本日の日誌

本日は湿気が高い一日で。お外組は普通に外仕事をして。私は書類を書いて。出せ、と言われたものは明日にはできそうです。でも、それをやったら、次の準備書面の準備も始めるように、と言われる気がするわけで。

後は、買った本が数冊届いて。神話の本も2頁くらい読んで。

ケルトの神話を読みながら、やはり北欧神話と近縁性が強いと感じる。それから、古代ペルシャの伝説上の英雄に、ロスタムという王がいるわけですが。このロスタムって西欧の神話では誰に相当するのだろう? と思う。そうしらた、オーディーンでしょ、と言われる気がするわけで@@。オーディーンとバルドル、クー・フーリンとコンラ、ロスタムとソフラーブ、みんな同じものでしょ、と言われる気がするわけで。遊牧民の英雄ですねえ、と思う。

今朝方は夢を見て。なんだかまだ学生で、学校に行ったら、何故かプールみたいな巨大なお風呂があって。そこに入っていたら、光一君がいて。でお風呂から出たら、光一君が学生相手に講義をするから、「終わるまで待っててね」と言われたので、「寝て待ってる」と言って寝てしまう夢で。今日は夜はZEROの選挙速報を見て。そんな一日だったのでした。

本日の日誌

本日も降りそうな降らないような雨っぽい一日であって。お外組はだいたいいつも通りに外の仕事をしていて。

私の方は、だいたい明日にはいろいろと書き上がりそうで。まあ、間に合うかな? と思う。

で、買った本も続々と届く。「中国の神話伝説」も2頁くらいは読む。で、今回はともかく、ブルフィンチと呉茂一はギリシャ神話の基本だから読むように、と言われるわけで。ブルフィンチはアメリカ人だけれども、若い人向けに西洋の古典の案内ともいえる入門書を何冊か書いているので、ギリシア・ローマ神話、中世騎士物語、シャルルマーニュ伝説を手に入れる。呉茂一はギリシア神話に関する著述の草分け的な人である。で、解説を更に読むために、ヘシオードスとアポロドートスを買っちゃったから、これ以上のものはないでしょ。ホメロスとか買う? とか思うわけで。ともかく、7番目の兄さんは、「人食いの話だけ削除して上辺だけ綺麗にした神話なんか読む価値がない」と言うわけで。呉茂一にはメーティスの話も、ザグレウスの話もあるからご満足では? と思うわけで。

で、世界には、「牡牛を退治する話」はいくらでもある。黄帝と蚩尤もそうだし、ギルガメシュとか、ミトラとか。でも、良渚文化では、豚もずいぶん神格化されていたから、「豚を退治する話」があっていいように思う。ケルトの中にはある。で、「インドネシア民話集」という本を買ってみて、ちょっと読んでみたら、「犬が豚を退治して人に変化して妻をめとる」という話があって@@。ちょっと形は崩れているけど、これは槃瓠神話の崩れですよねえ? と思う。おそらく、古代に苗族の一派が、国境を越えてタイやベトナムに移動したときに、一部が更にインドネシアまで移動して、槃瓠神話を伝えたのだと思う。何でも貪欲に食べてしまう「饕餮」というのは、やっぱり豚のことなんじゃん? と思う。

そうしたら、7番目の兄さんに、「人食いの化け物を退治する犬」とは「光善寺の早太郎」のことでしょ? と言われる気がするわけで@@。今昔物語には「美作国(現・岡山県)の中山の神である大ザルは年に一度、人間たちに女性の生贄を求めていた。ある年に中山近くの少女が生贄に指定され、家族が嘆いていると、そこへ訪れた若い猟師が事情を聞き、少女の身代りとなってサル退治の訓練を施した犬とともに櫃に入り、生贄に差し出された。やがて身長7,8尺(約2メートル以上)の大ザルが100匹ほどのサルを引き連れて現れたので、猟師は櫃から飛び出してサルたちを次々に倒した。残るは大ザルのみとなったが、1人の宮司に猿神が憑き、二度と生贄を求めないとして許しを請うたので、猟師は大ザルを逃がした。以来、生贄が求められることはなくなったという」という話がある。

伊那の光善寺という古刹には「昔、信濃の光前寺の床下で山犬が子犬を産んだ。光前寺の和尚は親子の山犬を手厚く世話してやった。やがて母犬は子犬達を連れて山に戻ったが、子犬のうちの1匹を寺に残していった。この子犬は早太郎というたいへん強い山犬となり光前寺で飼われた。ある時、光前寺の近くで怪物が現れて子供をさらおうとしたが、早太郎が駆け付けたため、怪物は逃げて行った。さて、その頃、信濃の南隣、遠江の見附村には、毎年、どこからともなく放たれた白羽の矢が立った家の娘を人身御供として神様に差し出差ねばならぬ恐ろしい仕来りがあった。これを破ると田畑が荒らされ、村が困窮しきるため、村人は泣く泣く矢奈比売神社の祭りの夜に娘を棺に入れて差出し、これを鎮めていたのだ。

