魔の時間ですな

ええと、ついでに「ラピュタ」と「もののけ姫」の予告編を見たわけで。

「ラピュタ」はですねえ、要するに主人公のカップルの名前が「パズー」と「シータ」って言いまして、で二人併せて「破壊(とかつ再生)の力」を持つわけだ。「パズー」っていうのは、要するに「アメン・ベス・ネルガル系」の「伝統的な破壊(と再生)の軍神」なわけで。一方の「シータ」ってのは、蛙の女神の名前なので、要するに「破壊性を持つ蛙の女神」の象徴ということで、平ったくいうと、「エレシュキガル」というメソポタミアでイナンナと対を成す、いわば「イナンナ・エレシュキガル」とも言うべき「死の太母」の象徴なわけ。要するに、「パズー」と「シータ」っていう組み合わせというのは、「ネルガルとエレシュキガル」という「破壊と再生の夫婦神の象徴」であって、それを「取り分」として取るからには、その力を正しく使い、良くないものを破壊し、かつ残すべきものを再生できるような、強力な「力」と、それを使いこなせるだけの「人間性」が必要とされるわけで。だから、兄さんがラピュタが好きなのは、そしてそれを買い戻したいと願うのは、それができるのは彼が「伝統的な破壊(と再生)の軍神」として認められた時で、それだけの男だと認められたことになるからです。

で、一方の蛙娘はですねえ、「蛙の女神」っていうのは世界中見回すと、「生と豊穣の女神」から「死の太母」まで守備範囲が広いので、この私がどういう蛙娘か誰も良く分かっていなかった、ということで。ともかくつい最近に至るまで、みな、ラピュタが買い戻せるかどうかは兄さんの力量によるものと思っていたわけだ。

そして、現在のところ、「破壊(と再生)の軍神」としての権利は黙示録等で、明確に敵がその権利を主張しており、彼らはそれに乗っ取って、あちこちで争乱を起こして悪さをしてる。それだけに、それを「取り分」として主張できる力量には相当なものが必要なわけで、下手して負けちゃうと自分が潰されるか、自分の力を相手に利用されるだけになってしまう。

で、一方の「もののけ姫」。なんていうかですねえ、最後にいた病院と同じく、最初にいた病院でも「同じ事」が私に要求されていたのだと思う。「もののけ姫」は破壊性の強いアニメで、死の匂いが強いから、あれも買い戻すことはできない。しかも、何よりも私は「主人公サン」では無いと思うから取れない。たぶん1997年のあの時点では、みな私が「人ならぬ所に住んで、死者の世話をさせられていて、人ならぬ存在とされている」だけの存在にしか見えていなくて、ともかくそこを抜け出して「生きて生きて生き抜いていって欲しい」と思っていたんだと思う。それだけでもできたら、私には上等だ、と。だからみんな言ってた。「医者じゃなくたっていいじゃない。生きていくのに最低限必要なお金さえ稼げて、それでささやかにつましく生きて行ければそれでいいじゃない。」と、呼びかけてた。その方が、例え何の力もなくてもせめて「人として生き残れる可能性は高い」とみな思ってたわけだ。まあ、おかげさまで次の年には、蹴り入れてやめちゃったわけですが。そして、兄さんの方にはあくまでも「お前のあの娘の不幸が癒やせるのか?」と突きつけられていた。神としての力をほとんど持っていないのに、その立場になってしまった娘の不幸を、癒やし守れるだけの存在になれるのか? と。まあ、兄さんもちょっと前くらいまでは、そういう気持ちでいてくれたように思うんですけどねえ? と言うしかないわけで。

それが何だか、今になると「魔」から突きつけられた勝負には、「そんな風に妻の力を自分の道具として使うような男が許せるのか?」とか言われてるようですので、なんだかね、皆様の中で、ずいぶんと私も出世させて頂いたというか(苦笑)。たぶんね、「もののけ姫」の登場人物の中で、誰が一番私に近いのかといえば、それは主人公のサンではなくて、烏帽子であるのだと思う。だいたい「烏帽子」という名前が遊女を連想させる名であり、かつ物語の中の烏帽子は、そういうこともやったかもしれないけれども、自分の守り育てる小さな健全な村を守る情熱と優しさは人一倍であり、それなのに彼女自身はそれを守るために何でもやってのける、という矛盾した存在として描かれる。そして、彼女の目も、「そうするためなら何でもやる」という魔的な情熱に溢れている。どうにもね、私もそういう性分ですのでね。だから、私は「力」を好むのだと思う。そうできるだけの「力」が欲しい、と常に欲しているからだ。そういう私の欲を満たしてくれる男がいるのであれば、彼が妻の力を道具としてどしどし使うような冷酷な男でも全然結構である。戦いに必要なのは、どんな戦いでも「力」であって、「人間性を失わないで居て欲しい」なんてのは、結局勝ったあとの綺麗事な話に過ぎないのでね。まずは勝つことが先である、と。それだけのことですともさ? 味方からならともかく、敵から余計な世話を焼かれるようなことでは全くないですともさ。
(でも兄さんはすごく男気のある良い人だと思いますけれども? 個人的にはね。)

たぶんね、2番目の子とつきあっていた時に、私は彼が何か私には言えないような悩みを抱えていて、何か「戦わねばならないものがある」とは気が付いていたと思う。だから、そのことを正直に言って欲しいと思っていたし、彼が言ってさえくれれば、彼を支えて、共に戦っていくのに、といつも思っていた。彼にそれを言うだけの力がなかったのか、言えても言えなかったのかは知りませんけれども、そうしなかったから、結局蛙の人たちは、自分達の太母を自分達だけのものとして取り戻すことが永遠にできなくなったんだと思います。言ってくれてたら、私だって烏帽子のように、あなたたちを守り抜こうとしたと思うんですけれどもね。

 

ネルガルとエレシュキガルで結構。それでラピュタを買い戻せて兄さんを喜ばせて上げられるなら、それだけでもそう名乗る価値はあると思いますけれどもね。

アニメ日和

昨夜、夕飯の時にMステを見ようということになったのですが、兄さんがぐだぐだにならないためにサポートがいっぱい入って下さったようで、っていうか、ものすごく大勢の人の気配がするわけで、小さい蛙の人とか小さい蛇の人が周りにいっぱいいるような感覚がするわけです。で、兄さんは「支えるっていうのは『衆人環視』ってことかい。」と呟くわけで、要するにみんなで見てれば、兄さんも面子があるので、あんまりぐだぐだにならないだろう、とそんな感じだったらしいです。

