毒蛇兄さんとの勝負

ええとですねえ、本日の「あさイチ」という番組に、16日放送の「最後の楽園」の宣伝で福山君のコメントも流れると言うことで、「見て欲しい」と言われたわけですが、今日は朝からとても忙しかったので、生放送でしたけれども、どうせ福山君が出る場面はVTRだし、と思って録画して見たわけです。

 

で、この「あさイチ」という番組自体が、「母親は死ね」とか「家を出ろ」とか「へんなもの食べろ」とか「菊の花特集」とか、呪い属性が強い番組だな-、と思ってみていたわけで。で、福山君の番宣はですねえ、福山君が番組のナレーションを収録している現場に有働アナが取材に行く、という形式だったのですが、福山君は白黒のけっこうぱりっとした格好をしていて、で、ちょっと緊張していて、で、一番印象的だったのは、「目の力」がずいぶんと戻ってきている、ということで。で、けっこうカメラ目線になって、いろいろと言ってくるわけです。

で、まず気が付いたのは、「これ、本当は見せる予定の番組じゃないんで、心して見て下さいね。」と言われたことで。で、インタビューで、「砂漠は一歩踏み外すと、転落して、まるで人生のようだ。」って、そんなこと全然思っていない、という顔で言っていて、なんで、そんなこと言っているんだろう? と思ったわけですが、何回か見直してみますと、けっこう「言霊」を込めて言っているのが分かるわけで。で、あー、これ「呪いの言霊」なんだー、とやっと気が付いたわけで。要するに、これは、いろんな人が私の「免罪符を与える力」に興味を持つので、その証明のために兄さんが仕掛けてきた勝負なのだと思うわけです。だから、けっこう本気の言霊なわけで、私がこれに引っかかって人生に絶望すると、私の負けなんだ? と思うわけで。(しかも、兄さんが積み重ねたのか、他の人の意志が介在したのかは知りませんが、今日は誰かさんが昔、食い散らかした女の人が、週刊誌とかインターネットのニュースサイトで、けっこうな目で私のことを睨んでた気がするわけですが。(というか、私が「あー、この人、昔食い散らかした人でしょ。」って呟いた時に、「何で分かるんだろう?」って言ってじたばたされてもですねえ? 何の力も無くっても、女には「女の勘」というものがあるのでですねえ。別に、いちいちどうのこうのとは言う気ないですけれどもねえ? というわけでーー;。))

で、あとは、インタビューの中で、「生命の逞しさ」みたいな発言をしていて、それはきっと私が昔書いたことを「ちゃんと知ってるよ」という意味で言ったのだと思うわけです。しかも、紹介の映像に毒蛇とか出て来て、毒蛇が毒蛇を語る、みたいな感じですし。でもって、福山君が目でお話をする時の特徴?かもですけれども、最後の最後に、他の人にかこつけて、「会いましょう」って言った直後に、カメラ目線になって、「あなたと」って目で言ってくるわけで。あー、福山君と目で割と直接お話するのは、3月のMステ以来ですし、こういう関係になってからは、初めてだなー、と思ったわけで。

 

あとは、福山君とは関係ないのですが、菊ネタで、なんというか花にも、「気」というかオーラみたいなものがあるなー、と思って見ていたのですが、「一文字菊」という皇室の紋の元になっている菊があって、そのオーラって私の持っている「死神の鎌」と同じじゃん? と気が付いたわけで。呪い属性のネタの中にも、自分のモノがあるというのは、ヘンな気がするわけですが。なんで、菊の御紋に象徴される「死神の鎌」があんなところにあったのですかねえ? と思うわけですが。

まあ、とにもかくにも、「軍神同士の神婚」というのは、こうやって戦い合ってお互いの実力を確かめ合いながら、近づいていくしか無いヘビーな一面があるようで。そのためには、兄さんもけっこう本気で勝負をかけてくる気になることもあるようで。

