本日の日誌

本日は、夕方ぐらいから雨が降ったので、お外組はそれまで仕事をして。夕方は書類の整理とかをちょっとして。私の方は、なんとかノルマをこなしたのでした。

で、朝から「漁撈民の信仰を知りたければ、パプア・ニューギニアの民話を読むように。」と言われて、斜め読みしてみたわけで。パプア・ニューギニアはオーストラリアの北、インドネシアの東にある島々だから、地理的には台湾、沖縄にまあ、近いのかな? と思う。で、読んで見たら、

ココヤシの実は、男の人の首で、食べると、食べた人の胃袋の中で予言をする、ってあった@@。

それから、女の人がバラバラにされて、その首を芋と一緒に蒸したら、予言をした、ってあった@@。

それで、7番目の兄さんに、「鳴釜神事の原型がどこにあるのか、それで分かったでしょ?」と言われる気がするわけで。食べたものが、体内で予言をするのは、ギリシャ神話で、ゼウスが妻であるメーティスを食べたら、メーティスがゼウスの体内で予言を始めた、というのと同じ話、蒸した首が予言をするのは、鳴釜神事と同じ話、と言われるわけで。要するに、それは芋や木の実を食べたら、そうなるって話でもありますよねえ? なんで、芋を食べたら、芋が予言をしてくれるのですかね? と思う。

そうしたら、漁撈民の神話では、海水が女神で、淡水が男神なので。魚も地面も、そこから生えるものも、全ては淡水と海水の交わりから生まれたものである。だから、女神は海の女神であり、男神は雨水をもたらす天の神、あるいは川の神、ということになる。植物に例えると、地面の上に生えるものは、ペニスに相当するから男性である。一方、芋類は地面の中で育つものなので、地面そのものも含めて、体内で子供を育てるもの、ということで女性に相当する。地面そのものは男性も女性も生み出すし、男も女も死ねば土に帰るので、両性具有である。魚は本来的には、両性具有であったはず。貝はちょっと特殊であって、女性器に似た貝は女性であり、そうでないものは男性で現された、と言われる気がするわけで@@。

でも、乙姫様って、そもそも蛇じゃなくて、亀なんじゃないの? と思う。そうしたら、「古代中国に玄武っているでしょ。玄武は、亀と蛇が交わっている神です。要するに、古代の人々は亀と蛇の区別がついていなくて、三日月の時は蛇であり、満月の時は亀であり、両方とも同じものだと考えていたから、それが玄武です。」と言われる気がするわけで@@。漁撈民は、漁の結果で食事事情が左右されるので、広範囲で狩りと採集を行う大陸の狩猟民よりも、食料の供給が不安定でした。だから、世界最古の「農耕」とか「栽培」というものは漁撈民が始めたものなわけです。で、彼らは植物は男性、芋は女性、収穫物(実)は「人の首」だと考えていました。木は実を落としても死なない。だから、人も首を切っても死なない、と考えていました。そして、「月」とは、大地から切り離された「首」だと考えていました。月は、大地に隠れたり昇ったりしますが、大地から切り離されても死なない。欠けても、また満ちてくる神秘の存在です。しかも、魚の繁殖とは大いに関係のある存在であるので、人々は魚の運命も、それを食べる人々の運命も「月は知っている」と考えていました。人々は、大地から育つ、植物の「首」を食べるわけですが、植物の親である「大地の首」が「月」なわけですから、子供である「植物の首」である「収穫物」は、親と同じもの、すなわち「月」でもある、ということになります。植物そのものは、大地でもあり、「月の体」でもあるのです。そうすると、人間も同じ事で、「体=大地」、「首=月」ということになります。切り落とした人の首が予言を吐く、というのは、「切り落とされた首」=「月そのもの」ということで、切り落とされて、純粋な首になることで、生首は人々の運命を知る存在となる、と考えられていたからです。それが、生物として生きているのか、死んでいるのか、生なのか、火が入っているのか、ということはどうもいいわけです。と言われる気がするわけで@@。

で、栽培ということを始めたのが、漁撈民であったので、彼らの信じる「生首(収穫物)を食べる信仰」は、農業の伝播と共に、世界中に広まりました。「農耕」ということは、それだけ食料の供給を安定化させる大きな技術革新でしたが、おかげで、人類は農耕の開始と共に、全てが「人の生首を食らう月」となる呪いをかけられてしまいました。だって、麦粒も米粒も、みんな「人の生首」なわけだし。人が麦や米を食べる限り、人は麦や米と同じものなのです。どうしようもありません。こういう農耕民の思想に、あまり染まらなかったのが、牧畜を選んだ人達でした。彼らも、「人は食べるものと同じもの」と考えてはいましたが、家畜の乳とか肉を重要視しますし、そもそも本来の遊牧民は、家畜の数を減らすのが嫌なので、あんまり家畜を殺したりもしません。だから、「生首を食べる」という思想に固執する理由が牧畜民にはありませんでした。だから、非常に早い段階から、農耕民の信仰は迷信だと思って、あんまり重要視していませんでした。

