本日の日誌

ええと、また裁判所に行ってきました。これで、訴状関連も出そろった、ということになります。私を当事者から外したがった皆様、嫌がらせ、お疲れ様でした、みたいな感じであって。そもそも、敵の弁護士が出してきた、書証とかが中身も出鱈目だけれども、そもそも体裁も証拠としてなってない、というか出鱈目なわけで。書記官が、こちらの出す証拠の出し方とかにはいろいろとイチャモンみたいなことを言ってくるのに、証拠の出し方をしってるはずの弁護士のやることはスルーという、例によって「最初から再審請求モノ」の裁判なわけだから-;。再審のことを考えて、「苦情は準備書面で書くべき」という主義のあたくしですので(東京で、こういう技だけは覚えてきたともいうわけですが(汗))、一言書いておいたら、大分書記官がおとなしくなりました-;。だいたい、そもそも、書記官が「当事者の出す証拠」について、「あれがいる」とか「これがいる」って言うこと自体、不当裁判でしょ、と思うわけで。しかも、記録の閲覧についても、大嘘を平気でついていたし。

というわけで、言うべきことをちょっこっとだけ書いて出したわけで。で、担当の裁判官が「足立」という人なわけです。あんまり、長野県では見ない名字かも?? と思う。まあ、ああいう人達はいわゆる「転勤族」だよね?? と思うわけで。そうしたら、7番目の兄さんに「家の近所に、その名前の神社があるでしょ。」と言われる気がするわけで。「そういえば、あったね。」と思う。というわけで、そこの祭神を調べてみたら、「五十猛(いそたける)」という名前の神様が出てきて。木の神様、というか植樹の神様であるらしくて。紀州が本地であるらしいのですが。林業全般の神様でもあるらしくて。「安達の守が五十猛だから。」と言われる気がするわけで@@。だから、地裁へ行ったら、その帰りにそこへ寄って、Holgaで撮ってくるように、と言われる気がするわけで。まずは、裁判所で安達の守と勝負したわけですが、嫌がらせに負けずに準備書面に異議申立をしたためて出したので、「勝った」ことになって、相手の正体がばれたらしくて@@。「そういうこと?」と思う。でも、長野県では、五十猛は諏訪神と縁が深くて、だいたい一緒に祀ってあることが多いので。むしろ、東国に名高い関東武士の名家であって、大名家の配下の安達氏の関係者だよね、その人?? と思う。というわけで、例え味方でも、相手の正体を見破るには、勝負しないといけないらしくて。夕方になったら、ふっと、担当のお姉さんから、「書類に係属係が抜けてる」と言われた気がするわけで@@。そういえば忘れてた、というか、事件番号だけ書いておけば識別できるでしょ、というか、「早く言って」と思うわけで-;。次からはちゃんと書かせていただきますとも?? と思う。今回は証拠の体裁を整えるのに、全精力を使ったので。それが最大の「嫌み」だと書記官室では思ったらしいです。まあ、そうなんだけれどもー;。訴えの内容そのものは、まあ、認められても、られなくてもいいのだけれども、最終的に「今現在も工事中であって、その工事の内容の責任は工務店と監理設計士にある。」という主張に包括的にリンクしていければ良いわけです。というか、そう言われる気がするわけで。「いつか、どっかに書いておきます」と思う。

というわけで、一息つける間に年末の準備、ということで。ともかく、「録音資料」を証拠に出さなきゃ、ということで、提出までにさんざん苦労したわけですが、ともかく、「裁判所関連のものは全部送ってよこせ」と言われてる気がするわけでー;。「それを送って貰わなきゃ年が越せない」とかってせっつまれる気がするわけでー;。そうすると、録音したものも送ることになる。そうすると、兄さん達は晴れて「生まれて初めて妻の声を聴くことができる」ということらしくて。それで証拠として出せ出せって言われたんだ? というか、敵からは「出すな」ってさんざ意地悪されたわけでー;。別にそんないいものじゃないよ? と思うわけですが。今年は、自撮りが出来るカメラも買ったし。まあまあ、頑張って送ろう、と思うわけです。

