本日の日誌

「建物の安全性確保義務違反」ショックで、普段接触してこない人が接触に来てる、と思う。でも、地盤の瑕疵に関して、わざわざ「安全性確保義務違反」とは書いていないけれども、それに近いこと、要は「地盤をほっといたら危ないに決まってる」ということは書いてあるわけだから、裁判所はそれも勘案して判決文を書かなきゃならないはずだけど?? と思う。それだけじゃなくて、細かな瑕疵の補修が必要になるのも、全てが「健康で安全な生活を送るため」であって、「瑕疵の補修」にはすべからくそういう意味が含まれるはず。だって、瑕疵があっても生活の安全に関係なければ、補修する意味もないってことになるじゃん?? と思う。だから、もう一つの駄目出しは、「地盤の瑕疵の取扱マニュアル」を手に入れたことだよねえ、と思う。工務店はこれを「知らない」とはいえない。ということは、「故意に瑕疵を拡大せしめた」という主張が外せなくなって、鉄板になっちゃうから、となる。

でも、瑕疵担保保険とか、完了検査も、なんというか、ものすごく厳密にいえば、あってもなくても、人がそこに住むことはできる。将来的に増改築が必要とか、瑕疵の補修が必要ってなる「かも」しれなくても、それこそ将来的に「未定」のことは、「将来の給付」になるから、裁判で請求はできない。だから、それに代わる理屈が「安全性配慮義務違反で交換価値が下がる」ということなのかなあ、というのが私の解釈です。あとは「契約の目的を達していないものとして瑕疵がある」というやつ。瑕疵担保保険が適応されないのも、完了検査が通過できないのも、建物の性能を保証して安全性を維持したものとはいえないし、契約の目的を達したともいえないから、結果として売買したときに、お金に換算したときに価値が下がる、ということになる。その価値が下がった分がそもそも「損害」だから、その分は、「損害が出ないように請求しうる」ってことなのだと思うわけです。だから、「将来の給付」に代わる、訴訟的なテクニックというか、「方便」だよねえ? どっちかっていうと、と正直思う-;。

ということで、今更誰が接触してきても、工事をやる、だけでは済まさせない。その言動はすべからく、「訴訟に利用する」ので。その覚悟がないと、あとで自分が困ることになっても知らない。土建屋の又従兄弟みたいに、となる。

で、裁判のことを知らないのは、私だけじゃなくて、親も同様、というか、親は親で「裁判に勝てば、工務店に仕事をさせられるんだよね?」とか「損害賠償を撮れば、もう嫌がって仕事をしないかも?」とか言うわけで-;。そんなこと「どちらも知らんがな」と思う-;。私が、裁判をいやがったのは、裁判で「工務店に仕事を行う義務がある」ことを確認することはできる、そして「仕事をしないから損害賠償を払え」ということもできるし、勝てばお金も取れる。でも、だから、工務店が工事をするかどうかって言ったら、それは結局「工務店の気分次第」だから、裁判なんか起こして、2重の手間のかかる主張をするのは嫌、ということだったわけです。

そもそも、「契約」というのは「意思表示」のことなので。建築主は「家を建てて貰いたい」という意思表示をする。工務店は「家を建てさせて下さい」という意思表示をする。それで、相互の意思が一致するから、契約になるわけです。だから、厳密には、契約書はなくても、相互に意思が確認されて、同意ができれば契約成立になる、というのが民法の大原則なわけです。でも、大きなお金が動くことだから、契約書だの約款だのって厳しく法律で決められているだけなわけで。だから、契約が成立していれば、いちいち裁判で「仕事を行う義務がある」なんて確認しなくても、義務はあるに決まっているわけ。でも、それを敢えて果たそうとしないから、裁判で争う、ということになる。ということは、そもそも契約に反して「仕事をする気のない」工務店が、裁判で負けて、「義務がある」って裁判官に言われても、「仕事をする気になる」かどうかは誰にもなんとも言えない、ということになる。そもそも仕事をする気があって、ちゃんとやってたら裁判にならんじゃん、ってことです。うちの親は、いつも「仕事をやらせればいい」とかそんなことしか言わないわけですが、いつも私が「どうやってやらせるの?」って聞くでしょ? と思う。仕事をする気のない人間に、確実に「仕事をする気にさせる」方法なんてあったら、それこそ私が教えて欲しいくらいである。

