本日の日誌

今日はお手紙を出しに出かけて。

お外組は、なんだか、隣のじいさんが、植木屋を雇って、勝手にうちの敷地内で仕事をさせていたので、家人に「写真を撮っておいて」と言っておいたら、隣のじいさんが「写真を撮るな」と言ったらしい。なんで、自分ちの敷地の中の写真を撮っちゃいけないんですかね? 後で通報されないため? と思ったわけですがー;。

で、「本三昧」について、親といろいろ話をしたわけで。ともかく「できるだけこづかいの範囲でやりくりして、緊急に「買え」と言われたものは買うから」とは言っておいたわけで。まあ、私も収入を超える支出は嫌なわけで。突発的にあれこれ言ってくる兄さん達にも問題あると思う。でも、親もうちょっと理解があっても良いと思う。だって、ここのところ、親だっていろいろなことに気がつけるようになって来ているし、支出に対して恩恵だってちゃんと受けてるじゃん? とは思う。はっきり申せば、最終の基本的な問題は、某学術文庫の「日本史」シリーズの全巻を買うことと、途中前買ってる某民俗学系のシリーズを全巻買うことでござる。学問的にはね。でも、それ以外に、結局いろいろな人への気遣いの本を買わねばならない。親が、7番目の兄さんを無視しても、兄さんに関する本も買わなければならない。そして、「教師」としての7番目の兄さんが「学術文庫」だけでは足りない。副本にあれ買え、それ買え、と非常に手厳しいことを言ってくるから、「あといくら」って言えないわけで。言えない原因の「大部分」は7番目の兄さんにあるわけですが。でも、指定図書を家に入れたときの、「御利益」をよくよく知ってるから、いざと言うときあんまり制限をかけられても困る。

で、親に「もう20万も買ってる」と言われるわけで。兄さんには、「それは買った物が眼に見えるからで、今までにパソコンのソフトにいくらつぎ込んだのかは、とても言えないね」と言って笑われるわけで。後で、回収させて貰いますからねーーー、と思うわけですが-;。まあ、兄さんには、「子供を殺した元事務次官とかいたけど、どう思う?」と言われる気がするわけで。うちの母親は「子供の味方をしない母親が悪い」とかって言ったわけです。そこんちの息子は母親に暴力をふるったりしてたからね。7番目の兄さんには、「親が子供に望んだことは、学問をすることではなくて、学校でいい成績を取ることでしょ。いい成績を取らなければ文句を言うくせに、ある程度頭の良い子が、その気になって真面目に学問をしようとすると、それは邪魔をする。そんなんじゃ誰でもぐれるでしょ。学校の成績なんて、卒業してしまったら何の意味も持たないものだし。で、卒業した後に望むものは、さしずめ父親と同じ国家公務員であったのだろうけれども、公務員がどんな仕事なのか、人々の気持ちをくみ上げてどういう心得で仕事しなきゃいけないのか、仕事に何が必要なのか、ということは理想論であっても教えない。だから、子供は「父親は公務員で偉い人で庶民を見下している」みたいなことしか考えてない。親は、良い成績を望んでも学問は中途半端にしかやらせない、仕事や社会に対しては心構えも何も教えない。そして、最後に子供が何もかも嫌になったところに、「金を稼げ」っていうから手のつけようもないほど、親子関係が破綻して殺し合いをしてるんでしょ。」と言われる気がするわけで-;。

