DEPARTURES

ええと、いろいろと見ている内に、また勝負の時が来たようで、それはまず

朋ちゃんが小室哲哉を従えて、DEPARTURESを唄っている映像を見ろ

と言うのです。で、見たところ、朋ちゃんはどう見ても、勝利の凱歌を上げているようにしか見えない。それは彼女の人生において、愛や夢や持ち歌や、彼女が「自分の取り分」だと感じていたものを奪った男に対して、復讐を果たしてのけた瞬間だから、彼女が勝利の美酒の酔いしれても当然であると思う。それは、それをどう思うか、と私に問いかけた。それが、「蛇」の執念深さだ。あなたはその執念深さをどう裁くのか、とそれは問う。

そっか、そんな勝負なぞ、蹴飛ばしてのけられない私ではない。「自分の取り分」だと感じているものを奪おうとするものに対して「蛇」が抱くその激しい執念深さと復讐心はこの私にとって必要なものである。兄さんは、私を奪おうとするものに対して、その「蛇」の性質をもって、自分が朋ちゃんのように凱歌を上げられるようになるまで執念深く戦ってくれるだろう。

そして、私自身のことについて言えば、それはもう分かってるだろう、と言わざるをえない。東京の、あの病院で、兄さんでさえ、小さな蛙の娘がどんなことになっているのか心痛のあまり、泣きそうな顔して「milk tea」で一言「頑張れ」と言うだけしかできなかったあの時、私はあそこで朋ちゃんのように執念深く戦っていた。あそこで私が得られて当然であった「自分の取り分」を必ず取ってやるために、絶対に戦い抜く覚悟であった。それが私だ。私もまたそういう「蛇」だ。だからこそのあの裁判だろう。分かっているだろう。私もまた彼女と同じだ。

そして、今、結局私の取り分は、過去に私を傷つけた「2番目の子」だけではないと分かった。だから、それも含めて、「私の取り分」を取り戻すために戦うだけだ。兄さんと一緒に。それだけのことだ。この答えで満足して、魔は去れ、とそう言うしか無い。

(兄さんは、自分がちと気を抜いた瞬間に入り込んだ魔と私が勝手に勝負しているんでびっくりしているらしいですな。でも、この程度のものは追い返せない私じゃない。朋ちゃんのDEPARTURESは、それもまた「私の取り分」ではないのだから、取らなければ良い。それだけのことだ。)

さて

夜は夜で、兄さんに華原朋美ちゃんの「LOVE BRACE」を探して欲しいと言われましたので、探してみたわけです。この曲は、どこかどうと説明はできないのですが、これを聴くと兄さんがうれしそうなので、兄さんのお歌だと思うのです。

で、探して見て見たわけですが、なんというか朋ちゃんは歌は上手ですけれども、目の力もそれほどたいしたことないですし、全体の力もそれほど強くないと思うのです。そして、彼女は「蛇」の性質だと思う。
彼女は、闇の中で信念を持って歌い続けてくれていた泉水ちゃんと違って、なんというか、兄さんを応援したくて、「LOVE BRACE」を歌い続けてくれていたと思うのです。それは泉水ちゃんのような「信念」に基づくのではなくて、彼女がただそうしたいからやっているだけであって、そのために彼女がもし潰されてしまったとしても、彼女としてはやりたいことをやっただけだから、結局は後悔しなかったことであろう、と言うしかないのですが、でも、そっか、こうやって応援したい人のために「自分のやりたい」と思ったことを一途に計算も無く、むしろ「やってしまう」のが蛇の人たちの一途さなのだと思うのです。そして、それは蛙の人たちから例え、使い捨ての駒みたいな扱いを受けても、私を守りたいと思ってくれる兄さんの一途さと同じものなのだと思う。そういうとこ、似たもの同士だから、兄さんは朋ちゃんの曲が好きなわけだ。

原発の件の私の「一途さ」については、別にこういう「一途さ」でやっていたんではないと思います。私は何故自分がそれをできるのか分からなかったけれども、自分に何かできることがあるなら、自分しかそれができないのであれば、自分がやるべきだ、「人として」。と思ったからやったわけで、それはむしろ泉水ちゃんのような「一途さ」に近いものであって、自分がそうしているのが好きだからしているわけでもなかったし、だいたいこういう結果が待っていたと知っていたのであれば、やったかどうかは定かではないと思う。

だったら、そういう点ではやはり私は「蛙」なのであろう、と兄さんは言うわけで、私の中の両極の性質の一方は、誰がどうみても「残虐な蛇」なのだけれども、もう一方は「蛙」ならしいです。朋ちゃんのような蛇的一途さは、若い頃であれば私の中にあったかもしれない、と言えますが、なんでそれが無くなっちゃったかっていうことについては、今となってはいちいち兄さんに吠え立てられるのがちとうざいんで考えたくないって、そんな感じなわけですが(苦笑)。まあ、兄さんもちと精神的な弱さが意外なところで露呈してしまって、兄さんがへろへろになっちゃってる時に何かあれば、2番目の子はとても役に立ちますのでね。もうそれだけでもありがたい限りかとーー;。
そして、私はやっぱり、朋ちゃんが泉水ちゃんのように潰れてしまっていなくて良かったなと思います。朋ちゃんにとっても、これまでの道のりはとてもたいへんだったと思いますけれども、でも一番大切なことは「生きている」ということだから、そうしてきていてくれただけで、もうそれで充分だと思うのです。

