さて

麻衣ちゃんのビデオの続きですが、いろいろ見ていましたら2011年10月の「Mai Kuraki Premium Live One for all, All for one」のビデオが見つかったわけです。これはオーケストラと麻衣ちゃんがコラボしたコンサートで、その中に「あなたがいるから」という曲があったわけです。この曲で麻衣ちゃんは白い白鳥をイメージしたドレスを着ていて、しかも曲のイントロの最初に「ホルン」が大写しになるわけで、「あ、これ兄さんの曲だな。」と分かるわけです。そっかー、わざわざ麻衣ちゃんが勝負しに来てくれたのは、このビデオを見て欲しかったんだな、と気がついたわけです。それから同じライブの「Time after time~花舞う街で~」と見たわけですが、この曲の中に「二度と君の手を離さない」という歌詞があって、そこだけ強く聞こえるわけです。あー、そのネタもけっこう引っ張りますねーー;。というか、これも兄さんのお歌であるので、麻衣ちゃんはその点を私に聴いて欲しかったらしいです。そして、そこで唄っている彼女の目には、なんというか祈りと願いに近い表情が見えるわけです。そして、強い覚悟の表情が見えるのです。それは、もはや後には引けない、目的を達するまで突き進むか、途中で力尽き倒れるか、そのどちらかを選ぶしかない状況におかれた人のその「強い覚悟」の表情に見えるわけです。すごいな、と思うわけです。2012年のMステの「生きてる生きてく」の福山君の目にもこれから始まる大嵐に「生き抜いて欲しい」という強い願いの表情は見てとれましたけれども、ここまでの「覚悟」の表情は見えなかった気がするわけです。これが「蛇」の母系社会の人の力の強さなのかな、と思った。いざという時には、本当に腹をくくったらどうも女性の方が強いらしいです。でも、彼女の覚悟の強さは、彼女が応援している人の覚悟の強さの投影でもあるので、今この映像が見れたことはとてもうれしかったのでした。
それから「Your Best Friend」とか「もう一度」とか、良い曲を教えて頂いたのですが、兄さんが言うには、これは過分な好意だということらしいのです。今の私と勝負しても麻衣ちゃんには勝てないことはわかりきっていますから、ここまでの好意を受けすぎてはいけない、お返しをしなければ、ということのようです。で、その「お返し」というのは、要するに敵は「良いビデオを見せるというのであれば、こちら側の良くないビデオも見せろ」と言ってくるということで、次には米米CLUBのビデオを見ることになったのです。

そうしますと、亀梨君とかが来て「戦う力を送りますから、まず「In Fact」のPVを見て下さい。」とか言うような気がするわけで、「米米のビデオってさんざん見た気がするんだけど、それってそんなにまずい?ものなんだ???」と思うわけで。
で、まず最初に米米が最初に紅白に出演した動画が見つかって、その次に「米米クラブ メドレー(1993年テレビ版)」が見つかりました。ともかく、見つかった順に見ていったものですから、まず全体の感想から述べれば、ともかく石井はとてもいやな目をしていて、そして彼はライブをやって、お客を自分の魅力に巻き込んで踊らせて、それを見ているのが彼自身もとても好きな人なのだということが分かったわけです。要するに「人を踊らせる」のが好きなタイプなわけだ。米米のライブの客席を見ますと、みんな彼に魅了されたような顔をして踊っているのが分かるわけで。で、ライブそのものも禍々しいし、歌詞も良くない曲が多いと。そして、米米の曲を見ていると、兄さん一人では足りないと思うのか、他の二人も寄ってくるわけで、要するに三人ともすごい敵意を石井に対して持っていて、あなた達、仲悪いですけど、石井が嫌いなとこだけはみんな気が合うんだ? みたいなーー;。
で、「米米クラブ メドレー(1993年テレビ版)」を見ていますと、どうにも画面から「享楽と快楽にはまれ。そうして墜ちるところまで墜ちろ。」って聞こえてくるわけで、「えっ、『こっちに来い』とすら言わないんだ?@@」と思ったわけで。確かに、米米の曲はそんな真面目な曲なんかほとんど無いわけですが、見ている人にそういうこと煽ってるんだ? と思うわけで。そうすると兄さんが言うわけです。「1993年て、何もかもが始まった年でしょ。もしあそこで付き合い始めたばかりの2人が、享楽と快楽にはまって、なすべきことを忘れ全てをぶちこわしたらどうなったと思う?」と。!!!そっかー、あれって付き合い初めて間もない私と2番目の子に対するメッセージだったんだ@@。って初めて知ったわけで。どうもね、私が米米のファンになったのは、純粋に彼らの持つ「力」に惹かれたのであって、別に石井の言ってることが聞こえたりとか、心の底まで石井の魅力に丸め込まれたのではなかったようです。要するに私は敵でも味方でも「力」そのものに惹かれる傾向が強いらしくて。「なまじ、見えなくて良かった。見えてて、あれにはまられたのでは手の施しようがない。」と兄さんは呟くわけで。
そうして、ビデオを見ていると、今度は別のビデオで「Shake Hip!」がかかるわけで、これはいわばナンパな男性がいろんな状況とか何も考えずに一夜限りの男女関係を貪るような内容の歌詞なわけで、それを聴いていると「お前も、順番とか、秩序とか無視して欲しい女は手に入れろ。」とか聞こえてくるわけです。「え? それって私に言ってるんじゃないよねえ?@@」と思うわけで、そして「こっちに喧嘩売ってるな。」と呟く兄さんがいるわけで、もしかして、それって兄さんを煽ってるんだ??@@ と思ったわけで。そういうことできるんだ、石井竜也って?? と思うわけですが。どうもですねえ、米米のファン(言い換えれば石井のファン)というのは、女性が多いわけで、女性を踊らせて煽るのが得意の男であるのは分かるのですけれども、私は今までこの男が「男性」にもたらす作用とか全く考えたことがなかったわけですが、確かによく考えたら米米の曲には男性目線の曲もいくつかあるわけで、そういう曲は男性に対してよろしからぬ性質を煽る作用があり、力の弱い男性がそれを聴けば、その人はそうして石井に踊らされてしまうわけだ。要するに、男の子達(特に1番目と2番目)は、あの石井に勝てるわけがない。米米の曲(特に悪い曲)に触れるわけもない。触ったら踊らされてしまうだけだから。ということで、SMAP×SMAPに米米が出演していた動画も見たのですが、すごいなと思った。SMAPもみんな力の強い人たちですけれども、彼らですら、石井に踊らされまいとしているし、中でも一番平気な顔をしているのは木村君でしたけど、彼でも「平気な顔をしているだけ」というのが分かるわけで。
そうしていると、2番目の子が私の目を通して、米米のビデオを見にきているのが分かるわけで、彼は私の目を通せば、平気で米米のライブを見ることができるけれども、今までは見ることすらできなかったらしいです。石井のあの力が恐ろしすぎて!! どうにもね、私としては米米(とそして石井)のライブは「平凡な日常生活の中の息抜きとして見に行くもの」だと思ってたのですが、「あの禍々しいのは「息抜き」で見に行くもんじゃないでしょ。」と兄さんが言うわけで、そっかー、そしてあれは特に女の人にとっても良くないものだけれども、男の人にとっては更に良くないものだったんだな、と思うわけで。