結論から申せば、兄さんからは「親から横やりが入る前に、世界史の本だけでも最低限必要なものを押し込めて良かった」と言われる気がするわけで-;。今日見た「ブンブブーン」でなんだか、ジョン万次郎のこととかやっていたわけですが。最終的な目的と結論は、それを見ての通り「日本史」なわけだ-;。「日本史をやる前に世界史をしっかり身につけないといけない。高校で進路に失敗したのは、それをやっていないせい。家に、日本の古典と日本史の本(しかも間違ってる本)しかないから、バランスが悪すぎてどうしようもない。」と言われる気がするわけで。どうやら、世界史の本と、世界地図は無いといけなかったらしいのですがー;。まあ、できるだけ文庫本を買うことと、おこづかいで賄える範囲で頑張る、と親には言ってある。(でも、でかい本が溜まってるのは、文庫本ではなくて古い大きな本を格安で買ったからなんだけどー;)そして、やっぱり「日本史の勉強」というところで、つまづくんだなー、昔も今も、と思う。まあ、昔も今も言われることは結局「それではお金にならない」ということなわけで。まあ、高校生のときみたいに、何も言えずに泣く泣く諦める、ということはする気ないですけれども。あといくらかかるのかは、なんとも言えない。守達神が私のために3億円もドブに捨ててるの見て、もちろん兄さん達みたいな稼ぎのない私には、自分にとってどのくらいが兄さん達の犠牲に見合うだけの支出だ、ということはできないけれども。彼らから、あといくらお金を犠牲にして、自分の身もどれだけ犠牲にすれば済むのか、と言って貰えないのと同じように、私も親にたいしてあといくらかかるのかは言えない。守達神には、他の人達と同じように、「もし子供ができたら、全部私の養子として引き取る」ということしか言ってあげられない。私自身には、兄さん達は「親がお金出してくれないなら、自分の貯金を下ろして買え。できる限り眼が見えるようになって、耳が聞こえるようになるまで、必要なものを買って家に入れるしかない。」としか言わないー;。まあ、世の中とは、そういうところだと、腹をくくって事に望むしかないわけです-;。だいたい、誰が好き好んで哲学書なんか買いたいと思うのか? と本気で真面目に思うわけですが;。

本日の日誌

ええと、今日は朝から、「書面に追加で書いた方が良いこと」を、法律と首っ引きで7番目の兄さんに教わって、バタバタしながら書いていたので、ものすごく忙しくて。下書きは終わったので、もう少し、調べなければならないことはあるのですが、写真も追加で出さなければならないので、今日はそれをやって。割と色々あって、あまり作業は進まなくて。でも、ここのところ、地盤中に空洞が相次いで発見されているので、それを出さない手はないので。

お外組(母と姉)は、いつも通りで。今日は、しょうゆの入れ物? みたいなペットボトルの大きな破片みたいなものが出ていて。

で、「情報を貰ったからには謝礼を支払うのを忘れないように」と言われる気がするわけでー;。だいたい、「何を買え」と言われるかは、その時になるまで分からないので。傾向としては、自分が何を読みたいと思うのかをまず聞かれて、次にそれについて必要なものを教えて貰う、みたいな感じであって。

今回は「アリストテレスの「弁論術」を買うように。」と言われたわけで@@。「哲学書なんか読まないと思うけど?」と言ったら、「自分で書いたものくらい自分で買って読め」と言われる気がするわけで@@。「そんなもん書いた記憶はございません」と思ったわけですがー;。買ったことは買いました。でも、「哲学に興味がないなら、家にあるじいさんが買った古い哲学書は捨ててしまうように。そして「ソクラテスの弁明」はよろしくない本だから、家には入れちゃ駄目。」と言われる気がするわけで。ソクラテスとは、自分の妙な理想というか、見栄のために自滅した人なので。そんなもんの思想は入れてはならない、と言われる気がする。要するに「自滅してしまえ」っていう呪いの本ですよねえ? それ? と思う。

「買え」と言われる本の傾向はだいたい決まっていて、「良渚文化」を構成している特に「漁撈民」の文化と思想を知ることができる本、彼らの思想を受けた内陸の遊牧民の文化と思想を知ることができる本が中心である。後は、自分のルーツに繋がる本、応援してくれる人達に繋がる本、「お見合いの釣書も兼ねて」7番目の兄さんに関する本、となるわけで。特に、応援してくれる人達に「是非買って欲しい、すぐに」と言われたものは断れない。でも、できれば買う速度はもっとゆっくりとはしたいと思ってるわけですー;。