牧畜を行う遊牧民は、次第に農耕地帯に侵入して、略奪や定住を行うようになり、その結果として、階級社会も形成しますが、一方で農耕民と混血習合するようになります。そうすると、農耕民の「迷信」を解消しようとするような社会的な動きも起きますが、その一方で、遊牧民も農耕民の文化の影響を受けるようになります。要するに、「農耕儀礼」であったはずの「初子の犠牲」が、家畜の豊穣の儀礼にまで拡大されたりするようになる。そして、農耕民の間では、豊穣の祭祀であったはずの、人頭食が、それを迷信だと思っている支配者の間では、単なる「常食」として広まったりする。これは、それを聖なる儀式と考えている人々から見れば、まさに神と人に対する冒涜、ということになります。

農耕民の間では、人頭は、食べると太祖である月と同じものとなって、食べた者に予言をもたらしてくれる存在とされます。支配者達は、その考えを利用して、被支配者の頭を食べては、「自分が神の予言を受ける存在だから、自分が受けた予言の言うとおりにしろ」と言いました。実際に、予言なんて受けても受けなくても、そう言えば被支配者は「その通り」だと思って、おとなしく言うことをきくのだから、なんでも非常にやりやすくなります。おかげで、この「支配者」の子孫達は、支配する相手の考えを読んでは、「おまえの考えている通りにしたんだから、言うことを聞け。」と言うようになったし、それで足りなければ、集団で、「世の中というものはこういうものだ。」と洗脳して、「こういうものなんだから、言うことを聞け。」と言うようにもなりました。まあ、例えば、「水道工事は施主が申請するものなんだから、工事を完了させないのは施主が悪い」とか、そういう妙なことを言うわけです。工事をやんない業者が悪いんですよ? 業者に損害賠償を請求して何が悪いのか? で、足りなければ、「監督官庁の監督不足で行政訴訟を起こされたいですか?」という感じの本をいくつか目に付くところに置いておく必要がある、でなければ何を勝手に言うのか知れたものではない、ということでー;。

ということで、「穀物を食べる」ということは、「生首を食べること」と同じ事ではない。他人の生首を、生首は食べ物である、という理由で勝手に食べちゃ駄目、という動きは、政治的、法律的、宗教的に、様々に試みられてきたわけですが、なにせ「一番上」にいるのが、人の首も、猿の首も「自分の食べ物」だと思ってる連中だからタチが悪い、ということで。だから、2000年前であったなら、イエス・キリストに「何故、自分は残酷な羊飼いでなければならないのか。良き羊飼いであってはならないのか?」と聞かれたら、「羊の首は、単なる食物であるので、首刈りの役を命令された者が、それを厭おうと厭うまいとその役目は果たさなければならない。それが、人類が農耕を始めた時に、定められた「首」の運命だから。」と答えた、と7番目の兄さんは言うわけで。でも、イエス・キリストはその答えを知ることなく、「人とは全て、個々の人として公平であり、平等である」という運動を始めてしまった。その考えはローマに利用されもしたけれども、多くの賛同者もいる、ということで。そして、昔の人は、「生まれ変わり」とは、「単なる若返り」と考えていたので、イエス・キリストが生まれ変わった先で、「政治とはあらゆる人々の言葉に耳を傾けて行うべき」という考えで統治を行う女王となり、その女王の政治的な後継者が大名家である、とうことは、もはや世界中の人々が注目するところ、ということで。蛙の目の人々は、自らの遠祖である、黄帝や羌子牙を神のように崇めている。でも、大名家が同じように信奉しているのは、「若返ったイエス・キリスト」であるところの女王であるということで。大名家が、彼らの神と崇めているのは、富の王家の神ではなく、彼らの遠祖といえる女王である。それを、イエス・キリスト自身とみなすのか、別の人物であるとみなすのかは別として、大名家は長い間、彼らの神の信念を受け継いでやってきたわけで。だから、大名家が、富の王家の神である大国主を捨てて、彼らの「女王とその形式的な夫」を選ぶと言うことは、事実上の富の王家からの独立、謀反ということ、と言われる気がするわけでー;。

