なんとか、毎日ノルマをこなしているわけですが。
昨夜は、なんだかゴタゴタした夢を見て。なんだか、ナメクジを次々と捕まえて潰す、という夢で。
目が覚めて、KinKi-KidsのDVDを見ていると、7番目の兄さんに、あれを書け、これを書け、と言われる気がするわけで。だいたい、「訴えられて」いる方については、「反訴」が「抗弁」も一応兼ねてはいるわけですが、要は「民法636条」が、あちこちで引っ張られてるので、そこを明確に書いておいた方が良いらしいです。まあ、分かればいくらでも書けるわけで。
でもって、裁判所の方に飛行機雲が出ていると、ドキドキするわけでー;。ええと、今後は、今までの準備書面に書いた「金勘定」の計算を変える気はないです。でも、むしり取りやすいように補充の主張はするー;。というかお金よりも、「法的な関係」を整備しておかないと、裁判後に影響が出ても困るし。まあ、金勘定の件で、あんまり裁判所にご迷惑はかけませんよ、ということで。だいたい、準備書面に記載の通りの「損益」の範囲で収めるつもりなわけで。
で、「平成」も終わり、ということで。何故か、深夜のBSで、「ZARD特集」をやるってあって。本当は見てはいけないものなのだろうけれども、見たいと思う。7番目の兄さんには、「あまり長いこと「死者の目」に捕まっていなければ見てもいい。」と言われる気がするわけで。
で、「嵐にしやがれ」を見ていたら廉君がゲストで出ていて。なんだか、潤ちゃんに蹴られてた気がするわけですがー;。見終わった後に、うとうとしていたら、廉君に「げんこつ山の狸さん」を歌われるわけで@@。どうも、彼は私のことは、その歌が似合う程度の子供だ、と思うくらいで丁度いいと思ってるらしくてー;。年は私の方が30も上なのにーー、と思うわけですが-;。
で、その後に「ZARD」の特集を見る。今改めて見ると、彼女の「目」は武井咲ちゃんにどこか似てる気がする。そして、彼女の書く歌詞は、なんだか、とても「不安感」が強い気がする。たとえば、「恋をしていても」「ときどきすごく不安になる」(MY BABY GRAND)とかって、あるわけで。なんというか、そういうのって、要は「根拠のない不安感」だよね? と思う。恋とか愛とかはあんまり関係なくて。若い頃は、そういう気持ちは、若い人に特有のものというか、思春期の延長のような「若さ」から来る不安定感かと思っていたし、共感する部分もけっこうあったわけですが。で、そういう不安感が強いから、「好きな人」により強くしがみつきたくなるわけで。そういうもんか、となんとなく思っていたわけですが。
でも、今になって思うことは、私の「一族郎党」は、心の内にある「不安感」が他の人達よりも強すぎて、そういうところが、見境のない強欲さとか、悪辣なことをやることを「なんとも思わない性格」に結びついているわけで。だいたい、自分がとて「不安」だから、なんでも「相手を悪者にしちゃう」わけで、適当な理屈をこね回して、気にいらない相手を「悪者」にしちゃうことは、みんな大得意なわけでー;。多くの人達からは、どうやって彼らの「不安感」を鎮めたら良いのか? と期待される気がするわけで。だいたい、一族郎党のそういう「不安感」が世界中に祟って、祟り神みたいになっているわけだからー;。まあ、そんなの無理なんじゃないの、それは遺伝的に一族郎党に優勢ではびこっている「特異な性格」の内だから。遺伝子を特定して遺伝子治療でもするか、自覚できる人には、自覚できるように育てて、まずは「自分自身の不安感」とどうやって向き合って付き合っていくのか、ということを自分なりに考えて答えを出していてもらうしかない。でも、一族郎党は、うちのじいさんみたいな性格が多くて、みんな自分のことを「客観的に見れない人」ばっかりだから、そもそも「自分の不安感は自分自身の問題」だなんて自覚がまず持てないでしょ、それがまず無理な芸当、と思うわけで-;。
