なんだか、毎日バタバタしているわけですが。
今朝はなんだか夢を見て。家の前で作業をしていたら、家の前に工務店の社長が乗り付けてきて、「金は払うから和解してくれ。」って言ってくる夢で。こんな夢を送ってくるところを見ると、気分的にはそんなもんなんだろうなー、と思う。なにせ、一番弟子がはっちゃっけた文書を書いてきすぎだしー;。後はもう引き延ばし作戦だし。まあ、そういうことは裁判所で言って、と思う。
それからまた夢を見て、なんだか大勢の人が集まっていて。肌の色の黒い人とかもいて。「みんなで裁判の作戦を考えよう。」って言ってくれて考えていて。みんな、総本家におかしなことを言われて、虐められた人達なんだなー、と思う。
イ族、という人達はチベット系の人々であるけれども、元は黄河上流域に住んでいる人たちであって。彼らの持つ父系の思想は、中国の父系の文化の源、みたいにも言われているらしい。というか、蛙の目の人達から、「我らはイ族」と言われる気がするわけでー;。やぱり、チベット系でも黄河文明の子なんだね、と思うというか、バリバリ父系の文化の一族なんじゃん? と思うわけです。でも、私が同族のばあさん達に「大きなお世話」って言ってやったことは、同族外のお味方には受けが良かったようで。妙な親戚なんか大事にしきれない、と思う。同じチベット系でも、私はモソの姉さん達のところへ養女に行って、そこのしきたりで結婚するからいいやー、と思うわけですが-;。
イ族とは、竹を尊ぶ人達で、竹から生まれた子供が始祖であったりするし、「天」にまつわる話が多いので、彼らの土俗的な信仰は、天神信仰、あるいは雷神信仰であるのだと思う。で、竹から生まれた5人の男の子が、各地に広まって一族を栄えさせた、という民話があるし、「大洪水」の民話もあるし、鳥女房の民話も持ってる。そして、相撲とか、競馬とかどんど焼きみたいな「火祭り」の文化も持ってる。要するに、その人達は、世界的に伝播してる民話とか神話の源流の話を持っていて、彼らの文化は、中国の文化の原点であるだけでなく、西欧の文化の原点でもあるよね、とすぐに分かる。そして、「兄弟が5人」であって、それぞれの役割を持っている、というのは「マハーバーラタ」の5兄弟の伝承にも通じる設定なので。「5つの部族があって、それぞれに序列が定まっていて、めいめいに各地に拡がって協力して世界を征服する。」って、そもそもそういう思想の人達だよねえ? と思う。5つの部族は、互いに平等なのではなくて、階級が決まってる。その思想が各地に伝播して、印欧語族的な「三兄弟」の民話へと変化していくわけだけれども、「末子」を愛する印欧語族の身分は一番「下」であって、長男はどこか別のところにいる、ということでー;。だから、古代ユダヤの十二支族のように、それぞれの部族が「平等」という思想は嫌いなわけだ。で、イ族の中でも、身分の高い人は、羊の毛で織った黒い服を着るらしくて。まさに「黒い羊の皮を被った悪魔」なんじゃないの? と思ったわけですが。
で、今日は裁判所に行ってきて。なんだか妙なことは相変わらず言われた気がするわけですが。まあ、決定が出れば、送ってもらえなければ、取りに行けばいいとも言うわけで。取りに行ければ、と思うわけです。で、ダンディなおじさまからは、「今度からは、自分の名前で準備書面を出そう。そうすれば、好き勝手陳述できるよ。」と言われる気がするわけで@@。そういうヒントをもらえると、別のところでちょこまかと嘘をつかれたりするわけで。おじさまは、「遠山の金さん」が好きらしいです。「金さんみたいに頑張る」って言ってくれるわけで。
で、昨日の朝はなんだか夢を見て。誰かに押し倒されて、「身分が違いすぎて結婚できないけど、自分の子供を産んで欲しい。」と言われる夢で@@。身分がどうのというよりも、更年期に突入してるおばちゃんに、「子供を産んで欲しい」って言う方が無理がある気がする、と思うわけで。7番目の兄さんには「できなくてもいいけど、そういう気持ちでいるんだよ。」と言われる気がするわけで。しかも、身分がどうのって言うよりも、制度的に一度に一人としか正式に結婚できないことが、最大の問題なんじゃん? と思うわけで。
そうすると、7番目の兄さんから、「それは違う。源氏物語で、藤壺の中宮は夫である桐壺帝が亡くなった後も、臣下の源氏とは結婚しないでしょ。婚姻届なんてない時代でも、高貴な女性は家来とは、信頼関係にあるのは良いけれども、正式に世間に向けて結婚したりはしないもの。」と言われる気がするわけで@@。「源氏物語は、天皇の息子である光源氏が、栄華を極める物語だと思われているけれども、源氏の晩年は決して幸せであったわけではない。(それは、最愛の妻に先立たれたり、若い妻が源氏ではなくて愛人の子供を産んだりしたから、なわけですが。)それは、どんな人でも「身の丈に合わない」生き方をすると、幸せにはなれない、っていう因果応報的な戒めの物語だから。」と言われる気がするわけで@@。「身の丈に合わない」ってどういうこと?? と思うわけで。そうすると、源氏の父親の願いは、あくまでも優れた息子が臣下として皇室を支えてくれる、ということだったけれども、政治的に成功して臣下としては最高実力者になった源氏は、しまいには冷泉帝の宣下を得て、「六条院」と院号を得るようになる。古代の「院」というのは、天皇を退位した人に贈られる称号だから、それは結局源氏が再び「皇族」に戻ったことを意味する。でも、それは父帝の意に背くことでもあるから、源氏としては本来であったら、宣下は固持すべきであったもの、と言われる気がするわけで@@。しかも、女三の宮の不倫に関しては、「内親王を降下して得る、ということは臣下が主君と結婚を許される特例であって、結婚したからといって主従関係がなくなるものではない。だから、源氏は女三の宮の一番の家来として、彼女が誰の子供を産もうが、女三の宮とその子供の保護者として誠実でなければならないのに、女三の宮の不倫を面白くなく思って、不倫相手は死に追い込むし、女三の宮も出家に追い込んでる。それを「身の丈に合わない過ぎたるふるまい」と言う。」と言われる気がするわけで@@。そうやって、臣下として出過ぎたふるまいをしすぎるから、その結果、因果応報で晩年の源氏は幸せになれなかった、と、「源氏物語」ってそういう話であって、古代の人の結婚観とか、秩序の概念を太陽女神に教えるために書かれたのが「源氏物語」と言われる気がするわけで@@。
だいたい、そもそも「源氏物語」のモデルは高市皇子、と言われた気がするわけで。どんなに優れた人でも、「天皇になるべきでない立場の人」とされたら、その立場を守って生きるのが秩序だし、それを逸脱しようとすると長屋王のような悲劇を招く、って言いたいんだ?? と思うわけですが。
まあ、でも、6番目の子と仲良しの人達は、「7番目の兄さんは頭が固すぎる」と思ってる気がするわけで。「秩序」って良く分からん、と思うのですが-;。