だから、裁判でできることは、「仕事を行う義務がある」ということの確認を行うことはできる。で、それが確認されたら、「仕事を行う義務があるのに、仕事をしないのだから、そこから生じた損害をお金として賠償しなさい。」と言うこともできる、ということなわけです。だから、普通は、「契約解除に伴う損害賠償請求」を裁判ではするわけ。工務店が「仕事をする気がない」と意思表示するなら、建築主も「仕事をさせる気がない」、そして「損害が出ているから弁償しろ」となるわけ。でも、今は法律的なこととかややこしいので、建築主としては自分のために「損害を最低限度にとどめたい」と思うのが当然、ということになる。だから、相手が「仕事をする気がない」と言ったからといって、相手の都合で契約解除をする必要はない。建築主の都合がつくまで、「待ってくれ」とか「今すぐは困る」ということは、いくらだって言える、ということ。でも、その場合、「契約解除に伴う損害賠償請求」ができないので、「不法行為から生じた損害に対しる損害賠償請求」ということになるわけです。まあ、損害の中身とか実態は、同じ事実なわけだけれども。そして、瑕疵の補修なんかは、工事中でもいくらでも請求しうるものだから、工事中でも工務店が補修を行わない(あるいは工務店では行えない)内容なら、請求できる、となる(基本的な原則としては不法行為責任になるのでしょうが)。

よって、お金の請求と関連しても、しなくても、工事しなければいけないはずの期間中に、工事をすることを止めた工務店が、契約が正式に解除されるまでの間に、「仕事をする気になるか、ならないか」なんて、私に聞かれても知らない、工務店に聞いて、となるわけです。だって、自分の意思を表示できるのは、その人自身しかいないからです。する気になれば、向こうから「こちらからお金を払ってでもやらせてくれ」って言ってくるだろうし、その気がなければ「金をいくら取られてもやらない」って言うでしょ、それは私の知った事じゃない、となるわけ。

じゃあ、これからやろうとしてる裁判は何なのか、といえば、向こうから「仕事をする義務はないから金を払え」と言ってきているわけで。もう、相手ははっきりと「仕事をする義務がない」と意思表示しているわけ。こちらとしては、当然対抗のために「仕事をする義務はある」と述べることになるし、それがいいやすくなる。こちらから先に裁判を起こすと、相手は「仕事をする気があるのに、今ちょっと都合が悪いだけだから待ってくれ」とかって言い訳して、「義務違反」そのものを否定するかもしれないし。そうすると、そこから争わなければならなくなって、面倒なわけです。

だったら、ついでに「義務違反で、不法行為だから、損害も賠償して」ってなる。だって、どうせ工事が終わった後に、まとめて損害賠償する「かも」な流れであったわけだから、それが「前倒し」になっただけじゃん? と思う。工事を続けながら、費用も前倒し請求で、自分から裁判を起こすのはきつい。相手に工事続行の余地があるうちは。と思うわけですが、向こうから正式に、「義務がない」って言っているわけだから。こちらも同時請求するしかないし、するからにはできるだけちゃんとやるよ? それが「面倒くさくて嫌」とはそもそも言ってない、とそういうことです。だから、遅延損害金の起算日にも関係するけれども、「いつ相手方が工事を放り出す意思を持ったのか」ということをこちらは重要視しているわけです。なぜなら、工務店が現場をほっておいて、何ヶ月も工事に来ないことはいくらでもあったから、「工務店が現場に来ない」=「工事をする意図が無い」とは言えない状況であったので。しかも、約款の契約解除の項に「2ヶ月以上工事が中断した場合に契約を解除できる」とかってある以上、「工事の中断」=「即工事を続行する意思がない」との解釈はできないので。3月に工事が中断されて、6月に契約解除の申し出があった場合、実際に「契約を解除する意思があったのはいつからなのか」ということはけっこう重要だと思うのよ、と思う。3月に契約解除の意思があったのであれば、その時点で相手方は引渡の意図があった、ということになる。6月だと、その時期は6月にずれこむ。相手方に、3月に契約解除の意思があったのであれば、その後の現場の管理は、所有者が行うしかないというか、所有者にしかその権利はなくなるので。支払いとは関係ないのよ。そもそも、支払いなんかする状況じゃない段階での契約解除の申し出と、その違法な放置っぷりなんだから、ということになるわけです。

よって、現段階では、「後任が見つかったから、面倒な裁判なんてやめよう」とか、そんなことはこれっぽっちもないので。それは期待しない方がいいです。というか、向こうの言い分が決まれば、裁判は別に面倒な事ではないのです。工務店が仕事をするかどうかは、私ではなくて、工務店に直接聞いて下さい、とそういうことだし、民主主義とはそういうものなのです。面倒なのは、「相手が仕事をする義務があるのに仕事をしない、する気も無い」ということを自分から証明することが面倒だから嫌なだけで、向こうから自白してくれるのなら、その一番面倒な部分を、やらなくて済むので。面倒ではなくなるのよ、とそういうことなのです。なんか、みんな、裁判で何が一番面倒なのかが分かっていない気がするわけで。「意思表示を行わない相手の意思を主張すること」かつ「立証すること」が一番面倒なわけです。なんでもいいから意思表示してくれるようになると、裁判は楽になるわけです。