さて

昨夜はですねえ、「青い城」が私と兄さんの話で、「赤毛のアン」が私と一番目の子との話であれば、2番目の子との話は何だろう? とか思っていたわけですが。要するに、それはモンゴメリの作品の中では「エミリー・シリーズ」だと思うのです。両親を早くに亡くしたエミリー・バード・スターという少女は、叔母の家に引き取られ、テディという男の子と仲良くなりますが、なんだかんだ言って、二人は順当に仲良くなるのではなくて、ゴールインするまでにかなり長い年月がかかるわけで、離れて暮らす時期も長かったわけです。で、大人になったエミリーは作家になって、子供の頃と同じく田舎の叔母の家で暮らしているわけで、そういう点が、晩婚でかつ作家であったモンゴメリ自身と似ているので、モンゴメリの自伝的要素が一番濃いと言われているのが、このエミリー・シリーズなわけです。で、主人公のエミリーは、それほど強くはないのですが、超能力的な才能を持っていて、ごくたまに「遠くにいる人を見ることができる」ようなことがあるわけです。で、大人になって、テディのことが好きだけれども、打ち明けることもできなかったエミリーは、遠くに離れている彼が「ある船」に乗ることを止めるような、白昼夢ともいうべき幻を見たわけです。で、自分でもその幻の意味を判じかねているところに、かの有名なタイタニック号が沈没した、というニュースが入ってきて、テディはその船に乗る予定だったけれども、エミリーのおかげで船に乗らずにすんだのに、助かった、ということになるわけで。「テディ」というのは「テディ・ベア」という言葉に繋がるので、あれが2番目の子との物語であったのかな、と思う。要するに「水難から人を救う」という点に、大洪水から人を救うというヴィシュヌ神的な要素も含まれていると言うことで。

で、寝る直前に、「ありのままで」の動画を見ましたら、私が「May.J嬢の『ありのままの』の方が好き。」と書いたことを喜んで貰えて、彼女は「それがあなたの本心でなくてもいいのです。あなたの言霊と、私の力で、私は欲しい結果を手に入れてみせます。」と言うわけで。要するに、ギブアンドテイクで、「欲しいもの」を手に入れるような生き方というのは、「よろしくない目」の方達にとっては、かなり当たり前のことなんだな、と思うわけで。ううむ、と思うわけですが。
今日になって、今年の紅白では「アナ雪コーナー」を設けることが確実で、May.J嬢も出演確実とのニュースを見ましたので、これも関係あるのかな? とか思ったりしたわけですが。

で、いろいろな動画を見ていて「fighting pose」等を見ていたのですが、この曲は「家族になろうよ」と両A面という扱いらしいので、要するに「beautiful life」と「GAME」の関係と同じで、「家族になろうよ」が兄さんの「光」の部分に相当するのであれば、「fighting pose」は「影」に相当する部分だと思うのです。だったら、この曲もウォークマンに入れねば、ということで入れたのですが、「勝ち抜くために捨ててきた部分もある」みたいな内容の歌詞があるわけで、別に「それって何のこと?」と思ったつもりもないのですが、どうにも誰かさんはこの曲に気が付いて貰ったことがうれしいあまり、「過去の悪さ」を微妙に思い出したようで、「ん?」と私が思うようなことを考えているわけです。でも、私が気が付けば、自分でも考えるのを止めようとするわけで、まあ、そのまま寝てしまったわけですが。

 

で、朝方、夢の中で誰かと話していたつもりもないのですが、「ともかく朝から石井のネタでいろいろと言われるのは嫌。」と言っている自分に対して、兄さんが笑っているのが分かって、それで目が覚めたわけで。そして、1番目の子と2番目の子と兄さんにはいろいろな物語があるけれども、4番目の子にはありませんねえ、と思うわけで。まあ、そういうものが「無い」方が、そこに被ってくる「呪い」みたいなものが少なくなるからそれも良いのかな? とも思うわけですが。
そうすると、兄さんが「三銃士」ってあるでしょ? と言うわけで。これは、歴史的事実を元にしたフィクションであって、物語の中では、ルイ十三世とその王妃アンヌ・ドートリッシュ(スペイン王女)、その子ルイ14世に仕えた「ダルタニャン」という銃士隊長の若かりし頃から、晩年までを書いた物語で、「三銃士」というのはダルタニャンの若かりし頃からの親友であった三人の銃士のことで。そういえば、4人いますね? 一番若いダルタニャンが4番目の子なんだ? と思うわけですが。でも、物語の中では、彼は生涯独身ですし? と思うわけで。
で、いろいろと考えた結果、「三銃士」というのは、アンヌ・ドートリッシュとその子だるルイ14世を支えた「四人の臣下」の話なわけで、ヒロインに相当するのはアンヌ王妃なわけだ。「力」あるものが、階級の上位を占めるのが当然の印欧語的文化では、男性の方が力が弱ければ、それは「夫」であっても「臣下」であっても、意味するところは似たようなもので、要するに「下位のものは上位のものに仕える」のが当然であるし、その力関係が逆転すれば、容易に謀反なんかが起こるのが彼らの社会であるわけで。
アンヌ王妃は、夫との仲が悪くて、若い頃はとても苦労しましたが、ルイ14世を生んで(ルイ14世は13世の実の子ではないのではないか、という噂もあるくらいなのですが)、夫が亡き後は、幼いルイ14世の摂政となり、有能なマザランを宰相に任命して幼王の政権を支えた人物であり、しかもマザランとは愛人関係にもあったわけで。そして、その結果ルイ14世は、ブルボン王家の最大の栄華を誇る王になるわけで。要するに、印欧語的な文化では、アンヌ・ドートリッシュのように生きても、人々の上に君臨して、国家を統率していける「能力」のある人であれば、その「能力」こそが尊重されるのであり、銃士隊の忠誠もその「能力」に捧げられるもののようです。なるほどねー、ということで。でも、ダルタニャンは知略に優れた有能な軍人という設定ですので、4番目の子というイメージであるよりは、松本君とかに相応しいイメージであるような気もするのですが、まあ、そこは一人を手に入れれば「全体を手に入れたも同じ」ということになるらしいので、誰が「ダルタニャン」に相当しても良いらしいのですが。デュマの書いた「ダルタニャン物語」(その内の第1巻が「三銃士」なのですが。)は、イエズス会の正体とかも詳しく教えてくれているわけで、貴重な作品ではあるのです。

