本日の日誌

本日は、夕方に晴れているのに、夕立があって。お外組の仕事はそこで終わり、ということで。

私の方は、せっせと印刷をして。ともかく、書証の整理と言うことは、印刷して整理、の繰り返しなので、印刷の待ち時間が速度に大きく影響して。頭脳の方は、あまり使わないのですが。

で、中古の安い本を大量に買ったので、次々と届く。で、南洋の「ウナギの悪霊」に関する本もいくつか届く。印刷の待ち時間のお供に、「中国の神話」とかカイトリーとかちょこちょこと読んで。で、「中国の神話」には、ゲイ神話が詳しく書かれていて興味深く思う。ゲイとは、弓の名手で、太陽が10個登った時に、9つを射落とした、という「射日神話」の主人公である。ゲイは太陽を射た後も、中国各地の化け物退治に転戦する。そして、妻に逃げられて(というか死別か?)、後継者とみなされていた者に殺される。で、カイトリーも、丁度、古代ペルシャの英雄ロスタムの項を読んでいて。ロスタムとは、人の脳を喰う蛇王ザッハークを倒した、古代ペルシャの英雄である。でも、その最後は実の息子と戦って、殺してしまい、ロスタムは悲劇の内に死ぬ。そして、ロスタムもゲイも晩年は「不老不死」の薬を求めてさまよう。一方、ブリテンのアーサー王は、その最後は、息子(あるいは甥)と争って、「妖精の国」に治療のために連れ去られる。しかし、人々はイングランドに危機が起これば、アーサー王は戻ってくると考えていた。

だいたい、ロスタムっていうのは、アケメネス朝の「英雄先祖」のことですよねえ? ヒッタイト神話の、イルヤンカ退治のテシュブのことなんじゃん? と思う。でもって、ロスタムとは、ゲイのことですよねえ? どちらも、武術の名手で、たぶん弓の名手で、最後は悲劇である。要するに、こう考えるしかない。

蚩尤を倒した「黄帝」とは、中国の王朝の「英雄先祖」といえるけれども、元々の中原の人間というよりは、北方の遊牧騎馬民族出身の若者であって、武勇と知略に優れて、中原の名家に「婿入り」して、長江文明を滅ぼして、王となったけれども、おそらく、妻とはあまりうまくいってなくて、後継者とみられる男子と争って、殺されている。この「後継者」というのは、はっきりしないけれども、直系の息子、とうよりは、父親とは疎遠に育った庶子の息子、あるいは甥、あるいは弟、であると思う。黄帝は、良き王であったけれども、その近親の後継者は、長江付近の「人食い」の悪癖に染まって、かつ、暴君だった。「庶子の息子」というのは、そっちに生まれ育って子供、ということで。

要するに、「黄帝」というのは、印欧語族にとっては、精神的な「英雄先祖」であって、「黄帝」は中国本土では、神である「黄帝」、悲劇の英雄である「ゲイ」、お犬様の英雄「盤瓠」に別れたのだと思う。(なぜなら、狼トーテムの人間だから)その英雄先祖が、印欧語族と共に各地にばらまかれたから、黄帝も、ロスタムも、テシュブも、アーサー王も、「みんな同じ人」なんじゃないの? と思う。

だから、黄帝が、南方の思想に染まった「息子」と対立した時に、印欧語族全体も二つに分裂した。「父」の側につく人と、「息子」の側につく人と。要するに、「富の王家」は「父」の側についているし、「ローマ人」は「息子」の側についているのだと思う。でも、「黄帝」とは、魂の力が強くて、何度でも生まれ変わる人なので、昔の人風にいえば、「殺されても死なない不老不死の人」である。だから、「父と息子」は今でも戦い続けている。

要するに、私に対して、いろんな民話や神話を読んで、お勉強しろ、ということは、まずは東洋と西洋における「KB」の女神、「蛙の女神」の役割を知ること。それと同時に、もう一つ、「黄帝」を知って、何度生まれ変わっても結局「悲劇的な死」を迎えてしまうその青年の運命を変えて欲しい、それが亡くなった人の遺言です、と言われる気がするわけで。それは富の王家の悲願でもあるし、「世界の半分」の悲願でもあるのだと思う。えー、でも、持って生まれた性格は死ななきゃ治らないから、死ねなかったら治らないんじゃないの? とか、ごく冷たいことを言う私がいるわけだがー;。その兄さんは、あれこれ考え過ぎちゃわないで、もっと自分の気持ちに普通に素直になった方がいいですよ、あんまり6番目の子に焼き餅焼かないで、と思うわけでー;。

だいたい、私如きに何ができるでしょうか? ということもあるし、私の方が10も年上だから、どちらにしても私の方が先に死ぬし? と思う。でも、「父」と「不肖な息子」のどちらにつくのか? と聞かれたら、7番目の兄さんの方につきます。というか、もう一方についたら、殺されちゃうんじゃん?? ということで-;。できることがあれば、できれば良いなあ、と思うわけです。今日はなんだか、水曜日にお風呂に入っているときに、ふっと7番目の兄さんに「喪服は好きじゃないけど、こういうときはやむを得ない」と言われた気がして。それを思い出したのでした。

本日の日誌

本日は、夕方に晴れているのに、夕立があって。お外組の仕事はそこで終わり、ということで。

私の方は、せっせと印刷をして。ともかく、書証の整理と言うことは、印刷して整理、の繰り返しなので、印刷の待ち時間が速度に大きく影響して。頭脳の方は、あまり使わないのですが。