要するに、あの年、あの場所で兄さん以外の3人が同じ学年に居たのは、結局偶然ではなくて、そういう状況を作るには敵の手も借りなければならなかったわけで。そしてあの年にヒットした米米CLUBと「君がいるだけで」と「Octave」は味方の歌ともいえるわけで、それは男の子達から私に送る唄でもあったわけで。それで分かった。敵はこう言ってた。「3人を一同に会わせる機会を作ってやろう。そして、送る歌も作ってやろう。歌を送って、それを相手に気づかせることができるのであれば、お前達の勝ちである。そうできずに娘が石井の魅力に墜ちれば、女はこちらのものだ。」と。3人を会わせる機会は誰もが欲しかったから、みなその勝負に乗るしかなかった。で、私は米米のファンになってしまった。でも、そこで留まって特に享楽や快楽にはまることもなかったから、石井はその責任を問われて大借金を背負わされた上に、米米は解散することになって、仕切り直しをすることになった、と。そっかー、そういうことだったんだ。みんなあの男がそんなに怖かったんだ? と思って思わず「SMAP×SMAP」を見ながら一緒に「Shake Hip!」を笑いながら踊ってしまう私がいるわけで。(お目付役からは「こんなところでイナンナな本性出してどうするんですか。」と言われるわけですがーー;。)いーじゃん、人の過去をとやかく言うでない。私は米米の曲はほとんど全部知ってるんだよ! ということで(苦笑)。

それで、米米が解散した後は、私は石井のファンクラブに入りましたから、なんかヘンだな、と思うところはあっても(要するに私が向こうの望むような遊び人にならないところはヘンには見えていたらしいですが)、だいたいにおいては石井の魅力に巻き込めていたのだとみんなそう思っていたらしいです。そして、どうやって呼び戻したら良いのか分からず、兄さん始めとする芸能チームは歯がみしていたと。しかも、誰もがそういう状態だと思っていた私は、途中で石井のファンを止めちゃいましたし、それは私から見れば、石井はファンに対して誠実なアーティストとはいえない、と思ったから止めただけなわけですが、その後は誰のファンにもならなかったわけで、そのことは誰もが困っていたわけで、ともかく間違っていても誰かのファンになってさえくれれば、そこから初めて勝負していくことができるのに、それすらできない、ということが、特に芸能チームには絶望的に感じられていたわけで、そっかー、だから誰かさんは泣きそうになってるんだ、「milk tea」を唄いながら? と思うわけで。で、結局兄さんが思うには、「あなたがあの時誰のファンにもならなかったのは、純粋に「力」に惹かれるあなたのことだから、あの時芸能界に石井以上に力を持って引きつけられる者が見つからなかったから、誰のファンにもならなかったんでしょ?」ということで、たぶん、そんなことなんじゃないかと、自分でも思います。要するに私の目には、一番目は小魚、二番目は小蛙、兄さんは小蛇にしか見えてなかったということで(苦笑)。悪かったですね、とことんそういうものに貪欲な嗜好で、と思うわけですがーー;。だから、敵は私が誰のファンなのかを執拗に聞き出そうとしていたし、私は私でイ・ビョンホンとか、心にもないことを言って逃げてたわけですから、そういう点では誰もが困っていたわけだ。でも、敵は「仕事」という場で私とかかわっていますから、私を虐めるネタには困らない、ということで。

