アナと雪の女王対決

ええと、昨夜は、とあるファイルをDVDに焼いて、テレビで親にも見せてみたわけですが、けっこうそれなりに好感度はあったようで、「健康的な人に見える」とか言って貰ったものですから、兄さん的には大喜び、お目付役からは「お母さんには一番目の子のことだけ考えてればいいって、言って下さい。」って言われるわけで、そんなこと自分で言えば? 届けるだけの力があると思うならさ、と思うわけですがーー;。どうもね、兄さん的には一番目と二番目の子は卒業写真で見て貰えてるのに、自分はあんまりちゃんと見て貰えるものがなくて、平等じゃないと思ったらしいです。まあ、あれはね、お仕事用の顔で、普遍的にファン獲得用の顔で、そこそこに「こっちに来い」っていう目力を使ってる顔ですから、よほどの敵意を持つ人で無ければ、そこそこの好感度は獲得できるお顔かな、と思うわけですが。あまり、耳に入れてまずい部分は唄っていませんが、「HELLO」は駄目、「虹」は微妙(基本的には駄目)、「Beautiful life」だけ良い曲、とそんな感じなのだと思う。(というか、「Beautiful life」はもろ兄さんのお歌ですからね。)

どうもね、うちの親は「伝統的な母系社会の秩序」ってものが良く分かっていないので、私も確認のために書きますが、東アジアから中近東まで含むような広い地域での「伝統的な母系の文化」というのは、西へ行くほど、蛇の母系社会と蛙の母系社会の文化が習合して、蛇でも蛙でも太母となれる文化となっているわけです。で、東アジアの羌族の文化に近づくほど、純粋な蛙の母系社会に近づくわけです。で、そこでの「伝統的一妻多夫」の秩序というのは、第一夫は同族から選ぶべし、というものなわけです。要するに一族の「財産維持」をも兼ねた結婚なわけ。そして、子供という者が母親に属する者である以上、第一夫に選ばれるということは「妻から生まれた全ての子供の父親になる」ということで、それを権利と考えるのか、義務と考えるのかは人それぞれとして、要するにそうする決意と自覚がある者こそが「第一夫」として選ばれるのであって、それに選ばれる男性としての誇りもその点にあるわけで。
そういう仕組みの中での、第二夫以下の立場というのは、要は「種馬」ということで、彼は生まれてくる子供に対して何の権利もないのである。しかも、アジア的には要するにそういう強い遺伝子を維持するための「種馬」的役割は、「通りすがりの旅人」の求める傾向が強く、中央アジアの少数民族なんかは、旅人に一夜の宿を提供する代わりに、子種を求めることで、遺伝子の弱体化を防いできたという伝統がある。だから、伝統的な文化を重んじる蛙さんたちは、同族の2番目の子はともかくとして、要するに同族で無い兄さんには、「旅人的な種馬」としての期待しかしていないし、私が兄さんのことを嫌うようであれば、やることだけやらせて、あとは一生合わせなければ良い、とか画策していたわけで、だいたい今になって、「そいつとそんなにウマが合うとは誰も思わなかった。」ってぶつぶつ言われましてもですねえ、そんなこと私の知ったことではないわけでーー;。だいたい、変な縁談を画策するわりには計画性がなさ過ぎるのも、そもそも問題だと思わずにはいられないわけですが(苦笑)。
要するに、兄さんは「遺伝子的な父親」になることはできても、「父親」になることは許されていないわけで、そこに彼の悩みも苦悩も集中するわけで。
どうもね、昨夜母親が「男女が逆転していて、男一人に、女三人なら良かったのに。」とか言ったので、善良な人々は「それは敵の文化なのに。守って貰ってるって分かったのに、なんで敵を褒めるような言霊を使うのか。」ってびっくりして、私にぶつぶつ言ってくるわけで。まあ、私もこちら側の考えに大分慣れてきましたので、親が超意外なことを言ってびっくりしましたが、まあ、でも我が家は「気」で話すことができなくて、思ったことをそのまま言葉で話すことになれすぎていて、そして敵の文化に染まっていすぎていて、「味方のために言うべきこと」と「言うべきで無いこと」の区別がどうしてもつかない傾向があるので。まあ、私がそんなことに振り回されなければ良いのではないの? と思うわけですが。要するに、そうやって一人の男が大勢の女を「侍らせるような文化」こそが、女性を尊重していない「敵の文化」そのものだと味方はみんな考えているのに、それに反対するようなことは言って欲しくない、とみなさんお思いのようで。