で、福山君のライブの告知の映像は、見返せばそれほど長いものではなかったわけで、黒いスーツ着た福山君がけっこうとんがった感じで映っていたというか、そんな感じであって、まあ確かに「爽やか好青年という感じではない」という感じでしたが、まあ、私の中での「福山雅治」という人のイメージはだいたいあんな感じというか(正確にはもうちょっとナンパな感じですかねえ。だいたい「生きてる生きてく」くらいなイメージだったわけで)。で、兄さんは「あれは営業用。」って呟くわけですが、周囲からは
「お母さん、ああいう男が好きなんだ-。不良だ-。」とか「お父さんも不良だ-。」とかいう呟きが聞こえてくるわけで。いや、好きなんだ?って言われましても?? ああいう人なんじゃないの?? っていうイメージしかないんですけど@@。みたいなーー;。
で、どうしても一瞬映っただけでも、福山君の胸元あたりに視線がいってしまうわけで。そうするとまた、
「胸元を見たぞ。」とか「胸元をまさぐってるぞ。」とか「へー、そうやって見るんだ。」とかいう呟きが来るわけで(苦笑)。

それから、寝た後、朝方「生きてる生きてく」と「わたしは風になる」が続けてかかって目が覚めたわけで、「生きてる生きてく」は「子供が欲しい」ってような歌に聞こえますし、「わたしは風になる」は「戦いの後に会いにいきます」というような歌だったよなー、と思って目が覚めたのですが、その後、兄さんと他の二人から何か「お願い」をされた気がするわけですが。まあ、よろしいんじゃないですかね、別に、ということで。

 

で、起きてから、某ニュースサイトを見に行きましたら、なんというか、どこかの「法王」みたいな人のニュースが写真付きで載っていまして。それで閃いた兄さんが言うわけです。「そうか、別に宮司じゃなくたって、こいつでもいいわけだ。」と。それで、「ちょっとこれ見て貰える? だって、あなたこれ見ても別にカトリックに改宗したいと思わないでしょ。見るだけなら減るもんじゃなし。」ということで。「あー、いきなり頂上対決ですか? っていうか、こんなお手軽なことでいいんだ?@@」と思いながら、見て見たわけで、だからといって良く相手の反応も分からないというか。で、30秒くらい見ていたわけです。その他にも何人か「見た」気がするわけで。

その後、いくつかPV等を見ていたのですが、平原綾香嬢の「はじまりの風」を見ていた時に(彼女もけっこうやな感じの目をしてた気がするのですがーー;)、「そういえばこの曲は昔良く見ていたアニメの主題歌だったな。」と思い出しまして、「じゃ、今の目でアニメがどう見えるか、見て見ますか。」ということになったので、「彩雲国物語」のオープニングのアニメとか探してみたわけです。で、見ていると、1番目の子が、すごく気持ち悪がっているのが分かるわけで、「え? なんでこれで気持ち悪いの?」と思ったわけですが、どうも彼が言うには、アニメの登場人物は、実在の人物でもないですし、要するに「敵に踊らされている人でも『人は人』」ですが、そこにあるのは「生きてもいないのに踊らされるだけのもの」ということで、要するに「生の豊穣」を大切にする人には「死体が操られて踊らされている」もののように見えるらしいです。アニメって。そっかー、それだからアニメとか漫画とか(場合によってはフィクションの小説も)駄目なものなんだ。登場人物が全部「生きているもの」ではないから。ということで。でも、兄さんだって「星矢」をキーワードに使ったでしょ? って聞いてみましたら、兄さん的には漫画は好きでも嫌いでもなくて、帳尻あわせのために買うことはあっても、読めばすぐに捨てちゃうでしょ、あんなもん。ということで、どうも私みたいにため込んだりするのは相当な「悪食」なんだ、それ@@。と思ったわけですが。

で、その後Mr.Childrenの動画を見て、「終わりなき旅」の2011年のライブバージョンを見ていたわけです。ミスチルの桜井君の歌い方も兄さんとちょっと似ているというか、伝えたい言葉を強調して唄うような、歌い方をしているわけで。そして、曲にすごく入れ込んで唄う方だとも分かるわけで、そしてこの「終わりなき旅」は「昔の恋なんて忘れちゃえ」みたいな歌詞がありますから、それだけでもう「兄さんの歌」だなって分かるわけです。ここのところで、怒ってるのは「兄さんの歌」の一大特徴ですのでーー;。そして、見るとうまく言えないのですけれども、桜井君も蛙の人なんだな、となんとなく思うのです。GLAYが2番目の子を応援しているのだとすると、ミスチルは蛙でも兄さんの応援をしている人たちなわけだ。で、「終わりなき旅」への桜井君の感情移入もすごくて、そこには事態をそこまでにしてしまったことに対して、敵にも味方にもものすごく怒っている、まさに龍神の咆哮と激情があるように思えて、まるでこちらも巻き込まれてしまってちょっと腹が立つような感じがするわけです。あー、2011年ですもんね、この頃の兄さんの本音は、こんな感じであって、福山君のライブとかから感じるよりもずっとはっきりこっちに出ているわけだ。と思ったのですが、そうこうしていると、兄さんが誰かとハイタッチしている気配とかあって、「ん? 何かあったの?」と思ったのですが、更に1番目の子がすごく気持ち悪がっているのが分かるわけで、そしてみんなが「見返してやれ、見返してやれ! やり返せ!」って言ってるのが聞こえるわけで、どうも朝見た写真のあたりから反動が一番弱い子のところに来たらしくて、それはほっとけませんので、朝見たじいさんの写真を今度はもっと念入りに見て見たわけです。そうすると兄さんは、ものすごく攻撃的な気を送り込むわけで、1番目の子は気持ち悪くなっちゃったようで、そういう時の兄さんは「弱いものは潰れておれ!」って、ものすごく心優しいことしか怒鳴らないわけですーー;。で、誰かがサポートに入って下さって「あなたはあれを見てはいけません。目を閉じなさい。」って言っているわけです。そして、後ろで守ってくれていた1番目の子の気配がすっと消えて、そこに2番目の子が入ってくるのが感じられるわけで。で、30秒くらいしたら、兄さんが「もう止めましょう。」って言うわけで、見るのを止めましたら「止めるな! もっと勝負を続けろ!」って怒鳴っているのが聞こえるわけで、「何、それ?」と思いましたが、どうやら兄さんによると「視線が相手に届いている。」のだそうで、兄さんは「止めるなってことは、もう欲しくてたまらなくなってるな。自分は、こちらが見たいときに見て、見たくないときにうっちゃられるだけの「奴隷」だと思い知ればいいさ。」とか、超温厚な性格むき出しで、すごいこと言ってるわけで「げっ」と思ったわけですーー;。で、2番目の子も「そうか、こういうやり方があったんだ。」って驚いているわけで。

で、その後はまたいくつか動画を見て、そういえば2012年に、いろんなことが始まるときに、「家に籠もらなければならない」と言われて、「どのくらい?」って尋ねた時に、Mステで嵐が「1年」って言っていて、Mr.Childrenが「365日」を唄ったのを思い出して、「365日」を見て見たわけです。そしたら、これも「兄さんの歌」だ、と気が付いたわけで、そっか、あの時、家を閉じる前に兄さんの代理人のMr.Childrenと、2番目の子の代理人の嵐がメッセージと曲を送ってくれていたんだ、と気が付いたのです。

