本日は

かなり早い時期に咲いた、我が家最大のひまわりが、ここ2,3日のうちに少しずつ傾いて、ついに本日倒壊してしまいました。見に行くと、根っこの付け根でポキッと折れており、かつ芯も腐りかかっていましたので寿命なのだと思います。で、その花の種がこちら。

 

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直径30cmはあろうかという巨大な花から、こんな種ができました。来年はこの子の種をメインに蒔こうと思っています。とりあえず大きなボールに入れて干しています。

 

本日はいろいろとありました。昔のことを思い出すに「あの夏の日」というと、「コンは勝つ~」と歌っていた人のことを思い出すのですが、今日は正しいコンライトを入れることができたように思われます。これがどういう意味であっても、語源的にはクヌムの「月の光」ということで頑張ってみました。そしてやっぱり、この歌のことを思い出したわけです。

夢他

今朝、目が覚めましたら「会いたい人」のことが頭に浮かんだのですが、何故か猫顔というか、そんな感じの顔で浮かんできましたので、「何故?」と思って考えてみましたが、そういえば「会いたい人」は虎さんであったようです。(そしてきっと私は「獅子」であろうと思うのですが 苦笑)

 

家の周辺にいるカマキリさん達もだいぶ大きく成長してきたのは良いのですが、オミナエシの花に登って、コミツバチやミツバチを食べたがるので、内心はちょっと複雑です。彼らはカメムシやコオロギを食べてくれるので基本的には益虫なのですが、食べると甘いミツバチ系も好物なようで、この時期は不運な事故が多いですーー;。今年は連続的に花粉の多い花が多かったせいか、家の周りのコミツバチ達が割と大きく育っているような気がするのですが、食べられてるのを見るのはちと可愛そうかな、と思います。それに油断しているとカマキリは共食いしますので、ときどき見回って喧嘩しそうなのを引き離したりしています。

 

それから今日は断続的にゆずの「ヒカレ」とか「はじまりの歌」が頭に浮かんでいた気がします。こうやって、いつも愛する人と一緒にいられたら、幸せだろうな、とは思います。

 

で、ぼーっとしながら、西洋の蛇女神達の名前を考えていたのですが、彼らの特有の「t(d,j)」や「n(m)」の子音はどこから来ているのだろうな、と思ったのです。それでよく考えましたら、
「蛇」という言葉は「ジャ」とか「ダ」
「巳」という言葉は「ミ」
と読むと気が付いたのです。「蛙黽」という言葉がおそらく古語では「かぼう」と読んで、それが西洋の「KB」のつく女神群の起源とすると、「t(d,j)」や「n(m)」の起源はおそらく「蛇巳」という言葉で、それが印欧語族の蛇の太母ダヌ(Danu)のことなのだと思います。ということは、「ウアジェト」って「偉大なる蛇蛇」って意味なんだ? となるわけで、古代中国語と古代エジプト語の神話世界の近縁性の凄さが良く分かるわけです。全ての神々は
蛙(K)、黽(B)、蛇(T,D,J,Y)、巳(M,N)
の4文字から生まれ、そこに還っていくものと思われます。

 

だから、「たった一つの神」を示す「神聖四字」、いわゆるフェニキア文字の「HWHY(YHWH)」を何と読むかといえば、「蛇蛙黽蛙」と読むのが正しいのであると思う。神とは、そのようなものであるのでしょう。(もっとも昨今では、思ってたよりも「蛇」の力の方が強いって言われている気もするわけですが 苦笑。)

