龍馬伝第10回

ええと、物語の中では「転換点」となる回のようで、話の内容がちと盛りだくさんで、複雑な回なわけで。江戸での2回目の遊学を終えた龍馬が土佐に帰るので、江戸のヒロイン佐那に別れを告げるシーンから始まって、土佐に帰って、土佐のヒロイン加尾にプロポーズするけれども、いろいろな事情で加尾は京都に奉公に出なければならなくなって、龍馬と引き裂かれてしまう、という内容なはずなのですが、そもそもどちらも幸せそうに見えなければいけないはずのプロポーズのシーンで、兄さんも広末さんも悲しそうな顔をして、「こんなことやってる場合じゃないのに」って言っているので、なんというか兄さんが非常にお気の毒な回というかーー;。

貫地谷さんとの場面では、貫地谷さんは貫地谷さんで、兄さんの力を知っていても、ひるまずに、「目を開け」と言って押しているわけで、兄さんも目の力で押し返していて、貫地谷さんはお味方のはずなのに、微妙に緊張感が漂っていますよねえ? と思うわけで。要するに、貫地谷さんは吉備津彦命の代理人ですから、蛙の人たちの代表者ということで、彼らにとっては、兄さんは「成すべき事を成せば良いだけの3番目」ということで、彼女は平然と「それが彼の宿命です。」とおっしゃるわけで、それで、そんな扱いでは面白くない兄さんとの間に火花が散るんですね?@@ と思うわけですが。

で、敵と兄さんがやり合う場面で、「命をかけても守り抜いてみせる」って兄さんが言うシーンが「良い言霊」の方で、その代わりに終盤は加尾と龍馬が別れるシーンと言うことで、要するにこちらが「尾」のつく人と兄さんの別れを暗示するような「悪い言霊」のシーンということで。広末さんは、「良い言霊の方だけ、届いて欲しいけれども、届くのはいつになるのやら。」って思って、「どうか、兄さんの声が届いて欲しい。」って祈って、願ってくれてるのが分かるわけで。そして、心の中で何を思っていても、決められた役は芝居でこなさなければならない兄さんのことを気の毒に思っているのが分かるわけで。

しかし、敵は敵で、一様に、「何かがおかしい。何故あの女は狂わない?」って、こちらも微妙に動揺はしているわけで。兄さんと目の力でやりあうシーンで「お前に勝てるものか」って言っている以外は、それしか言わないわけで。

それで、思い出したわけですが、江戸時代の結婚というのは、個人的な問題と言うよりは、家同士の問題であることが多いわけで、龍馬と加尾のような恋愛結婚がなかったとは言わないけれども、それはよっぽど特殊な例だから、こんな風に現代風な恋愛ドラマ的な展開になることそのものが「変」だって言って、そういえばそれでけっこう嫌気が指して、第1回くらいからけっこうばっさり龍馬伝を、私の中では切り捨ててた気がするんですけど? mixiの日記にもそんなことを書いた記憶があるような?@@ って思ったわけで。

あなたは、声が届かない時から、兄さんが何とか届けようとして、作った歌詞とか、ドラマの内容とか、そういうものが「状況的におかしい」と思えば、その一言で全部切り捨ててきたでしょ? って今になると、いろんな人からそう言われるわけで。そういえば、そうでしたねえ。そして、それ以上には福山君に興味も関心も持ってなかったかも?@@ って思うわけで。今になれば、そういう事態に出くわせば、なんで兄さんがそういうことを言ったり、書いたりするのか考えて、いろんな人に助けて貰えば、よくよく考えれば言いたいことが何とか分かる程度にはコミュニケーションは取れるようになった気がするわけですが。そっかー、そもそも福山君そのものが、割と強引に矛盾した状況を作り上げた上で、良くも悪くも言霊を「使う」人なんですね? って思うわけで。でも、そもそも私は「矛盾した状況」っていう土俵の上にそもそもあんまり上がるタイプではなくて、逆にその矛盾を突いて攻めるタイプですので。それで、兄さんと言霊を使って勝負すると、兄さんにとって割と意外な展開になってしまうようでーー;。

龍馬伝第9回

ええと、この回から龍馬が2回目の江戸への遊学の話になるわけで、微妙に広末さんと貫地谷さんのダブルヒロインみたいな回なわけですが。で、どうも見る前から、吉備津彦命の気配を感じるわけで、日曜日だからお仕事はお休みなのかな、と思ったわけですが。

