本日の日誌

本日も天気は晴れで、お外組は外で作業していたのでした。親が、砕石のうち、綺麗なものを使おうと思ってとっておいたのですが、そこにいつの間にか丸い石とか、大きい変な石とか、土が混ぜ込まれていて。それをまたより分けていたのでした。石は、溜まってきたら片付けたいのですが、裁判があるから保全しておきたくもあって。悩んでいます。

で、今日は近所の施設で文化祭みたいなものがあって。けっこう午前中はうるさくて。いろいろと日記とか読み返してみるに、そういえば毎年この行事があったのに、日記には全然書いてないなあ、なんでだろう? と思ったのですが。だいたい、その日は「THE MUSIC DAY」と重なっているので、日記に書く頃には忘れてしまってたのかも、と思う。

で、私の方は、「THE MUSIC DAY」があったので、作業の方はあんまり進まないかな? と思ったのですが、ノルマよりも大幅に進んで。良かったです。

で、中国の民話をちょこちょこと読んでいたら、二人の若者が山に登って、神仙に出会って、のんびりと遊んで家に帰ったら、70年も経っていた、という話があって。で、確か北米の先住民の民話に、熊と仲良くなって、熊の遊びに行き、熊の知る「生命の秘密」とかを教えて貰って帰って来た人の話があって。7番目の兄さんに、「その二つが、元は同じ話だって分かるよね?」と言われる気がするわけで。要するに、「異界」に行って、戻ってきたら何年も時間が過ぎすぎている浦島太郎の物語の原型は、「熊が冬眠していること」を示しているんだ? と思う。冬に姿を消す熊は、春になると戻ってくるけれども、姿を消してから戻ってくるまでの間に、一定の時間がかかる。その時間が、民話の中でどんどん長くなって、何十年、何百年ってなってしまってるのか、と思う。そして、そうやって、人が異界に行って、人の姿のままで戻ってくるのは、北方の狩猟民の神話の特徴なので、「人の姿」で戻ってくる浦島太郎の物語は、漁撈民の信仰と、熊トーテムの人々の神話が習合して、できあがったもの、と言われる気がするわけで。漁撈民の神話だと、戻ってくるのは魚(食べ物)だし、時間がかかる必要性もないわけです。出雲もそうですけれども、富の王家も一応先祖は、ウミヘビである、と言っている。要するに、漁撈民を装っている。でも、出雲には熊野大社もあって、熊野の権威も認めている。熊野は名前の通り、熊信仰があったことを示すものだから、関西で漁撈民の文化が強いように見えても、山陰地方は、全体としては漁撈民と熊信仰の人々が混血習合した文化が強いところ、と言われる気がするわけで。だから、こうやって民話や神話を見れば、その地方の人々がどういうトーテムの人々で、何を考えて生きているのか分かる、と言われる気がするわけで。そして「婆神」というのは、大陸では「狼」のことだけれども、日本では変則的に熊信仰が強くて、縄文時代の人々の言う「大姥様」とは「熊」のことだから、と言われる気がするわけで。なぜなら、「狼信仰」というのは、狼は集団で狩りをするものなので、集団で戦う「戦争」というものと大いに関係がある。でも、縄文時代には「戦争」がなかった、という通り、その時代の日本の人達は「集団で戦う」ということを知らず、ほとんど実践してもいなかったので、彼らは狼信仰の人々ではない。日本人が「戦争」を始めるようになったのは、弥生時代になってから、と言われる気がするわけで@@。トーテムって、そういうことにまで関係してくるんだ? と思う。