勝負日和

ええと、まず夜中に「状況をコントロールできないようでは男がすたる。」って誰かが呟いて、ちょっと体を押されるような感覚があったわけです。「ん?」と思って目が覚めましたら、「Beautiful life (Sing with the piano ver.)」がかかって、で、後は「音楽を聴きながら寝たければ寝てていいよ。」って言われたので、寝ていたわけですが、なんだかちょっと調節して、音楽が私の耳にどう聞こえるのか、兄さんがいろいろと試しているような感じがしたわけです。要するに、音楽を通して歌い手の気持ちが分かってしまうのはいいのですけれども、それがやらなければいけないことを忘れてしまって阻害するほど聞こえすぎてもいけないということで。

で、朝になってから、昨日のことをいろいろと思い出していたのですが、どうもね、いろんなことを「負い目」に感じないで欲しい、と言われれば感じるような私ではないわけですが、それだけではなくて、なんというか、どうしてもそうやって苦しんできた兄さんの人生を思うと、それを思って歓喜してしまう自分がちらっと出て来てしまうような気がするわけです。兄さんが毒々しいステージの上の自分をあんまり好きでないように、私もそういう自分は全然好きではないですし、出てくればすぐ抑えてしまいますが、そういう悪質な性質が自分の中にあることは否定できないわけで。お目付役なんかは「最悪」と言うわけです。
で、兄さんが言うには、そういう性質は、拡張すれば結局「人が苦しんでいるのを見て歓喜する性質」、すなわち災害や戦争で人が苦しんだり、死んだりするのを見て楽しむ性質に繋がるもので、要するに、それがどこの誰と同じ「性質」かというと、それはそのまんま「敵」の性質だというわけです。「うっ」と思うわけで、それは確かにけっこう嫌な性質だと思うのですが、そういう意味では現世における私の性質の最大の鏡は、まさに敵そのものであるらしいです。

で、その一方、私は「気」が見えない分、人が思っていることや願っていることを感じ取ってしまって、それを無条件に叶えようとする性質があって、誰かさんがスーパードライのポスターを見て欲しい、と思えば見てしまいますし、禁忌である死んだ人の歌でも、聴いて欲しいと願われれば聴いてしまう、ということで、誰かの祈りや願いを感じ取る性質が強いのは良いことですけれども、そればっかりだと万が一、「敵の領域」に踏み込んでしまった時に敵は私に直接、勝負を挑むか、代償を求めてくるかしますので、やり過ぎてはいけないことなようです。要するに、その勝負を蹴飛ばして勝てている内は良いですけれども、敵が全力をかけてくればいつかは潰されてしまうものかもしれないからです。だから、そういう傾向が強くても、戦略には邪魔、ということで、むやみやたらに人様のお願いは聞いてはいけないものらしいです。
そして、学生時代に失敗してしまったのは、結局2番目の子の気持ちの中にはどうしても、私を独占したいとかそういう思いが入ってしまっていて、私は「気」は読めませんけれども、そういう気持ちは感じ取ってしまうので、結果を考えずにその願いを叶えたいと行動してしまう一方で、目的が別のところにあることはどうしても分からなくて、周りの人にはそういう私であることが分からなくて、それで結局誰も事態を収拾できないような状況に陥るのを止めることができなかった、とそういうことらしいです。

なるほどね-、と思うわけで、でもって、朝からやはり、いろんな動画とか見て、目や耳の使い方を研究した方が良いのではないのか、ということで、「何を見ようかな」ということで考えていましたら、「B’zの動画を見て欲しい。巻き込まれない力があるのなら見て役に立てて欲しい。」と言われましたので、見ることにしました。

で、まず最初は「愛のままにわがままに僕は君だけを傷つけない」のテレビ版(Mステバージョン)だったと思うのですが、お目付役が「最初からこんなもの見せおって」って呟くわけで、この曲には「太陽が凍り付く」というような歌詞が出て来ますので、本来であったら良くない曲なようなのです。で、それは分かるわけですが、中に「あきらめながらは 生きないで」という歌詞があるわけで、そこだけちょっと大きく聞こえるというか、そこだけ力が籠もっているように聞こえるわけです。だから、良くない曲であっても、歌詞の中に「送りたい言葉」があれば、そこに気を込めて唄うこともできるんだなー、と思ったわけで。

