本日は、1日晴れて、だいたい作業できました。ただし、お外組は買い出しに出かけて。
で、私の作業の方は、今日もなんとかノルマ以上に進めることができて。疲れ果てました-;。いろいろあっても、「買え」と言われたものを買うと、裁判用の書類に何て書いたら良いのか教えて貰えたりするわけです。だから、頑張って買うのですが-;。
本日は、1日晴れて、だいたい作業できました。ただし、お外組は買い出しに出かけて。
で、私の作業の方は、今日もなんとかノルマ以上に進めることができて。疲れ果てました-;。いろいろあっても、「買え」と言われたものを買うと、裁判用の書類に何て書いたら良いのか教えて貰えたりするわけです。だから、頑張って買うのですが-;。
本日は、朝の10時ぐらいまで、かなりの勢いで雨が降っていて。坑道の入り口にも、久々に水が湧くくらい雨が降りました。お外組は、だいたい一日水の始末、ということで。
で、私の作業の方は、今日もなんとかノルマ以上に進めることができて。頑張りました。
本日は、朝の10時ぐらいまで、かなりの勢いで雨が降っていて。坑道の入り口にも、久々に水が湧くくらい雨が降りました。お外組は、だいたい一日水の始末、ということで。
で、私の作業の方は、今日もなんとかノルマ以上に進めることができて。頑張りました。
本日も、晴れたり降ったりしていて。お昼休みに、奥が崩落したらしいです。火曜日に潜った時に、ちょっと掘りすぎかも、と思ってはいたのですが、もう少しで安全圏だしなー、と思ったら、言いそびれてしまってー;。雨が降る時期は崩れやすくなりますし、もっとちゃんと言っておけば良かったなー、と思って。自分の日記を読み返しても、「崩れた、崩れた」ってしょっちゅう書いてあるので、危ないところを頑張ってやってたんだなー、と思う。でも、ここまでやってきて、怪我するのもつまらない話ですから、もっと気を配っていければ、と思います。基礎の周囲が、崩れやすい土ばかりなので、そこの辺りを掘るときが、一番注意が必要なのです。
で、私の作業の方は、今日もノルマ以上に進めることができて。朝、3時半頃に蚊に喰われて目が覚めて、午後も家の中にいた蚊に喰われて。蚊三昧の一日だったのでした。
で、7番目の兄さんからは、「これで、甲賀三郎が、何故地上に戻ってきたときに、蛇の姿だったのか分かったでしょ?」と言われる気がするわけで。甲賀三郎は、諏訪地方の伝承で、兄弟に騙された三郎が、地面の深い穴に落とされて、地下世界をさまよった末に、地上に戻ってくる話ですが、戻ってきたときに何故か蛇の姿になっていて。人の姿に戻るまでに、もう一仕事、みたいな話であって。三郎が「穴に落とされる」というのは、男の子が植物の豊穣の祭祀で、埋められて殺されたので、大地(月)の女神と一体化して、蛇(月)の姿に生まれ変わる、というか、蛇(月)になる、という話ですねえ? と思う。だから、戻ってきた三郎は蛇(月)の姿なわけです。この「犠牲」である三郎の伝承が、御頭祭における神使(おこう)だよね、と言われる気がするわけで。御頭祭では、江戸時代までは、御贄柱という柱を立てて、そこに神の使いとされる8歳くらいの男の子を縛り付けて、その子を刺し殺そうとするところに、国司の使いが現れて、それを止めて、子供が解放されて祭りは終わる、という祭祀をやっていて。御頭祭は、今では剥製の鹿の頭を柱に供えているわけです。だから、昔は「男の子の頭」を切り落として、柱に供えたものだよね、「柱」とは「地面の上に生えた植物」だから、「男性性」のものです。男の子の頭は、「木の実」の化身でしょ、と言われる気がするわけで。「何の実ですかねえ?」と思ったら、「縄文時代の人は栗が好きだから、栗なんじゃないの?」と言われる気がするわけでー;。要するに、御頭祭は、栗の豊穣を願っている、「古栽培民」の祭祀でしょ、「農耕の祭祀」ですよ、と言われる気がするわけで-;。諏訪神が彼の地に入って、人の生け贄は禁止されたと言われている。でも、縄文時代には、男の子を生け贄にして、その子供は「湖の男神」の化身でもあったわけです。諏訪湖は「淡水」だから、「男性」なわけだ@@。でも、「湖の男神の化身」が現世における「神の代理人」という考え方そのものは、諏訪氏の当主が代々受け継いで、彼らは、室町時代くらいまで、冬になると蛇よろしく、地下室に籠もって冬ごもりをする、という生活を送っていました。