 

で、その後、昔、行った石津太神社という神社のことを何となく思い出したので、ネットで改めて検索してみたわけです。大阪の南の方にあるこの神社は、特に有名な神社ということもないと思うのですが、この頃は、機会があれば各地の神社巡りがしたい、と思っていましたので、自分から「石井ネタ」を振るのも何ですが、石井のファンクラブイベントを大阪まで見に行って、飛行機で行って関空を利用したものだから、ついでにその辺りの神社仏閣もうろうろしたわけで、住吉大社とか四天王寺とかも行ったわけです。
で、地元で古そうな神社に行こうと思って、このあたりに石津太神社と石津神社というものがあって、良くは知らないけれども、古そうだと思って行ったわけです。で、行ったら、あのあたりの戎・事代主を祀った神社としては最古のものとなるようで。「あー、それって一番目の子のことですねえ?」と今になれば思うわけで。ここの神社は、よろしくない神様も祀っているわけで、社殿が二つあって、北殿に蛭子命・八重事代主命・天穂日命、南殿に建御名方富命・天照大神と祀られているわけで。行ったときには、何も知らなくて、堺市に諏訪神が祀られている神社があるとも思っていなかったので、まるで先祖の神に呼び寄せられたかのようだ、と思ったものなのですが。要するに、ここへ行けば非常に古い時代の「一番目の子」に結縁できる。しかも、建御名方富命と天照大神が同一社殿に祀られているって、呼んだのは先祖の霊ではなくて、兄さんでしたね? とやっと思ったわけですが。確かに、諏訪神と天照大神が同一社殿なんて、何かヘン? と思った記憶も無きにしもあらずですが。でも、何故「ここだけ事代主と諏訪神が並んで祀られているんだろう?」と思ったことは覚えています。そういう神社ってあまり見かけないものですから。
でも、それでは2番目の子がいませんねえ? と思うわけで。で、もう一つの石津神社の方を調べてみれば、そちらには大国主命が祀られているわけでーー;。要するに、結局みなさまに言わせれば、「呼ぶ力」は兄さんの方が格段に上なので、結局私が石津太神社の方にしか行かなかったこと、それも結局は兄さんと2番目の子との「力の差」ということになるようで。一番理想的であったのは、どうせ行くのであれば、石津太神社と石津神社の両方に行けたら良かったのだな、と思うのです。

で、この辺りの神社を回った後、イベントを見に行って、その日のゲストはギタリストのChar氏であって、この方はファンに布教はしないけれども「創価」ってことでは有名な方であって。で、私の席は二階席の前の方だったわけで、ステージの上から石井とChar氏が私のことを、一瞬ではあっても「見ていた」ことは知っているわけです。まあ、石井が私のことを知っているのは当然だと思っていましたので、そのつながりでChar氏も知っているのだろう、と当時は思っていたわけで。だから、「芸能人が私のことを知っている」という点では、当時からあまり違和感なく感じていたわけで。その理由が分かったのは最近で、理由の方がむしろ自分でも驚くようなものだったわけですが。

で、次の日は四天王寺に行ったわけで。そっか、四天王寺には仏舎利がありますし、名前の通り「四天王」を祀る寺といえます。だから、4人なんだー、「三銃士」における三人の銃士とダルタニャンというのは、「仏法を守る四天王」を鏡映しのように映したものなんだ? と初めて気が付いたわけで。そして、仏舎利といえば、善光寺にもタイから贈られた仏舎利があるわけで、お戒壇巡りをすれば、仏舎利と結縁できる、要するに「釈迦」の「次に来る者」が直接、先代の意志と結縁できる場となるわけで。だから、わざわざタイから仏舎利が贈られたんだ? 結縁させるために? と気が付いたわけで。あの日、四天王寺に行ったことにも意味があったんだ。おかげで、帰りの飛行機に乗る登場時間が過ぎてから関空について、係の人からは怒られたわけですが。
アンヌ王妃の名の、「アンヌ」とはやはり「イナンナ」と同系列の名なわけですから、イナンナという名の「神」を守る4人の銃士(要するに四天王)という意味で、あの作品は書かれているし、イエズス会の本性を強く警告している物語ですし、作者のアレクサンドル・デュマという人は、味方でもありますし、ものすごい「言霊」の使い手でもあったのだな、と思います。

