本日の日誌

おとといは「音楽の日」であって。一応タイムテーブルを確認したら、深夜帯の部にABC-ZとジャニーズWESTが出ると書いてあったので、2時まで頑張って見て。そうしたら、朝になって、ふっと「自分達の描いた手書きの設計図も出すように」と言われる気がするわけで。それを言いたくて、兄さん達は昨日がんばってたのかー、と思って。のんちゃんと良ちゃんも、ちゃんと最後まで見て良かった、と思ったのでした。で、それ以外では、KinKi-Kidsの二人が、一部の最後まで残っていたわけですが、なにげに光一君の後ろに、手越くんとまっすーが張り付いていて、「立派だ-」と思うわけで。

で、昨日の作業は、雨が降ってぐちゃぐちゃしていたので、お外組は庭の整備をしていて。庭の南西の隅から、バケツ5杯分のタール状のものが混じった汚い土とか、アスファルトの小さな塊とか出てきて、「いつ入れたんだろう? フェンスを貼った直後かも。」と話していて。それ以外にも、砕石をためておいたところに、砕石しかないはずなのに、いつの間にか土がたまっていたりして、不審であって。

で、昨夜はなんだか冷えたらしくて、今朝、朝ご飯を食べたら、吐いたり下したりしてしまってー;。暑いので、電気毛布の温度を下げたら、寒かったらしくてー;。カイロを入れて、暖かくしていたらすぐに回復しました。

午前中は、家人は買い出しに出かけて。作業はバケツ4杯くらい貼り付けであって。私は、手書きの資料を整理して。で、例によって、家人の言動が変であって。原因は裁判が近いことと、買え、と言われた本を私がせっせと買ってるからだと思う。要するに、西欧の多神教の神々の中には、黄帝に相当する神を重要視するところもあるけれども、長江文明由来の人食いの男性の豚の太陽神を重んじるところも多くて、そういうところほど、根源的には「人食い」とか「人の生け贄」をなんとも思っていないのだと思う。西欧では、上流階級は農耕を行わないので、本来であれば農耕に関わるはずの「豚の太陽神」への信仰は、武力による豊穣、例えば、馬とか武器とか金銀財宝とかの豊穣に変化して、その後、特にキリスト教化で、古い時代の神々を信仰することが禁止されると、中世には古い神話が騎士物語とかに変化して、詩人の詩とか文芸の場で盛んに「物語」として語られて、あちこちで流行するようになるわけで。そうなると、古い時代の「豚の太陽神」は、主君を裏切ったり、若い英雄を死に追いやったりして、「悲劇」を引き起こす「立役者」みたいな地位で語られるようになる。これは、この太陽神が「怒りにまかせて気まぐれに祟りを起こす神」であり、起源を損ねると相手が君主でも祟るし、元は若者を生け贄にした神でもあることの名残なのだと思う。それが、アーサー王の王国を滅ぼす王の甥モリガン、シャルルマーニュ大帝のお気に入りの騎士ローランを死においやるオジエ、英雄ジークフリートを殺してニベルング族滅亡の原因を作るハゲネとかに投影されているのだと思う。彼らは大抵、王の近親であって、裏切り者である。「シャルルマーニュ伝説」では、大帝の息子もけっこうぼんくらなドラ息子だしー;。これだから、中世の騎士物語も読んで勉強するように、って言われるんだなー、と思う。黄帝の「ぼんくら」のドラ息子で、混血の「ルーグ」が、良渚文系の基盤を築いて、自ら「豚の太陽神のシャーマン」として君臨し、人食いでお馬鹿さんになってる農耕民を専制君主として支配したわけだ。でも、黄帝を尊敬している人達も大勢いたから、印欧語族には、黄帝に相当する神も、ドラ息子に相当する神もいっしょくたに伝播して、各氏族がどちらを選ぶかで、「神」としてどちらが優位なのかが分かる。だから、西欧における「キリスト教化」の意味とは、なんでも「天の父なる神と、その子キリスト」に纏めてしまって、本当は人々がどちらを選んでいるのかを、区別がつきにくくしてる。特に「よそ者」からは全然分からなくなるので、性格の悪い方は、それにつけこんで悪いことをやりやすくなる。