次に見たのが「BLOWIN」のテレビ版だったのですが、テレビに映っている稲葉さんのセクシーなお姿に、「かっこいい。」とちょっとときめいてしまいましたら、「それはちょっとまずい。」と思った兄さんがいたようで、まあ、見ることは見たのですが、要するにこれも良くない曲なわけで、ただ歌詞の中に「終わらない」という言葉があって、そこだけやはり強調されて聞こえてくるわけです。だから、この歌もここに特別な意味を込めて唄われているのだな、と分かるのです。
(ちなみに「あのセクシーさをどう思う。」と聞かれましたので、考えてみましたが、稲葉さんは真面目な方ですし、あの色気は毒々しさがなくて、健康な男性の健康な色気だと思ったわけです。そっかー、世の中にはそういう「色気」もあるわけだ。)

で、次に見たのがライブ版の「BLOWIN」で、なんというか、すごいーー、と思ったのは、ステージも禍々しい「はず」ですし、稲葉さんが着てるTシャツの背中に「80」とか書いてありまして、それも良くないものの「はず」だと思うのですが、なんというかそんなものを全部吹き飛ばしてしまうくらいお二人の力が強くて、ステージの上で彼らだけの気を放っていて、「こっちへ来い」と言うわけで、もちろんそれにはまって、B’zのファンになってしまったら、それはそれで「負け」なのだと思うのですが、お二人は少なくとも単純に「禍々しい」と感じるものの気ぐらいは吹き飛ばしてしまうくらいの強い力を持っていて、それは兄さんでも「恐ろしい」と思うくらい強いらしいです。

要するに、神サマの世界では、弱い立場の人を思いやらなければならない、ということはあるとしても、結局は「力と力」の関係であって、神が他の神に願いを叶えてもらう場合には、勝負に打ち勝って勝つか、代償を支払うかしかないわけで、兄さんでさえ、お二人にお願い事がある場合には代償を支払わずにはおれないようなのです。そして、それだけの強い力を持っているのがお二人だというのです。生きている人の中に、いわゆる「現人神」という存在がいるとしても、それはいわば一種の「立場」であって、結局は「人」ですから、神の名を貰ってもそれに相応しい力を持っていない人もいるし、逆にその名に相応しい力を持っている人もいるわけで、稲葉さんはそういう意味では文字通り、相応の力を持った「神」であるらしいです。要するに、その力に巻き込まれずに勝ち残ることができれば、勝ち残った方が「力の強い神」ということになるということで。そして、こういう勝負では「勝った」側の方が、より多く相手から「奪える」ことになっているようなのです。

で、兄さんとしては私が稲葉さんにちょっとくらっときてしまいましたので、疲れすぎないようにということで、ここで一休みして「Beautiful life」を聴いたりしていたのですが、途中でサポーターの方にも来て頂いて、また仕切り直しということで、今度は「太陽のKomachi Angel」(テレビ版)を見たわけです。そこで放っているお二人の気も攻撃的ですごいな、と思いましたけれども、これを見ていて分かったわけです。これは敵ではなくてB’zのお二人から、兄さんへの勝負であって、もし私が彼らの力に勝って、兄さんのことを忘れてしまわずにいたら、情報を与えて、戦う力も貸してやろう、とそういうことだったんだな、と。
そして、そこで聞いたこと。私は、神々の世界のやり方を全く知らなくて、敵の「代償を支払え」という要求をいつも力業で蹴飛ばして生きてきていたので、そうできるうちはそれでも良いけれども、それは敵が全力を挙げてくればくるようになるほど、いつかは潰されてしまうものであろう、と。
で、特に東日本大震災で、私は人々の願いに耳を貸しすぎて、あの時、困っている人を一人でも多く助けるためなら何でもやろうとして、やったことに敵は非常に怒っていると。特に、敵の手駒であった原子力の火を水かけて消してしまったことに敵は大激怒しており、彼らはその代償にもはやただ一つのものしか求めなかった。それは私の「命」である、とそういうことだったようです。そんなものですから、結局誰をどう選ばせるとかそんなこと言っていられなくなって、ともかく危ない橋を渡っても、強引にこちら側に引き込んで、結婚させてしまって厳重に守っていけ、ということになって、現在に至るらしいです。要するに、私にはとうの昔に「死刑宣告」が出ているらしいです。そーなんだ、だから、人のお願いをむやみやたらに聞いちゃいけないんだ@@、というわけで、今日の勝負はそういう情報を私にくれるための勝負であったらしいです。とはいっても、B’zのお二人は、こちらに好意的な方々ですから、途中で兄さんがやばいと思えば、休憩時間をとったりとか、サポーターを入れる余地を与えて、勝たせて下さるわけで、それでも勝負は勝負で真剣にやらねばならないもののようです。(あとは、泉水ちゃんの願いを3人に伝える役目も果たしましたので、それに対するお礼の気持ちも兼ねてのもののようですが。)