いろいろと

まず、佐世保の事件。どうも、事件の前に父親が、娘を自分の母親の養女にしていた、とかを文春が記事にしたらしいです。ネット上にはいろんな情報が氾濫&錯綜しているのですが、どうも
「子供が養子に出ると実の親の相続権が無くなる。」
と勘違いして、父親を悪くいう人が多いようです。普通の「養子」は養父母と実父母の両方の相続権を持ちますので、ある意味養子になると相続権が増えてお得?ということにはなりますが、親の財産を相続できなくなるということはありません。ただ、この件の場合は、同時期に娘は家を出されているわけですから、将来的には何年か経った後であれば、娘が何か騒ぎを起こせば、親は一緒にも住んでないし、戸籍も離れているし、ということで、「監督責任」を逃れる口実になったかもしれないと思いますが、そうなる前に「娘の打った手」の方が素早かったかな、とーー;。民事訴訟は、法律も大事ですが「人間関係」に関しては、「事実上がどうであったか」ということも重要視されますので、にわか養子に出したくらいで、実親が監督責任を逃れることは難しいと思われます。(そんなことは弁護士である以上、父親にだって分かっていたと思われますが?)むしろ、家庭環境が激変し、当人の精神状態が危ういことが分かっているにもかかわらず、更に子供が不安定になるようなことを父親がしている、という点で責任が問われるのでは、と思いますが。
私が買っている某女性週刊誌にもこの事件の記事が載っていましたが、流石に女性向けの雑誌ですから、父親を露骨に擁護するようなことは書いてありませんでした。精神科医の香山リカ氏が、さすが医者らしさを見せたというか、私から見て珍しく「まとも」なことを言っていたのが印象的でした。
そして、ネット上に流れている未確認情報ですが、どうやら実母とこの子が可愛がっていた犬を、継母と父親が殺処分したとかいう噂が流れております。もしそれが事実だったら、「世の愛犬家」をかなり敵に回しそうな気がしますが。
それから、ゆずの歌ではありませんが、世の中の人が「誰かの鏡」であるならば、犬だの猫だの「松尾」だの「尾」のつくものばかりの命が失われているこの事件では、
「何か「尾」という言葉にまつわるものに殺意でもあるのか?」
という気もしないでもないわけですが。まあ、うちの家人はこういうことには気が付かない人たちですし、私は気が付いても「気にしない」という図太いタイプですしーー;。ともかく、自爆的なコメントを弁護士を通じて次々と投下してくれる「父親」の発言を今後も注目したいと思います。(ネット上では既に実名から顔写真まで出回っているわけで、大手メディアの扱いとは雲泥の差だと思うわけですがーー;)

 

で、「図太い女」といえば、理研の笹井氏が自殺してしまったわけで。これで、どういう関係であったにしても、理研内の後ろ盾を失ってしまった小保方氏の去就が注目されるわけですが。なんというか、狭い世界で「王様」みたいに君臨して威張って好き勝手してやっていた人でも、「世間」というものを知っている人と、知らない人とではこうも対応が二つに分かれるのかな、と思ったわけです。一方は、弁護士で世間というものとは相当な接触があって、もはや図太くなりまくりで、自分の擁護だけは百人前、もう一方は世間知らずの研究者で、問題が表沙汰になったとたんに自滅、ということで。理系で純粋培養の研究なり医者なりの世界しか知らない人は、そういう点では脆い部分があるのかな、と思ったわけです。私なんかは、弁護士とも裁判官とも法律片手に、正式な場所でやり合ったりしてますので、そういう点では相当鍛えられてるかも? とか思ってみたりーー;。でも、精神医学的には自傷する人も、他傷する人も精神構造的には似たようなものな扱いだと思うわけですが。違うのは「社会的」な扱いだけなのですよね。

 

それから、ジブリの制作部門が事実上解体、と。宮崎アニメにはさんざんお世話になった私ですから、残念な気持ちが無いわけではありませんが、ジブリの三賢人、宮崎、高畑、鈴木氏的には
「やるべきことはやり尽くした」
と、そういうことなのかな、と思うのです。それもまた彼らの選択であれば、仕方のないことなのかな、と思います。昔は宮崎作品をほぼ全て揃えていた私ですが、今手元にあるのは、最初の「ナウシカ」と最後の「ポニョ」ということで、私的にいろんなことが始まった時には「風立ちぬ」はまだありませんでしたので、この2作品のDVDを大切に持っているわけです。そして、それで良いのだと思う。

