本日の日誌

本日は、夕方から雨が降って。午前中は主に、お外組が買い物とごみ捨てに出かけていたので、外の仕事は少ししかできなかったのでした。昨日は、家人が歯医者に行ったので、同じ感じでした。

私の方は、月のモノが3日めになったので、やっと意識がはっきりしてきて。(1日目と2日目はぼーっとしてるので-;)で、裁判用の「お仕事」の方は、追加の書証の整理をしたわけですが、有象無象な資料が多すぎて、出したいモノがとっちらかってしまっているので、探すのに大変で-;。あとどのくらいで仕上がるかなあ? と確認中です。まあ、次は金勘定のことしか出す気がないから、あんまり書くことはないわけですが。書証が大量にあるのです。

で、どうも家人がイライラしている感じなので、裁判が近いということと、再び民話・神話学に片足を突っ込みつつあるから、いろいろと調べられることが嫌な人達がいるのだと思う。裁判の方は、例によって、「締め切りまでになんとかなるかなあ?」というところである。

民話・神話の方は、「女性差別と、その最たるものである寡婦殉死についての歴史を調べるように。」と言われるのであって。女性差別や階級差別の原因を探って、将来的にはその解決方法を探れるように、ということなのではないかと思うわけですが。そもそも、オーストロネシア語族の植物の豊穣の神話は、男女の性差があまりなくて、地上から上のものは男性、根菜は女性、(丈の低い植物も女性?)という感じであって。それを取り上げるのに、ハイヌウェレだけを取り上げて、「須佐之男とオオゲツヒメ」とか、そういう「女の人が殺される」ことばかりを取り上げて強調するのが、現代の「女性差別」なのだと思う。でも、西欧の方では、ドゥムジ、アドニス、オシリスと、男性が殺される神話もたくさんあるわけで、元は「女神だけが死なねばならない神話」ではないことは、各地の神話を見ればすぐに分かることなのです。

台湾あたりが発祥であり、漁撈民であるオーストロネシア語族の文化が、世界に伝播するには2つの系統があって、一つはインドネシア方面に拡がって、沿岸沿いにインド、中東、地中海と拡がったもの。もう一つは、中国沿岸を北上して、中国東北部辺りで、農耕や栽培が行われなくなった辺りの住人に、「豊穣の祭祀」のみが取り入れられて、遊牧民である彼らが馬に乗ることを覚えて、そこから中央アジアの草原地帯を馬と犬と共に西走してヨーロッパ方面に拡がったものである。シルクロードとしては「天山北路」とかに相当する道だと思うのだけれど、ここを通って印欧語族がクルガン文化を伴って、西欧に拡がっていくのに、2000~3000年くらいかかるわけで。おそらく、その「馬の道」の発祥は、遼河文明あたりだと思う。「竜」の発祥の地である、中国東北部に栄えた遼河文明は、ヒスイで作った「猪竜」が特徴で、これは猪の頭、蛇の尻尾を持っており、かつ馬のたてがみを持っていたりする。豚と蛇信仰は、遙か遠く長江流域に起源があるものですが、馬はそうではないと思う。農耕を行わない彼らは、牧畜が主な生活源であり、男性は、自らの富貴と豊穣のために、馬と女性を殺す祭祀を行っていたと思われます。特に、馬と女性が強く結びつけられていて、その辺りの民話や神話には、「女性が何の豊穣ももたらさず、(でも男には得になるような)男の都合で死ぬ」という傾向があるように思う。なんというか、個人的には「みんなのために死ぬハイヌウェレ」の方がまだマシ、というか、なんで個人的に男の都合に振り回されて、女の人が死なねばならんの? と思う。

オーストロネシア語族の文化の、ごく局地的な伝播経路として、台湾→沖縄→日本列島とあるわけで。でも、私が思うに、このミニ伝播経路で伝わった文化は、あんまり残虐ではないわけです。沖縄には、ウナギが悪霊とされるけれども、ウナギの機嫌を取るために誰かが死ぬ、という話は、おそらくあまりないのではないかと思う。日本で、このミニ伝播経路で伝わった伝承で、一番色濃く残っているのは、「ウナギを食べたら祟られて目が見えなくなった」という話があるので、これは「悪霊のウナギに頭を食べられた」とか、そういう神話の名残なのかなあ、と思う。でも、本土は、後に中国から入ってきている思想が混在しているので、「ぶつ切りにされて赤飯に変化するハイヌウェレ(ウナギ)」とか、いいんだけれども、そんな感じになっているわけで。どちらかといえば、ウナギとは、神というよりも「地震を起こして祟る神」というのが、本来の思想であって、「生け贄」は、その機嫌を取るためのもの、として後から付け加えられたものな気がします。

「馬と遊牧民の道」の方ですが、遼河文明には「緑色の目をした女神」の頭が祭られていた廟がありました。これは、その「頭」が守護の役割も果たしたのだと思います。しかも「緑色の目」をしてるのだから、モンゴロイドじゃなくて、白人の女神なわけです。そして、古代のギリシャ人は、神殿の守護として、「メドゥーサの首」を神殿に飾りました。目の色は分からないけれども、白人の神様ではある。そして、メドゥーサの切り落とされた首からは、ペガソス(天馬)が生まれた、とされており、その父親は海神ポセイドーンでした。要するに、メドゥーサとは、海神に馬の豊穣を願って殺された「女性」ということになります。ギリシャ人は馬の神話が好きで、ポセイドーンは、他にもデーメーテール女神に馬の姿で交尾を迫り、無理矢理馬の子を産ませて、それを怒った女神が隠れてしまった、という神話があるわけで。その一方で、北欧のワルキューレは空飛ぶ白馬に乗って戦場を駆け巡り、戦死者の魂を天上世界へ連れて行く役目を負っていましたし、ケルトの馬の女神エポナは、死者の黄泉路の案内人でもあったので。また、トラキアでは妻は夫の死後殉死して、夫と共に天上世界へ行くとされていて。要するに、印欧語族では、男性(特に戦士)が、死後天国に行くためには、女性と馬が必要であった、という思想があったと示唆される。だから、「馬に関する犠牲」と「寡婦殉死」は、密接に結びついているわけです。でも、ヨーロッパには、「馬のために女神が殺された」という話はあまりありません。そういう話は、痕跡を残して神話や伝承の上からも消えてしまっているといえます。その代わりに、ギリシャには、父親であるアガメムンーンの都合で、生け贄にされてしまう王女イーピゲネイアの物語があります。イーピゲネイアって誰のことですか? 「エポナのことでしょう。」と7番目の兄さんに言われる気がするわけで@@。そりゃそうだ、同じ子音だ@@。と思うわけです。エポナとは「馬の泉」という意味もあるそうで、エポナは水に関する女神でもあります。