でも、B’zのお二人に打ち勝てる「目」を持っている私の「目」はやはり「本物」の目だということで、「太陽のKomachi Angel」はこう聞こえてくるわけです。「あなたは守られるだけの花じゃない。敵の死刑宣告を蹴飛ばせるだけの力があるのなら、蹴飛ばして蹴飛ばして蹴飛ばし返して、勝負に勝ち抜いていけ。そうして、逆に相手から過分に奪ってやれ。残虐さと献身さの両極の性質をもって、その間を意思の力を持ってバランスを保ち、人として生きていけるあなたなら、そうやって生きていけ。それが本物の力で、No.1でもオンリーワンでも良いから、「一つ」しかないものは「一つ」だけなのだと相手に思い知らせてやれ。こちらが「本物」であちらが「偽物」だ。理屈ぬきでPush! We can say!」
すっげー、お二人とも攻撃的だー、と思いましたが、そっかー、こういうことなんだー、とも思ったわけで。結局私は、いろんな事情も今まで理解できてなかったので、神サマとしては力が弱くて、みんなで守っていかなければならないような弱い存在だと思われてたらしいのですが、兄さんも籠絡しちゃうようなけっこうな目力を持っていて、しかも、私自身もけっこうアクティブに生きることが好きなタイプなんで、だったらそっちでもいけるんじゃないか、と今では思われているらしいです。(って書くと、お目付役から「最悪」って言われるわけですがーー;)

そして、お昼を食べて午後、もう少しB’zの動画を見てみようということになって見たわけですが、これはどうやら兄さんの独断であったようで、今度はこちらから勝負を持ちかけたものであったようです。要するに一番目の子は、卒業式の私服とか、いろいろと稲葉さんにご尽力をして頂いているわけで、力の差からいえば、その借りはとても彼には一生かかっても返せないものであるらしいです。稲葉さんはお優しい方ですから、一生の間その借りを返せとは言わないかもしれないけれども、借りは借りですから、兄さんとしては返せるときに返したいと思ったようで、もしいろいろな動画を私が見て、こちらが負けなければ、それで彼の借りはチャラにする、とそうなったようで。お目付役は「こっちに一言も無く決めおって。」と言うわけで、私に対しては「あなたもあの男の暴走を止める気はないんですよね?」って、分かってるなら聞かなければよいようなこと聞いてくるわけです(苦笑)。
で、またまた、良い曲も良くない曲もいろんな動画を見たのですが、稲葉さんて、唄っている時は唄うことに大集中していて、感情って表に出さない方なんだなー、と思ったわけです。で、その歌って、言葉の一つ一つに、ものすごい「説得性」があるというか、そういう風に聞こえるわけです。例えば、絶望しているような人の歌を歌うという場合には、なんというかそういう人のストーリーがあって、それを歌にして唄う、という感じになると思うのですが、聞いているとその主人公が「こう絶望しているんだ~」というような内容の歌に聞こえなくて、聞いている人の心に「絶望しろ」とか「今は絶望的な状況だと思え」とか、そんな風に聞こえてくるような歌い方をしているように思えるのです。っていうか、いろいろと聴いていると「全部嘘だと思え」とか「外に出ろ」とか「終わってしまえ」とか聞こえてくるわけで、いや今の状況がもし仮に全部嘘で、幻のようなものだったとしても、「そういうこと言ってるあなた達の声がなんで聞こえてくるんですかね?@@」みたいな。うわー、こういう歌い方もあるんだなー、と思ったわけです。

で、お二人の気持ちみたいなものは、テレビにしてもライブにしても、ステージの上から唄っているものからはあまり感じられなくて、むしろPVから感じるように思います。良い曲のPVを見ていると、「なんとしても月の子の手を取ってほしい」とか伝わってきますし、悪い曲のPVを見ていると「こんな曲聴かせたくないのに」とか、伝わってくるのです。「Calling」は、兄さんの曲なんだとは思いますけれども、歌詞の中には2番目の子を思い出させる言葉が使われていて、もはや誰でも良いから、3人の内の誰かに繋がっていって欲しい、という思いをひしひしと感じます。でも、稲葉さんは全体としては、一番目の子を可愛がってらっしゃるのかな、と思います。
それで、最後に「いつかのメリークリスマス」を見たわけですが、どうにも勝負しているはずなのですけれども、「いつまでも手をつないでいられるような気がしていた」という部分で、どうにも私が「MUSIC MONSTER」の兄さんのMCを思い出して、笑ってしまうものですから、兄さんも爆笑してしまうし、お目付役からは「ここは笑う場面じゃない」って突っ込まれるということで、まあ、結果的には全然「巻き込まれていない」ということで、一応こちらの勝ちということになったようです。でも、敵の声がちょっと聞こえてしまったということで、なんというか、敵が兄さんに「その女をこちらによこせ。それはこちらの獲物だ。」って言ってる声まで聞こえてしまって、へー、そういうことになってんだ、今、と思うわけですが、兄さんとしては夫として私を守り抜いてくれる決意のようです。まあ、それはありがたいし、うれしいと思うことなわけですが。