で、今日はちょこちょこと動画を見ていたわけですが、そうすると「よろしくない目」の人の中にも2種類いて、一つは、最初は私の目に見られるのを嫌がっていても、しまいに「負けた」と感じれば、いろいろと思っていることを教えてくれる人たちがいるわけです。で、もう1種類は、いくら「見て」も何を考えているのかが分からないわけで。で、そういう人たちの歌を念入りに聴いていると、結局、彼らの心の奥底には「渇望」というものしかないわけで、私は医者だからこういう言い方になるのかもしれませんが、昔の糖尿病というのは原因が良く分かっていないから、罹患した人は、食べて食べて食べ続けたくなるけれども、摂取した糖を利用することができないからどんどん痩せていくわけで、異常な食欲だけが継続することになるわけで。要するに、そこには「他人は食べ物」という思想は見えるわけですが、その「渇望」が病的なまでにすごすぎて、「他人を食べる」ことにしか興味がないようにしか見えないわけです。だから、そういう人たちは、一見して良い歌を歌っても、よろしくない歌を歌っても、そこに込められている「言霊」は「餌を呼ぶためのもの」でしかないわけで、そうやって「来い、来い」と呼んで、呼び寄せたものを「食い物」にすることが彼らは好きだし、対象が自分よりも「強い」ものであるから、「負けて」しまうことはあるかもしれないけれども、そういうことすらも気にならないほど「呼び続ける」ことに執着しているから、ある意味では「負ける」ことも、目の力を使いすぎて「自分が潰れる」ことも気にしていないわけで。でも、彼らの中にも強弱はあって、支配する力が強いものの方が、弱い者を支配して、弱い者を食い物にしたり、「餌」となるものを呼び寄せることをさせたりするわけで。そして、そこまで獲物を「呼んで食べる」ことしか根本的に考えていないので、表面的には言葉も話すし、頭が良い人もいるかもしれないけれども、心の奥底では、人間らしさのかけらも無ければ、自分が死ぬことすらも何とも思っていないような「狂気」を抱えているように思えるのです。だから、こちらに対して思っていることを話してくれることもないし、ただ呼ぶだけ、ということになるわけで。
真の「敵」ではない印欧語的な文化の人たちは、いかに冷酷で苛烈であっても、彼らなりの生き方、信念みたいなものがありますが、「真の敵」である人たちというのは、そういうものすら「無い」人たちの集合体であって、力の強い者が、弱い者を使ったり、喰ったりしているだけだから、集団ではなくて、個々で動いていたとしても、「同じ事」しかしないように見えます。そして、「食べたい」だけだから、そのせいでバランスが崩れたりとか、環境が破壊されても全く「気にしない」わけで。これが「敵の本性」の「抱えている狂気」なんだ、と気が付いたわけですが。

そして、彼らにも力の強弱があるから、うかつに接触すれば、こちらが巻き込まれて使われてしまう可能性だってあるわけですが、普通に「良くない目」をお持ちの皆様にとっては、その「狂気の人々」であっても「食い物」であるわけで、その「狂気」ですら、利用できる力があれば利用すれば良い、というそういう力強さをも併せ持ってるのが、印欧語族なのだと思われます。

で、「fighting pose」を聴いていると、どうにも嬉しくなっちゃった誰かさんが、微妙に目を回して、昔のことを思い出しているのが分かるわけで。「どうでもいいのですけれども、なんで「悪さ」をしている時に服を着ているのですかねえ?」とつい聞きましたら、「嫌いな女とやる時には、できるだけ直接肌に触れられたくなくて、服を着ていた。」とか言われた気がするのですけれどもねえ? 潔癖症ですねえ??@@ というか、他に言葉が出てこないわけでーー;。

しかも、某ニュースサイトではですねえ、ASKA容疑者の愛人が、公判で赤裸々な性生活を語ったとかで、それによると部屋にベッドがあるのに、床にマットレスを敷いて、その上にバスタオルをかけて、いろいろといたしていたそうで。それが「まるで風俗店のようだ」とか、書いてあるわけで。へー、風俗店ってそういうものなんだ? っていうか、「風俗店通いを公言している云々」っていうネタも、そういえば、ありましたよねえ?? これも妨害の内の陽動ってやつですよねえ?? 敵の陽動もエグいですが、ご当人がしゃべることもなんかすごい気がするのは、私の気のせいですよねえ?? とか思うわけですがーー;。

それから、ニュースサイトに華原朋美ちゃんのニュースが載って、GLAYのTAKURO氏と東京駅で会って、彼女が「HOWEVER」をカバーしたので挨拶に行ったら、「お互いに生きていればいいことあるね。」と言われたとかで。これって、私が兄さんよりもTAKUROさんの方がミュージシャンとしては上だと思う、って言ったことと関係があるのかな、とか思ったわけですが。朋ちゃんもNHKホール等でコンサートツアーを行っている最中と言うことで、オレンジ色の衣装を着て、楽しそうに歌っている写真も見れてうれしかったですし、だいたいその程度の規模のツアーから始めるのが、今の朋ちゃんにとっても丁度良いのかな、と思うのです。なんだか大きな箱でライブをやるほど、ステージの上の人にかかる負担も大きそうですのでね。

あとは、サウジアラビアの聖地メッカ(Mecca)で、イスラム教の大巡礼「ハッジ(Hajj)」の最後を飾る「犠牲祭(イード・アル・アドハ、Eid al-Adha)」を迎えた、という記事が目立つわけで。カアバ神殿の写真と、「ハッジ3日目の犠牲祭では、悪魔に見立てた柱に向けて巡礼者らが石を投げるが、これは悪魔に抵抗するとの意志を示すものだ。」という記事が載っていたわけで。こういう記事がニュースサイトに載る年というのも珍しいように思います。きっと誰もが、「真の悪魔」の本性が見抜けるように、そして手紙も出せるように祈ってくれているのだと思う。「あなた方の上にも、平安がありますように。」と、今の私にはそうお返しすることしかできないのです。

手紙はまあ、出すでしょう。でないと、兄さんの周囲にいる方々に「平安」があるのかどうかが、確信が持てませんものでね(苦笑)。(しかも、こういう時には「WALK」がかかる時に、すごい強い気が込められているのが分かるわけで。あの裁判の記事を申し訳なく思って下さっている関係者の皆様も、きっと多いことなのだと思うのです。そういう方々のお気遣いも本当に有り難いことだと思うのです。)