西欧の騎士物語とか読んで、うちの家系の「性格の悪さ加減」を勉強しろってことですかねえ、と思う。そして、西欧の多神教には、小人とか、トロルとか、神とはいえないけれども、人でもないような風変わりな存在が公然と出てくるけれども、そういうものは、黄帝が出現する以前の、漁撈民の信仰、あるいは、北方の狩猟民の信仰での神々が、良渚と黄河文明の思想が拡がるにつれて、その地位が低下して変化したものなのだと思う。彼らの一部は「王権」を伴う神々と習合して、上流階級にも取り入れられたけれども、多くは被支配者である庶民の側にとどまり、超自然的な精霊的存在に変化して、庶民の生活を助けてくれたり、意地悪したりするようになったのだと思う。でも、基本的には「良渚文明」で出現した神々と「同じもの」であるので、なにがしかの犠牲を捧げられて、機嫌が良ければ、恩恵を授けてくれる性質は変わらない。

でも、まだ「二人兄弟」の謎が残っているのです。ロームルスとレムスではないけれども、双子の片方が「死ぬ」というのは、一方を犠牲に捧げることで、他方の豊穣を図るものだと思う。だいたい、ポリネシアの民話の中に、すでにその気配は萌芽してる。彼らは、「生と死」の境界が曖昧であって、そもそも「存在」として「生きている人」だけでは「完全」ではない、と思ってるのだと思う。人は「生と死」が対になって存在して、それで「完全」なのだと考えている。だから、「生きている人」というのは「生」の状態が強いから生きているのであって、「死」が強くなる死ぬ。だから、「生きている人」というのは、常に「自分の死霊」と共にいるのであって、生きていても「自分の幽霊」というものは常に存在しているわけです。そして、生きるために、自らの悪霊と常に戦ってるのかもしれないと思う。だから、「二人兄弟」というのは、「自分の生き霊を克服した人」が、生きた王となるべき英雄である、という考え方かもしれない、と思う。あるいは、自分に近い大切なものを神に捧げると、より大きな見返りが得られる、という考えもそこには含まれるのかもしれない(困窮した際に、我が子を生け贄にしたりするのは、こういうことだと思う)。あるいは、両方が混在した考えといえるかな、と思うのだけれど、しっくりとした答えが、自分の中で、まだ見つからない気がするのです。長男だけを大切にしたり、あるいは末子だけを大切にしたり、というのも、他の兄弟を「犠牲」にしているわけだし。古代の人々の「家」とか「相続」という概念も関係してるのかもしれないし。

ともかく、今日はNHKで潤ちゃんのドラマがあったから見たわけです。ええと、北海道150年記念とかで。ちょっとメロドラマ風味であったかな、と思う。まあ、でもNHKですし。潤ちゃんは、お芝居も上手ですし。真面目なお話だったんじゃないでしょうか。

本日の日誌

おとといは「音楽の日」であって。一応タイムテーブルを確認したら、深夜帯の部にABC-ZとジャニーズWESTが出ると書いてあったので、2時まで頑張って見て。そうしたら、朝になって、ふっと「自分達の描いた手書きの設計図も出すように」と言われる気がするわけで。それを言いたくて、兄さん達は昨日がんばってたのかー、と思って。のんちゃんと良ちゃんも、ちゃんと最後まで見て良かった、と思ったのでした。で、それ以外では、KinKi-Kidsの二人が、一部の最後まで残っていたわけですが、なにげに光一君の後ろに、手越くんとまっすーが張り付いていて、「立派だ-」と思うわけで。

で、昨日の作業は、雨が降ってぐちゃぐちゃしていたので、お外組は庭の整備をしていて。庭の南西の隅から、バケツ5杯分のタール状のものが混じった汚い土とか、アスファルトの小さな塊とか出てきて、「いつ入れたんだろう? フェンスを貼った直後かも。」と話していて。それ以外にも、砕石をためておいたところに、砕石しかないはずなのに、いつの間にか土がたまっていたりして、不審であって。

