本日の日誌

本日は、おおむね晴れたのですが、昨夜大雨が降ったので、地下に水が湧いてくるようになってしまってー;。親と姉は、一日だいたい水くみをしていたのでした。その他、草取りとか。私が外に出ると、隣家がわざとらしく大騒ぎしながら掃除機をかけたりするわけで。工務店と組んで、我が家の敷地内に排水をするような工事を勝手にしていたくせに、図々しいな、と思うわけです。

で、私の作業の方は、今日もなんとかノルマ以上に進めることができて。で、紙をもうちょっと買い足したい、と言ったら親に驚かれて。親と姉も頑張ってるけど、だって、私も朝から深夜まで、資料の整理に没頭してるんだものー、証拠に出す紙の消費も激しくなるって、と思う。

で、7番目の兄さんには、昨日あたり、なんとなく、「婆(ババ)」というのは、「狼(Wolf)」のことだから。「B」の子音は「狼」ということ、と言われる気がするわけで。要するに、メソの古い太陽神バッバルとか、ロシアの森の妖婆バーバ・ヤーガ、フィンランドのカレワラのロウヒとかですよねえ? と思う。

で、今日「新編 世界むかし話集」という本が10冊届いたわけです。「新編」といっても、元の「世界むかし話集」が世に出たのが1971年であって、新たに物語を追加して「新編」となったのが、1977年であるので。今買うと、全巻セットで3万5千円とかするわけですが。中古で買えば6000円だよ、買っちゃえ、と言われる気がするので、買ったわけで。ともかく、神話の研究をするには、基礎資料が必要、といわれる気がするわけで。で、スラブ(ロシア)の民話に、バーバ・ヤーガの物語があるわけで。小さな女の子が、継母に虐められて、森の中の人食いのバーバ・ヤーガのところに使いに出されるわけです。女の子は、バーバ・ヤーガの罠をかいくぐって家になんとか逃げ戻ることができたわけですが。「あー、でも、これ「赤ずきんちゃん」と同じ類いの話だー。」と思って。人食いのバーバ・ヤーガとは、森の主人である狼のことである。赤ずきんちゃんでは、おばあさんは森の中に住んでいて、お祖母さんも赤ずきんちゃんも狼に食べられてしまことになっている。でも、元々「お祖母さん」と「狼」は同じもので、赤ずきんちゃんは、先祖の神の狼に食べられて、森の豊穣をもたらすために、供物と共に森に置き去りにされた生け贄の子供のことだー、と気がついて。「赤ずきんちゃん」では、なんで、「お祖母さん」と「狼」は分けられたのですかね? と思う。そうすると、それは「キリスト教化が一番の原因であって、動物が先祖のトーテムである、という思想が禁止されたこと、生け贄の祭祀そのものも禁止されたことから、神話がキリスト教教会が妥当と見なされる程度に、書き換えられたもの。」と言われる気がするわけで@@。でも、本来、先祖のトーテムは「階級」と大きく関係するものだから、自分の先祖のトーテムを忘れさせられた者は、トーテムのない「最下層の流民」となることになるので、それはとても危険なこと、と言われる気がするわけで@@。「お祖母さん」は狼だから、普段から村ではなくて、森の中に住んでいる。普通は幼い子供を一人で森に行かせたりはしないけれども、赤ずきんちゃんは、もう生け贄にする予定だから、一人で森においやられる、と言われる気がするわけで@@。動物と人が等価であって、人と動物が簡単に結婚して子孫を残す、という思想は北方の狩猟民のもの、植物の豊穣を求めて神に犠牲を捧げるのは南方の漁撈民のもので、その2つが習合して「赤ずきんちゃん」の思想はできている、と言われる気がするわけで。だから、漁撈民的にいえば、「赤ずきんちゃん」とは、植物の豊穣のために殺されるハイヌウェレだし、「金枝篇」のフレイザー的にいえば、「赤ずきんちゃん」とは、森の豊穣のために生け贄に捧げられる解放奴隷、ということになる、と言われる気がするわけで。