どうもね、兄さんの「HELLO」とか聴いていると、まあよろしくない曲だとは思うのですが、女性に関して「誰にも負けたくない」っていう歌詞は、本音でしょ? と思うわけで。で、兄さんにとって、今の状況で「勝つ」というのはどういうことなのかな、とふと思いながら寝たわけです。
そうしましたら、朝方「様々な手練手管を使って、自分にしか与えられない快楽を教え込んで、他の男と寝ても、自分のことしか考えられないほどにしておけば、どんなに性格的に自分のことを嫌っても、忘れられない快楽のために彼女は自分と会いたいと思うだろう。女心とは快楽についてくるものだから。」って、朝っぱらから、なんか官能小説にでも出て来そうなこと言っている人がいるわけで、「あんたにとって『負けたくない』っていうのはそういうことですか?」とか「そういうことを自分の中で確信を持って言えるまでになるには、どんだけの経験を積んだんですかね、あんたは?」とか言いたくなる私の一方で、「あんた、そんなこと考えて遊び回ってたんですか?」って思わず言っちゃうお目付役がいるわけでーー;。どうにもね、関係者一同、開いた口が塞がらないような感じだったようで。

流石に、こういう展開には私もぐうの音が出ないというか、私もそういう点ではけっこう真面目に生きてきた気がしますのでね。経験に基づく手練手管で私が兄さんに勝てるわけないでしょうが? と思ってげんなりしてしまうわけで。兄さんは「あなたには心配かけない。」って言ってくれても、「あなたは他の人には心配かけるでしょうが?ーー;」ってなるわけで。そうやってげんなりしていましたら、1番目の子がやってきて、「毒蛇が何を企んでも自分は気にしないから。」と言ってくれるわけで。まあ、誰も「私には」優しい旦那様であろうとはしてくれているみたいなのですけれどもねえ、と思うわけですが。兄さんがそういう点にまで必死になってしまうほど、彼を「伝統」に乗っ取って排除しようとする方も悪いのだとは思うのですけれどもね。その一方でバランスを崩すほどの独占欲を示されても困るわけで、実技的に私にそんなバランスを取れるわけないでしょうが。だったら、若い頃にそっち方面でもっと私を遊ばせて、兄さんの手練手管に対抗できるだけの経験を積ませておけば良かったでしょうが、って思うわけです(苦笑)。いいのじゃないですかねえ、そういう時がもし来れば、同じ家に住んで、子育てに参加して貰うくらいはして貰っても、って思うわけで。(って、こう言うだけで嫌そうにしている蛙さん達がいっぱいいるわけでーー;。)音楽と子守の神ベスでもある兄さんなら、子守も上手なのではないですかねえ、特に子供が小さいうちは、いくら手があっても困ることはないわけですし、ってそういう現実的なことしか言えないわけですが。

で、今日もいくつか動画を見たわけですが、まずはコブクロのお二人。お二人は、やはり目の力はそれほどでもないのかな、と思うのですが、ゆずのお二人と同じで、歌に気を込める力がお強いと思います。「陽だまりの道」は2番目の子のお歌だと思います。「今咲き誇る花たちよ」は兄さんの歌だと思う。

で、その次はいきものがかり。ボーカルの吉岡聖恵ちゃんは、すごく力強い目力の持ち主で、心技体のバランスもしっかり取れていて、歌い方も稲葉さんと同じように、相手の心の中に言葉を押し込んでくるような力強さがあって、彼女もまた「神」と呼ばれる人の一人なのだと思います。Mステでいろんな人と勝負しましたけれども、本当に怖い「目」だと感じたのは彼女だけです。兄さんとの勝負の時は、いろんな人が来すぎて気持ち悪くなっちゃいましたのでねーー;。しかも、兄さんからもあれしろ、これしろって言われて、「この人ってこういうことできるんだ?@@」ってこちらも愕然としている状態だったわけですから。

 

それからRihwaちゃんの「春風」。季節の循環と秩序と豊穣を大切にする彼女の曲は一番目の子の曲だと思います。そうしていましたら、一瞬ですけれども一番目の子が普段の彼らしからぬ、ものすごいきつい目で兄さんを睨んでいるのが分かるわけで。まあねえ、一番目の子とて、ただ役目だと思って自分の立場を受け入れているわけではなくて、彼なりに大切に守りたいものに対する信念があって、季節の循環と秩序と豊穣を大切にする彼から見れば、スタンドプレーの繰り返しで、自分の「取り分」を少しでも増やそうとする兄さんは嫌悪の対象ですし、軍神である兄さんから見れば、それは当たり前のこと、ということで、あなた達は根本的に気が合うわけないのですな。だったら、「仲良くするのは表向きだけ」って言って、そうしてくれてれば、それはそれで一つのバランスの取り方だと思うわけですが。下手に「仲良くしよう」なんて気を遣わない方が、どっちも気楽なんじゃないのか、と思うわけで。まあ、それはともかくとして、一番目の子の目の力も上がってきているように思うわけです。だって、今まで彼の視線を感じるということはほとんどありませんでしたから。

