本日も

外出する用事があったので、あちこちに出かけていました。

 

そして、いろいろと新たに分かったこともあるわけです。例えば、フェニックス(Phoenix)という言葉はメソポタミア周辺地域では女神の名なわけです。そして、例えばWikipediaなんかではベンヌ(Bennu)が「古代エジプトのフェニックスに相当する。」とか書いてあります。
フェニックスの子音は「(B)P-(k)e-n-(k)x」となるわけで、全体としては「B-(k)-n-k」という構成ですので、ベンヌとは最初の2文字しか構成が一致していないわけです。ところで、古代エジプトには「オヌリス(Onuris)」という神サマもいます。厳密にいえば、ギリシア語で「オヌリス(Onuris)」、古代エジプト後で「アンフル(Anhur)」というらしいです。要するに元は「K-B-N-K」で現されていた神が、ギリシアで「K-N-K」、古代エジプトで「B-N-K」と変化したものがオヌリス・アンフルであるようです。オヌリスって「フェニックスと同じ子音構成じゃん!?」というわけで、なんでも「男系化」が好きなのは古代エジプトもメソポタミアと同様、というわけで、おそらくオヌリスとその妻神メヒトは、元は一つの「太陽神」であったものが、「夫婦神」に分けられて、夫の方が黄河型「狩猟の神」、妻の方が女媧的死神女神へと分けられたもののようです。だから、エジプトにおける「フェニックス」は男性形なわけで、ヌビアの砂漠に疾走した妻を探して連れ戻す神とされているわけです。
オルペウスでもイザナギでもなくて、そこんところだけ「オヌリス」なんだ、それで「フェニックス」かい!! というわけで、どうりで春分の日に超緊張していたわけだ、というか、連れ戻される獅子頭の妻神メヒトって、イナンナ・ネイトと同じものなんだ? 最初から計算しておったね??
ということで、けっこう愕然かつげんなりとしております。

まあ、それもありますが、最近のテーマ曲はどうにも「Ready Go!」なようでーー;。せいぜい1週間ドキドキしててくださいな、というか、今からあれやれこれやれっていっぱい来るのは何故? っていうか、「待ち焦がれて会いたい」っていうような用事で会うんだ?? というか(まあ、「神話」的にはそうなのかもしれませんがーー;)。そんな感じで疲れております。まあ、できるだけ頑張ってみたいと思います。

(あとは「One Love」も安定的な強さは誇っております。まあ、確かにすごいことではありますが。私も緊張の方が先に立つので、うれしいとか、そういうこと言う余裕があまり無いわけで。申し訳ないのですがーー;。)

そういえば

29日には久しぶりのMステがありますので、曲目をチェックしてみました。倉木麻衣ちゃんといえば、昔、東京に住んでいて、池袋のサンシャインシティに用があって行った時に、ビルの前にレコード店もなかった? のに、何故か麻衣ちゃんのツアートラックが2台停まっていて、そこに彼女の顔がでっかくプリントされていましたので、それが「なんで、ここにツアートラックが?」という疑問と共に、強い印象に残っていたのですが、泉水ちゃん亡き後もBeingが大切に守ってきた歌姫の麻衣ちゃんですし、テレビに出るのは珍しいことですので、彼女のパフォーマンスを見るのを楽しみにしているのです。
そして、Beingといえば、なんといっても1年ちょっと前に「裸足の女神」を唄ってくれたB’zもBeingのアーティストなのですが、稲葉さんの歌声と松本さんのギターの効用はとても安定していて、どんな時でも心の奥までしっかりとすっと届く強さがすごいと思うのです。
真逆にいるのが福山兄さんの曲で、ともかく状況に応じた変化というか、使い分けも「すごい」と思うわけですが、その分時によってはこちらが疲れてしまうこともあるので、そういう時にはB’zの安定した力がものすごく支えになってくれるわけです。ジャニーズの曲とか、たいていの曲は状況によって多少の変化があるものですが、B’zにはそれがほとんど無いのです。

まあ、それにしても私は、家とか司法関連で「蛇になっちゃえ」をやられるとLady Justiceになるし、病院ではどうにもイナンナ・ネイトになってしまうらしいですーー;。ネイト(イシス)は無差別に人を殺す神なんてすり込もうとしても無駄な話で、私は生命と豊穣と正義を愛する人なのだと思う。でも、「蛙の皮を被った蛇」かも、というところは否定しません。かわいい蛙女神でいるのは、家でのほほんと縫い物をしてる時ぐらいで、まあ、たいていの場合は尻尾の方が活躍する機会が大きいように思いますのでねーー;。