で、中古の安い本を大量に買ったので、次々と届く。で、南洋の「ウナギの悪霊」に関する本もいくつか届く。印刷の待ち時間のお供に、「中国の神話」とかカイトリーとかちょこちょこと読んで。で、「中国の神話」には、ゲイ神話が詳しく書かれていて興味深く思う。ゲイとは、弓の名手で、太陽が10個登った時に、9つを射落とした、という「射日神話」の主人公である。ゲイは太陽を射た後も、中国各地の化け物退治に転戦する。そして、妻に逃げられて(というか死別か?)、後継者とみなされていた者に殺される。で、カイトリーも、丁度、古代ペルシャの英雄ロスタムの項を読んでいて。ロスタムとは、人の脳を喰う蛇王ザッハークを倒した、古代ペルシャの英雄である。でも、その最後は実の息子と戦って、殺してしまい、ロスタムは悲劇の内に死ぬ。そして、ロスタムもゲイも晩年は「不老不死」の薬を求めてさまよう。一方、ブリテンのアーサー王は、その最後は、息子(あるいは甥)と争って、「妖精の国」に治療のために連れ去られる。しかし、人々はイングランドに危機が起これば、アーサー王は戻ってくると考えていた。

だいたい、ロスタムっていうのは、アケメネス朝の「英雄先祖」のことですよねえ? ヒッタイト神話の、イルヤンカ退治のテシュブのことなんじゃん? と思う。でもって、ロスタムとは、ゲイのことですよねえ? どちらも、武術の名手で、たぶん弓の名手で、最後は悲劇である。要するに、こう考えるしかない。

蚩尤を倒した「黄帝」とは、中国の王朝の「英雄先祖」といえるけれども、元々の中原の人間というよりは、北方の遊牧騎馬民族出身の若者であって、武勇と知略に優れて、中原の名家に「婿入り」して、長江文明を滅ぼして、王となったけれども、おそらく、妻とはあまりうまくいってなくて、後継者とみられる男子と争って、殺されている。この「後継者」というのは、はっきりしないけれども、直系の息子、とうよりは、父親とは疎遠に育った庶子の息子、あるいは甥、あるいは弟、であると思う。黄帝は、良き王であったけれども、その近親の後継者は、長江付近の「人食い」の悪癖に染まって、かつ、暴君だった。「庶子の息子」というのは、そっちに生まれ育って子供、ということで。

要するに、「黄帝」というのは、印欧語族にとっては、精神的な「英雄先祖」であって、「黄帝」は中国本土では、神である「黄帝」、悲劇の英雄である「ゲイ」、お犬様の英雄「盤瓠」に別れたのだと思う。(なぜなら、狼トーテムの人間だから)その英雄先祖が、印欧語族と共に各地にばらまかれたから、黄帝も、ロスタムも、テシュブも、アーサー王も、「みんな同じ人」なんじゃないの? と思う。

だから、黄帝が、南方の思想に染まった「息子」と対立した時に、印欧語族全体も二つに分裂した。「父」の側につく人と、「息子」の側につく人と。要するに、「富の王家」は「父」の側についているし、「ローマ人」は「息子」の側についているのだと思う。でも、「黄帝」とは、魂の力が強くて、何度でも生まれ変わる人なので、昔の人風にいえば、「殺されても死なない不老不死の人」である。だから、「父と息子」は今でも戦い続けている。

要するに、私に対して、いろんな民話や神話を読んで、お勉強しろ、ということは、まずは東洋と西洋における「KB」の女神、「蛙の女神」の役割を知ること。それと同時に、もう一つ、「黄帝」を知って、何度生まれ変わっても結局「悲劇的な死」を迎えてしまうその青年の運命を変えて欲しい、それが亡くなった人の遺言です、と言われる気がするわけで。それは富の王家の悲願でもあるし、「世界の半分」の悲願でもあるのだと思う。えー、でも、持って生まれた性格は死ななきゃ治らないから、死ねなかったら治らないんじゃないの? とか、ごく冷たいことを言う私がいるわけだがー;。その兄さんは、あれこれ考え過ぎちゃわないで、もっと自分の気持ちに普通に素直になった方がいいですよ、あんまり6番目の子に焼き餅焼かないで、と思うわけでー;。

だいたい、私如きに何ができるでしょうか? ということもあるし、私の方が10も年上だから、どちらにしても私の方が先に死ぬし? と思う。でも、「父」と「不肖な息子」のどちらにつくのか? と聞かれたら、7番目の兄さんの方につきます。というか、もう一方についたら、殺されちゃうんじゃん?? ということで-;。できることがあれば、できれば良いなあ、と思うわけです。今日はなんだか、水曜日にお風呂に入っているときに、ふっと7番目の兄さんに「喪服は好きじゃないけど、こういうときはやむを得ない」と言われた気がして。それを思い出したのでした。

本日の日誌

本日は、夕方から雨が降って。午前中は主に、お外組が買い物とごみ捨てに出かけていたので、外の仕事は少ししかできなかったのでした。昨日は、家人が歯医者に行ったので、同じ感じでした。

私の方は、月のモノが3日めになったので、やっと意識がはっきりしてきて。(1日目と2日目はぼーっとしてるので-;)で、裁判用の「お仕事」の方は、追加の書証の整理をしたわけですが、有象無象な資料が多すぎて、出したいモノがとっちらかってしまっているので、探すのに大変で-;。あとどのくらいで仕上がるかなあ? と確認中です。まあ、次は金勘定のことしか出す気がないから、あんまり書くことはないわけですが。書証が大量にあるのです。

で、どうも家人がイライラしている感じなので、裁判が近いということと、再び民話・神話学に片足を突っ込みつつあるから、いろいろと調べられることが嫌な人達がいるのだと思う。裁判の方は、例によって、「締め切りまでになんとかなるかなあ?」というところである。