で、昨夜はなんだか冷えたらしくて、今朝、朝ご飯を食べたら、吐いたり下したりしてしまってー;。暑いので、電気毛布の温度を下げたら、寒かったらしくてー;。カイロを入れて、暖かくしていたらすぐに回復しました。

午前中は、家人は買い出しに出かけて。作業はバケツ4杯くらい貼り付けであって。私は、手書きの資料を整理して。で、例によって、家人の言動が変であって。原因は裁判が近いことと、買え、と言われた本を私がせっせと買ってるからだと思う。要するに、西欧の多神教の神々の中には、黄帝に相当する神を重要視するところもあるけれども、長江文明由来の人食いの男性の豚の太陽神を重んじるところも多くて、そういうところほど、根源的には「人食い」とか「人の生け贄」をなんとも思っていないのだと思う。西欧では、上流階級は農耕を行わないので、本来であれば農耕に関わるはずの「豚の太陽神」への信仰は、武力による豊穣、例えば、馬とか武器とか金銀財宝とかの豊穣に変化して、その後、特にキリスト教化で、古い時代の神々を信仰することが禁止されると、中世には古い神話が騎士物語とかに変化して、詩人の詩とか文芸の場で盛んに「物語」として語られて、あちこちで流行するようになるわけで。そうなると、古い時代の「豚の太陽神」は、主君を裏切ったり、若い英雄を死に追いやったりして、「悲劇」を引き起こす「立役者」みたいな地位で語られるようになる。これは、この太陽神が「怒りにまかせて気まぐれに祟りを起こす神」であり、起源を損ねると相手が君主でも祟るし、元は若者を生け贄にした神でもあることの名残なのだと思う。それが、アーサー王の王国を滅ぼす王の甥モリガン、シャルルマーニュ大帝のお気に入りの騎士ローランを死においやるオジエ、英雄ジークフリートを殺してニベルング族滅亡の原因を作るハゲネとかに投影されているのだと思う。彼らは大抵、王の近親であって、裏切り者である。「シャルルマーニュ伝説」では、大帝の息子もけっこうぼんくらなドラ息子だしー;。これだから、中世の騎士物語も読んで勉強するように、って言われるんだなー、と思う。黄帝の「ぼんくら」のドラ息子で、混血の「ルーグ」が、良渚文系の基盤を築いて、自ら「豚の太陽神のシャーマン」として君臨し、人食いでお馬鹿さんになってる農耕民を専制君主として支配したわけだ。でも、黄帝を尊敬している人達も大勢いたから、印欧語族には、黄帝に相当する神も、ドラ息子に相当する神もいっしょくたに伝播して、各氏族がどちらを選ぶかで、「神」としてどちらが優位なのかが分かる。だから、西欧における「キリスト教化」の意味とは、なんでも「天の父なる神と、その子キリスト」に纏めてしまって、本当は人々がどちらを選んでいるのかを、区別がつきにくくしてる。特に「よそ者」からは全然分からなくなるので、性格の悪い方は、それにつけこんで悪いことをやりやすくなる。

西欧の騎士物語とか読んで、うちの家系の「性格の悪さ加減」を勉強しろってことですかねえ、と思う。そして、西欧の多神教には、小人とか、トロルとか、神とはいえないけれども、人でもないような風変わりな存在が公然と出てくるけれども、そういうものは、黄帝が出現する以前の、漁撈民の信仰、あるいは、北方の狩猟民の信仰での神々が、良渚と黄河文明の思想が拡がるにつれて、その地位が低下して変化したものなのだと思う。彼らの一部は「王権」を伴う神々と習合して、上流階級にも取り入れられたけれども、多くは被支配者である庶民の側にとどまり、超自然的な精霊的存在に変化して、庶民の生活を助けてくれたり、意地悪したりするようになったのだと思う。でも、基本的には「良渚文明」で出現した神々と「同じもの」であるので、なにがしかの犠牲を捧げられて、機嫌が良ければ、恩恵を授けてくれる性質は変わらない。