でもって、特に「愛してる」という曲で勝負して欲しい、ということで、この曲を探したわけです。この曲は1番目の子の曲なわけで、でも結局彼は一度も石井と勝負して、「これが僕の曲なんだよ」と言って勝つことはできなかったわけで。要するにそれが彼の「借り」になるようです。そんな兄さんじゃあるまいし、あの子にそんな力技みたいな真似できるわけないでしょう。要は、私が石井の動画を見て、「愛してる」は一番目の子の曲だと思えればそれで良いのでしょう。夫がどうあがいても一生支払えそうもない「借り」は妻の私が代わって返してあげましょう、ということで。石井は今となっては、ファンとしての私の誠実さを踏みにじった「ろくでなし」という男にしか思えませんので、そんなこと私にはたやすいことです。

で、それをちゃっちゃと片付けて、しかもこういう勝負事では負債は多めに返しておいた方が良い、ということで、どうもね、「カバー曲」というものは良くないもの(その人の「持ち歌」ではないから)らしくて、「まがい物」だから聴いてはいけないものらしいのですけれども、石井はそういう曲もかなり歌っていますので、そういう曲も見るだけ見てやって、借りを返そうということになりまして。石井という男はソロになってから、テレビ東京で「音楽空間アンモナイト」という番組を1クール(か、2クール?)やっていまして、そこでカバー曲をさんざん歌っていたので、それを2,3曲見て見ることにしました。(アンモナイトというのはアメン神の象徴ですから、要するに石井はあそこで偽物のアメン神をも演じていたわけだ。これを見て私が勝つと言うことは、本物である兄さんもちょっとは溜飲が下がることなんじゃないのかな、と思ったわけですが。)で、「いとしのエリー」の動画とか探して見て見たわけですが、なんですかね、そういう動画を探していましたら、「魂のラジオ」で福山雅治という人が「いとしのエリー」をカバーしているのを見つけまして。なんというかですねえ、あれも聴いちゃいけないものなんだから、聴いて私が福山雅治のファンにならなければ、それで「こちらの勝ち」になるって代物なんですよねえ? 試しに勝負してみますか? 今の私が福山君に勝てないと思う人って誰かいる? と思ったわけで。

で、見て見ましたら、「ともかく画像を見ないでくれ、聴くだけにしれ、昼間っから見ないで欲しい。」って言われるわけで、えー、でも、私だって福山君のかっこいいお顔を少しぐらいみたいじゃん? と思って見ますとですねえ、どうにも今の私と兄さんはとても近くなっているらしくて、見られている兄さんの高揚感がすごく伝わってくるわけですよ。うーむ、ということで、だいたいは横向いてた気がするのですが、こういうのが「力」の差とか、「勝つ」っていうことになるんだ?? と思うわけで。まだまだいろんなことが奥の深い世界であるようです。(お目付役は、どうにもこういうやり方は得意でないようで、冷や汗かきながら見ていたような気がするのですが。まあ、これが「勝つ」ということで、これで何かいいことがあるというのであれば、その勝ち分は兄さんが自由に使っていいですよ、と思うわけで。なんだか、不思議な気がします。)

ええと

どうにも、兄さんのビデオは夜8:30を過ぎてから見て欲しい、という要請が来ていまして、昨夜そうしていましたら、他からも嵐のビデオとSMAPのビデオを見て欲しいという要請が来ましたので、そういったものを鑑賞していました。どうやら、お目付役が私の視線に過敏に反応するので、その傾向と対策が必要ということになったらしいのです。で、見て見るとやっぱり私の視線を敏感に感じすぎてしまうのはお目付役だけで、他の人も私の視線を感じる人はいても、我慢できないほどではないようだ、ということで、この点でお目付役のサポートが必要ということになったようです。その結果、今朝あたりから私が感じるお目付役の姿は、なんだか甲羅のようなものを被っている姿に感じられるわけで、そういうところがサポートなんだ? と思うわけですが。

で、昨夜も一勝負あったわけですが、要するに忍び込んできた「魔」の力を言葉で追い払うのは、「言霊」の力だと兄さんが言うのです。日常生活でも人とのやりとりは言葉で行うことが多いわけで、平たく言えば相手の言葉に屈服してしまえば「負け」であり、それを跳ね返すだけのことを言えれば「勝ち」であるらしいです。そっかー、だから毒舌っていうのは、「跳ね返す力」のことでもあるんだー、と思うわけで。私はいろんなところで、日記とか書いて毒を吐いてきましたし、だいたい裁判では相手をねじ伏せるために、書類に「書いた言葉」を使っていたわけですから、そういう点では「言霊」というものを使うのがわりと上手い性質であるらしいです。
「だって、あなただって2番目の子の弱点が分かるでしょ。あれは、言霊を上手く使いこなせないから負けちゃうんですけど。」
と言われるわけで、それは分かる気がします。GLAYが感情が高ぶると、言葉が詰まって歌詞が出てこなくなってしまうように、彼は内側に激情が溢れていても、それを言葉で上手く外に出すことは苦手な人だと思う。そういう点では、兄さんはいくら怒っていても、ちゃんとその感情が言葉で吐き出されてきますから、「そっかー、それが言霊を使う、ということなんだ。」と思うわけで。
だから、つまんないことで、思ってもいないのに、やたらと「死ぬ」だのと言うのはダメダメなわけだ。言葉の気を乱して、自分で自分に呪いをかけているも同然だからです。
だから、私自身が戦いの場で、相手を言い負かせるのも、それは重要な要素であるらしいです。