民話・神話の方は、「女性差別と、その最たるものである寡婦殉死についての歴史を調べるように。」と言われるのであって。女性差別や階級差別の原因を探って、将来的にはその解決方法を探れるように、ということなのではないかと思うわけですが。そもそも、オーストロネシア語族の植物の豊穣の神話は、男女の性差があまりなくて、地上から上のものは男性、根菜は女性、(丈の低い植物も女性?)という感じであって。それを取り上げるのに、ハイヌウェレだけを取り上げて、「須佐之男とオオゲツヒメ」とか、そういう「女の人が殺される」ことばかりを取り上げて強調するのが、現代の「女性差別」なのだと思う。でも、西欧の方では、ドゥムジ、アドニス、オシリスと、男性が殺される神話もたくさんあるわけで、元は「女神だけが死なねばならない神話」ではないことは、各地の神話を見ればすぐに分かることなのです。

台湾あたりが発祥であり、漁撈民であるオーストロネシア語族の文化が、世界に伝播するには2つの系統があって、一つはインドネシア方面に拡がって、沿岸沿いにインド、中東、地中海と拡がったもの。もう一つは、中国沿岸を北上して、中国東北部辺りで、農耕や栽培が行われなくなった辺りの住人に、「豊穣の祭祀」のみが取り入れられて、遊牧民である彼らが馬に乗ることを覚えて、そこから中央アジアの草原地帯を馬と犬と共に西走してヨーロッパ方面に拡がったものである。シルクロードとしては「天山北路」とかに相当する道だと思うのだけれど、ここを通って印欧語族がクルガン文化を伴って、西欧に拡がっていくのに、2000~3000年くらいかかるわけで。おそらく、その「馬の道」の発祥は、遼河文明あたりだと思う。「竜」の発祥の地である、中国東北部に栄えた遼河文明は、ヒスイで作った「猪竜」が特徴で、これは猪の頭、蛇の尻尾を持っており、かつ馬のたてがみを持っていたりする。豚と蛇信仰は、遙か遠く長江流域に起源があるものですが、馬はそうではないと思う。農耕を行わない彼らは、牧畜が主な生活源であり、男性は、自らの富貴と豊穣のために、馬と女性を殺す祭祀を行っていたと思われます。特に、馬と女性が強く結びつけられていて、その辺りの民話や神話には、「女性が何の豊穣ももたらさず、(でも男には得になるような)男の都合で死ぬ」という傾向があるように思う。なんというか、個人的には「みんなのために死ぬハイヌウェレ」の方がまだマシ、というか、なんで個人的に男の都合に振り回されて、女の人が死なねばならんの? と思う。

オーストロネシア語族の文化の、ごく局地的な伝播経路として、台湾→沖縄→日本列島とあるわけで。でも、私が思うに、このミニ伝播経路で伝わった文化は、あんまり残虐ではないわけです。沖縄には、ウナギが悪霊とされるけれども、ウナギの機嫌を取るために誰かが死ぬ、という話は、おそらくあまりないのではないかと思う。日本で、このミニ伝播経路で伝わった伝承で、一番色濃く残っているのは、「ウナギを食べたら祟られて目が見えなくなった」という話があるので、これは「悪霊のウナギに頭を食べられた」とか、そういう神話の名残なのかなあ、と思う。でも、本土は、後に中国から入ってきている思想が混在しているので、「ぶつ切りにされて赤飯に変化するハイヌウェレ(ウナギ)」とか、いいんだけれども、そんな感じになっているわけで。どちらかといえば、ウナギとは、神というよりも「地震を起こして祟る神」というのが、本来の思想であって、「生け贄」は、その機嫌を取るためのもの、として後から付け加えられたものな気がします。

「馬と遊牧民の道」の方ですが、遼河文明には「緑色の目をした女神」の頭が祭られていた廟がありました。これは、その「頭」が守護の役割も果たしたのだと思います。しかも「緑色の目」をしてるのだから、モンゴロイドじゃなくて、白人の女神なわけです。そして、古代のギリシャ人は、神殿の守護として、「メドゥーサの首」を神殿に飾りました。目の色は分からないけれども、白人の神様ではある。そして、メドゥーサの切り落とされた首からは、ペガソス(天馬)が生まれた、とされており、その父親は海神ポセイドーンでした。要するに、メドゥーサとは、海神に馬の豊穣を願って殺された「女性」ということになります。ギリシャ人は馬の神話が好きで、ポセイドーンは、他にもデーメーテール女神に馬の姿で交尾を迫り、無理矢理馬の子を産ませて、それを怒った女神が隠れてしまった、という神話があるわけで。その一方で、北欧のワルキューレは空飛ぶ白馬に乗って戦場を駆け巡り、戦死者の魂を天上世界へ連れて行く役目を負っていましたし、ケルトの馬の女神エポナは、死者の黄泉路の案内人でもあったので。また、トラキアでは妻は夫の死後殉死して、夫と共に天上世界へ行くとされていて。要するに、印欧語族では、男性(特に戦士)が、死後天国に行くためには、女性と馬が必要であった、という思想があったと示唆される。だから、「馬に関する犠牲」と「寡婦殉死」は、密接に結びついているわけです。でも、ヨーロッパには、「馬のために女神が殺された」という話はあまりありません。そういう話は、痕跡を残して神話や伝承の上からも消えてしまっているといえます。その代わりに、ギリシャには、父親であるアガメムンーンの都合で、生け贄にされてしまう王女イーピゲネイアの物語があります。イーピゲネイアって誰のことですか? 「エポナのことでしょう。」と7番目の兄さんに言われる気がするわけで@@。そりゃそうだ、同じ子音だ@@。と思うわけです。エポナとは「馬の泉」という意味もあるそうで、エポナは水に関する女神でもあります。