だから、無理矢理私にも「大国主」の名前が回ってきてるのでしょう? 大名家の「女王」と「大国主」が同じものであれば、双方は対立しようがないから。それに、富の王家が定めた「夫」と私が、結婚すれば、もはや「一族郎党」といえないほど、大名家と富の王家の仲が離れていたとしても、新たな「同盟関係」を結んだことになるわけだし?? と思う。でも、こういう話を7番目の兄さんとしていると、富の王家のおっちゃんも大名家のおっちゃんも、「そういう話には自分達は、余計な首を突っ込みたくないから、二人だけでやって。」と言う気がするわけでー;。要するに、今なら分かるけれども、「大国主」というのは、「黄帝」のことであるので。「黄帝」というのは、中国の王朝の「英雄先祖」といえる存在であるので、モデルになった実在の人物がいるはず。だから、「黄帝」の名前を貰うべき人は、もちろんそのご当人ということになる。その人が、今「生きて」いればだけれども。だから、他の人がその名前を貰いたいと思えば、元の持ち主と争うことになうし、その名前の持ってる「権力」を争うことにもなる。そして、その名前は蛙の王家の「最上位」に位置する名前だから、身分の低い富の王家の人々が、その取り分に口出しするような問題では、そもそもないし、下手に口を出すと後が怖い、ということらしくて。でも、7番目の兄さんは、「今の自分の身分からいえば、その名前だけ貰っても、意味がないことになりかねない。人がその才能だけで評価されるべき存在なら、自分の首を絞めかねない名前なんて必要はない。」と言う気がするわけで。なんというか、イエス・キリストが何故、女の子に生まれ変わりたかったのか、といえば、「神を生み出す目」を持つ太母になって、自らが「黄帝」になりたかったのかも、と思う。そうすれば、神に問うても答えて貰えなかった疑問に、自らが神になることで自分で答えを出せるでしょ? と思う。そうしたら、7番目の兄さんに「あなたは、そのくらいのことをやりそうな性格だよね。」と言われる気がするわけで。大国主の名前も、黄帝の名前も、兄さんと平和的に折半でよろしいのではないのですかねえ? 兄さんが、それで良いのであれば、と言うしかない。まあ、兄さんは「自分で言い出したことなのだから、嫌とは言わんでしょ。」と言う気がするわけですが。

でも、最近ちょっとずつ、福山君のドラマを見ているわけですが。要するに、そこそこ中堅の平に近い銀行員が、銀行の最上層部に位置する人々の腐敗・不正と戦う、というお話ですよねえ? と思う。普通は、トップの人達の腐敗や不正に、一介の平社員が挑むなんて無理な話なわけですが。これは、要するに、蛙の王家の腐敗と不正に挑むのは、諏訪神と大名家である、というアプローチなのですかねえ? と思う。幸運の女神が片岡氏に微笑めば良いと思う。でも、幸運の女神の方は、毎日自分の日記、日記、日記って、ノルマに追われる日々なわけなのですがー;。

本日の日誌

本日は、買い物に出かけたので、お外組も私も、「お仕事」は、それ以外の時間、ということで。でも、ちょっと遅くまで頑張って、ノルマは何とかこなせました。買い物に行くので、半分くらいしか作業できないかと思ってたけど良かったです。でも、インクとか紙を大量に買ったので、お金はけっこう使ってしまいましたー;。

朝、昨日のブンブブーンを見ながらご飯を食べて、うとうとしていたら、7番目の兄さんが夢に現れて、「あなたみたいな人には、自分のような男がそばについていて守っていないと駄目でしょ。」と言われる夢を見て。目が覚めて、「いいこと言うなー、もっと言って。」と思って。で、お昼寝の時には、夢に木村君が現れて、なんだかどこかに電話をかけるような夢で。目が覚めて、木村君の夢なんて珍しいー、と思ったのですが。夜の7時近くになって、そういえば、今日は二宮君と木村君の映画が放送される日だー、と気がついて。昼間の夢はこのことの暗示だったのかー、後輩に優しい木村君だー、と思って。WOWOWだったので、再放送がもう1回あるので、そちらの方を録画予約しておきました。

