本日の日誌

昨夜は特に夢も見ず。工事の人が入る予定なので現場に出かけて。で、ともかく穴を埋める時には、奥の方から埋めて行かなければならないので、奥の方をまず掘ろう、と思って、木の枝が埋まっているところを掘り出したら、すぐに大きめの石が顔を出してきて。木の枝の上にしっかりと乗っかっているので、それを取らないと枝も掘れなくて。で、バールも使って掘り出して。その上には更に小石、アスファルトの塊、コンクリートの小塊、針金、ビニールのゴミ、ガラスなど目白押しで乗っていて。で、親には「丁度そこが家の「中央」なんじゃないの?」と言われて。そっかー、ちゃんと計算して掘ってるんだなあ、と思って。職人さん達は、何度もなんだか「指示を貰う」振りをして、土台の下を覗きに来るわけで。で、大きな石が出てしまったら、「午前中は用事があるのでこれで帰ります。」と言って帰ってしまうわけでー;。見張りに来ただけなんだなあ、と思ったのですが。今日は、家の西側の境界の整備だけなので、親に監督して貰えば充分かな、と思って、自分は穴の中の土の片付けに専念していたのですが。奥の「家の中央」だけではなくて、丁度廊下と階段の境界の辺りに、たくさんの石が詰め込まれているなあ、と思って。それも計算されているのだろう、と思ったのですが、ともかく、石を掘るのがけっこう大変であったので、だいたいご飯一杯分くらい、余計に食べてきて良かったな、と思って。

体重の方は、最近どうにも痩せてきてしまって自分でも「困ったな」と思っていて。兄さん達からも、私のベストではないことは自分でも分かっているのだから、もう少し戻さないといけない、って言われる気がするわけで-;。夕方近くになって、ふっと1番目の子が降臨してきて、「糖尿病で一番怖いのは低血糖発作だって、自分でも良く分かってないでしょ。」ってお説教されるわけで@@。「出たな、専門医。」と思ったのですが-;。どうせ、私はしがない病理しか知らない人なので、それは専門外ですよう、と思うわけですが-;。だいたい、うちの親の、どうにも軌道修正できないところは、「糖尿病」の定義というものが、全然理解できていないところ、にあるわけです。なんだか、漠然と「尿に糖が出るのが糖尿病」って思っていて、世の中には「糖尿病な人」と「糖尿病ではない人」がいて、「糖尿病な人」にはいろいろとろくでもない症状が出てくる、とかって漠然とそう思っているだけ、ということで。大雑把に言えば、それも間違いではないわけですが、でも「糖尿病」の人というのは、「糖尿病」という定義がそもそも「血糖値が○○以上になる」という状態を示しているものだから、血糖値が一過性に高くなるだけの軽度の人もいるし、常に高くて身体にとって危険な状態の重傷な人もいるし、ってものすごく幅の広いものですし、そうなる原因も血糖を調整するインスリンが先天的に欠乏している人、とか後天的に食べ過ぎでそうなる人とか様々なので、人によっても、状態の程度によって治療方法は異なるものなわけで。1番目の子からは、「そもそも自分達が「糖尿病」ではない、って分かっているよね?」と言われるわけで。私は分かってるよ、母親は分かっていないけど、と思うわけで。ともかく、母親の基準では、「尿に糖が出るのが糖尿病」なので、何故かその延長線上で、私や姉が「尿に糖が出なくても糖尿病、だって父親が尿に糖が出るから」ってそうなっているわけです。学生時代に軌道修正は試みたわけですが、そうすると「だって、私は出ないもん」とか、そういうことしか言い張らないので-;。その発言の意味するところも良く分からないわけですが、「どんな人でも体の構造的に、血糖値が上昇すれば尿に糖が出るものなんだよ?」って説明するわけですが、「私は出ないもん」で終わりなので-;。あなただって、高濃度のブドウ糖を注射するとかすれば、尿糖は出るし、人間とはそういうものなんだよ、って言っても、「私は出ないもん」だからー;。もうその時点で、まともな会話が成立しないので、学生時代にそもそもその話題を私の方から投げ捨てているわけです。何を言っても、「まともな知識」を受け入れる気が相手にないので-;。でも、私は基本的には、誰も「糖尿病」である、とは思っていないので。父親だけがそれに近い病態(しかもごく軽度)であるのは、それは加齢と長年の暴飲暴食がたたっているからなわけです。うちの母親の困ったところは、「膠原病を発症しても、誰もそれを糖尿病とは呼ばない」ということが理解できていないことなわけです。だから、それに近い症状が出てくると、なんでも「糖尿病、糖尿病」って大騒ぎするところなわけで。姉と父親の場合は、原因的にそういう解釈であんまり間違いはないわけですが、「糖尿病」という観点からいえば、そう言えるか言えないか、という軽度の問題であることが理解できていないわけです。だから、専門的な意見を求められれば、私はそれを「糖尿病」とは呼ばないし、1番目の子もそうは呼ばないだろうな、と思う。でも、二人を病院に連れて行くときには、糖尿病の専門医に一応連れて行くのは、糖尿病としての軽度な治療(軽度な食事療法)で病態が改善するって経験的に知っているからなわけで、便宜上そうしてるのであって、別に「糖尿病」だなんて思ってませんとも? と思うわけで。だから、それをやっても改善しなければ、当然「膠原病」の専門医に連れて行くくらいの分別は、私にはありますけれども? と思うわけで-;。

