昨日も朝から作業をして、だいたい書証の整理が終わって。あとは、写真を整理して、付け加える物をいくつか加えて、丙11を締めて。提出する書面と書証を用意して、東京に送るお手紙を用意したら、だいたい9月の仕事は完了、ということで。丙11は、遅くとも月曜日には済むと思う。
お外組(母と姉)は、いつも通りで。親が、洗面所の入り口辺りの下に、大きなコンクリート塊を発見したと言っている。大きさは30~50cm長さくらい。いずれ、潜って写真を撮る予定。その付近の土中に空洞があって、木が腐った跡もあるらしい。金属のパイプはまだ掘り出されていない。
それ以外では、「最低でも高校の教科書レベルの世界地図を手に入れるように。」とさんざんせっつかれたので、親に頼み込んで買うことにして-;。あとは、これも「たって」と言われたので「ルーツ」を買う。それ以外では、アフリカ系の血を引くデュマの本を「余裕があったら買ってね」と言われたので、投げ売りしてた「送料」だけ本を2冊買う。あとは、私が「世界史全集」を買ったのは良いけれども、何分古い本なので、「最新の知見が書いてある本もある程度読むように」と言われて、某所から3冊お勧めされたので、お安い方の2冊を買う。あとは、三国志の入門書と、高師直の本を買う。7番目の兄さんには、「三国志演義程度のちょっと馬鹿っぽいものが好き」と言う気がするわけですが。私の方が、高師直を読みたいんですよ、ということで。それ以外では、古代インドの祭祀について書いてある本とかちょこちょこ買って。
スキタイについて、思うことは2つくらいあるわけで。黒海周辺(ウクライナ付近)のスキタイの人々は、天の父神であるパパイオスとドニエプル川の女神であるアピを母神として崇めていたらしい。彼らの「王権神授」の図とか見てみると、「鏡を持った地母神」が王に王権を与えている図とかあるわけで。7番目の兄さんには、「ドニエプル」とは「ドナ・アピ(アピ女神)」ということでしょ? と言われる気がするわけで@@。で、ドナウ川も同じ意味、と言われる気がするわけで@@。語源的には、スキタイの言葉が起源とされているわけですが。でも、古代メソポタミアで、「地底の奥の始原の水」のことを「アプスー」という。印欧語族は「空」も「水」であると考えていたので、古代インドでは天女のことを「アプサラス」と呼んだし、ペルシャでは精霊のことを「ペリ」と言う。古代エジプトではナイル川の神のことをハピ(男神)と呼んだから、みんな「同じ起源の言葉」だよねえ?その起源は印欧語の成立よりも古いよね? と思う。だいたい、「アピ」とは、元は単なる「川の女神」ではなく、「天の女神」だったから、「天女」の呼び方の中に名残が残ってるんじゃないの? と思う。(ただし、この場合の天女とはおそらく白鳥とかの水鳥であるのだと思う。)
そうしたら、西欧に伝播した「男性形の天の神」には2形態がある。最初は、父系の文化と母系の文化が衝突した結果、「母系の大母がそのまま男系の天の神」に書き換えられて伝播したもの。後に、「男系の英雄先祖が天の神と結びついて、その結果母系の天の神が、地母神あるいは川の女神」に書き換えられて伝播するようになった、と言われる気がするわけで。古い時代のアプスーとかハピは、女神がそのまま男神に置き換えられたもの。アピ、アプサラス、ペリは「天の女神」の地位が低下して、「川の女神」とか、単なる下級の「天女」に変更させられたもの。その起源は、元々は白鳥とか、ガチョウといった鳥類(水鳥)に対する信仰だよね、と言われる気がするわけで@@。だいたい、蛇の女神である「女カ」は元々天仙(天の女神)なので。それは元々、母系の漁撈民の「月の太母」であったものが、男系の文化に支配・習合される過程で、「地母神」「川の女神」として、男性形の天神の妻とか、娘とかに変更されたもの、と言われる気がするわけで@@。だいたい、「女カ」というのは、蛇女の姿で現されるわけですが、そもそもその「カ」とは「蝸(かたつむり)」の意味と言われる気がするわけで。元は、漁撈民の巻き貝の女神だったらしいです。死んだオオクニヌシを生き返らせたのも、キサガイヒメ(赤貝)とウムガイヒメ(ハマグリ)の女神でしょ。漁撈民にとって、貝の女神は、人の生死を司る母神だったんですよ、と言われる気がするわけで@@。それって、我が家にしつこくナメクジが放り込まれたり、ナメクジ退治の薬がわざわざ片付けられちゃうのと関係ある? って思う。そうしたら、「ナメクジも貝の仲間だから、漁撈民の汚い女神になっちゃえ、ってことでしょ。」と言われる気がするわけで@@。蛙の王家に支配されてる女カ女神になっちゃえってことですねえー;、と思う。2万円出して、ナメクジって何なのか教えて貰えましたよ、と思うわけですが-;。
