本日の日誌

昨夜は特に夢も見ず。本日も現場に出かけて、せっせと土台の下を掘って。そろそろ西側の壁を全面的に埋め始めたいので、奥の方を整理するべく、土を詰めながら壁に張り付いている石を落としていたら、妙に石が詰まっている部分があって、そこをほじくり出してみたら、更に奥にタール土が埋められていて-;。掘ってみたら、例の汚い空き缶の辺縁に残っていたものの続きらしかったので、できるだけ細かい石をほじくり出してきれいにしてから土を埋めて。小さなバケツ1杯分の土を埋め戻そうとしてバケツ4杯分くらいの汚い土を掘る羽目になって-;。でも、これでだいたい西側は終わって、奥の突き当たりの壁から東側へと移っていけるかな、と思って。

でもって、「音楽修行」の方も。細々と続けられてはいるわけですが、シンセサイザーで、人工的に作られた音に触れていると、そもそも西洋には、古い楽器をどんどん改良していく習慣? みたいなものがあって、コンピューターを使う時代になると、実際に使っている楽器(ピアノとかリコーダーとか)だけでなくて、電子的、というか電気的にも「音」を作るようになって、それは現実に自分では弾きこなせい楽器の音に似せた音を作って、代用として使用したり、楽器には「音域」がって、出せる音階に制限があるわけですが、人工的な音には出せる音階に制限がないので、作れる曲の音の幅が拡がる、とかそういう利点があるわけで。それ以外に、現実の楽器では出せない音を出したい、とかあるわけですが、特に西洋では、古い楽器をこつこつを改良していた時代から「音」とは「作る物」という考えが強いんだな、と思って。だから、コンピューターとかがない時代には、ごく古い時代の楽器は素朴なものでも、時代が下るにつれて、大きな音を出せたりとか、たくさんの音階を使用できるように、楽器は大型化する傾向があって。で、現在は音響から音作りまで、たとえ「楽器」を使用していても、本格的に「音楽」をやりたかったら、「コンピューターによる音作り」というものは欠かせない時代なんだなあ、と思って。だから、現代では、ピアノ一つとっても、ピアノを作っている会社とか、種類とか何種類もあるし、それぞれに少しずつ音が違うし、更に本格的にやるなら、コンピューターでどんな音に加工するのかまで入れて、ものすごく莫大な種類の「音」があるんだな、と思って。そういう中から、自分が使いたい音、自分が好きな音を見つけて作っていくのが、「現代における音楽」らしいのですが。で、なんで今になってそう思うのかというと、そもそも最初に買った古い楽器の音源を使おうと思ってもうまくいかなくて。なんだか、音が2重に聞こえたりとか、仕上がりが思ったようにならないわけです。でも、最近は音を出すソフトの使い方にも慣れてきて、そうなったらそうなったで、「一番最初の音源は、ノイズを削除して、音域も自分で設定して使え」って言われる気がするわけで@@。「音の調整くらい、メーカーの方でやれよ。有料の音源でしょ?」と思うわけですが、これもまた「修行」の一環ということで-;。音源を配置しなおしたりとか、もう「音楽が趣味」というよりも、音に関する「エンジニア」的な領域に首を突っ込んでいる気がするわけで-;。でも、音楽とか楽器というのは、元々人と人を繋ぐものであったり、人が神に捧げるモノであったりして、そういう文化は中東とかアフリカに強く残っているのですが、そういうものだからこそ、味方が味方の神に捧げる音楽は買っても良いけれども、敵が敵の神のために奏でる音楽は、どんなに良い曲に思えても耳を傾けてはいけない、ということのようなのですが。

で、家に帰ってきてからは「ニノさん」のスペシャルを見て。ゲストが亀梨君だ-、と思って。どうも、テレビというのは、「目の力」を貰うモノで、あんまり内容とかは気にしていないので、見て、それなりに面白くて、見たら内容は忘れてしまうようなものが一番気楽で好きなわけですが。そういう点で、「ニノさん」はけっこう好きであってー;。見ながら、「亀の子の笑顔がかわいいー」と思ったら、「隣に座っている男は可愛くないんだ?」って突っ込みが入るので、「怖くて何も言えない(汗)」と思うわけで-;。二人の間にも微妙な空気が流れている気がするし、ひな壇の女性陣は「『男が嫌いな男』ってお題にすればいいのに」って呟いている気がするわけで-;。男性同士の妬みとかそういうのもけっこう怖い気がするわけですがー;。このところ、編成期の特番が多くて、嵐の番組が逆に減っていたので、6番目の子が割と寂しがっていて。今週辺りから、嵐の特番もどんどん増えるよねえ、ということで。今日はなんだかそんな一日だったのでした。