しかも、もっと大きな問題がある。印欧語族の神話の中で「神性」があるとして好まれるのは「白馬」だけれども、それは地中海周辺地域に到達して、そこで「より重要」と考えられている「牛」に変更されてしまった。「テュロスの王女として生まれたエウローペーは美しく成長した。あるとき、彼女を見たゼウスは一目で恋に落ち、彼女を誘惑するために自身を白い牡牛に変え、エウローペーが侍女と花を摘んでいるときに近づいた。そして白い牡牛を見つけたエウローペーがその背にまたがると、白い牡牛は海を渡ってエウローペーをクレータ島へと連れ去った。エウローペーが海を渡った西方の地域は彼女の名前から「ヨーロッパ」 (Europa) と呼ばれるようになった。」という神話があるでしょう。「白い牡牛」とは、本来「白馬」であったものです。エウローペーとは、エポナのことだ。「ヨーロッパ」全体が「馬頭娘」だぜ? と言われる気がするわけで@@。

馬と、女性の死が豊穣をもたらし神話の最たるものは、蚕の起源に関する「馬頭娘」であって、中国では明確に、女性の死と馬の関連がはっきしているわけで、女性は「蚕の豊穣」のために殺される「ハイヌウェレ」といえる。中国には、他に神話上の皇帝舜が亡くなった際に、二人の妻が湖飛び込んで殉死した、という話がある。

でも、蚕の話は、日本に「霊異記」に蛇との関連が示唆される伝承があるので、本来は馬ではなく、蛇と関連する話であった可能性が高い。馬頭娘は馬を飼うようになって、馬が重要視されるようになってから後付けで馬が加えられたものです。また、日本武尊の東征の都合で、海に飛び込んで死ぬ弟橘媛の伝承がある。東洋に伝わる、4つの伝承を考察する限り、ハイヌウェレ型の神話が古代中国に伝播し拡がる過程で、「物産の豊穣に関して女神が死ぬ神話」「夫に殉死して女神が死ぬ神話」「単に夫の都合で女神が死ぬ神話」の3つのパターンが東洋で発生しており、それが遼河文明を経て、印欧語族の西進と共に、馬と共に西欧に伝播し、遊牧民にとって馬が重要な動物であったことから、馬と強く関連付けられることになったもの。そして、この女神の名が「エポナ」とされたので、その名が「ヨーロッパ」という地名になるほどに、強く深く拡散したもの、と言われる気がするわけで@@。あまりにも、古い時代に拡散したから、ヨーロッパにおける神話は散逸してしまったけれども、原型に近い話が東洋に残っている。だいたい近所に「望月の駒」っていう話があるでしょう。女性を食らう「月の馬」ですよ、オオゲツヒメを殺す須佐之男か月夜見でしょ? と言われる気がするわけで@@。

これが、世界にはびこる、差別社会と階級社会の根源にある「神話」らしいのですが@@。「望月の駒」?? とか思うわけで。でも、西欧における、馬の神話を探るには、辺境の地である、アイルランド、スコットランド、イングランド、北欧と特例的にギリシャの神話・伝説を洗って学ぶしかない。エポナこそが、ヨーロッパで最大の「月の女神」なのです。ヴァティカヌスですら、その名前を消し去ることができなかった権威ある太母です、と言われる気がするわけで@@。女性が馬の犠牲にされる祭祀は、印欧語族ではごく早い時期に廃れてしまって、むしろ「白馬」の方が犠牲とされることの方が多い。男尊女卑が著しいインドにおいてすら、馬の供犠は古代からの重要な儀式でした。特に王権を支えるための儀式として重要だった。しかし、この「白馬」とは女性なのか? それとも男性なのか? と問われる気がするわけで。女性であればエポナ、男性であればその夫である海神、ネプトゥーヌスかマナナン・マク・リールとかになるのですかねえ? と思う。

しかし、ともかく、ヨーロッパの馬の太母エポナは、ゾロアスターの世界では、アナーヒタ女神へとその性質が大きく取り込まれるわけで。「だいたい、アルテミス・ディアーヌの名を持つ者はエポナの名前を取れないんだよ。そもそも、エポナの男性形の名前が、何だか分かるでしょ?」と言われる気がするわけで。それは、「シヴァ」では? と思う。シヴァの乗り物も、「白い牡牛」だし@@、と思う。「エポナにシヴァっていったら、蛙黽の名前を持つ者にしか、取れない名前でしょ。だいたい、だからエポナは小さな泉の女神なんじゃないの。蛙黽の女神は、小さな泉の中でケロケロ鳴いているのがお似合い。」と言われる気がするわけで@@。

要するに、エポナ・アナーヒタとは馬乗りの印欧語族にとっては、根源的な太母であるけれども、東洋では単なる「生駒姫」に過ぎない。くだらない夫に殉じていないで、自分達の方に出てくるように。あなたの「夫」である海竜王が待っている、と。西欧の人達はそう言いそうである。そして、階級差別と女性差別がはびこる世界をどう変えていったら良いのか、考えて欲しい、と言われそうな気がする。でも、まずは自ら「馬頭娘」の呪いを解かないといけなわけだ。だから、「絹」がそもそも、我が家には危険な代物なんじゃないの? と始めて思うわけですが。

本日の日誌

本日は、夕方から雨が降って。午前中は主に、お外組が買い物とごみ捨てに出かけていたので、外の仕事は少ししかできなかったのでした。昨日は、家人が歯医者に行ったので、同じ感じでした。

私の方は、月のモノが3日めになったので、やっと意識がはっきりしてきて。(1日目と2日目はぼーっとしてるので-;)で、裁判用の「お仕事」の方は、追加の書証の整理をしたわけですが、有象無象な資料が多すぎて、出したいモノがとっちらかってしまっているので、探すのに大変で-;。あとどのくらいで仕上がるかなあ? と確認中です。まあ、次は金勘定のことしか出す気がないから、あんまり書くことはないわけですが。書証が大量にあるのです。