そこで、ふと堂本光一君から勝負の依頼があったようで。彼が神田沙也加ちゃんとデュエットした「扉を開けて」を見て、勝負して欲しい、ということで見て見ました。要するに、これは私と兄さんに対して、「そんなに互いに気が合うなら、二人で何もかも投げ捨てて逃げればいい。」みたいにそそのかす歌なわけだ。「でも、彼は、何を企んでいたとしても、自分が背負っているもの、自分が守るべきものを投げ出すような人ではないでしょ。」と光一君は言ってくれてるわけで、あー、兄さんのことを取りなしてくれてるんだな、と分かるわけです。

その後はアナ雪つながりで、アナ雪の動画とか、MayJの動画とか見たわけで。アナ雪のアニメそのものは、見ただけで禍々しいですし、雪の結晶をモチーフにした六角形があちこちで出てくるわけですから、よろしくないものなわけで、特に一番目の子には耐えがたいものだったはずで。そこで、兄さんが「目の力が上がったのなら、これを見据えてみろ。いくら豊穣が大切といったって、守ることができなければ、意味がないだろうが。」というわけで。こういうものは鈍感な私はそこそこ平気ですし、兄さんもそれなりに耐えうるものなわけで。てことで、結構頑張ってみてくれたようではあるのですが。まあ、いずれにしても良くないものですので、見ればそれだけ、ということで。

で、その後は羽生君から「花は咲く」を見て欲しい、ということで、見ましたら、これは2番目の子のお歌のようです。羽生君は、ソチのショートプログラムで良い縁起ができた時には、ご挨拶に来てくれましたし、丁度テレビのニュースで流れている時間に、「こっち、こっち」って引っ張っていって演技を見せてくれましたし、丁度NHKで「花は咲く」が流れている時に、テレビをつけさせてくれたり、そういう形で「伝える力」は、兄さんに似ていて強いと思います。

で、今日はこんなところかな、ということで。で、どうも昨夜寝る前に、お目付役から『すみませんねえ、こんなに努力したのに、結果的には石井から取り戻す役に全然立たなくってねえ』っていう部分は、まさに兄さんのどMのツボをついていますよ、と言われたわけですが、私はそのまま寝てしまったわけで。で、兄さんは兄さんで朝まで引きずってしまって、いろんなことを言ってしまったわけで。

要するに「HEAVEN」のPVというのは、よろしくないもので、敵からすれば「二人の仲を裂く材料」となるはずのものだったはずなのですが、私がそれを使って兄さんを尋問するような真似を初めて、しかも兄さんは本音がぼろぼろと出ちゃってましたので、世界中がそれを見て愕然としたらしいです。敵ですら、「いったい何のためにあのPVを用意したんだか?」と思って虚無感に襲われたらしいーー;。しかも、二人とも全然気にせず、また目の力の使い方のお勉強とかしてるわけですからね。いいじゃないですか、私ってこういう性格なんじゃないのですかねえ? ってそう言うしかないわけですが。(兄さんは「Beautiful life」を引っ張ってきて、「傷ついても許そうとするその心」とか言ってくれるわけですしねえ。そういう優しいところが好きなわけですな。しかも、一番目の子は兄さんの本音にむかっ腹をたてたようで、気合いを入れて自分の曲を送ってくれますしね。「この状況で2番目の子は何を考えているのかしら?」と思ったら、お目付役から「○○先生は、あんた達と違って真面目な人なんです!」って本気で雷が落ちたわけですがーー;。というか、彼はただただ私のこういう気性にびっくりしていて、しかもネット上に自分の写真が出回っていないので、私の目の力の標的にならずに済んで良かったと、思っていそうです。兄さんとかは立場上、逃げられませんからね 苦笑。しかも、兄さんは今のところ「生きてる生きてく」がかかっただけで大喜びしちゃうような状態ですし。)