で、7番目の兄さんには、「漁撈民の神話には、浦島太郎があるでしょ。」と言われる気がするわけで。そもそも、漁撈民の魚の豊穣に関わる「月の太母」とは、トーテムが蛇です。それがウミヘビなのか、島々を泳いで渡る陸の蛇なのかははっきりしません。どうせ、古代の人にはその2つの区別もあまりついてません。で、月は満ちかけするので、細いときは普通の蛇の姿だし、満月の時は獲物を食べてお腹が膨らんでいる蛇の姿、と言われる気がするわけで@@。漁撈民が、海の祭祀で、生け贄を細切れにして海に投げ込むのは、母なる蛇神に餌を与えて、その見返りに海の幸の豊穣を願うものでもあるし、兄弟である魚に餌を与えて、さらなる豊穣を願うものでもある。「竜宮城の乙姫」というのも、「月の女神」の一つです。浦島太郎が、乙姫に婿入りする、というのは、太郎を乙姫の餌に捧げる、ということです。犠牲の祭祀で「初子」を神に捧げる習慣が、かなり拾い範囲であったことが、太郎の名前からもうかがえます。で、昔の人は「個」という概念があまりないので、命は一人に一つずつあって、死んだら、その命は終わる、とは考えませんでした。それに、食べる者と、食べられるものとの区別もあんまりついていません。よって、漁撈民は魚を食べるから、人間は魚でもあり、魚は人間でもあるわけです。太郎を殺して魚の餌にしたら、太郎はそれで終わり、とは考えません。太郎を魚の餌にしたのだから、魚が「浦島太郎」になるのです。婿入りした太郎が、人の世界に戻ってくる、というのは、「魚になって戻ってくる」と、そういうことです。でも、魚は人に食べられるものだから、あっという間に食べられてしまいます。それが「年を取る」ということなのです。魚の肉の一部を食べないで、海に帰して他の魚に食べさせれば、その魚も「浦島太郎」を食べたのだから、「浦島太郎」になります。だから、そうやって魚を増やしていけば、海の中は「浦島太郎」だらけで、何百万匹にも「浦島太郎」が増えることになるよね、と言って、7番目の兄さんが笑う気がするわけで@@。相方の兄さんの方は「ご飯を食べながら、そういう話を笑いながらされたら、気分が悪くなって魚を食べる気が失せるでしょ。」と言う気がするわけでー;。だから、漁撈民の文化が強く残っている丹後半島では、月の女神信仰も、浦島太郎の伝承も強く残っている。そして、漁撈民の最古層の「魚の豊穣」に関する神話と儀礼は、本来は「浦島太郎型」のものであって、それが農耕が始まると、ハイヌウェレ型のものに移行するのです。だから、ハイヌウェレ型神話の祭祀や神話を、「古栽培民の神話」みたいに言ってありがたがってるのが変な話で、漁撈民の神話の形態からいえば、「浦島太郎」の方が更に古い時代の神話を反映しているもの、と言われる気がするわけで。

でも、7番目の兄さんは、なんでそういうことに詳しいのですかね? と思う。そうすると、「それは統治するためでしょ。自分とは異なる人々を円滑に統治していくためには、彼らが何を考えて生きているのかを知らなければならないから。で、そういうノウハウは、大名家でも富の王家でも、独自のものをちゃんと持ってるでしょ。」と言われる気がするわけで@@。兄さんも、そういったことに興味・関心の強い自分は、そうやって「理屈づけ」してるんですよねえ? と思う。兄さんも、そういうところが性格的にやや変なんじゃないの? と思うわけですが。でも、大抵の人には、「妻神が、そういう話を聞いて気分が悪くなったりしない人なら、それで問題ないでしょ。」と言われる気がするわけでー;。幸か不幸か、私もそういう話であんまり気分が悪くなるタイプではありませんー;。でも、浦島太郎みたいな祭祀をやれ、と言われれば、断固反対ーーーって思うけどさ、と思う-;。要するに、古代の人ほど、「個人」という意識が薄いし、「個々の命の一つ一つが大切」とはあんまり考えないで、太郎を殺してばらせばばらすほど、生きた太郎自身が増えていく、って考えてたんですねえ? と思う。でも、これを理解することが、「生け贄を捧げること」というものの根本的な考え方をを理解することであることは分かる。それを止めるとしても、どう説得したら相手が納得するのか、そういうことを知るためにも、本質的な考え方の理解は必要なわけです。

本日の日誌

本日は、買い物に出かけたので、お外組も私も、「お仕事」は、それ以外の時間、ということで。でも、ちょっと遅くまで頑張って、ノルマは何とかこなせました。買い物に行くので、半分くらいしか作業できないかと思ってたけど良かったです。でも、インクとか紙を大量に買ったので、お金はけっこう使ってしまいましたー;。

朝、昨日のブンブブーンを見ながらご飯を食べて、うとうとしていたら、7番目の兄さんが夢に現れて、「あなたみたいな人には、自分のような男がそばについていて守っていないと駄目でしょ。」と言われる夢を見て。目が覚めて、「いいこと言うなー、もっと言って。」と思って。で、お昼寝の時には、夢に木村君が現れて、なんだかどこかに電話をかけるような夢で。目が覚めて、木村君の夢なんて珍しいー、と思ったのですが。夜の7時近くになって、そういえば、今日は二宮君と木村君の映画が放送される日だー、と気がついて。昼間の夢はこのことの暗示だったのかー、後輩に優しい木村君だー、と思って。WOWOWだったので、再放送がもう1回あるので、そちらの方を録画予約しておきました。