で、見て思い出したわけですが、この回は本放送で見たことがあるわけです。当時、なんで見る気になったのかは思い出せないわけですが。で、話の内容は、幕末ですので、土佐藩士も多く上京していて、各藩の攘夷派も動き出していて、そんな中で土佐藩士の一人が商人から時計を奪ったということで、訴えられて切腹させられそうになって、それを龍馬が逃がす、という話であって。その藩士を助けるために、龍馬が訴えた相手の家に時計を返しに行って、「藩士の命を助けるために、訴えを取り下げてくれ。」と言って土下座するという内容で。これはね、今見れば何が言いたいかはすぐに分かるわけで、要するに私に裁判を取り下げさせたかったんですね? と思うわけですが、当時これを見てどう思ったかなんて、自分でもさっぱり思い出せないわけで。今でも、映像を見て、言霊の力だけでは、どうも兄さんが何を言いたいのか完全に私には伝わらないことがあるわけで、要するに、そういうのを「力の差がありすぎる」というのだそうでーー;。

で、ですねえ、ドラマの中でよろしくない目の人たちは、「なんで、あの女は死なないんだろう。なんで、狂わないんだろう。」って不思議がって、言っているわけで。で、兄さんは「生きていてくれれば、正気を保っていてさえくれれば希望はある。」って言っているわけで。要するに、当時の私は裁判をやっていて、ものすごく怒っていたし、その怒りの剣幕は「怒りの余り憤死する」という言葉がありますけれども、普通の人であったら発狂していてもおかしくないような勢いで怒っていたらしくて。でも、そうやって怒っているからと言って、裁判所で暴れたりとか、日常生活でおかしくなったりとかいうこともなかったわけで、そもそも「開いていない目」の奥にあるものは、「ただの蛙の目ではない」ということに、吉備津彦命が最初に気が付いたと貫地谷さんがおっしゃるわけで、で、彼女は兄さんに対して、「あの目を開け」と迫っているわけで。私の目を開かせないために何重にもかけられた呪いや敵の気に取り囲まれて、その奥津城で狂わずに発動している激しい怒りの正体を皆様はとてもお知りになりたいと思ってらっしゃったようで。そして、裁判所に行き続ける限り、呼び出しに応じると言うことで負けが重なるし、しかも敵からの「発狂しろ」とか「絶望しろ」っていう気は浴び続けるわけですから、兄さんはまずそれを止めたかったのだと思います。そして、敵ですら「今のあの男(って兄さんのこと)にはあの女を守る力はないのに、あの女が「ただ一人」で持っている力は何だ?」って言っているわけで。

見終わった後に、なんとなく当時の福山君が唄っていた歌を改めて知りたくなって、いろいろ調べてみたのですが、龍馬伝が始まる前の2009年の年末には紅白で「はつ恋」を唄ってますし、CDTVでは「化身」という曲を唄っていて、で、「はつ恋」も当てつけがましい系の「呪いの歌」なわけですが、「化身」は「化身」で非常に刹那的な歌なわけで。2009年も、その次の2010年も、世の中には不安感を煽るような矛盾に満ちたニュースが溢れ、希望に満ちたような歌もなんだかとても少なかったような気がするわけで。そういう中で、唯一私の心に引っかかってきたのが、2010年の年末に福山君がFNS歌謡祭で唄った「心color」であって、兄さんですら呪いの歌しか歌えないような状況だったんだな、と思うわけで。「化身」のPVを見ますと、背景は青いし、兄さんは紫色の衣装を着てますし、イナンナ女神のような絵が途中に出てくるし、で、要するに当時敵が私に期待していたことは、絶望感に満ちて自滅するか、でなければ死の蛇女神であるイナンナ女神のように激しい怒りを発動して、「身に余る怒りを発動して自滅する」かだったんだな、と思うわけで。