で、龍馬伝の方は第7話まで進んだわけで、兄さんは「負けられないし、負けたくない」って言っていますけれども、時々悲しそうな顔をしていますし、広末さんも悲しそうですし。そして、この週からリリー・フランキーさんが登場ということで。リリーさんは、「私の目は蛙の目です。何の力も持たなくて、ただ、彼のそばで見守ることしかできませんでした。あの時、皆が悲しいと思っていましたけれども、力があるばかりに、期待されるばかりで、何も出来なくて、一番苦しんでいたのは彼です。」と言って下さるわけで。でも、リリーさんも、敵と相対する時は、かなり強い言霊の持ち主で、言葉で相手を押すことができるタイプだと思ったわけですが。確か、「笑っていいとも」で福山君が友達はタモリさんとリリーさんしかいない、って言ってたことがありましたが、リリーさんも辛い時期の兄さんをとても支えて下さった方なのだと思います。そして、終盤に、龍馬が外国のことを語る場面で、エジプトのことを話すシーンがあって、誰かさんは「いつか、そこへ私を連れて行きたい。そこでしか結縁できない私の本性がそこにある。」とおっしゃるわけで。メヒト・ネイト、おそるべき獅子頭の闇の太母たち。彼らの目も、かつては心の中の私のように「青」であったのだろうか、と思います。

そういえば、昨日、某事務所に寄ったときに、入り口の下駄箱の上をふと見たら、一対のシーサーと、時計を持った女神像が置いてあったわけで。私と兄さんの一対の獅子、「時計」という名前の救世女神のことを、誰も何も言わなくても、みなが知っているのだと思ったのですが。

そして、福山君の一大特徴だと思うことですが、彼は言いたい「キーワード」は自分だけでなくて、人を踊らせて言わせる傾向があるわけで。泉ピン子という人が「龍馬伝」がどうのって言っていて、「あれま」と思ったのですが。免罪符がどうのとか、呪いがどうのとか、そういうことよりも、兄さんだけじゃ無くて、広末さんや貫地谷さんが一生懸命頑張ってくれていたことが分かったりとか、そういうことで私たちはたくさんの人たちに支えられているし、そうして来たんだな、ということが分かるから、そういうものが、福山君が心にも思っていないのに言っている「呪いの言霊」から私を守ってくれているのだと思います。まあ、だいたい顔を見れば、本当にそう思って言っているのかどうかくらいは分かる程度には、私にも「見る目」がついてきたということで。

それから、今日、唐突に辻仁成君の目を見て欲しい、という要請が来まして、見て見ましたら、彼は蛇の人と、印欧語族の中間的な目をしていると思ったのです。最近、息子さんに作る料理が評判の辻君ですが、息子さんは「十べえ」と呼ばれているそうですから、それはイエス・キリストのことを暗喩しているし、そういう構造の中での「父と子」というのは、「父」と「子」という二人の軍神(死神)が並び立つ「キリスト教」の姿を示しているわけで。で、子供に料理を作って上げたい「父」というのは、専業主夫希望の誰かさんの願望を投影している姿なのだと思うわけですが。辻君も、そうあるべきであった「父と子」の形の復活を願ってくれている人なのだな、と思ったのです。辻君も作家だけあって、彼の言霊も分かりやすくて、読みやすくて私はけっこう好きです。

しかし、兄さんは、私と勝負するときは、いつも緊張してますよね? と思うわけで。でも、今日は見てくれにもずいぶんと気を遣ってくれたようで、割とちょっと普通に格好いいなと思ったのでした。

 

まあ、だから、兄さんが家の中の掃除を急ぐのは、これからMステ以外の歌番組等なども見て、いろんな人たちと結縁していく際に、私が受けるであろう「呪い」の力に対してできるだけ完璧にサポートする体制を整えるためにせかしているのだと思うわけですが。でも、本気でやり合えば兄さん以上の強敵はいないであろうと思いますので、まあ、無理しない程度に頑張りたいと思います。