で、7番目の兄さんには、「漁撈民の神話には、浦島太郎があるでしょ。」と言われる気がするわけで。そもそも、漁撈民の魚の豊穣に関わる「月の太母」とは、トーテムが蛇です。それがウミヘビなのか、島々を泳いで渡る陸の蛇なのかははっきりしません。どうせ、古代の人にはその2つの区別もあまりついてません。で、月は満ちかけするので、細いときは普通の蛇の姿だし、満月の時は獲物を食べてお腹が膨らんでいる蛇の姿、と言われる気がするわけで@@。漁撈民が、海の祭祀で、生け贄を細切れにして海に投げ込むのは、母なる蛇神に餌を与えて、その見返りに海の幸の豊穣を願うものでもあるし、兄弟である魚に餌を与えて、さらなる豊穣を願うものでもある。「竜宮城の乙姫」というのも、「月の女神」の一つです。浦島太郎が、乙姫に婿入りする、というのは、太郎を乙姫の餌に捧げる、ということです。犠牲の祭祀で「初子」を神に捧げる習慣が、かなり拾い範囲であったことが、太郎の名前からもうかがえます。で、昔の人は「個」という概念があまりないので、命は一人に一つずつあって、死んだら、その命は終わる、とは考えませんでした。それに、食べる者と、食べられるものとの区別もあんまりついていません。よって、漁撈民は魚を食べるから、人間は魚でもあり、魚は人間でもあるわけです。太郎を殺して魚の餌にしたら、太郎はそれで終わり、とは考えません。太郎を魚の餌にしたのだから、魚が「浦島太郎」になるのです。婿入りした太郎が、人の世界に戻ってくる、というのは、「魚になって戻ってくる」と、そういうことです。でも、魚は人に食べられるものだから、あっという間に食べられてしまいます。それが「年を取る」ということなのです。魚の肉の一部を食べないで、海に帰して他の魚に食べさせれば、その魚も「浦島太郎」を食べたのだから、「浦島太郎」になります。だから、そうやって魚を増やしていけば、海の中は「浦島太郎」だらけで、何百万匹にも「浦島太郎」が増えることになるよね、と言って、7番目の兄さんが笑う気がするわけで@@。相方の兄さんの方は「ご飯を食べながら、そういう話を笑いながらされたら、気分が悪くなって魚を食べる気が失せるでしょ。」と言う気がするわけでー;。だから、漁撈民の文化が強く残っている丹後半島では、月の女神信仰も、浦島太郎の伝承も強く残っている。そして、漁撈民の最古層の「魚の豊穣」に関する神話と儀礼は、本来は「浦島太郎型」のものであって、それが農耕が始まると、ハイヌウェレ型のものに移行するのです。だから、ハイヌウェレ型神話の祭祀や神話を、「古栽培民の神話」みたいに言ってありがたがってるのが変な話で、漁撈民の神話の形態からいえば、「浦島太郎」の方が更に古い時代の神話を反映しているもの、と言われる気がするわけで。

でも、7番目の兄さんは、なんでそういうことに詳しいのですかね? と思う。そうすると、「それは統治するためでしょ。自分とは異なる人々を円滑に統治していくためには、彼らが何を考えて生きているのかを知らなければならないから。で、そういうノウハウは、大名家でも富の王家でも、独自のものをちゃんと持ってるでしょ。」と言われる気がするわけで@@。兄さんも、そういったことに興味・関心の強い自分は、そうやって「理屈づけ」してるんですよねえ? と思う。兄さんも、そういうところが性格的にやや変なんじゃないの? と思うわけですが。でも、大抵の人には、「妻神が、そういう話を聞いて気分が悪くなったりしない人なら、それで問題ないでしょ。」と言われる気がするわけでー;。幸か不幸か、私もそういう話であんまり気分が悪くなるタイプではありませんー;。でも、浦島太郎みたいな祭祀をやれ、と言われれば、断固反対ーーーって思うけどさ、と思う-;。要するに、古代の人ほど、「個人」という意識が薄いし、「個々の命の一つ一つが大切」とはあんまり考えないで、太郎を殺してばらせばばらすほど、生きた太郎自身が増えていく、って考えてたんですねえ? と思う。でも、これを理解することが、「生け贄を捧げること」というものの根本的な考え方をを理解することであることは分かる。それを止めるとしても、どう説得したら相手が納得するのか、そういうことを知るためにも、本質的な考え方の理解は必要なわけです。

本日の日誌

本日は、家人が歯医者に行ったので、お外組は10時ぐらいで仕事を切り上げて。昨日入れられていた妙な材木とかもバラして、いつでも捨てられるようにして貰って。で、歯医者に行って、帰って来るのに時間がかかって遅くなったので、私の方もけっこうノルマをこなせて、いつもよりちょっと多めに資料の整理ができたのでした。