で、兄さんなんかもライブとかで客席から攻撃的な気を浴びると、目の力で防衛すると言うよりは、力で押し返す傾向が強くて、「防衛が甘い」って指摘されたことがありましたけれども、当時の私も「防衛する」なんてことができませんでしたので、その代わりに自分自身の「怒りの気」で、周囲からの攻撃的な気を押し返していたんじゃないのか、と言われるわけで。まあ、裁判所に行くときには、ロビーにも廊下にも、裁判所とは関係なさそうな人が溢れていて、そういう人たちはみな私のことを呪うような気を出してたんだ? と今となれば思うわけですが。当時の自分としては、ともかく裁判長の態度がまともじゃないんで、なんとしても、まずはまともな態度を取らせてやる、そうすれば負けるはずのない裁判なんで、と思って怒っていた気がするわけで。破壊の狂気をもたらす「怒りの気」だけで、攻撃も防衛も兼ねるなんて、通常ではあり得なさすぎて、イナンナと言うよりは、どうみてもカーリーだっておっしゃる方々が多いようでーー;。それを制御することのできる、青い印欧語族の蛙の太母の目の意志の力こそが、印欧語族と仏教徒が焦がれて止まないもの、ということで。
兄さんなんかは、「バッバルの目しか持たなくて、弟子達に食い殺された2000年の前のあなたの先祖が、今のあなたの目を見たら何というか聞いてみたい。」と呟くわけですが。

第9話を見終わった後に、吉備津彦命が開業するっていうことを思い出しましたので、開業するならネット上で彼を探せるかもしれないと思って探してみたわけです。で、首尾良くHPも見つけ出したわけですが、みんな誰もが年をとって老けたな、と思う。でも、こうやって探し出そうという気持ちになって、みつけることができるということが、「無くしたものを見つける」ということなのだと思います。こうして、お味方と結縁できる力はどんどん強まっているのだと思うのです。

VS嵐を見るの図

ええと、嵐の番組を見て欲しいというのが当初の目的なわけですから、見て見たわけですが、この番組はゴールデンタイムに放送されていて、嵐がゲストとゲームをする、という内容で、まあ、内容そのものもよろしくないもの(「ゲームで争う」という趣旨)ですから、「適当に見散らかしといて下さい」と言われるわけで。別に兄さんの映像ほど濃い内容で、強烈な呪いの勝負があるわけでもないので、その点では呪いも普通に私が「はまってはいけないもの」の羅列ということで、強烈なものは無いわけで。要するに、こちらも気楽に見れるわけですが。全体の印象としては、観客が入っている番組ですので、そういう人たちの「踊れ、踊れ」という視線が一番気持ち悪かったかな、と思ったのですが、そのくらいでは嵐の人たちも動じたりしていないわけで。

 

で、どんな番組に出ていても、皆さん爽やか好青年ですよねえ? とかって思うと、毒蛇な誰かさんが降臨して、「櫻井翔なんか見ちゃやだー」と吠えるわけで、自分の仕事をしたらどうなんですか? って思わず言いたくなるわけですがーー;。いや、でも私の中での兄さんのイメージも強くなってますので、映像を通しての結縁の効果って、うまくいけばすごいんだな、とは思うわけですが、嵐の番組を見ていると、ともかく兄さんが降臨してきて、張り付くこと確実ということになりそうで。

 

で、今回のゲストは、ママタレ特集、みたいな感じで、もう何年もバラエティー番組なんてほとんど見ていませんので、こういう人たちは本当に、誰が誰だかも分からないくらいなじみがないわけで、しかも皆さんゲームをしていて動き回るものですから、「目」も見にくいわけで。ゲストの中では小倉ゆう子ちゃんが蛙の人、辻希実ちゃんが蛇の人、豊田エリーちゃんが蛇8蛙2くらいのハイブリッドの人で、後はみんな敵、と思ったわけですが。でも、みなさん、少なくとも毒蛇兄さんに比べれば目の力もそれほどは強くないわけで、神婚については「普通に応援してます」って言ってくれる人とか、「すいません、あんまり興味ありません」って言う人とか、それこそ「普通」な人が多くて、普通だな、と思ったのですが。でも、兄さんの出ている番組とか怖くて見れない、って言っている人もいた気がするわけで。やっぱ、強面ですよねえ? とは思うわけですが。

 

そして、こういう番組を見ての結縁の効果ってすごいな、と思うわけで、見ているだけで、松本君とかどんどん入りやすくなってくるのが分かるわけで。だいたい、兄さんのことをポチョムキンに例えるのも、持ち上げすぎ、とか言ってくるわけで。そして、特によろしくないゲストの近くにはさりげなく守りに強い大野君がいることが多かった気がします。