しかも、もっと大きな問題がある。印欧語族の神話の中で「神性」があるとして好まれるのは「白馬」だけれども、それは地中海周辺地域に到達して、そこで「より重要」と考えられている「牛」に変更されてしまった。「テュロスの王女として生まれたエウローペーは美しく成長した。あるとき、彼女を見たゼウスは一目で恋に落ち、彼女を誘惑するために自身を白い牡牛に変え、エウローペーが侍女と花を摘んでいるときに近づいた。そして白い牡牛を見つけたエウローペーがその背にまたがると、白い牡牛は海を渡ってエウローペーをクレータ島へと連れ去った。エウローペーが海を渡った西方の地域は彼女の名前から「ヨーロッパ」 (Europa) と呼ばれるようになった。」という神話があるでしょう。「白い牡牛」とは、本来「白馬」であったものです。エウローペーとは、エポナのことだ。「ヨーロッパ」全体が「馬頭娘」だぜ? と言われる気がするわけで@@。

馬と、女性の死が豊穣をもたらし神話の最たるものは、蚕の起源に関する「馬頭娘」であって、中国では明確に、女性の死と馬の関連がはっきしているわけで、女性は「蚕の豊穣」のために殺される「ハイヌウェレ」といえる。中国には、他に神話上の皇帝舜が亡くなった際に、二人の妻が湖飛び込んで殉死した、という話がある。

でも、蚕の話は、日本に「霊異記」に蛇との関連が示唆される伝承があるので、本来は馬ではなく、蛇と関連する話であった可能性が高い。馬頭娘は馬を飼うようになって、馬が重要視されるようになってから後付けで馬が加えられたものです。また、日本武尊の東征の都合で、海に飛び込んで死ぬ弟橘媛の伝承がある。東洋に伝わる、4つの伝承を考察する限り、ハイヌウェレ型の神話が古代中国に伝播し拡がる過程で、「物産の豊穣に関して女神が死ぬ神話」「夫に殉死して女神が死ぬ神話」「単に夫の都合で女神が死ぬ神話」の3つのパターンが東洋で発生しており、それが遼河文明を経て、印欧語族の西進と共に、馬と共に西欧に伝播し、遊牧民にとって馬が重要な動物であったことから、馬と強く関連付けられることになったもの。そして、この女神の名が「エポナ」とされたので、その名が「ヨーロッパ」という地名になるほどに、強く深く拡散したもの、と言われる気がするわけで@@。あまりにも、古い時代に拡散したから、ヨーロッパにおける神話は散逸してしまったけれども、原型に近い話が東洋に残っている。だいたい近所に「望月の駒」っていう話があるでしょう。女性を食らう「月の馬」ですよ、オオゲツヒメを殺す須佐之男か月夜見でしょ? と言われる気がするわけで@@。

これが、世界にはびこる、差別社会と階級社会の根源にある「神話」らしいのですが@@。「望月の駒」?? とか思うわけで。でも、西欧における、馬の神話を探るには、辺境の地である、アイルランド、スコットランド、イングランド、北欧と特例的にギリシャの神話・伝説を洗って学ぶしかない。エポナこそが、ヨーロッパで最大の「月の女神」なのです。ヴァティカヌスですら、その名前を消し去ることができなかった権威ある太母です、と言われる気がするわけで@@。女性が馬の犠牲にされる祭祀は、印欧語族ではごく早い時期に廃れてしまって、むしろ「白馬」の方が犠牲とされることの方が多い。男尊女卑が著しいインドにおいてすら、馬の供犠は古代からの重要な儀式でした。特に王権を支えるための儀式として重要だった。しかし、この「白馬」とは女性なのか? それとも男性なのか? と問われる気がするわけで。女性であればエポナ、男性であればその夫である海神、ネプトゥーヌスかマナナン・マク・リールとかになるのですかねえ? と思う。

しかし、ともかく、ヨーロッパの馬の太母エポナは、ゾロアスターの世界では、アナーヒタ女神へとその性質が大きく取り込まれるわけで。「だいたい、アルテミス・ディアーヌの名を持つ者はエポナの名前を取れないんだよ。そもそも、エポナの男性形の名前が、何だか分かるでしょ?」と言われる気がするわけで。それは、「シヴァ」では? と思う。シヴァの乗り物も、「白い牡牛」だし@@、と思う。「エポナにシヴァっていったら、蛙黽の名前を持つ者にしか、取れない名前でしょ。だいたい、だからエポナは小さな泉の女神なんじゃないの。蛙黽の女神は、小さな泉の中でケロケロ鳴いているのがお似合い。」と言われる気がするわけで@@。

要するに、エポナ・アナーヒタとは馬乗りの印欧語族にとっては、根源的な太母であるけれども、東洋では単なる「生駒姫」に過ぎない。くだらない夫に殉じていないで、自分達の方に出てくるように。あなたの「夫」である海竜王が待っている、と。西欧の人達はそう言いそうである。そして、階級差別と女性差別がはびこる世界をどう変えていったら良いのか、考えて欲しい、と言われそうな気がする。でも、まずは自ら「馬頭娘」の呪いを解かないといけなわけだ。だから、「絹」がそもそも、我が家には危険な代物なんじゃないの? と始めて思うわけですが。

本日の日誌

本日は、夕方から雨が降って。午前中は主に、お外組が買い物とごみ捨てに出かけていたので、外の仕事は少ししかできなかったのでした。昨日は、家人が歯医者に行ったので、同じ感じでした。

私の方は、月のモノが3日めになったので、やっと意識がはっきりしてきて。(1日目と2日目はぼーっとしてるので-;)で、裁判用の「お仕事」の方は、追加の書証の整理をしたわけですが、有象無象な資料が多すぎて、出したいモノがとっちらかってしまっているので、探すのに大変で-;。あとどのくらいで仕上がるかなあ? と確認中です。まあ、次は金勘定のことしか出す気がないから、あんまり書くことはないわけですが。書証が大量にあるのです。

で、どうも家人がイライラしている感じなので、裁判が近いということと、再び民話・神話学に片足を突っ込みつつあるから、いろいろと調べられることが嫌な人達がいるのだと思う。裁判の方は、例によって、「締め切りまでになんとかなるかなあ?」というところである。

民話・神話の方は、「女性差別と、その最たるものである寡婦殉死についての歴史を調べるように。」と言われるのであって。女性差別や階級差別の原因を探って、将来的にはその解決方法を探れるように、ということなのではないかと思うわけですが。そもそも、オーストロネシア語族の植物の豊穣の神話は、男女の性差があまりなくて、地上から上のものは男性、根菜は女性、(丈の低い植物も女性?)という感じであって。それを取り上げるのに、ハイヌウェレだけを取り上げて、「須佐之男とオオゲツヒメ」とか、そういう「女の人が殺される」ことばかりを取り上げて強調するのが、現代の「女性差別」なのだと思う。でも、西欧の方では、ドゥムジ、アドニス、オシリスと、男性が殺される神話もたくさんあるわけで、元は「女神だけが死なねばならない神話」ではないことは、各地の神話を見ればすぐに分かることなのです。