お出かけ日和

今日は、某病院へ行かなければならなかったわけで、行ったわけです。で、待合室で待っていますと、周りに人がどんどん集まってきて、非常に攻撃的な気を出されている気がするわけで、どんどん疲れてきてしまうわけです。そういえば、昔、大学に入って1年目に、学校に行って授業を受けて帰ってくるだけで、疲れて、疲れて、疲れ果てていてしまった時期があって、そっかー、あの時もすごく疲れて、しまいには体調を崩してしまったけれども、大学1年の時は、一人目の子も、二人目の子もまだ身近にいなかったわけで、結局学校に行ってるだけで、攻撃的な気を浴びて、疲れ果ててしまっていたんだ、と気が付いたわけです。で、それはともかくとして、私が疲れ果ててしまうのもまずいということで、防衛にサポートを増やして頂いて、で、私の右目の前に、兄さんの右目が膜のように被さってくるように感じたわけです。それで、気が付いたのですが、どうも私の目は、普段に生活している分には「丸い蛙の目」であることが多いようです。でも、腹を立てたり、攻撃的な目の力を使うときには「蛇の目」に変わるようで。だから、その結果が敵にもたらす作用を見る時には「蛙の目」で見てるので、「蛙の目」で見ると自分でも気持ちの悪いような蛇女が見えるようです。うーむ、不思議だーー;。でも、兄さんは冷静な時でも「蛇の目」のようで、それも分かるわけで、あー、兄さんて真性の「蛇の人」なんだー、と思ったわけですが。

で、それで体調を整えて、診察に挑んだわけで、診察室に入ってしまえば、もー毎度のこといろんな人がしゃべりまくるわけで(苦笑)。まずね、兄さんがね、ドクターの背中を見ろ、というわけで、そこに視線を集中させるとですねえ、ドクターの顔が紅潮してきて、目も潤んでくるわけです。で、最初は手とかに力を込めて抵抗しているのが感じられるのですが、途中からは要するに「落ちて」しまっていた、と。うーむ、実地でこういう結果を目の辺りにしますと、「目の力ってこういうものなんだー。」とは思うわけですけれどもね。家での練習だけだと、今一結果が良く分からないものですから。(「いきなり敵の親玉を練習台に使ったりしないでしょ、普通。」とお目付役が呟くわけですが。どうもね、兄さんは暴走男だし、私は暴発娘ということで、お目付役は「自分は常識的なことを進言する役割を全うするつもり」とか思っているらしいです。まあ、ありがたいことですし、うれしいことだとは思いますけれどもねーー;。)

でもって、今日のポイントは、

1.ドクターを以前の最悪なものに戻さない
2.必要もないのにおかしな侵襲的検査はさせない

というあたりにあったようで。(あとは、それから「カリウムの値を見といて」って言われたので見て見ましたが、正常の範囲に収まっていて、食事療法の成果が出ていたようですので、1番目の子もちょっと安心したようで。)それから、聴診している時にまで、兄さんが「見よう」とするので、「それは視線を外してやれよ。潰すんじゃないんだからさ。」とか「院長を潰してどうする。」とかあちこちから言われたわけで(苦笑)。

で、ドクターが腱反射の検査とかをもったいぶってしているのを見てですねえ、

「あんなもんで『診察して貰った』って思わせるなんて、医者っていい商売だよなあ。」って怒鳴る人とか、「学生実習じゃないんだから。」とか、苦笑いする人とかいたわけで。そういう合間に、窓際の本棚をふと見ましたら、なんとそこに「臨床検査法提要」が置いてありまして。これは、学生時代に某検査室の教科書だった本で、教科書って言ったって医学書でもあるわけですから、病院にあってもおかしくないといえばおかしくないわけですが、内科の診察室にあるような本でもないわけで。「これは、某検査室のことを思い出して、帰ってこいっていう暗示ね??」と思ったものですから、「今更なによ、あのストーカーじじい!」ってことで、むかっとして腹を立てましたら、兄さんは「怒ってる、怒ってる。」と言って喜んでますし、お目付役からは「あんたがここで怒ってどうするんですか。」って言われてしまったわけです。要するに、こういうことも含めて、いろんなことを後戻りしないように導ききることが、1番目の子に課された「男同士の勝負」であたらしいです。

ということで、待合室がたいへんな時ほど、中に入ってしまえば簡単、ということで家に帰ってきたわけです。サポーターの方々にも家に着くまでつきあって頂いて、本当にありがとうございました<(_ _)>。(ていうか、ドクターのあの紅潮した顔と潤んだ目は、自分でもびっくりというかーー;。兄さんなんかは、うまく話が進めば、そのうちに私の目にあったサングラスを作らないと、周りがタイヘンとか思っているようですが。)