で、最近は地裁に行くときに、権堂を歩いて通り抜けて、徒歩で行っているわけで。権堂は今では長野市随一の歓楽街、みたいになっているわけですが、古い町ではあるのです。そもそも、その地名の由来は、平安末期から鎌倉時代初期にかけて、戦乱で焼けてしまった善光寺を再建するために、源頼朝が本尊を権堂にあるお堂に移して、「仮のお堂」のことを「権堂」と言ったのが始まり、ということで。そのお堂の横には、「九頭竜弁天」を祀った神社があるので、元々そのお堂があった場所も地元の人の聖地であった、と思われるわけです。

そもそも、善光寺周辺の、今の長野市街地のかなり広い範囲を昔は「水内郡芋井」と呼んだわけです。現在の「芋井」という地名は、善光寺の北西の山間部の一部を示すわけですが、古代にはその地名はもっと広い範囲を指していたわけ。で、芋井の更に奥の戸隠にも「九頭竜社」があるわけで、そもそも「九頭竜弁天」とは中世における戸隠信仰のご神体でもあるので、おそらく縄文往古の古い時代、竜神の化身の勾玉なんかが尊重されていた時代には、善光寺平に住む人々は、女神である九頭竜を祀っていたのだと思うわけです。それは、犀川・千曲川という二つの大河があって、しょっちゅう氾濫を起こすから、ということもあったと思う。そこに、水稲耕作を行う人々が八坂刀売信仰を持って入ってきて、灌漑、治水、開拓を行って田んぼを作ったから、先住の龍神信仰と八坂刀売信仰が一体化して、戸隠的「九頭竜信仰」ができあがったのだと思う。「芋井」という地名の「芋」は「妹」という言葉に通じるのだと思う。諏訪神の「妹」である八坂刀売に対する信仰です。だから、戸隠だけでなく、そもそも善光寺平の広い範囲で九頭竜が信仰されていて、そこに八坂刀売信仰が習合しているのだと思う。そこに、再後発である「善光寺信仰」が加わっているわけです。だから、仮のお堂といえど、元々地元の人々の聖地であった「権堂」にご本尊が移された、というのはちゃんと意味があることなわけ。そこもまた、「善光寺平の信仰の中心となる聖なる場所」だったのです。

で、林業の神様「五十猛」には妹の女神がいて、「大屋津姫命(おおやつひめ)」というわけです。これも植樹の女神であって。でも、「屋(や)」という言葉は「八(や)」にも通じますよね、大屋津姫命というのは八坂刀売のことなんじゃないの? と思う。それで、芋井にある神代桜のことを思い出したわけで。これは、神話の時代に、須佐之男命が全国に桜の木を植えて歩いた桜の生き残りで、ご神体は八坂刀売である、と言われているわけで。一方、植樹の神々である五十猛と大屋津姫命は、須佐之男命の命を受けて、全国に木を植えて歩いた、という神話があるわけで。大屋津姫命と八坂刀売が同じものなら、神代桜は須佐之男命が直接植えたもの、というよりは須佐之男命神話に関連した八坂刀売が直接植えたもので、八坂刀売(あるいは大屋津姫命)の化身、ということですよねえ? と思う。では「五十」というのは何? と思うわけで。そうすると、それは水とか、植樹に関する神の数字で、「八」が軍神を象徴する数字だとすると「五」というのは、それよりも格下で、産業に関する数字になる、と言われる気がするわけで@@。だいたい、「伊勢」という言葉が「五十」ということでしょ? と言われる気がするわけで。「いせ」とか「いそ」ってそもそも、「五十」のことなんだ?? と思う。だから、同じ太陽女神でも、産業(機織り)とかに関わる時の数字は「5」になる、と言われる気がするわけで@@。逆に、太陽女神でも、軍神のときは「8」なんだ? と思う。それで、生きた木を植える木の女神が、大屋津姫命であるところの八坂刀売であるとすると、家の地下に埋まっている「死んだ木」は「死んだ八坂刀売」のことで、「お前が死んで家の基礎になってしまえ」ってそういうことなの? と思う。

