今日は佐世保の事件について書かなければいけないような気がする。いろんなところで、記事を見かけるから、と思うわけですが。
といっても、私は児童心理学の専門家でもなんでもないので、まあ、医学部で6年間、単位が取れて国家試験に合格する程度に精神科の勉強をしたことがある程度の身で、ということで。
犯罪行為というものは、たとえ大人の犯罪であっても、法律的な責任と、社会的というか環境的な責任が多かれ少なかれあると思います。で、この件で、誰が一番責任があると、私が考えるかといえば、それは父親であると思う。確かに父親は早稲田を出て、弁護士で、社会的地位もあるかもしれませんが、妻が癌で、死が確実な病にいるときから浮気、かつ死ぬと、「待ってました」とばかりにデキ再婚というのは、子供がいないならまだしも、精神的に不安定になりやすい思春期の子供がいる身で、することではないと思う。母親を失って、それだけでも傷ついている子供を、家賃5万程度のマンションに一人暮らしさせるというのも、個人的には納得できず。家賃50万で、何くれとなくマンションの管理側が子供の様子を見てくれる、という配慮があれば、ま、顔も見たくない継母と引き離して一人暮らしさせても、親の所行として許せるかな、という気がします。だって、父親がやり手の弁護士なら、できないことじゃないですもの。
どうもこちらのご家庭は、父・早稲田&母・東大カップルということで、しかも、お兄さんも親の期待に添えるほど優秀、ということで、そうならなければならない、というプレッシャーはきっと妹の方にも子供の頃からあったのだと思われます。しかも、スポーツも優秀、ということは、それだけ活動的な家系ということで、しかも、父親は
どうみても一般常識的なこらえ性が無い直情的なタイプ
にしか見えないので、そのエネルギッシュな性格が犯罪に向かず、司法試験の勉強とか、弁護士事務所の経営とかに精力的に取り組む姿勢に結びついている内は良いけれども、女性関係にろくでなしになるのは、それは「一般常識的にどうなの?」ということになるわけで。おそらく、そういう父親譲りの直情的な性格が、一番向かってはいけないところに向かってしまったのが、今回の事件であると思います。
子供の頃の、給食異物混入事件も、勉強のしすぎとか、そういうことで友達と口論になったのがとっかかりということですので、勉強に関する親からのプレッシャーというものは、当人が感じていなくても、当時からもうあったのだと思います。小学校6年生といえば、もうその子の勉強に関する能力もある程度分かってきて、将来の職業とまでいかなくても、進学先くらいはいろいろろ具体的に見えてくる時期だと思うから。ただ、子供というのは、そういう親の期待を、プレッシャーに感じる面もあるし、期待に応えて褒められたい、いい子でいたい、という自分自身の思いもあるわけで、そういうバランスの取り方が自分自身ではまだ未熟な時期ですから、勉強で親の期待に応えよう、という思いと、プレッシャーに感じている思いの二つが、友達の言葉でバランス取れなくなって、爆発してしまったのが小学校の時の事件なのだと思います。社会に出て、事業でも興したら成功しそうな攻撃性が、やってはいけないことに向いているわけ。人格的に未熟だから、それを止めるだけの分別が自己の中に形成されていないのです。で、その時にお母さんがずいぶん庇ってくれたようですから、そのこともちゃんと覚えていたと思われます。家の中で母子でどういうやりとりがあったかは分かりませんが、
お母さんはいざというとき、常識を曲げても自分を庇ってくれる存在である
と判断する程度の能力はあったでしょうし、ちょっと周囲からは、危うく見えかねないそんな母子関係でも、以後は特に問題を起こさずに進学校に進学できるまでになったのですから、何とかバランスがうまく取れていた関係だったのだと思います。(むしろ、この事件の時に家庭的責任能力の乏しい父親がどう立ち回ったのかも知りたい気がするわけですがーー;)
でも、そういうお母さんが亡くなってしまったわけで、自分が悪いことをしたら庇ってくれるお母さん、そしておそらく、自分が悪いことしたら誰よりも悲しんでくれるであろうお母さんが亡くなってしまったこと、そして父親のどうみても家庭的とはいえない行動が、事件の動機ではないかと個人的にはそんな気がします。
この事件で、まず、特に印象に残っていたのが、この子が犯罪を起こした直後に、2ちゃんねるだかにそのことを書き込んでいたことで、それを知った時に、なんというか
「誰かに構って欲しい、っていう孤独感が強い子だな。」
と強く感じたわけです。そこにあるのは、友達を殺して自分だけのものにしてしまいたい、という歪んだ孤独感から生まれた独占欲と、そして、良くない方に中途半端に小賢しいと思うのですけれども、父親に対する復讐心、あるいはもっと子供っぽい言葉に言い直せば、「父親に構って欲しい気持ち」とか、そういうものがあるのだと思う。実際父親にはけっこうな殺意も抱いていたようですし、そういう気持ちをむき出しにすればするほど、親との距離が遠くなる、ということには気づけないし、理性でも判断できないほどには、子供なんだと思う。親にちゃんと構って欲しくて、でも構って貰えないから、怒りを感じて殺そうと思うのではないでしょうか。そして、親を殺そうとして失敗したから、それがもっと容易に可能になる方向に、一番良くない形で向かってしまったのだと思う。彼女の行為に対する、社会的・環境的責任を追及するのであれば、そんなことになるのかな、と感じます。
高校生といえば、年齢的にはまだまだ未熟なところがあっても、仕方がないかな、と思う。しかし、自分が高校生の時のことを考えれば、人としてやっていいことと、悪いことの最低限の分別もあって当然の年齢だとも思うので、難しいな、と思います。しかし、やったことを考えれば、最低でももっと社会生活が普通にできるようにする手助けは必要であって、服役するとしても、少年院に行くとしても、そこが最大の問題点とはなるのでしょう。ともかく、子供に愛情のあんまりなさそうな父親に、「必要以上の期待なんか持たないで、精神的にとっとと大人になって自立すること」を誰かそれこそ「専門家」とやらがしっかり指導してあげれば良いのではないのでしょうかねえ? ってそんな気しかしないわけですがーー;。