延慶元年(1308年)8月、この地を旅の僧侶が通りかかり、神様がそんな悪いことをするはずがないと祭りの夜にその正体を確かめようと神社に向かい身を潜めていると、現れた怪物が「信州の早太郎おるまいな、早太郎には知られるな」と言いながら娘をさらっていった。僧侶は、信濃へ行き、方々を探しまわった末、光前寺の早太郎を見つけ出し、和尚から借受けた。そして次の祭りの日、早太郎は娘の身代わりとなって棺に潜み、現れた怪物と一夜にわたって激しく戦い、見事退治した。怪物の正体は老いた猿の化生狒々であった。 」という伝説があり、早太郎の墓がある。伊那は、金刺氏の重要な拠点の一つであり、光善寺の創建に金刺氏が関わっていないわけがないでしょ、と言われる気がするわけで@@。

金刺氏の子孫は「大」の字を珍重して、自分達は「大神(狼)」であると暗に言っている。そして、お寺というのは、そもそも先祖を祀るところでしょ。狼が、犬(狼)をお寺に祀ってたら、その犬は大神の先祖でしょ? と言われる気がするわけで@@。それは、暗に金刺氏が、「早太郎は自分達の先祖である」と言っているということ? 人食いの猿退治の早太郎とは、黄帝であり、槃瓠であり、ゲイのこと? ということは、今昔の猟師と早太郎も「同じもの」ですよねえ? と思う。要するに金刺氏は、自分達の先祖が人食いの神を退治した早太郎、すなわち槃瓠であり、黄帝であるものだと示してる。そういうことを言うのは、苗族、ヤオ族、ショオ族といった一部の少数民族と金刺氏だけである。みんな、5500年前に枝分かれした、契約ではない、本物の「兄弟達」なんだ? と思う。日本の伝承で猿退治をするのは、良渚文化の人々が猿を食べていたから、食べ物であった猿は神でもあったんだ? と思う。(というか古代の日本人も犬や猿は食べたわけですがー;)

そして、7番目の兄さんに、「これで金刺氏と黄帝が繋がったでしょ?」と言われる気がするわけで。それを探り当てるまでに、何十年もかかったんだけど? と思う。で、7番目の兄さんに、「ついでに自分の飼っている犬は?」と聞かれる気がするわけで@@。「パンちゃんでしょ?」と思う。というか、それも「槃瓠」のことなんだ? と思う。そして、「これで槃瓠と自分も繋がったでしょ?」と言われる気がするわけで@@。

私がまだ東京にいたときに、クリント・イーストウッドという人が、「グラン・トリノ」という映画を作って。これは、白いトラックがトーレドマークだったアメリカ人のおじいさんが、近所に住むモン族(ベトナムに住む苗族)の姉弟のティーンと仲良くなって。でも、お姉さんの方が不良に目をつけられてレイプされてしまって。家族は不良達が怖くて、何も言えないわけです。で、白馬の王子様ではなくて、白トラックのおじいさまであるイーストウッドが不良のたまり場へ乗り込むわけですが、丸腰で行ったのに不良に殺されてしまって。それで不良達は逮捕されてしまったので、地域は一時的には平和?になったわけです。弱虫だった男の子は、おじいさんの死を目の当たりにして、そうやって身を呈してでも大切な人を守れるような強い男になりたい、と思う話である。要するに、モン族の姉弟が、実の祖父のように慕う「白トラックのおじいさん」とは、「白馬の王子様」である黄帝のこと、モン族にとって、女性をレイプして生け贄にするような儀式を止めさせるために戦った遠い先祖の盤王の暗喩ですよねえ? と思う。槃瓠は同族に殺されてしまったけれども、その意思を受け継いでいる者もいます、ってそれはそう言いたいための映画ですよねえ? と思う。遠い、とても遠いけど、「本物の身内」からのメッセージだったんだなあ、と思う。しかも、イーストウッドはこの映画で、俳優業は引退する、と言っていたけれども、その後また映画に出てたはず。要するに、一度「俳優」として死んだけれども、また生き返ったっていう暗示だよねえ? と思う。でも、映画のことを思い出したから言うけれども、「黄帝」というのは、故人であって、そもそも金髪の人だったんじゃないの? と思う。中華思想の中で、その本当の姿が失われがちになっているけれども、たぶん白人であったのだと思う。だから、白人の印欧語族の中にも「英雄」としてその姿が残っているのではないでしょうか。