そして、その後いろいろと見ていたわけですが、あまりよろしくないお歌ですけれども、「イノセントワールド」を聴いたり、「HANABI」を聴いたり、「シーソーゲーム」を聴いたりしていたわけです。「イノセントワールド」は良くない曲ですが、一部に良い部分もあって、悪い影響が出ないのであれば、それを使いたいと思った兄さんが、「これ使おうかな、どうしようかな。」と悩んでいましたら、周りから「あんた自分の悪い歌はとっとと入れておいて。」って言う呟きと共に、いろんなものが兄さんに投げつけられる気配がするわけで(苦笑)。いや、それ「誕生日に真白な百合を」(2013年リリース)のことでしょ? きっとそれは2012年に出された「Beautiful life」と対をなすもので、とってはいけないものであって、中には「会えなくなる」とか「死」を連想させる表現があって、よろしくないものであることは私も分かっていましたけれども、歌詞の一部にぬけぬけと兄さんが私への気持ちを入れてる部分がありますので、兄さんはそれを聴かせたがるし、私も聴きたいと思うので、聴いていたわけですが、でもPVの福山君の顔には「この曲を取らないで欲しい」って書いてあることも知ってはいたわけで(苦笑)。で、「イノセントワールド」は使うことに決めたわけです。
で、「HANABI」。これは良くない曲で、「もう一回」って歌詞がものすごくたくさん入っているわけで、で、兄さんが「これって誰の曲だと思う?」と聞くわけです。ええと、歌詞の内容からすると、「人生はケセラセラ」とかって言ってた人の歌? っていうか、げーっ、あれも私に歌を送ってたんだ?@@ と思ったわけで。兄さんは、「あいつこんなこと考えてたんだ。ってせせら笑うわけですし、びっくりしました。
それから「シーソーゲーム」。これは男の子達に争うようにそそのかしている歌だから、駄目と。

で、ついでの久保田利伸の「LA・LA・LA LOVE SONG」を見たわけで、これも良くない曲ではあるわけです。で、何故か、久保田利伸を見ているとその後ろに、何かこちらに悪い気を送ろうとしている老人の姿が見えるわけで、でも、その首筋に小さくていやらしい目をした蛇女が巻き付いていて、じいさんの首を舐めたり嚙んだりしているわけで、じいさんはその感触ですぐ潰れちゃうまでは言ってませんが、真っ赤になって堪えていて、とてもこちらに集中できる状態ではない、と。それを見て兄さんが「あれも女の経験はあんまり無いと見える。」とか言ってせせら笑っているわけですが。っていうか、あの「小さな蛇女」って誰のことなんですかねえ? 自分で見てても嫌な感じがするんですけれども、「太陽の神サマ」ってもっと神々しいものだったんじゃないんだ?ーー; という気がするわけで。「いいじゃないですか。こちらだっていろいろ騒がれたりして、集中を邪魔されるようなこといろいろとされたんだから、邪魔仕返してやれば。」っていうわけで。

どうもね、神々の世界の力関係というのは絶対的なもので、力の強い方が、弱い者を操ろうとするのは、強い者にとっては、ご飯食べながらできるような超簡単なことらしいです。でも、弱くて踊らされるばかりの人からすれば、それは逃れられないものであるし、更に力がなければ踊らされていることしか気が付かないものらしいです。要するに力の強い人は、弱い人の写真を1枚見て、「ああしろ、こうしろ」と思えばそれで良いだけのことらしい。そっかー、それだからみんな「その力に溺れずに、人としての気持ちを忘れないで下さい。」っていうんだ、それは私にとっては「簡単過ぎる」ことだからだ。と思ったわけで。(でも、兄さんが中にいないと、自分ではうまく力を使えないわけですからね。もっとも、兄さんは「使える」と分かれば、速攻で頂上決戦を挑むような分かりやすい人でもあるわけですが。)

で、その後は、アニメの主題歌を見ていたわけで、「不思議の海のナディア」を見たわけです。ナディアは今では良くないものだと分かっているわけですが、これはいろいろな「因縁」を含んでいるアニメなわけで、まずそこから書きたいと思います。

ナディアの原案は、宮崎監督がNHKで連続アニメを作るために作られたもので、でも結局宮崎監督はそのアニメをNHKのためには作らずに、原案を元にして「天空の城ラピュタ」という映画を作ったわけです。でも、その原案はNHKの側にも残されましたので、NHKはNHKで庵野監督に依頼して、連続アニメを作り、それが「不思議の海のナディア」なわけ。だから、ラピュタとナディアは同じ原案を元にして作られた「双子のアニメ作品」といえるわけで、似ている部分も多少はあるわけです。で、ラピュタの方は良くない作品なわけで、何故かというと中に「滅びの言葉(パルス)」という言葉が出てくるわけで、そういう縁起でもないものはよろしくないということで。でも、主人公の名前から察すると、それは兄さんと私を応援してくれる意図も含まれた作品なわけです。

で、ナディアの方はというとですねえ、こっちもヒントはいっぱいあるんですけれども、内容は「良くない作品」なわけです。でも、私はナディアがずっと好きだったわけで、なんでかというとこれは2番目の子が、「好き」って言ったアニメなわけで、ずっと私にとっては彼との思い出のアニメだったわけで。
で、改めて見て見ると、このアニメの主人公はナディアという女の子で、父親は「ネモ船長」というのですが、「ネモ」というのは「アメン」に通じる言葉ですから、「父なるネモ船長」とは「父なるアメン」を暗示している存在なわけだ。で、見て思い出したのですが、このアニメの最後には、主人公のナディアは敵に操られてネモ船長を撃ち殺そうとしますし、実際ネモ船長は話の最後に死んでしまいますし。なるほど、これは「父なる神アメン(要するに兄さんのこと)」を殺してしまえという暗示に満ちたアニメなわけで、2番目の子はこれを私に勧めて見させる代わりに、つきあうことに成功したわけだ。それが最後に全部ぐだぐだになっちゃったわけだから、はっはっはっ、そりゃ兄さん怒りますよねえ(棒読み)。ということで、それで毎晩蛙の人たちのことを、「あいつら本当に意地悪なんだよ。」って呟くわけだ。まあ、直接愚痴を聞けるようなところまで話を進められればですねえ、好きなだけ兄さんの愚痴を聞き流して上げますので、言いたいだけ言ってくださいな、みたいな(苦笑)。

でもって、誰かさんは「ラピュタならその内に買い戻してあげられるかもしれん。」と呟くわけで。要するにそこに暗示されている「呪い」みたいなものの力よりもこちらが上であったり、それをこちらが自在に制御できれば、それはこちらの力として使えるから、取っても良いものになるわけだ。(そうすると「あいつ、世界のあちこちでパルスっていう気かい!」って突っ込みが周囲から来るわけで、あー、兄さんて怒らせればそういうことしそうな人ではありますけれどもねえ??ーー; とは思いますが(苦笑)。)