でも、まだ「二人兄弟」の謎が残っているのです。ロームルスとレムスではないけれども、双子の片方が「死ぬ」というのは、一方を犠牲に捧げることで、他方の豊穣を図るものだと思う。だいたい、ポリネシアの民話の中に、すでにその気配は萌芽してる。彼らは、「生と死」の境界が曖昧であって、そもそも「存在」として「生きている人」だけでは「完全」ではない、と思ってるのだと思う。人は「生と死」が対になって存在して、それで「完全」なのだと考えている。だから、「生きている人」というのは「生」の状態が強いから生きているのであって、「死」が強くなる死ぬ。だから、「生きている人」というのは、常に「自分の死霊」と共にいるのであって、生きていても「自分の幽霊」というものは常に存在しているわけです。そして、生きるために、自らの悪霊と常に戦ってるのかもしれないと思う。だから、「二人兄弟」というのは、「自分の生き霊を克服した人」が、生きた王となるべき英雄である、という考え方かもしれない、と思う。あるいは、自分に近い大切なものを神に捧げると、より大きな見返りが得られる、という考えもそこには含まれるのかもしれない(困窮した際に、我が子を生け贄にしたりするのは、こういうことだと思う)。あるいは、両方が混在した考えといえるかな、と思うのだけれど、しっくりとした答えが、自分の中で、まだ見つからない気がするのです。長男だけを大切にしたり、あるいは末子だけを大切にしたり、というのも、他の兄弟を「犠牲」にしているわけだし。古代の人々の「家」とか「相続」という概念も関係してるのかもしれないし。

ともかく、今日はNHKで潤ちゃんのドラマがあったから見たわけです。ええと、北海道150年記念とかで。ちょっとメロドラマ風味であったかな、と思う。まあ、でもNHKですし。潤ちゃんは、お芝居も上手ですし。真面目なお話だったんじゃないでしょうか。

本日の日誌

本日は、一日外仕事ができて。昼間は割と夏のように暑かったです。でも、今(夜)は、少し雨が降っています。

で、私の方は今日も書証の整理をして。だいたい、明日か明後日くらいには終わるだろう、と思うわけです。で、印刷の合間に、せっせと読んで。7番目の兄さんには、「ヨーロッパの西の端のアイルランドのケルトの古層には、漁撈民の神話の古層が残っているので、良く勉強するように、と言われる気がするわけで。で、「ジェイコブズから始めよう」と言われるので、「ケルト魔法民話集」を読み出して。

で、ケルトには、「長腕のルー」という太陽神がいるわけで。その父親はキアンといって、「豚」に変身することができるわけです。というか、豚の姿で敵に捕まって殺されてしまう、というか、そんな感じであって。で、息子のルーは、海神の養子でもあって、養父から特別な剣とか馬とかを貰ったり、借りたりしていて。要するに、「ルー」とは、「豚の太陽神(男性)」ですよねえ? と思う。そういう神はどこから来たのだろうか、と思う。

そして、ルーは普段は特別な槍を武器に使っていて。で、たまたまカイトリーも読んでいたわけですが、北欧神話のロキは、自分のした悪さの償いに、小人に特別な槍とか、船を作って貰うわけです。「ロキの宝」って、ケルトの「ルーの宝」と同じものなんじゃないの? ロキも太陽神なの? 子音からいって、ロキとはルーのことなんじゃないの? と思う。でも、ケルトのルーが普通の太陽神であるのに対して、北欧神話のロキは、トリックスターというか神々の中ではちょっと変わっていて、嫌われ者の存在であって。「何故なんだろう?」と思う。

そうすると、豚は長江文明で一番古く飼いだした動物であって。長江文明は、チベット系の虎の太陽女神を母神とする母系の人々と、やや父系の漁撈民の混血の文化であるので。母系の人々は「太陽=虎女神(水稲耕作としては蛙)、月=虎の獲物の男神(古い順に鹿、牛、豚など)」としてる。一方、月神を食べる「やや父系」の人々は「太陽=豚男神、月=植物(穀物)」としてる。だから、豚は、状況に応じて、月にも太陽にもなり得る。ルーやロキは「ルドラ神群のシヴァ」のことなので。インドには、「太陽=ドゥルガー、月=シヴァ」と、「太陽=シヴァ、月=サティー」という長江文明の形式が残されてる、と言われる気がするわけで@@。シヴァの持つ武器も槍である。要するに「豚の太陽神」の武器である「槍」とは、猪とか豚の牙のことなんだ? と思う。