で、後は気になったのは、某三太郎のCMである。「大きくなった親指姫の鬼退治」って何? と思う。そうしたら、「親指姫」は乙姫、かぐや姫、織姫の母親でしょ。要するに「西王母」でしょ。現代の西王母とはイエス・キリストのことでしょ。イエス・キリストがいろいろな仲間を引き連れて鬼退治をする、ってそれは「イエス・キリストと彼の戦士達」の暗喩でしょ? とディアーヌ女神に言われる気がするわけで@@。でも、それは「黙示録」ってことでしょ? やばいんじゃないの? と思う。キリスト教にかぶれてる人は、すぐに「黙示録」とか「千年王国」とか言いたがるんだよね;、と思う。そうすると、別に彼らの考えに巻き込まれすぎる必要はないけど、あなたのことをそういう風に見ている人が大勢いるということも知っておくべき、と言われる気がするわけで。何が黙示録なのさ、細かな金勘定で必死なのに;、と思う。でも、CMの通り、「あなたは鬼がどこにいるか知ってるでしょ?」と言われる気がするわけで-;。さあ、そういうものは人の心の中にいるのではないのですかねえ? と思うわけですが-;。

そして、「世界の神話伝説体系」というすごい本があるわけですが。だいたい、日本の民話とか、1970~80年代に出版された本はものすごく多いわけで。それは私のための本であった気がするのですが。「神話伝説体系」は昭和2年に出版されたものであるので。本来は誰に読んで貰うための書物であるのか分かるはず、と言われる気がするわけで。それは、じいさんのことですねえ? と思う。見つけ出そうと思えば見つけ出すことはできたのかもしれませんが、能力のない者は結局は、自分が誰であるのかすら見つけ出すことあたわず、ということで。小学校の時に、今昔や霊異記を手にした。中学で「世界の民話」を見つけた。そして、じいさんの負債を代わって払うまでに、40年もかかりましたよ、と思うわけで-;。まあ、元はといえばじいさんの金だ、私は貧乏人ーー、と思うわけで-;。せいぜい頑張って金勘定したいと思います;。でも、読んでる暇は当分ないはずー;。

本日の日誌

本日も降りそうな降らないような雨っぽい一日であって。お外組はだいたいいつも通りに外の仕事をしていて。

私の方は、だいたい明日にはいろいろと書き上がりそうで。まあ、間に合うかな? と思う。

で、買った本も続々と届く。「中国の神話伝説」も2頁くらいは読む。で、今回はともかく、ブルフィンチと呉茂一はギリシャ神話の基本だから読むように、と言われるわけで。ブルフィンチはアメリカ人だけれども、若い人向けに西洋の古典の案内ともいえる入門書を何冊か書いているので、ギリシア・ローマ神話、中世騎士物語、シャルルマーニュ伝説を手に入れる。呉茂一はギリシア神話に関する著述の草分け的な人である。で、解説を更に読むために、ヘシオードスとアポロドートスを買っちゃったから、これ以上のものはないでしょ。ホメロスとか買う? とか思うわけで。ともかく、7番目の兄さんは、「人食いの話だけ削除して上辺だけ綺麗にした神話なんか読む価値がない」と言うわけで。呉茂一にはメーティスの話も、ザグレウスの話もあるからご満足では? と思うわけで。

で、世界には、「牡牛を退治する話」はいくらでもある。黄帝と蚩尤もそうだし、ギルガメシュとか、ミトラとか。でも、良渚文化では、豚もずいぶん神格化されていたから、「豚を退治する話」があっていいように思う。ケルトの中にはある。で、「インドネシア民話集」という本を買ってみて、ちょっと読んでみたら、「犬が豚を退治して人に変化して妻をめとる」という話があって@@。ちょっと形は崩れているけど、これは槃瓠神話の崩れですよねえ? と思う。おそらく、古代に苗族の一派が、国境を越えてタイやベトナムに移動したときに、一部が更にインドネシアまで移動して、槃瓠神話を伝えたのだと思う。何でも貪欲に食べてしまう「饕餮」というのは、やっぱり豚のことなんじゃん? と思う。

そうしたら、7番目の兄さんに、「人食いの化け物を退治する犬」とは「光善寺の早太郎」のことでしょ? と言われる気がするわけで@@。今昔物語には「美作国(現・岡山県)の中山の神である大ザルは年に一度、人間たちに女性の生贄を求めていた。ある年に中山近くの少女が生贄に指定され、家族が嘆いていると、そこへ訪れた若い猟師が事情を聞き、少女の身代りとなってサル退治の訓練を施した犬とともに櫃に入り、生贄に差し出された。やがて身長7,8尺(約2メートル以上)の大ザルが100匹ほどのサルを引き連れて現れたので、猟師は櫃から飛び出してサルたちを次々に倒した。残るは大ザルのみとなったが、1人の宮司に猿神が憑き、二度と生贄を求めないとして許しを請うたので、猟師は大ザルを逃がした。以来、生贄が求められることはなくなったという」という話がある。