台湾あたりが発祥であり、漁撈民であるオーストロネシア語族の文化が、世界に伝播するには2つの系統があって、一つはインドネシア方面に拡がって、沿岸沿いにインド、中東、地中海と拡がったもの。もう一つは、中国沿岸を北上して、中国東北部辺りで、農耕や栽培が行われなくなった辺りの住人に、「豊穣の祭祀」のみが取り入れられて、遊牧民である彼らが馬に乗ることを覚えて、そこから中央アジアの草原地帯を馬と犬と共に西走してヨーロッパ方面に拡がったものである。シルクロードとしては「天山北路」とかに相当する道だと思うのだけれど、ここを通って印欧語族がクルガン文化を伴って、西欧に拡がっていくのに、2000~3000年くらいかかるわけで。おそらく、その「馬の道」の発祥は、遼河文明あたりだと思う。「竜」の発祥の地である、中国東北部に栄えた遼河文明は、ヒスイで作った「猪竜」が特徴で、これは猪の頭、蛇の尻尾を持っており、かつ馬のたてがみを持っていたりする。豚と蛇信仰は、遙か遠く長江流域に起源があるものですが、馬はそうではないと思う。農耕を行わない彼らは、牧畜が主な生活源であり、男性は、自らの富貴と豊穣のために、馬と女性を殺す祭祀を行っていたと思われます。特に、馬と女性が強く結びつけられていて、その辺りの民話や神話には、「女性が何の豊穣ももたらさず、(でも男には得になるような)男の都合で死ぬ」という傾向があるように思う。なんというか、個人的には「みんなのために死ぬハイヌウェレ」の方がまだマシ、というか、なんで個人的に男の都合に振り回されて、女の人が死なねばならんの? と思う。

オーストロネシア語族の文化の、ごく局地的な伝播経路として、台湾→沖縄→日本列島とあるわけで。でも、私が思うに、このミニ伝播経路で伝わった文化は、あんまり残虐ではないわけです。沖縄には、ウナギが悪霊とされるけれども、ウナギの機嫌を取るために誰かが死ぬ、という話は、おそらくあまりないのではないかと思う。日本で、このミニ伝播経路で伝わった伝承で、一番色濃く残っているのは、「ウナギを食べたら祟られて目が見えなくなった」という話があるので、これは「悪霊のウナギに頭を食べられた」とか、そういう神話の名残なのかなあ、と思う。でも、本土は、後に中国から入ってきている思想が混在しているので、「ぶつ切りにされて赤飯に変化するハイヌウェレ(ウナギ)」とか、いいんだけれども、そんな感じになっているわけで。どちらかといえば、ウナギとは、神というよりも「地震を起こして祟る神」というのが、本来の思想であって、「生け贄」は、その機嫌を取るためのもの、として後から付け加えられたものな気がします。

「馬と遊牧民の道」の方ですが、遼河文明には「緑色の目をした女神」の頭が祭られていた廟がありました。これは、その「頭」が守護の役割も果たしたのだと思います。しかも「緑色の目」をしてるのだから、モンゴロイドじゃなくて、白人の女神なわけです。そして、古代のギリシャ人は、神殿の守護として、「メドゥーサの首」を神殿に飾りました。目の色は分からないけれども、白人の神様ではある。そして、メドゥーサの切り落とされた首からは、ペガソス(天馬)が生まれた、とされており、その父親は海神ポセイドーンでした。要するに、メドゥーサとは、海神に馬の豊穣を願って殺された「女性」ということになります。ギリシャ人は馬の神話が好きで、ポセイドーンは、他にもデーメーテール女神に馬の姿で交尾を迫り、無理矢理馬の子を産ませて、それを怒った女神が隠れてしまった、という神話があるわけで。その一方で、北欧のワルキューレは空飛ぶ白馬に乗って戦場を駆け巡り、戦死者の魂を天上世界へ連れて行く役目を負っていましたし、ケルトの馬の女神エポナは、死者の黄泉路の案内人でもあったので。また、トラキアでは妻は夫の死後殉死して、夫と共に天上世界へ行くとされていて。要するに、印欧語族では、男性(特に戦士)が、死後天国に行くためには、女性と馬が必要であった、という思想があったと示唆される。だから、「馬に関する犠牲」と「寡婦殉死」は、密接に結びついているわけです。でも、ヨーロッパには、「馬のために女神が殺された」という話はあまりありません。そういう話は、痕跡を残して神話や伝承の上からも消えてしまっているといえます。その代わりに、ギリシャには、父親であるアガメムンーンの都合で、生け贄にされてしまう王女イーピゲネイアの物語があります。イーピゲネイアって誰のことですか? 「エポナのことでしょう。」と7番目の兄さんに言われる気がするわけで@@。そりゃそうだ、同じ子音だ@@。と思うわけです。エポナとは「馬の泉」という意味もあるそうで、エポナは水に関する女神でもあります。

しかも、もっと大きな問題がある。印欧語族の神話の中で「神性」があるとして好まれるのは「白馬」だけれども、それは地中海周辺地域に到達して、そこで「より重要」と考えられている「牛」に変更されてしまった。「テュロスの王女として生まれたエウローペーは美しく成長した。あるとき、彼女を見たゼウスは一目で恋に落ち、彼女を誘惑するために自身を白い牡牛に変え、エウローペーが侍女と花を摘んでいるときに近づいた。そして白い牡牛を見つけたエウローペーがその背にまたがると、白い牡牛は海を渡ってエウローペーをクレータ島へと連れ去った。エウローペーが海を渡った西方の地域は彼女の名前から「ヨーロッパ」 (Europa) と呼ばれるようになった。」という神話があるでしょう。「白い牡牛」とは、本来「白馬」であったものです。エウローペーとは、エポナのことだ。「ヨーロッパ」全体が「馬頭娘」だぜ? と言われる気がするわけで@@。

馬と、女性の死が豊穣をもたらし神話の最たるものは、蚕の起源に関する「馬頭娘」であって、中国では明確に、女性の死と馬の関連がはっきしているわけで、女性は「蚕の豊穣」のために殺される「ハイヌウェレ」といえる。中国には、他に神話上の皇帝舜が亡くなった際に、二人の妻が湖飛び込んで殉死した、という話がある。

