本日の日誌

昨夜は特に夢も見ず。本日は、書証のまとめをして。で、今は地盤についての「告知歴」を纏めているところなわけで。奇想天外なことばっかり言ってたことを書いてくれる、と思うわけです。

で、午前中半ばから雨が降り出したのですが、お外組はだいたいいつもの通りで。なんだか廊下のどんづまりの奥に埋まっている鋼管の上に大きめの石が積み上げてあって(最大20cm径)、更に錆びた鎌みたいなものが入っていたらしい-;。そこも汚いなー、と思う。

で、昼は昨日の「ZERO」を見て。夜は、昨日の「しゃべくり007」を見て。福山君をテレビで見るのも久しぶりだー、と思う。蛇の兄さんは、私の分身の蛙の子がドレスを着て、楽しそうに踊っている絵を送ってくれるわけです。

本日の日誌

昨夜は特に夢も見ず。本日は、書証のまとめをして。で、今は地盤についての「告知歴」を纏めているところなわけで。奇想天外なことばっかり言ってたことを書いてくれる、と思うわけです。

で、午前中半ばから雨が降り出したのですが、お外組はだいたいいつもの通りで。なんだか廊下のどんづまりの奥に埋まっている鋼管の上に大きめの石が積み上げてあって(最大20cm径)、更に錆びた鎌みたいなものが入っていたらしい-;。そこも汚いなー、と思う。

で、昼は昨日の「ZERO」を見て。夜は、昨日の「しゃべくり007」を見て。福山君をテレビで見るのも久しぶりだー、と思う。蛇の兄さんは、私の分身の蛙の子がドレスを着て、楽しそうに踊っている絵を送ってくれるわけです。

本日の日誌

昨夜は特に夢も見ず。本日は、書証のまとめをして。で、今は地盤についての「告知歴」を纏めているところなわけで。奇想天外なことばっかり言ってたことを書いてくれる、と思うわけです。

で、午前中半ばから雨が降り出したのですが、お外組はだいたいいつもの通りで。なんだか廊下のどんづまりの奥に埋まっている鋼管の上に大きめの石が積み上げてあって(最大20cm径)、更に錆びた鎌みたいなものが入っていたらしい-;。そこも汚いなー、と思う。

で、昼は昨日の「ZERO」を見て。夜は、昨日の「しゃべくり007」を見て。福山君をテレビで見るのも久しぶりだー、と思う。蛇の兄さんは、私の分身の蛙の子がドレスを着て、楽しそうに踊っている絵を送ってくれるわけです。

本日の日誌

で、後は、だいたい親からは「よく分からない」とか言われるわけで。親の認識としては、「頭のいい人を殺そうとしてる」とか「神に仕立て上げた者を殺そうとしてる」とか、そんな感じの認識なわけで。なんか、ちょっとずれてるわけで。別に頭のいい、悪いなんて、それほど重要視はされていないと思う。1番目の子も、2番目の子も、頭はそれほど悪いわけではない。でも、向こうの「思うとおり」にさえ育てばいいわけだから。消されちゃった人達は、ただ単に「邪魔だと思った」から片付けられただけだと思う。どういう基準で、そう思われたのかなんて、こっちに分かるわけがない。だいたい、うちのじいさんが、家族の誰をどういう基準で「消したいと思うほど邪魔だと思う」のか、理解できないでしょうが。客観的・合理的な基準があるとは到底思えない。そういうことじゃん、と思う。

そして、生まれながらに「神」であるのか否か、ということは別に「仕立て上げられている」わけではないので。要するに「頭の良い子」と「悪い子」がいるように、「神である子」と「普通の子」がいるってそういうことである。「神である子」は、生まれながらに、人類に対して役割分担がある、ってそう思われてる、というかそういう感じである。まあ、大抵、どの子も自分の役割をふられて、役割分担を生きてるだけだから、それも不公平かというと、特に不公平なことじゃないんだと思う。そして、子供を見た時に、「頭の良い子」と「悪い子」って、そういうことを見抜く目のある人には、見抜くことができる。でも、できない人には、「どっちも同じような子供」にしか見えない。それと同じで、「神である子」と「普通の子」を見抜くことができる人はできるけど、できない人には区別が分からない、ってそういうことである。でも「神である子」と「頭の良い子」は必ずしも結びつかないよね? それはどちらかというと「目の力」の強さに関係するので,元々持っている「目の力」が特に強い人は頭があんまりよろしくなくても「神である」ということはある。だいたい、「自分でなりたい仕事をやっている」という認識がそもそも間違っているので。みんな、役目を背負ってやってるだけである。もちろん、やりたいことがあれば希望を出すことはできる。でも、上の許可がなければ、やることはできない、ってそういうことなんだと思うわけです。

本日の日誌

で、後は、だいたい親からは「よく分からない」とか言われるわけで。親の認識としては、「頭のいい人を殺そうとしてる」とか「神に仕立て上げた者を殺そうとしてる」とか、そんな感じの認識なわけで。なんか、ちょっとずれてるわけで。別に頭のいい、悪いなんて、それほど重要視はされていないと思う。1番目の子も、2番目の子も、頭はそれほど悪いわけではない。でも、向こうの「思うとおり」にさえ育てばいいわけだから。消されちゃった人達は、ただ単に「邪魔だと思った」から片付けられただけだと思う。どういう基準で、そう思われたのかなんて、こっちに分かるわけがない。だいたい、うちのじいさんが、家族の誰をどういう基準で「消したいと思うほど邪魔だと思う」のか、理解できないでしょうが。客観的・合理的な基準があるとは到底思えない。そういうことじゃん、と思う。

そして、生まれながらに「神」であるのか否か、ということは別に「仕立て上げられている」わけではないので。要するに「頭の良い子」と「悪い子」がいるように、「神である子」と「普通の子」がいるってそういうことである。「神である子」は、生まれながらに、人類に対して役割分担がある、ってそう思われてる、というかそういう感じである。まあ、大抵、どの子も自分の役割をふられて、役割分担を生きてるだけだから、それも不公平かというと、特に不公平なことじゃないんだと思う。そして、子供を見た時に、「頭の良い子」と「悪い子」って、そういうことを見抜く目のある人には、見抜くことができる。でも、できない人には、「どっちも同じような子供」にしか見えない。それと同じで、「神である子」と「普通の子」を見抜くことができる人はできるけど、できない人には区別が分からない、ってそういうことである。でも「神である子」と「頭の良い子」は必ずしも結びつかないよね? それはどちらかというと「目の力」の強さに関係するので,元々持っている「目の力」が特に強い人は頭があんまりよろしくなくても「神である」ということはある。だいたい、「自分でなりたい仕事をやっている」という認識がそもそも間違っているので。みんな、役目を背負ってやってるだけである。もちろん、やりたいことがあれば希望を出すことはできる。でも、上の許可がなければ、やることはできない、ってそういうことなんだと思うわけです。