それでもって、どうにも今まで兄さんの歌を聴いて、気になっていたことですが、何というか「家族になろうよ」では「どんなに信じ合ってもわかり合えないこともあるでしょう」とか言ってますし、「誕生日に真白な百合を」では「認めてくれるかな、この生き方を」とか、言っていますし、なんだか求婚のお歌にしては、憂いを感じる部分があるというか、いったい何が「わかり合えなく」て、何を「認めて欲しい」のですか、あなたは。と思うわけです。
どうも、私が感じた部分では、お目付役がそうであるように、蛙の人たちは、兄さんの蛇の気性をけっこう嫌いますし、なんというか、誰もが私もそうなんじゃないかな、と思ってたような気がするのです。だから、兄さんとしては自分の「蛇」の部分が私に理解されなくても、仕方がないんじゃないかな、と思って憂えてた部分があったように思えてならないのですが、どうもね蛙の人々は、どうせそんなことになるだろうから、私は一番目と二番目の子とだけ仲良くしていれば良いので、兄さんとは最低限必要な部分でしか私と会わせず、飼い殺しみたいにして自分たちの都合良く番犬みたいにして使えば良い、と思っていたように思えてならないわけですが。それで、兄さんも自分が私に嫌われれば、そうなっても仕方ないかな、と思っていた部分があったように思えるわけですが。だから兄さんを応援する人たちはみな、私に直接「彼のことを知って欲しい。見てくれに惑わされないで欲しい。」と心から訴えてくるわけで。でも、蓋を開けてみたら、私の本性の一極は兄さんの上いく邪悪な蛇女神ってことで、たぶん、兄さんはその点だけでも思っていたよりも自分について理解が得られそうで、喜んでいる、とそういうことなのだと思うわけですが。

だから、兄さんが一番目の子に対して、こうやって恩を売るような作戦を立てたのは、将来みんなが一緒に暮らせるような状況になれば、他の二人と同じように、私がそう望めば、私の住む場所の一角に自分の居場所も作って欲しい、と、私から蛙さんたちにそう働きかけて欲しいし、私の目の力からすれば、彼らは力関係の上から私には逆らえないから、とそう望んでるのだと思います。全くもって、妥当なお願いだと思うので、それを主張するのが必要な場になれば、私はそうしたいと思いますし、他の二人は反対なんかしないだろうと思うわけですが。あなたたちは、一生互いに毒吐き漫才をして、この私を楽しませていれば良いのですな。
(午後の勝負に関しては、お目付役も絶句、ということで。彼は彼で、いずれ「生放送で奥様の目と対決してお前も身ぐるみ剥がれてしまえばいい」とか思っているようですがーー;。兄さんは兄さんで、26日の嵐の特集が楽しみだと思ってそうですよ、全くもー。そして、兄さんは稲葉さんの目にも勝てたことはうれしいらしいです。)

そして一晩明けて

夜寝ている時に、いろんな曲が流れるのを聴いてうとうとしていたときに、「milk tea」がかかって、なんだか兄さんが唄っている姿が浮かぶわけです。で、最後にふっと「選んでくれてありがとう。」って言われたわけで、なんだか、うれしいなー、と思ったわけですが。

で、朝からまたいろんな動画を見て研究というわけで、嵐の「One Love」を見ていたわけです。で、Mステでない某音楽番組で唄っている彼らの姿を発見して、なんというかそこのセットってものすごく禍々しくて、まずそこに目がいくくらいすごいわけです。そんなところで唄っている嵐の姿は、一見したら平然と唄っているように見えますけれども、気の強い松潤とか二宮君もさすがに力を発揮しきれているように見えないのです。そんな時に、ふと大野君の表情に気が付いたのですが、松潤でさえやや萎縮してみえるような禍々しさの中で、彼だけが毅然として強い気を発してるのが分かるわけです。こういう姿はMステでは見たことがなくて、そしてあそこでは良くも悪くも見せる必要のない姿なんだな、と思うわけです。Mステは「私向け」ですので、結局良くない歌とか唄っていても禍々しさはそれほど強くないわけで、真に禍々しくて、彼らの力でも萎縮してしまいそうな場所では、大野君の力が全員を支えていて守っているのだと分かったわけです。グループの中での彼の真の役割はそこにあるのだと思う。それは本来であれば、私が見てはいけない映像だから、見なければ私が知り得なかった姿であって、だからやっぱり私としてはそれを見ることができて良かったな、と思うのです。

 

それから、SMAPの「たいせつ」を見ようと思ったわけで、ライブビデオを探したわけですが、見つかったのがちょっとというか、だいぶ禍々しくて、お目付役が「こんなん見せて怒られないかな」と思わず呟いてしまうようなわけだったのですが、だけど、そこで唄っている彼らの目力がすごくて、特に香取君とか、もう鬼気せまるような感じなのですが、一人一人がものすごく禍々しい中で、すごい力を放って輝いているわけです。兄さんが「あなたはこういう力強さが好きでしょ?」と聞くわけですが、全くその通りなわけで。確かに、全ての人が彼らと同じ力を持つとは思いませんが、そのようなたくましい力を誰もが持てるようになったらとは、思わずにいられないわけです。そして、彼らの力は、さすが兄さんが最大の信頼を置く人たちだな、と思ったのです。