話を権堂に戻すと、今権堂で有名なのは、通りの一番東にある秋葉神社の勢獅子(きおいじし)であると思う。この暴れ獅子の獅子舞は、江戸時代辺りから始まったわけですが、今では商店街の象徴みたいにもなっていて、のぼり旗にも刷られてる。そもそも秋葉神社自体が、死んだ「太陽神」の神社であって、縁起があんまりよろしい神社ではないわけですが、何故かこの神社では獅子舞がないときでも獅子頭がこれみよがしに飾ってあって。それを見てると、首だけしかない饕餮と、体だけしかない蚩尤のことを思い出す。獅子舞の獅子の如く、二人とも「中に入っている人」に操られて、踊らされて暴れてるだけだ。首だけの獅子頭を見て、色と欲と金にまみれた歓楽街を見て、そこを通る度にいつも思う。そこは、元々九頭竜の聖地であったはずなのに、誰が汚くて穢れた街に変えてしまったのか、饕餮も蚩尤も元々は神であったのに、誰が首だけの化け物と体だけの化け物に変えてしまったのかを思う。そして、神とは何なのか、医者とは何なのか、とも思う。私はそのどちらでもあるはずなのに、その二人ですら救えない。彼らに何が必要であるのかは、学生時代から分かってたはずなのに、と思う。それどころか、自分のことで手一杯であって、私もまだ呪いの全てからは逃れきれていない。裁判用の書類の体裁を整えることですら、一つ一つ勝負に勝っていかないと、自分からは気がつけない始末だしー;。

ともかく、今掘っているところの土が汚すぎるわけです。土にアスファルトが砕いたものが混ぜてあって、目立つところは捨ててしまうしかないけれども、全部は捨てきれないし、どうしようもない。結局、「ある程度」で妥協するしかなければ、その代替として、「今以上に家に木を増やさないように」と言われる気がするわけで。ある程度大きくなる木は、今以上に植えられない。生きるためにはそうするしかない。でも、植えてはいけないのは、草花よりも大きくなる木、ということで、実は家の中に「木」はたくさんあるわけで。ヒソップとかタイムとか、「木」なわけです。実は。だから、兄さん達に「私の木」とは何ですか? と聞くと、家の外では「桜」、家の中では「ダビデの花」と南の人達が呼ぶ「ヒソップ」と言われる気がするわけで。それは、抗炎症作用のあるハーブで、慢性関節リウマチの薬としても使われたことがあるらしくて。軽度のものであれば効果は期待できるかもしれない、と思う。ダビデの名前は「饕餮」にも通じる名前だし、紫色の花は、軍神の象徴だよねえ? と思う。では、九頭竜は? と思うと、「家にsnap dragonって、竜の名前の花があるでしょ?」と言われる気がするわけで。金魚草かー、それも半草半木の植物なんだよねえ、と思う。

というわけで、夜には「NEWS ZERO」を見る。4番目の子には、「係属係を書き忘れるくらいいいでしょ、どうせ田舎の小さい裁判所で、民事部も1個しかないんだから。」と慰めて貰ったわけで。まあ、そうなんだよね、東京地裁は民事部だけで10以上あるからねえ、と思うわけですが。兄さん達は、私には甘くていいなあ、と思う。裁判も、これからが本番なので、頑張りたいと思います。というか、録音の証拠を出したので、それを聞いた人は、私は「猫なで声を出しているときほど、怒っててやばい人間」だと思ったらしくて-;。大名家のおっちゃんとそっくりな性質って言われる気がするわけで-;。まあ、親戚だからね、一応ね? と思うわけですが。だいたい、性格のど悪い親戚ばっかり目白押しなのに、私だけとってもいい性格の人になるわけないじゃん、遺伝の力は恐ろしいのだ、と思うわけです-;。