 

そして、昨夜見た夢。なんだか、「会いたいのに会えない」みたいなものすごくせつない感情が流れ込んで来る気がして、目が覚めたら「家族になろうよ」がかかっていたわけです。「会いたいのに会えない」と、「家族になろうよ」では、これから結婚しようとする歌なのに、会えないのは何か変?? と思いまして、それが「私の会いたい人の感情だったら?」とふと浮かんだわけです。だったら、そんな夢を送ってくる前に会いに来て、というか、理系純粋培養的に、自分からその一歩が踏み出せないのなら、ポニョみたいに図太い私が会いに行ってもいいのに、とか思ったわけです。そうしたら、
「それが福山君の感情だったら?」
とか、ふと浮かんだわけで。それならそれで、ほうきでとっととはき出してお引き取り願わないと、とかとっさに思ったわけで(誰を? もちろん福山君を 笑)。変な夢を見るなあ、というか、変なことを我ながら思いつくな、と思っていたわけです。
それで、昼間、再び昨日のお店に買い物に出かけたわけで、嵐のポスターと福山君の例のベスみたいなポスターを拝んで来たわけですが、その時ラピュタのシータとパズーのことが思い浮かんだわけです。ラピュタのヒロイン・シータの名前は、インドの古典「ラーマヤーナ」から取った名で、「ラーマヤーナ」というのはとある国の王子である「ラーマ王子」が主人公で、その妃の名がシータというのです。で、一方のパズーというのは、メソポタミアの風の悪魔の名から取ったのだと思います。(ラピュタのパズーはシータを一途に愛するいい子ですが)
シータという名は、子音的には「S-T」ということになりますので、それは蛙の「(K)S-T」という名が印欧語族的に訛った名なのだと思います。しかも、「S-T」ってニンリルの子音でもあるのでは? とふと気が付いたわけで。
で、一方のパズーは、ベスと同じ子音構成なわけですから、福山の兄さんが「ベス・パズー」だとすると、シータって「ニンリル」のことなんだ? それでは、荒ぶる神エンリルは、「ベス・パズー」と同じものであって、シータとパズー、いわゆるニンリルとエンリルの、その組み合わせはいわゆる「寡婦殉死」の神話の象徴である名なのだな、とそこまで気が付いたわけです。兄さんがパズーなら、シータは誰? って言われましてもねえ? みたいなーー;。パズーがシータに「会いたいのに会えない」って言ったら、それはせつないねえ、と思ったわけですが、まあ、総合的にいろいろと考えれば、兄さんには「天河」のラムセスみたいな立ち位置が似合うというか、「じゃぱねすく」の瑠璃姫ではありませんが「鷹男の帝よりも『妻は瑠璃姫一人』と言ってくれる高彬の方が大事。」というか、まあ、そういうことなのだと思いますので。それでラピュタって良くないものなんだな。ついでに言うと、「ハク」竜(ハクには「白」という意味とコハク(すなわちエンリル的印欧語族の太陽)という意味がありますので)と千尋もそれで駄目、なんだな、と気が付いたわけです。(しかも、「千尋」とは諏訪大社下社八坂刀売に直結する名であるので、龍神と千尋のペアはまさに諏訪神夫婦のペアにまっしぐらな名前かと。)「もののけ姫」のアシタカは長脛彦・諏訪神ですし。ついでに「宅急便」や「ハウル」は「魔」がつくから駄目。トトロも魔物だし? ということで、大事なのは「最初と最後」ということで、結果、「ナウシカ」と「ポニョ」しか手元にないわけです。ナウシカのアスベル、ポニョの宗介、とりあえず会いたいのはこの二人だけだ、と。そういうことなわけで。
ポニョはポニョで「PN」の子音を持つフェニックスな金魚ちゃんなわけで。どうせ私もポニョ並に図太くて気が強いのではないのか、と思うわけですがーー;。ナウシカは「今の鹿(鹿=太陽)」ですので。この程度まで分かればそれで良いのかな、とそう思うので、ジブリのおじいさん達には元気で長生きして欲しいとは思いますが、お仕事としてはもう充分なのかな、とも思います。