番組の最後に、ハワイの映像で、水色の魚柄のシャツを着た大野君が犬をなでているシーンがあって、きっとこれが2番目の子の私に対するメッセージなのだと思ったのですが。嵐の人たちも、最近は私のことを見直してくれる人が増えてきたようで。まあ、有り難くも嬉しいことではあるのですが。

龍馬伝第8回

ええとですねえ、のっけから「走れ、走れ」の呪いが出て来ますし、「力のある者は何をしても許されるけれども、力のない者はただ黙って耐えるしか無い。」とか、そういう台詞が当たり前のように出てくるわけで、呪い属性の強い回ですねえ? と思ったわけですが。

でも、基本的に兄さんが関わっているドラマですので、強烈な呪いが来る時には、そうじゃないのもあるということで、広末さん演じる平井加尾と龍馬のラブシーンがあるわけで、聞いて欲しい台詞がくる前に、広末さんが兄さんに「しっかり芝居して下さいね」って言っているのが聞こえてくるわけで、「ん?」と思いましたら、その後の台詞が以下の通り。

 

龍馬「わしは今も変わらずおまんのことが好きじゃ。けんど、わしはまだ何者にもなっちょらん。ちっくと待ってくれ、加尾。その時が来たら、わしは必ず、必ずおまんを迎えに行くきに。」
加尾「本当?」
龍馬「わしは嘘は言わん。」
加尾「分かった。」

 

このシーンの後、広末さんがうれしそうにピースサインしている絵を送ってくるわけですし、今になって届いても喜んで下さる方々はいるのだな、と思って。ドラマの中では加尾と龍馬は結果的に結ばれないわけですが、やはりこういうのは1回1回が勝負であるようで、たいしたメッセージがない回には呪いもあまり目立たないですが、大事なメッセージがある場合には呪いもてんこ盛りということらしくて。

この回は本放送では見ていなかったわけですが、4年前にこのドラマを見ていても、この台詞はきっとスルーされていただけだったと自分でも思います。でも、呪いの台詞の方は、きっちり認識していて、裁判を起こしていた私に対する「嫌がらせ」とか「当てつけ」の台詞だと認識して、復讐心の強い私は巻き込まれて絶望するというよりは、大激怒していたと思うわけですがーー;。きっと、「見てろよ」って思ってたと思うわけで(苦笑)。

どうも、昔から福山君の呪いの言霊は私には通じにくかった? みたいな気がするわけですが。まあ、呪いじゃない方は、もっと通じてなかったわけですけれどもーー;。

今からでも気が付くことができて、広末さんが得意満面な回でしたね、と思うわけです。でも、全体としては兄さんの悲しそうな目が印象的な回であって、ここまで来れて良かったね、と今となっては思うわけですが。

それから、今日はニュースサイトに掲載されるオバマ大統領の写真の背景が、星条旗ではなくて、ユニオンジャックであることが多い気がするわけで。イングランドはお味方の国ですので、味方の力がそれだけ強くなったことを示す意味があるのかな、と思ったのですが。

いつかお会いできるのを楽しみにしております

ええとですねえ、「あさイチ」絡みの勝負に関しては、昨日の朝からいろいろとあったわけで、だいたい目が覚めてから、兄さんが私のことをどう思っているのかを半分夢のように伝えてくるわけで、たぶん、福山君の中の私のイメージというのは、私はとても弱い子で、力もない子なので、いつも手の届くところにおいておいて、守っていかなければならない、という感じであって、で、いろいろな女性との浮き名というか噂は気にしなくていいよ、みたいなそんな感じだと思うわけです。

でもって、その一方で、そういうネタがちょこちょこと出てくるというのは、その反動というか、代償的な作用でもあって、一方で「良い結縁」を求めるのであれば、その一方でこちらを絶望させるような「呪い」もぶつけなければならない、ということらしくて。しかも、兄さんがどこまで「呪い」をかけることができて、私がどうやってかわすのか、ということは、どちらもその「実力」をいろんな人に見て貰わなければならないわけで。そうしないと、私たちのことを認めてくれない人も大勢いるわけで。
だから、兄さんと噂がある? とやらのネタの渦中の女優さんのことがネットのニュースサイトに載ると、その一方で21日にMステに出演するミスチルの新曲は「兄さんのお歌だよ」って情報を教えてくれる人もいるわけで。しかも、その必要があると思えば、倉木さんなんかは「私の言うことだけを信じて下さい」と言ってプッシュしてくれるでしょうし。そうやって、サポートしてくれる人たちに支えられながら、兄さんは私に「呪い」をかわさせようとしてくれているわけですが。