疲れました

今日は朝からあちこちかけずり回って、龍馬伝を見る気力も残っておりませんーー;。

ええと、だいたい、誰かさんがドキドキ、ソワソワ、ワクワクしている気配がするので、時計を見ると11:30頃だったりするのですが。お手紙の中に、「最愛」とか「はつ恋」とか、「当てつけがましい曲だと思った」って書いておきましたら、「ああいう呪いの曲は、標的を絶望させたり、気を弱らせたりして、確実にしとめるために作るんだよ」と教えて頂きまして。そうなんだ、「当てつけがましい」の一言で済ませちゃってましたねえ?? ということで(苦笑)。なんというか、ちゃんと「力」が使える人はいろいろな芸があっていいなー、とかむしろそう思わないでもないわけですがーー;。

まあ、でも、「当てつけがましい」の一言で切り返して、それ以上に呪いの効果を踏み込ませないことが、私の「言霊」の力ということで、それで済ませられるのであれば、それでもいいでしょう、とおっしゃって下さる方はいるわけですが。でも、まあ、この2つの曲があるから、「福山君は確実に私のことを知っている」という確信の原動力になるわけで、私って呪いの歌を、呪い以外の点で勝手に利用する才には長けている気がしないわけでもないわけですが。おかげさまで、誰もが「あらゆる呪いに引っかからないで、免罪符を発行する力」というもののことを考えて下さっているように思うわけですが。でも、兄さんも頑張ってますよね? と思うわけで。こちらもお片付けをしながら、テレビの世界での武者修行を、しばらく頑張りたいと思うのです。

 

そして、要するに味方が書く「思わせぶりな文章」というのは、敵の圧力とかそういうものがあって、物事をストレートに書けないから、意図を気が付いて欲しくてそう書くものなのであって、私みたいになんでもずけずけとストレートに「書ける」人は、それだけでそれがその人の「力」の証明となることのようです。なるほどねー。

龍馬伝第6話他

要するに、貫地谷さんというのは倉木さんや広末さんのように純粋な「蛇の人」ではないので、兄さんのことを「我らが軍神」とは呼ばないわけで、どうやら彼女の大元のご実家は広島のようで、彼女が「我らが至宝」と呼ぶのは吉備津彦命のようです。だから、兄さんにも「諦めないで、頑張れ」みたいな叱咤激励をしてくるわけで。

で、なんだか、いろんな人が目の力で言いたいことを言うので、ドラマの内容なんかどうでも良くなってきた感のある第6話ですが、一応内容は龍馬が江戸での正規の遊学を終えて、土佐に帰る直前の話、らしいです。でも、目のよろしくない人たちは、「あと少し」と言うわけですし、中でも好戦的な人は「あの女を殺してやる」って言っていて、兄さんに向かって直接そう吠えている人もいるわけですし。広末さんなんかは、そういう人たちを「例え私一人になっても守り抜いてみせる」って言って見返していて、敵からは「この女、邪魔」とか言われているわけですし。

兄さんは兄さんで、「手詰まりだ」と思ってますけど、「でも、自分が絶望したら、何もかも崩れ落ちてしまうから絶望できない。何か手を考えなければ。」って思っているわけで、「人から期待されるだけ期待されても、何もできない。下っ端なら直接いくらでも目の力で圧倒できるのに、あの女の目からは逃げられない。」って言っているわけで。そして、どうにも当時のお味方の総意としては、「なんとかして、気が付いて貰って、味方で囲い込んでしまえば、みんなで守っていけるし、敵に勝てないまでも対抗していけるのに。」って思っていて下さったらしくて。でも、その方法をみんな考えあぐねていたようで。どうもね、正田美智子に加えて、川嶋紀子が送り込まれてから、事態は更に悪化した、って考えていた皆様が多かったようで。だいたい、秋篠宮が結婚したのが1990年で、私が20歳の時だから、丁度私が大学2年になった頃、兄さんが歌手デビューした直後だから、要するに、この人、「邪魔」するために皇室入りしたんですね? とか思うわけですがーー;。
兄さん、この頃は、けっこうボロボロでしたねえ、と思って、朋ちゃんの「YOU DON’T GIVE UP」を思い出したわけですが。でも、貫地谷さんは
「命をかけて戦ってきたのは彼だけではない。どうか、この軍神を、頂点に立つに相応しい存在に育てて下さい。それが我らの神からの伝言です。」
とおっしゃるわけで。そうだよね、K君も殺されかかったもんね、と思うわけですが。