でもって、親に分かっていないことはもう一つあって、治療食としての「食事制限」とダイエットのための「食事制限」の区別が全くついていないわけで。1番目の子からは、「糖尿病の食事療法は辛い」っていう意味が、そもそも私自身にも分かっていないよね? って言われる気がするわけで@@。そういえばそうだ、「食事療法」というのは、「血糖値を一定に保つためのもの」であるので、カロリー計算も厳密だし、結局インスリンの投与と併せて、食べたくても食べたくなくても、血糖値の維持のために、一定の間隔で決まったものを食べなければいけない、というのが本来の古典的な「糖尿病」の治療法だー、って思い出して。どうも姉と父親の性格傾向からして、「食べたいものを我慢しなければいけない」というのが我が家の食事療法になっているので、本来的な「食事療法」の意味を、私も母親も見失ってるよね、と気が付いて。だから、子供の頃からそうなわけですが、父親が糖尿病だから、療法食を食べさせなければ、っていうと子供達にも同じモノを食べさせるんだよね-;、というのが昔からあって。成長期の子供には、それなりに栄養価の高いものを食べさせなければいけない、っていうそういう知識が母親には欠落しているわけです。なんでなのかは分からないわけですが-;。で、今回の騒動の発端は、姉が親に隠れて御菓子を下痢がするまで食べ過ぎていて、異常を来した、ということがあるわけで-;。だから、治療が必要なのはその人でしょ? と思うわけですが、うちの母親の慣例からいって、私の食事まで勝手に減らしてくれるわけでー;。おかげで痩せてしまって困っていたわけですが、なにせ疲れて帰ってくると食欲もないことが多いので、あんまり口にする気もなくてー;。でも、昨日は体力的に食事をする余裕があったから、今までやられてきた出鱈目な食事制限の弊害が一気に出たな、と思って-;。

だいたい、昨日寝てから、お腹が空いているだけではなくて、ものすごくトイレに何回も行きたくなるわけで。要するに頻尿が来たわけです。で、確かに「糖尿病」の症状に「頻尿」は来るわけですが、そもそも「多飲」と「頻尿」が何故来るのかを、私自身は分かっているよね? と聞かれるわけで。「多飲」は高血糖の結果、血糖値を下げようとして来るのです。でもって、「頻尿」はその逆で、低血糖の結果、血糖値を上げようとして来るのです。糖尿病で血糖値が乱高下する人は、高血糖と低血糖の落差が激しいので、「多飲」と「頻尿」が来るんだ-、と思って。だから、ご飯を食べているときには、割と水は良く飲みます。そして、お腹が空いている時には、トイレに良く行きます。「糖尿病」ではなくても、そういう傾向が強い体質であることは事実だから、と思って。そうしたら、兄さん達に「糖尿病の症状のうち「頻尿」について書いてることを調べて見るように」って言われて@@。それで、調べて気が付いたわけですが、「糖尿病」には「多飲」があって、その反動で「頻尿」がある、って書いてあるわけです。要するに、水を飲み過ぎるから、出過ぎる、みたいに書いてある。でも、それってヘンだよね? 上がった血糖値を下げるために「多飲」があって、その結果血糖値が下がって、正常を維持できたら、水分は過剰ということにならないから、どんなに水を飲んでも「頻尿」は来ないはずです。何故なら、「多飲」は体が水を欲するから起きるのだし、「頻尿」は必要でないから起きるわけで、それ自体は病気ではなくて、「生理現象」だから。血糖値が高い人が多飲にならなければ、高血糖発作で死ぬので、それは生体の正常な防衛反応です。だけど、そういうことを説明している教科書は全くなくて、「糖尿病は多飲と、その結果の頻尿が来る」って、まるで「多飲」と「頻尿」が異常な病態であるような記述しかされてない気がするわけで。ど素人はまずそこに「騙される」んだなー、と気が付いて。どうにも「糖尿病」というものについては、うちの母親ですら妙なことしか言わないので、説得も放棄しているし、正直話をするのも苦痛なわけで-;。でも、おかしいのは母親だけではなくて、そもそも教科書に書かれていることも出鱈目三昧すれすれだし、無知な人が読んだら誤解するしか無いような書き方がされているわけで。しかも、糖尿病と膠原病の関連性について、きちんと記載された書物なんて見たこと無いよ、少なくとも私の学生時代には「なんか関連あるかも?」みたいなことしかなかったし、と思うわけで。糖尿病は炎症反応を惹起されるので、人によって膠原病(要するに筋肉とか皮膚とか関節の炎症反応)が惹起されても不思議ではない、っていうそういう当たり前の常識的なことはどこにも記載されていないわけで-;。「糖尿病」という病気に対する「悪意」というものは、それこそワールドワイドに徹底しているよねえ? と思うわけで-;。だいたい、食事療法とは「血糖値を一定にさせるため」に行うものなわけだから、痩せて困っている人に対して、何の根拠も無く「太っている」って決めつけて血糖値も維持できないほどの食事しか与えないのは、殺人行為に等しいし、昨夜は頻尿が来て、いつにないほどきつい「低血糖発作」が来てた、って警告が来るわけで。「このまま好き勝手に出鱈目をやらせておいたら、母親に殺されるぞ。ただでさえ、血糖値の維持が難しい体質なのに。」って言われるわけで。斎宮の宮やケイトの警告を無駄にしないように、って言われる気がするわけで。どうにも、その二人は最近「拒食症」だのなんだの、って話題になるわけですが、それはもしかして「ちゃんと喰わせて貰ってないぞ」っていう警告のこと? ってふと気が付いて。しかも、通常時ではなくて、肉体労働をせっせとやらなければならない時期なのに? と思って-;。