 

 

病院についた時にはKAT-TUNの「In Fact」、診察室に入るときには麻衣ちゃんの「STAND BY YOU」がかかっていました。記憶力の確認のため、書いておきます。

今夜あったこと

どうもね、私が敵に対して、徹底的に激しい怒りと憎しみを持っていると、誰もが気が付いたので、敵も味方もその理由をしりたがったらしいです。

 

だって、敵はなにがしかの行為に対して、時には「人の命」も代償に取るわけでしょ。私は、誰かが私の身代わりに命を差し出して欲しくなんかないし、人の命は一人一人にあるもので、生きていること、生きていくことこそが何よりも大切なことで、そこに「境界」なんかはないはずだ。どんな立場であっても、生きていることこそが大切なのだから、「代償」だのと言って、命をもてあそぶようなことをすることこそが、生と死の繰り返しの営みを司る「太母」の仕事への冒涜だと思うだけです。

 

だから、私に関することでそんなことをする者は、私に対しての冒涜であり、そのことを私が絶対に許すはずもない。誰でも知っていると思いますけれども、私の中の何かが凍てついて、どんな冷酷になっても、必ず正体を暴いて、人の命をもてあそぶような真似をしたことを後悔もさせてやるし、必ず止めてやるって決心した出来事は、ZARDの坂井泉水ちゃんの死だ。彼女の死は、最初から私に関係あるとは思っていた。なぜなら、私がある場所へ行ったその日に彼女は亡くなったのだから。そして、彼女の最後の祈りと願いは、遠く遠くかすかにこだまのように私のところに届いたのだと思う。それに対して、私が応えることはなかったけれども、きっと兄さんは非常にものすごく怒ったであろうと思うし、きっと私もそれはどこかで感じていたであろうと思うし、私自身も「こんなことは絶対に許さないし、止めてみせる」と思ってた。いったい、あの裁判は何のために起こしたのですかねえ? というしかない。あんな風に、人の命をもてあそぶような真似を止めさせるためだ。そのことは、途中で頓挫していて、ずっと他のことに専念してた気がするわけですが、今日兄さんからいろいろな情報を吐き出させて、すっかり思い出した気がしますのでね。

 

神々の世界の「代償」の話なんか知らないね。だけども、私が「生と死の太母」であるならば、そんな風に人の人生を弄ぶものこそが、私の役割に干渉してくる敵であり、その出過ぎた行為に報復できるだけしてやりたい、と、それだけのことですともさ。「境界」なんてものは、あっても無くても、知ったことではありませんな。

ふと考えたこと

要するに神サマの世界には「見合うこと」「見合わないこと」とあることのようですが、例えばこの私が「生の豊穣の太母」だとすれば、それを損なうようなこと、例えば地震に乗じて、原子力発電所を爆発させようとすることは、「私の取り分を冒すこと」に他ならないのだから、それこそが「僭越な行為」であり、私がそれを止めようとしたことこそが「当然の私の取り分」なのだから、それに対して敵がどうのこうのと言うことそのものも「僭越な行為」であり、こうした「僭越な行為」の連続が相手に「貸しを作る」ということなのであれば、この私がその「貸し」を取り立てて、何が悪いのか? ってそう考えただけなわけですが。だいたい「全て」が私に属するものなのであれば、どんなビデオだのアニメだのを見ようとも、それを「勝負」だのなんだのと言うことそのものが、「僭越だ」と思うだけです。今のところはね。

さて

昨夜は、最後に羽生結弦君の2012年と2014年の世界選手権の「ロミオとジュリエット」を見て欲しい、ということで見て見ました。どちらも羽生君は白黒の衣装を着ていますし、ロミオとジュリエットというのは、「敵同士」の家柄なのに、互いに好きになってしまう二人の物語と言うことで、蛇の兄さんと、蛙の私のことを意識して演じてくれたもののようです。白黒の衣装は兄さんの象徴ですし。
本来は、氷上のスポーツなんて、我が家には良くないものですし、勝負事もよろしくないものです。だから、それは「見てはならない」ものなわけですけれども、結局いろいろと「敵の取り分」と「味方の取り分」という風に線引きされている今の世界では、「敵の取り分」とされているものの中にも「良いもの」はあるのだから、境界を破壊して、それを「自分の取り分として再生できること」が「破壊と再生の神の力」だと考えられているらしいです。要するに彼はそのことを私に教えようとしてくれているし、私たちならいつかはそうできると信じて、フィギュアスケートの世界に身を置いているわけだ。そして、父権社会のヨーロッパでは、太父としての兄さんにそのような力を期待しているようです。要するに現状でいえば、羽生君の「ロミオとジュリエット」は味方のものだから取って欲しいし、「オペラ座の怪人」はどうみても敵の取り分だから、取って欲しくないもので、その区別がつくようになって欲しいということなのだと思います。フィギュアスケートだから、全て駄目っていうふうにはしないで。