7番目の兄さんは、自分のことは、総本家の遠いご先祖様だから、「狼」だと思ってるらしいですが。夜は、「VS嵐」を見て。で、なんだか、あんまりテレビの内容が頭に入ってこない、というか「?」という感じであって。7番目の兄さんがふっと降臨してきて、「狼おじさんが、赤ずきんちゃんを食べちゃう」とかって言って抱きついてくる気がするわけで-;。「食べられちゃう-」と思うわけですが。どうも、7番目の兄さんに捕まってしまって、嵐を見ても、あんまり頭に入ってこない気がするわけで。潤ちゃん、ごめんー、とは思うわけですが-;。

本日の日誌

本日は、おおむね晴れたのですが、昨夜大雨が降ったので、地下に水が湧いてくるようになってしまってー;。親と姉は、一日だいたい水くみをしていたのでした。その他、草取りとか。私が外に出ると、隣家がわざとらしく大騒ぎしながら掃除機をかけたりするわけで。工務店と組んで、我が家の敷地内に排水をするような工事を勝手にしていたくせに、図々しいな、と思うわけです。

で、私の作業の方は、今日もなんとかノルマ以上に進めることができて。で、紙をもうちょっと買い足したい、と言ったら親に驚かれて。親と姉も頑張ってるけど、だって、私も朝から深夜まで、資料の整理に没頭してるんだものー、証拠に出す紙の消費も激しくなるって、と思う。

で、7番目の兄さんには、昨日あたり、なんとなく、「婆(ババ)」というのは、「狼(Wolf)」のことだから。「B」の子音は「狼」ということ、と言われる気がするわけで。要するに、メソの古い太陽神バッバルとか、ロシアの森の妖婆バーバ・ヤーガ、フィンランドのカレワラのロウヒとかですよねえ? と思う。

で、今日「新編 世界むかし話集」という本が10冊届いたわけです。「新編」といっても、元の「世界むかし話集」が世に出たのが1971年であって、新たに物語を追加して「新編」となったのが、1977年であるので。今買うと、全巻セットで3万5千円とかするわけですが。中古で買えば6000円だよ、買っちゃえ、と言われる気がするので、買ったわけで。ともかく、神話の研究をするには、基礎資料が必要、といわれる気がするわけで。で、スラブ(ロシア)の民話に、バーバ・ヤーガの物語があるわけで。小さな女の子が、継母に虐められて、森の中の人食いのバーバ・ヤーガのところに使いに出されるわけです。女の子は、バーバ・ヤーガの罠をかいくぐって家になんとか逃げ戻ることができたわけですが。「あー、でも、これ「赤ずきんちゃん」と同じ類いの話だー。」と思って。人食いのバーバ・ヤーガとは、森の主人である狼のことである。赤ずきんちゃんでは、おばあさんは森の中に住んでいて、お祖母さんも赤ずきんちゃんも狼に食べられてしまことになっている。でも、元々「お祖母さん」と「狼」は同じもので、赤ずきんちゃんは、先祖の神の狼に食べられて、森の豊穣をもたらすために、供物と共に森に置き去りにされた生け贄の子供のことだー、と気がついて。「赤ずきんちゃん」では、なんで、「お祖母さん」と「狼」は分けられたのですかね? と思う。そうすると、それは「キリスト教化が一番の原因であって、動物が先祖のトーテムである、という思想が禁止されたこと、生け贄の祭祀そのものも禁止されたことから、神話がキリスト教教会が妥当と見なされる程度に、書き換えられたもの。」と言われる気がするわけで@@。でも、本来、先祖のトーテムは「階級」と大きく関係するものだから、自分の先祖のトーテムを忘れさせられた者は、トーテムのない「最下層の流民」となることになるので、それはとても危険なこと、と言われる気がするわけで@@。「お祖母さん」は狼だから、普段から村ではなくて、森の中に住んでいる。普通は幼い子供を一人で森に行かせたりはしないけれども、赤ずきんちゃんは、もう生け贄にする予定だから、一人で森においやられる、と言われる気がするわけで@@。動物と人が等価であって、人と動物が簡単に結婚して子孫を残す、という思想は北方の狩猟民のもの、植物の豊穣を求めて神に犠牲を捧げるのは南方の漁撈民のもので、その2つが習合して「赤ずきんちゃん」の思想はできている、と言われる気がするわけで。だから、漁撈民的にいえば、「赤ずきんちゃん」とは、植物の豊穣のために殺されるハイヌウェレだし、「金枝篇」のフレイザー的にいえば、「赤ずきんちゃん」とは、森の豊穣のために生け贄に捧げられる解放奴隷、ということになる、と言われる気がするわけで。

