本日の日誌

親とかに、せっせと民話とかを読んで貰っているわけです。で、その中でも草分け的な存在であるグリムとか読んで貰っているわけで。だいたい、民話とか神話には一定のパターンがあって、「三人兄弟」あるいは「末子成功譚」というものがあるわけです。三人の兄弟が、生家を出て冒険して、末子が一番成功する、というパターンの物語であって、それは西欧を中心に各地に分布しているわけです。日本だと、大国主命の物語とか、甲賀三郎の物語がそれに相当するわけで。

で、利兄さんのカバーアルバムが出たので買ったわけで、今日それをけっこう聴いていて。だいたい、この「三人兄弟」の物語が東洋起源のものであるとすると、「兄弟」というのは、年功序列にとどまらず、「身分の序列」も示すわけです。で、民話や神話というのは、部族全体の祖神神話でもある(民話は祖神神話の崩れでもあるわけです。)だから、「末子が成功してそれを褒め称える」という民話は、その部族の祖神が、もっと広い世界全体では、「末席の身分の者である」ということであり、そういう神話や民話を持っている人達は、世界全体からみれば、「(成功していても)一番下の身分の人達の子孫」ということになる、と言われる気がするわけで@@。大国主命や甲賀三郎は、富の王家に関わる民話(あるいは神話)なので。彼らもご多分に漏れず、「身分の低い人達」となるわけです。だいたい、富の王家の先祖は、ゲルマン系の人々に近いことろから出ているれっきとした印欧語族なので。良くも悪くも、血筋的にはその序列から抜け出せない、ということらしくてー;。

ということには、広い世界のどこかには、仲良くしたいか、したくないかは別として、彼らの「兄」に相当する目上の部族がいる、ということになるわけで。それは、誰? ということになる。そうすると、それは「長男が成功している民話を持っている部族」と言われる気がするわけでー;。ちょっと変則的だけど、人間で長男的存在が成功してる「桃太郎」とか? と思うわけで-;。だいたい、日本の民話の「三人兄弟」は二つに分岐する。すなわち、富の王家の「末子成功譚」と、「長男が成功する物語」に。ということで、「長男が成功する」っていうのは、蛙の王家の物語なんですよねえ? と思う。東北とかにけっこう見られる「長男成功譚」は、特に「旅に出た長男が泥棒の技を覚えてきて成功する」というが多い気がするわけで。西欧にも似たような話はあるけどさあ? とは思う。あからさまに「泥棒はいい仕事、みたいに言うかね?」と思う。

というわけで、泥棒根性の激しい「父系」の思想を持つ人々の中には、厳然とした「序列」があるらしくて。「兄が成功する」という物語を持つことが許されているのは、ただ一つの部族、ただ一つの家系だけ、ということらしいです。でも、それで、世界の誰もが、その民話を聞いただけで、その出自が知れるようになってるらしくて。そもそも、「女の子と父系の家の関係」をどう説くのか、という問題になるわけですが。だいたい、中国的な思想からいえば、それこそ家の跡をとるのは絶対男子、ということになるわけで。中国の歴代皇帝を見ても、女帝はただ一人だけ、という歴史があるわけだから(しかも、武則天は漢人ではないし)。だから、総本家から見れば、「女の子が跡取り」なんてことは、よっぽどの事情がない限り、そもそもあり得ざること、としか本音では言わないと思うし、たとえそうであっても「中継ぎ」くらいの意味しか持たせないと思う。

でも、一方、大名家の方からいえば、古来よりの東国の武家の文化の通りに、女子であっても男子と同等に戦える者には、家督を継がせるに然るべき、と言うと思う。ということで、「兄」の部族の中では、完全に内紛状態だし、世界中に散らばる多くの「末子達」は、大江山の酒呑童子みたいな「兄」ではなくて、桃太郎のように弟たちの戦闘に立って、悪者と戦ってくれる「兄」につきたいと思っている、と利兄さんのお歌を聴いていると、そう言われる気がするわけで。それで私が桃太郎みたいに鬼退治しないといけないらしいのですがー;。要はやってることは「内ゲバ」なんじゃないの、って自分で突っ込んでどうするのか、という気もするわけですがー;。