そして、朝からいろんな人からビデオを見て欲しい、と言われてたわけで、今日はまずは麻衣ちゃんとの勝負の日であるようです。で、いろいろと見ていたわけですが、中にテレビで他の人とコラボしている映像がいくつかあったので見て見たわけです。一つ目は坂本冬美とコラボしている「まだ君に恋してる」。何というか、坂本冬美という人は、本当に「毒蛇」みたいな顔に見えるんですけど@@。とまず、それにびっくりして、それから麻衣ちゃんを見ると、それに対して麻衣ちゃんも負けていないというか、ちゃんと相手の嫌な気に対して、自分の攻撃的な気を放って対抗しているように見えるわけです。そして、やっぱり麻衣ちゃんって、目の力が強いと思うのです。そして麻衣ちゃんも「蛇」の性質であるように思えます。

その次に、石井竜也とコラボしている「君がいるだけで」を見たわけで、石井に関しては、私は彼のものをいろいろ見過ぎているので、なんというか、そういうものだと見慣れすぎていて逆にどこがどう禍々しいのか、とかうまく言えない気がするのですが、対する麻衣ちゃんの方が、なんというか目がどことなく怯えているというか、「守っている」のに必死なように見えるわけです。そして、「守る力」にも彼女は「目の力」を使っているわけで、そういうところは力の使い方が兄さんと似ているような気がするのです。っていうか、石井の力って麻衣ちゃんが怯えるほど強いものなんだ?? と思うわけで、そうすると兄さんが私の目の「守る力」を少し弱めて、あの男の本性を見せてくれたわけです。
何というか、多少年は取りましたけれども、彼の肉体から発せられる色気はまだまだ健在ですし、石井自身もそれが自分の武器だと知っていて、それを使って周囲にいる人を巻き込もうとしているようですし、そうして「こっちへ来い」と言っているようにみえます。それを見て、
「あんた、今更何言ってるのよ、ずーずーしー!」
と思ってしまう私がいると、兄さんは大喜びするようですが、実際あの男はそういう点で油断ならない力を持ってるんだ、本当に@@。と思うわけで。
「だって、あなただって最初にはまったのが米米で、その次がB’zでしょ。良くも悪くも力あるものにしか、引きつけられてなかったでしょ?」
と言われるわけで、そっかー、私の嗜好としては、あくまでもああいう「力」、しかも「強い力」が好きなんだ-、と気が付いたわけです。

それから、おそらくテレビで放映されたと思われる麻衣ちゃんのクリスマス・ライブの「Last Christmas」を見たわけで、クリスマス・ライブなんてものも良くなければ「Last Christmas」も良くないものなことは分かっているのです。で、そこは麻衣ちゃんが主役の場ですから、良くない歌を歌っていても彼女の力がその場を仕切っているのは分かります。でも、カメラが客席を写すと、そこにはいやな目をした人たちが何人もいて、ステージを見て「お前もこっちに来い」って言っているわけで、「うわー、芸能人ってこういう視線の中でお仕事しなきゃいけないんだ-@@」と思うわけです。そういうのに負けないような「強い気」の持ち主で無いと、ああいうお仕事はできないわけだ。

で、話は前後しますが、今朝は嵐の曲とか聴くと、何というかいつに増して力強く聞こえるわけで、どうも私が「戦う力」の方を取るのであれば、蛙の人たちも自分たちの軍神の力も入れて欲しいと思ったようで、今後は嵐の曲は「2番目の子の曲」ということになったらしいです。そして、彼らは、スタンドプレーは得意ではなくても、協調かつ協力することで安定した力を出せる、我々の戦い方も知って欲しい、と私に言う。

一方、「一番目の子」は、敵が仕掛けてきた時に、私が冷静さを失わないように、全体を見渡して最適な判断をする落ち着きを保つためのサポート役ということになったようで。どうにもね、戦いを仕掛けられている時に、ひたすら「激高しないように、穏やかになるように」って気を送ってこられると、「うざいしうるさい」って思ってしまう私ですのでねーー;。そういう役をやって頂ける方がうれしいです。彼にもサポーターがついたようで、「大丈夫、私が力の使い方を教えます。あなたならできます。」って言ってくれたらしいです。

で、その後はご飯を食べて、某ニュースサイトを見に行きましたら、小栗旬とかいう女癖の悪い芸能人が乱交したとかいうネタがありまして。なんだろう、これも「女癖」系の攻撃ネタ? そういう絶倫で、「ほとんどのプレイを経験している」とかいう男はどうなのか? みたいなそういう毒を送り込むネタなのかしら? みたいなーー;。
小栗旬って、あのなんだか嫌な目をした男だよねえ? と思うわけで。「ほとんどのプレイを経験している」って、なんだろう、得意プレイは「赤ちゃんプレイ」とか? って思うわけですがーー;。こういうネタにいちいち応酬するのは、私みたいに真面目な蛙人間にはちと苦手なわけですが(苦笑)。

DEPARTURES

ええと、いろいろと見ている内に、また勝負の時が来たようで、それはまず

朋ちゃんが小室哲哉を従えて、DEPARTURESを唄っている映像を見ろ

と言うのです。で、見たところ、朋ちゃんはどう見ても、勝利の凱歌を上げているようにしか見えない。それは彼女の人生において、愛や夢や持ち歌や、彼女が「自分の取り分」だと感じていたものを奪った男に対して、復讐を果たしてのけた瞬間だから、彼女が勝利の美酒の酔いしれても当然であると思う。それは、それをどう思うか、と私に問いかけた。それが、「蛇」の執念深さだ。あなたはその執念深さをどう裁くのか、とそれは問う。