7番目の兄さんは、自分のことは、総本家の遠いご先祖様だから、「狼」だと思ってるらしいですが。夜は、「VS嵐」を見て。で、なんだか、あんまりテレビの内容が頭に入ってこない、というか「?」という感じであって。7番目の兄さんがふっと降臨してきて、「狼おじさんが、赤ずきんちゃんを食べちゃう」とかって言って抱きついてくる気がするわけで-;。「食べられちゃう-」と思うわけですが。どうも、7番目の兄さんに捕まってしまって、嵐を見ても、あんまり頭に入ってこない気がするわけで。潤ちゃん、ごめんー、とは思うわけですが-;。

本日の日誌

本日も、昼間は晴れて、普通に作業できた日であって。でも、夜になって雨が降ってきました。九州の方は大雨らしいです。で、たまに私が外に出ると、隣家が聞こえよがしに騒いだり、窓を開閉していて。

で、私の作業の方は、今日もなんとかノルマ以上に進めることができて。割と今日は普通どおりでした。

で、お手紙を出したり、支払いをしたりして。月初めの、恒例の内容証明の控えの不在通知がポストに入っていました。受け取りは明日にする予定。

で、今日は、7番目の兄さんに、「西洋の民話を、理解できるかどうかいくつか読んでみよう。」と言われる気がするわけで。で、けっこう生首だのなんだのが出てくる民話もあるわけで。そういったものは、「木の実」とも関連するし、「金枝」が出てくる話もあって。要は。ヤドリギであるところの「金枝」も「木の実」と似たものと考えられていて、「木の生首」だと考えられていたらしくて。「森の王」である「金枝」を切り落とすのは、「森の王の首を切り落とすこと」であり、その再生のために、「森の王」の化身である「人間の森の王」の首を切り落として、森と木を再生しなければならない、という信仰なのだと思う。やはり、南方系の漁撈民の信仰が元にあるのだと思うのです。

でも、私の方は、「饕餮」がなぜ、西欧では雷神なのかを知りたいと思う。その答えが見つかるかどうかは分からないのですが、「中国神話」もちょこちょこと読んでいます。

で、日記に見たテレビとか、ちょっと書いておくとよさそう、と思う。昨夜は遅くまで起きていて「ブンブブーン」を見る。お昼にも「ブンブブーン」を見る。夕飯には、昨夜からローカルで始まった「タメ旅」を見る。で、「キスマイBUSAIKU」のスペシャルを細切れに見る、ということで。そんな感じの一日だったのでした。

本日の日誌

本日も、昼間は晴れて、普通に作業できた日であって。でも、夜になって雨が降ってきました。九州の方は大雨らしいです。で、たまに私が外に出ると、隣家が聞こえよがしに騒いだり、窓を開閉していて。