で、ええと、肝心の「あさイチ」ですが、V6の井ノ原君と有働アナが司会ということで、昨日は泉ピン子さんがゲストと言うことで、プチ朝ドラ特集というかそんな感じだったわけで。で、セットには、目玉的な模様が一杯ついていて、さすがNHKというか、井ノ原君からも「慣れないとちょっときついですよ。」って言われてしまったわけですが。で、有働アナとか、泉ピン子さんは、「よろしくない目」の方だと思うわけですが、割と目の力を「抑えられている」感じがするわけで、ピン子さんとか、微妙に「泣きそうな顔」をしているし、「なんで?」って最初から思ったわけで。

で、「まっさん」ネタですから、玉山君とシャーロット・ケイト・フォックスさんなんかもVTRで出演して、いろいろとコメントしていたわけで、玉山君は蛇の人で、シャーロットさんは印欧語族の人だと思ったのです。シャーロットさんの目の力もけっこう強くて、玉山君がちと押され気味であったと思いますし、ドラマの中でもピン子さんの目の力に負けていませんし。そして、彼女の目の力の使い方は、普段は割と伏し目がちだったりするのですが、ときどきぱっと目を見開いて、周囲を圧倒するようなやり方をしていて、ちょっと個性的だと思ったのでした。

で、小堺一機さんの息子さんの小堺翔太君もレポーターとして出演していて、彼は印欧語族の目をお持ちだと思ったわけで。でも、それほどというか、有働さんもけっこう強い目の力の持ち主であって、ちょっと翔太君の方が押され気味であった感がするわけで。で、有働さんが福山君を取材する、ということがテレビの番組表に書いてあったわけで、朝から誰かさんは「有働さんは半同棲している彼氏がいるから、勘ぐられなくて済む」とか呟いているわけで、そういうこと、本当に気にしますよね? と朝っぱらから思っていたわけですが。(たまたまMay J.嬢の動画を見ている時に言われたので、彼女から「そういう単純なのをかわいいと思いますか?」って聞かれたので、「はい」って答えましたら、「たで食う虫も好き好きですね。」って言われたわけですがーー;。)

で、「あさイチ」の中で、菊特集があって、菊花展を扱うような有名な親子が出ていて、彼らの名字が「小笠原」とありましたので、武田の分家の小笠原、れっきとした皇孫かつ敵、ということで、おそらくこれが昨日の最大の呪いのコーナーだったと思うわけですが。数ある菊の中から、皇室の紋を現す一文字菊の白菊の気を私が喰ってしまったということで、今日になってから、『世界に一つだけの白菊の花』なんて、オンリーワンにもほどがある、って兄さんから突っ込まれるわけですが。どうも、呪い属性の強い番組を見ると、普段全然目にすることのない呪いのアイテムの気を、たまに私は勝手に喰ってしまうことがあるようで。まあ、でも、その花は一応「自分のもの」って宣言してあるわけですから、喰えるモノなら喰ってしまっても、誰にも文句を言われる筋合いもない、ということのようで。白い菊なんて、兄さんが歌った「白百合」よりも更に強力な「葬式の花」だって言われるわけですが。ときどき、こういう悪食が生じるようでーー;。

そんでもって、肝心の福山君ですが、番組のナレーションを収録している所を有働アナが取材ということで、普通ナレーションの収録の現場にカメラが入ることはありませんから、もっとラフな格好をしていてもいいようなものなのに、誰かさんはこざっぱりとした白黒の格好で決めているわけで。いかにも、「渋い大人の男」を目指している感じなわけで。どう見ても、カメラが入ることを知っていて、私が見ることも知っていて、「NEWS ZERO」でびしっとスーツ姿で決めていた翔君にやきもちやいて、張り合う気満々ですね? という感じなわけで。で、有働さんのことも目の力でけっこう押さえつけていて、必要以上には近づけさせないわけで。(このあたりは、そもそもこういう場合の福山君の目の力の使い方ってあまり見たことがないので、面白いな-、と思って見ていたわけで。)