で、今日のメインは、NHKスペシャルの「四大文明」と「ルーツ」と「高師直」であると思う。NHKも昔は気合いの入った良い教養番組とか作ってたのになー、と思う。良くも悪くも,羌族に関してそれだけのことが書いてある本は見たことがない気がするわけで。「ルーツ」はちょっと斜め読みしただけだけれども、涙なくしては読めない。でも、アメリカの黒人差別とは、単純に「奴隷主と奴隷」とか、「白と黒」という感じの問題ではなくて、例えば白人の奴隷主と黒人女性との間に生まれた子供達の中には、見かけは白人であるけれども、立場は奴隷、であるという人もいて、彼らは結局白人社会にも、黒人のコミュニティーにも受け入れられない、という問題と直面することになるわけで。差別の激しい社会の中で、どこにも属する場所がなくて苦労せざるを得なくなるわけです。そして、作者のアレックス・ヘイリーも、公平とか平等という観念が浸透した70年代に本が出版されたから、安穏に成功することが出来たけれども、差別の激しい60年代に「ルーツ」が世に出ていたら、安泰ではなかったかもしれない、と思っていたらしくて。「ルーツ」を出版するまでにもいろいろと苦労したらしくて。いろいろと考えさせられたわけですが。

で、後は「高師直」であるわけですが。これは「お見合いの釣書代わりに、暇があったら親に読んで貰うように」と言われる気がするわけで。師直の最後については、「腹のくくれてない主君は駄目だ」と言われる気がするわけで。私自身も、足利幕府のたどった運命を見ればそう思う。7番目の兄さんには、「自分が買えと言ったものは、ただ黙って買え」って言われそうである。それが兄さんを信頼してついていくってことだし、と思う。親に多少苦言を言われた程度で、諦めて話を途中で止めてしまうようでは、私自身が駄目でしょ、と思う。特に、ケルトの人達が「買って欲しい」というものをどんどん買ってきているのに、アフリカ系の人達が「買って欲しい」と言ってきてる数冊の古本すら買い渋るようでは、それこそ「差別主義者だ」と言われても、「その通り」としか返せなくなってしまう。まあまあ、本については、「お手柔らかにお願いしますよ。資金にも限りがあるんだから。」とは思う。でも、止めることはできないです。例え負けても、最後まで生死を部下と共にできねば、私に主君としての価値はない。私は尊氏にはならない、とそういうことなわけです。

本日の日誌

ええと、今日は朝から、「書面に追加で書いた方が良いこと」を、法律と首っ引きで7番目の兄さんに教わって、バタバタしながら書いていたので、ものすごく忙しくて。下書きは終わったので、もう少し、調べなければならないことはあるのですが、写真も追加で出さなければならないので、今日はそれをやって。割と色々あって、あまり作業は進まなくて。でも、ここのところ、地盤中に空洞が相次いで発見されているので、それを出さない手はないので。

お外組(母と姉)は、いつも通りで。今日は、しょうゆの入れ物? みたいなペットボトルの大きな破片みたいなものが出ていて。

で、「情報を貰ったからには謝礼を支払うのを忘れないように」と言われる気がするわけでー;。だいたい、「何を買え」と言われるかは、その時になるまで分からないので。傾向としては、自分が何を読みたいと思うのかをまず聞かれて、次にそれについて必要なものを教えて貰う、みたいな感じであって。

今回は「アリストテレスの「弁論術」を買うように。」と言われたわけで@@。「哲学書なんか読まないと思うけど?」と言ったら、「自分で書いたものくらい自分で買って読め」と言われる気がするわけで@@。「そんなもん書いた記憶はございません」と思ったわけですがー;。買ったことは買いました。でも、「哲学に興味がないなら、家にあるじいさんが買った古い哲学書は捨ててしまうように。そして「ソクラテスの弁明」はよろしくない本だから、家には入れちゃ駄目。」と言われる気がするわけで。ソクラテスとは、自分の妙な理想というか、見栄のために自滅した人なので。そんなもんの思想は入れてはならない、と言われる気がする。要するに「自滅してしまえ」っていう呪いの本ですよねえ? それ? と思う。