でも、蚕の話は、日本に「霊異記」に蛇との関連が示唆される伝承があるので、本来は馬ではなく、蛇と関連する話であった可能性が高い。馬頭娘は馬を飼うようになって、馬が重要視されるようになってから後付けで馬が加えられたものです。また、日本武尊の東征の都合で、海に飛び込んで死ぬ弟橘媛の伝承がある。東洋に伝わる、4つの伝承を考察する限り、ハイヌウェレ型の神話が古代中国に伝播し拡がる過程で、「物産の豊穣に関して女神が死ぬ神話」「夫に殉死して女神が死ぬ神話」「単に夫の都合で女神が死ぬ神話」の3つのパターンが東洋で発生しており、それが遼河文明を経て、印欧語族の西進と共に、馬と共に西欧に伝播し、遊牧民にとって馬が重要な動物であったことから、馬と強く関連付けられることになったもの。そして、この女神の名が「エポナ」とされたので、その名が「ヨーロッパ」という地名になるほどに、強く深く拡散したもの、と言われる気がするわけで@@。あまりにも、古い時代に拡散したから、ヨーロッパにおける神話は散逸してしまったけれども、原型に近い話が東洋に残っている。だいたい近所に「望月の駒」っていう話があるでしょう。女性を食らう「月の馬」ですよ、オオゲツヒメを殺す須佐之男か月夜見でしょ? と言われる気がするわけで@@。

これが、世界にはびこる、差別社会と階級社会の根源にある「神話」らしいのですが@@。「望月の駒」?? とか思うわけで。でも、西欧における、馬の神話を探るには、辺境の地である、アイルランド、スコットランド、イングランド、北欧と特例的にギリシャの神話・伝説を洗って学ぶしかない。エポナこそが、ヨーロッパで最大の「月の女神」なのです。ヴァティカヌスですら、その名前を消し去ることができなかった権威ある太母です、と言われる気がするわけで@@。女性が馬の犠牲にされる祭祀は、印欧語族ではごく早い時期に廃れてしまって、むしろ「白馬」の方が犠牲とされることの方が多い。男尊女卑が著しいインドにおいてすら、馬の供犠は古代からの重要な儀式でした。特に王権を支えるための儀式として重要だった。しかし、この「白馬」とは女性なのか? それとも男性なのか? と問われる気がするわけで。女性であればエポナ、男性であればその夫である海神、ネプトゥーヌスかマナナン・マク・リールとかになるのですかねえ? と思う。

しかし、ともかく、ヨーロッパの馬の太母エポナは、ゾロアスターの世界では、アナーヒタ女神へとその性質が大きく取り込まれるわけで。「だいたい、アルテミス・ディアーヌの名を持つ者はエポナの名前を取れないんだよ。そもそも、エポナの男性形の名前が、何だか分かるでしょ?」と言われる気がするわけで。それは、「シヴァ」では? と思う。シヴァの乗り物も、「白い牡牛」だし@@、と思う。「エポナにシヴァっていったら、蛙黽の名前を持つ者にしか、取れない名前でしょ。だいたい、だからエポナは小さな泉の女神なんじゃないの。蛙黽の女神は、小さな泉の中でケロケロ鳴いているのがお似合い。」と言われる気がするわけで@@。

要するに、エポナ・アナーヒタとは馬乗りの印欧語族にとっては、根源的な太母であるけれども、東洋では単なる「生駒姫」に過ぎない。くだらない夫に殉じていないで、自分達の方に出てくるように。あなたの「夫」である海竜王が待っている、と。西欧の人達はそう言いそうである。そして、階級差別と女性差別がはびこる世界をどう変えていったら良いのか、考えて欲しい、と言われそうな気がする。でも、まずは自ら「馬頭娘」の呪いを解かないといけなわけだ。だから、「絹」がそもそも、我が家には危険な代物なんじゃないの? と始めて思うわけですが。

本日の日誌

本日は、夕方から雨が降って。午前中は主に、お外組が買い物とごみ捨てに出かけていたので、外の仕事は少ししかできなかったのでした。昨日は、家人が歯医者に行ったので、同じ感じでした。

私の方は、月のモノが3日めになったので、やっと意識がはっきりしてきて。(1日目と2日目はぼーっとしてるので-;)で、裁判用の「お仕事」の方は、追加の書証の整理をしたわけですが、有象無象な資料が多すぎて、出したいモノがとっちらかってしまっているので、探すのに大変で-;。あとどのくらいで仕上がるかなあ? と確認中です。まあ、次は金勘定のことしか出す気がないから、あんまり書くことはないわけですが。書証が大量にあるのです。

で、どうも家人がイライラしている感じなので、裁判が近いということと、再び民話・神話学に片足を突っ込みつつあるから、いろいろと調べられることが嫌な人達がいるのだと思う。裁判の方は、例によって、「締め切りまでになんとかなるかなあ?」というところである。

民話・神話の方は、「女性差別と、その最たるものである寡婦殉死についての歴史を調べるように。」と言われるのであって。女性差別や階級差別の原因を探って、将来的にはその解決方法を探れるように、ということなのではないかと思うわけですが。そもそも、オーストロネシア語族の植物の豊穣の神話は、男女の性差があまりなくて、地上から上のものは男性、根菜は女性、(丈の低い植物も女性?)という感じであって。それを取り上げるのに、ハイヌウェレだけを取り上げて、「須佐之男とオオゲツヒメ」とか、そういう「女の人が殺される」ことばかりを取り上げて強調するのが、現代の「女性差別」なのだと思う。でも、西欧の方では、ドゥムジ、アドニス、オシリスと、男性が殺される神話もたくさんあるわけで、元は「女神だけが死なねばならない神話」ではないことは、各地の神話を見ればすぐに分かることなのです。

台湾あたりが発祥であり、漁撈民であるオーストロネシア語族の文化が、世界に伝播するには2つの系統があって、一つはインドネシア方面に拡がって、沿岸沿いにインド、中東、地中海と拡がったもの。もう一つは、中国沿岸を北上して、中国東北部辺りで、農耕や栽培が行われなくなった辺りの住人に、「豊穣の祭祀」のみが取り入れられて、遊牧民である彼らが馬に乗ることを覚えて、そこから中央アジアの草原地帯を馬と犬と共に西走してヨーロッパ方面に拡がったものである。シルクロードとしては「天山北路」とかに相当する道だと思うのだけれど、ここを通って印欧語族がクルガン文化を伴って、西欧に拡がっていくのに、2000~3000年くらいかかるわけで。おそらく、その「馬の道」の発祥は、遼河文明あたりだと思う。「竜」の発祥の地である、中国東北部に栄えた遼河文明は、ヒスイで作った「猪竜」が特徴で、これは猪の頭、蛇の尻尾を持っており、かつ馬のたてがみを持っていたりする。豚と蛇信仰は、遙か遠く長江流域に起源があるものですが、馬はそうではないと思う。農耕を行わない彼らは、牧畜が主な生活源であり、男性は、自らの富貴と豊穣のために、馬と女性を殺す祭祀を行っていたと思われます。特に、馬と女性が強く結びつけられていて、その辺りの民話や神話には、「女性が何の豊穣ももたらさず、(でも男には得になるような)男の都合で死ぬ」という傾向があるように思う。なんというか、個人的には「みんなのために死ぬハイヌウェレ」の方がまだマシ、というか、なんで個人的に男の都合に振り回されて、女の人が死なねばならんの? と思う。