でも、ルーはケルトでは、普通の神様で、悪神ではないです。ということは、古い時代のアイルランドは、漁撈民の文化が強くて、長江文明の「人食いの神」が「良い神様」になってるんだ? と思う。そうすると、「ルーは、祖父である邪眼のバラーを殺すでしょ。バラーとは、メソポタミアのバアルのことで、アイルランド以外では良き天候神とされてる。バラーは、ケルトでは北方からやってきた、悪神の一族の一人です。でも、バラーの娘は、アイルランドの神であるキアンの子供を産んで、それがルーです。バラーは「B」の子音で始まるから「狼」のことです。北方からやってきたバラーは、近親であるルーが敵の側についていて、そのルーに殺される。要するにバラーは黄帝のことで、ルーはその後継者のことです。ケルトの人々は本来的には印欧語族ではないので、印欧語族に文化は似ているけれども、漁撈民に近い伝承を持っている。北欧神話のロキが、特殊な悪い存在なのは、他の神々が黄河文明由来の神であるのに対して、ロキだけが長江文明由来の神だから、ロキだけ毛色が違う。」と言われる気がするわけで@@。ルーとバラーの伝承は、長江文明の側から見た黄帝の伝承なんだ? と思う。

でも、そういう「豚の太陽神」が強く信仰されているところほど、「人の犠牲」が盛んであったところですよ。ケルトの人々も良く生け贄を捧げた。北欧もそうだし、インドのサティー(寡婦殉死)もつい最近まで行われていた、と言われる気がするわけで@@。

で、中国の神話の方では、河の神を鎮めるために、毎年若い娘を「妻」として生け贄に捧げる祭祀のことが書いてあって。で、しかも祭祀を行う費用を、庶民から巻き上げて集める、ということをしていたから、この祭祀は評判が悪かったわけです。それって、あれだ、お祭りにかこつけて、庶民から金品を集めたら、それは「お布施」の始め、ということだよねえ、と思う。お祭りが主催者のお金儲けの道具に使われるようになっていて。そのあたりから、神々に対する畏敬の念も消えていったのではないか、と思う。

で、今日は午後から「音楽の日」を見ていて。大勢の兄さん達に結縁できて良かった、と思うのです。

本日の日誌

本日は、一日外仕事ができて。昼間は割と夏のように暑かったです。でも、今(夜)は、少し雨が降っています。

で、私の方は今日も書証の整理をして。だいたい、明日か明後日くらいには終わるだろう、と思うわけです。で、印刷の合間に、せっせと読んで。7番目の兄さんには、「ヨーロッパの西の端のアイルランドのケルトの古層には、漁撈民の神話の古層が残っているので、良く勉強するように、と言われる気がするわけで。で、「ジェイコブズから始めよう」と言われるので、「ケルト魔法民話集」を読み出して。

で、ケルトには、「長腕のルー」という太陽神がいるわけで。その父親はキアンといって、「豚」に変身することができるわけです。というか、豚の姿で敵に捕まって殺されてしまう、というか、そんな感じであって。で、息子のルーは、海神の養子でもあって、養父から特別な剣とか馬とかを貰ったり、借りたりしていて。要するに、「ルー」とは、「豚の太陽神(男性)」ですよねえ? と思う。そういう神はどこから来たのだろうか、と思う。

そして、ルーは普段は特別な槍を武器に使っていて。で、たまたまカイトリーも読んでいたわけですが、北欧神話のロキは、自分のした悪さの償いに、小人に特別な槍とか、船を作って貰うわけです。「ロキの宝」って、ケルトの「ルーの宝」と同じものなんじゃないの? ロキも太陽神なの? 子音からいって、ロキとはルーのことなんじゃないの? と思う。でも、ケルトのルーが普通の太陽神であるのに対して、北欧神話のロキは、トリックスターというか神々の中ではちょっと変わっていて、嫌われ者の存在であって。「何故なんだろう?」と思う。