そっか、そんな勝負なぞ、蹴飛ばしてのけられない私ではない。「自分の取り分」だと感じているものを奪おうとするものに対して「蛇」が抱くその激しい執念深さと復讐心はこの私にとって必要なものである。兄さんは、私を奪おうとするものに対して、その「蛇」の性質をもって、自分が朋ちゃんのように凱歌を上げられるようになるまで執念深く戦ってくれるだろう。

そして、私自身のことについて言えば、それはもう分かってるだろう、と言わざるをえない。東京の、あの病院で、兄さんでさえ、小さな蛙の娘がどんなことになっているのか心痛のあまり、泣きそうな顔して「milk tea」で一言「頑張れ」と言うだけしかできなかったあの時、私はあそこで朋ちゃんのように執念深く戦っていた。あそこで私が得られて当然であった「自分の取り分」を必ず取ってやるために、絶対に戦い抜く覚悟であった。それが私だ。私もまたそういう「蛇」だ。だからこそのあの裁判だろう。分かっているだろう。私もまた彼女と同じだ。

そして、今、結局私の取り分は、過去に私を傷つけた「2番目の子」だけではないと分かった。だから、それも含めて、「私の取り分」を取り戻すために戦うだけだ。兄さんと一緒に。それだけのことだ。この答えで満足して、魔は去れ、とそう言うしか無い。

(兄さんは、自分がちと気を抜いた瞬間に入り込んだ魔と私が勝手に勝負しているんでびっくりしているらしいですな。でも、この程度のものは追い返せない私じゃない。朋ちゃんのDEPARTURESは、それもまた「私の取り分」ではないのだから、取らなければ良い。それだけのことだ。)

さて

夜は夜で、兄さんに華原朋美ちゃんの「LOVE BRACE」を探して欲しいと言われましたので、探してみたわけです。この曲は、どこかどうと説明はできないのですが、これを聴くと兄さんがうれしそうなので、兄さんのお歌だと思うのです。

で、探して見て見たわけですが、なんというか朋ちゃんは歌は上手ですけれども、目の力もそれほどたいしたことないですし、全体の力もそれほど強くないと思うのです。そして、彼女は「蛇」の性質だと思う。
彼女は、闇の中で信念を持って歌い続けてくれていた泉水ちゃんと違って、なんというか、兄さんを応援したくて、「LOVE BRACE」を歌い続けてくれていたと思うのです。それは泉水ちゃんのような「信念」に基づくのではなくて、彼女がただそうしたいからやっているだけであって、そのために彼女がもし潰されてしまったとしても、彼女としてはやりたいことをやっただけだから、結局は後悔しなかったことであろう、と言うしかないのですが、でも、そっか、こうやって応援したい人のために「自分のやりたい」と思ったことを一途に計算も無く、むしろ「やってしまう」のが蛇の人たちの一途さなのだと思うのです。そして、それは蛙の人たちから例え、使い捨ての駒みたいな扱いを受けても、私を守りたいと思ってくれる兄さんの一途さと同じものなのだと思う。そういうとこ、似たもの同士だから、兄さんは朋ちゃんの曲が好きなわけだ。

原発の件の私の「一途さ」については、別にこういう「一途さ」でやっていたんではないと思います。私は何故自分がそれをできるのか分からなかったけれども、自分に何かできることがあるなら、自分しかそれができないのであれば、自分がやるべきだ、「人として」。と思ったからやったわけで、それはむしろ泉水ちゃんのような「一途さ」に近いものであって、自分がそうしているのが好きだからしているわけでもなかったし、だいたいこういう結果が待っていたと知っていたのであれば、やったかどうかは定かではないと思う。

だったら、そういう点ではやはり私は「蛙」なのであろう、と兄さんは言うわけで、私の中の両極の性質の一方は、誰がどうみても「残虐な蛇」なのだけれども、もう一方は「蛙」ならしいです。朋ちゃんのような蛇的一途さは、若い頃であれば私の中にあったかもしれない、と言えますが、なんでそれが無くなっちゃったかっていうことについては、今となってはいちいち兄さんに吠え立てられるのがちとうざいんで考えたくないって、そんな感じなわけですが(苦笑)。まあ、兄さんもちと精神的な弱さが意外なところで露呈してしまって、兄さんがへろへろになっちゃってる時に何かあれば、2番目の子はとても役に立ちますのでね。もうそれだけでもありがたい限りかとーー;。
そして、私はやっぱり、朋ちゃんが泉水ちゃんのように潰れてしまっていなくて良かったなと思います。朋ちゃんにとっても、これまでの道のりはとてもたいへんだったと思いますけれども、でも一番大切なことは「生きている」ということだから、そうしてきていてくれただけで、もうそれで充分だと思うのです。

勝負日和

ええと、まず夜中に「状況をコントロールできないようでは男がすたる。」って誰かが呟いて、ちょっと体を押されるような感覚があったわけです。「ん?」と思って目が覚めましたら、「Beautiful life (Sing with the piano ver.)」がかかって、で、後は「音楽を聴きながら寝たければ寝てていいよ。」って言われたので、寝ていたわけですが、なんだかちょっと調節して、音楽が私の耳にどう聞こえるのか、兄さんがいろいろと試しているような感じがしたわけです。要するに、音楽を通して歌い手の気持ちが分かってしまうのはいいのですけれども、それがやらなければいけないことを忘れてしまって阻害するほど聞こえすぎてもいけないということで。

