昨夜は特に夢も見ず。本日は家人が病院へ行ったので、作業はそこそこであって。
「テーバイ攻めの七将」とは、紀元前467年の春、アテナイの大ディオニューシア祭にて、始めて上演された、とあります。ですので、この伝承は、それ以前からあったものと思われます。あらすじは、古代ギリシャの町テーバイに、エテオクレースとポリュネイケースという兄弟がいて、王位を争います。町を追放されたポリュネイケースは、テーバイに攻め込みます。ポリュネイケースは待ちに迫りますが、向かい打つエテオクレースと戦った結果、町は守られますが、二人は相打ちで死んでしまうのです。二人はテーバイの町を巡って争うので、イナンナ女神に相当する女性は登場しません。都市そのものが「女神」を暗示しているともいえます。
古代ローマとギリシャの神話ですが、古代ローマでは、「月の女神」をユーノー女神とディアーヌ女神に分け、ディアーヌ女神は、「皇帝の権力の妻」として、「皇帝」の象徴であるウィルビウスと結婚する、と考えられていました。一方、ユーノー女神は、最高位の女神の位を与えられます。でも、ローマは男系の国家ですから「食い殺される女神」も存在します。それがウェスタです。ウェスタの巫女は、国家に奉仕し、国家のために犠牲になる存在です。そして巫女は「女神の化身」といえますので、要はウェスタが犠牲となる女神、といえます。ウェスタとユーノー(ディアーヌ)の関係は、ギリシャにおけるペルセポネーとデーメーテール女神の関係と相関関係があります。死すべきペルセポネーと、大母であるデーメーテールです。ペルセポネーは、冥界では権威ある女王とされていました。ローマにもペルセポネーに相当する「冥界の女王・プロセルピナ」がいましたから、ギリシャのペルセポネーは、ローマでは更に細分化されて、女王であるプロセルピナと、生け贄になるだけの存在のウェスタに分けられた、といえます。ウェスタの巫女は、現実の世界で、それなりに尊重されて発言権もありましたので、プロセルピナの冥界における発言権を、現世で体現するのがウェスタの巫女、といえました。でも、現実の世界で、大母であるユーノー以外が、みな「死人」であるとするならば、ウェスタの巫女もまた「死人」ということになります。特に彼らは、何かあったら死ぬべき存在ですから、彼らは結局「現世における生きたプロセルピナ」として権力を持っていたに過ぎず、死者も同然の立場でした。
結局、古代ローマにおける「ウェスタの巫女」とは、古代中国における「媚女」に相当する、といえます。彼らは、どちらも国家のために奉仕し、平常時は大切に尊重されたでしょうが、何かあれば、一番に死なねばならない存在だったのです。
古代ローマを建国したのは、ロームルスとレムスの双子と言われています。ウェスタの巫女と、軍神マールースとの間に生まれた、とされるこの双子は、生まれてすぐに捨てられ、雌狼(ディアーヌの化身)に育てられました。彼らは、その後羊飼いに拾われ、羊飼いとして育ちます。ロームルスとレムスは、成長して新しい自分たちの国を作ろうと思いますが、都を建設する場所で争います。戦いの結果、パランティーノの丘に都を作ろうとしていたロームスルが勝って、レムスは亡くなります。パランティーノの丘には、紀元前1000年頃より、ローマ人の先祖が住んでいた、と言われ、ローマ人にとって、一番古い「故郷」といえます。かつてそこにはパレスという双子の牧羊神の住まう丘、とされていました。それが「パランティーノの丘」です。そこでは、ローマを建国した日とされる4月21日に、パリリアという「火の上を牧夫たちが飛越す儀礼」が行われたそうです。要するに、ロームルスとレムスの双子は、元々は牧羊神であり、羊飼いで、ローマは羊飼いの作った国でした。彼らは、火を崇めていましたから、この「火」が、ユーピテルであり、この「火」を起こす火打ち石がユーピテルであった、といえます。これだ男系のローマの始まりです。