で、どうも家人がイライラしている感じなので、裁判が近いということと、再び民話・神話学に片足を突っ込みつつあるから、いろいろと調べられることが嫌な人達がいるのだと思う。裁判の方は、例によって、「締め切りまでになんとかなるかなあ?」というところである。

民話・神話の方は、「女性差別と、その最たるものである寡婦殉死についての歴史を調べるように。」と言われるのであって。女性差別や階級差別の原因を探って、将来的にはその解決方法を探れるように、ということなのではないかと思うわけですが。そもそも、オーストロネシア語族の植物の豊穣の神話は、男女の性差があまりなくて、地上から上のものは男性、根菜は女性、(丈の低い植物も女性?)という感じであって。それを取り上げるのに、ハイヌウェレだけを取り上げて、「須佐之男とオオゲツヒメ」とか、そういう「女の人が殺される」ことばかりを取り上げて強調するのが、現代の「女性差別」なのだと思う。でも、西欧の方では、ドゥムジ、アドニス、オシリスと、男性が殺される神話もたくさんあるわけで、元は「女神だけが死なねばならない神話」ではないことは、各地の神話を見ればすぐに分かることなのです。

台湾あたりが発祥であり、漁撈民であるオーストロネシア語族の文化が、世界に伝播するには2つの系統があって、一つはインドネシア方面に拡がって、沿岸沿いにインド、中東、地中海と拡がったもの。もう一つは、中国沿岸を北上して、中国東北部辺りで、農耕や栽培が行われなくなった辺りの住人に、「豊穣の祭祀」のみが取り入れられて、遊牧民である彼らが馬に乗ることを覚えて、そこから中央アジアの草原地帯を馬と犬と共に西走してヨーロッパ方面に拡がったものである。シルクロードとしては「天山北路」とかに相当する道だと思うのだけれど、ここを通って印欧語族がクルガン文化を伴って、西欧に拡がっていくのに、2000~3000年くらいかかるわけで。おそらく、その「馬の道」の発祥は、遼河文明あたりだと思う。「竜」の発祥の地である、中国東北部に栄えた遼河文明は、ヒスイで作った「猪竜」が特徴で、これは猪の頭、蛇の尻尾を持っており、かつ馬のたてがみを持っていたりする。豚と蛇信仰は、遙か遠く長江流域に起源があるものですが、馬はそうではないと思う。農耕を行わない彼らは、牧畜が主な生活源であり、男性は、自らの富貴と豊穣のために、馬と女性を殺す祭祀を行っていたと思われます。特に、馬と女性が強く結びつけられていて、その辺りの民話や神話には、「女性が何の豊穣ももたらさず、(でも男には得になるような)男の都合で死ぬ」という傾向があるように思う。なんというか、個人的には「みんなのために死ぬハイヌウェレ」の方がまだマシ、というか、なんで個人的に男の都合に振り回されて、女の人が死なねばならんの? と思う。

オーストロネシア語族の文化の、ごく局地的な伝播経路として、台湾→沖縄→日本列島とあるわけで。でも、私が思うに、このミニ伝播経路で伝わった文化は、あんまり残虐ではないわけです。沖縄には、ウナギが悪霊とされるけれども、ウナギの機嫌を取るために誰かが死ぬ、という話は、おそらくあまりないのではないかと思う。日本で、このミニ伝播経路で伝わった伝承で、一番色濃く残っているのは、「ウナギを食べたら祟られて目が見えなくなった」という話があるので、これは「悪霊のウナギに頭を食べられた」とか、そういう神話の名残なのかなあ、と思う。でも、本土は、後に中国から入ってきている思想が混在しているので、「ぶつ切りにされて赤飯に変化するハイヌウェレ(ウナギ)」とか、いいんだけれども、そんな感じになっているわけで。どちらかといえば、ウナギとは、神というよりも「地震を起こして祟る神」というのが、本来の思想であって、「生け贄」は、その機嫌を取るためのもの、として後から付け加えられたものな気がします。

「馬と遊牧民の道」の方ですが、遼河文明には「緑色の目をした女神」の頭が祭られていた廟がありました。これは、その「頭」が守護の役割も果たしたのだと思います。しかも「緑色の目」をしてるのだから、モンゴロイドじゃなくて、白人の女神なわけです。そして、古代のギリシャ人は、神殿の守護として、「メドゥーサの首」を神殿に飾りました。目の色は分からないけれども、白人の神様ではある。そして、メドゥーサの切り落とされた首からは、ペガソス(天馬)が生まれた、とされており、その父親は海神ポセイドーンでした。要するに、メドゥーサとは、海神に馬の豊穣を願って殺された「女性」ということになります。ギリシャ人は馬の神話が好きで、ポセイドーンは、他にもデーメーテール女神に馬の姿で交尾を迫り、無理矢理馬の子を産ませて、それを怒った女神が隠れてしまった、という神話があるわけで。その一方で、北欧のワルキューレは空飛ぶ白馬に乗って戦場を駆け巡り、戦死者の魂を天上世界へ連れて行く役目を負っていましたし、ケルトの馬の女神エポナは、死者の黄泉路の案内人でもあったので。また、トラキアでは妻は夫の死後殉死して、夫と共に天上世界へ行くとされていて。要するに、印欧語族では、男性(特に戦士)が、死後天国に行くためには、女性と馬が必要であった、という思想があったと示唆される。だから、「馬に関する犠牲」と「寡婦殉死」は、密接に結びついているわけです。でも、ヨーロッパには、「馬のために女神が殺された」という話はあまりありません。そういう話は、痕跡を残して神話や伝承の上からも消えてしまっているといえます。その代わりに、ギリシャには、父親であるアガメムンーンの都合で、生け贄にされてしまう王女イーピゲネイアの物語があります。イーピゲネイアって誰のことですか? 「エポナのことでしょう。」と7番目の兄さんに言われる気がするわけで@@。そりゃそうだ、同じ子音だ@@。と思うわけです。エポナとは「馬の泉」という意味もあるそうで、エポナは水に関する女神でもあります。