で、「THE MUSIC DAY」の方も通しで見て。昼間も昼寝しながら点けっぱなしであって。美少年が出てたし、嵐が昼間も歌ってたし、けっこう通しで見て良かったかな、と思う。で、ジャニーズのシャッフルメドレーで、まっすーがほぼ真っ黒な衣装を着て、キスマイの「EverybodyGo」を歌っていて。手に「チャンピオン」とかって書いてあった気がして。黒い衣装も珍しいし、意味深であると思う。で、なんでなんだろう? と思っていたら、7番目の兄さんに、「それは新月を現しているんじゃないの?」と言われる気がするわけで。まっすーが、「No.1のチャンピオン」だと思っている「誰か」がその番組に出ていなかった、すなわち「隠れていた(新月とは隠れているもの)」ということじゃないの? と言われる気がするわけで。あー、KinKi-Kidsが出てなかったもんね、と思う。6番目の子の方は、7番目の兄さんに取り付かれている私を見て、「余計なヒモに取り付かれてる」と言ってた気がするわけですがー;。まあ、人によって言ってくることはそんなこと、ということで-;。いろんな兄さん達に、結縁できて、良い日でございました。

本日の日誌

本日も天気は晴れで、水が湧いてくるのも落ち着いてきて。お外組はだいたい作業していたのでした。

で、私の方は、紙を買い出しに行ったり、雑用を片付けたりしたので、今日はいつもの半分強しか作業が進まなくて。昼間はなんだか蒸し暑くて、窓を全開にしたりしていて。でも、だいぶ先が見えてきました。

で、夜はMステスペを見る。嵐が、ゲストなので、楽しみにはしていたわけです。最後に歌った、「SAKURA」は6番目の子の求婚のお歌だし、思い出の歌だー、と思うわけですが。7番目の兄さんが、「うちの大事な娘はつまんない奴とは結婚させない」ってガミガミ言う気がするわけで。気分はすっかり舅ですねえ? と思う。というか、ほっておいたら、私に、「自分と6番目の子のどちらが好きなのか。」って言いそう、というか、言いたそうだー、と思うのですが。嵐の兄さん達は、あんまり明るい顔をしてなくて、キスマイの兄さん達は割と明るい顔をしていた気がするわけですー;。明日は年に一度のMUSIC ADYです。

本日の日誌

本日も天気は晴れで、水が湧いてくるのも落ち着いてきて。お外組はだいたい作業していたのでした。

で、私の方は、紙を買い出しに行ったり、雑用を片付けたりしたので、今日はいつもの半分強しか作業が進まなくて。昼間はなんだか蒸し暑くて、窓を全開にしたりしていて。でも、だいぶ先が見えてきました。

で、夜はMステスペを見る。嵐が、ゲストなので、楽しみにはしていたわけです。最後に歌った、「SAKURA」は6番目の子の求婚のお歌だし、思い出の歌だー、と思うわけですが。7番目の兄さんが、「うちの大事な娘はつまんない奴とは結婚させない」ってガミガミ言う気がするわけで。気分はすっかり舅ですねえ? と思う。というか、ほっておいたら、私に、「自分と6番目の子のどちらが好きなのか。」って言いそう、というか、言いたそうだー、と思うのですが。嵐の兄さん達は、あんまり明るい顔をしてなくて、キスマイの兄さん達は割と明るい顔をしていた気がするわけですー;。明日は年に一度のMUSIC ADYです。

本日の日誌

本日は、おおむね晴れたのですが、昨夜大雨が降ったので、地下に水が湧いてくるようになってしまってー;。親と姉は、一日だいたい水くみをしていたのでした。その他、草取りとか。私が外に出ると、隣家がわざとらしく大騒ぎしながら掃除機をかけたりするわけで。工務店と組んで、我が家の敷地内に排水をするような工事を勝手にしていたくせに、図々しいな、と思うわけです。

で、私の作業の方は、今日もなんとかノルマ以上に進めることができて。で、紙をもうちょっと買い足したい、と言ったら親に驚かれて。親と姉も頑張ってるけど、だって、私も朝から深夜まで、資料の整理に没頭してるんだものー、証拠に出す紙の消費も激しくなるって、と思う。

で、7番目の兄さんには、昨日あたり、なんとなく、「婆(ババ)」というのは、「狼(Wolf)」のことだから。「B」の子音は「狼」ということ、と言われる気がするわけで。要するに、メソの古い太陽神バッバルとか、ロシアの森の妖婆バーバ・ヤーガ、フィンランドのカレワラのロウヒとかですよねえ? と思う。