伊那の光善寺という古刹には「昔、信濃の光前寺の床下で山犬が子犬を産んだ。光前寺の和尚は親子の山犬を手厚く世話してやった。やがて母犬は子犬達を連れて山に戻ったが、子犬のうちの1匹を寺に残していった。この子犬は早太郎というたいへん強い山犬となり光前寺で飼われた。ある時、光前寺の近くで怪物が現れて子供をさらおうとしたが、早太郎が駆け付けたため、怪物は逃げて行った。さて、その頃、信濃の南隣、遠江の見附村には、毎年、どこからともなく放たれた白羽の矢が立った家の娘を人身御供として神様に差し出差ねばならぬ恐ろしい仕来りがあった。これを破ると田畑が荒らされ、村が困窮しきるため、村人は泣く泣く矢奈比売神社の祭りの夜に娘を棺に入れて差出し、これを鎮めていたのだ。

延慶元年(1308年)8月、この地を旅の僧侶が通りかかり、神様がそんな悪いことをするはずがないと祭りの夜にその正体を確かめようと神社に向かい身を潜めていると、現れた怪物が「信州の早太郎おるまいな、早太郎には知られるな」と言いながら娘をさらっていった。僧侶は、信濃へ行き、方々を探しまわった末、光前寺の早太郎を見つけ出し、和尚から借受けた。そして次の祭りの日、早太郎は娘の身代わりとなって棺に潜み、現れた怪物と一夜にわたって激しく戦い、見事退治した。怪物の正体は老いた猿の化生狒々であった。 」という伝説があり、早太郎の墓がある。伊那は、金刺氏の重要な拠点の一つであり、光善寺の創建に金刺氏が関わっていないわけがないでしょ、と言われる気がするわけで@@。

金刺氏の子孫は「大」の字を珍重して、自分達は「大神(狼)」であると暗に言っている。そして、お寺というのは、そもそも先祖を祀るところでしょ。狼が、犬(狼)をお寺に祀ってたら、その犬は大神の先祖でしょ? と言われる気がするわけで@@。それは、暗に金刺氏が、「早太郎は自分達の先祖である」と言っているということ? 人食いの猿退治の早太郎とは、黄帝であり、槃瓠であり、ゲイのこと? ということは、今昔の猟師と早太郎も「同じもの」ですよねえ? と思う。要するに金刺氏は、自分達の先祖が人食いの神を退治した早太郎、すなわち槃瓠であり、黄帝であるものだと示してる。そういうことを言うのは、苗族、ヤオ族、ショオ族といった一部の少数民族と金刺氏だけである。みんな、5500年前に枝分かれした、契約ではない、本物の「兄弟達」なんだ? と思う。日本の伝承で猿退治をするのは、良渚文化の人々が猿を食べていたから、食べ物であった猿は神でもあったんだ? と思う。(というか古代の日本人も犬や猿は食べたわけですがー;)

そして、7番目の兄さんに、「これで金刺氏と黄帝が繋がったでしょ?」と言われる気がするわけで。それを探り当てるまでに、何十年もかかったんだけど? と思う。で、7番目の兄さんに、「ついでに自分の飼っている犬は?」と聞かれる気がするわけで@@。「パンちゃんでしょ?」と思う。というか、それも「槃瓠」のことなんだ? と思う。そして、「これで槃瓠と自分も繋がったでしょ?」と言われる気がするわけで@@。

私がまだ東京にいたときに、クリント・イーストウッドという人が、「グラン・トリノ」という映画を作って。これは、白いトラックがトーレドマークだったアメリカ人のおじいさんが、近所に住むモン族(ベトナムに住む苗族)の姉弟のティーンと仲良くなって。でも、お姉さんの方が不良に目をつけられてレイプされてしまって。家族は不良達が怖くて、何も言えないわけです。で、白馬の王子様ではなくて、白トラックのおじいさまであるイーストウッドが不良のたまり場へ乗り込むわけですが、丸腰で行ったのに不良に殺されてしまって。それで不良達は逮捕されてしまったので、地域は一時的には平和?になったわけです。弱虫だった男の子は、おじいさんの死を目の当たりにして、そうやって身を呈してでも大切な人を守れるような強い男になりたい、と思う話である。要するに、モン族の姉弟が、実の祖父のように慕う「白トラックのおじいさん」とは、「白馬の王子様」である黄帝のこと、モン族にとって、女性をレイプして生け贄にするような儀式を止めさせるために戦った遠い先祖の盤王の暗喩ですよねえ? と思う。槃瓠は同族に殺されてしまったけれども、その意思を受け継いでいる者もいます、ってそれはそう言いたいための映画ですよねえ? と思う。遠い、とても遠いけど、「本物の身内」からのメッセージだったんだなあ、と思う。しかも、イーストウッドはこの映画で、俳優業は引退する、と言っていたけれども、その後また映画に出てたはず。要するに、一度「俳優」として死んだけれども、また生き返ったっていう暗示だよねえ? と思う。でも、映画のことを思い出したから言うけれども、「黄帝」というのは、故人であって、そもそも金髪の人だったんじゃないの? と思う。中華思想の中で、その本当の姿が失われがちになっているけれども、たぶん白人であったのだと思う。だから、白人の印欧語族の中にも「英雄」としてその姿が残っているのではないでしょうか。