告げ口三昧

朝の4時頃、起こされて
「だいたい、あなたあの時、東京地裁の建物が崩壊して、中に居る人がどうにかなればいいとも思ったでしょ?」
と誰かに言われたわけで。
「あー、裁判を抱えてましたし、そういうことも思わないではなかったような気がしますけどねえ? でも、そこまで露骨なことを書いたかどうかまで記憶にないのですけれども?」
と思ったわけです。要するに「言霊」の力と言っても、言ったこと、思ったことが全て実現するわけではなくて、それを望む人と、与える人の気持ちが互いに真剣で、ぴったり一致している時に、最大に効果が発揮できるということで、そうでなければ必ずしも実現するわけでもないようで。例えば、兄さんが私を呪うような歌を「代償」として、作って歌っても、本当はそんなことしたくないから、そもそも歌うご当人は悲しそうな顔をしているわけですし、私の方もそういうことには耐性が強いので、気にもとめなかったりするので、そういう場合には「呪いの効果」なんて無いも同然なわけで。
だけど、逆に、兄さんが一番目の子と二番目の子を「呪う歌」を歌うときは、本気で怒って呪ってるし、力の差があり過ぎるので、要するにそういう歌が「溜まりすぎてて」一番目の子と二番目の子は、「身動きが取れなくなってる」状態であって、自分から私に会おうとすることができないようで。だから、兄さんとしては、その「呪い」を解くためには、事態が自分の思うとおりになるまで、自分に協力するように、と求めていたわけで、なんとかして「神婚」の話を進めたい蛙さん達は兄さんの要求をのまざるを得なかったわけだ。

で、結局兄さんとしては、可能であれば自分の子供を産んで貰いたいし、蛙さんたちは蛙さんたちで、ちゃんとした「蛙の子孫」も残して欲しいわけだから、そこで4人目の子が選ばれて、どうも兄さんの子供を無事産んだ場合には、次は4番目の子の子供を産んで欲しいと思ってらっしゃるようで。そうして、「家を残す」ために「強い遺伝子」を持つ者の子供を優先的に産んで欲しいと思ってるらしいです。なるほどね、「結婚と出産」とは、まるっきり「家」のための「妥協と打算」の産物なんだ? と思うわけですが。でも、兄さんの本音としては、結局彼は彼で「被爆2世」という背景を持っていて、自分自身は健康でも、残す遺伝子についてはどこか不安を持っているわけで、家のために「ちゃんとした健康な蛙の遺伝子も残した方がいい」と思っているわけだ。で、それについては、一番目の子も二番目の子もすぐには認める気はないわけで、ともかくあまり力のない彼らには、昔何もできなかった分、まず「夫」としての義務を果たせ、でなきゃ呪いは解いてやらん、と思っているようでーー;。
まあ、でも私も閉鎖的な社会で長年にわたって培われた遺伝子異常をあからさまに持ってる身なんで、遺伝子的なことでいろいろ言う気は全くないわけですが、要するにこれが誰も彼もの「総意」ということなわけだ。(蛙さんたちは、4番目の子となら「いい子」が生まれるであろうけれども、兄さんとの間だと、毒々しい言霊を吐く大蛇が生まれるんじゃないかと、思っているようで。なんか、自分が化け物みたいな蛇女みたいに思えるんですけど? と思うわけですがーー;。)

それから、どうも兄さんには手紙だけではなくて、「ハンカチ」を送って欲しい、と言われるわけで、そんなこと言われましても手紙を書くのも急に言われて、突貫工事で書いているのに、プレゼントに相応しいようなハンカチなんかあったっけ? と思うわけで。そうしましたら、下ろしたまま使ったことのない「青い花柄のタオルのハンカチを送れ」と言われるわけで。あー、そういえばそういうハンカチがありましたね。あれでいいんだ? と思ったのですが、要するに
「他の二人にはクッションがあるんだから、兄さんにはあれを送れ。」とか
「あんた、石井にはさんざん細々としたプレゼントを贈ったのに、こっちにはハンカチの1枚もなしかい!?」とか
「あれは元々2枚組のハンカチだから、1枚を贈って、もう1枚は手元に置いておいて、離ればなれになった二人がまた一つになれるように、とおまじないをかけなさい。」
とか
「彼が石巻中学校に贈ってくれたタオルのお返しに、あのハンカチをあなたから贈ってあげて。」
とか、いろいろと言われるわけで。朝の4時から、また石井のネタを引きずるんだ? と思うわけですが、まあ、事実だから何も言えないわけですし、別に贈って欲しいのなら、なんでも贈りますけれどもね? ということで。むき出しのまま送るのもいやですし、確かどこかにラッピングペーパーもとっておいたような? と思って探してみましたら、意外とあっさり見つかりまして。それを見て、白鳥兄さんがチョコボみたいな声で、「ヤッター」って言ってましたので、まあ、これで正解なのかな、と思うわけですが。

あとは、「赤毛のアン」の作者モンゴメリには、「青い城」という作品がありましたよね? と言われるわけです。そう、「赤毛のアン」はシリーズものになっていて、全部で10冊近くあったと思うのですが、「青い城」は、1冊だけの本で、内容は、そこそこ能力があっても、友達もいないし、家族にもあまり理解されていなかった孤独な中年女性が、ふとしたきっかけで家を出て、出た先で知り合った誠実だけれども、正体不明の男性を好きになって、相手のことをよく知らないけれども、その男性と結婚して、一緒に暮らして生活しながら互いを知り合って、本当の夫婦になっていく物語で、二人が暮らした森の中の小さな小屋を、ヒロインが「青い城」と呼んでいたからそれがタイトルになっているわけで。モンゴメリらしい、ロマンチックな作品で、私はけっこう好きで、あちこち引っ越しを繰り返す内に、持っていたモンゴメリ全集を実家にしまいこむようになっても、この1冊だけは持ち歩いていたわけで。
ヒロインの夫の職業は何ですか? 作家だったでしょ? 「言霊」を使うのが仕事の人です。あなたと同じように「言霊」を使うのが得意な男が一人いるでしょ? よく知り合ってもいない二人。だけど、これから結婚生活を始めようとしてる二人って誰のことですか? って聞かれるわけで。
要するに、モンゴメリの作品は「良いもの」ではないわけですが、「赤毛のアン」シリーズが私と一番目の子の物語なのであれば、「青い城」は私と兄さんの物語なんだ?@@ って気が付いたわけで。で、更にあの、ヒロインの名前はなんていうか思い出せますか? と言われるわけで。ええとですねえ? ヴァランシー・スターリングっていうんじゃなかったでしたっけ? と思い出したわけで。ヴァランシーって子音に直すと「B-N-(K)S」ってことですよねえ? あー、それって「フェニックス」のことですねえ? と思うわけで。スターリングというのは、「スター」のことでもありますから、子音に直せば「(K)S-T」ということで、「蛙」ということだから、あのヒロインの名前は「蛙のフェニックス」と意味になるんだ? ということで。