殺された弟のレムスの方は、パランティーノの丘ではなく、「アウェンティヌスの丘」に都を作ろうと主張していました。この丘には、ボナ・デアという下位の女神が祀られており、「豊穣、治癒そして処女性の女神」でした。この女神は「古代ローマ時代、ボナ・デアを祀る儀式が毎年12月4日に、執政官(コンスル)もしくはプラエトル(法務官)といった高位職に就いている人物の家で行われていた。ただし、ボナ・デアが酔っ払った時にファウヌスが銀梅花の枝でボナ・デアを打ち据えて殺害してしまったというローマ神話での言い伝えから、ボナ・デアの儀式には「ワイン」や「銀梅花」と共に、男性の参加や雄の動物が描かれた絵画の掲示が禁じられていた。なお、儀式はウェスタの巫女がサポートしていた。 その属性から低階級の人物や奴隷、女性から深い信仰を集めていた。(Wikipediaより)」とのことです。なんだかんだ言って、祭祀に女性しか参加できないのですから、母系の女神といえます。そして、彼女もまた「殺される女神」であり、ウェスタとの関連があります。ということは、もっと身近なところでいうと、殺される「ウケモチの神」や「保食神」と関連があるということです。要するに、レムスは母系の信仰を持つ「羊飼い」で、男系の羊飼いであるロームルスと戦って殺されてしまい、彼らの神は、国家のための「犠牲」とされる下位の女神にされてしまった、といえます。要するに、ローマの建国神話は、明確に「男系の羊飼いが勝利を収めて建設した国家である」と述べています。双子の神々が殺し合う神話が、イナンナとドゥムジの「男系の方」の神話と関連があるのであれば、ローマでは男系の人々が完全に勝利を収めたということになります。あれ? ということになる。男系の羊飼いって羌族の男系の方だよね? ということになる。なんだか、そこにも遠い首狩り族の親戚がいる気がするんだけど? ということになります。実のところ、遊牧民はあちこちを移動して歩きますので、西欧方面にもけっこう親戚がいる、ということになるのです-;。
女神の方からまず述べると、ボナ・デアというのはなんでしょう? ということになります。結論から述べれば、ウェスタと関連するわけですから、これもかつては太陽女神であった、ということになります。これは子音からみて、たいがい隣のギリシャのパラス・アテーナーに相当すると思います。アテーナー女神はアテナイの守護神であり、オリンポス十二神の一つですから、ギリシャでは高位の女神といえます。ギリシャでは高位の女神が、ローマでは下位の女神とされるわけですから、同じような神話を持っているように見えても、「母系の信仰」に対するギリシャとローマの温度差がここにも見えてきます。それにしても、そもそもローマ人は「太陽女神をとっとと殺してしまえばいい」と考えるような人達でした。どっかの総本家の先祖は、女王卑弥呼の時代には、神を自分たちの手の内に閉じ込めておけば良い、と考えていて、それ以上のことはしませんでした。でも、どっかの遠い親戚に感化されて、「そっか、手っ取り早く殺しちゃえばいいんだ。」と思ったに決まってる、絶対、と思うわけで-;。その影響が古事記とかにどんどん出てくるわけです。
まあ、それは置いておくとしても、こんなことですから、ボナ・デアやパラス・アテーナーの「起源」がどこにあるのかというと、それは西欧ではなくて、東洋にあるわけですー;。そこまで説明がたどり着くには、ちと距離的に遠すぎるわけですがー;。でも、彼らの名前は二つに分かれています。それは英語に直すと、「birth」と「death」という言葉になると思うのです。「誕生」と「死」、浮世における人間の人生の「始まり」と「終わり」です。廉君は「始め」と「終わり」で大騒ぎしてたし、岩橋君は英語をペラペラと話してたし、その人達大活躍じゃん、と思う。
でも、先に「対立する双子の男子」の方から述べましょう。女神の方と同様、こちらも起源は東洋にあるのです。双子といえばいえるかもしれない。本家の彼らは双子以上に奇妙な関係であって、私ですら「いったい、自分は何を見ているのか」という気分になるわけです。それはともかく、起源に迫る前に、もう一つの「羊飼い」の物語を見ていきましょう。