そして、河姆渡型の、本来の長江文明の神々の姿は分かるよね? と言われる気がするわけで。それはチベット系の母系の太陽女神と、漁撈民の母系の月の女神が並び立つ姿であったと思う。伊勢神宮に、太陽女神であるアマテラスと、月の女神である豊受大神が並び立ってるのとほぼ同じ形なんじゃん? と思う。でも、彼らを影で支配しているのは父神であるイザナギである、というおまけがついてる。
で、スキタイの側は「天の父神」と「大地(水)の母神」がいるわけですが、もう一方の有力な遊牧騎馬民族である匈奴は、単純に「天の神信仰」であって、性別を問われれば男神かもしれないけれども、「天の神(テングリ)」としか呼ばれない。それは何故? と思うと、「本来の遊牧民の信仰は「天の神」信仰だけれども、そこに人間の英雄の人格を加えて、江南の女神信仰を取り込んだものが良渚文明で、それを契約によって信仰することになったものがスキタイ、良渚との契約を拒否して本来の信仰を守っていったのが匈奴」と言われる気がするわけで@@。で、「遊牧民の単なる自然神であったテングリに、人間の英雄の人格を付加したものが、黄帝であり、ヴァルナであり、パパイオスであり、ペールーンでしょ? だから、それらは、皆、元は同じ物。」と言われる気がするわけで@@。でも、この「天の神」は時代が下ると、「その怒りで人々に罰を与える雷神」へと変貌していく。良渚の王たちが、そうやって専制君主となっていったように、と言われる気がするわけで。で、江南の太母達のうち、太陽女神は西王母に、月の女神は女カあるいは嫦娥に変化した。嫦娥を殺して月に追放してしまった神話がゲイ神話、これを月ではなく黄泉の国に追放してしまったのがイザナギ・イザナミ神話、と言われる気がするわけで。意味としては、かぐや姫のように月に追放しても、黄泉の国に追放しても「同じ事」なんだよね、どっちも「死の国」だもんね、と思う-;。
で、古代中国では大雑把にいうと、遊牧民系の天の男神である黄帝、チベット系の太陽女神である西王母、漁撈民系の月女神である女カと分かれるわけですが、それは古代インドにも当てはまる。インドの北の方は、スキタイから分かれた遊牧民が強力に支配していて、天の神ヴァルナとその変形版の神々が信仰されている。南の方は、被支配民であるドラヴィダ系の人々が多いけれども、彼らはヒンドゥーに取り込まれながらも、独特の信仰を残していて、それは良渚型の農耕文化を起源としている。チベット系の人々は、仏教を取り入れてヒンドゥーとは決別してる。現代のインドの強固な身分差別と女性差別がもたらす暴力と悲劇は、上層部の遊牧民系の人々も、下層の農耕民も、起源的には良渚文化を受け継ぐ人々で、どちらの側も「身分とは何よりも重要なものである」という意識が強いから、内側から「状況を変えよう」という気持ちが起こらない、という点にある。「人は平等であり、公平である」という制度だけを作っても、それは誰からも理解されないし、受け入れられない、と言われる気がするわけで@@。
で、あとはあんまり学術的でないことにも「目の力」を使ってるわけで。KinKi-KidsのDVDを見てたわけです。で、MCで光一君が「お稲荷さん」がどうのこうのと連発していて。話の流れから、7割くらいは「下ネタ」なんだろうなー、と分かるというか、なんとなく分かるわけで。でも、具体的にはっきりと「お稲荷さんってなんのことだろう?」と思ったら、7番目の兄さんに「袋だよ」と言われる気がするわけで@@。なんだか、つまらないことに「目の力」を使ってません? と思ったら、「夫婦のコミュニケーションも大事でしょ」と言われる気がするわけで-;。その後に、中居君の番組を見ていたら、「はっきり「玉袋」って言えばいいのに」って言われる気がするわけで@@。まあ、コミュニケーションだし(汗)、と思うわけで。