で、私の作業の方は、今日もなんとかノルマ以上に進めることができて。割と今日は普通どおりでした。

で、お手紙を出したり、支払いをしたりして。月初めの、恒例の内容証明の控えの不在通知がポストに入っていました。受け取りは明日にする予定。

で、今日は、7番目の兄さんに、「西洋の民話を、理解できるかどうかいくつか読んでみよう。」と言われる気がするわけで。で、けっこう生首だのなんだのが出てくる民話もあるわけで。そういったものは、「木の実」とも関連するし、「金枝」が出てくる話もあって。要は。ヤドリギであるところの「金枝」も「木の実」と似たものと考えられていて、「木の生首」だと考えられていたらしくて。「森の王」である「金枝」を切り落とすのは、「森の王の首を切り落とすこと」であり、その再生のために、「森の王」の化身である「人間の森の王」の首を切り落として、森と木を再生しなければならない、という信仰なのだと思う。やはり、南方系の漁撈民の信仰が元にあるのだと思うのです。

でも、私の方は、「饕餮」がなぜ、西欧では雷神なのかを知りたいと思う。その答えが見つかるかどうかは分からないのですが、「中国神話」もちょこちょこと読んでいます。

で、日記に見たテレビとか、ちょっと書いておくとよさそう、と思う。昨夜は遅くまで起きていて「ブンブブーン」を見る。お昼にも「ブンブブーン」を見る。夕飯には、昨夜からローカルで始まった「タメ旅」を見る。で、「キスマイBUSAIKU」のスペシャルを細切れに見る、ということで。そんな感じの一日だったのでした。

本日の日誌

本日も、1日晴れて、普通に作業できた日であって。お手紙に同封する写真を撮りに潜って、崩落の状態なんかもチェックして。天井をちょっと広く掘りすぎてるのだと思う。ちょっとの土を残しておくことだけで、崩落を防ぐことができるんだよねえー;。でも、奥が廊下の基礎に沿って、ずいぶんとまっすぐになってきてるので、ちょっと感無量でした。これで、部屋の入り口も綺麗になるし、もっと北寄りに掘れば、2階の部屋の入り口も綺麗になるわけだから。

で、私の作業の方は、今日もなんとかノルマ以上に進めることができて。午前中、あまりにもやる気にならなかったので、「今日はノルマは無理かも」と思ったのですが、夜になってから頑張れました。

で、買うように指定された中古本があったので、注文したら、いつまでの支払い方法の連絡が来なくて。こちらから催促したら、とっとと連絡してきたので、これも嫌がらせかも、と思う。

で、裁判用の書類のノルマ以外に、7番目の兄さんには、いろいろと教えたいことがあるようで。毎日、決まったお題があるらしくて。芋の女神に関する伝承を調べたり、熊トーテムの信仰について調べたり、狼信仰(犬信仰)について調べたりしていて。「世界の民話」をたっぷり買ったので、基礎資料には困らないわけで。各地の神話を比較するために、「世界」の方がいいんだなー、と思う。日本の民話だけを読んでいても分からないことがあるので。本日は、「中国の神話伝説」という本を読んで、「八犬伝」の元ネタになった話を見つける。犬と人間が当たり前に結婚して子孫を残す、というのは北方系の狩猟民の思想ですが、あちこちに南方系のバラバラ神話が顔を出すわけで。各地の文化が、融合し、習合したものが、中国の文化の基盤にあるんだなあ、と思う。でも、裁判のノルマの方で忙しくて、お勉強の成果を書く暇があんまりありませんー;。兄さんには、人は狩猟民であった時代の方が、人口が少ないので、人身御供はあまりやらない。人の首を植物の実に見立てて、どんどん人身御供を立てるようになったのは、むしろ農耕が開始されて、余剰な人口が生じるようになってから、と言われる気がするわけで。農耕は、食料の供給を安定させて、人の生活も安定させるはずのものであったのに、果てしのない差別意識や階級意識を作り出す原因にもなっているんだなあ、と思う。動物というものが、農耕を行わないことが普通であるなら、人類は、自らが動物らしからぬ「不自然なこと」を始めた時に生じた矛盾やひずみを未だ自ら解決できない状態、と言われる気がするわけで。難しい問題だー、と思ったのでした。