で、今日「新編 世界むかし話集」という本が10冊届いたわけです。「新編」といっても、元の「世界むかし話集」が世に出たのが1971年であって、新たに物語を追加して「新編」となったのが、1977年であるので。今買うと、全巻セットで3万5千円とかするわけですが。中古で買えば6000円だよ、買っちゃえ、と言われる気がするので、買ったわけで。ともかく、神話の研究をするには、基礎資料が必要、といわれる気がするわけで。で、スラブ(ロシア)の民話に、バーバ・ヤーガの物語があるわけで。小さな女の子が、継母に虐められて、森の中の人食いのバーバ・ヤーガのところに使いに出されるわけです。女の子は、バーバ・ヤーガの罠をかいくぐって家になんとか逃げ戻ることができたわけですが。「あー、でも、これ「赤ずきんちゃん」と同じ類いの話だー。」と思って。人食いのバーバ・ヤーガとは、森の主人である狼のことである。赤ずきんちゃんでは、おばあさんは森の中に住んでいて、お祖母さんも赤ずきんちゃんも狼に食べられてしまことになっている。でも、元々「お祖母さん」と「狼」は同じもので、赤ずきんちゃんは、先祖の神の狼に食べられて、森の豊穣をもたらすために、供物と共に森に置き去りにされた生け贄の子供のことだー、と気がついて。「赤ずきんちゃん」では、なんで、「お祖母さん」と「狼」は分けられたのですかね? と思う。そうすると、それは「キリスト教化が一番の原因であって、動物が先祖のトーテムである、という思想が禁止されたこと、生け贄の祭祀そのものも禁止されたことから、神話がキリスト教教会が妥当と見なされる程度に、書き換えられたもの。」と言われる気がするわけで@@。でも、本来、先祖のトーテムは「階級」と大きく関係するものだから、自分の先祖のトーテムを忘れさせられた者は、トーテムのない「最下層の流民」となることになるので、それはとても危険なこと、と言われる気がするわけで@@。「お祖母さん」は狼だから、普段から村ではなくて、森の中に住んでいる。普通は幼い子供を一人で森に行かせたりはしないけれども、赤ずきんちゃんは、もう生け贄にする予定だから、一人で森においやられる、と言われる気がするわけで@@。動物と人が等価であって、人と動物が簡単に結婚して子孫を残す、という思想は北方の狩猟民のもの、植物の豊穣を求めて神に犠牲を捧げるのは南方の漁撈民のもので、その2つが習合して「赤ずきんちゃん」の思想はできている、と言われる気がするわけで。だから、漁撈民的にいえば、「赤ずきんちゃん」とは、植物の豊穣のために殺されるハイヌウェレだし、「金枝篇」のフレイザー的にいえば、「赤ずきんちゃん」とは、森の豊穣のために生け贄に捧げられる解放奴隷、ということになる、と言われる気がするわけで。

7番目の兄さんは、自分のことは、総本家の遠いご先祖様だから、「狼」だと思ってるらしいですが。夜は、「VS嵐」を見て。で、なんだか、あんまりテレビの内容が頭に入ってこない、というか「?」という感じであって。7番目の兄さんがふっと降臨してきて、「狼おじさんが、赤ずきんちゃんを食べちゃう」とかって言って抱きついてくる気がするわけで-;。「食べられちゃう-」と思うわけですが。どうも、7番目の兄さんに捕まってしまって、嵐を見ても、あんまり頭に入ってこない気がするわけで。潤ちゃん、ごめんー、とは思うわけですが-;。

本日の日誌

本日は、おおむね晴れたのですが、昨夜大雨が降ったので、地下に水が湧いてくるようになってしまってー;。親と姉は、一日だいたい水くみをしていたのでした。その他、草取りとか。私が外に出ると、隣家がわざとらしく大騒ぎしながら掃除機をかけたりするわけで。工務店と組んで、我が家の敷地内に排水をするような工事を勝手にしていたくせに、図々しいな、と思うわけです。