で、後は気になったのは、某三太郎のCMである。「大きくなった親指姫の鬼退治」って何? と思う。そうしたら、「親指姫」は乙姫、かぐや姫、織姫の母親でしょ。要するに「西王母」でしょ。現代の西王母とはイエス・キリストのことでしょ。イエス・キリストがいろいろな仲間を引き連れて鬼退治をする、ってそれは「イエス・キリストと彼の戦士達」の暗喩でしょ? とディアーヌ女神に言われる気がするわけで@@。でも、それは「黙示録」ってことでしょ? やばいんじゃないの? と思う。キリスト教にかぶれてる人は、すぐに「黙示録」とか「千年王国」とか言いたがるんだよね;、と思う。そうすると、別に彼らの考えに巻き込まれすぎる必要はないけど、あなたのことをそういう風に見ている人が大勢いるということも知っておくべき、と言われる気がするわけで。何が黙示録なのさ、細かな金勘定で必死なのに;、と思う。でも、CMの通り、「あなたは鬼がどこにいるか知ってるでしょ?」と言われる気がするわけで-;。さあ、そういうものは人の心の中にいるのではないのですかねえ? と思うわけですが-;。

そして、「世界の神話伝説体系」というすごい本があるわけですが。だいたい、日本の民話とか、1970~80年代に出版された本はものすごく多いわけで。それは私のための本であった気がするのですが。「神話伝説体系」は昭和2年に出版されたものであるので。本来は誰に読んで貰うための書物であるのか分かるはず、と言われる気がするわけで。それは、じいさんのことですねえ? と思う。見つけ出そうと思えば見つけ出すことはできたのかもしれませんが、能力のない者は結局は、自分が誰であるのかすら見つけ出すことあたわず、ということで。小学校の時に、今昔や霊異記を手にした。中学で「世界の民話」を見つけた。そして、じいさんの負債を代わって払うまでに、40年もかかりましたよ、と思うわけで-;。まあ、元はといえばじいさんの金だ、私は貧乏人ーー、と思うわけで-;。せいぜい頑張って金勘定したいと思います;。でも、読んでる暇は当分ないはずー;。

本日の日誌

本日も降りそうな降らないような雨っぽい一日であって。お外組はだいたいいつも通りに外の仕事をしていて。

私の方は、だいたい明日にはいろいろと書き上がりそうで。まあ、間に合うかな? と思う。

で、買った本も続々と届く。「中国の神話伝説」も2頁くらいは読む。で、今回はともかく、ブルフィンチと呉茂一はギリシャ神話の基本だから読むように、と言われるわけで。ブルフィンチはアメリカ人だけれども、若い人向けに西洋の古典の案内ともいえる入門書を何冊か書いているので、ギリシア・ローマ神話、中世騎士物語、シャルルマーニュ伝説を手に入れる。呉茂一はギリシア神話に関する著述の草分け的な人である。で、解説を更に読むために、ヘシオードスとアポロドートスを買っちゃったから、これ以上のものはないでしょ。ホメロスとか買う? とか思うわけで。ともかく、7番目の兄さんは、「人食いの話だけ削除して上辺だけ綺麗にした神話なんか読む価値がない」と言うわけで。呉茂一にはメーティスの話も、ザグレウスの話もあるからご満足では? と思うわけで。

で、世界には、「牡牛を退治する話」はいくらでもある。黄帝と蚩尤もそうだし、ギルガメシュとか、ミトラとか。でも、良渚文化では、豚もずいぶん神格化されていたから、「豚を退治する話」があっていいように思う。ケルトの中にはある。で、「インドネシア民話集」という本を買ってみて、ちょっと読んでみたら、「犬が豚を退治して人に変化して妻をめとる」という話があって@@。ちょっと形は崩れているけど、これは槃瓠神話の崩れですよねえ? と思う。おそらく、古代に苗族の一派が、国境を越えてタイやベトナムに移動したときに、一部が更にインドネシアまで移動して、槃瓠神話を伝えたのだと思う。何でも貪欲に食べてしまう「饕餮」というのは、やっぱり豚のことなんじゃん? と思う。