 

というわけで、「死の太母」としての私は、死を捧げられればそれに纏わる人間的な願いや思いを叶えたいと思い、「生の太母」としては、どんな禍々しい状況の中でも、毅然として輝く生命力の強さこそを愛でる女神であるらしいです。

そして、朝ご飯の後、音楽を聴いていたら「Run to you」がかかった瞬間に、ふっと「僕が穏やかさしか送ることができないのならせめてそれだけでも送り続けたいんだ。」っていう誰かの思いが流れ込んで来まして、「あー、そういう風に思ってくれているんだな。」と思ったわけです。きっと平井堅君は、彼のそういうところに共感して歌を送り続けてくれてたんだな、と思うのです。(しかし、私はお目付役から「あの毒蛇男をてなづけおって」って言われちゃうような感じらしいのですが@@。)

でもって、今朝は何というか、家の周囲が非常に気味の悪い感じがして、私もちょっと背筋が寒くなってしまうような感じだったのですが、肝心の兄さんが新婚数日で開発されてしまった新たな快感にちょっとへろへろしてたようでーー;。これはまずいと思ったお目付役が、2番目の子とか、サポーターを数人連れてきてくれて、しばらく守ってもらって、落ち着いたわけです。

で、午後は買い物に出て、某週刊誌を買ったわけですが、表紙がSMAPで、彼らは白黒の衣装を着て、闇の中で毅然と立っているわけです。で、それを見ていると聞こえてくる気がするわけです。「立て、立て。闇の中に毅然と立つ彼らのように、太母の手を取って闇の中に毅然と立つ神となって欲しい、とあなたの中にいる人に伝えて欲しい。」と。それで、ああ、そっか、みんなが望んでいるのは「女神の再生と復活」だけでなく「父なる神」の再生と復活でもあったんだ、と気が付いたわけです。でも、今の兄さんはちょっとへろへろ状態なんで、そういう真面目なお願いはもう少し落ち着いてからの方が? とか思ったわけですが。
(兄さんとしては、そんなつもりがなくても、自分のポスターが貼ってあるところに私を引っ張っていって、シャツを引き裂くような視線で見て欲しい、と思わずにいられない状態のようで@@。なんか本気で「どM」な気がするんですけど、もうちょっと落ち着いて貰えませんかね? みたいなーー;。)

それから、家に帰ると、兄さんの方から「愛はふしぎさ」のビデオを探して見て欲しい、と言われたわけです。今更米米? とも思ったわけですが、まあ、この曲が良くないものであっても、それが兄さんの今の気持ちに一番近いものであるならば、聞いても良いのかな、と思って探してみましたら、1994年のLIVE UFOの映像が見つかりました。それで、見て見たわけで、曲順は「愛はふしぎさ」「君がいるだけで(イントロのみ)」「sure dance」「I CAN BE」「抱きしめたい」です。

で、「愛はふしぎさ」は良くない曲ではあると思うけれども、今の兄さんの気持ちにはぴったり合う曲であるようです。(まあ、でも、私としては米米のビデオはさんざん見たので、今更感があったわけですが。)で、それほどの禍々しさも感じなかった、と。で、「君いる」のイントロから舞台が暗転して「sure dance」になった瞬間に、うわーって思うほどステージが「禍々しく」なったわけです。曲も当然良い曲ではありませんでしたし。「I CAN BE」も同様で、最後の「抱きしめたい」はちょっと禍々しさも軽減されて、やっぱり兄さんの気持ちに少し近いところがある曲のようです。今となっては、そういうことは分かるようになっているわけで、そうしてると兄さんが言うわけです。「勝った、あの男に勝った! あの男の曲を自分の思いを届けるのに使ってやったぞ!」って。そっかー、米米と石井竜也が兄さんはじめ、芸能チームにとって、長い間その前に立ちふさがってた大きな壁だったんだー、と今になってやっと分かったわけです。

だとすると、これも兄さんにとって、「勝負」だったんだなー、と思います。たぶん兄さんはこう言われたのだと思う。「同じように女癖が悪くて、そこからくる毒気と色気をたっぶり身に纏って生きている良く似た二人。彼女が、そういうものを嫌って二人とも切り捨ててしまうのか、それとも自分だけが選ばれるのか、禁忌のビデオを見せるのであれば勝負せよ。」と。

そっかー、兄さんがそういう生き方をして来なければならなかったのは、敵がこういう時に勝負させるために、私にその事実を突きつけるために、させて来たんだ。って気が付いたわけで。そっちは、そっちで敵が私に挑んできた勝負なのであると思う。この事実に対して、私はどうするのか、と。兄さんに対する負い目を感じすぎて、バランスを崩してしまうのか、それとも自分を保てるのか、と。