そうすると、豚は長江文明で一番古く飼いだした動物であって。長江文明は、チベット系の虎の太陽女神を母神とする母系の人々と、やや父系の漁撈民の混血の文化であるので。母系の人々は「太陽=虎女神(水稲耕作としては蛙)、月=虎の獲物の男神(古い順に鹿、牛、豚など)」としてる。一方、月神を食べる「やや父系」の人々は「太陽=豚男神、月=植物(穀物)」としてる。だから、豚は、状況に応じて、月にも太陽にもなり得る。ルーやロキは「ルドラ神群のシヴァ」のことなので。インドには、「太陽=ドゥルガー、月=シヴァ」と、「太陽=シヴァ、月=サティー」という長江文明の形式が残されてる、と言われる気がするわけで@@。シヴァの持つ武器も槍である。要するに「豚の太陽神」の武器である「槍」とは、猪とか豚の牙のことなんだ? と思う。

でも、ルーはケルトでは、普通の神様で、悪神ではないです。ということは、古い時代のアイルランドは、漁撈民の文化が強くて、長江文明の「人食いの神」が「良い神様」になってるんだ? と思う。そうすると、「ルーは、祖父である邪眼のバラーを殺すでしょ。バラーとは、メソポタミアのバアルのことで、アイルランド以外では良き天候神とされてる。バラーは、ケルトでは北方からやってきた、悪神の一族の一人です。でも、バラーの娘は、アイルランドの神であるキアンの子供を産んで、それがルーです。バラーは「B」の子音で始まるから「狼」のことです。北方からやってきたバラーは、近親であるルーが敵の側についていて、そのルーに殺される。要するにバラーは黄帝のことで、ルーはその後継者のことです。ケルトの人々は本来的には印欧語族ではないので、印欧語族に文化は似ているけれども、漁撈民に近い伝承を持っている。北欧神話のロキが、特殊な悪い存在なのは、他の神々が黄河文明由来の神であるのに対して、ロキだけが長江文明由来の神だから、ロキだけ毛色が違う。」と言われる気がするわけで@@。ルーとバラーの伝承は、長江文明の側から見た黄帝の伝承なんだ? と思う。

でも、そういう「豚の太陽神」が強く信仰されているところほど、「人の犠牲」が盛んであったところですよ。ケルトの人々も良く生け贄を捧げた。北欧もそうだし、インドのサティー(寡婦殉死)もつい最近まで行われていた、と言われる気がするわけで@@。

で、中国の神話の方では、河の神を鎮めるために、毎年若い娘を「妻」として生け贄に捧げる祭祀のことが書いてあって。で、しかも祭祀を行う費用を、庶民から巻き上げて集める、ということをしていたから、この祭祀は評判が悪かったわけです。それって、あれだ、お祭りにかこつけて、庶民から金品を集めたら、それは「お布施」の始め、ということだよねえ、と思う。お祭りが主催者のお金儲けの道具に使われるようになっていて。そのあたりから、神々に対する畏敬の念も消えていったのではないか、と思う。

で、今日は午後から「音楽の日」を見ていて。大勢の兄さん達に結縁できて良かった、と思うのです。

本日の日誌

本日は、一日外仕事ができて。昼間は割と夏のように暑かったです。でも、今(夜)は、少し雨が降っています。

で、私の方は今日も書証の整理をして。だいたい、明日か明後日くらいには終わるだろう、と思うわけです。で、印刷の合間に、せっせと読んで。7番目の兄さんには、「ヨーロッパの西の端のアイルランドのケルトの古層には、漁撈民の神話の古層が残っているので、良く勉強するように、と言われる気がするわけで。で、「ジェイコブズから始めよう」と言われるので、「ケルト魔法民話集」を読み出して。