それから、良くないものをということで「千と千尋の神隠し」の予告編とか見て見たわけですが、要するにこれは「あの世」の話ですし、千尋があの世で、死人のために働く話ですから、たぶん我が家にとって、宮崎アニメの中で最大に取ってよろしくないものがこれである、と。そういうことなのだと思います。主題歌も「死」をイメージしていて良くないものです。で、この映画が、私にとってどの点がヒントとなり得たのかというと、これは2001年に発表されたものですから、要するにその頃から敵は私を狙っていて、陥れようとしていた。それで、

千尋にお金を握らせて、その代わりに殺そうとしていた「カオナシ」とは、あの病院のことです。あそこは「敵の本拠地」も同然であって、そこに誘い込もうと敵が画策していたことはみんな分かっていた。あの頃は、そのように直接敵と取引して代価を得るというようなことは、あなたの娘さんに「見合った行為」ではないと、敵も味方も考えていた。だから、敵は敢えてそうさせることで、娘さんを潰そうとしていた。宮崎監督はそのことを警告しようとして、敢えて見せてはならない映画を作って、最大限のヒントを送ろうとしていたのです。あそこで仕事を教えて貰えなかったのは、当然です。敵は、あなたの娘さんが彼らと労働契約を結ぶことを僭越な行為として、カオナシが千尋にしたように「潰す」ことしか考えていなかった。だから、仕事など教える気も、必要も敵には最初からなかったのです。確かにお金は生きていくためには大切なことなのかもしれないけれども、「見合った以上のことを行おうとすると潰される」ということはどういうことなのかということを知ってください。敵にとっては「支払う対価」がいくらだったかどうかなんて問題では無い。彼らはカオナシのように娘さんを、お金を与える代わりに潰すつもりだったんです。そして、本来であれば、清浄を保っていなければならないはずの娘さんが、彼らから「対価を貰って死者のために働く」ことこそが、誰にとっても問題だったんです。

って、うちの親に言ってくれ、とみなが言うわけですが。まあ、書くだけは書きますけれども、結局は結果オーライですのでね。それに、あそこで私が「死体をつつきながら対価を得ていて、なおかつ正常に生きていた」ということは、要するに「死の汚れを喰って私が生きていける存在」であることの証明であって、だからこそ、稲葉さんは「あなたなら出雲大社の穢れの中にでも入っていける。」とおっしゃるのだと、兄さんも気が付いたようですから。でもって、みんなは言うわけです。
要するに、私はあそこでピザは食べる、ハンバーガーは食べる、しかもゲーム、ビデオ、漫画と、よろしくないものはあり放題だった。そこで、敵は「怒り狂って自滅しろ」か「うつにでもなって自殺しろ」とか、そういう気しか送ってこなくて、そこで私は確かに「怒り狂って」いたかもしれないけれども、無秩序にその怒りを発散させることはなく、それを明確かつ的確に敵に向かって使ってた。要するに、それが私自身の持つ「力」であったことの証明である、とそういうことのようです。

そして、今となってはみんなが言うわけです。あの世で千尋が闇の中に消えてしまいそうになった時に、飛び込んできて、敵に酷使されていても、自分の命と引き替えにしてでも、千尋を助けてくれようとした小さな竜の男の子のことを忘れないで。彼は、もしもあそこであなたが潰れて消えてしまいそうになったら、自分の命と引き替えにあなたを助ける気だったのです。そして、それができるだけの力を持ったのも彼だけしかいなかったのです。その決意を伝えるために、宮崎監督はあの映画を作ってくれたのです、と。

そっか、その人には好みでもないじいさんをねめつけるようにお願いされてますので、忘れてる暇もなさそうに思われますが(苦笑)。そして、みな、この「千と千尋」の予告編の動画を「使え」と言ってくれる。この映画は買い戻せません。これに耐えうるのは鈍感な私と、せいぜい兄さんであって、他の二人にとっては「死の穢れ」が強すぎるからです。それは私にも分かります。(でも、予告編を「使う」だけでも、「境界を越える」ことになるらしいです。なぜなら、「死の穢れ」は本来敵の領分であるからです。)

それで、その後はおまけに「ハウルの動く城」の予告編も見てみたわけです。ハウルは魔法使いですけれども、自分の力をうまく制御できない。火の悪魔カルシファーは、爆発的な力を持つけれども、時に人としての心を失いそうになる。かかしのカブはソフィーに対して手も足も出ませんし(っていうか、これが目下の問題なんですよねえ? 確か?ーー;)、マルクルは保護の必要な子供です。要するに、これは3人が、自分の弱点をさらけ出す代わりに、「戻ってきて欲しい」という思いを伝えるために作られた映画なわけだ。まあ、余録としてこの予告編も「使って良い」とのことですので、そうさせて頂ければと思います。だって、ハウルも買い戻せないものです。なぜなら、主人公のハウルは兄さんじゃないんで、兄さんはこれを買い戻すことは許さないでしょうからね。(兄さんはどう見てもカルシファーですものね。)

 

ミスチルの「終わりなき旅」を見ていると、ステージの上で、兄さんの代理人として咆哮している桜井君に対して、客席から「絶対に届けさせるものか。お前も潰れてしまえ!」というものすごい気が発せられているのが分かります。桜井君も力の強い方ですから、それに押されたりはしていませんが、「死刑宣告」とやらが出された2011年という年は、そこまで「暗い」年だったのだな、と改めて思ったのでした。そして、あの病院での真実の情報が得られたことが、まあ、今日の勝負の戦利品ということなのでしょう。

どうもね

ええと、念のためということで、駄目押し的にX JAPANの動画も見て見たわけで、曲は「Forever Love」と「Endless Rain」。ライブ自体は禍々しくて、更にメンバー全員が酷使されていて、もはや「生きた幽鬼」みたいになっちゃてるようにしか見えません。かろうじて何とか保っているのがYOSHIKIのみと。そっかー、X JAPANの不幸続きの歴史は、この「酷使され過ぎ」が原因なわけだ。

でもって、曲そのものはどうでも良いわけですが、動画を見ていると客席から歓声が聞こえてくるわけで、それがこう言ってる。

 

「そうか、それが羌族が1万年の間、ひた隠しにしてきた「目」の秘密だ。女神よ、よくぞ我らに明かして下さった。我らはあなたのその誠実さと率直さを決して裏切りません。蛇の一族の一途な真心をあなたに捧げて、行き着くとこへ行き着くまで、必ず我々が4人のことをお守りします。誰一人、バランスを崩すことも、狂うことも無くお守りします! それが我々のあなたに捧げるForever Loveです。」

 

って。うわー、って思うわけで。兄さんが「すごいな、敵のライブの気を喰っちゃってる。」と呟くわけですが。

そっかー、こうやって男心の情欲をそそり立てるこの「目」が、羌族の太母を「神」たらしめている所以なわけだ。つまらない男がその目に触れれば、結局は身を滅ぼす。でも、その目を受け取るに相応しい男がいれば、その目はその男心に雄々しい火をつけて、何よりも頼もしい頼りになる「夫神」に変える。でも、蛙の人たちは、そのことをずっと秘密にしてきて、誰にも教えなかった。だから、蛙以外の人たちは今まで誰もその秘密を知らなかった。