でも、この答えは、トリイ大師匠から、「さすがに系統的な医学教育を受けただけある。」とお褒めの言葉を頂いた気がするわけで。師匠は、アメリカ人だから、子供のカウンセリングをする、って言っても「個人」を重要視しすぎる気がするわけです。子供が人格的、精神的に問題がある状態になるのは、確かに育った家庭とか環境に問題があることが多いわけで、個々の状況に合わせた、対応や治療が必要なのは分かる。でも、やっぱり人格とか性格の「発現」というのは、環境だけではなくて、「遺伝」という要素も大きいと思うわけです。うちの、父方の一族郎党なんて、みんな似たような性格なわけですし。しかも、総本家直系に近い人達は、特殊な閉鎖的な地域に長らく住んで、遺伝的にも近親結婚が多かったであろうと思うので、「特異な性格」の発現率が非常に高いと思う。だから、一族郎党の「性格傾向」については、トリイ師匠とは私は、観点がやっぱりちょっと異なるかもねえ? と思う。アメリカの人は、そういうところまで「個人主義」すぎな気がするわけで。
で、「ZARD」の特集を見ていたら、なんとなく、彼女が生きていたら、私が「誰を選ぶべき」だと思うだろうか、とふと思って。そうしたら、「彼女の意思は、後継者を辞任している倉木さんを見れば分かるでしょ。」と言われる気がするわけで。倉木さんは、最近7番目の兄さんの「お歌」しか歌ってないもんね? と思う。要するに、「味方の蛙の目」の人達は、昔から私と7番目の兄さんがうまくいってくれればいい、と思ってたわけだ、とふと思う。でも、7番目の兄さんは、3つだか4つ前の「前世」では「同族」であった人かもしれないけれども、今は「同じ身分」の人ではないのでしょ? 本当は、同族の中だけで片付けなきゃいけないことで、7番目の兄さんを利用しすぎてない? と思うわけで。4番目の子のように、そういうやり方に、微妙な懐疑心を持つ人もいないわけではない。
それにしても、今、泉水ちゃんの歌詞を読んで思うことは、やっぱり「不安感が強い」と思うわけで。私も割と不安感は強い方かもしれないけれども、「ときどきすごく不安になる」とか、そういうことはないよ? と思う。理由があって、あれこれ不安になることはもちろんある。「裁判に負けたらどうしよう。」とか?(苦笑) それで、思うのだけれども、「君が一瞬でもいなくなると」「僕は不安になるのさ」(もう君以外愛せない)って、こちらもけっこう不安感が強いですよねえ? と思う。泉水ちゃんは、私よりもちょっと年上の人だったわけだけれども、彼女が歌い続けた「不安感の強い歌」は、「誰のお歌」だったの? と思う。その大部分は、7番目の兄さんのお歌で、そして彼女は「先が見える人」であって、彼女は彼女が夢見ていた「未来」のことを歌い続けていた、と言われる気がするわけで。でも、私は彼女の「不安感」の強い歌の中に、自分の気持ちと共感するものを感じていて、聴いていたわけで。それで、みんな、私と7番目の兄さんは似てるー、と言うんだー、私が自分のことのように感じて共感していたのは、7番目の兄さんのお歌だったからだー、と思うわけで。彼女が生きているうちに、何も気がついてあげられなくて、申し訳なかったな、と思う。
特集の中で「Forever Love」という曲が出てきて、「そう 焦らずに そう 急がずに大人になりたい」という歌詞が出てきて、廉君に「げんこつ山の狸さん」を歌われたことを思い出して-;。すみません、まだまだ子供で、というか、まああんまり焦らずに、若い兄さん達にも「大人」だと思ってもらえるような人間になりたいわけですが-;。廉君には、「7番目の兄さんと6番目の子の間に割って入るのも大変」と言われる気がするわけでー;。なんか、蹴りが微妙に入ってたもんね、6番目の子には悪いと思ってるんだけどね-;、と思う。7番目の兄さんの「不安感」を癒やすには、ただ、兄さんの気が済むまで、私がそばにいるしかないともいえる。でも、それでも完全に癒やされることはないのよ。なぜなら、根本的な問題は、兄さん自身にあるからです。でも、兄さんは話をして分からない人ではないし、自らの不安感で潰れてしまうような人でもないので。多くの若い兄さん達から、ただただ尊敬を受ける人であることも分かる(まっすーからは、ここの点を強調されるわけで)。まあ、結局は、「味方」の一族郎党の願うとおりにまとまるのではないのでしょうかねえ? と思う。蛇の兄さんもそれでいいと思ってるようですし、人の言葉に耳を傾けることはけっこう大事だから-;。