殺されはしないけれども、「生きた蛇神の化身」としては生活してたわけです。農耕の豊穣のために。「でも、今でも男の子は殺さないけど、蛙は刺し殺すんだけどね。」と言われるわけでー;。それも、「農耕の豊穣の祭祀」ですねえ、と思う-;。しかも、「月の蛙」って言ったら、女性性なんで、それは「女の子」の代わりに殺されてるんですよねえ? と思う。要するに、縄文時代の諏訪の祭祀は、漁労民の祭祀を受けて、最初は男の子も女の子も殺す祭祀だったわけですが、「女の子」の方は縄文時代のうちに、自主的に「土偶」と「蛙」に置き換えられてしまって。男の子の方は、扱いが悪くて、弥生に入るまで殺され続けたもの、と言われる気がするわけでー;。鹿は角が生えてるものだから、原則としては「男性」と言われる気がするわけでー;。どうしてそういう差が生まれるかというと、縄文時代の諏訪の住民は、「母系の熊信仰」の人々であったから、女の子を大切にしていて、殺すのを嫌がったから、と言われる気がするわけで。
大名家の先祖は、諏訪にやってきて、人身御供は禁止したけれども、祭祀の一部は自分達が引き受けて、縄文系の人々も納得できる形で祭祀を続けたし、自分達が「湖の神の化身」ともなったわけです。で、どうして、そうしたかといえば、「そうやって、征服した先の住民の信仰を取り込んで、自分達の都合の良いように混血習合させて支配する手法は、印欧語族の十八番でしょ。「イエス・キリストの後継者」なんて言ったって、やって来たことは蛇のまねごとでしょ。」って誰かが言う気がするわけですが@@。しかも、筒粥神事というのは、でかい釜で米を炊いて吉凶を占うものだから、鳴釜神事と同じで、人の首を煮て農耕の吉凶を占う祭祀だよね、と言われる気がするわけでー;。その人、ものすごい「毒舌太郎」なんじゃないの? そういうところが、私と良く似てるとか、そういうこと?? と思うわけで-;。でも、こういうことで、富の王家のおっちゃんも、大名家のおっちゃんも、7番目の兄さんを前にすると、「ぐうの音」が出なくなるらしくてー;。富の王家のおっちゃんは、何とかの帝国っていう変な本に、「自分とこの先祖はウミヘビ~」みたいに書かせたら、7番目の兄さんに「漁撈民のふりをしても、あんたんとこは牛肉でしょ。」と言われたらしくてー;。「牛の神様」じゃなくて、「牛肉」なのね。まあ、神様って要は「食べ物」のことなんですけどね、漁撈民の信仰ではね、と思うわけですが-;。でも、諏訪の庶民的な信仰の根源は、今でもお山の大姥様(熊)にあるんじゃないの? と思う。多少方便でも、地元の人の気持ちを大切にすることも、大事なことではないかなー、と、まあ、そういう人達もいるわけです。まあまあ、どちらもお手柔らかに、と思うわけですが-;。
本日も、晴れたり降ったりしていて。お昼休みに、奥が崩落したらしいです。火曜日に潜った時に、ちょっと掘りすぎかも、と思ってはいたのですが、もう少しで安全圏だしなー、と思ったら、言いそびれてしまってー;。雨が降る時期は崩れやすくなりますし、もっとちゃんと言っておけば良かったなー、と思って。自分の日記を読み返しても、「崩れた、崩れた」ってしょっちゅう書いてあるので、危ないところを頑張ってやってたんだなー、と思う。でも、ここまでやってきて、怪我するのもつまらない話ですから、もっと気を配っていければ、と思います。基礎の周囲が、崩れやすい土ばかりなので、そこの辺りを掘るときが、一番注意が必要なのです。
で、私の作業の方は、今日もノルマ以上に進めることができて。朝、3時半頃に蚊に喰われて目が覚めて、午後も家の中にいた蚊に喰われて。蚊三昧の一日だったのでした。