しかも、もっと大きな問題がある。印欧語族の神話の中で「神性」があるとして好まれるのは「白馬」だけれども、それは地中海周辺地域に到達して、そこで「より重要」と考えられている「牛」に変更されてしまった。「テュロスの王女として生まれたエウローペーは美しく成長した。あるとき、彼女を見たゼウスは一目で恋に落ち、彼女を誘惑するために自身を白い牡牛に変え、エウローペーが侍女と花を摘んでいるときに近づいた。そして白い牡牛を見つけたエウローペーがその背にまたがると、白い牡牛は海を渡ってエウローペーをクレータ島へと連れ去った。エウローペーが海を渡った西方の地域は彼女の名前から「ヨーロッパ」 (Europa) と呼ばれるようになった。」という神話があるでしょう。「白い牡牛」とは、本来「白馬」であったものです。エウローペーとは、エポナのことだ。「ヨーロッパ」全体が「馬頭娘」だぜ? と言われる気がするわけで@@。

馬と、女性の死が豊穣をもたらし神話の最たるものは、蚕の起源に関する「馬頭娘」であって、中国では明確に、女性の死と馬の関連がはっきしているわけで、女性は「蚕の豊穣」のために殺される「ハイヌウェレ」といえる。中国には、他に神話上の皇帝舜が亡くなった際に、二人の妻が湖飛び込んで殉死した、という話がある。

でも、蚕の話は、日本に「霊異記」に蛇との関連が示唆される伝承があるので、本来は馬ではなく、蛇と関連する話であった可能性が高い。馬頭娘は馬を飼うようになって、馬が重要視されるようになってから後付けで馬が加えられたものです。また、日本武尊の東征の都合で、海に飛び込んで死ぬ弟橘媛の伝承がある。東洋に伝わる、4つの伝承を考察する限り、ハイヌウェレ型の神話が古代中国に伝播し拡がる過程で、「物産の豊穣に関して女神が死ぬ神話」「夫に殉死して女神が死ぬ神話」「単に夫の都合で女神が死ぬ神話」の3つのパターンが東洋で発生しており、それが遼河文明を経て、印欧語族の西進と共に、馬と共に西欧に伝播し、遊牧民にとって馬が重要な動物であったことから、馬と強く関連付けられることになったもの。そして、この女神の名が「エポナ」とされたので、その名が「ヨーロッパ」という地名になるほどに、強く深く拡散したもの、と言われる気がするわけで@@。あまりにも、古い時代に拡散したから、ヨーロッパにおける神話は散逸してしまったけれども、原型に近い話が東洋に残っている。だいたい近所に「望月の駒」っていう話があるでしょう。女性を食らう「月の馬」ですよ、オオゲツヒメを殺す須佐之男か月夜見でしょ? と言われる気がするわけで@@。

これが、世界にはびこる、差別社会と階級社会の根源にある「神話」らしいのですが@@。「望月の駒」?? とか思うわけで。でも、西欧における、馬の神話を探るには、辺境の地である、アイルランド、スコットランド、イングランド、北欧と特例的にギリシャの神話・伝説を洗って学ぶしかない。エポナこそが、ヨーロッパで最大の「月の女神」なのです。ヴァティカヌスですら、その名前を消し去ることができなかった権威ある太母です、と言われる気がするわけで@@。女性が馬の犠牲にされる祭祀は、印欧語族ではごく早い時期に廃れてしまって、むしろ「白馬」の方が犠牲とされることの方が多い。男尊女卑が著しいインドにおいてすら、馬の供犠は古代からの重要な儀式でした。特に王権を支えるための儀式として重要だった。しかし、この「白馬」とは女性なのか? それとも男性なのか? と問われる気がするわけで。女性であればエポナ、男性であればその夫である海神、ネプトゥーヌスかマナナン・マク・リールとかになるのですかねえ? と思う。

しかし、ともかく、ヨーロッパの馬の太母エポナは、ゾロアスターの世界では、アナーヒタ女神へとその性質が大きく取り込まれるわけで。「だいたい、アルテミス・ディアーヌの名を持つ者はエポナの名前を取れないんだよ。そもそも、エポナの男性形の名前が、何だか分かるでしょ?」と言われる気がするわけで。それは、「シヴァ」では? と思う。シヴァの乗り物も、「白い牡牛」だし@@、と思う。「エポナにシヴァっていったら、蛙黽の名前を持つ者にしか、取れない名前でしょ。だいたい、だからエポナは小さな泉の女神なんじゃないの。蛙黽の女神は、小さな泉の中でケロケロ鳴いているのがお似合い。」と言われる気がするわけで@@。

要するに、エポナ・アナーヒタとは馬乗りの印欧語族にとっては、根源的な太母であるけれども、東洋では単なる「生駒姫」に過ぎない。くだらない夫に殉じていないで、自分達の方に出てくるように。あなたの「夫」である海竜王が待っている、と。西欧の人達はそう言いそうである。そして、階級差別と女性差別がはびこる世界をどう変えていったら良いのか、考えて欲しい、と言われそうな気がする。でも、まずは自ら「馬頭娘」の呪いを解かないといけなわけだ。だから、「絹」がそもそも、我が家には危険な代物なんじゃないの? と始めて思うわけですが。

本日の日誌

本日は、夕方から雨が降って。午前中は主に、お外組が買い物とごみ捨てに出かけていたので、外の仕事は少ししかできなかったのでした。昨日は、家人が歯医者に行ったので、同じ感じでした。