だいたい、「糖尿病」に関する罠は、あちこちに散らばっていて、とある週刊誌に、なんだか「女性の手記」みたいな感じで、「子供を糖尿病で亡くした」という話が載っていたわけ。で、子供の異常の始まりは、高校生の子供が、甘いジュースを一晩に2,3リットル飲んでしまう、というものだったそうで。で、後に糖尿病だと判明して、入院治療させたけれども、重症だったために死んでしまった、とそういう話だったわけ。で、最後は網膜症? で目も見えなくなっていた、とあって。それで、「嘘の話をでっちあげてるな」と思って。確かに、喉が渇いて「甘いジュースを一晩に2,3リットル飲んでしまう」というのは、糖尿病では危険な症状だと思う。というか、普通は「多飲」は水を欲するので、甘い物を飲みたがる、というのは、普通の「多飲」ではなくて、すでに「甘い物を口にしても血糖値が上昇しない状態(治療をしていない糖尿病としてはごく末期的症状)」なので。そういう段階で網膜症を生じていない人は、その後の治療で網膜症が生じることはほぼないと思われるわけです。なぜなら、もうそこまで重症になると「高血糖」は起きようがないし、網膜症は「高血糖」に係わる病気だから-;。母親が心配しているのは常に、網膜症とか関節炎、筋炎、皮膚炎、といった「高血糖」に関するものばかりで、「低血糖」から来る症状に対しては「飴でもなめさせておけばいい」とかってそういう知識しかないわけで。それはあくまでも「非常時の手段」であって、「食事療法」は「低血糖を避けるためのもの」ということが理解できていない、要するに、通常の食事で血糖が維持できている人に、嘘をついてダイエットさせるようなことはしてはいけないのに、それが分かっていない、って言われる気がするわけで。

でもって、ここまでいろんな動画を見て日記を書いたら、丁度嵐の動画であって。そして、ふっと「時計を見るように」って言われて見たら、丁度12時だったわけで@@。今日は「NEWS ZERO」の日なのに、「やられたー@@」って思って-;。6番目の子と守達神は「それで当然」という顔をしてるし、その人達本気で「蛙の王家」と私を切り離すつもりでしょ? と思うわけで-;。たぶん、土台の下を掘れば掘るほど、蛙の人たちの声は届きにくくなって、蛇の人達の声が届きやすくなるのだと思う。その結果がこれだー、翔ごめん、と思うわけで-;。どうにも杵築の宮司の送り込んで来る「力」が強力すぎる。富の王家と杵築の神職が組んでやろうとしていることは「大国主命の奪還」だし、杵築大社は、古式ゆかしき秘宝や呪法をほぼ完全な形で現在にまて伝える数少ない神社なので、その二つが兄さん達と組んで、蛙の人たちを大圧迫してるでしょ? と思うわけで-;。月曜日は何かにつけて大荒れになるぞ、よくよく気をつけないと、と思ったのですが;;。

でもって、昨日は健人君のお誕生日、ということで。「おめでとうございます<(_ _)>」となるのですが。23歳か-、そもそもその年齢を聞いただけで、どういう感想を持ったら良いのか良く分からないわけですが-;。なんで名乗りを上げる気になったのですかね? っていうか、それを聞くのも失礼なのかも? とか、そういう感じなのですが;。これからもご活躍をお祈りしています、ということで<(_ _)>。