で、7番目の兄さんからは、「これで、甲賀三郎が、何故地上に戻ってきたときに、蛇の姿だったのか分かったでしょ?」と言われる気がするわけで。甲賀三郎は、諏訪地方の伝承で、兄弟に騙された三郎が、地面の深い穴に落とされて、地下世界をさまよった末に、地上に戻ってくる話ですが、戻ってきたときに何故か蛇の姿になっていて。人の姿に戻るまでに、もう一仕事、みたいな話であって。三郎が「穴に落とされる」というのは、男の子が植物の豊穣の祭祀で、埋められて殺されたので、大地(月)の女神と一体化して、蛇(月)の姿に生まれ変わる、というか、蛇(月)になる、という話ですねえ? と思う。だから、戻ってきた三郎は蛇(月)の姿なわけです。この「犠牲」である三郎の伝承が、御頭祭における神使(おこう)だよね、と言われる気がするわけで。御頭祭では、江戸時代までは、御贄柱という柱を立てて、そこに神の使いとされる8歳くらいの男の子を縛り付けて、その子を刺し殺そうとするところに、国司の使いが現れて、それを止めて、子供が解放されて祭りは終わる、という祭祀をやっていて。御頭祭は、今では剥製の鹿の頭を柱に供えているわけです。だから、昔は「男の子の頭」を切り落として、柱に供えたものだよね、「柱」とは「地面の上に生えた植物」だから、「男性性」のものです。男の子の頭は、「木の実」の化身でしょ、と言われる気がするわけで。「何の実ですかねえ?」と思ったら、「縄文時代の人は栗が好きだから、栗なんじゃないの?」と言われる気がするわけでー;。要するに、御頭祭は、栗の豊穣を願っている、「古栽培民」の祭祀でしょ、「農耕の祭祀」ですよ、と言われる気がするわけで-;。諏訪神が彼の地に入って、人の生け贄は禁止されたと言われている。でも、縄文時代には、男の子を生け贄にして、その子供は「湖の男神」の化身でもあったわけです。諏訪湖は「淡水」だから、「男性」なわけだ@@。でも、「湖の男神の化身」が現世における「神の代理人」という考え方そのものは、諏訪氏の当主が代々受け継いで、彼らは、室町時代くらいまで、冬になると蛇よろしく、地下室に籠もって冬ごもりをする、という生活を送っていました。殺されはしないけれども、「生きた蛇神の化身」としては生活してたわけです。農耕の豊穣のために。「でも、今でも男の子は殺さないけど、蛙は刺し殺すんだけどね。」と言われるわけでー;。それも、「農耕の豊穣の祭祀」ですねえ、と思う-;。しかも、「月の蛙」って言ったら、女性性なんで、それは「女の子」の代わりに殺されてるんですよねえ? と思う。要するに、縄文時代の諏訪の祭祀は、漁労民の祭祀を受けて、最初は男の子も女の子も殺す祭祀だったわけですが、「女の子」の方は縄文時代のうちに、自主的に「土偶」と「蛙」に置き換えられてしまって。男の子の方は、扱いが悪くて、弥生に入るまで殺され続けたもの、と言われる気がするわけでー;。鹿は角が生えてるものだから、原則としては「男性」と言われる気がするわけでー;。どうしてそういう差が生まれるかというと、縄文時代の諏訪の住民は、「母系の熊信仰」の人々であったから、女の子を大切にしていて、殺すのを嫌がったから、と言われる気がするわけで。
大名家の先祖は、諏訪にやってきて、人身御供は禁止したけれども、祭祀の一部は自分達が引き受けて、縄文系の人々も納得できる形で祭祀を続けたし、自分達が「湖の神の化身」ともなったわけです。で、どうして、そうしたかといえば、「そうやって、征服した先の住民の信仰を取り込んで、自分達の都合の良いように混血習合させて支配する手法は、印欧語族の十八番でしょ。「イエス・キリストの後継者」なんて言ったって、やって来たことは蛇のまねごとでしょ。」って誰かが言う気がするわけですが@@。しかも、筒粥神事というのは、でかい釜で米を炊いて吉凶を占うものだから、鳴釜神事と同じで、人の首を煮て農耕の吉凶を占う祭祀だよね、と言われる気がするわけでー;。その人、ものすごい「毒舌太郎」なんじゃないの? そういうところが、私と良く似てるとか、そういうこと?? と思うわけで-;。でも、こういうことで、富の王家のおっちゃんも、大名家のおっちゃんも、7番目の兄さんを前にすると、「ぐうの音」が出なくなるらしくてー;。富の王家のおっちゃんは、何とかの帝国っていう変な本に、「自分とこの先祖はウミヘビ~」みたいに書かせたら、7番目の兄さんに「漁撈民のふりをしても、あんたんとこは牛肉でしょ。」と言われたらしくてー;。「牛の神様」じゃなくて、「牛肉」なのね。まあ、神様って要は「食べ物」のことなんですけどね、漁撈民の信仰ではね、と思うわけですが-;。でも、諏訪の庶民的な信仰の根源は、今でもお山の大姥様(熊)にあるんじゃないの? と思う。多少方便でも、地元の人の気持ちを大切にすることも、大事なことではないかなー、と、まあ、そういう人達もいるわけです。まあまあ、どちらもお手柔らかに、と思うわけですが-;。