そうしたら、7番目の兄さんに、「人食いの化け物を退治する犬」とは「光善寺の早太郎」のことでしょ? と言われる気がするわけで@@。今昔物語には「美作国(現・岡山県)の中山の神である大ザルは年に一度、人間たちに女性の生贄を求めていた。ある年に中山近くの少女が生贄に指定され、家族が嘆いていると、そこへ訪れた若い猟師が事情を聞き、少女の身代りとなってサル退治の訓練を施した犬とともに櫃に入り、生贄に差し出された。やがて身長7,8尺(約2メートル以上)の大ザルが100匹ほどのサルを引き連れて現れたので、猟師は櫃から飛び出してサルたちを次々に倒した。残るは大ザルのみとなったが、1人の宮司に猿神が憑き、二度と生贄を求めないとして許しを請うたので、猟師は大ザルを逃がした。以来、生贄が求められることはなくなったという」という話がある。

伊那の光善寺という古刹には「昔、信濃の光前寺の床下で山犬が子犬を産んだ。光前寺の和尚は親子の山犬を手厚く世話してやった。やがて母犬は子犬達を連れて山に戻ったが、子犬のうちの1匹を寺に残していった。この子犬は早太郎というたいへん強い山犬となり光前寺で飼われた。ある時、光前寺の近くで怪物が現れて子供をさらおうとしたが、早太郎が駆け付けたため、怪物は逃げて行った。さて、その頃、信濃の南隣、遠江の見附村には、毎年、どこからともなく放たれた白羽の矢が立った家の娘を人身御供として神様に差し出差ねばならぬ恐ろしい仕来りがあった。これを破ると田畑が荒らされ、村が困窮しきるため、村人は泣く泣く矢奈比売神社の祭りの夜に娘を棺に入れて差出し、これを鎮めていたのだ。

延慶元年(1308年)8月、この地を旅の僧侶が通りかかり、神様がそんな悪いことをするはずがないと祭りの夜にその正体を確かめようと神社に向かい身を潜めていると、現れた怪物が「信州の早太郎おるまいな、早太郎には知られるな」と言いながら娘をさらっていった。僧侶は、信濃へ行き、方々を探しまわった末、光前寺の早太郎を見つけ出し、和尚から借受けた。そして次の祭りの日、早太郎は娘の身代わりとなって棺に潜み、現れた怪物と一夜にわたって激しく戦い、見事退治した。怪物の正体は老いた猿の化生狒々であった。 」という伝説があり、早太郎の墓がある。伊那は、金刺氏の重要な拠点の一つであり、光善寺の創建に金刺氏が関わっていないわけがないでしょ、と言われる気がするわけで@@。

金刺氏の子孫は「大」の字を珍重して、自分達は「大神(狼)」であると暗に言っている。そして、お寺というのは、そもそも先祖を祀るところでしょ。狼が、犬(狼)をお寺に祀ってたら、その犬は大神の先祖でしょ? と言われる気がするわけで@@。それは、暗に金刺氏が、「早太郎は自分達の先祖である」と言っているということ? 人食いの猿退治の早太郎とは、黄帝であり、槃瓠であり、ゲイのこと? ということは、今昔の猟師と早太郎も「同じもの」ですよねえ? と思う。要するに金刺氏は、自分達の先祖が人食いの神を退治した早太郎、すなわち槃瓠であり、黄帝であるものだと示してる。そういうことを言うのは、苗族、ヤオ族、ショオ族といった一部の少数民族と金刺氏だけである。みんな、5500年前に枝分かれした、契約ではない、本物の「兄弟達」なんだ? と思う。日本の伝承で猿退治をするのは、良渚文化の人々が猿を食べていたから、食べ物であった猿は神でもあったんだ? と思う。(というか古代の日本人も犬や猿は食べたわけですがー;)

そして、7番目の兄さんに、「これで金刺氏と黄帝が繋がったでしょ?」と言われる気がするわけで。それを探り当てるまでに、何十年もかかったんだけど? と思う。で、7番目の兄さんに、「ついでに自分の飼っている犬は?」と聞かれる気がするわけで@@。「パンちゃんでしょ?」と思う。というか、それも「槃瓠」のことなんだ? と思う。そして、「これで槃瓠と自分も繋がったでしょ?」と言われる気がするわけで@@。