オーストロネシア語族の文化の、ごく局地的な伝播経路として、台湾→沖縄→日本列島とあるわけで。でも、私が思うに、このミニ伝播経路で伝わった文化は、あんまり残虐ではないわけです。沖縄には、ウナギが悪霊とされるけれども、ウナギの機嫌を取るために誰かが死ぬ、という話は、おそらくあまりないのではないかと思う。日本で、このミニ伝播経路で伝わった伝承で、一番色濃く残っているのは、「ウナギを食べたら祟られて目が見えなくなった」という話があるので、これは「悪霊のウナギに頭を食べられた」とか、そういう神話の名残なのかなあ、と思う。でも、本土は、後に中国から入ってきている思想が混在しているので、「ぶつ切りにされて赤飯に変化するハイヌウェレ(ウナギ)」とか、いいんだけれども、そんな感じになっているわけで。どちらかといえば、ウナギとは、神というよりも「地震を起こして祟る神」というのが、本来の思想であって、「生け贄」は、その機嫌を取るためのもの、として後から付け加えられたものな気がします。

「馬と遊牧民の道」の方ですが、遼河文明には「緑色の目をした女神」の頭が祭られていた廟がありました。これは、その「頭」が守護の役割も果たしたのだと思います。しかも「緑色の目」をしてるのだから、モンゴロイドじゃなくて、白人の女神なわけです。そして、古代のギリシャ人は、神殿の守護として、「メドゥーサの首」を神殿に飾りました。目の色は分からないけれども、白人の神様ではある。そして、メドゥーサの切り落とされた首からは、ペガソス(天馬)が生まれた、とされており、その父親は海神ポセイドーンでした。要するに、メドゥーサとは、海神に馬の豊穣を願って殺された「女性」ということになります。ギリシャ人は馬の神話が好きで、ポセイドーンは、他にもデーメーテール女神に馬の姿で交尾を迫り、無理矢理馬の子を産ませて、それを怒った女神が隠れてしまった、という神話があるわけで。その一方で、北欧のワルキューレは空飛ぶ白馬に乗って戦場を駆け巡り、戦死者の魂を天上世界へ連れて行く役目を負っていましたし、ケルトの馬の女神エポナは、死者の黄泉路の案内人でもあったので。また、トラキアでは妻は夫の死後殉死して、夫と共に天上世界へ行くとされていて。要するに、印欧語族では、男性(特に戦士)が、死後天国に行くためには、女性と馬が必要であった、という思想があったと示唆される。だから、「馬に関する犠牲」と「寡婦殉死」は、密接に結びついているわけです。でも、ヨーロッパには、「馬のために女神が殺された」という話はあまりありません。そういう話は、痕跡を残して神話や伝承の上からも消えてしまっているといえます。その代わりに、ギリシャには、父親であるアガメムンーンの都合で、生け贄にされてしまう王女イーピゲネイアの物語があります。イーピゲネイアって誰のことですか? 「エポナのことでしょう。」と7番目の兄さんに言われる気がするわけで@@。そりゃそうだ、同じ子音だ@@。と思うわけです。エポナとは「馬の泉」という意味もあるそうで、エポナは水に関する女神でもあります。

しかも、もっと大きな問題がある。印欧語族の神話の中で「神性」があるとして好まれるのは「白馬」だけれども、それは地中海周辺地域に到達して、そこで「より重要」と考えられている「牛」に変更されてしまった。「テュロスの王女として生まれたエウローペーは美しく成長した。あるとき、彼女を見たゼウスは一目で恋に落ち、彼女を誘惑するために自身を白い牡牛に変え、エウローペーが侍女と花を摘んでいるときに近づいた。そして白い牡牛を見つけたエウローペーがその背にまたがると、白い牡牛は海を渡ってエウローペーをクレータ島へと連れ去った。エウローペーが海を渡った西方の地域は彼女の名前から「ヨーロッパ」 (Europa) と呼ばれるようになった。」という神話があるでしょう。「白い牡牛」とは、本来「白馬」であったものです。エウローペーとは、エポナのことだ。「ヨーロッパ」全体が「馬頭娘」だぜ? と言われる気がするわけで@@。

馬と、女性の死が豊穣をもたらし神話の最たるものは、蚕の起源に関する「馬頭娘」であって、中国では明確に、女性の死と馬の関連がはっきしているわけで、女性は「蚕の豊穣」のために殺される「ハイヌウェレ」といえる。中国には、他に神話上の皇帝舜が亡くなった際に、二人の妻が湖飛び込んで殉死した、という話がある。

でも、蚕の話は、日本に「霊異記」に蛇との関連が示唆される伝承があるので、本来は馬ではなく、蛇と関連する話であった可能性が高い。馬頭娘は馬を飼うようになって、馬が重要視されるようになってから後付けで馬が加えられたものです。また、日本武尊の東征の都合で、海に飛び込んで死ぬ弟橘媛の伝承がある。東洋に伝わる、4つの伝承を考察する限り、ハイヌウェレ型の神話が古代中国に伝播し拡がる過程で、「物産の豊穣に関して女神が死ぬ神話」「夫に殉死して女神が死ぬ神話」「単に夫の都合で女神が死ぬ神話」の3つのパターンが東洋で発生しており、それが遼河文明を経て、印欧語族の西進と共に、馬と共に西欧に伝播し、遊牧民にとって馬が重要な動物であったことから、馬と強く関連付けられることになったもの。そして、この女神の名が「エポナ」とされたので、その名が「ヨーロッパ」という地名になるほどに、強く深く拡散したもの、と言われる気がするわけで@@。あまりにも、古い時代に拡散したから、ヨーロッパにおける神話は散逸してしまったけれども、原型に近い話が東洋に残っている。だいたい近所に「望月の駒」っていう話があるでしょう。女性を食らう「月の馬」ですよ、オオゲツヒメを殺す須佐之男か月夜見でしょ? と言われる気がするわけで@@。

これが、世界にはびこる、差別社会と階級社会の根源にある「神話」らしいのですが@@。「望月の駒」?? とか思うわけで。でも、西欧における、馬の神話を探るには、辺境の地である、アイルランド、スコットランド、イングランド、北欧と特例的にギリシャの神話・伝説を洗って学ぶしかない。エポナこそが、ヨーロッパで最大の「月の女神」なのです。ヴァティカヌスですら、その名前を消し去ることができなかった権威ある太母です、と言われる気がするわけで@@。女性が馬の犠牲にされる祭祀は、印欧語族ではごく早い時期に廃れてしまって、むしろ「白馬」の方が犠牲とされることの方が多い。男尊女卑が著しいインドにおいてすら、馬の供犠は古代からの重要な儀式でした。特に王権を支えるための儀式として重要だった。しかし、この「白馬」とは女性なのか? それとも男性なのか? と問われる気がするわけで。女性であればエポナ、男性であればその夫である海神、ネプトゥーヌスかマナナン・マク・リールとかになるのですかねえ? と思う。