日曜日に「ドロ警」を見たら、大友康平ちゃんがゲストに出ていて、「情け容赦なく敵を狩り出すように」と言われる気がするわけで@@。だいたい、いろいろと書いた書面を裁判所に出したら、4番目の子には評判が良かったらしい。今朝、昨日のブンブブーンを見ていたら、7番目の兄さんには「今夜が楽しみ」ってふっと言われる気がするわけで。「FNS歌謡祭」にKinKi-Kidsも出たっけ? と思ったわけで。まあ、なんとなく、「大名家のおっちゃんが笑いが止まらない状態」とかって言われる気がするわけで-;。「鬼退治」って、要は上社と下社の争いだよね? とか微妙なことは思うわけですが-;。まあ、兄さん達に言われれば、言われたことしかやりませんがー;。だいたい、誰でも、4番目の子と7番目の兄さんに書けって言われてることを書いてるだけでしょ、と思っていそうな気がするわけで。まあ、だいたいそんなところなわけですが。だいたい、大名家の特殊なところは、富の王家の中では、分家筋で格下の家柄なのですけれども、蛙の王家と強力に混血集合していて、いわゆる「高貴な血」が、富の王家よりも多く入っている、ということらしくて。私は私で、富の王家や大名家の血も引いているのでしょうけれども、男系的な家柄からいけば「高貴な家」の人なわけで。母系の人々からは「母系の大母たれ」と言われる気がするわけですが、男系の人々から見れば、折衷的に「男顔負けの軍神になれ。そうして、家長として君臨しろ。」と言われる気がするわけで-;。世の人々は、饕餮と蚩尤と建御雷神と、3人の神となる資質を持った人々を、「兄」なる者が、狂気に追いやって利用して、将来ある若者の未来を潰しただけでなく、彼らを利用して「末子達」を食い物にしてきたことに憤っているのです。だから、別の「兄」を立てようとしてるのです。立てられそうなのが、女の子しかいないわけだから、男系の人々にとっても苦肉の選択というべきなのですなー;。(でも、こういうちょっと変則的で強引な流れの中心にいるのが、大名家と4番目の子なのだと思う。ただ単に「母系の神」であるだけでは、けっして総本家に勝てない、ということをその人達は良く良く知っている、ということで。彼らは「男系」の勢力の中から、多くの味方をできるだけ得ようとしているわけなのだと思う。)

でも、親とグリムの話をしていたら、「上巻は残酷な物語が多くてあまり面白くなくて、下巻はそうでもないのでけっこう面白い」みたいに言われたわけで-;。だいたい、何故私が民話の世界にはまったのかといえば、モラル感が最初から存在しないような残酷な話が、平板的に語られるところに惹かれたわけで。なんというか、例えば人間だって動物だから、もし飢饉とかがくれば、他の動物と同じように仲間だって平気で食べて生き残ろうとするだろうし、なんというか、それが動物の本来の「あるがままの自然な姿」なのではないだろうか、ということを感じさせてくれるところに惹かれたわけで。民話というのは、庶民的な、昔でいえば、文盲であって、「語る言葉」しか知らないような、教育もあんまり受けてない、その結果のモラル感もあんまりなくて、まさにあるがままに本能的に生きている人々の文化であって、「あるがままの動物的な人間の姿」が投影されているところが魅力なのだと思ってきたので。グリムは、かねてより、前半はけっこう面白いけど、後半はあんまり面白くないと思ってきてたので、親の話を聞いて、「私とまるっきり逆だー」というところにちょっとショックを受けるわけですが(苦笑)。まあ、西欧の方は「戦う人」を尊重する文化なので。神話の方が民話よりももっと「きてる」と思わないでもないわけですがー;。グリムはドイツのゲルマン系の人々の民話なので。その文化の最古層は、富の王家の最古層に繋がる。だから、まずグリムより始めるべき、と思うわけです。