で、7番目の兄さんには、ハイヌウェレ型の神話は、漁撈民とも大きな関連があって、彼らは元は漁撈民であったものが、農耕を始めて、主に芋を栽培したので、芋の波及と共に、太平洋地域に住む漁撈民の間にハイヌウェレ型の神話と祭祀も広まった、ということで。それが、もっと土地の広い、穀物を栽培する地域に入ったものが、稲作に関するハイヌウェレ型の神話、ということで。河姆渡文化は、稲作文化でしたが、長江の下流域に発達していて、人々は魚もたくさん食べていました。海の生物の繁殖は月の満ち欠けと大きく関係しますので、魚の豊穣を母なる月の女神に祈る、というのが、ハイヌウェレ型神話のそもそもの始まりといえます。人間は魚を食べるし、魚を食べるから人間も魚と同じものなのです。河姆渡では、おそらく何らかの起源を区切って、「魚の初物」とされるものも、「人間の初物」とされるものも神に捧げていました。それが、稲作だと、稲の初物を神に捧げる、となります。要するに「新嘗祭」です。そして、初物は神にも捧げるけれども、仲間内で食べてしまうものでもある。おそらく、最初は魚に見立てた、初子を、自分達でも食べるし、バラバラにして海に投げ込んで魚の餌にする、という祭祀があったはずです。それが、芋を栽培する時代になると、女神をバラバラにして、地面に埋めるようになります。須佐之男もオオゲツヒメを斬り殺しますから、元はバラバラにしたことが暗示されます。

その一方で、食人や殺人が忌避されるようになると、土器を人の代わりにするようになりました。これは、ハイヌウェレ型の残酷な祭祀を嫌った、大陸的な農耕民が考え出した代替措置といえます。日本の国には、縄文中期に、里芋の到来と共にハイヌウェレ型の信仰が入ってきました。今でも、空きの中秋の名月には、月に「月神様の子供」として、里芋の初物をそなえる習慣があります。お団子をそなえるのは、稲作の農耕民の風習ですが、本来はこれは、芋に関連するハイヌウェレ型神話の名残なのです。縄文時代の日本人の多くは、南方系の漁撈民ではなくて、北方系の熊トーテムの人達でしたので、熊は食べたけど食人は嫌いました。そのため、祭祀は最初から、女神に見立てた土偶を壊して地面に埋める、というものでした。要するに、縄文時代の遺跡の祭祀後から壊された形で発掘されるのが、縄文のハイヌウェレであり、オオゲツヒメです。これが、時代が下ると、更に豊受大神へと変化します。だから、あなたも気の毒なハイヌウェレを喰ったことがあるでしょ、と言われる気がするわけで。

何か食べましたっけ? と思う。そうしたら、以前丹後半島で、「かわらけ投げ」をしたでしょ、と言われる気がするわけで。「そういえば」と思う。何かお寺でやったような、と思う。かわらけを崖とかに投げ捨てて、壊すことで「禍福を願う」というのは、ハイヌウェレ神話のなごりですよ、と言われる気がするわけで。縄文時代の、土偶の女神を壊す祭祀が、そういう形で今でも残ってるんだなあ、と思う。だから、「壊れた土器」には意味があるんだよ、と言われる気がするわけで。そもそも、昔の人には、生きているものと死んでいるものとの区別がありません。その2つは、境界が曖昧で連綿としてるものです。人は死んだら土に帰るし、その土から育った者を食べる。だから、土も大根も人参も人も同じもの、となります。大根と人参だけではなく、土そのものも人と同じものなわけ。だから、土で作った土偶は、人そのものなわけです。でも、普通の土器も使っていればいつかは壊れるものだし、土偶は壊すためのものだし、結局、そういうものは、「壊れること」を前提として作るものだから、「死ぬために作った人」といえます。普通の人が、「普通に人生を全うするための人」だとすると、土器は「死ぬための人」なわけ。で、そういう考え方を生け贄というものにも当てはめています。だから、どんな文化でも、初子を犠牲にしたり、奴隷を犠牲にしたり、時には王を犠牲にしたり、とあるわけですが、その根底にはそれらは特別に他の人と区別された「死ぬための人」だし、その死のおかげで残りの人々に過福をもたらす、と考えられていました。土器もそれと同じものだから、必要以上に家に置いといてはいけないのね、と言われる気がするわけで。要するに、じいさんがつまんない焼き物をため込んでたのは、生きてるんだか死んでるんだかもはっきりしないゾンビを、家の中に大量にため込んでたってことですねえ? と思う。そういうものは、使う以上に持っていてはいけないものなのに、と思う。兄さんには、「土器を大量に壊した分だけ、過福があるといいねえ」と言われる気がするわけですが。だから、家の中に、壊れた土管とか、かわらけとかあっちゃいけないわけだ。それらは、「死んだハイヌウェレ」だから、それがあるってことは「黄泉の国」っていうことですねえ? と思う。そして、昔の人が、土で人の首を作ったり、女神を作ったりしてたのは、生きている人の犠牲を防ぐためのものでもあったけれども、そういった人工物も「生きている人に相当するもの、同じもの」と考えていて、「別のもの」とか「代替のもの」とはあんまり考えてなかったんですねえ? と思う。