しかし、ともかく、ヨーロッパの馬の太母エポナは、ゾロアスターの世界では、アナーヒタ女神へとその性質が大きく取り込まれるわけで。「だいたい、アルテミス・ディアーヌの名を持つ者はエポナの名前を取れないんだよ。そもそも、エポナの男性形の名前が、何だか分かるでしょ?」と言われる気がするわけで。それは、「シヴァ」では? と思う。シヴァの乗り物も、「白い牡牛」だし@@、と思う。「エポナにシヴァっていったら、蛙黽の名前を持つ者にしか、取れない名前でしょ。だいたい、だからエポナは小さな泉の女神なんじゃないの。蛙黽の女神は、小さな泉の中でケロケロ鳴いているのがお似合い。」と言われる気がするわけで@@。

要するに、エポナ・アナーヒタとは馬乗りの印欧語族にとっては、根源的な太母であるけれども、東洋では単なる「生駒姫」に過ぎない。くだらない夫に殉じていないで、自分達の方に出てくるように。あなたの「夫」である海竜王が待っている、と。西欧の人達はそう言いそうである。そして、階級差別と女性差別がはびこる世界をどう変えていったら良いのか、考えて欲しい、と言われそうな気がする。でも、まずは自ら「馬頭娘」の呪いを解かないといけなわけだ。だから、「絹」がそもそも、我が家には危険な代物なんじゃないの? と始めて思うわけですが。

本日の日誌

本日も天気は晴れで、お外組は外で作業していたのでした。でも、午後は天気予報の通り雨が降っていて。

私の方は、書証のまとめに入って。あとは、設計関連のものをいくつか出す予定であって。今日は、A3に印刷しなくてはならなくて、大変なものを纏めていて。なんだか、日記の印刷ばっかりで、書証の纏め方とか忘れちゃったし、と思うので、思い出しながらのんびり作業して。

で、朝方はなんだか夢を見て、なんだか蛇の兄さんと二人で仲良くご飯を食べている夢で。で、目が覚めて、なんとなく6番目の子のことを思うわけですが。7番目の兄さんには、「須佐之男と大国主の神話ではないけれども、舅である自分の反対を押し切ってでも大事な娘と正式に結婚したいというのであれば、それ相応に働ける男であることを見せて貰わなければ。」と言う気がするわけで@@。どうも、なんだか、「ワイルドスワン」の中に、中国の農村で、婿をこき使って意地悪して自殺に追い込んだ舅の話があった気がするわけですが、どうも、それを思い出すわけでー;。もうちょっと丸いやり方はないのだろうか? と思うわけですが-;。

で、昼寝している時にも夢を見て。なんだか人が大勢いるところをうろうろしていて。うろうろしていたら、ソファーみたいな所に、JUMPの有岡君が座っていて、その隣が空いていたので座らせて貰って。で、有岡君が何か食べていて、「これ、食べる? カレーがおいしいよ。」と言って、食べているものを渡してくれたのですが、それがカレーじゃなくて、ラーメンであって。私の隣に座っていた知らないお姉さんが、それを横取りしておいしそうに食べていたわけですが、「言っていることと実際と違う??」と思って。目が覚めたら、ふっと、「いろいろと思ってもいないことを言っても、一番妻神のことを狂おしい思いで思っているのは、7番目の兄さんです。」と言われる気がするわけで。

で、午後作業をしながら、嵐の宮城でのライブのDVDを見ていたら、6番目の子に同情している人達が多い気がして。大野君とかには、「目の力が強いというだけで、何をしても許されると思うのか?」と言われる気がするわけでー;。4番目の子には「失敗からなに一つ学べない者は、同じ失敗を何度でも繰り返す。」と言われる気がするわけでー;。それが、4番目の子が、7番目の兄さんと組まない理由なんだろうなあ、と思う。大名家の関係者は「高師直の失敗」に対して批判的な人が多いから。実際、7番目の兄さんの考え方は、中国人が伝統的に「婿を取る」ときに考える考え方なんじゃないか、と心配になるわけですが、「7番目の兄さんが中国人的な考え方をしているわけではない。多くの伝統的な中国の文化が、その人の思想を基盤にして成り立っているだけ。」って言われるだけだから、手もつけられない気がするわけでー;。

で、今日の「うたコン」には、キスマイの兄さん達が出ていて。最後に玉ちゃんに「結局、政治的な丁々発止の駆け引きができる者は7番目の兄さんと、4番目の子しかいないので、最後には何でもその二人が協議して決めることになるでしょ。そして、4番目の子は、決して6番目の子のことを見捨てないでしょうから、あまりいろんなことで気に病みすぎないように。」と言われる気がするわけで。まあね、私は結局無力だ;、と思うわけで。

で、印刷作業が多かったので、印刷しながらパプア・ニューギニアの民話を真面目に読む。で、どこを読んでも割と人が死ぬばっかりでちょっと辟易とするわけですが、中に「祭祀の時には、昔は、兄弟でも妻でも、当たり前のように殺して食べた。」とあって、その平易さに戦慄するわけで。でも、いろいろと調べて分かったことですが、彼らはたぶん一番古い時代には、魚を神としていたと思う。それが、蛇へと変わり、一部では亀とか水性の生物にも変わるけれども、更に「ウナギ」へと変わっているわけで。ウナギを食べると大津波が来る、という話がバヌアツにある。フィリピンには、ウナギが地震を起こす、とある。また、ハイヌウェレ神話では、ウナギとハイヌウェレが同じものである、ともされているという。また、インドの神話では、大洪水の際に人を助けるものは魚の神である。古代メソポタミアでも人類を大洪水から救うのは、半人半魚の神エンキである。台湾では、大洪水を逃れた人類から最初に生まれたのは蛇や蛙であった、とされている。要するにあれだ、魚や蛇やウナギは漁業の豊穣に関するだけでなく、地震と大津波を起こす神でもあるわけだ。怒らせると、大洪水を起こすけれども、そこから人類を救うことができる「神」でもある。でも、これが内陸の話になると、「大洪水」の原因は、地震ではなくて大雨ということになる。だから、大雨をもたらすものが、大洪水をもたらす神となる。だから、海の洪水をもたらす神が、そのまま内陸に適用されて、魚や蛇やウナギが洪水をもたらす「天候神」とされている。だから、もう分かると思うけど、富の王家が「セグロウミヘビ」を祖神としているのは、それがそのまま彼らの「大洪水を起こし、かつ人類を大洪水から救う神」と同じものだって知ってるからでしょ。「神聖四字」の正体は「ウナギ」でしょ、と7番目の兄さんに言われる気がするわけで@@。(古代の日本人はウナギのことはウミヘビだと考えていたわけで)

