本日の日誌

というか、本日は本日で「ヘンな日」だったわけですが。

なんというか、言葉というものはなんというか、物事を動かすときには、タイミングというか「状況」というものがあって、必要な状況の時に、その状況に相応しい言葉を投下すれば、状況というものは割と思うとおりに動かせるものなわけです。というか、時々私にはそういう状況に遭遇することがあって、そうやって実体験として、そういう経験を積んできたからそう思うわけで。でも、別に先に起きることが読めるとかそういうことはないので、そういうことは私にとっては、突発的に起きて、その場その場で対応してきたように感じるわけで。そうやって物事をある意味、思い通りに動かすことはできるわけですが、でも、なんでも自分の好き勝手にできるかというと、そういうのでもないわけで。できることと、できないことの違いが何かと言われても、それも自分では良く分からないわけですが。でも、私の分身の蛙の子は、「みんなが揉めないように、不満ができるだけ出ないように言葉を使うのはとても大切で大変なこと。」って言うわけでですねえ。で、蛙の子も、私自身もそうですけれども、そういう言葉の使い方、というのはけっこう特殊であって、そういうことができる才能みたいなものは割と「自分にしかできないもの」みたいな気持ちがどこかにあるわけで。古代ギリシャにおけるアテナイの「弁論術」というのは、古代の民主主義と大きな関係があって、「いかに聴衆(他人)を納得させるか」ということが大切なわけです。(「いかに他人に真実を伝えるのか」っていうことじゃないところが、ギリシャ的って言われそうな気もするわけですが。)で、「弁論」というものが伝統的に大切にされる西洋では、アリストテレスの著作である「弁論術」は、知識階級の一般教養的な書物に入るものらしいのですが。私自身はギリシャ哲学なんかには全く興味がないので、そういうものには触ったことがないわけで。でも、生きている間、戦乱があまり起きなかったのに、死後国が乱れた、という女王卑弥呼の「目の力」がいかなるものだったのか? って聞かれる気がするわけで。どうにも、私の蛙の子の方が、「前世」とやらは私よりも良く覚えているようですので、ご当人が言うように「みんなが揉めないように、不満ができるだけ出ないように言葉を使う。」ということだったのでしょうねえ?? と思うわけで。アリストテレスが纏めた「弁論術」の思想は、女王卑弥呼の中に受け継がれて、「争い事を起こさないように」という点に重点が置かれて使われていた気がするわけですが、どうにも私レベルまでくると、その思想が「ファンクラブをいかに揉めさせないか」という点に横滑りしてる気がするんですけれども? と思うわけで@@。そういう世界から「足を洗ったつもり」って言うのは伊達ではないねえ? って言われる気がするわけで@@。他人を言葉面で騙して、自分だけいい思いをすればいいや、っていうイエス・キリストみたいにならなくて良かったですよねえ? と思うわけで。

で、女王卑弥呼は、夫を持たず、弟王が補佐をしていた、とのことなわけですが、だいたい古代世界の、特に王族階級の異性の姉弟というのは、日本の慣習からいえば暗に「夫婦」を指しているのも同然なわけで。で、卑弥呼は宮殿の奥深くに閉じこもるようにして暮らしていた、ということで、「ただ一人の男子だけが飲食を給仕するとともに、彼女のもとに出入りをしていた」って魏志倭人伝にあるらしくてですねえ? 実際には、それほどでもなくて侍女とかもいたでしょうねえ? と思うわけですが。ともかく、そういう記述があることに、今日ふと気が付いたわけで。今なら、誰が卑弥呼の生まれ代わりで、誰が弟王の生まれ代わりで、誰が「身の周りの世話をしていた男子」の生まれ代わりなのか言える気がするのですけれども? と思うわけですが。それで4番目の子も割と特別な立ち位置にいるのですねえ? と思ったわけですが。魏志倭人伝に登場して、国際的な文書で、その存在がなんとか確認できる最初の3人の日本人ですねえ? と思うわけで。まあ、それ以上のことは何とも言いようがないわけですが。

でもって、例によって「女性セブン」なわけで。買ってしまったから、まあ、名前出してもよろしいでしょう、ということで。だいたい、2,3日前から、「気に障ったらごめん」って言われていた気がするわけで-;。しかも、みなさまの気遣いが激しい上に、今夜のMステでは関ジャニ∞が「言ったじゃないか」をご披露、ということで、どうにも気になることが書いてあるんだろうな、という予感はしていたわけでーー;。で、まあ、午前中からネット上でもほぼ全文は読めたので、なんとなく内容は分かっていたわけですが。実際に読んでみた限りでは、確かになんとコメントしたらよいやら? みたいな感じであって-;。

なんというか、大まかにいうと、「3部」に別れている内容であって。まず、冒頭部分が、ネット上で、結婚後もフッキーに対する福山君のファンの風当たりが止まない、というような内容であって。まあ、一部引用すると、「ツーショットはみたくない」とか、そういう書き込みが拡散していて、「どれも吹石さんを誹謗中傷するような、根も葉もない噂話ばかり(by 芸能関係者)」というようなことが、女性セブンに書いてあったわけで。別に「(結婚相手との)ツーショットはみたくない」って言われるのは福山君だけではないような? というか、それは「誹謗中傷」ではないでしょうが、ということは突っ込めるわけで-;。普通に誰かの熱心なファンならそういう反応を示すでしょ、石井が再婚した時もそういうこと言ってる人はいっぱいいたよ? と思うわけで-;。で、まあ、あとはフッキーのことを「許せない」とかって言っている人もいる、ということのようで。でも、まあ、フッキーのファンなら逆に福山君のことを「許せない」って思う人もいるかもしれないし? ということで、これも「誹謗中傷」ではないでそ、むしろ「誹謗中傷」というのは特定の個人を「動物」とか「食物」に例えるとか、そういうこと? とかそういう突っ込みができる気がするわけですが、まあ、そちらにも深入りはしたくないわけで-;。で、なんで、ネタの出所を「芸能関係者」ってぼかすのさ? 同じ小学館から発売されている「週間ポスト」では名前が出てた気がするのですけれども、その人、と思うわけで-;。