聖書によると、人類の初めは「アダムとイブ」という二人の男女であった、とされています。アダムとイブが禁断のリンゴを食べて、楽園から人間の世界に追放された、という神話は非常に有名であって、リンゴを食べるようにすすめたイブが悪いのか、食べたアダムが悪いのか、みたいなことが昔は良く言われていました。そもそも、アダムってなんでしょう? ということになるのですが、もう名前の通り、それは「ドゥムジ」とほぼ同じ子音構成ですから、「虎の羊飼い」ということです。ということは、「アダムとイブの楽園喪失」もまた、「イナンナとドゥムジの冥界下り」の変形版といえます。彼らが元は、永遠の命を持つ神人だとすると、どちらも罪を犯して、限りある命の人界に落とされたことになります。死すべき人の溢れた人界は、死人が溢れた「黄泉の国」ですから、要は、イナンナとドゥムジの両方が食い合って死に、黄泉の国に落とされた、ということになります。当事者がどちらも死んでしまう、というのは、ハムレットとかテーバイ攻めの七将と類似した展開です。そして、「争う双子」のエピソードは、アダムとイブではなく、「カインとアベル」の項に移動させられています。
「カインとアベル」は有名な話で、嫉妬深い兄のカインが弟のアベルを殺してしまった、という話です。で、この部分だけが強調されがちですが、本当はそれではいけないのです。彼らにはもう一人セツという弟がいました。カインがアベルを殺して追放されたので、アダムとイブの跡取りはセツということになって、セツの子孫が正統な二人の後継者、後のイスラエルの民の先祖、とされているのです。カインは追放されて、その子孫は「青銅や鉄で道具を作る者」となったとされています。だいたい、このあたりに問題があるわけで。カインというのは、名前からして「熊」です。それが悪しき存在とされて、かつその子孫は鍛治師とされています。要するに、これはカインを悪者にすることで、イスラエルの民の中では、鍛治師は「卑しい階級の者」と規定する神話です。要は、人種差別を正当化する神話といえる。これは富の王家にとっては、全く面白くない神話と言えます。富の王家のおっちゃんあたりは、「これだから、くだらないことをつらつらと書いて、子々孫々にまで残しちゃいけないんだよ。」と言いそうな気がするわけで-;。結局は、どんなに北と南の人が和解して仲直りしても、聖書のこの記述が全世界中から消えない限り、微妙な遺恨は残ることになる。だって、これは南の人達が北の人達を差別して、圧迫したダビデとソロモンの統治を正当化する文章だからです。しかも、今現在、旧約の管理権は、元々その神話を作った人達の子孫の元に完全にはない、という痛恨の事実があるわけで。そして、セツという名は、これもまた「虎」を意味しますので。「虎」という名のアダムから生まれた、「虎」という名のセツがアダムの正統な後継者であって、カインという「熊」は、一段と低い身分のもの、ということです。しかし、「ドゥムジとイナンナ」の神話と「争う双子の兄弟」の神話は、ここでは二つに分かれています。それは何故でしょう? ということになります。
どうやら、その原因は、やはり古代メソポタミアにあります。なぜなら、wikipediaに「「カインとアベル」の説話に先行するものとして、シュメール神話の「ドゥムジ(タンムーズ)神とエンキムドゥ(エンキドゥ)神」が存在する。女神「イナンナ」の花婿選びにおいて、牧畜神「ドゥムジ(タンムーズ)」と農耕神「エンキムドゥ(エンキドゥ)」の二柱の夫候補がおり、イナンナは美男のエンキムドゥ(エンキドゥ)の方を気に入っていたが、エンキムドゥ(エンキドゥ)は辞退し、花婿の座をドゥムジ(タンムーズ)に譲ってしまう。こうしてイナンナの夫にドゥムジ(タンムーズ)が選ばれたのである。」と書いてあるからです。これは「善良な羊飼いのドゥムジ」と「悪人の羊飼いのドゥムジ」以上にまずい話といえます-;。旧約の方から述べると、旧約の「カインとアベル」は、セツがカインを意図的に悪者に仕立て上げて勝った神話、といえなくもありません。というか、そういうことを勝者の都合の良いように書いてある神話、といえますー;。