本日の日誌

ええと、また裁判所に行ってきました。これで、訴状関連も出そろった、ということになります。私を当事者から外したがった皆様、嫌がらせ、お疲れ様でした、みたいな感じであって。そもそも、敵の弁護士が出してきた、書証とかが中身も出鱈目だけれども、そもそも体裁も証拠としてなってない、というか出鱈目なわけで。書記官が、こちらの出す証拠の出し方とかにはいろいろとイチャモンみたいなことを言ってくるのに、証拠の出し方をしってるはずの弁護士のやることはスルーという、例によって「最初から再審請求モノ」の裁判なわけだから-;。再審のことを考えて、「苦情は準備書面で書くべき」という主義のあたくしですので(東京で、こういう技だけは覚えてきたともいうわけですが(汗))、一言書いておいたら、大分書記官がおとなしくなりました-;。だいたい、そもそも、書記官が「当事者の出す証拠」について、「あれがいる」とか「これがいる」って言うこと自体、不当裁判でしょ、と思うわけで。しかも、記録の閲覧についても、大嘘を平気でついていたし。

というわけで、言うべきことをちょっこっとだけ書いて出したわけで。で、担当の裁判官が「足立」という人なわけです。あんまり、長野県では見ない名字かも?? と思う。まあ、ああいう人達はいわゆる「転勤族」だよね?? と思うわけで。そうしたら、7番目の兄さんに「家の近所に、その名前の神社があるでしょ。」と言われる気がするわけで。「そういえば、あったね。」と思う。というわけで、そこの祭神を調べてみたら、「五十猛(いそたける)」という名前の神様が出てきて。木の神様、というか植樹の神様であるらしくて。紀州が本地であるらしいのですが。林業全般の神様でもあるらしくて。「安達の守が五十猛だから。」と言われる気がするわけで@@。だから、地裁へ行ったら、その帰りにそこへ寄って、Holgaで撮ってくるように、と言われる気がするわけで。まずは、裁判所で安達の守と勝負したわけですが、嫌がらせに負けずに準備書面に異議申立をしたためて出したので、「勝った」ことになって、相手の正体がばれたらしくて@@。「そういうこと?」と思う。でも、長野県では、五十猛は諏訪神と縁が深くて、だいたい一緒に祀ってあることが多いので。むしろ、東国に名高い関東武士の名家であって、大名家の配下の安達氏の関係者だよね、その人?? と思う。というわけで、例え味方でも、相手の正体を見破るには、勝負しないといけないらしくて。夕方になったら、ふっと、担当のお姉さんから、「書類に係属係が抜けてる」と言われた気がするわけで@@。そういえば忘れてた、というか、事件番号だけ書いておけば識別できるでしょ、というか、「早く言って」と思うわけで-;。次からはちゃんと書かせていただきますとも?? と思う。今回は証拠の体裁を整えるのに、全精力を使ったので。それが最大の「嫌み」だと書記官室では思ったらしいです。まあ、そうなんだけれどもー;。訴えの内容そのものは、まあ、認められても、られなくてもいいのだけれども、最終的に「今現在も工事中であって、その工事の内容の責任は工務店と監理設計士にある。」という主張に包括的にリンクしていければ良いわけです。というか、そう言われる気がするわけで。「いつか、どっかに書いておきます」と思う。

というわけで、一息つける間に年末の準備、ということで。ともかく、「録音資料」を証拠に出さなきゃ、ということで、提出までにさんざん苦労したわけですが、ともかく、「裁判所関連のものは全部送ってよこせ」と言われてる気がするわけでー;。「それを送って貰わなきゃ年が越せない」とかってせっつまれる気がするわけでー;。そうすると、録音したものも送ることになる。そうすると、兄さん達は晴れて「生まれて初めて妻の声を聴くことができる」ということらしくて。それで証拠として出せ出せって言われたんだ? というか、敵からは「出すな」ってさんざ意地悪されたわけでー;。別にそんないいものじゃないよ? と思うわけですが。今年は、自撮りが出来るカメラも買ったし。まあまあ、頑張って送ろう、と思うわけです。