 

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早朝、太陽に向かって咲くひまわりがあまりにも嬉しそうでしたので、1枚撮ってみました。ひまわりも花のピークはそろそろ過ぎて、最後に残った蕾達が満開になっています。花の左下の花びらの陰にハナバチが隠れて身繕いをしていました。彼らは色が黒っぽいだけあって、早朝でも日の光は苦手なようです。

某週刊誌で愛子様が伊勢神宮に参拝されている写真を見ましたが、子供が成長するのは早いものだな、と思います。元々、神に仕える「斎宮」とは独身の内親王が務めるお役目なわけですから、独身の内親王様の参拝は神様もお喜びになられたのではないでしょうか。

いろいろと

昨日、ちと重めの日記を書いて寝ましたら、「One Love」と「マイガール」が2曲連続してかかって、うれしかったのでした。
で、今日近所のお店に買い物に行ったのですが、そこはお酒のコーナーに嵐の「一番搾り」のポスターが貼ってありますので、嵐のお顔を拝見して来ようと思っていましたら、何故かお店に入って、ポスターの見える辺りの位置まで来たときに、ふいに福山君のことが思い浮かびまして、
「嵐を見に来たのに何故福山君?」
と思ったのですが、そうしたら丁度
「隣を見ろ。」
と心にふと浮かびましたので、嵐のポスターの隣を見ましたら、福山君の「スーパードライ」の白黒ポスターが貼ってありました。白黒で、大きな口を開けているそのポスターのコンセプトは、
「オルクス・ベス・福山ですか!??」
という感じだったわけですが、福山君に関することは、いつも無駄がなく、そつがなく、適切、的確(しかもスパルタ)だと、常々本気で思っていましたが、遂に
「隣を見ろ。」
って6文字で片付くレベルに?? と思ってしまい、というか、
「『隣を見ろ』って何!?」
というか、ともかく、分かりやすいことは、分かりやすい、とそう思ったわけです。分かりたい人のことは、こちらのレベルに合わせて書き直して貰わなければ、みたいな状態なのですがーー;。諏訪神社だって、しまいには毎週通っててたかもしれませんが、氷川神社だってよく行ってたよねえ? というか、ちといろいろ考えてしまうことがあったのでした。

 

20140804_12_1_2_3_webオミナエシという花は、名前がちと良い感じではないのですが、蜜がおしいしいらしくて小さな羽虫たちに人気があります。(大きなハナバチも来ます。)なので、カマキリにも人気があるということで、この花の花盛りには良くカマキリの姿を見かけます。この子は昨日の夕方に、まるで「万歳」でもするかのような格好で、オミナエシの木にとまっていたわけですが、一晩中そのままでいて、日が当たってきて暑くなるまでこうしていました。

しかし、どうにも、最近は役所の仕事は5時までだという、常識的なことも知らない人間が何故か司法試験に合格したりするような出鱈目な世相な気がします。というか、父親が忙しいなら母親が電話すれば? そのための「母親」でしょうが、血が繋がっていなくてもさ? とか、それにまず一番気味悪いことは、
「うちの子が変なことを言うんだけど、仲の良いお友達にも変なこと言ったりやったりしていない?」
って、親が子供の言動に不信感や不安感を感じたら、当然常識的に、友達の親や友達にしそうな「リサーチ」が全くされた形跡が無いことです。そのくせ、「医者に診せた」とか「時間外に出ないと分かっている役所にわざわざ相談の電話をした」とか、いざという時のアリバイ作り? みたいなことばっかり目立っている気がします。なんで、親は殺された子の親や、殺された子自身にそう聞かなかったんだろうと思う。役所には「受付時間」があるかもしれないけれども、「友達付き合い」には「受付時間」なんてないものなんじゃないのですかねえ?