「買え」と言われる本の傾向はだいたい決まっていて、「良渚文化」を構成している特に「漁撈民」の文化と思想を知ることができる本、彼らの思想を受けた内陸の遊牧民の文化と思想を知ることができる本が中心である。後は、自分のルーツに繋がる本、応援してくれる人達に繋がる本、「お見合いの釣書も兼ねて」7番目の兄さんに関する本、となるわけで。特に、応援してくれる人達に「是非買って欲しい、すぐに」と言われたものは断れない。でも、できれば買う速度はもっとゆっくりとはしたいと思ってるわけですー;。

で、今日のメインは、NHKスペシャルの「四大文明」と「ルーツ」と「高師直」であると思う。NHKも昔は気合いの入った良い教養番組とか作ってたのになー、と思う。良くも悪くも,羌族に関してそれだけのことが書いてある本は見たことがない気がするわけで。「ルーツ」はちょっと斜め読みしただけだけれども、涙なくしては読めない。でも、アメリカの黒人差別とは、単純に「奴隷主と奴隷」とか、「白と黒」という感じの問題ではなくて、例えば白人の奴隷主と黒人女性との間に生まれた子供達の中には、見かけは白人であるけれども、立場は奴隷、であるという人もいて、彼らは結局白人社会にも、黒人のコミュニティーにも受け入れられない、という問題と直面することになるわけで。差別の激しい社会の中で、どこにも属する場所がなくて苦労せざるを得なくなるわけです。そして、作者のアレックス・ヘイリーも、公平とか平等という観念が浸透した70年代に本が出版されたから、安穏に成功することが出来たけれども、差別の激しい60年代に「ルーツ」が世に出ていたら、安泰ではなかったかもしれない、と思っていたらしくて。「ルーツ」を出版するまでにもいろいろと苦労したらしくて。いろいろと考えさせられたわけですが。

で、後は「高師直」であるわけですが。これは「お見合いの釣書代わりに、暇があったら親に読んで貰うように」と言われる気がするわけで。師直の最後については、「腹のくくれてない主君は駄目だ」と言われる気がするわけで。私自身も、足利幕府のたどった運命を見ればそう思う。7番目の兄さんには、「自分が買えと言ったものは、ただ黙って買え」って言われそうである。それが兄さんを信頼してついていくってことだし、と思う。親に多少苦言を言われた程度で、諦めて話を途中で止めてしまうようでは、私自身が駄目でしょ、と思う。特に、ケルトの人達が「買って欲しい」というものをどんどん買ってきているのに、アフリカ系の人達が「買って欲しい」と言ってきてる数冊の古本すら買い渋るようでは、それこそ「差別主義者だ」と言われても、「その通り」としか返せなくなってしまう。まあまあ、本については、「お手柔らかにお願いしますよ。資金にも限りがあるんだから。」とは思う。でも、止めることはできないです。例え負けても、最後まで生死を部下と共にできねば、私に主君としての価値はない。私は尊氏にはならない、とそういうことなわけです。

本日の日誌

ええと、今日は朝から、「書面に追加で書いた方が良いこと」を、法律と首っ引きで7番目の兄さんに教わって、バタバタしながら書いていたので、ものすごく忙しくて。下書きは終わったので、もう少し、調べなければならないことはあるのですが、写真も追加で出さなければならないので、今日はそれをやって。割と色々あって、あまり作業は進まなくて。でも、ここのところ、地盤中に空洞が相次いで発見されているので、それを出さない手はないので。