そうすると、「アンネの日記」のことを思い出して、と言われるわけです。この日記を書いた少女の名は「アンネ・フランク」です。アンネというのは、アン女神あるいはイナンナ女神と同系統の名前です。「フランク」というのは、f音がbから派生したものであるとすれば、「(B)F-N-K」となるわけで、ああ、彼女の名は「イナンナ・フェニックス」というのと同じ事だと気が付いたわけで。

 

そういえば、昨日手紙を書き上げた時に、兄さんが「狩の神オヌリスの名にかけて、必ず狩り出してやる。」と燃えていたわけで、オヌリスというのは獅子頭のメヒト女神の夫でもありますが、その子音は「(B)O-N-(K)S」だから、これも「フェニックス」ということで、これは男性ですからMステでのMCの通り、福山君のことということで。

 

こうやって、「獅子」という名、「フェニックス」という名、「誰でもない」という意味の「アメン」と「アン」という名、どうしても「同じ名」を選んでしまう二人。その二人のために、「青い城」の呪いを私たちが解いて上げましょう。あの本をいつか兄さんに買い戻してもらいなさい。こうして、かけられた呪いを解けるだけ、一つ一つ解いていって、真の意味での「自由」になりなさい。その力のあるものだけがそれを成し遂げることができる。それが私たちの言う「自由」という言葉の真の意味です。と「よろしくない目」の人たちは言うわけで。そうはいっても、あなた達の言う「自由」とは、弱者を徹底して「食い物」扱いする「自由」でもあると思いますので、私としては額面通りのその言葉を受け取る気にはならないわけですが。でも、自分が動きたい範囲で、動ける程度の「自由」は欲しいわけですから、その程度にはその言葉を受け取っても良いのかな、とそれだけのことなのだと思います。

(っていうか、メヒト女神の夫であるオヌリスが「フェニックス」ということは、3月の時点から、「私はあなたの夫です」って言ってたんだ? と思うわけで。すみませんねえ、気が付くのが今になって?? と思うわけですが 苦笑。)

そして、これらの情報をくれたお返しにMay.J嬢は、「ありのままに」について、松たかこさんのバージョンと自分の歌うのと、どちらが好きかと、私にお尋ねになるわけで。松さんのバージョンは、松さんはこちらのお味方だと思いますので、声だけ聴いていると、彼女の方が温かみのある歌声だと思うのです。ただし、彼女の歌はあくまでも「劇中歌」なわけで、それこそ魂が入っていないのに、目だけが狂気の目をしている人形が歌い狂っている場面とセットなものですから、全体をみれば気持ちの良いものではないわけで。
で、エンディングテーマとしてのMay.J嬢の「ありのままに」は見ていませんが、少なくともテレビで歌っているお姿を見る限りでは、いくら「よろしくない目」であっても、生きている人が歌っている魂のこもったお歌である分だけ、あなたの方がましです、と思うわけで。しかも、今となっては、この動画を見ると、May.J嬢がいろいろと言ってくれるわけで、そういう才能とか、兄さんが熱くなっちゃって他の人がみな追い出されているような状況でも、私の中にあっさりと入ってくれるその才能とか、おかげで助けて貰ってとても助かったということがありますので、他の人の言い分はともかく、私は松さんの「ありのままで」よりは、あなたの「ありのままで」の方が好きです、と思うわけです。その言い分の全てに賛成できなくても、それこそ、ありのままの気持ちを率直に語って下さることは、やはり私にとってはありがたいことなのだとも思います。

 

それにしても、「よろしくない目」の方々にずいぶんと懐かれてしまった気がするのですが、基本的に長い間の「一神教」に慣れている皆様は、この私しか認めない、というような気持ちがお強いようで。おかげで、兄さんと蛙さんたちが、私に隠れて裏でどんな取引をしようが、「そんなこと自分達には関係ない」ということで、私に教えに来てくれるつもりもおありのようで。まあ、個人的にはそのくらいの方が、本当に有り難い、とか思うわけですが<(_ _)>。

 

それから、石巻でのライブは、私があの地震で行ったことに対して、みな報酬を支払いたいと思ったけれども、私の方は「気」でお礼を貰っても、良く分からないし、使い方も知らないということで、みんな私の代わりに、兄さんを応援することで、「報酬を支払って」くれたということでもあるようです。いろんな人たちの思いに支えられて、ここまで来たのだな、と思います。

ものすごい良い動画を見かけたわけです

それは、2012年3月18日に福山君が宮城県石巻市にある住吉中学校の体育館(1000人規模)でライブを行って、当日全国の民放FM52局同時生放送番組『MEET THE MUSIC LIVE』で全国放送された時の、ライブの動画ということで。

 