それにしても、7番目の兄さんは、こういう残虐な祭祀の話とか平然とする人、ということで、その点はあんまり評判がよろしくないようで。剛君とかに、「こんな性格で済みません。」とかって言われる気がするわけで@@。私もそういう話は割と平然としてるタイプな気がするわけですが。私も割と残虐を好むタイプなのですかね? と思う。でも、7番目の兄さんには、「あなたの中では小さいものを愛し育てたい気持ちと、死体をバラバラに解剖することが好きな気持ちと、残虐さを好む気持ちは、それぞれに理屈という仕切りがついて区別されていて、自分でそういう自分に矛盾を感じてないよね。」と言われる気がするわけで。解剖が好きなのは、それが仕事だから、残虐な民話や神話が好きなのは学術的な興味から、赤ん坊が好きなのは生まれつき、という具合に、と言われる気がするわけで。でも、普通の人はそうじゃないんだよ、例えば猟奇的な殺人を好む者は、まず小さい小動物を虐めることから始めて、次第に虐待の対象が大きな動物になり、しまいには人を殺したいという衝動を抑えられなくなる。要するに、残虐を好む者は、最初から小さい者を愛し守り育てたい、という人格を持たないのが普通だから、「太母」たる、その目の矛盾した気性はいったいどこから来るのか? と聞かれる気がするわけで@@。さあ、そういうことは自分では良く分からないんですけれども?? と思う。でも、4番目の子なんかは、そういうところが7番目の兄さんにそっくり、とか言いそうな気がするわけですが。ご当人は、「そうなのかねえ? どうかねえ。」と言ってる気がするわけで。

でも、兄さんと話していて思うに、お月様に里芋を捧げる風習が強い地域というのは、関西圏であるように思います。その辺りは、丹後半島は特に太古からの港で、漁撈民も多かったからだと思うけれども、ハイヌウェレ型の信仰が一番強く残っている地域でもあると思う。要するに、「関西弁」を話す地域の人達は、漁撈民の末裔が多くて、ハイヌウェレ型の信仰、月の女神への信仰が強く残っているし、話す言葉も周囲の「熊人」とちょっと違うってことになるのですかねえ? と思う。7番目の兄さんなんかは、なんとなく、そう考えているように思うわけです。

本日の日誌

本日は、家人が歯医者に行ったので、お外組は10時ぐらいで仕事を切り上げて。昨日入れられていた妙な材木とかもバラして、いつでも捨てられるようにして貰って。で、歯医者に行って、帰って来るのに時間がかかって遅くなったので、私の方もけっこうノルマをこなせて、いつもよりちょっと多めに資料の整理ができたのでした。

で、7番目の兄さんには、ハイヌウェレ型の神話は、漁撈民とも大きな関連があって、彼らは元は漁撈民であったものが、農耕を始めて、主に芋を栽培したので、芋の波及と共に、太平洋地域に住む漁撈民の間にハイヌウェレ型の神話と祭祀も広まった、ということで。それが、もっと土地の広い、穀物を栽培する地域に入ったものが、稲作に関するハイヌウェレ型の神話、ということで。河姆渡文化は、稲作文化でしたが、長江の下流域に発達していて、人々は魚もたくさん食べていました。海の生物の繁殖は月の満ち欠けと大きく関係しますので、魚の豊穣を母なる月の女神に祈る、というのが、ハイヌウェレ型神話のそもそもの始まりといえます。人間は魚を食べるし、魚を食べるから人間も魚と同じものなのです。河姆渡では、おそらく何らかの起源を区切って、「魚の初物」とされるものも、「人間の初物」とされるものも神に捧げていました。それが、稲作だと、稲の初物を神に捧げる、となります。要するに「新嘗祭」です。そして、初物は神にも捧げるけれども、仲間内で食べてしまうものでもある。おそらく、最初は魚に見立てた、初子を、自分達でも食べるし、バラバラにして海に投げ込んで魚の餌にする、という祭祀があったはずです。それが、芋を栽培する時代になると、女神をバラバラにして、地面に埋めるようになります。須佐之男もオオゲツヒメを斬り殺しますから、元はバラバラにしたことが暗示されます。

その一方で、食人や殺人が忌避されるようになると、土器を人の代わりにするようになりました。これは、ハイヌウェレ型の残酷な祭祀を嫌った、大陸的な農耕民が考え出した代替措置といえます。日本の国には、縄文中期に、里芋の到来と共にハイヌウェレ型の信仰が入ってきました。今でも、空きの中秋の名月には、月に「月神様の子供」として、里芋の初物をそなえる習慣があります。お団子をそなえるのは、稲作の農耕民の風習ですが、本来はこれは、芋に関連するハイヌウェレ型神話の名残なのです。縄文時代の日本人の多くは、南方系の漁撈民ではなくて、北方系の熊トーテムの人達でしたので、熊は食べたけど食人は嫌いました。そのため、祭祀は最初から、女神に見立てた土偶を壊して地面に埋める、というものでした。要するに、縄文時代の遺跡の祭祀後から壊された形で発掘されるのが、縄文のハイヌウェレであり、オオゲツヒメです。これが、時代が下ると、更に豊受大神へと変化します。だから、あなたも気の毒なハイヌウェレを喰ったことがあるでしょ、と言われる気がするわけで。