で、ケルトには、「長腕のルー」という太陽神がいるわけで。その父親はキアンといって、「豚」に変身することができるわけです。というか、豚の姿で敵に捕まって殺されてしまう、というか、そんな感じであって。で、息子のルーは、海神の養子でもあって、養父から特別な剣とか馬とかを貰ったり、借りたりしていて。要するに、「ルー」とは、「豚の太陽神(男性)」ですよねえ? と思う。そういう神はどこから来たのだろうか、と思う。

そして、ルーは普段は特別な槍を武器に使っていて。で、たまたまカイトリーも読んでいたわけですが、北欧神話のロキは、自分のした悪さの償いに、小人に特別な槍とか、船を作って貰うわけです。「ロキの宝」って、ケルトの「ルーの宝」と同じものなんじゃないの? ロキも太陽神なの? 子音からいって、ロキとはルーのことなんじゃないの? と思う。でも、ケルトのルーが普通の太陽神であるのに対して、北欧神話のロキは、トリックスターというか神々の中ではちょっと変わっていて、嫌われ者の存在であって。「何故なんだろう?」と思う。

そうすると、豚は長江文明で一番古く飼いだした動物であって。長江文明は、チベット系の虎の太陽女神を母神とする母系の人々と、やや父系の漁撈民の混血の文化であるので。母系の人々は「太陽=虎女神(水稲耕作としては蛙)、月=虎の獲物の男神(古い順に鹿、牛、豚など)」としてる。一方、月神を食べる「やや父系」の人々は「太陽=豚男神、月=植物(穀物)」としてる。だから、豚は、状況に応じて、月にも太陽にもなり得る。ルーやロキは「ルドラ神群のシヴァ」のことなので。インドには、「太陽=ドゥルガー、月=シヴァ」と、「太陽=シヴァ、月=サティー」という長江文明の形式が残されてる、と言われる気がするわけで@@。シヴァの持つ武器も槍である。要するに「豚の太陽神」の武器である「槍」とは、猪とか豚の牙のことなんだ? と思う。

でも、ルーはケルトでは、普通の神様で、悪神ではないです。ということは、古い時代のアイルランドは、漁撈民の文化が強くて、長江文明の「人食いの神」が「良い神様」になってるんだ? と思う。そうすると、「ルーは、祖父である邪眼のバラーを殺すでしょ。バラーとは、メソポタミアのバアルのことで、アイルランド以外では良き天候神とされてる。バラーは、ケルトでは北方からやってきた、悪神の一族の一人です。でも、バラーの娘は、アイルランドの神であるキアンの子供を産んで、それがルーです。バラーは「B」の子音で始まるから「狼」のことです。北方からやってきたバラーは、近親であるルーが敵の側についていて、そのルーに殺される。要するにバラーは黄帝のことで、ルーはその後継者のことです。ケルトの人々は本来的には印欧語族ではないので、印欧語族に文化は似ているけれども、漁撈民に近い伝承を持っている。北欧神話のロキが、特殊な悪い存在なのは、他の神々が黄河文明由来の神であるのに対して、ロキだけが長江文明由来の神だから、ロキだけ毛色が違う。」と言われる気がするわけで@@。ルーとバラーの伝承は、長江文明の側から見た黄帝の伝承なんだ? と思う。

でも、そういう「豚の太陽神」が強く信仰されているところほど、「人の犠牲」が盛んであったところですよ。ケルトの人々も良く生け贄を捧げた。北欧もそうだし、インドのサティー(寡婦殉死)もつい最近まで行われていた、と言われる気がするわけで@@。

で、中国の神話の方では、河の神を鎮めるために、毎年若い娘を「妻」として生け贄に捧げる祭祀のことが書いてあって。で、しかも祭祀を行う費用を、庶民から巻き上げて集める、ということをしていたから、この祭祀は評判が悪かったわけです。それって、あれだ、お祭りにかこつけて、庶民から金品を集めたら、それは「お布施」の始め、ということだよねえ、と思う。お祭りが主催者のお金儲けの道具に使われるようになっていて。そのあたりから、神々に対する畏敬の念も消えていったのではないか、と思う。

で、今日は午後から「音楽の日」を見ていて。大勢の兄さん達に結縁できて良かった、と思うのです。