本日の日誌

本日は、書類をやって。教科書も何とかノルマの範囲で読んで。で、朝から昨日の「堂本兄弟」を何度か見て。そうしたら、7番目の兄さんに「古い家の建築確認申請の副本はあるけれども、検査済証は?」と聞かれてショックを受ける。親に聞いたら「無くしたかもしれない」というので、「申請した記憶はあるのか?」と聞いたら、「ない」というので、「は?」と思う。申請した記憶がないから、「なくしたかも知れない」ということに根拠が全然ないじゃん。「貰ってないかもしれない」なら分かるけど、と思う。しかも、なんで、そんな「(自分が)無くしたかもしれない」なんて、相手を庇うようなことを、わざわざ裁判で言わなければならないのかも理解できない。以前に検査済証を申請していないから、今回も申請しないで済ませようとしてたんでしょ、そこまで自分がよくよく芯から馬鹿にされてるのに、なんで相手を庇うの? とそう思うだけである。

でも、一般的にはなんだか、完了検査とか専門的なことであって、知らない人が多いらしい??? でも、私は知ってるし??? と思う。兄さん達には、「あなたは読むと理解してしまう人だから、大工さんのブログとか、建築士のブログとか読みあさって、自分では「一般的」だと思って知ってる「専門的」なことはたくさんあるのよ。でも、系統だって勉強した知識ではないから、専門的な知識を専門的に説明してみろ、と言われると、全然できなかったりする。だから、基本的なことを一通り教科書読んで系統だって勉強しろ、って言われるんでしょ。」と言われる気がするわけで@@。それはそうかも、と思う。だいたい、裁判所の方も、契約締結時に私が「何をどれだけ知っていたのか」「契約の内容をどう考えていたのか」ということがつかめなくて困っているようで-;。今は、建築だの法律だのの専門的知識が飛躍的に毎日増加中なので。今の私の状態を、「契約締結時の状態」と評価することはできないけれども、でも、全然知識がなかったわけじゃないでしょ、どう見ても、とそう言われる気がするわけで。だから、それをある程度は書いて出さないといけないらしい。我が家の法務担当はどう見ても親じゃなくて、私だからー;。

で、お外組は、今日は大きめの石とかアスファルトガラが出て。そして、夜は雨が降っています。雨が降っているので,眠いのです。

そして、昼間は「堂本兄弟」の特番を見て、夜は小田和正の「クリスマスの約束」を見て。

で、「ローマ文化王国 新羅」も引き続き興味深く読んでいて。5~6世紀の新羅の古墳からは、西方の技術で作られた王冠とか、金属器が出土して。中に、トラキア(現在のルーマニア)あたりのケルト人の部族が作って、特別に送られたとみられる黄金造りの剣があるらしい。だから、それはケルト人と新羅との間に特別に技術的な繋がり、人的な繋がりがあった証拠だけれども、その繋がりはいかようなものであったのであろうか? と本には書かれていて、答えまでは書かれていない。

それは何だろう? と思う。ところで、古代新羅の王冠は、ローマとか西方から来た技術で作られていたかもしれないけれども、その一方で東洋的に翡翠の勾玉もたくさん飾られている。それは西から来たものではない。本には敢えて書かれていないけれども、翡翠の勾玉の原産地はどこだと思うのか? と聞かれる気がするわけで@@。古代における翡翠の産地は中央アジアのホータンか、でなきゃ糸魚川である。ホータンの玉類は中国に運ばれたから、中国と国交のない古代新羅にホータンの翡翠が運ばれた可能性は少ない気がする。一方、5~6世紀は、糸魚川の翡翠が盛んに朝鮮半島に輸出された時期である。5~6世紀といったら「倭の五王」の時代だから、大名家の先祖は既に糸魚川の翡翠を傘下に収めていた時期なはず。ということは、古代新羅の金王家にせっせと翡翠を売ってたのは大名家の先祖なのですかね??? と思う。一方の新羅の王家は、ローマに傾倒し、ローマ教会の原始キリスト教を受け入れていたように見せかけて、その裏では大名家の要請に応じて、技術者の名目で西方からケルト人を招聘していたということ??? と思う。

何のために? と思ったら、大名家にとっては「太陽女神を取り戻すために」、ケルト人にとっては太陽女神から「三兄弟の契約にない者も身分による差別を行わない、という言質を得るために」と言われる気がするわけで@@。だから、トラキアの人々が、妙に関心が高くて親切なのは、そういう経緯があるから??? と思うわけで。いろんな人から、「転生できる者は転生して直接神に仕えようとする。できない者は子孫を残して神に仕えようとする。世の中とはそういうところ。」と言われる気がするわけで@@。それで、1500年も前から「婚約者」が何人も決まってるんだ??? と思うわけですが。不思議なことだ、と思うわけです。