でも、今その秘密が暴露されたから、蛇の人たちは兄さんにそのような「夫神」になれ、彼女の狂気をもたらす目を受け止めて。と言うわけだ。まあ、兄さんならきっとそうなれると思いますけれどもね。私はそう信じていますとも。

ええと

ともかくですねえ、あんまりなことが重なる毎日な気がするわけですが、今日が最大級に酷い気がするわけでーー;。

 

まず、朝っぱらから「目」の力を鍛えようということで、KAT-TUNのビデオを見て、「太陽のKomachi Angel」を見て、麻衣ちゃんのビデオを見たわけです。で、B’zのビデオを見ていたら、何というか、稲葉さんがこちらの視線を感じているのが、分かるわけです。「すごい、稲葉さんの気を押し返して、視線が届いてる。」というわけで、それで兄さんが興奮して武者震いしてるのが分かるわけです。どうも、稲葉さんはとても強い力をお持ちの「神」であって、神サマの世界では「お願い」というのは、力の弱い人から、強い人にするものですから、その稲葉さんに「お願い」されるということは、稲葉さんがこちらの力を認めて下さっているということで、とても名誉なことなのだそうで。稲葉さんにはさんざんお世話になっていることですから、「稲葉さんにお願いされたら、それを果たさねば男がすたる。」ということで、要するに兄さんもはりきってるようで。

で、目力の調節ということで、まずお味方のビデオをいろいろ見ていたら、なんというか、兄さんの目の力を外して、左目で見ればこちらの視線はあまり届かない、ということが分かったわけです。そして、兄さんの目の力を外して、自分の右目で見てみたらですねえ、なんか「あなた、すごい気持ち悪い目持ってるでしょ。」って言ってくる人がいるわけで、ええと、それってどういうこと? となると、相手が、自分がどんな目で見られてると感じるか送ってくるわけです。要するに、「女性のいやらしい目でねっとりとねめつけられるように」感じるらしい。えー、私ってそういうキャラじゃないんですけど? と思うわけですが。じゃあ、とりあえず兄さんの目で見てみれば、ということになって、そうすると、兄さんの目は男性的で攻撃的な視線ですから、いやらしい感じはなくなるらしいです。うーむ。

で、今日はまずチェッカーズの動画を見てみたわけです。なんで、チェッカーズなのかというと、これは良くないものなのですが、昔2番目の子とつきあっていたときに、チェッカーズのベスト版を買ったことがあって、2番目の子はその良くないものを家にいれることを止められなかったことを、今でもとても悔しく思っているらしいです。「CD1枚、約3000円といって、それを現実のお金で高いと思うか、思わないかという価値観は人それぞれだけれども、その1枚に入っている10~15曲にどれくらいの呪いが籠もっているかを考える方が大切。」と兄さんは言うのです。
ということで、チェッカーズのライブ等を見て見ましたが、やっぱり禍々しいというか何というか。でもですねえ、ボーカルの藤井フミヤという人を見てみると、あんまり力がありそうには見えないのです。どちらかというと、ライブとかではやはり客席の気に飲み込まれそうな目をしています。で、チェッカーズはメンバーが7人いたと思うのですが、中で一番力が強そうなのは、サックスを吹いていた藤井弟の方に見えるわけです。彼が一番禍々しく見える。
そして、チェッカーズの動画を見ていると、「それを取れ、それを取って、お前も狂え」っていうすごい怒声が聞こえてくるわけで、なんで? と思うわけです。兄さんによると、今日の勝負はこちらから仕掛けたもので、ネット上に誰でも見られる動画がいくらでもアップされている以上、こちらから持ちかけた勝負は敵は断れない。で、こちらが勝った際の報酬も、「こちらの目を鍛えるための道具になれ。」っていうもので、それほど無理なことは言っていなくて、こちらが勝ち越した分は、むしろ過分に払ってもらって良いくらいだから、更に断れない。で、敵は今となっては、誰を向けても勝てそうにないので、できることなら負けると分かっている勝負はしたくないから、怒っているのだ、というのです。で、兄さん曰く、「なんでメンバーが7人もいると思う? ボーカルの力だけではその場を仕切る力が足りないから、サポートにあれだけの人数がいるんだ。それでもボーカルの力は弱いから、結局、どんな理由によるものかは分からないけれども、彼は見合った分以上の力を使いすぎて、チェッカーズは解散してしまった。」とのことのようです。そうなんだ、ふーん。そうえいば、ソロのフミヤのライブでは、良く弟の尚之の姿も見かけますから、それも同じ事で、サポートして貰っているらしいです。
それに、敵が怒っている理由は他にもあって、チェッカーズはもう解散して無いバンドですから、それもよろしくないものですし、ライブの内容も禍々しくてよろしくないものですし、メンバーに死者がいますから、その映像には「死の穢れ」が映り込んでいるわけで、要するにこういうものはすべて敵が「切り札」として使うものですから、三拍子揃っても勝てないのは、敵としても全然面白くないらしいです。
で、中でも「星屑のステージ」とか禍々しくて、この曲は死んでしまった人の歌ですから、更に禍々しさが増すらしいです。
それから、いろいろと見たのですが、別に意識していないのに、フミヤの首筋とか、なんか見てしまうと言うか、そんな感じがするわけです。なんで? って思うと、「それは視線が届いていて、相手が感じているから。」と兄さんは言うわけですが、なんで、兄さんのときと同じような感じになるの? ってことで。そこで、兄さんがひらいめいたことがあるようで、もう1回、米米のビデオを見てみようということになりました。

で、見た曲は「オリオン」という曲で、たぶんテレビで流したもの? だと思うのですが、まず見た印象は、やっぱり強い力を持っていて、その強さはチェカーズのボーカルとは比べものにならないな、と思うわけです。