で、その間にも蛙の人たちが、「女神よ、あなたはあまりにもおっかないから、我々は永遠にあなたのことは忘れません。」とか言ってくるわけで、何というか、正直で真面目な蛙さん達からは、いつも心底うれしくなるようなお褒めの言葉を頂けて嬉しいですよ? 本当に? という気持ちになるのですがーー;。お目付役からは「あなたがあの男よりも冷酷になってどうすんですか?」とか言われるわけで。もー、じゃー、どーしろと?(苦笑)と思うわけですが。

そして、寝ようとしていると、兄さんが「夫婦って言ったって、現実には自分は表向き一生独身なんだし、二人が夫婦だったっていう証も残すことは許されないし、覚悟していたし、分かっていたつもりだったけれども、ただただ悲しい。」って泣いているものですから、「あー、兄さんも普通の男の人の幸せを全部諦めなければならなくて可愛そうだな。」と思って、ちょっとほろっとしましたら、お目付役が「冷酷なあなたならその男に流されたりしませんよね。」とか言うわけで。私が冷酷な理由の一つには、どうにも有能なお目付役の存在がある気がするんですけれどもねえ? って本気で思うわけですがーー;。

で、朝方耳元で「生きてる生きてく」って囁かれて目が覚めましたら、丁度「生きてる生きてく」がかかりまして、で、そのあとにゆずバージョンの「守ってあげたい」とJUJU姐さんバージョンの「守ってあげたい」がかかりまして。そっかー、ゆずバージョンは、二人からで、JUJU姐さんバージョンは兄さんからのお歌なんだ-、と思ったのですが。「生きてる生きてく」はストレートに「君と子孫(遺伝子)を残したいんだ」っていう歌ですからねえ。確かに、この曲を最初にMステで聴いたときは、「独身のはずのこの人も誰かと遺伝子を残したくなったのかしら?」とはちらっと思った気はするわけですが、さすがにこういう展開になるとはねえ、ということで。しばらくは、この曲を兄さんは一生懸命プッシュしてくれるんじゃないのかな、と思いますが。確か、誕生日に見た夢で、1番目の子から結婚指輪を貰ったら、次の瞬間、福山君と新婚生活を送っている夢を見て、「何故@@」と思ったことがありましたが、その頃からそうするって決めてたんですね、兄さん? って思うわけで。
で、起きた後、気が付いたのですが、どうも関係者はみな「目の力」が強くなってきているようで、兄さんとか一番目の子もそうなっているらしいです。で、誰かさんは強くなった自分の気をもてあまして、どうもどこか遠くで「気」で咆哮を上げていたようで、それは何となく感じたのですが、そうすると「朝からうるさい」とか「黙れ」とか「静かにしろ」とかいう呟きが私の方に回ってくるんですけど?@@ みたいな。

で、その後は、勝負というよりは、いろいろお勉強させて頂くために、いろいろと動画を見ていました。B’zのお二人の動画を見ていると、稲葉さんは周囲を圧倒するような気を発しているわけですが、でもそれでいてご本人にはまだ力のほとんどを使っていないような余裕を感じるわけで。「それで稲葉さんは、こちらの視線が届いても平気なんだ。」と兄さんが呟くわけで、強い力を持ちつつ、人間性も安定して優れている稲葉さんは、兄さんの憧れの方であるらしいです。

で、その後、まずはKinki-Kidsのお二人から見たわけです。お二人は、二人だけの時には、剛君の方が「歌を送る方」で、光一君の方が「守る方」なのだと思います。守っている時の光一君は、歌詞の一言一言に、周囲を圧倒するような気を放っている気がします。で、光一君の方が力も強いと思います。でも、バックにJrとかがいるときには、光一君も「送る方」に回っているわけで、そっかー、Jrとかのバックダンサーの意味は「守るため」にあるんだ、と分かったわけです。そうすると、歌を送る側はそれに専念できるからです。