で、日本の民話を見てみても、ウナギを食べようとしたら祟りがあった、とか、ウナギを食べようとして腹をさばいたら、そこから赤飯が出てきた、とかそういう話があるわけで。赤飯を産み出すハイヌウェレがウナギなんだ?? と思うわけで-;。だから、ウナギを聖なるものとみなして、食べてはいけない、とする地方もいくつかはあるわけです。そういうところでは、だいたいウナギは「水神様の使い」とされているわけで。ウナギをせいぜい、「水神様の使い」としておくのと、「天なる父神」とするのとでは、どちらが正気だと思うか、と7番目の兄さんに言われる気がするわけで-;。だいたい、こういう思想が変だと思うから、その「狂気」を正すために人々は研究を重ねてきた。そして、「生と死」の区別もつかず、親兄弟でも平然と食べ物としかみなさない「狂気」が一番著しいのは、「ウナギ」と「芋類」と「タケノコ」と「人肉」を食べる地域、と言われる気がするわけで@@。ヨーロッパの民話集もいくつか手に入れたわけですが、特に「生と死」の区別がつかず幻想的なものはフランスに多い気がする。また、イタリアは、生け贄の儀式が「人道的ではない」という理由で、生け贄用の奴隷を互いに殺し合わせて見世物にしていたわけで。生け贄というのは、本来は聖なる儀式のはずで、生者の豊穣を得るために、死にゆく者に敬意が払われなければならないものであるのに、それを娯楽にするということは正気の沙汰ではない。古代ローマの享楽と退廃の狂気の様子は、あなたも知っているはず、と言われる気がするわけで。人が、最低限他者に持つような敬意を失ってしまい、欲望にのみ貪欲になり、生と死の見境もなくなるような状態になる狂気、そういう地域は「ウナギ」を食べる、と言われる気がするわけで@@。食べれば食べるほど、欲望に貪欲になり、他のことを顧みられなくなる「食物」というものがある。「ウナギ」も危険だし、芋類は、ヤムイモ、タロイモ(サトイモ)、サツマイモ、キャッサバの順に危険、と言われる気がするわけで@@。それで、そういうものを食べちゃいけないんだ?? と思う。

で、夜に、ふっとDVDを見ようと思ってテレビをつけたら、ちょうど「NEWS ZERO」をやっていて、有働さんに呼び止められて。とある人の訃報のニュースが流れてた。どうも、最近ちょっと気になっていたわけですが、ジャニー喜多川氏が亡くなったら、事務所はどうなるんだろう? と思って。若くて、新社長の下で働いている人達はそのまま残るかもしれないけれども、古くからの人で新社長にあまり義理のない人達は独立してしまうかもしれない、と言われているし。嵐の5人は、「新社長の子飼い」と表向きには言われているから辞めたりはしないと思う。でも、ジャニーさんに直接指導を受けて、今の地位を築いたKinKi-Kidsはどうなる? 特に剛君は健康状態も心配であって、社長が替われば、事務所に強く義理立てしてまでバリバリ働く必要がない、と言えば言えるかもしれないし、と思う。ニュースにちらっと、東山さんが出て「もし、7番目の兄さんが事務所を離脱することになれば、自分の命と引き換えにしてやっているような危険な仕事からは手を引くことができます。」と、本当にふっと言われる気がするわけで。まあ、私には先のことは分からないわけですが。でも、6番目の子のことで、7番目の兄さんに対して、あまり強いことを言いたくない、言えない気持ちの中には、7番目の兄さんこそが、妻神の再側近の地位を得るために、誰よりも命の危険が高い仕事を日々当たり前のように引き受けているからだって、目の当たりにして知ってるからですよ? と思う。それは、やる方も、見る方も、正気の沙汰の話ではないと、個人的には思う。7番目の兄さんには、「そう思うのであれば、鈍感と飽食の狂気を誰がもたらしているのか考えるように。そもそも、タピオカ(キャッサバから作るもの)なんて、日本人には食べる必要がないものなのに、わざわざ流行らせて、人々を意図的に狂気に陥るように裏で糸を引いているものは誰なのか?」と言われる気がするわけで。我が家もまだまだ石だらけで、正気を保つには厳しいわけですがー;。とっといた方がいいものだけとっといて、出しちゃおうかな-;。まあ、土建屋の従兄弟がなんて言うかですが-;。

本日の日誌

本日も天気は晴れで、お外組は外で作業していたのでした。でも、午後は天気予報の通り雨が降っていて。

私の方は、書証のまとめに入って。あとは、設計関連のものをいくつか出す予定であって。今日は、A3に印刷しなくてはならなくて、大変なものを纏めていて。なんだか、日記の印刷ばっかりで、書証の纏め方とか忘れちゃったし、と思うので、思い出しながらのんびり作業して。

で、朝方はなんだか夢を見て、なんだか蛇の兄さんと二人で仲良くご飯を食べている夢で。で、目が覚めて、なんとなく6番目の子のことを思うわけですが。7番目の兄さんには、「須佐之男と大国主の神話ではないけれども、舅である自分の反対を押し切ってでも大事な娘と正式に結婚したいというのであれば、それ相応に働ける男であることを見せて貰わなければ。」と言う気がするわけで@@。どうも、なんだか、「ワイルドスワン」の中に、中国の農村で、婿をこき使って意地悪して自殺に追い込んだ舅の話があった気がするわけですが、どうも、それを思い出すわけでー;。もうちょっと丸いやり方はないのだろうか? と思うわけですが-;。

で、昼寝している時にも夢を見て。なんだか人が大勢いるところをうろうろしていて。うろうろしていたら、ソファーみたいな所に、JUMPの有岡君が座っていて、その隣が空いていたので座らせて貰って。で、有岡君が何か食べていて、「これ、食べる? カレーがおいしいよ。」と言って、食べているものを渡してくれたのですが、それがカレーじゃなくて、ラーメンであって。私の隣に座っていた知らないお姉さんが、それを横取りしておいしそうに食べていたわけですが、「言っていることと実際と違う??」と思って。目が覚めたら、ふっと、「いろいろと思ってもいないことを言っても、一番妻神のことを狂おしい思いで思っているのは、7番目の兄さんです。」と言われる気がするわけで。

で、午後作業をしながら、嵐の宮城でのライブのDVDを見ていたら、6番目の子に同情している人達が多い気がして。大野君とかには、「目の力が強いというだけで、何をしても許されると思うのか?」と言われる気がするわけでー;。4番目の子には「失敗からなに一つ学べない者は、同じ失敗を何度でも繰り返す。」と言われる気がするわけでー;。それが、4番目の子が、7番目の兄さんと組まない理由なんだろうなあ、と思う。大名家の関係者は「高師直の失敗」に対して批判的な人が多いから。実際、7番目の兄さんの考え方は、中国人が伝統的に「婿を取る」ときに考える考え方なんじゃないか、と心配になるわけですが、「7番目の兄さんが中国人的な考え方をしているわけではない。多くの伝統的な中国の文化が、その人の思想を基盤にして成り立っているだけ。」って言われるだけだから、手もつけられない気がするわけでー;。