本日の日誌

本日は、書類をやって。教科書も何とかノルマの範囲で読んで。で、朝から昨日の「堂本兄弟」を何度か見て。そうしたら、7番目の兄さんに「古い家の建築確認申請の副本はあるけれども、検査済証は?」と聞かれてショックを受ける。親に聞いたら「無くしたかもしれない」というので、「申請した記憶はあるのか?」と聞いたら、「ない」というので、「は?」と思う。申請した記憶がないから、「なくしたかも知れない」ということに根拠が全然ないじゃん。「貰ってないかもしれない」なら分かるけど、と思う。しかも、なんで、そんな「(自分が)無くしたかもしれない」なんて、相手を庇うようなことを、わざわざ裁判で言わなければならないのかも理解できない。以前に検査済証を申請していないから、今回も申請しないで済ませようとしてたんでしょ、そこまで自分がよくよく芯から馬鹿にされてるのに、なんで相手を庇うの? とそう思うだけである。

でも、一般的にはなんだか、完了検査とか専門的なことであって、知らない人が多いらしい??? でも、私は知ってるし??? と思う。兄さん達には、「あなたは読むと理解してしまう人だから、大工さんのブログとか、建築士のブログとか読みあさって、自分では「一般的」だと思って知ってる「専門的」なことはたくさんあるのよ。でも、系統だって勉強した知識ではないから、専門的な知識を専門的に説明してみろ、と言われると、全然できなかったりする。だから、基本的なことを一通り教科書読んで系統だって勉強しろ、って言われるんでしょ。」と言われる気がするわけで@@。それはそうかも、と思う。だいたい、裁判所の方も、契約締結時に私が「何をどれだけ知っていたのか」「契約の内容をどう考えていたのか」ということがつかめなくて困っているようで-;。今は、建築だの法律だのの専門的知識が飛躍的に毎日増加中なので。今の私の状態を、「契約締結時の状態」と評価することはできないけれども、でも、全然知識がなかったわけじゃないでしょ、どう見ても、とそう言われる気がするわけで。だから、それをある程度は書いて出さないといけないらしい。我が家の法務担当はどう見ても親じゃなくて、私だからー;。

で、お外組は、今日は大きめの石とかアスファルトガラが出て。そして、夜は雨が降っています。雨が降っているので,眠いのです。

そして、昼間は「堂本兄弟」の特番を見て、夜は小田和正の「クリスマスの約束」を見て。

で、「ローマ文化王国 新羅」も引き続き興味深く読んでいて。5~6世紀の新羅の古墳からは、西方の技術で作られた王冠とか、金属器が出土して。中に、トラキア(現在のルーマニア)あたりのケルト人の部族が作って、特別に送られたとみられる黄金造りの剣があるらしい。だから、それはケルト人と新羅との間に特別に技術的な繋がり、人的な繋がりがあった証拠だけれども、その繋がりはいかようなものであったのであろうか? と本には書かれていて、答えまでは書かれていない。

それは何だろう? と思う。ところで、古代新羅の王冠は、ローマとか西方から来た技術で作られていたかもしれないけれども、その一方で東洋的に翡翠の勾玉もたくさん飾られている。それは西から来たものではない。本には敢えて書かれていないけれども、翡翠の勾玉の原産地はどこだと思うのか? と聞かれる気がするわけで@@。古代における翡翠の産地は中央アジアのホータンか、でなきゃ糸魚川である。ホータンの玉類は中国に運ばれたから、中国と国交のない古代新羅にホータンの翡翠が運ばれた可能性は少ない気がする。一方、5~6世紀は、糸魚川の翡翠が盛んに朝鮮半島に輸出された時期である。5~6世紀といったら「倭の五王」の時代だから、大名家の先祖は既に糸魚川の翡翠を傘下に収めていた時期なはず。ということは、古代新羅の金王家にせっせと翡翠を売ってたのは大名家の先祖なのですかね??? と思う。一方の新羅の王家は、ローマに傾倒し、ローマ教会の原始キリスト教を受け入れていたように見せかけて、その裏では大名家の要請に応じて、技術者の名目で西方からケルト人を招聘していたということ??? と思う。

何のために? と思ったら、大名家にとっては「太陽女神を取り戻すために」、ケルト人にとっては太陽女神から「三兄弟の契約にない者も身分による差別を行わない、という言質を得るために」と言われる気がするわけで@@。だから、トラキアの人々が、妙に関心が高くて親切なのは、そういう経緯があるから??? と思うわけで。いろんな人から、「転生できる者は転生して直接神に仕えようとする。できない者は子孫を残して神に仕えようとする。世の中とはそういうところ。」と言われる気がするわけで@@。それで、1500年も前から「婚約者」が何人も決まってるんだ??? と思うわけですが。不思議なことだ、と思うわけです。

