾の方が活躍する機会が大きいように思いますのでねーー;。

 

それにしても、神聖四字「HWHY」とは、神の名において「子音」のみが重要視される西欧世界においては、クピードー(Cupido)と同じ構成の名ともなります。愛と豊穣の神クピードーを逆さまにすると「死と破壊の神」になるんだ? というか、「HWHY」をそのまま訳したらクピードーにしかならないと知っているから、「YHWH」と書き換えたのだと思われーー;。

 

オルペウスは妻のエウリュディケーを黄泉の国から連れ出そうとする時に

「けっして後ろを振り返ってはならない」

と言われるわけですが、宮崎駿監督の「千と千尋」では、逆に千尋が「振り返ってはならない」と言われるのです。

そして、オルペウスは振り返って、見てはならない妻の姿を見てしまい、妻の再生に失敗します。イザナギも許されない内に、妻の姿をその目にしてしまい、妻の再生に失敗します。

それで、オルペウス・ベスは「妻の姿を一度も直接目にすることなく冥界から連れ出そうとしてる」のかしら? とやっと気が付いたわけで@@。

ほんの数日前でも、夫認定して貰って良かったね? というか、女性が背中を向けている殿方を追いかけたら、その相手が「背の君」って、どこの風習ですか、それ? とか、そういう風に思うわけですが。

私も今日は後ろを振り返らなかった。(というか、振り返っても戻りたいような後ろではないんですけども、どこもかしこもーー;)

オルペウス・ベスは「◎曜日の○○を取れ」と言った、と。妻の姿を一度も目にすることなく?

なんか、どうにも、寒気がするのは気のせいでしょうか(泣)。