本日の日誌

親とかに、せっせと民話とかを読んで貰っているわけです。で、その中でも草分け的な存在であるグリムとか読んで貰っているわけで。だいたい、民話とか神話には一定のパターンがあって、「三人兄弟」あるいは「末子成功譚」というものがあるわけです。三人の兄弟が、生家を出て冒険して、末子が一番成功する、というパターンの物語であって、それは西欧を中心に各地に分布しているわけです。日本だと、大国主命の物語とか、甲賀三郎の物語がそれに相当するわけで。

で、利兄さんのカバーアルバムが出たので買ったわけで、今日それをけっこう聴いていて。だいたい、この「三人兄弟」の物語が東洋起源のものであるとすると、「兄弟」というのは、年功序列にとどまらず、「身分の序列」も示すわけです。で、民話や神話というのは、部族全体の祖神神話でもある(民話は祖神神話の崩れでもあるわけです。)だから、「末子が成功してそれを褒め称える」という民話は、その部族の祖神が、もっと広い世界全体では、「末席の身分の者である」ということであり、そういう神話や民話を持っている人達は、世界全体からみれば、「(成功していても)一番下の身分の人達の子孫」ということになる、と言われる気がするわけで@@。大国主命や甲賀三郎は、富の王家に関わる民話(あるいは神話)なので。彼らもご多分に漏れず、「身分の低い人達」となるわけです。だいたい、富の王家の先祖は、ゲルマン系の人々に近いことろから出ているれっきとした印欧語族なので。良くも悪くも、血筋的にはその序列から抜け出せない、ということらしくてー;。

ということには、広い世界のどこかには、仲良くしたいか、したくないかは別として、彼らの「兄」に相当する目上の部族がいる、ということになるわけで。それは、誰? ということになる。そうすると、それは「長男が成功している民話を持っている部族」と言われる気がするわけでー;。ちょっと変則的だけど、人間で長男的存在が成功してる「桃太郎」とか? と思うわけで-;。だいたい、日本の民話の「三人兄弟」は二つに分岐する。すなわち、富の王家の「末子成功譚」と、「長男が成功する物語」に。ということで、「長男が成功する」っていうのは、蛙の王家の物語なんですよねえ? と思う。東北とかにけっこう見られる「長男成功譚」は、特に「旅に出た長男が泥棒の技を覚えてきて成功する」というが多い気がするわけで。西欧にも似たような話はあるけどさあ? とは思う。あからさまに「泥棒はいい仕事、みたいに言うかね?」と思う。

というわけで、泥棒根性の激しい「父系」の思想を持つ人々の中には、厳然とした「序列」があるらしくて。「兄が成功する」という物語を持つことが許されているのは、ただ一つの部族、ただ一つの家系だけ、ということらしいです。でも、それで、世界の誰もが、その民話を聞いただけで、その出自が知れるようになってるらしくて。そもそも、「女の子と父系の家の関係」をどう説くのか、という問題になるわけですが。だいたい、中国的な思想からいえば、それこそ家の跡をとるのは絶対男子、ということになるわけで。中国の歴代皇帝を見ても、女帝はただ一人だけ、という歴史があるわけだから(しかも、武則天は漢人ではないし)。だから、総本家から見れば、「女の子が跡取り」なんてことは、よっぽどの事情がない限り、そもそもあり得ざること、としか本音では言わないと思うし、たとえそうであっても「中継ぎ」くらいの意味しか持たせないと思う。

でも、一方、大名家の方からいえば、古来よりの東国の武家の文化の通りに、女子であっても男子と同等に戦える者には、家督を継がせるに然るべき、と言うと思う。ということで、「兄」の部族の中では、完全に内紛状態だし、世界中に散らばる多くの「末子達」は、大江山の酒呑童子みたいな「兄」ではなくて、桃太郎のように弟たちの戦闘に立って、悪者と戦ってくれる「兄」につきたいと思っている、と利兄さんのお歌を聴いていると、そう言われる気がするわけで。それで私が桃太郎みたいに鬼退治しないといけないらしいのですがー;。要はやってることは「内ゲバ」なんじゃないの、って自分で突っ込んでどうするのか、という気もするわけですがー;。