で、朝になってから、昨日のことをいろいろと思い出していたのですが、どうもね、いろんなことを「負い目」に感じないで欲しい、と言われれば感じるような私ではないわけですが、それだけではなくて、なんというか、どうしてもそうやって苦しんできた兄さんの人生を思うと、それを思って歓喜してしまう自分がちらっと出て来てしまうような気がするわけです。兄さんが毒々しいステージの上の自分をあんまり好きでないように、私もそういう自分は全然好きではないですし、出てくればすぐ抑えてしまいますが、そういう悪質な性質が自分の中にあることは否定できないわけで。お目付役なんかは「最悪」と言うわけです。
で、兄さんが言うには、そういう性質は、拡張すれば結局「人が苦しんでいるのを見て歓喜する性質」、すなわち災害や戦争で人が苦しんだり、死んだりするのを見て楽しむ性質に繋がるもので、要するに、それがどこの誰と同じ「性質」かというと、それはそのまんま「敵」の性質だというわけです。「うっ」と思うわけで、それは確かにけっこう嫌な性質だと思うのですが、そういう意味では現世における私の性質の最大の鏡は、まさに敵そのものであるらしいです。

で、その一方、私は「気」が見えない分、人が思っていることや願っていることを感じ取ってしまって、それを無条件に叶えようとする性質があって、誰かさんがスーパードライのポスターを見て欲しい、と思えば見てしまいますし、禁忌である死んだ人の歌でも、聴いて欲しいと願われれば聴いてしまう、ということで、誰かの祈りや願いを感じ取る性質が強いのは良いことですけれども、そればっかりだと万が一、「敵の領域」に踏み込んでしまった時に敵は私に直接、勝負を挑むか、代償を求めてくるかしますので、やり過ぎてはいけないことなようです。要するに、その勝負を蹴飛ばして勝てている内は良いですけれども、敵が全力をかけてくればいつかは潰されてしまうものかもしれないからです。だから、そういう傾向が強くても、戦略には邪魔、ということで、むやみやたらに人様のお願いは聞いてはいけないものらしいです。
そして、学生時代に失敗してしまったのは、結局2番目の子の気持ちの中にはどうしても、私を独占したいとかそういう思いが入ってしまっていて、私は「気」は読めませんけれども、そういう気持ちは感じ取ってしまうので、結果を考えずにその願いを叶えたいと行動してしまう一方で、目的が別のところにあることはどうしても分からなくて、周りの人にはそういう私であることが分からなくて、それで結局誰も事態を収拾できないような状況に陥るのを止めることができなかった、とそういうことらしいです。

なるほどね-、と思うわけで、でもって、朝からやはり、いろんな動画とか見て、目や耳の使い方を研究した方が良いのではないのか、ということで、「何を見ようかな」ということで考えていましたら、「B’zの動画を見て欲しい。巻き込まれない力があるのなら見て役に立てて欲しい。」と言われましたので、見ることにしました。

で、まず最初は「愛のままにわがままに僕は君だけを傷つけない」のテレビ版(Mステバージョン)だったと思うのですが、お目付役が「最初からこんなもの見せおって」って呟くわけで、この曲には「太陽が凍り付く」というような歌詞が出て来ますので、本来であったら良くない曲なようなのです。で、それは分かるわけですが、中に「あきらめながらは 生きないで」という歌詞があるわけで、そこだけちょっと大きく聞こえるというか、そこだけ力が籠もっているように聞こえるわけです。だから、良くない曲であっても、歌詞の中に「送りたい言葉」があれば、そこに気を込めて唄うこともできるんだなー、と思ったわけで。

次に見たのが「BLOWIN」のテレビ版だったのですが、テレビに映っている稲葉さんのセクシーなお姿に、「かっこいい。」とちょっとときめいてしまいましたら、「それはちょっとまずい。」と思った兄さんがいたようで、まあ、見ることは見たのですが、要するにこれも良くない曲なわけで、ただ歌詞の中に「終わらない」という言葉があって、そこだけやはり強調されて聞こえてくるわけです。だから、この歌もここに特別な意味を込めて唄われているのだな、と分かるのです。
(ちなみに「あのセクシーさをどう思う。」と聞かれましたので、考えてみましたが、稲葉さんは真面目な方ですし、あの色気は毒々しさがなくて、健康な男性の健康な色気だと思ったわけです。そっかー、世の中にはそういう「色気」もあるわけだ。)

で、次に見たのがライブ版の「BLOWIN」で、なんというか、すごいーー、と思ったのは、ステージも禍々しい「はず」ですし、稲葉さんが着てるTシャツの背中に「80」とか書いてありまして、それも良くないものの「はず」だと思うのですが、なんというかそんなものを全部吹き飛ばしてしまうくらいお二人の力が強くて、ステージの上で彼らだけの気を放っていて、「こっちへ来い」と言うわけで、もちろんそれにはまって、B’zのファンになってしまったら、それはそれで「負け」なのだと思うのですが、お二人は少なくとも単純に「禍々しい」と感じるものの気ぐらいは吹き飛ばしてしまうくらいの強い力を持っていて、それは兄さんでも「恐ろしい」と思うくらい強いらしいです。