 

それにしても、神聖四字「HWHY」とは、神の名において「子音」のみが重要視される西欧世界においては、クピードー(Cupido)と同じ構成の名ともなります。愛と豊穣の神クピードーを逆さまにすると「死と破壊の神」になるんだ? というか、「HWHY」をそのまま訳したらクピードーにしかならないと知っているから、「YHWH」と書き換えたのだと思われーー;。

 

オルペウスは妻のエウリュディケーを黄泉の国から連れ出そうとする時に

「けっして後ろを振り返ってはならない」

と言われるわけですが、宮崎駿監督の「千と千尋」では、逆に千尋が「振り返ってはならない」と言われるのです。

そして、オルペウスは振り返って、見てはならない妻の姿を見てしまい、妻の再生に失敗します。イザナギも許されない内に、妻の姿をその目にしてしまい、妻の再生に失敗します。

それで、オルペウス・ベスは「妻の姿を一度も直接目にすることなく冥界から連れ出そうとしてる」のかしら? とやっと気が付いたわけで@@。

ほんの数日前でも、夫認定して貰って良かったね? というか、女性が背中を向けている殿方を追いかけたら、その相手が「背の君」って、どこの風習ですか、それ? とか、そういう風に思うわけですが。

私も今日は後ろを振り返らなかった。(というか、振り返っても戻りたいような後ろではないんですけども、どこもかしこもーー;)

オルペウス・ベスは「◎曜日の○○を取れ」と言った、と。妻の姿を一度も目にすることなく?

なんか、どうにも、寒気がするのは気のせいでしょうか(泣)。

さて

今朝は珍しく、福山君の「家族になろうよ」で目が覚めました。

で、午前中は行かなければならない所があったので、出かけていました。そこで、また来週辺りに別の場所に行く用事を決めてきたわけです。行く直前から、なんとなく重要な日になるのだろうな、という予感はしていたのですが、行ったら珍しくも「◎曜日の○○を取れ」って明確にふっと心に浮かんだわけで、そういう芸当ができる兄さんは一人しかいないし、そういう場合には必ず心の声に従うことにしている私ですので、朝の「家族になろうよ」を思い出して、そう決めたわけです。で、割と大事な話をしていましたので、話をしている間音楽は聴いていなかったのですが、話が全て終わって一休み、というところで聴き出しましたら、最初に「One Love」、次に「愛がまわるよ」、で、その次くらいに「Ready Go」がかかって「おおー」と思ったのです。「One Love」もすごいと思いましたけれども、嵐みたいになりたかったというHey Say Jump!もちゃんと、そうなってる、と思ったのでした。
そして帰ってきてインターネットのニュースサイトを見ましたら、赤いスーツを着ている弓弦君がうれしそうに腕を上げている写真が大きく載っていたので、これまた「おおー」と思ったのでした。

帰ってきてからは、あちこちのひまわりが枯れ出しましたので、収穫をしていました。今年は雨が多いので、中には腐ったりカビが生えたりしている種もあってたいへんでしたが、良い種もあるので来年が楽しみです。

それにしても、神々の歴史を見るに、世の「男神」というのは多かれ少なかれ、「軍神」の性質を含んでいるのですが、でも一番古くは「KB」の名を持つ男女一対の月の神と太陽の女神が、同じ「KB」の名の下にあったはずなのです。だから最初の「KB」であった月神は、軍神では無く温厚な豊穣神であったと思うのです。なぜなら、彼らは夫婦一対の双神であるからです。それで私は今にいたって、初めて「KB」の名を持つ「男性の平安と豊穣の神」というものを考えてみたわけです。今は歴史の上から消えてしまったその痕跡しか探すことのできない月神です。そして初めて、カアバ神殿に祀られているという「月からきた黒曜石」と、「アブラハムの宗教の神」であるアッラーフのことを考えてみたわけです。「K」と「B」の音しか持たない「平安と恩寵の神」。男でも女でもない「神」。それは双方を含むものであるからこそ、どちらでもないものなのだと、気が付いたのです。「KB」の女神は、「KB」の男神を探し、選び出さねばならない、と。死神ではなくて、「人を生かすための医者」を。とそういうことなのではないでしょうか。