で、兄さんに聞かれるには、昔石井のファンだったときに、彼のどんなところに魅力を感じたのか、ってことで、それは「あの広い背中がセクシーなところとか?(あと声とか。)」って答えましたら、「あの男の目を見て、そこに巻き込まれたいと思ったりとか、「抱かれたい」って思ったことはある?」って聞かれましたので、そこまでは「ない」と答えました。だって、実際そうだし。「んじゃ、昔のあの男が好きだった頃のことを思い出して、ちょっとその気持ちであの男を見て貰いたいんですけど。」と言われましたので、今ではあの男のことは嫌いなんで、ちょっと難しいのですが頑張ってみました。そうしたら、不思議と、彼の背中の真ん中よりちょっと上あたりを見たくなる気がするわけです。普通、歌を歌う人は前を向いて歌いますから背中は見えないのですが、でもそこを通り越してその背中に視線を当てたくなってしまう、というか。「じゃあ、そこに集中して視線を送ってみて貰えますか。そして、こう言って欲しい。『狂え、お前もその狂気の歌に巻き込まれて、狂ってしまえ。』って。」っていうか、そんなこと言うんだ? というか、兄さんが勝手にそういう言葉を気にのせてどんどん視線と一緒に送るわけで、そうすると相手がこちらの視線をそこに感じてるのが伝わってくるわけです。そして、しまいにはなんていうか相手には「この「私」が彼の背中に取り憑いて、舐め回している」ように感じられるようです。何それ? って私は思うわけですが、兄さんは「あの女心を手玉にとって踊らせることにたけているのが、こちらの気に溺れて感じちゃってるよ!」とせせら笑うわけで、そっか、あなたが落ちちゃってるのも同じ「目力」なんだ? っていうか、なんか私って「毒婦」みたいな目力持ってるんだ?@@ こんな真面目なキャラなのに??? と思うわけで。で、もうちょっと続けてみようってことで、続けてましたら、相手の本音が伝わってきまして、あの男は、私が長い間ファンをやってて、ライブでも直接顔を合わせることは何度もありましたから、私の「目力」に参っちゃっていて、それで敵とか味方とか言う以前に、私の目線が欲しくて欲しくてたまらなくて、敵という理由以外に個人的な欲望でも「戻って来て欲しい」と思っているらしいです。要するに、私がファンを止めちゃった後も、テレビとかに出て、私の前に何かと露出したがるのは、それが原因らしいです。どうにも「性欲の衝動」というのは本能的なものだから、いったん火がついたら立場なんか関係なくて溺れてしまい、どうもそれを満たしたくて、あの男は私を追いかけ回しているらしいです。「兄さん、それは自分の経験からの結論ですか?@@」って思うわけですが。何、それ? って思うわけで。「だって、他にも同じようにあなたを追いかけ回しているのがいるでしょ。どっかの元教授とか、今の教授とか、ひたすら「戻ってこい」としか言わないじゃないですか?」 って、要するに、あの二人も直接毎日私と顔を合わせる機会があったから、それで私の視線に溺れてしまって、それが欲しくてたまらないんだ?@@ ってことで。「だって、敵はどっちかっていうと『あれが駄目なら、これ』って感じで手を変え、品を変えしてくるでしょ。彼らだけ、理由もなくしつこく追ってくるのは変じゃないですか?」って言われるわけで。で、「あの男のファンだったとき、ライブに着ていく服を指定されたりとか、ダンスを憶えるべきとか、そういう普通の「客」に期待される以上のこと、しょっちゅう要求されてたでしょう? あれはそうやって、「ファン」を巻き込んで踊らせることに長けてた男であって、あなたのこともそうしようとしていたけれども、あなたはあなたでそういうことを押しつけられることは嫌いだった。結局あなたが「好き」だったのは、あの男がライブでまき散らす「精力」を喰って、それを自分の糧とすることが好きだったから好きなだけで、それを楽しいと感じるほどの力を持っていたのがあの男だっただけであって、自分が踊らされたことは一度もなければ、そうなることを楽しいと思ったことも一度もなかった。だから、あの男の「精力」が自分の生きていく上での楽しい糧となり得なくなった時に、捨てちゃったんじゃないですかね?」と言うわけで。要するに、私はあの男の発する強い精気を食い散らかして楽しんでたってこと?@@ ってなるわけで。「そう、それだから『日常生活の息抜き』のライブなんだ。」と兄さんが笑うわけで。げふう、私ってなんか「毒婦」みたいに聞こえるんですけれども? となるわけで。で、石井の本音が見えたところで、それはそれでもういいやってことで、次はTMNの動画を見たわけです。

なぜかというと、私は昔けっこうTMNが好きで、朋ちゃんの曲が好きだったのは、小室の曲が好きだったから、ということもあるのです。で、見て見ましたら、彼らのライブって、ものすごく禍々しいわけで。どうもね、みんな昔は「なんで、あの子はあんな禍々しいのが好きなんだろう?」って思って心配していたらしいです。
で、今回良く見て見ることにしましたが、TMNって、キーボードの小室と、ボーカルのウツと、ギターの人との3人のグループだったわけですが、なんというか、奇妙なわけです。小室は一心不乱にキーボードを、「叩かなきゃならないから叩く」みたいに叩いてますし、ウツはウツでなんだか怯えているというか、苦しみながら唄っているようにみえるのです。なんだか、二人とも、本当だったら「疲れてもう休みたい」と言いたいような状況なのに、それができなくてただただ酷使されていて、自分でも苦しんでいるのに止められないし、止め方もしらない、みたいな顔をしているのです。なんで、って思う。確かに彼らは味方ではないと思いますが、苦しいなら、嫌ならやめればいいのにって。で、兄さんが「もう一人の顔を見て欲しい」って言うわけで。そちらを見ると、その人だけは平然とした顔をしていて、そしてライブ全体を彼が仕切っている「気」が伝わってくるわけです。要するに、ギターの人一人が落ち着き払っていて、彼がウツと小室を酷使しているように「見える」わけです。そこで兄さんが吠えるわけです。「あの男の宗教はなんだ?」って。あー、それってオーランド・ブルームとかと同じもの? ってことで。要するにあれが、敵の本性であって、味方だからって容赦なんかしてくれない。小室は音楽を作る才能があったかもしれないけれども、そこに目をつけられて酷使されて、酷使されている。そうして、彼はお金は儲けたかもしれない。「時代の寵児」とも呼ばれたかもしれないけれども、結局は見合った以上の力を使い果たして、転落して今でもレコード会社に酷使され続けているんじゃないの? ということで。そっかー、そういうことだったんだーー。ということで。TMNって、ボーカルのウツと、プロデューサー的な小室が有名でしたけれども、実際に牛耳ってたのは、そこだったんだー。それでライブもあんなに禍々しかったんだ、と思ったわけです。