要するに、神サマの世界では、弱い立場の人を思いやらなければならない、ということはあるとしても、結局は「力と力」の関係であって、神が他の神に願いを叶えてもらう場合には、勝負に打ち勝って勝つか、代償を支払うかしかないわけで、兄さんでさえ、お二人にお願い事がある場合には代償を支払わずにはおれないようなのです。そして、それだけの強い力を持っているのがお二人だというのです。生きている人の中に、いわゆる「現人神」という存在がいるとしても、それはいわば一種の「立場」であって、結局は「人」ですから、神の名を貰ってもそれに相応しい力を持っていない人もいるし、逆にその名に相応しい力を持っている人もいるわけで、稲葉さんはそういう意味では文字通り、相応の力を持った「神」であるらしいです。要するに、その力に巻き込まれずに勝ち残ることができれば、勝ち残った方が「力の強い神」ということになるということで。そして、こういう勝負では「勝った」側の方が、より多く相手から「奪える」ことになっているようなのです。

で、兄さんとしては私が稲葉さんにちょっとくらっときてしまいましたので、疲れすぎないようにということで、ここで一休みして「Beautiful life」を聴いたりしていたのですが、途中でサポーターの方にも来て頂いて、また仕切り直しということで、今度は「太陽のKomachi Angel」(テレビ版)を見たわけです。そこで放っているお二人の気も攻撃的ですごいな、と思いましたけれども、これを見ていて分かったわけです。これは敵ではなくてB’zのお二人から、兄さんへの勝負であって、もし私が彼らの力に勝って、兄さんのことを忘れてしまわずにいたら、情報を与えて、戦う力も貸してやろう、とそういうことだったんだな、と。
そして、そこで聞いたこと。私は、神々の世界のやり方を全く知らなくて、敵の「代償を支払え」という要求をいつも力業で蹴飛ばして生きてきていたので、そうできるうちはそれでも良いけれども、それは敵が全力を挙げてくればくるようになるほど、いつかは潰されてしまうものであろう、と。
で、特に東日本大震災で、私は人々の願いに耳を貸しすぎて、あの時、困っている人を一人でも多く助けるためなら何でもやろうとして、やったことに敵は非常に怒っていると。特に、敵の手駒であった原子力の火を水かけて消してしまったことに敵は大激怒しており、彼らはその代償にもはやただ一つのものしか求めなかった。それは私の「命」である、とそういうことだったようです。そんなものですから、結局誰をどう選ばせるとかそんなこと言っていられなくなって、ともかく危ない橋を渡っても、強引にこちら側に引き込んで、結婚させてしまって厳重に守っていけ、ということになって、現在に至るらしいです。要するに、私にはとうの昔に「死刑宣告」が出ているらしいです。そーなんだ、だから、人のお願いをむやみやたらに聞いちゃいけないんだ@@、というわけで、今日の勝負はそういう情報を私にくれるための勝負であったらしいです。とはいっても、B’zのお二人は、こちらに好意的な方々ですから、途中で兄さんがやばいと思えば、休憩時間をとったりとか、サポーターを入れる余地を与えて、勝たせて下さるわけで、それでも勝負は勝負で真剣にやらねばならないもののようです。(あとは、泉水ちゃんの願いを3人に伝える役目も果たしましたので、それに対するお礼の気持ちも兼ねてのもののようですが。)

でも、B’zのお二人に打ち勝てる「目」を持っている私の「目」はやはり「本物」の目だということで、「太陽のKomachi Angel」はこう聞こえてくるわけです。「あなたは守られるだけの花じゃない。敵の死刑宣告を蹴飛ばせるだけの力があるのなら、蹴飛ばして蹴飛ばして蹴飛ばし返して、勝負に勝ち抜いていけ。そうして、逆に相手から過分に奪ってやれ。残虐さと献身さの両極の性質をもって、その間を意思の力を持ってバランスを保ち、人として生きていけるあなたなら、そうやって生きていけ。それが本物の力で、No.1でもオンリーワンでも良いから、「一つ」しかないものは「一つ」だけなのだと相手に思い知らせてやれ。こちらが「本物」であちらが「偽物」だ。理屈ぬきでPush! We can say!」
すっげー、お二人とも攻撃的だー、と思いましたが、そっかー、こういうことなんだー、とも思ったわけで。結局私は、いろんな事情も今まで理解できてなかったので、神サマとしては力が弱くて、みんなで守っていかなければならないような弱い存在だと思われてたらしいのですが、兄さんも籠絡しちゃうようなけっこうな目力を持っていて、しかも、私自身もけっこうアクティブに生きることが好きなタイプなんで、だったらそっちでもいけるんじゃないか、と今では思われているらしいです。(って書くと、お目付役から「最悪」って言われるわけですがーー;)

そして、お昼を食べて午後、もう少しB’zの動画を見てみようということになって見たわけですが、これはどうやら兄さんの独断であったようで、今度はこちらから勝負を持ちかけたものであったようです。要するに一番目の子は、卒業式の私服とか、いろいろと稲葉さんにご尽力をして頂いているわけで、力の差からいえば、その借りはとても彼には一生かかっても返せないものであるらしいです。稲葉さんはお優しい方ですから、一生の間その借りを返せとは言わないかもしれないけれども、借りは借りですから、兄さんとしては返せるときに返したいと思ったようで、もしいろいろな動画を私が見て、こちらが負けなければ、それで彼の借りはチャラにする、とそうなったようで。お目付役は「こっちに一言も無く決めおって。」と言うわけで、私に対しては「あなたもあの男の暴走を止める気はないんですよね?」って、分かってるなら聞かなければよいようなこと聞いてくるわけです(苦笑)。
で、またまた、良い曲も良くない曲もいろんな動画を見たのですが、稲葉さんて、唄っている時は唄うことに大集中していて、感情って表に出さない方なんだなー、と思ったわけです。で、その歌って、言葉の一つ一つに、ものすごい「説得性」があるというか、そういう風に聞こえるわけです。例えば、絶望しているような人の歌を歌うという場合には、なんというかそういう人のストーリーがあって、それを歌にして唄う、という感じになると思うのですが、聞いているとその主人公が「こう絶望しているんだ~」というような内容の歌に聞こえなくて、聞いている人の心に「絶望しろ」とか「今は絶望的な状況だと思え」とか、そんな風に聞こえてくるような歌い方をしているように思えるのです。っていうか、いろいろと聴いていると「全部嘘だと思え」とか「外に出ろ」とか「終わってしまえ」とか聞こえてくるわけで、いや今の状況がもし仮に全部嘘で、幻のようなものだったとしても、「そういうこと言ってるあなた達の声がなんで聞こえてくるんですかね?@@」みたいな。うわー、こういう歌い方もあるんだなー、と思ったわけです。