 

それから、SMAPの曲が新たに何曲か入りました。これでやっと煩悩の数超えです。

夢他

昨夜は、夢に福山君がちらっと出てきて、目が覚めたら「Dear」がかかっているというありがちな夢を見ました。それから、町でSMAPに会って、家まで送って貰うことになって、何故かみんなで歩いて家に帰る、という夢も見ました。(現実にそんなことがあったら「超目立ちそうだ」とか、目が覚めてから思ったのですが、最近こういう感じの夢をよく見る気がします。)どうも、私はいろんな人に守られて送って貰わなければならないようなところへ向かっているらしいです。

 

それから、今日はとある人が、ご挨拶に来てくれたような気がします。まあ、詳しくは書けませんが、びっくりしました。

 

で、話は変わって、佐世保の事件。どうも、関係者の誰もが「弁護士を通して」いろいろ言うものですから、実際の「表情」というものが良く分からないわけで、それもちと奇妙ですが、事件も奇妙ですが、関係者も奇妙だと言わざるを得ません。で、メディアも当然「変」と。「変々尽くし」な事件な気がします。

 

まず、申し訳ないのですけれども、被害者の家族の「?」と思う点。既に弁護士とやらをお雇いで、別にそれが悪いというわけでは全くありませんが、もう既に
「民事訴訟起こす気満々」
のように見えます。(というか、そうでなければ、弁護士を雇う理由が無いのです。弁護士っていうのは、あくまでも裁判の代理人をする人で、スポークスマンの専門家ではありませんので。しかも地方って弁護士不足なんですよねえ? ということで。)
まあ、当然の権利ですから、私が親でもそうすると思いますので、別に良いのですが、「犯人を許さない」云々と申しましても、犯人は未成年で財産もありませんから、取れるところは、親か、主治医だった精神科医か行政かということになるわけで、捜査の行方も興味はありますが、とっとと水面下で進んでいそうな「民事」の行方にも興味が無いといえば、無いわけではありません。まあ、現実的には大人なら、実益を最重要視して攻められる筋合いも攻める筋合いも誰にも無いのですけれども、でも、加害者の子は、娘の同級生で、しかも中学の頃から知っている子で、家庭環境が複雑怪奇な状態であることは、同級生の親でしたらある程度知っていそうな気もするのに、まあ、今はそんな気分になれなくても、娘が生きている時にはその子に同情する気持ちは無かったの? とか、逆にそんな危なそうな子と娘がつきあっていることはどう思っていたの? とか、そんな気もしないでもありません。今時の親って、子供がどういう友達と仲良くしてるのか興味ないのかな? と思う。私が高校の時なんかは、友達のこととかも知っている範囲は全部親に話してりした気がするわけですが><。
しかも、加害者の親もPTAとかで顔を合わせて知らない間柄では無かったはず? かもしれないと思うので、なんかそういう「普通の他人」よりは「知り合い」に近い間柄であったはずなのに、「犯人を許せない」って、なんだか「知らない人」に対する言い方みたいに思えるのです。そして、相手の親に対する悪口も全く無いわけで、なんだか、「犯人の父親に対する悪口は言わない」という申し合わせでもあるの? それとも、言わない方が、慰謝料的に良い、みたいにアドバイス受けてたりする? とか、そんなことすら思わないでもない感じだったりします。それとも、佐世保って、この「名士」であった「父親」のことにはそんなに悪口を言えない、みたいな不文律というか雰囲気があったのかなあ? そういう土地柄なの? とも思ったりする。でも、もしそうだとすると、父親を悪く言えない分、不満や怒りが全て犯人である娘の方に向けられたら、それはそれでちょっと変な土地柄というか、そういう風に思ってしまうわけです。ともかく、この辺りにまずなんというか、野次馬的に微妙な違和感を感じてしまうわけで。