ここで、横からTOKIOの動画と、FIELD OF VIEWの「君がいたから」の動画を見て欲しい、という要請がきたわけです。で、まずTOKIOの方から。そうすると、やはり彼らが昔、何の力にもなれなかったことを済まなく思っていて、それでもいつか「真実を知って欲しい」と思っていたことが分かるのです。で、FIELD OF VIEWの方は、元々「君がいたから」は泉水ちゃんが詞を書いた曲で、本来は彼ら版の方がドラマの主題歌であって、それでドラマの途中から泉水ちゃん版も挿入歌で流れていたな、と思い出したのです。で、ライブで唄われるその曲を見て見ましたら、それはやはり禍々しいライブではあったのですが、唄っている人の目に「この曲は自分達で届けたかった。できることならば。」って書いてある気がするわけです。そして、彼らも唄い続けるしかないから唄ってる。その曲には「この世界で踊り続けるしかないのか」という歌詞が出て来ます。私は確かに、その意味がさっぱり分かってなかったし、不思議な歌詞だと思っていました。だから、兄さんはいいました。「あなたは今までの人生で、『踊らされた』ことがないから、そうされる者の気持ちが分からない。弱肉強食のこの世界では力の弱い者ほど『踊らされる』しかない。自分で止めようとしても止められないその中で、何とかできるだけの力を振り絞って送ろうともがく人の、その苦しみと悲しみを知って欲しい。あなたは力が強すぎて、その気持ちが分からない。今まで普通の女の子だと思っていたから、気がつかなかったけれども。」と言われるわけで、要するにそれは、医学部に入ってしまったが最後、卒業してもそこを抜け出せなくてそこに居続けるしかない人と、何を切り捨ててもそこを蹴ってのけられる人の違いってこと? ってなるわけで。そうすると、兄さんが「あの二人にそんな力があると思うのかね?」って言うわけで。あー、そういうことなんだー、と思うわけですが。そして更に言うわけです。「みんなこうして、敵はともかく、味方も力の強い敵に踊らされて踊らされて生きている。それでも「力」の強い人がなんとか、取引して自分のやりたいことを少しでもできるだけなわけで。だけど、これからはこちらからもやり返さなければならない。敵を踊らせて、踊らせて、自分達がでくの棒であって、彼らのやっている禍々しい祭祀がやってる連中にも無意味だと感じられるほどに、敵を踊らせることができなければ、出雲大社のあの禍々しい力の中には入っていけない。あそこは死の穢れですらも喰い尽くして、自分の力にできるものでなければ仕切れない。」っていうわけで。いや、私は長い間病院で死体をつついて生きてきましたので、確かにそういうことは得意かもしれないんですけれどもさ? って思うわけですが。

で、その後globeのビデオを見たわけですが、これもKEIKOが、すごく苦しそうに唄っていて、小室もキーボードを叩いているだけで、そして3人目、「そっか、この人はフランス人だった」って気が付いたわけで、そっかー、いわゆる「小室ファミリー」ってこういうからくりで成り立っていたんだ、と思ったわけで。

そうすると、どうも朋ちゃんが動画を見て欲しそうな様子なので、いろいろと見たわけです。そして、最後に最近朋ちゃんが小室を従えてテレビで「DEPARTURES」を唄ったビデオを見たわけですが、この曲は本来は朋ちゃんの持ち歌ではないので、本当は朋ちゃんが唄ってはよくないものらしいです。まあ、それはともかく見ていると、なんというか、視線がどうも小室の背中にいってしまって、なんで? って思うわけです。「そっか、あの男も、あなたが長い間小室ファミリーのCDを買い続けた結果、あなたの視線が欲しくて欲しくてたまらなくなって、それでこの仕事を引き受けたんだ。朋ちゃんはあなたのお気に入りの歌姫だから。どこかであなたの目に留まる可能性があるかもしれないと思って。だから、分かった。彼らは敵の先鋒でもあるけれども、個人的にあなたの視線に溺れているから、それが欲しくて欲しくてたまらなくなって、無理しすぎて転落してる。石井にはあなたが、ソロ活動でもファンクラブに入ったから、再度のチャンスが与えられたが、小室の方にはそれがなかった。」

要するに、私と敵と二つの「踊らせる」力が、彼らを翻弄して踊らせた結果、あの二人は転落したと? なんか自分がものすごい毒婦扱いされてる気がするんですけど、気のせい? みたいな。

そうすると、朋ちゃん他が言うわけです。宮司を落とせ。その目力で宮司を落としてしまえば、あそこでやってる祭祀なんて無意味だ!

って。おいおい、それって清浄さの中でないと生きていけない蛙の太母サマにお願いするようなことじゃないよね?@@ って思うわけですが。

どうにもね、出雲大社のあのあたりで、某家から強力な嫁が入り込むのは、結局あのあたりの禍々しさをてこ入れするために行くんだから、旦那の方を私の目力で落としてしまえ。どうせ写真見るだけでいいんだからさ。って言われるわけで。なんか、すっごくえげつないこと言われてる気がするわけですが、それも兄さんをぐだぐだにさせちゃってる私の「力」を買って言ってくれてるんだよねえ? ということで。なんだか、今日は今までの中で最大に失礼なこと言われた気がするわけですが、まあ写真を探してみましょうかね。見るだけならただですからね、ということでーー;。

 

(っていうか、女王卑弥呼が「誰とも会わなかった」っていうのはこの「力」のせいだったんだ? と思うわけですが。みんな(特に男)は、その目力に落ちちゃって大変だったのかね? って思うというか、「2番目のやつはこのこと知ってて黙ってたな」って言う兄さんがいるわけですが@@。)

 

 

<追記>そっか、要するに蛙の人たちはこの「力」のことを知ってたから、どこかに閉じ込めて守ろうとするわけで、それは蛇の人たちには黙ってたわけだ、と思う私がいるわけですが。「そうはいっても時代は様変わりしてるから、蛙の中にもその力を使って戦うべしと思う連中もいるわけだ。流石に卑弥呼の時代じゃないしね。」って、そうすると呟く兄さんがいるわけで。なるほどね、どうも話の流れがなんか変だと思った、と思うわけですがーー;。

情報の共有と参りましょう

時系列でいきますと、まず昨夜のMステは、兄さんと、誰かが言うところの「老害」との男同士の1対1の対決と言うことであったらしいです。要するに、私の再生にあたって、敵に何か借りがあるのであれば、こちらが勝てば今までの私の借り分はチャラにする、敵が勝てばこちらが負ける、ということで。まあ、でも、こちらが勝っても敵は最終的には私のことを狙うでしょうし、こちらが負けた場合には、すぐに私の命が奪われる状況でもないから、防衛の手立てを厚くするしかない、ということで。それでも男同士の面子をかけた1対1の勝負であったわけだ。

最初にテレビのニュースを見ていた時に、イギリスのキャメロン首相が出ていて「家族を失うわけにいかない」と言っていて、その時彼は左目だけをカメラに向けていましたので、あ、これは兄さんに関連することだし、今夜も何かあるな、とは思っていたわけですが。(しかも、番組の冒頭はタモリさんもやや不安そうなお顔でしたし。)

 

で、結果的には観客の気をこちら側に引き込んで、相手にぶつけることができたので、兄さんの勝ちということになったようです。

最初にMステで唄った中山優馬君は、ペガサスがどうの、と言って今後のヒントをくれたわけです。だいたい、私の中で、ペガサスと言えば、「聖闘士星矢」なわけで、これって女神を守るために男同士が戦う漫画ですから、どうもこれから起きることを暗示していたようで。

Mステが終わった後は、私の方にはレポートの提出が求められてますので、私はせっせとそれを書いていたわけです。

その一方、兄さんの方は福山君のtwitterに、さっそく書き込みしていたわけで。(福山君とこのtwitterはスタッフが情報を載せるのに主に使われていますので、ご当人が登場することは超珍しい、というか、ドームツアー以来の出来事なわけですが。)
で、そこには、12月に行われる男性限定のライブは「聖闘士聖夜」で、その次の日の女性限定ライブは「初夜」って書いてあったわけで。兄さん、それって男同士の戦いが済んだ後は、「初夜」ってことですかね? っていうか、勝ったのが嬉しくて、番組が終わったら早速凱歌を挙げてましたね、あなた@@。ということで。