それで、KAT-TUNの「In Fact」の「嘘の過去を破いたら本当の時が回り出す」という歌詞がぐるぐると頭の中を回っていたわけです。存在しないものの名を「神」などと呼ぶdevilもこの世の存在する。でも、その嘘を見破ったら? そう思ったら、丁度「In Fact」がかかって、その次に「家族になろうよ」が今かかっているわけです。まあ、ちょっと泣きそうな気分にはなるよね(汗)。(というか、みんなで送ってくれる、ってこういう意味だったんだ? と今更ながらに思うわけですが。まあ、その先は、そこまで行ってみないとどうなるのか私にも良くわからないわけですが、きっとまたみんな憑いてきてくれるのでしょうーー;。)

そういえば、昨夜は丁度コブクロの歌が流れている時に夢を見たとみえて、数人でカラオケに行って、そのメンバーは中学や高校の同級生達で複数いたのですが、何故か歌っているのがコブクロのお二人だったという夢を見ました。で、カラオケが終わって、みんなが帰った後、私はそこで夜が明けるのを待つ、というような夢でした。

今日は後は、某所にアップされていたうっすらとした「虹」の画像をHDR風味に加工して、虹をはっきりさせる作業とかをしていました。なんだか、元の絵とは似ても似つかぬアーティスティックな色彩の絵に仕上がりましたが、一応元の絵よりははっきりと虹が分かるようになりました。いつかはこの絵も直接お目にかけることができたら、となんとなくそんな気もしたのでした。
(余談ですが、加工していると「○○○○○」のカメラ使ってるんだ-、きっといいカメラなんだろうな、とかそういうこともなんとなく分かったりするわけでーー;。せっかくいいカメラを持っているなら、加工もちょっとやった方が楽しいですよ。私のコンデジなんかは、どうものっぺりとした絵しか撮ってくれないので、加工しないと見ていて自分で楽しくないので、せっせと加工しているわけですがーー;。とか、そういう余計なことをつい思ってしまう私なのでした。<(_ _)>)

神聖四字

フェニキア文字における古代ユダヤの神「ヤハウェ」の綴りは、現代の英語に直すと「HWHY」となるわけで、何故それを「ヤハウェ」と呼ぶかというと、最期のYを接頭語ととらえて、「YHWH」すなわち「ヤハウェ」と読んでいるわけです。だから、この名は
ヘブライ語で「HWHY」
それ以外の印欧語で「YHWH」
とされるわけです。古代ユダヤ人の神が、異なる言語に訳されねばならないほどメジャーな存在となった背景には「キリスト教」というものが当然あったでしょうから、「HWHY」を「YHWH」に変えてしまった連中はどうせ、古代ギリシア人とか古代ローマ人が主であろうと思うわけで、現在では「書き換えられた名」の方が有名になってしまいましたが、本来そんな名ではないから、「元々なんと読んでいたのか分からない」ということになっているのだと思います。古い時代のフェニキア文字で書かれた通りに読めば、「読み方は分かる」わけです。だって、元々そちらで呼んでいたわけですから。
そもそも「HWHY」というのは「KBKT」から変化した子音ですから、「KB」と「KT」の神を合成した名なわけです。

1.最初の変化:「KBKT」の3番目の「K」を省略 → ヘバト(Hebat)
2_1.次の変化:T音を先頭にもってきて、男神の名前に変更 → テシュブ(Teshub)
2_2.「KBKT」の「K」の子音が省略されて「H」に変化 → 「HBH(S)T」という神名に変化
→ ヒッタイトではイナラの愛人フパシヤス(Hupasiyas)
→ 印欧語の男性名ハーヴェイ(Harvey)
→ ヘブライ語の「HWHY」

と変化しているわけで、ヘブライ語の変化は、英語の男性名ハーヴェイに近い変化を示しているのです。人の名は、昔は特に神にあやかって神の名をつけることが多いから、それがハーヴェイ(Harvey)という人名に残っているのです。そして、この名の変遷の特徴は、1の段階の変化では女神の姿を保っているのに、2以降の変化では全て男性名に変更されていることなのだと思います。そして、「HWHY」を「YHWH」と書き換えてしまうと、「YHW-H」と別れて「蛙のテシュブ」という意味になってしまうので、別にそれが意味的に悪いとは言いませんが、本来の名、本来の発展してきた意味とは分断されて異なったものにされてしまうことには問題があると思うのです。「HWHY」という文字が何と読むのは分からない馬鹿は、「Harvey」という文字の読み方を英語圏の人に教えて貰えば良いようです。