その約20日後の4月6日に、福山君はMステで「生きてる生きてく」と「Around the world」を歌って、我が家では何もかもが始まったわけで。まさに、決行直前のライブなわけです。しかも、会場全体から「ありがとう」って言葉が伝わってきて、みんなが「あの人に『ありがとう』ってあなたから伝えて。」って言ってくれてるのが分かるし、みんながこれから福山君がやろうとしてることを知っていて、良い曲を唄っても、悪い曲を唄っても、応援してくれているのも分かるわけで。そして、福山君の方も、普段のライブだったらその目の力を会場を操るのに使っているのですが、このライブではみんなが応援してくれている気持ちを、できるだけ目の中に、記憶の中に焼き付けておこうとしてその力を使っているわけで。

動画になっているライブのセットリストは「虹」「HELLO」「Around the world」「fighting pose」「家族になろうよ」「生きてる生きてく」「桜坂」「蜜柑色の夏休み」「少年」「道標」。
「虹」は、「これから君の空に飛び立つのさ」という歌。
「HELLO」は、好きな子に対して「誰にも負けたくない」という歌。
「Around the world」は「世界一周」の歌。
「fighting pose」は「どんな勝利も栄光も無傷じゃないとするなら 痛めた心は意味があると言ってよ」とか「真っすぐさとか正直さとか それだけじゃ勝てなくて 切り捨ててきた人や閉じ込めた無邪気さを 嘆く夜もあるんだ」とか「流した汗を涙を知って欲しいわけじゃない」とかっていう歌詞が出てくるわけで、でも、みんな本当は、そういうことを福山君の好きな人に「知って欲しい」と思ってくれていることが伝わるわけで。
何か言ってよ? って言われるのであれば、まあ「痛めた心」には意味はあるのではないでしょうかねえ? そうやって大人になっても、だいたい昨日のあの程度なのだから、若い頃の情熱をそのままぶつけられたら、本当に2日くらいで潰れちゃったと思うと、彼の「好きな人」は正直そう思うのではないかと思うわけですがーー;。

で、その後MCで、あの地震のことに触れられていて、で、「一週間くらいは何をしてよいのか分からなかった。」と福山君が言っている時に、みんなが「あの時、火の玉のようにすぐさま飛び込んできて、『できるだけのことをできる限りしよう。』と言ってくれた人のことは忘れない。敵が『日本の国は終わった。』と言ったときに、強い言霊で、『黙れ、まだ終わっていない。』って言って、敵を追い払い、この国を守ってくれたことは忘れない。」って言っているわけで。あの、地震以来、確かに身の周りでの、私自身に対する評価や期待みたいなものが高まっているみたいなことはうすうす分かっていたわけですが、それは「原発に水をかけたことだけじゃないんだ?」って、これを聞いて始めて知ったわけで。
あの頃は、deviantArtという英語圏のSNSサイトに自分のページを持っていてですねえ、地震の後、アメリカのCNNのケーブルテレビのニュースで「日本は終わった」って言ってるジャーナリストがいる、っていうことを教えてくれた人がいたわけですよ。あのゲイのジャーナリスト、なんていう名前だったっけ? って思ったわけで、そういえば、アンダーソン・クーパーって名前でしたねえ? と思い出したわけで。じゃあ、あの男が「日本は終わった」って言ったのも、あれも「勝負」の一つだったんだ? と思ったわけで。どうも、正確な日時が思い出せないのですが、mixiの資料もどこかにとってあると思うので、調べれば分かるかもしれないと思う。でも、あの状況では、他に言いようがないじゃないですか? と思うわけで。

要するに、あの地震で、私は「大洪水で人類を救う神」(要するにヒンドゥーのヴィシュヌ、仏教の釈迦)の資格を得、もともとKBの神の資格は生まれながらに持っているわけだから、その2つの力を結集して、敵の殺意をかわしながら、キリスト教に挑め。彼らの中にも正々堂々と勝負を受けて立つ人々はいる。だから、彼女に足りない分は、あなたが導いて、そのステージまで引き上げていけ、と、みんな兄さんにそれを期待していたように感じるわけですが。「彼女はただ家の中にいて、畑で種を蒔いて生きるだけの器じゃない。」と、みんなそういう、蛙さんたちの期待を損なうようなことを考えてらっしゃったようで。で、地震のMCが終わった後に、
「家族になろうよ」
「生きてる生きてく」
「桜坂」
と続くわけで、良くも悪くも、兄さんの趣味が全開のライブだと思ったわけです。そしてアンコールが「蜜柑色の夏休み」で、これはまあ良い曲。
「少年」は「名も無き この歌」と歌詞に出てくるのですが、私には「名も無き 子の歌」と聞こえるわけで、「名も無き子」とは、「誰でもないもの」という意味のアメン神のことですから、要するに兄さん自身の歌だと思うのです。
そして、「道標」はですねえ、平ったくいうと、「お母さんは家の中にいて、畑で種を蒔いて生きるだけであるべきではない。」という、要は「蛙さん達を呪う歌」に聞こえるわけですが@@。(この曲、テレビで歌っているのも見たことある気がするのですが。fighting poseもですが。)

 

要するに、この2年というのは、私がMay.J嬢との勝負に勝つか、負けるかという、そのためだけに準備されたものだったんだ? と思うわけで。その道筋をつけて突っ走ってきたのが、ライブをやっている人なわけだ。いや、でも、まあ、当時からいろんな人が私のことを知っているであろうことは分かっていましたので、どこの誰にどんな手紙を書けと言われても、あんまり抵抗がないわたしではあるのですが。(しかも、近所の人を見かけるたびに、兄さんは背中に視線を打ちこむ。部屋の中では、「誰も通さない」という勢いで倉木さんとジャニーズの皆様の目が光ってる、ということでそちらの方は、なんとかなりそうだと思うわけですが。)

 