そしてその後は少年隊の「君だけに」を見て欲しい、ということで見たわけですが、みなさん、白黒っぽい衣装を着てらっしゃって、「あー、これ兄さんのお歌だな。」と思ったわけです。1987年の歌ですから、まだみんな高校生の頃の歌ですねえ、今の兄さんからはなんだか想像がつかないくらい純情な歌だな、と思ったわけですが。少年隊は、今でも第一線で活躍してらっしゃる東山さんの力が安定して優れていると思います。だいたい、週刊誌のインタビューとか読んでも、意志強固な方らしいですし、気の力も意思の力も優れた方なのだと思います。(「そうです、東山さんは我々の憧れの先輩です。」っていう声があちこちから聞こえてくるわけで。)

その後はTHE ALFEE。おそらく「星空のディスタンス」は2番目の子の歌? という気もしないではありませんが、3人の中で一番力が安定しているのが桜井さん、で、次は高見沢さんだと思うのですが、高見沢さんは目の力はそれほどでもないように思われます。目力だけだと坂崎さんの方が上に感じる。だから全体でいうと、桜井さん>高見沢さん>坂崎さんという力関係だと思うのですが、「目」に関しては坂崎さん>高見沢さんなのかな、と。でも、きっとお三方がおっしゃりたいのは、誰が力が上とかそういうことではなくて、お三方がずっと仲良しでTHE ALFEEをやって来られたように、こちらの男の子3人にも力を併せて仲良くやっていって欲しい、ということなのだと思うのですが、なにせ兄さんは「仲良くするのは表向きだけ。」っていう人ですのでねーー;。どこかで、会うことがあったら「気」で蹴飛ばしてやって下されば、それが一番の薬になると思うのですが(って書くと蛙の人たちが「全くその通り」って言うわけですがーー;)。でも、基本的にはなんとなく、皆さんは一番真面目な子を可愛がって下さっているような気がなんとなくするのですが。彼の真面目で優しい性格は同性の年上の方々から可愛がって頂いているように思います。(まあ、兄さんとかはあんまり可愛げのある性格には思えませんからねえ 苦笑。)

その後は、昔懐かしい「女性アイドル」というものをいくつか見て見ようということで見たのですが、たぶんお味方なのは、有名な中では小泉今日子さんくらいなんだと思います。で、小泉さんでもいつも良い曲を唄われていたとは限らないわけで、私がいろんな曲を聴いていた大学時代は、本当に暗い気持ちになるようなよろしくない歌ばっかり身の周りにあったんだな、と思うわけです。
で、敵の側の「アイドル」というものをいくつか見て見ると、なんというか大きく分けて2種類に分かれるように思われるわけです。一つは、要するに女性アイドルだとファンは主に男性と言うことになりますので、客席とかから放たれる男性の気みたいなものを受けるのが楽しくてたまらなくて、やっているタイプです。そういう人たちの目は、客席から寄せられる気だけで満足しているのか、それとも現実でもつきあう男性の気を喰うのが好きなのかという違いはありますが、そういうことが楽しくてたまらないのだという気がします。おそらく、現実でもつきあった男性の気を食いちらかして、飽きたら捨てて別の男に乗り換えて、そしてそういう能力がある自分自身の生き方も楽しくてたまらない、ってそういう目をしている人もいる気がする。なんというか、それこそ夫を食い散らかして、飽きたら捨てて地獄に突き落とし、別の男に乗り換えるイナンナ女神の性欲を象徴するようなタイプというか。(「『芸能人の夫を食い散らかして捨てて、他の男に乗り換えろ』みたいなことを示して、暗に煽るようなことをやってるような例もありますよねえ?」と兄さんが言うわけで、「あー、それってミ○○ンのこと?? まあ、でも私自身に『芸能人の夫』がいるって気が付く前にそんなことされましてもねえ??」と思うわけですがーー;。)