私がまだ東京にいたときに、クリント・イーストウッドという人が、「グラン・トリノ」という映画を作って。これは、白いトラックがトーレドマークだったアメリカ人のおじいさんが、近所に住むモン族(ベトナムに住む苗族)の姉弟のティーンと仲良くなって。でも、お姉さんの方が不良に目をつけられてレイプされてしまって。家族は不良達が怖くて、何も言えないわけです。で、白馬の王子様ではなくて、白トラックのおじいさまであるイーストウッドが不良のたまり場へ乗り込むわけですが、丸腰で行ったのに不良に殺されてしまって。それで不良達は逮捕されてしまったので、地域は一時的には平和?になったわけです。弱虫だった男の子は、おじいさんの死を目の当たりにして、そうやって身を呈してでも大切な人を守れるような強い男になりたい、と思う話である。要するに、モン族の姉弟が、実の祖父のように慕う「白トラックのおじいさん」とは、「白馬の王子様」である黄帝のこと、モン族にとって、女性をレイプして生け贄にするような儀式を止めさせるために戦った遠い先祖の盤王の暗喩ですよねえ? と思う。槃瓠は同族に殺されてしまったけれども、その意思を受け継いでいる者もいます、ってそれはそう言いたいための映画ですよねえ? と思う。遠い、とても遠いけど、「本物の身内」からのメッセージだったんだなあ、と思う。しかも、イーストウッドはこの映画で、俳優業は引退する、と言っていたけれども、その後また映画に出てたはず。要するに、一度「俳優」として死んだけれども、また生き返ったっていう暗示だよねえ? と思う。でも、映画のことを思い出したから言うけれども、「黄帝」というのは、故人であって、そもそも金髪の人だったんじゃないの? と思う。中華思想の中で、その本当の姿が失われがちになっているけれども、たぶん白人であったのだと思う。だから、白人の印欧語族の中にも「英雄」としてその姿が残っているのではないでしょうか。

で、後は気になったのは、某三太郎のCMである。「大きくなった親指姫の鬼退治」って何? と思う。そうしたら、「親指姫」は乙姫、かぐや姫、織姫の母親でしょ。要するに「西王母」でしょ。現代の西王母とはイエス・キリストのことでしょ。イエス・キリストがいろいろな仲間を引き連れて鬼退治をする、ってそれは「イエス・キリストと彼の戦士達」の暗喩でしょ? とディアーヌ女神に言われる気がするわけで@@。でも、それは「黙示録」ってことでしょ? やばいんじゃないの? と思う。キリスト教にかぶれてる人は、すぐに「黙示録」とか「千年王国」とか言いたがるんだよね;、と思う。そうすると、別に彼らの考えに巻き込まれすぎる必要はないけど、あなたのことをそういう風に見ている人が大勢いるということも知っておくべき、と言われる気がするわけで。何が黙示録なのさ、細かな金勘定で必死なのに;、と思う。でも、CMの通り、「あなたは鬼がどこにいるか知ってるでしょ?」と言われる気がするわけで-;。さあ、そういうものは人の心の中にいるのではないのですかねえ? と思うわけですが-;。

そして、「世界の神話伝説体系」というすごい本があるわけですが。だいたい、日本の民話とか、1970~80年代に出版された本はものすごく多いわけで。それは私のための本であった気がするのですが。「神話伝説体系」は昭和2年に出版されたものであるので。本来は誰に読んで貰うための書物であるのか分かるはず、と言われる気がするわけで。それは、じいさんのことですねえ? と思う。見つけ出そうと思えば見つけ出すことはできたのかもしれませんが、能力のない者は結局は、自分が誰であるのかすら見つけ出すことあたわず、ということで。小学校の時に、今昔や霊異記を手にした。中学で「世界の民話」を見つけた。そして、じいさんの負債を代わって払うまでに、40年もかかりましたよ、と思うわけで-;。まあ、元はといえばじいさんの金だ、私は貧乏人ーー、と思うわけで-;。せいぜい頑張って金勘定したいと思います;。でも、読んでる暇は当分ないはずー;。

混沌とはなんぞや?

雨がしとしとと降るような,晴れるような天気であって。午前中は、雨が降らないうちに買い物に出かけて、梱包用のテープとか買ってきて。お外組は、午後を中心にずっと作業していて。