で、インタビューに答えている場面は、人の心を割と絶望させるようなことを言っている時には、心にも思っていないことを言っているのが、誰もサポートしてくれなくても、私には「分かる」わけで。日記にそう書いたら、兄さんから「どこがそう見えるんですかね?」って逆に聞かれるわけで、「だって、『MUSIC MONSTER』の時に『手を放しちゃうんだ』って言ってた時と同じ表情してますよ?」って言ったら「おおい」って言われて絶句されてしまったわけで。その後に「自分は役者としても大根ってことですかね?」って突っ込まれるわけで、一応兄さんとしては、もうちょっと知的な言霊で切り替えされることを期待していたらしいのですが、私があっさりと「心にもないことを言ってる」と言って片付けてしまったので、ショックだったらしくて。

で、それ以外には、何故か泉ピン子さんが、何かに取り憑かれたように福山君のことをキャーキャー言っているわけで、「あー、若い子にキャーキャー言われている姿を見せたくなくて、ばあさんにキャーキャー言わせてますね? それで泣きそうな顔してたんだ、この人?」と思ったわけでーー;。で、「あなただけ見ている」とか「龍馬伝」とか、その辺りのネタは全部この人に言わせているわけで。そして、ピン子さんに対して「いつかお会いできるのを楽しみにしております」って言った直後にカメラ目線で、私に対して目の力で「あなたと」って付け加えてくるわけで。福山君の私に対する「目の力」を意識の上ではっきりと認識できるのは、2012年4月6日のMステ、今年の3月20日のMステに続き今回が3度目なわけで。3月の時は「暁を取れ」って言われただけですし、「HUMANを取っちゃダメ」っていうサポーターの皆様もたくさんいてくれたわけですが、今回は割と本気でサシの勝負だったのかな、と思います。しかし、肝心の呪いの勝負は「心にも思っていないことを言っている」の一言で一蹴、女性周りのネタは「女の勘」で一蹴ということで、寝るときには、
「そもそも(呪いの言霊を)相手にもされてない福山雅治」とか「手のひらの上で転がされている福山雅治」とか「昔の女のことだけダダ漏れな福山雅治」とか、いろんな人がダメ出ししてくれるわけで。結局、どんな理由があろうと、一生懸命頑張った?「呪いの言霊」を相手にもされないというのは、それが「弱い証拠」とされてしまうようで、今朝になってから、「昨日はショックで一睡もできませんでした。」って兄さんに言われてしまうわけでーー;。思わず、兄さんのことを
「死神なだけに、自分の墓穴を掘ることもお上手。」
って呟いたら、
「蛙なだけにケロリとしている。」
って返されてしまったわけで、私たちはお互いに何を言い合ってるんですかね? って思わず思うわけですが(苦笑)。というわけで、こういうことがあって、たぶん兄さんとも強く結縁することに成功することはした? と思われますし、私の目の力もまた強くなった気がしますし、私のことを認めてくれる人も微妙に増えたようですが、特に印欧語族の皆様は、私と兄さんのことを「エカチェリーナ2世とポチョムキン」のようだ、っておっしゃる向きが多いようで。ロシア皇帝エカチェリーナ2世って、自分の旦那を殺して自分が皇帝に即位した凄腕の女傑なんじゃないですかね?@@ って思うわけですが。どうにも、兄さんの中の私のイメージと、他の人のイメージというのは、けっこう、だいぶ、大きくかけ離れているようでーー;。

で、明日の番組の内容はナミブ砂漠の生命を支えるシロアリの話ということで、ナミブ砂漠って「蛇のB」って意味ですし、「シロ」いアリがそこを支えていて、番組のタイトルが「最後の楽園」って、本気で呪いまみれの言霊が満載の番組のようで(BGMもけっこう強烈ですし)。まあ、兄さんとの勝負には勝ったわけですから、心して見たいとは思うわけで。家のお片付けの方も、だいぶ佳境に入ったな、と思うわけですが。

 

 

<追記>で、どうやら、「砂漠の山の頂上を歩く福山君の図」は、「遂に頂点に立ったよ」というメッセージであると、相葉君とかが教えてくれるわけですが。「沢」のつく人の「次に」ということで。そっかー、それで昨日はずいぶんと嬉しそうだったんですね、と思うわけですが。どうも、私も福山君の言いたいことが全部読み取れないことがあるものですから、教えて下さる方々がたくさんいるのもありがたいことだと思うのです。