お外組(母と姉)は、いつも通りで。今日は、しょうゆの入れ物? みたいなペットボトルの大きな破片みたいなものが出ていて。

で、「情報を貰ったからには謝礼を支払うのを忘れないように」と言われる気がするわけでー;。だいたい、「何を買え」と言われるかは、その時になるまで分からないので。傾向としては、自分が何を読みたいと思うのかをまず聞かれて、次にそれについて必要なものを教えて貰う、みたいな感じであって。

今回は「アリストテレスの「弁論術」を買うように。」と言われたわけで@@。「哲学書なんか読まないと思うけど?」と言ったら、「自分で書いたものくらい自分で買って読め」と言われる気がするわけで@@。「そんなもん書いた記憶はございません」と思ったわけですがー;。買ったことは買いました。でも、「哲学に興味がないなら、家にあるじいさんが買った古い哲学書は捨ててしまうように。そして「ソクラテスの弁明」はよろしくない本だから、家には入れちゃ駄目。」と言われる気がするわけで。ソクラテスとは、自分の妙な理想というか、見栄のために自滅した人なので。そんなもんの思想は入れてはならない、と言われる気がする。要するに「自滅してしまえ」っていう呪いの本ですよねえ? それ? と思う。

「買え」と言われる本の傾向はだいたい決まっていて、「良渚文化」を構成している特に「漁撈民」の文化と思想を知ることができる本、彼らの思想を受けた内陸の遊牧民の文化と思想を知ることができる本が中心である。後は、自分のルーツに繋がる本、応援してくれる人達に繋がる本、「お見合いの釣書も兼ねて」7番目の兄さんに関する本、となるわけで。特に、応援してくれる人達に「是非買って欲しい、すぐに」と言われたものは断れない。でも、できれば買う速度はもっとゆっくりとはしたいと思ってるわけですー;。

で、今日のメインは、NHKスペシャルの「四大文明」と「ルーツ」と「高師直」であると思う。NHKも昔は気合いの入った良い教養番組とか作ってたのになー、と思う。良くも悪くも,羌族に関してそれだけのことが書いてある本は見たことがない気がするわけで。「ルーツ」はちょっと斜め読みしただけだけれども、涙なくしては読めない。でも、アメリカの黒人差別とは、単純に「奴隷主と奴隷」とか、「白と黒」という感じの問題ではなくて、例えば白人の奴隷主と黒人女性との間に生まれた子供達の中には、見かけは白人であるけれども、立場は奴隷、であるという人もいて、彼らは結局白人社会にも、黒人のコミュニティーにも受け入れられない、という問題と直面することになるわけで。差別の激しい社会の中で、どこにも属する場所がなくて苦労せざるを得なくなるわけです。そして、作者のアレックス・ヘイリーも、公平とか平等という観念が浸透した70年代に本が出版されたから、安穏に成功することが出来たけれども、差別の激しい60年代に「ルーツ」が世に出ていたら、安泰ではなかったかもしれない、と思っていたらしくて。「ルーツ」を出版するまでにもいろいろと苦労したらしくて。いろいろと考えさせられたわけですが。

で、後は「高師直」であるわけですが。これは「お見合いの釣書代わりに、暇があったら親に読んで貰うように」と言われる気がするわけで。師直の最後については、「腹のくくれてない主君は駄目だ」と言われる気がするわけで。私自身も、足利幕府のたどった運命を見ればそう思う。7番目の兄さんには、「自分が買えと言ったものは、ただ黙って買え」って言われそうである。それが兄さんを信頼してついていくってことだし、と思う。親に多少苦言を言われた程度で、諦めて話を途中で止めてしまうようでは、私自身が駄目でしょ、と思う。特に、ケルトの人達が「買って欲しい」というものをどんどん買ってきているのに、アフリカ系の人達が「買って欲しい」と言ってきてる数冊の古本すら買い渋るようでは、それこそ「差別主義者だ」と言われても、「その通り」としか返せなくなってしまう。まあまあ、本については、「お手柔らかにお願いしますよ。資金にも限りがあるんだから。」とは思う。でも、止めることはできないです。例え負けても、最後まで生死を部下と共にできねば、私に主君としての価値はない。私は尊氏にはならない、とそういうことなわけです。