で、最近は地裁に行くときに、権堂を歩いて通り抜けて、徒歩で行っているわけで。権堂は今では長野市随一の歓楽街、みたいになっているわけですが、古い町ではあるのです。そもそも、その地名の由来は、平安末期から鎌倉時代初期にかけて、戦乱で焼けてしまった善光寺を再建するために、源頼朝が本尊を権堂にあるお堂に移して、「仮のお堂」のことを「権堂」と言ったのが始まり、ということで。そのお堂の横には、「九頭竜弁天」を祀った神社があるので、元々そのお堂があった場所も地元の人の聖地であった、と思われるわけです。

そもそも、善光寺周辺の、今の長野市街地のかなり広い範囲を昔は「水内郡芋井」と呼んだわけです。現在の「芋井」という地名は、善光寺の北西の山間部の一部を示すわけですが、古代にはその地名はもっと広い範囲を指していたわけ。で、芋井の更に奥の戸隠にも「九頭竜社」があるわけで、そもそも「九頭竜弁天」とは中世における戸隠信仰のご神体でもあるので、おそらく縄文往古の古い時代、竜神の化身の勾玉なんかが尊重されていた時代には、善光寺平に住む人々は、女神である九頭竜を祀っていたのだと思うわけです。それは、犀川・千曲川という二つの大河があって、しょっちゅう氾濫を起こすから、ということもあったと思う。そこに、水稲耕作を行う人々が八坂刀売信仰を持って入ってきて、灌漑、治水、開拓を行って田んぼを作ったから、先住の龍神信仰と八坂刀売信仰が一体化して、戸隠的「九頭竜信仰」ができあがったのだと思う。「芋井」という地名の「芋」は「妹」という言葉に通じるのだと思う。諏訪神の「妹」である八坂刀売に対する信仰です。だから、戸隠だけでなく、そもそも善光寺平の広い範囲で九頭竜が信仰されていて、そこに八坂刀売信仰が習合しているのだと思う。そこに、再後発である「善光寺信仰」が加わっているわけです。だから、仮のお堂といえど、元々地元の人々の聖地であった「権堂」にご本尊が移された、というのはちゃんと意味があることなわけ。そこもまた、「善光寺平の信仰の中心となる聖なる場所」だったのです。

で、林業の神様「五十猛」には妹の女神がいて、「大屋津姫命(おおやつひめ)」というわけです。これも植樹の女神であって。でも、「屋(や)」という言葉は「八(や)」にも通じますよね、大屋津姫命というのは八坂刀売のことなんじゃないの? と思う。それで、芋井にある神代桜のことを思い出したわけで。これは、神話の時代に、須佐之男命が全国に桜の木を植えて歩いた桜の生き残りで、ご神体は八坂刀売である、と言われているわけで。一方、植樹の神々である五十猛と大屋津姫命は、須佐之男命の命を受けて、全国に木を植えて歩いた、という神話があるわけで。大屋津姫命と八坂刀売が同じものなら、神代桜は須佐之男命が直接植えたもの、というよりは須佐之男命神話に関連した八坂刀売が直接植えたもので、八坂刀売(あるいは大屋津姫命)の化身、ということですよねえ? と思う。では「五十」というのは何? と思うわけで。そうすると、それは水とか、植樹に関する神の数字で、「八」が軍神を象徴する数字だとすると「五」というのは、それよりも格下で、産業に関する数字になる、と言われる気がするわけで@@。だいたい、「伊勢」という言葉が「五十」ということでしょ? と言われる気がするわけで。「いせ」とか「いそ」ってそもそも、「五十」のことなんだ?? と思う。だから、同じ太陽女神でも、産業(機織り)とかに関わる時の数字は「5」になる、と言われる気がするわけで@@。逆に、太陽女神でも、軍神のときは「8」なんだ? と思う。それで、生きた木を植える木の女神が、大屋津姫命であるところの八坂刀売であるとすると、家の地下に埋まっている「死んだ木」は「死んだ八坂刀売」のことで、「お前が死んで家の基礎になってしまえ」ってそういうことなの? と思う。