で、お二人の気持ちみたいなものは、テレビにしてもライブにしても、ステージの上から唄っているものからはあまり感じられなくて、むしろPVから感じるように思います。良い曲のPVを見ていると、「なんとしても月の子の手を取ってほしい」とか伝わってきますし、悪い曲のPVを見ていると「こんな曲聴かせたくないのに」とか、伝わってくるのです。「Calling」は、兄さんの曲なんだとは思いますけれども、歌詞の中には2番目の子を思い出させる言葉が使われていて、もはや誰でも良いから、3人の内の誰かに繋がっていって欲しい、という思いをひしひしと感じます。でも、稲葉さんは全体としては、一番目の子を可愛がってらっしゃるのかな、と思います。
それで、最後に「いつかのメリークリスマス」を見たわけですが、どうにも勝負しているはずなのですけれども、「いつまでも手をつないでいられるような気がしていた」という部分で、どうにも私が「MUSIC MONSTER」の兄さんのMCを思い出して、笑ってしまうものですから、兄さんも爆笑してしまうし、お目付役からは「ここは笑う場面じゃない」って突っ込まれるということで、まあ、結果的には全然「巻き込まれていない」ということで、一応こちらの勝ちということになったようです。でも、敵の声がちょっと聞こえてしまったということで、なんというか、敵が兄さんに「その女をこちらによこせ。それはこちらの獲物だ。」って言ってる声まで聞こえてしまって、へー、そういうことになってんだ、今、と思うわけですが、兄さんとしては夫として私を守り抜いてくれる決意のようです。まあ、それはありがたいし、うれしいと思うことなわけですが。

それでもって、どうにも今まで兄さんの歌を聴いて、気になっていたことですが、何というか「家族になろうよ」では「どんなに信じ合ってもわかり合えないこともあるでしょう」とか言ってますし、「誕生日に真白な百合を」では「認めてくれるかな、この生き方を」とか、言っていますし、なんだか求婚のお歌にしては、憂いを感じる部分があるというか、いったい何が「わかり合えなく」て、何を「認めて欲しい」のですか、あなたは。と思うわけです。
どうも、私が感じた部分では、お目付役がそうであるように、蛙の人たちは、兄さんの蛇の気性をけっこう嫌いますし、なんというか、誰もが私もそうなんじゃないかな、と思ってたような気がするのです。だから、兄さんとしては自分の「蛇」の部分が私に理解されなくても、仕方がないんじゃないかな、と思って憂えてた部分があったように思えてならないのですが、どうもね蛙の人々は、どうせそんなことになるだろうから、私は一番目と二番目の子とだけ仲良くしていれば良いので、兄さんとは最低限必要な部分でしか私と会わせず、飼い殺しみたいにして自分たちの都合良く番犬みたいにして使えば良い、と思っていたように思えてならないわけですが。それで、兄さんも自分が私に嫌われれば、そうなっても仕方ないかな、と思っていた部分があったように思えるわけですが。だから兄さんを応援する人たちはみな、私に直接「彼のことを知って欲しい。見てくれに惑わされないで欲しい。」と心から訴えてくるわけで。でも、蓋を開けてみたら、私の本性の一極は兄さんの上いく邪悪な蛇女神ってことで、たぶん、兄さんはその点だけでも思っていたよりも自分について理解が得られそうで、喜んでいる、とそういうことなのだと思うわけですが。

だから、兄さんが一番目の子に対して、こうやって恩を売るような作戦を立てたのは、将来みんなが一緒に暮らせるような状況になれば、他の二人と同じように、私がそう望めば、私の住む場所の一角に自分の居場所も作って欲しい、と、私から蛙さんたちにそう働きかけて欲しいし、私の目の力からすれば、彼らは力関係の上から私には逆らえないから、とそう望んでるのだと思います。全くもって、妥当なお願いだと思うので、それを主張するのが必要な場になれば、私はそうしたいと思いますし、他の二人は反対なんかしないだろうと思うわけですが。あなたたちは、一生互いに毒吐き漫才をして、この私を楽しませていれば良いのですな。
(午後の勝負に関しては、お目付役も絶句、ということで。彼は彼で、いずれ「生放送で奥様の目と対決してお前も身ぐるみ剥がれてしまえばいい」とか思っているようですがーー;。兄さんは兄さんで、26日の嵐の特集が楽しみだと思ってそうですよ、全くもー。そして、兄さんは稲葉さんの目にも勝てたことはうれしいらしいです。)