本日の日誌

今日は追加分も含めて、写真の整理が完了する。明日は、総量とかちょっとやれば、今回提出分の書類も完了で、後は書面を読み直して印刷するだけになる。

お外組(母と姉)は、いつも通りで。でも、買い出しに出かけたので作業はあまりできなくて。

で、本も少しずつは読んでいるわけで。「小説 十八史略」を地図を片手に読んで、ようやく「合従と連衡」とか意味が分かるわけで。あとは、民話の本をいろいろ少しずつ読んでいて。ケルトの民話と、ゲルマンの民話は、似ている内容が多いのに、どこか違う気がするわけで。ケルトの民話の方が、北方の遊牧民の思想に近い、というか、人も動物も精霊的な存在も、割とそれぞれが違うものだと知りつつ、当たり前のように交わって付き合う、という感じが強いように思う。ゲルマンの方が、異なる者同士が互いに親しく付き合っていても、違う者であると強く意識しているようなそんな雰囲気がある。例えば、「家付きの精霊」みたいなものはどこにでもいて、彼らはパンとミルクとかわずかな供物と引き換えに、家事とかを手伝ってくれる。ゲルマンの精霊は、裏切りを許さず、裏切った相手を殺して煮て食べてしまったりする。ケルトの精霊は、自分を傷つけた相手でも、しまいには許して、精霊達の宴会に招いてくれたりする。そういう人間と精霊達との「距離感」みたいなものがケルトとゲルマンでは異なる気がするわけです。「世界の民話 ドイツ・スイス」を読んでいるわけですが、その中に「レートロマン」といって、スイスの中でもロマンス語という言葉を話す人達の民話があって。それを読んでいると、「ケルト海竜物語」と、どこか似た話があって、ケルト的な雰囲気を感じるわけで。調べてみたら、ロマンス語を話す人々は、遙か昔にスイスとイタリアの国境にある山岳地帯に移住したケルトの人々と、古代のイタリア人(エトルリア人)が混血した人々、とあって。彼らの言語は今では、ケルトの言葉は残っていないわけですが、文化(民話)の中にはケルトの思想が残っているんだなあ、と思う。

あとは、台湾の神話・伝説を読んでいて。これがけっこうやばい、というか、「邪眼」を持つ男の話が出てくる、「地下に住む人々(小人?)」の話が出てくる、どこかダイダラボッチを思わせる巨人の話が出てくる、ということで。西欧の民話に近い物語、中東に根強くある「邪眼」の思想、本邦の巨人神伝説とか、その起源は台湾の神話・伝説と同様「良渚文化」にあるものが多いのではないのか、と思う。台湾の「巨人伝説」は独特であって、この巨人は男性であって、しかも体が大きい分、男根もものすごく大きい(長い)ので、それを体に巻き付けて生活しているような感じであって-;。で、これがものすごい女好きであって。その大きな「イチモツ」を人々の橋代わりに使ったりするわけですが、女性が渡ると硬くてしっかりした橋になるけど、男性が渡ると萎えて危ない橋になる、とかってあるわけで-;。で、機織りの女性の部屋に「イチモツ」だけが入り込んで女性に狼藉を働くけれども、「イチモツ」が大きすぎて女性が死んでしまうので、しまいには嫌われて殺されてしまう、というような巨人であって。これはスサノオがアマテラスの機織り部屋に狼藉を働いて、地上(黄泉の国)に追放された、という話と「同起源」の話ですよねえ? 日本固有の話じゃないんだ?? と思う。逆に「邪眼」の話なんかは日本にはない気がするわけで。ダイダラボッチとスサノオの起源も元は同じものだったのだろうか? と思う。割と勉強になるわけです。