で、あとはちょい役の商人役みたいな方の中に一人お味方がいて、登場した場面はわずかでしたが「私の目が分かりますか。どうか、よろしくお願いします。」って言って頂いたわけで。

 

で、今日はこれ以外に、香取君の「おじゃマップ」という番組を見てみたわけで。どうにも最近、バラエティーというものを見てないので、やはり番組のコンセプトが良く分からないのですが。一応メインの司会が4人いて、お味方が3人なのだと思いますが、芸人みたいな人たちもちょこちょこと出ていて、ゴールデンタイムの番組なのに、微妙にご飯がまずくなるような芸を披露していて、「ええと?」とか思ってしまったのですが、どうにも「芸人」と呼ばれる方々はよろしくない目をしている人たちが多いように思うわけで。で、視聴者の家に突然押しかける、みたいな番組でもあるらしくて、最後に押しかけていた家の人たちは、「福澤」という名字で、割とお味方が多いご家族だった気がするのですが、中でも一番小さい女の子が、小さいけれども特に強い目の力をしていた気がするのです。

そういえば、今日病院で、会計を待っている時に、4、5歳くらいの女の子がこちらを見ていて、で、その子の目の力もけっこう強かったのを思い出したわけで、お母さんの顔は見ていないわけですが、あの子はきっとお味方の子であったのであろう、と思うのです。やはり、敵だけではなくて、お味方も周りに入り込んでこれるようにはなっているらしくて。

で、バラエティーのノリが良くわからない私としては、「おじゃマップ」もあまり巻き込まれそうな番組に見えないわけですが、Kis-My-Ft2の北山君もレギュラーで出演していて、他の人たちよりも私と多く結縁できそう、ということで、喜んでいてくれているらしいです。どうもね、香取君の番組を見ても、翔君とほど強く結縁している気がしないのですが、やはり香取君は兄さんへの遠慮があって、必要以上に私と結縁しようとはしないけれども、翔君は公然と私と結縁を望んでも当然の立場と言うことで、彼の方も一生懸命私と結縁しようとしてくれているらしいです。それで兄さんも微妙に焦りを感じるようで。

というわけで、今日はけっこう疲れましたので、ここまで、ということで。

病院日和

ちょっと前から、今週は1日くらいしか長野に行けないし、あとは12月になるまで無理、と誰かさんから言われていたわけです。で、「今日、行きます」と言われていたので、では「最後の楽園」を見るのか見ないのか、とか2番目の子とサシで話をして決めれば? と思うわけで。

で、昨日あたりから、私だけでなく、兄さんも「死神の鎌」を持って見えるわけで、私の鎌は緑色がかった銀色で、草刈り鎌に似ている気がするのですが、兄さんの方は私のよりもずっと大きくて黒い「死神の鎌」で、どうも最近は羽根も黒い羽根に見えるわけで。正直言って、いいなー、と思うわけで、そうすると、一番目の子から、「医者をやって、病気の人を助けたい、とかって思ったことないでしょ?」って言われるわけで。言われてみれば、医者としてこうあるべき、みたいなモラル感みたいなものはありましたけれども、心の方は、そんなことのために指一本たりとも動かしたくない、っていうくらいにしか思ったことはないわけで。だいたい、学生時代はけっこう対人恐怖症気味でしたし、他人と接触するのもいやというか、そんな感じだったわけで。もしかして、他の二人は違うんだ?@@ と思うわけで。なんだか、同じ4年を過ごした割には、なんで私たちはこんなに違うのかしら? とか思うわけですが。まあ、でも、好きな子も助けられないのに、病気の人だけ助けたいって言われましてもねえ? という気もするわけでーー;。どうも、私自身は根っから医者って仕事には合わないし、嫌いな性格らしくて、そもそもそこから「詐欺でしょ」って言われるわけですが。欲しがるのが、アスクレピオースの「医者の杖」ではなくて、「死神の鎌」とかではねえ? と自分でも思うわけで。(でも、これはたまたま手に入っただけの気もするわけですが??)