本日の日誌

本日は、書類をやって。教科書も何とかノルマの範囲で読んで。で、朝から昨日の「堂本兄弟」を何度か見て。そうしたら、7番目の兄さんに「古い家の建築確認申請の副本はあるけれども、検査済証は?」と聞かれてショックを受ける。親に聞いたら「無くしたかもしれない」というので、「申請した記憶はあるのか?」と聞いたら、「ない」というので、「は?」と思う。申請した記憶がないから、「なくしたかも知れない」ということに根拠が全然ないじゃん。「貰ってないかもしれない」なら分かるけど、と思う。しかも、なんで、そんな「(自分が)無くしたかもしれない」なんて、相手を庇うようなことを、わざわざ裁判で言わなければならないのかも理解できない。以前に検査済証を申請していないから、今回も申請しないで済ませようとしてたんでしょ、そこまで自分がよくよく芯から馬鹿にされてるのに、なんで相手を庇うの? とそう思うだけである。

でも、一般的にはなんだか、完了検査とか専門的なことであって、知らない人が多いらしい??? でも、私は知ってるし??? と思う。兄さん達には、「あなたは読むと理解してしまう人だから、大工さんのブログとか、建築士のブログとか読みあさって、自分では「一般的」だと思って知ってる「専門的」なことはたくさんあるのよ。でも、系統だって勉強した知識ではないから、専門的な知識を専門的に説明してみろ、と言われると、全然できなかったりする。だから、基本的なことを一通り教科書読んで系統だって勉強しろ、って言われるんでしょ。」と言われる気がするわけで@@。それはそうかも、と思う。だいたい、裁判所の方も、契約締結時に私が「何をどれだけ知っていたのか」「契約の内容をどう考えていたのか」ということがつかめなくて困っているようで-;。今は、建築だの法律だのの専門的知識が飛躍的に毎日増加中なので。今の私の状態を、「契約締結時の状態」と評価することはできないけれども、でも、全然知識がなかったわけじゃないでしょ、どう見ても、とそう言われる気がするわけで。だから、それをある程度は書いて出さないといけないらしい。我が家の法務担当はどう見ても親じゃなくて、私だからー;。

で、お外組は、今日は大きめの石とかアスファルトガラが出て。そして、夜は雨が降っています。雨が降っているので,眠いのです。

そして、昼間は「堂本兄弟」の特番を見て、夜は小田和正の「クリスマスの約束」を見て。

で、「ローマ文化王国 新羅」も引き続き興味深く読んでいて。5~6世紀の新羅の古墳からは、西方の技術で作られた王冠とか、金属器が出土して。中に、トラキア(現在のルーマニア)あたりのケルト人の部族が作って、特別に送られたとみられる黄金造りの剣があるらしい。だから、それはケルト人と新羅との間に特別に技術的な繋がり、人的な繋がりがあった証拠だけれども、その繋がりはいかようなものであったのであろうか? と本には書かれていて、答えまでは書かれていない。

それは何だろう? と思う。ところで、古代新羅の王冠は、ローマとか西方から来た技術で作られていたかもしれないけれども、その一方で東洋的に翡翠の勾玉もたくさん飾られている。それは西から来たものではない。本には敢えて書かれていないけれども、翡翠の勾玉の原産地はどこだと思うのか? と聞かれる気がするわけで@@。古代における翡翠の産地は中央アジアのホータンか、でなきゃ糸魚川である。ホータンの玉類は中国に運ばれたから、中国と国交のない古代新羅にホータンの翡翠が運ばれた可能性は少ない気がする。一方、5~6世紀は、糸魚川の翡翠が盛んに朝鮮半島に輸出された時期である。5~6世紀といったら「倭の五王」の時代だから、大名家の先祖は既に糸魚川の翡翠を傘下に収めていた時期なはず。ということは、古代新羅の金王家にせっせと翡翠を売ってたのは大名家の先祖なのですかね??? と思う。一方の新羅の王家は、ローマに傾倒し、ローマ教会の原始キリスト教を受け入れていたように見せかけて、その裏では大名家の要請に応じて、技術者の名目で西方からケルト人を招聘していたということ??? と思う。

何のために? と思ったら、大名家にとっては「太陽女神を取り戻すために」、ケルト人にとっては太陽女神から「三兄弟の契約にない者も身分による差別を行わない、という言質を得るために」と言われる気がするわけで@@。だから、トラキアの人々が、妙に関心が高くて親切なのは、そういう経緯があるから??? と思うわけで。いろんな人から、「転生できる者は転生して直接神に仕えようとする。できない者は子孫を残して神に仕えようとする。世の中とはそういうところ。」と言われる気がするわけで@@。それで、1500年も前から「婚約者」が何人も決まってるんだ??? と思うわけですが。不思議なことだ、と思うわけです。