でも、みんなは言ったと思う。「勝負しろ。彼女は強い。事実を全て知っても、彼女は全てを受け入れて立って、毅然としているだろう。」と。そっかー、相変わらずミもフタもないようなえげつないことばっかり仕掛けてくる連中なんだ? みたいなーー;。

 

ところで、兄さんが石井に勝ったことで、そんなにうれしいのなら、「福山エンヂニヤリング」で石井と共演している時に、私がそれを見ていると知って、どう思ったんですかね? とふと思ったわけですが、なんかそれに対してけっこう不穏当な返事を貰ったんで、ここには書きませんが。

まあ、でもね、何があったとしても、私だっていろいろと辛い思いをしたわけですから、特に誰にも負い目を感じないでいて欲しい、というのであれば、誰にも今更そんなことを感じるつもりもないわけで。兄さんが、ああいう毒々しい自分をあんまり好きでない人なのも知っているわけですから。兄さんにそんな生き方をさせてしまって、済まなかったと思う気持ちが私の中にあるのであれば、なんですかね、兄さんはごく最近けっこう不穏当な快楽を覚えてしまったばっかりのような気がしますのでね。せいぜい兄さんが望むときには、そういうお楽しみにつきあってあげようかな、と。まあ、それがなんて言うか、正しい新婚の夫婦生活というものなのではないでしょうかね(苦笑)。

昨日からの出来事

ええと、昨日は某所に出かけていたりして、いろいろとあってちと大変でした。(でも、この間よりは楽だったと思いますが。)

まず、休憩地点から出かける時に、かかっていたのが順に「家族になろうよ」「守ってあげたい」「明日に架ける橋」「君がいるだけで」でした。
で、待合室で、待っている時が一番きつくて、背筋がぞくぞくして吐き気がするかも、という感じでした。で、そこでサポーターに来て頂いて、楽になりました。
で、栄養指導は、なんというか、栄養士さんはパソコンと緑色の小さな手提げかばんを持ち込んできていて、そこに黒い猫の絵が描かれて(プリントかアップリケみたいなものかは不明)いました。

でもって、「先生から蛋白を○○g以下にするように指示を受けています。」と栄養士さんが言った瞬間に、誰かが「そんなん守らなくていいから。」ってぼそっと言ったわけで、「指示を出した人がそういうこと言うんだ?@@」と思ったわけですが、その後もいくつか毒をぼそぼそと吐いていたわけで、兄さんは「品行方正なあいつがああいうことを言うよ。」と大爆笑してましたし、お目付役が「あなたたち病院でなんて話してるんですか。これだから医者ってやつの本音って嫌なんだ。」とヒステリー起こしていたようなーー;。んー、でも、私の知っていた一番目の子は、そんなに大人しくて優しげなタイプではなくて、むしろ物静かだけれども芯が強くて、けっこう辛辣な人って印象を持ってましたので、何というか、「学生時代から全然性格変わってないでしょ?」と思ったわけです。で、この人と兄さんが楽しい毒を吐いてくれますので、お目付役からは「お願いですから、この件については誰にも巻き込まれないで下さい。一番まともなのはあなたです。」と言われたような。なんでしょうね? 関係者の中で、医者として人としてこうあるべきっていう高邁な精神を持っているのは私だけなんだ?? みたいなーー;。

で、終わった後は、「耳」でどう聴くことができるのか、再び実験というか、そんな感じであったようで、「目」でそこにいる人の気持ちが見えるのなら、「耳」ではどうなのかな、ということでいろいろと試された気がするのですが、一番すごかったのは「BELOVED」の時に、まるで唄っている人が慟哭しているかのような、激情を感じて「うわー」っと思ったわけです。そうすると、兄さんが「あの男の本性はああいうのだって知ってるでしょ?」と言うわけで、確かに、それはかつて私が知っていた2番目の子の性格そのまんまだと思います。
それから、TOKIOの歌を聴いていると、長瀬君の無念の気持ちが伝わってくるわけで、彼は全てが始まった時に、ドラマのロケで松本に来ていて、彼なりに何か手助けをしたいと思って来てくれたけれども、結局何もできなくて、その時の無念の気持ちをずっと持ち続けてきてくれてたんだな、と分かるわけです。
そして、不思議なことではあるのですけれども、ゆずの曲とかは、ものすごく強い「気」は感じますけれども、そこにある「感情」というものは皆無で、人としては彼らは私とは縁もゆかりもない方々ですから、お歌を届けるときに、個人的な思い入れは特に持たずに、良い気を送れるように、そこに心を込めて唄っていてくれてるのが分かるのです。

