相手方からの準備書面などが届く。で、親がそれを読んで、「こんなこと言った」とか「言ってない」と言って大騒ぎする。しかも、「何がポイントなのか」が良く分かっていないようで、微妙にイラッとするー;。私もけっこう短期だから-;;。
なんというか、ものすごく基本的なことなのだけれども、民事のトラブルは基本的に、当事者同士で対等な立場で話し合って解決するのが、民主主義である。「対等な立場で自由に話し合っていい」のだから、基本的には何を言ったって構わないのが大原則といえる。でも、相手が納得できないことを一方的に勝手に言い張ったりとか、相手を脅したりするのは、「平等」とか「対等」に、かつ「誠実」に話し合ったことにならないから、結果、当事者同士では「解決できない」となる。それを、第三者に判断して貰って解決しよう、というのが裁判であるので。「そもそも裁判を始める前に、当事者同士でちゃんと誠実に話し合ってますか?」ということは、求められるし、まず、そのことを証明しないといけないわけです。だから、具体的なことを言ったのか、言わないのか、ということは、原則としてはあんまり問題にならない、といえる。(言ってないことを言った、と言い張ることは、それが証明できれば、言い張っている人が、裁判官に対して嘘をつく人、という証拠とはなり得るけれども。)「言ったこと」あるいは「言ってないこと」が、「誠実に話し合った」ということに該当するのか否かが問題になるのである。だから、「言った」とするのであれば、「こういう理由で述べて、誠実に協議を行うために言った」という主張をするし、「言ってない」とするのであれば「協議の内容には関係がないので言ってない」とかって言うわけ。例えば、話し合いの際に、どりらかが相手のことを「お前はデブで、ブスで、馬鹿」とかって言ったということであれば、それはちゃんと話し合いをしていないだけではなくて、相手の悪口を言って相手を傷つけてもいることになるから、まあ、「名誉毀損」とか「精神的苦痛」もおまけにつけてもいいかも、という程度であって、だいたい日本の裁判では、おまけ的なことは、割と金銭に換算すると少ない判断しかしないので-;。やっぱり大事なのは、「ちゃんと話し合ったのか否か」ということなわけ。
だから、日頃から、「証拠のないこと、根拠のないこと」は言ってはいけない、って私は口を酸っぱくして言ってるでしょうが、と思うわけですが-;。そういうことを口にすると、「誠実に話し合ったこととみなされない」から、言ってはいけないのである。特に大切な交渉の場面では。だけど、ここのところ身にしみて感じるわけですが、うちは両親揃って、「誠実に話し合う」ということができないのであるー;。父親は父親で、「家を建てるなら土建屋の従兄弟に頼め」って平気で言う。そもそも、土建屋では家を建築する業務を行うことができないわけで、業者を紹介して貰う、とかそういうことはできるかもしれないけれども、頼んだって家は建ててくれない人じゃん、って発覚した時点で、「なにそれ」と思う。あまりにも自信を持って言われるから、私は建設業の許可も持ってるものだと思いこんでましたとも。母親の方は母親で、「私の従兄弟は大工の修行をしていて、今も誰かに使われていて、大工の仕事をしているし、駄目な人間だ。(「駄目な人間」というのは、従兄弟の母親(要するに叔母さん)が、昔そう言っていたらしい。)」とかって言うわけ。ともかく、大工さんの仕事をしているのであれば、お願いしたいことがないわけでもない。だから、どの程度の仕事をしてるのか(どの程度のことまでお願いできるのか)、って聞くと、「人に使われてるだけ」とかって言うわけ。それは、人に使われているから部分的な仕事しかできないということなのか、それとも、一通りの仕事はできるけれども、部分的な仕事しか普段はしてない、ということなのか? って尋ねると、なんだかはっきりしない。で、逆に私が「急いでいる風だ」とかなんとか、私の言動についてとやかく言ってくるわけで。従兄弟の仕事となんの関係があるの、それ? と思う。で、結局調べてみたら、今は大工さんじゃなかった、ということでー;。なんで、何の証拠もないことを、思い込みで次から次へと言うのかね? で、しまいには、私がどうのって、全然関係のないことまで言い出すし、と思う-;。知らないなら知らないで、「知らない」って一言言えばいいのに。「大工の仕事ができる」というから、どの程度の仕事を頼みうる相手かを知りたいから、今どの程度の仕事をしているのか知りたいのである。何ができるのかもろくに知らない相手になんか、親戚であろうがなかろうが、仕事なんて頼めないじゃん、と思う。家族に対して、そういう「不誠実」な態度なのはいいのよ。でも、そうやって、平気で「根拠のないこと」をいかにも当たり前に言う態度は、裁判所では「誠実な人間」とはみなされない可能性が高くなる、ということです。でも、それは裁判所に限らず、社会一般に対して、そういうものだと思う。だから、重大な問題はもちろんのこと、日頃からささいなことでも、出鱈目なことは言わないように生きていかないといけないのよ。でないと、大事な場面で、自分が出鱈目なことを思いつきで言ったばっかりに、自分が悪者にされる、ということになる。
まあ、だから、「妙な儀式で掘るのをやめろ」って言ったってね、まあ、どっちも「言った」って言ってるわけだから、「言った」ことなわけですが。「言った」からには、それが「ちゃんと証拠もあることであって、誠実な話し合いをした、ということ」になるのかどうかが問題となるわけ。まあまあまあまあ、それを問題にした場合に、有利になるのかどちらなのか、ということです。裁判とは、そういうものなわけ。