で、「桜坂」という曲を、この騒ぎが起きてから、ものすごく改めて見て見たわけですが、どうみても「一番目の子と二番目の子」をセットで「呪っている歌」にしか見えないわけで。要するに、誰かさんは、この曲で「自分が本当に欲しいものを手に入れるまでは、彼女はお前らには、必要以上に絶対に会わせない。」って呪いをかけたわけだ。この狡猾な毒蛇めが? ってそれは思うわけですが(苦笑)。「本当に欲しいもの」とは? それは「愛」でしょ? ということで。しかし、私も「必要な釘」は刺しときましたし、その言霊の力を忘れるような兄さんではないと思いますけれどもね。お望み通りに「雅治さん」っていっぱい書いておきましたし? と思うわけで。

この動画を、私が今日見ることになったのも、けして偶然ではないと思うわけで。まあ、だいたい世の中というのは、こんな風に動いていくものなのだと思うのです。

しかし、どうも「よろしくない目」の方達の一部に懐かれてからは、蛇でも蛙でも無いような異形な人たちもちょこちょこと遊びに来るようになったわけで、兄さんのことを見ては「要するに、あんたは『食い物』として石井よりも固くてまずそうに見えたんじゃないのか。」とか、今更なことを言ってくれたりするわけですが(苦笑)。どうも、勝負にはとりあえず勝ちましたが、兄さんにとっては朝から微妙に楽しくない一日だったのではないでしょうかーー;。(是枝さんとかもちょこっと来られてましたよね? 他の人たちよりもかなり大きい蛇さんだったように思うのですが。)

 

でも、このライブはとても良いライブだったと思いますし、最後に中学校に福山君の方から「桜の木」を一本進呈していまして。桜も私の象徴ですしね? ということで、応援して頂いた皆様に対しての、兄さんのお礼の気持ちだったのだと思います。本当に長い2年だったよね? と思ったわけですが、でもまだ終わったわけでもありませんのでね。大勢の皆様に応援して頂いて、本当にありがとうございました<(_ _)>。

火の悪魔と氷の悪魔

どうにも昨日は、ラブレターの下書きを書くのに忙しくて、ともかく兄さんが「自分が満足するもの」をせっせと書くのに燃えているものですから、私の方もずいぶんと体が熱くなってしまって、疲れて消耗してしまったわけで。寝るときには、もうただただ何の理由もなく、縮こまって泣いてしまいたいようなそんな気分だったわけで。

 

で、寝る前にMay.J嬢の「ありのままで」を見ましたら、「その男の熱気が耐えられなくなったら、いつでも私を呼んで下さい。熱を冷ますような冷気を送り込んで上げます。」というわけで、なんというか、彼女自身が「雪の女王」みたいに感じられたわけです。なんというか、彼女は、勝負に勝った私のことは認めてくれているようですが、兄さんのことは好きではないようで。

 

それで寝てしまったのは良いのですけれども、夜中の2時頃に福山君の曲から、ものすごく私を呼ぶようなすごい気を感じて目が覚めて、しかも兄さんの気持ちが昂ぶって、ものすごく熱くなっているものですから、その熱気がこちらまで伝わってきて、そうすると私も疲れているのに目が覚めてしまって、気持ちが昂ぶってしまうものですから、こんなことを続けられたら3日くらいで、疲弊して潰されてしまう、と思って。「助けて」と思いましたら、May.J嬢がスタスタとやってきて、氷の鞭で兄さんを思いっきり引っぱたいてくれましたので、それで誰かさんもびっくりして正気に戻ったようでーー;。兄さんは、彼女があまりにも簡単に入ってきたことにも驚いたようですが、ともかく私を疲弊させていることに気が付いて、後は歌に載せる曲に載せる気を調節しようと気を遣ってくれていましたが、なかなか寝付けなくて、朝方4番目の子がやってきて、しばらく膝枕をしてくれて、それでやっと少し眠れたわけで。朝、起きてからは、いろんな人から、「あの女に奥様を助けられるなんて、あんたいったい何やってんですかね、ガキじゃあるまいし。」って兄さんはいろんな人から怒られていたようなーー;。正気に戻れば「ごめん」って謝ってくれる良い兄さんなのですが、その炎のような情熱をもろにぶつけられたら、本当に私は3日くらいしか保たないと思うわけですが。

 

そして、分かったことなのですが、メソポタミアの冥界神にして、軍神であるネルガルは、砂漠地域の何もかも焼き尽くし、乾燥させ尽くしてしまうような、「死の太陽」の象徴でもあって、ともかく兄さんは、その名にふさわしい情熱家でもあると思うのです。だから、兄さんのことを「火の悪魔」と呼ぶ人たちもいるわけで。

 