話を権堂に戻すと、今権堂で有名なのは、通りの一番東にある秋葉神社の勢獅子(きおいじし)であると思う。この暴れ獅子の獅子舞は、江戸時代辺りから始まったわけですが、今では商店街の象徴みたいにもなっていて、のぼり旗にも刷られてる。そもそも秋葉神社自体が、死んだ「太陽神」の神社であって、縁起があんまりよろしい神社ではないわけですが、何故かこの神社では獅子舞がないときでも獅子頭がこれみよがしに飾ってあって。それを見てると、首だけしかない饕餮と、体だけしかない蚩尤のことを思い出す。獅子舞の獅子の如く、二人とも「中に入っている人」に操られて、踊らされて暴れてるだけだ。首だけの獅子頭を見て、色と欲と金にまみれた歓楽街を見て、そこを通る度にいつも思う。そこは、元々九頭竜の聖地であったはずなのに、誰が汚くて穢れた街に変えてしまったのか、饕餮も蚩尤も元々は神であったのに、誰が首だけの化け物と体だけの化け物に変えてしまったのかを思う。そして、神とは何なのか、医者とは何なのか、とも思う。私はそのどちらでもあるはずなのに、その二人ですら救えない。彼らに何が必要であるのかは、学生時代から分かってたはずなのに、と思う。それどころか、自分のことで手一杯であって、私もまだ呪いの全てからは逃れきれていない。裁判用の書類の体裁を整えることですら、一つ一つ勝負に勝っていかないと、自分からは気がつけない始末だしー;。

ともかく、今掘っているところの土が汚すぎるわけです。土にアスファルトが砕いたものが混ぜてあって、目立つところは捨ててしまうしかないけれども、全部は捨てきれないし、どうしようもない。結局、「ある程度」で妥協するしかなければ、その代替として、「今以上に家に木を増やさないように」と言われる気がするわけで。ある程度大きくなる木は、今以上に植えられない。生きるためにはそうするしかない。でも、植えてはいけないのは、草花よりも大きくなる木、ということで、実は家の中に「木」はたくさんあるわけで。ヒソップとかタイムとか、「木」なわけです。実は。だから、兄さん達に「私の木」とは何ですか? と聞くと、家の外では「桜」、家の中では「ダビデの花」と南の人達が呼ぶ「ヒソップ」と言われる気がするわけで。それは、抗炎症作用のあるハーブで、慢性関節リウマチの薬としても使われたことがあるらしくて。軽度のものであれば効果は期待できるかもしれない、と思う。ダビデの名前は「饕餮」にも通じる名前だし、紫色の花は、軍神の象徴だよねえ? と思う。では、九頭竜は? と思うと、「家にsnap dragonって、竜の名前の花があるでしょ?」と言われる気がするわけで。金魚草かー、それも半草半木の植物なんだよねえ、と思う。

というわけで、夜には「NEWS ZERO」を見る。4番目の子には、「係属係を書き忘れるくらいいいでしょ、どうせ田舎の小さい裁判所で、民事部も1個しかないんだから。」と慰めて貰ったわけで。まあ、そうなんだよね、東京地裁は民事部だけで10以上あるからねえ、と思うわけですが。兄さん達は、私には甘くていいなあ、と思う。裁判も、これからが本番なので、頑張りたいと思います。というか、録音の証拠を出したので、それを聞いた人は、私は「猫なで声を出しているときほど、怒っててやばい人間」だと思ったらしくて-;。大名家のおっちゃんとそっくりな性質って言われる気がするわけで-;。まあ、親戚だからね、一応ね? と思うわけですが。だいたい、性格のど悪い親戚ばっかり目白押しなのに、私だけとってもいい性格の人になるわけないじゃん、遺伝の力は恐ろしいのだ、と思うわけです-;。