で、兄さんは朝一番にこちらにご到着になりましたら、西光寺を外から「見て」みてらしくて、お寺嫌いの兄さんですが、私が行ったところであれば「見える」らしくて。で、兄さんがちょっと力を補強してくれると、私の「鎌」もちょっと大きくなって、イメージが明確になるのが分かるわけで。だいたい西光寺というのは、本堂に十王像とかもあって、「あの世の裁きの場」を現したお寺のようで。そこで、使者を裁くのが「死したる父と子」なわけなので、まさに「冥界」を現したところのようで。だから、「死神の鎌」とか隠し持っていたんだ? と思うわけですが。ここの本堂は、江戸時代に善光寺の本堂を建て替えるときに、古い資材を用いて建てた、という歴史があるようで。

で、一方、八幡神を祀る守田迺神社も、本殿は旧善光寺年神堂(建御名方富神を祀っていたもの)を移築したもの、ということで、どちらも他の神仏を祀っていたものを流用して作られているもので、おそらく後から祀った力の強いものが、そうして古い神仏の力を支配して酷使していたものだと思うのですが。しかも、守田迺神社には、境内に道祖神として、八衢彦神、八衢姫神という神を祀っているわけで、これは要するに「岐の神」ということで、私と一番目の子のことだと思うわけですが。要するに、ここに八幡神を祀ることで、建御名方富神と一番目の子を呪っていたもののようで。長野市もけっこう魔境なんだな、と思ったわけですが。

そして、2週間くらい前に、とある病院を落としてですねえ、一番目の子に実行支配させるから、写真を撮って送ってくれって誰かさんに言われていたわけで、で、今日その病院に行ってみましたら、ずいぶんと敵意が減って楽になった感じがするわけで。診察室に入ってはいけない、とか誰にも言われませんでしたし。院長センセイには、「あの何の力もない若造に押さえつけられるなんて」って文句を言われるわけで。しかも、待合室とかで、ウォークマンで福山君のライブの動画を見てると、周囲が圧倒されて静かになる気がするわけで。兄さん、すげー、というか、「何の力もない子」の後ろ盾に誰がいるのか、ということは誰でも知っているだろうな、と思ったのですが。そして、そっかー、まだお掃除も済んでないのに、今日わざわざこちらに来てくれたのは、病院の日だったからなんだ? と気が付いたわけで。それはうれしく思ったのですが。

そして、「最後の楽園」の件は、みんなに「見せるべき」って言われるし、どうも生放送で翔君を見ると、彼との結縁の力がけっこう強くなって、兄さんとのバランスが悪くなるということで、結局「見る」ことになったようで。で、試しに予告編をNHKのサイトで見て見たのですが、なんというか、動物を扱うようなドキュメンタリーなわけで、なんで、こういうものがいけないのかというと、動物は動物で、本能の赴くままに「目の力」をむき出しで、全開で使っているわけで、その「力」の攻撃性の高さは、敵でもまだ人間らしい、というくらい強いものであるので、そういうものをうかつに見ると、こちらの「力」が削がれることになるから、見てはいけないものなんだな、と分かったわけで。だから、ペットなんかも飼ってはいけないんだー、彼らの「目」に喰われてしまうから、と思ったのですが。ペットを自分の子供のように可愛がっている人とかは、完全にその目に「踊らされている」もののようです。でも、こういうものに巻き込まれないで、「見切る」ことができれば結縁の効果も高いもののようです。(というか、こういう「呪いの効果」の強いものを目の当たりにしても、呪いにかからず、逆に呪いをかけている相手に庇護を与えて、その代わりに私の方も守って貰うことを、印欧語族は「免罪符の力」とおっしゃるわけで、私にそういう力があるなら、お味方もその力を使わない手はない、と思う人が多くなっているようで。)
予告編の福山君の「ご覧下さい」と言っている声も、全然その気がなさそうな声に聞こえるわけで。しかも、このドキュメンタリーの収録が9月末まであったようで、私がお手紙を出し始めたのが10月の頭からですから、兄さんはずっと動きっぱなしであったんだな、と思うわけで。そこも、凄いな、と思ったのでした。