一方、略奪主義の文化を持つ印欧語族の故地は、コーカサス地方であって、そこは気候風土が厳しく、人が住むには厳しい地域です。そこにいただけでは、生活していけない人たちは、古代において、南にある肥沃なメソポタミア地方や、西にあるヨーロッパへ侵入・略奪・定住を繰り返しています。要するに、彼らの冷酷さは、本当に極限状態になったら、たとえ親や兄弟や愛する人でも殺し尽くして「自分だけが生き残る」ということがあり得た環境で形成されたものであって、それゆえに真から凍り付くような冷酷さを持っているのだと思います。だから、彼らは「力」あるものは、「生き残れるもの」として尊重しますけれども、それだけではなくて、意思の強さとか、人間性とか、何でもよいから「人より優れたもの」を持っていて、それを土台にして「生き抜ける人」をこそ何よりも重んじるのだと思います。そして、結局どんなに親しい人であっても、「自分以外の人は食い物」なのだと思う。そういう苛烈さがないと、かつてその地方では人は生き残れなかったのではないか、というくらい環境は厳しかったのではないかと思います。そして、それは北部ヨーロッパなどでも同様なのでしょう。どうも、私に好意を持ってくれている「よろしくない目」のお嬢さん達の言い分によれば、「男なんてみんな食い物なのに。」と言うわけで、要するに表向き多情に生きようが、貞淑に生きようが、根本的には「異性は食い物」というのが彼らの、もはや「良い」とか「悪い」とかいうレベルではなく、本能的に遺伝子の中に染みついた「常識」なのだと思います。彼らから見れば、石井も兄さんも私の「食い物」であって、「食い物同士」がやきもち焼きあうのは、「ウザイ」と映るらしいです。ううむ。というか、それこそが、まさに「夫神達を次々と食い尽くすイナンナ女神」の姿ということで、おそらく印欧語族の太母である「アン女神」の古い時代の姿というのは、そういうものだったと思うのです。そして、その凍てついた心こそが、「氷の悪魔」とも言うべき姿なのだと思うわけで。どちらかというとMay.J嬢の方が、私よりもかつての「アン女神」に近い気性をお持ちなのではないかと思うくらいなのですが、彼女が何故仏教の秘密を知っているかといえば、仏教とその前身のバラモン教は、コーカサス地方からインド方面に侵入した印欧語族の宗教とインドの土着の宗教が習合して成立したものですから、そこにはただ「力がある」というだけでなく、それも含めてどう生きるのか、どう生き残るのか、という点にまで苛烈な精神が求められる、印欧語族の文化の奥底にあるものと連続した思想の先に仏教があるということを、お母さんの方に白人の血を強く引く彼女は知っているのだと思うのです。そして、彼女の目もちょっと使わせて頂いたのですが、彼女の目は蛙8割、蛇2割くらいのハイブリッドなのだと思います。要するに、過酷な気候条件の中で育まれた苛烈な文化は、蛙の目を持とうが、蛇の目を持とうが、それはどうでも良いことで、それを持って「どう生き残るか」ということしか問題にしないということなのでしょう。
そういう凍り付くような冷酷さが本能的に板につくほどになってしまっているから、技術が進み進歩して、もはや「誰が生き残るのか」というほど過酷な状況ではなくなって、人々が共存しやすい状態を作れる時代になっても、彼らの本能の方がそういう状態になることを邪魔するようなのです。そういうことをするのには、向かないほどその苛烈な精神が身につき過ぎてしまっているということで。だから、彼らは「いつか、穏やかな春の日差しを持って、私たちを迎えに来て下さい。」と私に言うのです。本能的に凍てついた心を溶かして、雪と氷の世界から、暖かい春の世界に移ることを誰よりも望んでいるのに、その道が見つからないのが彼らなのだと思うのです。だから、逆に砂漠地帯の強烈な死の太陽の化身のような兄さんは、彼らの気候風土にとっては、現実的でなくて、あまり「お呼びでは無い」存在でもあるような気がするのですがーー;。

そしてモラル感が強くて、他人(特に愛する人)を食い物にすることが嫌いな兄さんのような人から見れば、彼らの凍てつくような本性には嫌悪感を抱くようです。要するに、同じ世界に生きているのに、価値観という言葉よりも更に深く、人の「本質」という点に至るまで、この世界にはいろんな人が生きているのだな、と思うわけですが。

 

あとは、ニュースサイトのネタですが、韓流のJYJというグループのメンバーの一人が、韓国の映画祭の舞台挨拶で明るい笑顔をされていて。JYJはお味方ですから、まあ、だいたい良い方向に動いているのかな、と思うわけですが。

 

それから、昨日ニュースサイトで、「同棲生活がうまくいくコツ」みたいな記事があって、その中に「2週間に1回は客を呼ぶ」みたいなことがあったのですが、兄さんが「そういうのはやだな。ずっと二人でいたい。」と呟きましたら、すかさず「うちの相葉と謁見するお約束があるのを忘れないで下さい。」と突っ込まれる方々がいらっしゃいまして。私の目は、兄さんが使っている分にはそれで良いのですが、自分で使えるようになるには、やはり「蛙の目のことは蛙の人の方が良く分かるだろう」ということで、4番目の子は、とりあえず「目の使い方の家庭教師に」と兄さんはお考えのようですが。(その間に「口説けるものなら口説いて見ろ」とか思っているようなーー;。)

 

それから時間的にちょっと余裕ができたので、いろいろなHPを見ていましたら、STRATA DESIGN 3DのHPを見ている時に、「あの白黒の子を恐れないで下さい。私たちは彼を応援しているのです。」と聞こえてきまして。3Dのレンダリングが美しいSTRATAのソフトは、かつで私がMacを使っていた時には持っていたのですが。今はちょっと値段が高すぎて手が出せないのですが、こういう形で応援してくれている方々もいるんだな、と思ったのです。

ええと、今のところ、日記に書けば良さそうなネタは、このくらいだと思います。

下書き終わり

ええと、兄さんが朝からものすごく熱くなって、せっせとラブレターを書くものですから、それに付き合わされて、とても疲れました。しかも、昼食を食べてウトウトしていると「想」がかかって、「愛が欲しい」ってところで起こされるわけですし。

 

たぶん、便せんに5枚以上になると思いますので、嵐のみなさまにはちと申し訳ないですが。兄さんのCDのジャケットは、昼間の内は表に出せませんので、部屋の中にはジャニーズの視線と、麻衣ちゃんの視線がまるで火花を散らしているように感じるわけですが。「OVER THE RAINBOW」のジャケットの麻衣ちゃんは、昼間兄さんの顔を出せない分までをも含めて、非常に兄さんの応援をしてくれているようで、すごいと思います。

 

そして、どういうわけか手紙を書き始めると、柴咲コウちゃんが、「とっとと手紙書いて、あの男を引き取って下さい。」って強力に言ってくるわけで。兄さん、ある意味、共演者キラーというか、仕事場で何してるんですか? というかーー;。ということで、ちゃんと書き切れて出せるとは思うのですけれども。というか、書かないと兄さん以外にもいろいろ言ってくる人が多すぎな気もするわけですが(泣)。