本日の日誌

ようやく、「金勘定リスト」ができあがったわけで。計算式も、ちょこっと加えたところはあるわけですが、まあ、大きなところは何も変えていない、ということで。

Excelの使い方もなんとなく覚えたわけで、後は、出たゴミについて纏めて出せば、今回はそれまでかなあ、と思う。

色々と書類を書くようになってから、光一君のDVDしか見ていないわけで、7番目に兄さんにいろいろと教えて貰いながら書類を書いているわけで。結局どこかへ行ってしまったKinKi-KidsのDVDもまた買ったし、ついでに福山君のDVDも1個買って、更に、「そろそろ『千と千尋』も買い戻すように」と強く言われるので、結局それも買って。で、4番目の子に「ハウルよりも見やすいはずだから、1度は見ておくように」と言われたので、見ているわけで。

「仰天ニュース」で、群馬の昔のストーカー事件の特集をやっていて。その次の年には桶川のストーカー殺人事件があって、こういう事件が重なって、日本でもストーカー規制法とかできたわけですが。だいたい、こういう事件が重なっていたときは、自分は東京にいたわけで。今にして思えば、こういう事件が世間を騒がせたのは、「ストーカーに命を狙われているぞ」という警告だったんだなあ、と思う。

でも、こういうことは全く自分と結びついていなかったけで。2番目の子も、変な人ではあったけれども、少なくとも付き合っている時は、つけ回されたりした覚えもないわけで。でも、私が学生の頃には、「ストーカー」という概念とか、「モラルハラスメント」という概念はアメリカとかではもう存在していて、アメリカ製の若者向けドラマでは、そういう言葉も出てきてた気がするわけですが。日本ではまだまだ普及していなくて。でも、変だなー、と思ったのは、別れた後の方であって。普通は、付き合っている男女が喧嘩して別れたら、しばらくはお互いに顔も見たくない、というかそんな感じではないかと思う。少なくとも、私の方は必要以上に顔をつきあわしたりしたくない、と思っていたわけで。でも、別れたら途端に、向こうの方が私につきまとい始めたわけで。私が出かける国試委員の会合に、委員でもないくせに出席したりとか、それまでクラスの飲み会に顔を出すような人ではなかったのに顔を出して、私の近くの席に座るとか。でも、話しかけてくるわけでもないし、よりを戻したい、という感じでもないし、それは確かに「非常に気味が悪い」と感じてはいた。そのくせ、国試は何故かその人と、その友人だけ広島で受けたりとか、妙な奇行が増えていて。いや、でも、人の後をつけ回して殺そうとしてるとは思わなかった、というか、そもそも付き合ってた頃から死ねばいいと思ってたんじゃ?? と思うわけで。

だいたい、「千と千尋」の「ハクと釜爺と坊」が、「ハウル」の「ハウルとカブとマルクル」に相当する、と言われる気がするわけで。「その設定そのものがあり得んでしょ。」と7番目の兄さんに言われる気がするわけですがー;。まあ、日テレと組んで大躍進したジブリは、大名家に近い人達なんですよねえ? と思う。でも、ジブリの人達も、7番目の兄さんの方が、精神的には蛇の兄さんよりも老成しているって思ってるんですねえ?? とも思う。

「千と千尋」は、最初にDVD化されたときに、色が全体に「赤い色」に修正されていて、非常に不評だったわけですが。でも、2014年に「デジタルリマスター版」が発売されたときに、色は元の映画と同じ色に修正された。だから、オリジナルの色の「千と千尋」を見るのは映画を見たとき以来なわけですが。そもそも、「赤い色」とは、「血の色」でもあるし、「夕暮れの色」でもある気がする。要するに、最初に発売されたDVDの「赤い色」も「赤信号が灯ってますよ」という警告の色ではなかったのか、と今では思うわけですが。それが修正されただけ、修正方向に我が家は向いているのではないか、と思う。千尋が寝る時に使っていた布団の柄をふっと見たら「椿」であって。古い家の私の部屋の壁紙の柄も「椿」だった。今でも、「千と千尋」を見て、まだ気がつくことがあったんだなあ、と思う。

7番目の兄さんは、「しばらくは裁判の参謀役と護衛に徹する」と言ってくれるわけで。だいたい、「敵の目」が多いものを見ると、妙な不安感とかがわいてきて、集中力が削がれるので。見るものは吟味しないといけないなあ、と思うわけです。「VS嵐」を見ていたら、「ふぉーゆー」の松崎君と、亀梨君が出ていて。「ふぉーゆー」って、そもそもKinKi-Kidsのコンサートでバックをやったりとか、「SHOCK」に出ていたりして、光一君と縁が深いわけで。今日の「VS」でも翔君が「Show must go on!」(「SHOCK」の有名な台詞)をわざわざ言っていたし、亀梨君と松崎君がKinKiのバックについていた頃の話をしていたし。今週も何かと「光一君づいていた」気がするわけで。どこまでやれるか分からなくても、しばらくはこんな感じが続くのだろうな、と思う。でも、今回の書類づくりは、まずまず佳境なのではないかな、と思います。争点は、事実上の「答弁書」が、まだ3つ出ていない以上、完全に整理はしきれないものであるし。時間的余裕が割とあって良かったのでしたー;。