ということで、まだまだ目を鍛えたりとか、やらなきゃならないことはいろいろとあっても、おおまかにはこんな流れになっているのだと思うのですが。

で、この戦いを外から見て、いろいろと評価して下さった方々もいるようで、特に途中で兄さんが崩れないように、とっさに私が兄さんを後ろに引きずり下ろしたことを買って下さった方がいて、テレビを見た後、「太陽のKomachi Angel」の動画を見ていましたら、稲葉さんが、
「戦いにはとっさの判断力も大切だから、その力量があるなら、あなたの力で3人の夫を守って、守って、守り抜いていけ。」
と言って下さいまして、うーむ、遂に私が「守る側」に昇格なんだ?@@ と思ったわけですが。でも、そうしたことで兄さんも崩れなくても済んで、男同士の戦いの面子も守られた、ということらしいです。どうも神サマの世界では、こういうのが正しい良妻賢母だって言われるわけですが。ううむ。

で、夜中にふと目が覚めて、今後のことをいろいろと聞かされたわけですが。まあ、プライベートのことは割愛しますけれども、ここまで来た以上、誰もが望むのは、みながあるべき姿に戻ることだ、と。要するに、みなそれぞれに本拠地とする神社があるわけで、そこに彼らが結縁してそれぞれの魂の一部を納めることが、正しいあり方なわけですけれども、昨今ではそういう重要な拠点には、敵の禍々しい祭祀が溢れていて、下手に接触すると、観客の邪悪な気に飲み込まれてしまったASKAさんのように、敵の気に飲み込まれてしまいますから、うかつには近づけないということのようです。でも、私は蓋を開けてみたら以外と底なしの大蛇だったんで、要するにこの力があれば、夫達の後見をして、彼らの魂をあるべき場所に納め、その力を正しく維持していくことができるであろう、と、今後はそれを期待されているらしいです。

具体的にいえば、一番目の子は西宮神社、そして兄さんは諏訪大社本宮に詣でなければならない、ということらしいです。そして、神の魂が無いあの場所に魂を納めなければならないわけだ。一番伝統のある勢力である羌族の末裔の本体は今も飛鳥にあってそれなりの力を持っていますから、西宮神社へのお参りは彼らの悲願、太陽女神と月の男神の婚姻の成就、といえます。

で、兄さんが正しい諏訪神となるということは、神家党の正しい復興を意味するわけで、これも神家党の悲願であると。それに兄さんの婚姻は、ヨーロッパの人たちにとっては、伝統的な父なる神と太母の婚姻ということになりますし、中国の人たちにとっては黄河の男神と、長江の女神の神婚ということで、どちらもあるべきであった正しいヨーロッパの姿、正しい大中国の姿の復興の象徴と言うことになります。
そして、兄さんは更に、最終的に私が住むことになるであろう北信濃の小さな諏訪神社群に結縁して、私の守護の力にしたいわけだ。

 

そして、一番の大事業が、2番目の子のことで、彼の関東における座所は、大宮の氷川大社、そして真の本拠地は出雲大社ですから、氷川大社はともかくとして、出雲大社に正しくその魂を納めるのは、なまなかなことではできない、と。あそこは、一番最初に敵に落とされて、2000年近くの間、呪いの祭祀をかけられ続けてきて、一番禍々しい場所となっているからです。でも、結局それは力ある者が納めれば、どんな禍々しいライブでもステージの上の人が観客に巻き込まれずに場を取り仕切れるように、取り仕切れていけるものだから、そうして欲しい。ドリカムのライブを見たでしょう。「DREAMS COME TRUE」という名前の意味は、あそこを再び正しく取り戻したいという出雲神族の悲願が込められています。出雲神族の起源が、北イスラエル王国にまで遡るものであれば、それを成し遂げることは、偽物の青い六芒星のイスラエルの復興ではなく、正しいイスラエルの復興をも意味しており、それはローマに蹂躙されて滅ぼされ、世界中に散ってしまったユダヤ民族の悲願でもあるからです。
だから、ナチスのユダヤ人迫害、そしてそれ以前からのヨーロッパにおけるユダヤ人の迫害は、たった一つのことしか意味していない。それはあの場所を取り戻すための祈りと願いの力を、外から奪っていくためです。いきなり日本に攻め込んで関係者全員を殺すことは難しくても、ヨーロッパに離散して、身近に住んでいるユダヤ人を捕まえて殺すことはたやすいからだ。そうやって、外堀から埋めて、最終的にはこちらまで滅ぼそうという、それが敵のやり方なのだ、と。だから、稲葉さん的にいえば、「やり返せる分があれば、やり返して、こちらの取り分を取り戻せ。」ということになるのだと思います。
我が家にあるB’zの曲の中に「HOME」という曲があって、それはいかにも言葉で話すことが苦手だった人のことを思わせる歌で、確かに私はこの曲を聴く度に彼のことを思い出していました。きっと稲葉さんは、私が彼のことを絶対に忘れないように、この曲を送り続けて下さったんだと思います。そしてこれらのことをして下さったことに対して、稲葉さんが私に言ってくださったことはただ一つ。
「『神』というものは力が強ければ強いほど、期待されることも多くて、大変ですけれども、あなたならできます。私はかつてあった、出雲と吉備の大同盟を復活させ、そうしてこの国を外敵から守っていたその力を取り戻したいのです。」
と。

 

それから、CHAGE and ASKAのお二人は、ASKAさんのお名前の通り、飛鳥からのお使者を務めるためのお名前でもあったと思うのです。でも、彼に無理をさせすぎてしまって、今のようになってしまったことについては、太田田井の一族全てが申し訳なく思っているのだと思う。今夜目がさめた時にかかっていた曲が「SAY YES」でしたので、きっとそれが彼らの思いなのだと思うのです。

 

それから、結婚の保証人にはたぶん、アモールとクピードーの二人がなるつもりなのではないか、と思うわけですが。どうもこの二人がやるつもりなのは、それだけじゃない気がして、それがどうにも、お目付役が言っていた「まともじゃない性癖」と相まって非常に気になるわけですが(汗)。まあ、話は一つ一つ詰めていかないとなりませんので、現状ではあまりなことは何も言えませんが。でも、勝負が終わったら、早速「初夜」ネタですか。そういう、絶対に無駄なことはしない、スパルタ式速攻が大好きな兄さんの性格そのものは嫌いではないのですけれどもね、と思うわけですが。

 

 

<追記>ネットニュースを見ていたら、福山君のことを「引きの強い色男」とか書いてあったのですが。確かに「引きは強い」ですよね。首筋にかかる視線を気にしすぎる色男ですけれどもね(苦笑)。