で、冒頭部分が、こんな感じであって、肝心の主要な部分は、「最近」、「怪文書」が出回っているということで。まあ、たいていは「福山君とつきあっていた」とかそういう内容らしいのですが。そういうものの実例が「3通」ある、ということで。で、こういう怪文書が「ワイドショー関係者や事務所などに届いている」というようなことらしいのですが。でもって、どこから突っ込むべきか大きく悩むわけですが、セブンは以前に福山君の女性関係のネタの報道に関して、事務所からけっこうな抗議を受けていたことがあるらしいので、まあ、事務所からのリークはないでしょ、というか、たいして誰の中傷にもならないような「恋愛妄想的ファンレター」を事務所関係者がいちいち外部のメディアに漏らすようでは、むしろ「個人情報の取り扱い」で、了承もなく漏らすべきところでもないところに漏らした、ということで問題になる気がするのですけれども?? と、それはまあ普通にそう思うわけで。まあ、結論からいえば、「ワイドショー関係者」に届いた「お手紙」でそ? と思うわけで。それが、事実であるか否かを調べて報道するのが、メディアの仕事では? と思うわけで。別に福山君のことにかかわらず、ガセネタを仕込んで話題になろうとする人なんてけっこういるんじゃないの? としか言いようがないわけですが-;。

でもって、結論の部には、「福山さんも(こういう)自体を重く見て頭を抱えているようです。(by 芸能関係者)」とあるわけで。何故、自分の名前を伏せるの、この人? とかいうことは置いておいても、普通に考えて頭が痛くなるのは、こんな芸能レポーターなんかに、妙な手紙を送りつけられること、ではないのか? という気がするわけですが-;。後はまあ、フッキーは、こういうヘンな手紙を送りつけてくるファンが怖い? らしい? のですが。まあ、そんなに恐がりさんなら、10代のうちから男にしなだれかかっている写真を雑誌に掲載させたりしないでそ、そういう方面に関してはどんな反感をどっから喰らおうが、何とも思わないタイプと思われ、って言ってもいい? ということで(苦笑)。(私が高校生の時なんて、同じクラスの男子と話すのも気後れするような感じだったのに、というか、女子が全体の1/3しかいないようなほぼ男子校に行っていて、そんな状態だった私も何だったのかしら? とは思うわけですが。っていうか、俳優さんとか女優さんはラブシーンとかも平気でやらなきゃいけないわけで、そういう時にいちいち相手のファンの反応で右往左往しているようでは、そんな仕事できないでしょ? って思うわけで。そんな点は割り切って、神経太くなるのがむしろ当然かと思うわけですが。)

ともかく、「言葉」というものに対して、独特な感性を持つあたくしとしましては、わざわざ怪文書が「最近」出回っている、と「最近」という2文字がつけられている点に愕然とするわけで。「最近」でなく、古くからのものについては「怪文書」の範疇に入らない、という暗な行間の含みと、「ファンなら妙な迷惑な文書は書くな」という露骨で、福山君とはやや離れた立ち位置から発せられている風を装っている表現とが感じられる部分については、むしろ「ぞっ」とするばかりという以外に言いようがないわけで。

この記事が出た直後に関ジャニ∞だし。しかも、セブンの別のページの嵐の記事に、全然違うネタで、嵐の松本君がV6のコンサートに出演する際に「頭を抱えた」とか言う記事があって。今週号では、頭を抱えている人が二人いますねえ? と思うわけで-;。しかも、福山君は12月23日に、「福の音」というタイトルのベストアルバムを出すらしくてですねえ。これについては、すぐに気が付かなかったわけですが、某悪口掲示板にヒントが書いてあって、「福音」というのは、「イエス=キリストによってもたらされた人類の救いと神の国に関する喜ばしい知らせ。」ということであって、しかも発売日はサートゥルヌスの祭祀の日だし、ということで。12月23日に世に出る「福音」は、どの「イエス・キリスト」の誕生を世に伝えるためのものなのですか? というか、丸っきりこんなネタばっかり、という点に愕然とするわけで@@。もちろん「破暁」が入ってるから、通常版を買いますけれども? と思うわけで。で、いろいろと思うのは、某悪口掲示板で、結婚を見越してライブを連発した、とかそんな感じの書き込みなどにたいしてであって。なんというか、芸能人のお仕事というのは、打ち合わせとかリハーサルとか、表に出てくる以前の仕事もものすごく多いわけで、しょっちゅう表の世界で見かける人というのは、見えないところでも相当働いているわけで。それだけ働いても、表での露出を増やしたい、というのは、そこでしか結縁できない人と結縁し続けるため、というのはものすごくある気がするわけです。かつての石井も、ここ1年くらいの福山君と、それこそ「同様」なくらいに働いていたわけで。そうして露出と話題を作り続けなければ、「結縁できない存在」というものはこの世にある気がするわけで。しかも、ライブは来ちゃだめ、有料の映像媒体もほぼ厳禁、っていうと福山君の方がそれでも不利なんだよね、と思うわけで。いろんなことが計算と意図の上で動いているとしても、それは単純な「個人の結婚」という点を主軸にして動いているのではない気がするわけで。(そして、全然余談ですが、右手の人差し指で「天を指す」ポーズというのは「唯我独尊」のポーズだと思うわけですが。まあ、「No.1じゃなくて、オンリーワン」でしょ。ということで。)