で、もうちょっと性質の違うのが、何というか男性と同じで、自分の目の力を知っていて、それを目的を持って利用できるタイプな気がします。そういう人たちが果たそうとするのは、男性の心を操ることだけではないわけですから、場合によっては女性も対象になり得るわけで。で、昔、明菜派とか聖子派とかあったなーと思って、この2人を見てみたのですが、明菜ちゃんとかはこういうタイプなんではないかと思います。いやな感じでも「目の力」はけっこう強い感じです。きっと私が彼女の曲を好きだったのも、その「力の強さ」に惹かれたからだと思う。でも、年が進むにつれて、ライブでの彼女の目の中には、次第に怯えているような陰が目立つようになってきているように思われますので、現況を見れば、明菜ちゃんも「力を使いすぎてしまった」傾向が強いのではないかと思う。
で、一方の聖子ちゃんは、あまり力は強くない感じに思われます。特に年をとってからは、年齢相当の図太さみたいなものが出てる気がしますが、若い頃から時々、目にちらちらと「不安の陰」みたいなものが出てる気がします。でも、彼女の優れているところは、そういう「無理をし過ぎていて出る不安感」が出ると、ふっと力を抜いているのが分かるわけで、そういう不安感が目に出てしまっても止められないで走り続けることしかできない人たちに比べれば、バランスをとって力を使うことに長けており、それが彼女の長続きしている秘訣なのだと思います。まあ、でも「力」そのものを愛でる傾向が強い私は明菜ちゃん派だったわけだ。(しかも、あの鼻声がどうにも好きになれなくてですねえ? みたいなーー;)

で、一番すごいと思ったのは森高千里でしょうか。昔ね、2番目の子とつきあっていた頃に、彼が「森高は嫌い」って言ったことがあって、私の方は何も知らないので「そういう人の悪口を簡単に言うみたいなのはどうなんだろう。」って内心思っていたわけですが、でも今森高の若かりし頃の「私がオバさんになっても」とか聴くとですねえ、明菜ちゃんみたいな目的意識を持って使っている目力で「絶対あいつをあそこから引き出してやる」って言っているわけで。他のアイドルは目的はどうであれ、その力はお客とか、見ている人全員とか、割と普遍的に使う傾向が強いわけですが、彼女は明確に標的を知っていて、それを意識して力を使っていたわけで。「あいつって誰? っていうか、その「あいつ」って私のことにしか見えないんですけれども。そっかー、それで2番目の子はそのことを警告しようとしてたわけだ@@。」と分かったわけですが。でも、私はどうにも「鼻声」って受け付けないタイプでしてねえーー;。もうあの頃から、私は明確に「標的」にされていたわけだ。

それから、小泉今日子さん。よろしくない歌でも、私の思い出の中に強く残っている曲をいくつか聴いたわけですが、中に「優しい雨」という歌があって、あー、この曲買って持ってたな-、と思ったわけで。で、聴いてみると歌詞の中に「私のすべてに目を反らさないで」っていう言葉があって、そこだけ自分の昔の2番目の子に対する気持ちと強く共鳴するわけです。私が彼に送りたいと思った曲はZARDの「Boy」とこの曲のこの部分だったんだと思う。彼が尾崎豊の「I LOVE YOU」を唄って、私が「Boy」を唄って、たぶんそこのところまではお互いの気持ちは通じていたと思うのですけれども、「優しい雨」は良くない曲だから、そこに気を取られてしまっていて、彼はこの気持ちには気が付かなかったのかもしれないと思う。自分のことを全く理解されていないという気持ちは私の中に昔からあったし、2番目の子の方は彼は彼でやらなければならにことに必死で、結局若い二人の気持ちはすれ違ってしまったわけですな。(って書くと「それが『力』の差」って呟く兄さんがいるわけですがーー;。まあ、兄さんも確かに「良い性格」ではあるのですけれども、私の性格の一番の理解者であることも否定できないと思うのでね。)

で、あとはジブリアニメの予告編とかいくつか見てたわけですが、「ハウルの動く城」関連を見ていると、ソフィーとカルシファーが映っている場面で、「ソフィ-、ソフィ-、本当にそんな男でいいの? ハウルさんのことを忘れないで。ハウルさんが魔と対決する時にソフィーの肩を抱いていたように、あの病院で辛い思いをしている時に彼がそうやって肩を抱いていてくれてたのを感じていたでしょう。たとえ、彼にはそれしかできなかったとしても。」って言われるわけで。あー、そういう感覚は何度もありましたし、確かにそれに支えられていたことは大きかったですけれどもね。要するに現状で言いたいことは、兄さんの「千と千尋」を使うなら「ハウル」も使えってそういうことなわけね、と思うわけで。じゃあ、そうしましょうかということになると、毒蛇兄さんが「ちっ」って言うわけで、どうも兄さんはハウルの中では、自分は主人公どころか、「火の悪魔」ということで、人間でもないのが面白くないらしいです。じゃあ、ナウシカのテトはどうなの? って聞くと「あいつにはそれで充分」って言うわけですからね。もー、本当にこれ以上私にどうしろと? って思うわけですが。とっても冷酷にならないとやっていけないのですな(苦笑)。