そして、蛇の女の人は、倉木さんもそうですけれども「槍」を持っていることが多いような気がするのですが、蛙の女の人は、普通武器は持たないもののようで。やっぱり私は「軍神気質」のようです。

龍馬伝第5話他

ええと、昨夜は試しに翔君が出ている「NEWS ZERO」を見て見たわけです。で、機材の接続が悪くて、途中からしか見れなくて、羽生君がフィギュアの大会で怪我をして治療を受けた、というあたりから見たのですが、やっぱり最初の内はいろいろと心配されるわけで、「フィギュアなんか見ちゃダメ」とか「医者なんかやろうと思っちゃダメ」とか言われるわけです。

で、翔君が安藤美姫ちゃんにインタビューとかしていて、美姫ちゃんもさすがトップアスリートだっただけあって、かなりの目の力の持ち主で、翔君も油断していると押されちゃうような感じであって。そして、要するに「ニュース」というのは、いろんなネタがちょっとずつ流れるようなものですから、そのどれにも深く巻き込まれずに見切ることが大切なようで。で、「NEWS ZERO」って、名前からしてよろしくない名前で、翔君以外の人はよろしくない目をしているわけで。で、見始めた時にはちょっと嫌な気があふれ出してきていて、頭痛がしたのですが、見ている内に慣れた、というか、こっちが押して抑えこんだらしくて。で、民放のニュースですので、合間にCMが入るので、お味方が出ているCMが流れると、普段お目にかからない方達が「こんばんわ」とか「ヘンなニュースにはまらないで下さいね。」って話しかけてきてくださるわけで。福山君のスーパードライのCMも見れましたので、それはちょっと嬉しかったのですが。で、最終的には、私が「見た」方が、中のお味方は「楽になって、やりやすくなった」とのことでして。年末は、いろんな歌番組も盛んになりますので、いろんな人と結縁できるのが楽しみ、ということはあるのですが、どうやらこういうヘンな番組を「見切る」と単価が高い、とのことで、しかも、結構「結縁」の効果も強い、ということで、翔君と繋がりやすくなったように思いますので、それが兄さんにはちと面白くないようで。

目下の懸案事項は、福山君の「最後の楽園」シリーズをどうするのか、ということで、呪い無効化の才能を発揮して「結縁」の方を取るのか、見ない方を取るかで、関係者は微妙にお悩みのような(っていうか、どうせ悩んでいるのは兄さんだけという気もするわけですがーー;)。

で、本日は龍馬伝の第5話をみたわけで。何というか、よろしくない目の人たちは、「あと少しで、息の根を止められる。」って言ってますし、広末さんは「そんなことはさせない。」って言ってますし、貫地谷さんは兄さんに「なんとかしろ」って言ってますし、そして誰かさんは「裁判所とは「呼び出す」ところだから、呼び出しに応じて行けば行くほど負けが積み重なるものだから、止めなければいけないのに、どうしたらいいのか分からない。」って言ってますし。皆様の「声」の方が強すぎて、ドラマの内容って何? みたいな感じなわけですが。福山君なんかは、「なにも分かっていないし、なにもできない子なのに」って言ってるわけですし。どうも、裁判所というのは特殊な場所ですから、そこで起こっていることというのは、外からは「見えにくい」らしくて。で、私はmixiで日記を書いてましたから、ともかく裁判に行くたびにものすごく怒っていたことは分かっていたらしくて、それはどうやら敵に踊らされて、我を忘れて、怒り狂っているように見えていたらしいです。で、それを続けていれば、いずれ負けが積み重なりすぎて、自分の命を代償として差し出す羽目になる、と皆様お考えだったようで。そして、「あの子を殺してしまったら、とても自分も生きてはいられない。」って今になって言われましても。

 

結局、敵もお味方も、そうやって振りかかる「負けた故の支払い」に対して、私がそれをも力でねじ伏せて、ただ、言霊の力だけを使って、「表の裁判で勝ち残るつもりだったとは」と、今ではお考えのようで。なんというか、「あと少し」っていう迫力が凄すぎて、怖い回ではあったのでした。