それにしても、順番からいうと、「ウォークドントラン」という山田ミネコの漫画の主人公ハービーから始まって、消えてもすぐ復活するFFIXのHarveyキャラとか、この名に纏わる奇妙な事象はいくつかあったわけで、確かに気が付いてみれば、もっと早くに「Harvey」という名の意味に気が付いても良かったのだと思います。
まあ、でも個人的にはイナラの「愛人」フパシヤスとか、ポタちゃんの「友達」のでかい蛙とかに微妙に引っかかるわけですが。(しかも秋葉神社の不吉な蛙もおまけについてますのでねーー;)
どうにも、「蛙と蛇の二面性の性質を持つテシュブ」こそが、イナラの「愛人」である「ハーヴェイ」であり、それこそが「ヤハウェの真の姿」であると示されているような気がしてならないわけですが。(さりげなく示すというよりは「大盤振る舞い」って気もしますがーー;)

そういうことを知っている人々を弾圧して、ヤハウェなんてわけのわからないものを、強引に「単独神」にしようとするところに、裏切り者の蛇の名を持つ者と、それを後押しする汚い連中の陰謀を感じる、とまあそんな感じなのでしょうか。しかし、古代世界においては、「t」の子音と「m(n)」の子音はほぼ同じ意味で使われますので、「HWHY」の「Y」を「M」に置き換えると「HWHM」となるわけで、これは「KBKM」が基盤の言葉ですから、これを変化させると

1.アブラハム(Abraham)

更には
2.Human(英語の「人間」という意味)

になるわけです。要するに、古代ユダヤの太祖アブラハムと英語のハーヴェイという名は、ほぼ同起源で非常に近い名だということがここから分かるわけで、「KB-KM」あるいは「KB-KT」の名で示される神の名は、その順番通りに読むのが古来よりの正しい読み方であると分かるわけです。で、これが「KM-KB」あるいは「KT-KB」とひっくりかえることもあるわけです。
「KM-KB」の名を持つ者には、ヒッタイトの神クマルビ(Kumarbi)、「KT-KB」となった者にはおなじみテシュブ(Teshub)がいるというわけで、これらの神々は、どれも男性に作り替えられた合成の太陽神であるにもかかわらず、神話の上では、互いに敵対したり殺し合ったりしているわけです。
その神々の名を「人の名」におきかえて、ユダヤの太祖アブラハムと、実質的な先祖扱いのヤコブ(ヤコブはアブラハムの孫)にして、男神達が互いに殺し合わず共存する思想を、時代に先駆けて作り出したのが古代ユダヤ人だったのだと思います。(ヒッタイトの人々は蛙女神と蛇女神を習合させはしましたが、クマルビとテシュブの争いの神話は温存しました。)
そして、その思想を更に受け継いだのが、古事記におけるイザナギと三貴子の関係なのだと思います。世界のあちこちで、イザナギに相当する蛇神と、羌族的思想の蛙の神々とは対立する神話を残してきましたが、最初にそれを一つに纏めようとしたのがヒッタイトの人々であり、更に軍神である男性神達を纏めようとしたのが古代ユダヤ人であり、古事記においてはイザナギと三貴子は共存する親子の関係とされて、そこに争いは生じていません。ヒッタイトの思想をそこまで発展させることができたからこそ、日本という国は「特別な国」であり、その神話は「特別な神話」なのだと思います。

まあ、それはともかく、なんでしたっけ? 「愛人」とか「友達」とか、何でも良いですが、太陽女神にご飯作らせたりしないようなテシュブなら、それで良いのではないかと。(っていうか、外で働いている旦那に、帰ってきてからご飯作ってね、っていう専業主婦がいたら、それは本当にイナンナ女神みたいなタイプかと思うわけですが。なんかこの辺りに良くも悪くも「ひっかかり」を感じるのですがーー;。)

 

(そういえば、最近は「夫が3人でも少なすぎる」とか寂聴的な発言も目立つ気がしますのでねーー;。その辺にも妙にひっかかりを感じる、というか、どこかに太陽女神に「兄さん」て呼ばれて喜んでいるようなイザナギがいるような気がして、冷や汗が止まらないわけですが。(古代における妹背とは兄妹のことでもあり、夫婦のことでもありますからねーー;))