で、今日の「うたコン」には、キスマイの兄さん達が出ていて。最後に玉ちゃんに「結局、政治的な丁々発止の駆け引きができる者は7番目の兄さんと、4番目の子しかいないので、最後には何でもその二人が協議して決めることになるでしょ。そして、4番目の子は、決して6番目の子のことを見捨てないでしょうから、あまりいろんなことで気に病みすぎないように。」と言われる気がするわけで。まあね、私は結局無力だ;、と思うわけで。

で、印刷作業が多かったので、印刷しながらパプア・ニューギニアの民話を真面目に読む。で、どこを読んでも割と人が死ぬばっかりでちょっと辟易とするわけですが、中に「祭祀の時には、昔は、兄弟でも妻でも、当たり前のように殺して食べた。」とあって、その平易さに戦慄するわけで。でも、いろいろと調べて分かったことですが、彼らはたぶん一番古い時代には、魚を神としていたと思う。それが、蛇へと変わり、一部では亀とか水性の生物にも変わるけれども、更に「ウナギ」へと変わっているわけで。ウナギを食べると大津波が来る、という話がバヌアツにある。フィリピンには、ウナギが地震を起こす、とある。また、ハイヌウェレ神話では、ウナギとハイヌウェレが同じものである、ともされているという。また、インドの神話では、大洪水の際に人を助けるものは魚の神である。古代メソポタミアでも人類を大洪水から救うのは、半人半魚の神エンキである。台湾では、大洪水を逃れた人類から最初に生まれたのは蛇や蛙であった、とされている。要するにあれだ、魚や蛇やウナギは漁業の豊穣に関するだけでなく、地震と大津波を起こす神でもあるわけだ。怒らせると、大洪水を起こすけれども、そこから人類を救うことができる「神」でもある。でも、これが内陸の話になると、「大洪水」の原因は、地震ではなくて大雨ということになる。だから、大雨をもたらすものが、大洪水をもたらす神となる。だから、海の洪水をもたらす神が、そのまま内陸に適用されて、魚や蛇やウナギが洪水をもたらす「天候神」とされている。だから、もう分かると思うけど、富の王家が「セグロウミヘビ」を祖神としているのは、それがそのまま彼らの「大洪水を起こし、かつ人類を大洪水から救う神」と同じものだって知ってるからでしょ。「神聖四字」の正体は「ウナギ」でしょ、と7番目の兄さんに言われる気がするわけで@@。(古代の日本人はウナギのことはウミヘビだと考えていたわけで)

で、日本の民話を見てみても、ウナギを食べようとしたら祟りがあった、とか、ウナギを食べようとして腹をさばいたら、そこから赤飯が出てきた、とかそういう話があるわけで。赤飯を産み出すハイヌウェレがウナギなんだ?? と思うわけで-;。だから、ウナギを聖なるものとみなして、食べてはいけない、とする地方もいくつかはあるわけです。そういうところでは、だいたいウナギは「水神様の使い」とされているわけで。ウナギをせいぜい、「水神様の使い」としておくのと、「天なる父神」とするのとでは、どちらが正気だと思うか、と7番目の兄さんに言われる気がするわけで-;。だいたい、こういう思想が変だと思うから、その「狂気」を正すために人々は研究を重ねてきた。そして、「生と死」の区別もつかず、親兄弟でも平然と食べ物としかみなさない「狂気」が一番著しいのは、「ウナギ」と「芋類」と「タケノコ」と「人肉」を食べる地域、と言われる気がするわけで@@。ヨーロッパの民話集もいくつか手に入れたわけですが、特に「生と死」の区別がつかず幻想的なものはフランスに多い気がする。また、イタリアは、生け贄の儀式が「人道的ではない」という理由で、生け贄用の奴隷を互いに殺し合わせて見世物にしていたわけで。生け贄というのは、本来は聖なる儀式のはずで、生者の豊穣を得るために、死にゆく者に敬意が払われなければならないものであるのに、それを娯楽にするということは正気の沙汰ではない。古代ローマの享楽と退廃の狂気の様子は、あなたも知っているはず、と言われる気がするわけで。人が、最低限他者に持つような敬意を失ってしまい、欲望にのみ貪欲になり、生と死の見境もなくなるような状態になる狂気、そういう地域は「ウナギ」を食べる、と言われる気がするわけで@@。食べれば食べるほど、欲望に貪欲になり、他のことを顧みられなくなる「食物」というものがある。「ウナギ」も危険だし、芋類は、ヤムイモ、タロイモ(サトイモ)、サツマイモ、キャッサバの順に危険、と言われる気がするわけで@@。それで、そういうものを食べちゃいけないんだ?? と思う。

で、夜に、ふっとDVDを見ようと思ってテレビをつけたら、ちょうど「NEWS ZERO」をやっていて、有働さんに呼び止められて。とある人の訃報のニュースが流れてた。どうも、最近ちょっと気になっていたわけですが、ジャニー喜多川氏が亡くなったら、事務所はどうなるんだろう? と思って。若くて、新社長の下で働いている人達はそのまま残るかもしれないけれども、古くからの人で新社長にあまり義理のない人達は独立してしまうかもしれない、と言われているし。嵐の5人は、「新社長の子飼い」と表向きには言われているから辞めたりはしないと思う。でも、ジャニーさんに直接指導を受けて、今の地位を築いたKinKi-Kidsはどうなる? 特に剛君は健康状態も心配であって、社長が替われば、事務所に強く義理立てしてまでバリバリ働く必要がない、と言えば言えるかもしれないし、と思う。ニュースにちらっと、東山さんが出て「もし、7番目の兄さんが事務所を離脱することになれば、自分の命と引き換えにしてやっているような危険な仕事からは手を引くことができます。」と、本当にふっと言われる気がするわけで。まあ、私には先のことは分からないわけですが。でも、6番目の子のことで、7番目の兄さんに対して、あまり強いことを言いたくない、言えない気持ちの中には、7番目の兄さんこそが、妻神の再側近の地位を得るために、誰よりも命の危険が高い仕事を日々当たり前のように引き受けているからだって、目の当たりにして知ってるからですよ? と思う。それは、やる方も、見る方も、正気の沙汰の話ではないと、個人的には思う。7番目の兄さんには、「そう思うのであれば、鈍感と飽食の狂気を誰がもたらしているのか考えるように。そもそも、タピオカ(キャッサバから作るもの)なんて、日本人には食べる必要がないものなのに、わざわざ流行らせて、人々を意図的に狂気に陥るように裏で糸を引いているものは誰なのか?」と言われる気がするわけで。我が家もまだまだ石だらけで、正気を保つには厳しいわけですがー;。とっといた方がいいものだけとっといて、出しちゃおうかな-;。まあ、土建屋の従兄弟がなんて言うかですが-;。