日曜日に「ドロ警」を見たら、大友康平ちゃんがゲストに出ていて、「情け容赦なく敵を狩り出すように」と言われる気がするわけで@@。だいたい、いろいろと書いた書面を裁判所に出したら、4番目の子には評判が良かったらしい。今朝、昨日のブンブブーンを見ていたら、7番目の兄さんには「今夜が楽しみ」ってふっと言われる気がするわけで。「FNS歌謡祭」にKinKi-Kidsも出たっけ? と思ったわけで。まあ、なんとなく、「大名家のおっちゃんが笑いが止まらない状態」とかって言われる気がするわけで-;。「鬼退治」って、要は上社と下社の争いだよね? とか微妙なことは思うわけですが-;。まあ、兄さん達に言われれば、言われたことしかやりませんがー;。だいたい、誰でも、4番目の子と7番目の兄さんに書けって言われてることを書いてるだけでしょ、と思っていそうな気がするわけで。まあ、だいたいそんなところなわけですが。だいたい、大名家の特殊なところは、富の王家の中では、分家筋で格下の家柄なのですけれども、蛙の王家と強力に混血集合していて、いわゆる「高貴な血」が、富の王家よりも多く入っている、ということらしくて。私は私で、富の王家や大名家の血も引いているのでしょうけれども、男系的な家柄からいけば「高貴な家」の人なわけで。母系の人々からは「母系の大母たれ」と言われる気がするわけですが、男系の人々から見れば、折衷的に「男顔負けの軍神になれ。そうして、家長として君臨しろ。」と言われる気がするわけで-;。世の人々は、饕餮と蚩尤と建御雷神と、3人の神となる資質を持った人々を、「兄」なる者が、狂気に追いやって利用して、将来ある若者の未来を潰しただけでなく、彼らを利用して「末子達」を食い物にしてきたことに憤っているのです。だから、別の「兄」を立てようとしてるのです。立てられそうなのが、女の子しかいないわけだから、男系の人々にとっても苦肉の選択というべきなのですなー;。(でも、こういうちょっと変則的で強引な流れの中心にいるのが、大名家と4番目の子なのだと思う。ただ単に「母系の神」であるだけでは、けっして総本家に勝てない、ということをその人達は良く良く知っている、ということで。彼らは「男系」の勢力の中から、多くの味方をできるだけ得ようとしているわけなのだと思う。)

でも、親とグリムの話をしていたら、「上巻は残酷な物語が多くてあまり面白くなくて、下巻はそうでもないのでけっこう面白い」みたいに言われたわけで-;。だいたい、何故私が民話の世界にはまったのかといえば、モラル感が最初から存在しないような残酷な話が、平板的に語られるところに惹かれたわけで。なんというか、例えば人間だって動物だから、もし飢饉とかがくれば、他の動物と同じように仲間だって平気で食べて生き残ろうとするだろうし、なんというか、それが動物の本来の「あるがままの自然な姿」なのではないだろうか、ということを感じさせてくれるところに惹かれたわけで。民話というのは、庶民的な、昔でいえば、文盲であって、「語る言葉」しか知らないような、教育もあんまり受けてない、その結果のモラル感もあんまりなくて、まさにあるがままに本能的に生きている人々の文化であって、「あるがままの動物的な人間の姿」が投影されているところが魅力なのだと思ってきたので。グリムは、かねてより、前半はけっこう面白いけど、後半はあんまり面白くないと思ってきてたので、親の話を聞いて、「私とまるっきり逆だー」というところにちょっとショックを受けるわけですが(苦笑)。まあ、西欧の方は「戦う人」を尊重する文化なので。神話の方が民話よりももっと「きてる」と思わないでもないわけですがー;。グリムはドイツのゲルマン系の人々の民話なので。その文化の最古層は、富の王家の最古層に繋がる。だから、まずグリムより始めるべき、と思うわけです。