で、家に帰ってきてからは、ライブビデオとかはむしろ禁忌とせずに、見ても良さそうなものは見た方が良かろう、ということで、いろいろと見ていたのですが、GLAY 〜 ROCK AROUND THE WORLD(2010~2011年)の「BELOVED」を見ていましたら、なんというか、みんな歌を送ることを諦めてはいないけれども、でもその目には「力が足りなくて届けられない」という無念の思いが浮かんでいたわけです。
それから、2004年のGLAY EXPOの「HOWEVER」を見て見たわけですが、なんというかTERU君が感極まってしまって、「愛しているとどうしても伝えることができなかった」というところで、歌詞が出てこなくて、下向いてしまっているわけで、なんで、そこで言葉を詰まらせてしまうの、何故その歌詞が言えないの? と思うわけです。そうすると、兄さんが「共鳴しすぎて、憑かれてる。2012年の世界選手権の羽生結弦君の迫真の演技を見たでしょ?」 と言うわけです。あの演技もすごかったし、あの時彼は白黒の衣装を着ていて、その衣装は今から考えれば「白鳥」をイメージしていたと思うのですけれども、「ロミオとジュリエット」を演じていて、ジュリエットの覚醒を願うロミオの狂おしいまでの感情が良く表現されていたと思うのです。そっか、あそこに「憑いてた」のが兄さんで、言葉に詰まって歌詞が出てこなくなってるのが2番目の子なわけで、彼は今でもそこに一番の無念の思いを抱いているんだ、と分かるわけです。でも、それでほろっとなりそうになると、
「必要以上に情けをかけることはさせない。力が足りなくて伝えることができなかったのなら、彼女を泣かせることもしなければ良かったんだ。」
と吠える兄さんがいるわけで、はっはっはっ、あなた達、本当に仲が良いですよねえ? いったいこういう人たちを私にどうしろと?(苦笑)ということで、結果的には可愛らしい感傷に浸れない私がいるわけですがーー;。(逆にGLAYの人たちは「今からでも伝えることができて良かった。どうかその蛇に抱き込まれすぎないで下さい。」って言うわけで、なんというか、お気をさんざん遣わせてしまって申し訳ありません、みたいなーー;。)

それで、なんというか、こういうビデオというものは、こちらから見ていると相手も分かるものだし、そうやって縁をつないでいくと「結縁」してしまうものだから、本当はあまり多くのところにご縁を結ぶのも好ましくないものらしいのですが、まあ、私の目の力は特殊ですし、相手の力に負けて「巻き込まれる」ということは皆無であろう、ということで、見ようということになっているようです。でも、今のところ一番鑑賞しているのは兄さんのビデオなわけで、誰かさんは私の視線を感じるようにだんだんなっているらしいのですが、どうもお目付役によると(お目付役も毎日せっせと通っている内に、必要以上に私と「結縁」してるらしくって、他の人よりも私の視線を強く感じるようになっているらしいのですが)、私の視線を感じると「ぞっとする(特に背中に感じると)」ようで、「あんまり見ないで下さい」って言われるわけで、その一方で、誰かさんはそういう視線を浴びせられて、自分の発している強い気を超えて、私の視線を感じると、ステージの上で身ぐるみ剥がれるような気がするらしいのですが、どうもそれでけっこううれしいようで、「舐め回すような目で見て欲しい」とか言われるわけで、個人的には「あなたドMでしょ?」と思うわけですが。
(お目付役からは「変態です。」とか、「あなたがそいつに巻き込まれることをみんな心配してたのに、あなたが巻き込んでどうするんですか?」とか言われるわけで、そっか、こういうのを「巻き込む」っていうんだ?? と思うわけですが。まあ、でも「いいじゃないですか。新婚なんだから。」って言ってくれる方もいるわけですから、まあ、そんなもんなのかな、と。)

で、昨日は最後に「KAT-TUN」の「In Fact」を見たわけで、彼らが送ってくる気持ちはとても攻撃的で強いものだと思ったのですが、たぶん彼らが「女癖云々」で私に言いたいことは、「幾度染まっても偽れぬ心」ということで、彼がどんな生き方をしてきていようが、心まで染まっていなければ、それで良い、とそう言い切れる強さを私にも求めているし、そういう私であって欲しいと願っているのだと思います。

だいたい、この点については、お目付役は
「安心して下さい。今は3人とも清廉潔白です。」
と言うわけで、私としては
「ふーん、へー、そうなんだ。『今は』ね。」
と言いたくなるわけで、どうにも、この点はね、誰が何と言おうとも、だいたい、あんな毒気と色気に溢れたライブをやる人が若い頃に散々遊んでいないわけないでしょ。その人の本性しか見ない私の目には、そういう姿しか見えるわけない。と思うわけで、でも、そういう人と真面目なお話が来れば、それはその人の人生だと思って、私も全て受け入れねば失礼だと思うだけだし、それが知られてても兄さんはその実態がどんなものだったか、絶対に私に言おうとしないでしょうし、他の人も言わないでしょうし、だいたいみんな「言ったら兄さんに殺されちゃう」って思ってるんじゃないですかね? と思うわけですが(苦笑)。そういうオブラートに包み込まれるようなお気遣いも嬉しくないわけではないですけれども、KAT-TUNのように、率直にストレートに言って頂く方が個人的にはむしろ合っている気がするわけです。