で、私の作業の方は、今日もなんとかノルマ以上に進めることができて。で、紙をもうちょっと買い足したい、と言ったら親に驚かれて。親と姉も頑張ってるけど、だって、私も朝から深夜まで、資料の整理に没頭してるんだものー、証拠に出す紙の消費も激しくなるって、と思う。

で、7番目の兄さんには、昨日あたり、なんとなく、「婆(ババ)」というのは、「狼(Wolf)」のことだから。「B」の子音は「狼」ということ、と言われる気がするわけで。要するに、メソの古い太陽神バッバルとか、ロシアの森の妖婆バーバ・ヤーガ、フィンランドのカレワラのロウヒとかですよねえ? と思う。

で、今日「新編 世界むかし話集」という本が10冊届いたわけです。「新編」といっても、元の「世界むかし話集」が世に出たのが1971年であって、新たに物語を追加して「新編」となったのが、1977年であるので。今買うと、全巻セットで3万5千円とかするわけですが。中古で買えば6000円だよ、買っちゃえ、と言われる気がするので、買ったわけで。ともかく、神話の研究をするには、基礎資料が必要、といわれる気がするわけで。で、スラブ(ロシア)の民話に、バーバ・ヤーガの物語があるわけで。小さな女の子が、継母に虐められて、森の中の人食いのバーバ・ヤーガのところに使いに出されるわけです。女の子は、バーバ・ヤーガの罠をかいくぐって家になんとか逃げ戻ることができたわけですが。「あー、でも、これ「赤ずきんちゃん」と同じ類いの話だー。」と思って。人食いのバーバ・ヤーガとは、森の主人である狼のことである。赤ずきんちゃんでは、おばあさんは森の中に住んでいて、お祖母さんも赤ずきんちゃんも狼に食べられてしまことになっている。でも、元々「お祖母さん」と「狼」は同じもので、赤ずきんちゃんは、先祖の神の狼に食べられて、森の豊穣をもたらすために、供物と共に森に置き去りにされた生け贄の子供のことだー、と気がついて。「赤ずきんちゃん」では、なんで、「お祖母さん」と「狼」は分けられたのですかね? と思う。そうすると、それは「キリスト教化が一番の原因であって、動物が先祖のトーテムである、という思想が禁止されたこと、生け贄の祭祀そのものも禁止されたことから、神話がキリスト教教会が妥当と見なされる程度に、書き換えられたもの。」と言われる気がするわけで@@。でも、本来、先祖のトーテムは「階級」と大きく関係するものだから、自分の先祖のトーテムを忘れさせられた者は、トーテムのない「最下層の流民」となることになるので、それはとても危険なこと、と言われる気がするわけで@@。「お祖母さん」は狼だから、普段から村ではなくて、森の中に住んでいる。普通は幼い子供を一人で森に行かせたりはしないけれども、赤ずきんちゃんは、もう生け贄にする予定だから、一人で森においやられる、と言われる気がするわけで@@。動物と人が等価であって、人と動物が簡単に結婚して子孫を残す、という思想は北方の狩猟民のもの、植物の豊穣を求めて神に犠牲を捧げるのは南方の漁撈民のもので、その2つが習合して「赤ずきんちゃん」の思想はできている、と言われる気がするわけで。だから、漁撈民的にいえば、「赤ずきんちゃん」とは、植物の豊穣のために殺されるハイヌウェレだし、「金枝篇」のフレイザー的にいえば、「赤ずきんちゃん」とは、森の豊穣のために生け贄に捧げられる解放奴隷、ということになる、と言われる気がするわけで。

7番目の兄さんは、自分のことは、総本家の遠いご先祖様だから、「狼」だと思ってるらしいですが。夜は、「VS嵐」を見て。で、なんだか、あんまりテレビの内容が頭に入ってこない、というか「?」という感じであって。7番目の兄さんがふっと降臨してきて、「狼おじさんが、赤ずきんちゃんを食べちゃう」とかって言って抱きついてくる気がするわけで-;。「食べられちゃう-」と思うわけですが。どうも、7番目の兄さんに捕まってしまって、嵐を見ても、あんまり頭に入ってこない気がするわけで。潤ちゃん、ごめんー、とは思うわけですが-;。