 

で、もっとビジネスライクに責任のなすりあいが始まっていそうなのが、父親と医者で、そのうちに弁護士と医者の法廷対決とかになるの? という気もしないでもありませんが。父親は「医者のアドバイスに従ったんだから」と責任逃れ、医者は「行政に通報したのに何もしてくれなかった」と責任逃れ、そして、誰が子供のご飯作ったり、一緒におしゃべりしたり、面倒見てあげてたのか、ということについては「無視」と。
だいたいですねえ、「人を殺しかねない」ことが分かっていて、それは「自分よりも弱い者」に矛先が向くことが多いことが分かっていながら、「自分が殺されるかもしれないから一人暮らしさせた」って、それは流石に、じゃあ「自分以外の弱い人は殺されても良かったんだ?」ってつっこむ人はきっと誰か出てくるに違いないと思うわけですがーー;。
この父親の言い分のように「自分は何もしなかったわけではない」というのは、その通りであって、何もしない父親であったわけではないと思います。(むしろ、不安定な娘を放っといて東京辺りで婚活とかしてたのよね? みたいな感じになりそうなわけでーー;)
私としてはむしろ、あなたは父親として最低でもなにがしかの育児書とか読んだの? 母親を失った子供の心理を、自分の頭でどう理解しようと努力したの? となるわけで、そういうことは医者任せだったんだよね? 全部。と思うわけです。お金があれば、マンションがあれば、子供はそれで幸せで満ち足りてるわけではない。自分だって、一人が寂しくて再婚したんだったら、子供の寂しさにもっと思いやりと理解を持てても良かったんじゃないのか、とそういうことなわけです。

 

で、最後にメディアの「変」さ。なんかね、某保守的なメディアとかは、「父親が娘を甘やかしていた」みたいな論調なわけです。「どこが?」という気もしますが、まあ、大手の言っていることですから、もしかしたら父親とか弁護士会とかの本音はそうなのかも? と思ってみたり。
それから、某左翼系メディア。「娘の心の闇」がどうのと言いつつ、父親はやはり非難なし。
右と左が父親を庇ってるよ、右は弁護士会、左は精神病学会が抑えてる? と、ついそういう見方をしてしまうわけです。まあ、それでも誰の悪口でも書くメディアはしっかり書くことは書いているわけですが。
とある評論家が「大人の思惑が透けて見える」みたいなことを言っていましたが、だいたい娘の代理人弁護士が例の「父親を尊敬している」発言をしたことは、某全国ニュースでも取り上げられていましたから、逆にいえば、そんな事件の真相(何故仲良くしている友達を殺したのか)と直接結びつかないようなどうでも良いことを「全国ニュースで流した」という点にすでに、「一地方の有力者」なんか以上の手が回っていると見るべきで、まあ、世の中にはそれを見ただけで、
「弁護士会が動いていそう」
って思う人だっているかもしれないと思うわけです。だって、それは「娘の弁護人」の言葉ではなくて、どうにも「父親の弁護人」の言い分としか思えないわけで、真に子供のためを思うのであれば、弁護士としては、本当に当人のためを思うのであれば、捜査の行方を見つつ「そんなことは流れが定まるまで自分の胸の中にしまっておく」というくらいの配慮があって当然だと思う。だって、子供がどういう状態、どういう心理でそう言っているのかすらも、今は定かでは無いわけですから。
で、メディア系に話を戻せば、弁護士会は法曹関係に当然大きな影響力を持ちますから、今後捜査がどう展開しようと、裁判所に持ち込んだ時点で、きっと父親や弁護士会の意向が強く働きそうな結果になりそうかも? とかそんな気もしないでもないわけで。今のところ、この事件を最終的に動かすのは、「大人の思惑やしがらみ」なんだろうな、とそんな感じがするわけです。