私の方は、雨樋とか細々と書いていて。

本関連の方は、もうちょっと親にお願いして、追加で買う。私が買い戻さなければならない本の中で、「千一夜物語」は良い本、と言われる気がするわけで。なんで? 中東の人達の民話だから? と思う。「千一夜物語」は、妻に浮気されて女性不信になった王様が、若い女性を毎日召し上げては、一夜妻にして,殺して腹いせをするところから始まる。街中の人が困ってしまうわけですが、シェーラザードという賢い女性が、自ら志願して王の妻になり、寝物語に面白い話を聞かせるので、王様は続きが聞きたくなってシェーラザードを殺せなくなり、千夜それが続いたので、ついに妻を殺す気がなくなってしまった、という話で、物語の中に物語が入れ子のようになっている話である。なんで、これが良い話なの? と思うと、「それは、ハイヌウェレ型の信仰が基盤にある物語で、一人の賢くて勇気ある女性が、自らの知恵で残虐な祭祀を止めさせ、自らが助かるだけでなく、犠牲になるかもしれなかった多くの女性達を救う物語であるので。そのように、賢く生き抜いて、自ら生きるだけでなく、多くの弱者を救って欲しい、という願いが込められた物語だから。」と言われる気がするわけで@@。そのようにあれかし、という願いがこもってるんだなあ、と思う。

で、「中国の神話伝説」という本に取り組んでいるわけですが、序章だけで100頁もある大作なので。本文に入っても、一日に2頁くらいしか読めない-;。まあ、作業の合間に読むのだから、そんなに読んでばっかりでは困るわけですが。で、古代中国には、「渾沌」という怪物がいて、これが「中央の天帝であった」とされることから、「黄帝のことである」と著者は言い張るわけで。その論理の展開が良く分からないので調べて見て。「渾沌」とは、「混沌」のことである。この怪物が、他の本に出てくる「帝江」という怪物に似ていること、また別の本に「鴻(江)氏(黄帝)に渾沌という子あり」と書いてあったことから、「渾沌とは黄帝あるいはその近親である」という説があるらしくて。

「荘氏」という書物に「渾沌は、目、鼻、耳、口の七孔が無い中央の帝である。南海の帝と北海の帝と仲が良く、渾沌は彼らをよくもてなしていた。何回の帝と北海の帝は、渾沌の恩に報いるため、渾沌の顔に自分達と同じになるように、と七孔をあけたところ、渾沌は死んでしまったという。」とあるらしくて。「孔をあける」というのは、「破瓜をしないと一人前の女性になれない」という漁撈民の信仰を思わせるわけです。しかも、もてなした神々に殺されてしまうというのは、オオゲツヒメですよねえ? 「渾沌」というのは、中国版のハイヌウェレのことなんじゃないのですかね? サトイモ(あるいは月)だから、目、鼻、耳、口がないんじゃないの? と思う。

で、ふと気になって、親に「サトイモって分蘖して増えるのか?」と聞いてみたわけです。そうしたら、「親芋から子芋が別れて出てくるので、収穫したらバラバラにして、食べたり、一部を次の年に植えたりする。」と言われて。そうやって、勝手に分けつして増えるサトイモは、古代の人にとってよっぽど神秘的な存在だったのですかね? と思う。蚩尤が殺されて、バラバラにされる、というのは、子芋を分けることを、「手や足を切り落とす」って表現したんだよねえ? と思う。

きっと「破瓜をする」ということも、「子芋を分ける」ということと関連しているのだと思う。だけど、ハイヌウェレとオオゲツヒメなら、その関連性も分かりやすいのに、ハイヌウェレと天帝? と思うわけで。サトイモが天帝になってしまう、古代中国の壮大な神話に愕然とするわけですが。まるで、なぞなぞのようだ、と思う。そんなにサトイモが大事なの? 米よりもよっぽど重要だった? と思うわけで-;。

ということで、古代中国の神話を私に解説されたら、孔子サマに負けないくらい、独自の解釈ができそうである。でも、やっぱり古代中国の神話と、日本の神話は近縁性が高くて、比較研究出来得るなあ、と思ったのでした。渾沌とは、結局ハイヌウェレであり、オオゲツヒメなんである。黄帝が生きた人だとするならば、その子供とかが、「自分は渾沌の神のシャーマン(代理人)である」と言って政治を行った可能性はあると思う。今でも、サトイモの代理人の気分なんだろうか、とかふと思ってしまうわけですが;。

で、夜にはMステを見る。ジャニーさんの追悼特集ということで、亀ちゃんを筆頭に、キスマイ、Hi Hi JET&美少年で、最後にはSixTONES、Snow Man, Travis JAPANとJrのお歴々が総出演であって。滝沢君らしいというか、何かにかこつけて、大勢の直轄の味方を「生放送で結縁させようとする」手腕は見事であると思う。一応正式な婿候補の亀の子と、メンバーの中に王族が2人もいるSnow Manと、将来の幹部候補のゆうちゃんですかねえ? と思う。これからもお世話になります、と思うのでした。でも、番組が終わって、トイレに行こうとしたら、「セクシーなおっぱい万歳」って言われる気がするわけでー;。頑張って薄着して良かったよ、というか何というか-;。明日も頑張りたいと思います。