私の方は、月のモノが3日めになったので、やっと意識がはっきりしてきて。(1日目と2日目はぼーっとしてるので-;)で、裁判用の「お仕事」の方は、追加の書証の整理をしたわけですが、有象無象な資料が多すぎて、出したいモノがとっちらかってしまっているので、探すのに大変で-;。あとどのくらいで仕上がるかなあ? と確認中です。まあ、次は金勘定のことしか出す気がないから、あんまり書くことはないわけですが。書証が大量にあるのです。

で、どうも家人がイライラしている感じなので、裁判が近いということと、再び民話・神話学に片足を突っ込みつつあるから、いろいろと調べられることが嫌な人達がいるのだと思う。裁判の方は、例によって、「締め切りまでになんとかなるかなあ?」というところである。

民話・神話の方は、「女性差別と、その最たるものである寡婦殉死についての歴史を調べるように。」と言われるのであって。女性差別や階級差別の原因を探って、将来的にはその解決方法を探れるように、ということなのではないかと思うわけですが。そもそも、オーストロネシア語族の植物の豊穣の神話は、男女の性差があまりなくて、地上から上のものは男性、根菜は女性、(丈の低い植物も女性?)という感じであって。それを取り上げるのに、ハイヌウェレだけを取り上げて、「須佐之男とオオゲツヒメ」とか、そういう「女の人が殺される」ことばかりを取り上げて強調するのが、現代の「女性差別」なのだと思う。でも、西欧の方では、ドゥムジ、アドニス、オシリスと、男性が殺される神話もたくさんあるわけで、元は「女神だけが死なねばならない神話」ではないことは、各地の神話を見ればすぐに分かることなのです。

台湾あたりが発祥であり、漁撈民であるオーストロネシア語族の文化が、世界に伝播するには2つの系統があって、一つはインドネシア方面に拡がって、沿岸沿いにインド、中東、地中海と拡がったもの。もう一つは、中国沿岸を北上して、中国東北部辺りで、農耕や栽培が行われなくなった辺りの住人に、「豊穣の祭祀」のみが取り入れられて、遊牧民である彼らが馬に乗ることを覚えて、そこから中央アジアの草原地帯を馬と犬と共に西走してヨーロッパ方面に拡がったものである。シルクロードとしては「天山北路」とかに相当する道だと思うのだけれど、ここを通って印欧語族がクルガン文化を伴って、西欧に拡がっていくのに、2000~3000年くらいかかるわけで。おそらく、その「馬の道」の発祥は、遼河文明あたりだと思う。「竜」の発祥の地である、中国東北部に栄えた遼河文明は、ヒスイで作った「猪竜」が特徴で、これは猪の頭、蛇の尻尾を持っており、かつ馬のたてがみを持っていたりする。豚と蛇信仰は、遙か遠く長江流域に起源があるものですが、馬はそうではないと思う。農耕を行わない彼らは、牧畜が主な生活源であり、男性は、自らの富貴と豊穣のために、馬と女性を殺す祭祀を行っていたと思われます。特に、馬と女性が強く結びつけられていて、その辺りの民話や神話には、「女性が何の豊穣ももたらさず、(でも男には得になるような)男の都合で死ぬ」という傾向があるように思う。なんというか、個人的には「みんなのために死ぬハイヌウェレ」の方がまだマシ、というか、なんで個人的に男の都合に振り回されて、女の人が死なねばならんの? と思う。

オーストロネシア語族の文化の、ごく局地的な伝播経路として、台湾→沖縄→日本列島とあるわけで。でも、私が思うに、このミニ伝播経路で伝わった文化は、あんまり残虐ではないわけです。沖縄には、ウナギが悪霊とされるけれども、ウナギの機嫌を取るために誰かが死ぬ、という話は、おそらくあまりないのではないかと思う。日本で、このミニ伝播経路で伝わった伝承で、一番色濃く残っているのは、「ウナギを食べたら祟られて目が見えなくなった」という話があるので、これは「悪霊のウナギに頭を食べられた」とか、そういう神話の名残なのかなあ、と思う。でも、本土は、後に中国から入ってきている思想が混在しているので、「ぶつ切りにされて赤飯に変化するハイヌウェレ(ウナギ)」とか、いいんだけれども、そんな感じになっているわけで。どちらかといえば、ウナギとは、神というよりも「地震を起こして祟る神」というのが、本来の思想であって、「生け贄」は、その機嫌を取るためのもの、として後から付け加えられたものな気がします。

「馬と遊牧民の道」の方ですが、遼河文明には「緑色の目をした女神」の頭が祭られていた廟がありました。これは、その「頭」が守護の役割も果たしたのだと思います。しかも「緑色の目」をしてるのだから、モンゴロイドじゃなくて、白人の女神なわけです。そして、古代のギリシャ人は、神殿の守護として、「メドゥーサの首」を神殿に飾りました。目の色は分からないけれども、白人の神様ではある。そして、メドゥーサの切り落とされた首からは、ペガソス(天馬)が生まれた、とされており、その父親は海神ポセイドーンでした。要するに、メドゥーサとは、海神に馬の豊穣を願って殺された「女性」ということになります。ギリシャ人は馬の神話が好きで、ポセイドーンは、他にもデーメーテール女神に馬の姿で交尾を迫り、無理矢理馬の子を産ませて、それを怒った女神が隠れてしまった、という神話があるわけで。その一方で、北欧のワルキューレは空飛ぶ白馬に乗って戦場を駆け巡り、戦死者の魂を天上世界へ連れて行く役目を負っていましたし、ケルトの馬の女神エポナは、死者の黄泉路の案内人でもあったので。また、トラキアでは妻は夫の死後殉死して、夫と共に天上世界へ行くとされていて。要するに、印欧語族では、男性(特に戦士)が、死後天国に行くためには、女性と馬が必要であった、という思想があったと示唆される。だから、「馬に関する犠牲」と「寡婦殉死」は、密接に結びついているわけです。でも、ヨーロッパには、「馬のために女神が殺された」という話はあまりありません。そういう話は、痕跡を残して神話や伝承の上からも消えてしまっているといえます。その代わりに、ギリシャには、父親であるアガメムンーンの都合で、生け贄にされてしまう王女イーピゲネイアの物語があります。イーピゲネイアって誰のことですか? 「エポナのことでしょう。」と7番目の兄さんに言われる気がするわけで@@。そりゃそうだ、同じ子音だ@@。と思うわけです。エポナとは「馬の泉」という意味もあるそうで、エポナは水に関する女神でもあります。