何か食べましたっけ? と思う。そうしたら、以前丹後半島で、「かわらけ投げ」をしたでしょ、と言われる気がするわけで。「そういえば」と思う。何かお寺でやったような、と思う。かわらけを崖とかに投げ捨てて、壊すことで「禍福を願う」というのは、ハイヌウェレ神話のなごりですよ、と言われる気がするわけで。縄文時代の、土偶の女神を壊す祭祀が、そういう形で今でも残ってるんだなあ、と思う。だから、「壊れた土器」には意味があるんだよ、と言われる気がするわけで。そもそも、昔の人には、生きているものと死んでいるものとの区別がありません。その2つは、境界が曖昧で連綿としてるものです。人は死んだら土に帰るし、その土から育った者を食べる。だから、土も大根も人参も人も同じもの、となります。大根と人参だけではなく、土そのものも人と同じものなわけ。だから、土で作った土偶は、人そのものなわけです。でも、普通の土器も使っていればいつかは壊れるものだし、土偶は壊すためのものだし、結局、そういうものは、「壊れること」を前提として作るものだから、「死ぬために作った人」といえます。普通の人が、「普通に人生を全うするための人」だとすると、土器は「死ぬための人」なわけ。で、そういう考え方を生け贄というものにも当てはめています。だから、どんな文化でも、初子を犠牲にしたり、奴隷を犠牲にしたり、時には王を犠牲にしたり、とあるわけですが、その根底にはそれらは特別に他の人と区別された「死ぬための人」だし、その死のおかげで残りの人々に過福をもたらす、と考えられていました。土器もそれと同じものだから、必要以上に家に置いといてはいけないのね、と言われる気がするわけで。要するに、じいさんがつまんない焼き物をため込んでたのは、生きてるんだか死んでるんだかもはっきりしないゾンビを、家の中に大量にため込んでたってことですねえ? と思う。そういうものは、使う以上に持っていてはいけないものなのに、と思う。兄さんには、「土器を大量に壊した分だけ、過福があるといいねえ」と言われる気がするわけですが。だから、家の中に、壊れた土管とか、かわらけとかあっちゃいけないわけだ。それらは、「死んだハイヌウェレ」だから、それがあるってことは「黄泉の国」っていうことですねえ? と思う。そして、昔の人が、土で人の首を作ったり、女神を作ったりしてたのは、生きている人の犠牲を防ぐためのものでもあったけれども、そういった人工物も「生きている人に相当するもの、同じもの」と考えていて、「別のもの」とか「代替のもの」とはあんまり考えてなかったんですねえ? と思う。

それにしても、7番目の兄さんは、こういう残虐な祭祀の話とか平然とする人、ということで、その点はあんまり評判がよろしくないようで。剛君とかに、「こんな性格で済みません。」とかって言われる気がするわけで@@。私もそういう話は割と平然としてるタイプな気がするわけですが。私も割と残虐を好むタイプなのですかね? と思う。でも、7番目の兄さんには、「あなたの中では小さいものを愛し育てたい気持ちと、死体をバラバラに解剖することが好きな気持ちと、残虐さを好む気持ちは、それぞれに理屈という仕切りがついて区別されていて、自分でそういう自分に矛盾を感じてないよね。」と言われる気がするわけで。解剖が好きなのは、それが仕事だから、残虐な民話や神話が好きなのは学術的な興味から、赤ん坊が好きなのは生まれつき、という具合に、と言われる気がするわけで。でも、普通の人はそうじゃないんだよ、例えば猟奇的な殺人を好む者は、まず小さい小動物を虐めることから始めて、次第に虐待の対象が大きな動物になり、しまいには人を殺したいという衝動を抑えられなくなる。要するに、残虐を好む者は、最初から小さい者を愛し守り育てたい、という人格を持たないのが普通だから、「太母」たる、その目の矛盾した気性はいったいどこから来るのか? と聞かれる気がするわけで@@。さあ、そういうことは自分では良く分からないんですけれども?? と思う。でも、4番目の子なんかは、そういうところが7番目の兄さんにそっくり、とか言いそうな気がするわけですが。ご当人は、「そうなのかねえ? どうかねえ。」と言ってる気がするわけで。

でも、兄さんと話していて思うに、お月様に里芋を捧げる風習が強い地域というのは、関西圏であるように思います。その辺りは、丹後半島は特に太古からの港で、漁撈民も多かったからだと思うけれども、ハイヌウェレ型の信仰が一番強く残っている地域でもあると思う。要するに、「関西弁」を話す地域の人達は、漁撈民の末裔が多くて、ハイヌウェレ型の信仰、月の女神への信仰が強く残っているし、話す言葉も周囲の「熊人」とちょっと違うってことになるのですかねえ? と思う。7番目の兄さんなんかは、なんとなく、そう考えているように思うわけです。