しかも、もっと大きな問題がある。印欧語族の神話の中で「神性」があるとして好まれるのは「白馬」だけれども、それは地中海周辺地域に到達して、そこで「より重要」と考えられている「牛」に変更されてしまった。「テュロスの王女として生まれたエウローペーは美しく成長した。あるとき、彼女を見たゼウスは一目で恋に落ち、彼女を誘惑するために自身を白い牡牛に変え、エウローペーが侍女と花を摘んでいるときに近づいた。そして白い牡牛を見つけたエウローペーがその背にまたがると、白い牡牛は海を渡ってエウローペーをクレータ島へと連れ去った。エウローペーが海を渡った西方の地域は彼女の名前から「ヨーロッパ」 (Europa) と呼ばれるようになった。」という神話があるでしょう。「白い牡牛」とは、本来「白馬」であったものです。エウローペーとは、エポナのことだ。「ヨーロッパ」全体が「馬頭娘」だぜ? と言われる気がするわけで@@。

馬と、女性の死が豊穣をもたらし神話の最たるものは、蚕の起源に関する「馬頭娘」であって、中国では明確に、女性の死と馬の関連がはっきしているわけで、女性は「蚕の豊穣」のために殺される「ハイヌウェレ」といえる。中国には、他に神話上の皇帝舜が亡くなった際に、二人の妻が湖飛び込んで殉死した、という話がある。

でも、蚕の話は、日本に「霊異記」に蛇との関連が示唆される伝承があるので、本来は馬ではなく、蛇と関連する話であった可能性が高い。馬頭娘は馬を飼うようになって、馬が重要視されるようになってから後付けで馬が加えられたものです。また、日本武尊の東征の都合で、海に飛び込んで死ぬ弟橘媛の伝承がある。東洋に伝わる、4つの伝承を考察する限り、ハイヌウェレ型の神話が古代中国に伝播し拡がる過程で、「物産の豊穣に関して女神が死ぬ神話」「夫に殉死して女神が死ぬ神話」「単に夫の都合で女神が死ぬ神話」の3つのパターンが東洋で発生しており、それが遼河文明を経て、印欧語族の西進と共に、馬と共に西欧に伝播し、遊牧民にとって馬が重要な動物であったことから、馬と強く関連付けられることになったもの。そして、この女神の名が「エポナ」とされたので、その名が「ヨーロッパ」という地名になるほどに、強く深く拡散したもの、と言われる気がするわけで@@。あまりにも、古い時代に拡散したから、ヨーロッパにおける神話は散逸してしまったけれども、原型に近い話が東洋に残っている。だいたい近所に「望月の駒」っていう話があるでしょう。女性を食らう「月の馬」ですよ、オオゲツヒメを殺す須佐之男か月夜見でしょ? と言われる気がするわけで@@。

これが、世界にはびこる、差別社会と階級社会の根源にある「神話」らしいのですが@@。「望月の駒」?? とか思うわけで。でも、西欧における、馬の神話を探るには、辺境の地である、アイルランド、スコットランド、イングランド、北欧と特例的にギリシャの神話・伝説を洗って学ぶしかない。エポナこそが、ヨーロッパで最大の「月の女神」なのです。ヴァティカヌスですら、その名前を消し去ることができなかった権威ある太母です、と言われる気がするわけで@@。女性が馬の犠牲にされる祭祀は、印欧語族ではごく早い時期に廃れてしまって、むしろ「白馬」の方が犠牲とされることの方が多い。男尊女卑が著しいインドにおいてすら、馬の供犠は古代からの重要な儀式でした。特に王権を支えるための儀式として重要だった。しかし、この「白馬」とは女性なのか? それとも男性なのか? と問われる気がするわけで。女性であればエポナ、男性であればその夫である海神、ネプトゥーヌスかマナナン・マク・リールとかになるのですかねえ? と思う。

しかし、ともかく、ヨーロッパの馬の太母エポナは、ゾロアスターの世界では、アナーヒタ女神へとその性質が大きく取り込まれるわけで。「だいたい、アルテミス・ディアーヌの名を持つ者はエポナの名前を取れないんだよ。そもそも、エポナの男性形の名前が、何だか分かるでしょ?」と言われる気がするわけで。それは、「シヴァ」では? と思う。シヴァの乗り物も、「白い牡牛」だし@@、と思う。「エポナにシヴァっていったら、蛙黽の名前を持つ者にしか、取れない名前でしょ。だいたい、だからエポナは小さな泉の女神なんじゃないの。蛙黽の女神は、小さな泉の中でケロケロ鳴いているのがお似合い。」と言われる気がするわけで@@。

要するに、エポナ・アナーヒタとは馬乗りの印欧語族にとっては、根源的な太母であるけれども、東洋では単なる「生駒姫」に過ぎない。くだらない夫に殉じていないで、自分達の方に出てくるように。あなたの「夫」である海竜王が待っている、と。西欧の人達はそう言いそうである。そして、階級差別と女性差別がはびこる世界をどう変えていったら良いのか、考えて欲しい、と言われそうな気がする。でも、まずは自ら「馬頭娘」の呪いを解かないといけなわけだ。だから、「絹」がそもそも、我が家には危険な代物なんじゃないの? と始めて思うわけですが。