ユダヤ神話の前身といえる古代メソポタミアの神話には、「ギルガメシュ叙事詩」というものがあります。そこにも、エンキドゥという人物が登場します。イナンナと結婚しそこねたエンキドゥがどうなったのかは、神話には書かれていません。でも、カインとアベルにならえば、エンキドゥもまた死んでしまったと考えられます。これは、乾期に植物が枯死するさまを現したもの、でも良いわけですが、そもそも「植物」はトーテムとしては、草食動物よりも更に下位にくるので、彼らには「食べられて死ぬ」運命しかないといえます。ギルガメシュ叙事詩でもエンキドゥはギルガメシュ王の罪を肩代わりして死ぬ運命を背負っています。要するにエンキドゥとは、「最下位の神」であって、誰かのための犠牲になる神といえます。ローマにおけるウェスタと同じ立場です。一方、古代メソポタミアには古くからエンキという神がいました。こちらは権威のある川の神です。そして、名前からして「熊」の神です。その神に「ドゥ」という言葉がつくと、なんで「最下位の神」になってしまうのでしょうか? 答えは一つ、誰かが、エンキ神の権威を陥れようとして、偽物の「エンキドゥ」というものを作ったのです。そして、それは最下位の卑しい神、とされました。そうすると、知らない人は、エンキドゥとエンキってどう違うの? どっちもおなじものなら、エンキも卑しい神だよね? と思うことになります。要するにエンキドゥはエンキの権威を陥れるために、「悪人の羊飼い達」が作り上げた人造の神、といえます。そして、エンキをイナンナから切り離して、イナンナ女神を取り込んで殺してしまおうとしてたわけだ。それはある程度は成功していて、聖書に登場するカインは、もはや「ドゥ」という言葉尻をつけなくても悪人になってしまいました。こうして、「悪人の羊飼い」は熊トーテムの人達をどんどん思想的に弾圧していたわけです。でも、エンキってそもそもなんでしょう? ということになります。それは、母系信仰が強固な熊トーテムの人達が、世相の男系化を受けて、イナンナから変化させた男神、といえます。だから、本当はエンキとイナンナは同じもので、切って分けられるような関係ではないのです。
でも、こういうことを見ていると、なんだか私も、自分のやったことで、さもないこと、非難されるようなことでもないことで、ずいぶん非難されたり、当てこすりみたいなことを言われて来た記憶があるわけで。元々、そういうことをやって、人を追い込むことが得意な一族郎党なのね、と思う。というか、私自身も本気を出せば、相手の悪いところだけを選択的に強調して追い込むことは得意な気がするわけで。神話の歴史の中に、どこか、自分に似た「遺伝子」の存在は感じる。でも、全然褒める気にはなれないわけですが-;。
で、話を旧約に戻しますと、ユダ族の輝かしい王の中にダビデという人物がいるわけで。この若者は羊飼いをしていたわけですが、エフライム族のサウル王に取り立てられて、しまいには、王に対してクーデターを起こして自分が王になってしまいましたとさ、ということで。ダビデとその息子のソロモンは実在の人物であって、古代イスラエルを繁栄に導いたけれども、アナト女神を大母としていたと思われる鍛治師の集団であったエフライム族を弾圧したので、結局王国は二つに分裂しました。でも鍛冶師のエフライム族が作り出した金属がダビデとソロモンの繁栄を支えたのは事実であるわけで。そもそも、サウルが王になれたのは、同族の作った金属のおかげ、ダビデとソロモンが繁栄できたのはサウルを殺して、エフライム族を奴隷にして、彼らの作り出した金属を勝手に召し上げたおかげ、ってそういうことだよね? と思う。ダビデというのも「虎」という意味であるので、そもそも、その「悪人の羊飼い」の若者をなんとかして、と思うわけですが-;。北の王国が滅びた後、残った南の人達は、バビロニアの都で、自分たちのアイデンティティーを保つために、ダビデ王家の正当性を主張してたたえる「旧約」を作り出しました。まあ、ダビデ王家が正統、と言いたいわけだから、アナト女神を擁する人達は、身分の卑しい者だし、悪者、って、性懲りも無く書いたわけでー;。ある意味、「懲りる」ということを知らなかったとも言えなくもない気がする。というか、「懲りる」ということを知らない親戚一同が世界中にいる、とそんな気がするわけで。だいたい、自分の先祖にもダビデとかソロモン、とかそんな名前の人がいた気がするんだけれど?? となんとなく思う。でも、現在の西欧からみると、ギリシャ・ローマと、キリスト教として流入した旧約の文化は、西欧の文化の根幹をなすものであるので。ともかく、そういうものを作り出した人々は頭の悪い人達ではない、と思う。そして、どこにも「悪しき羊飼い」である羌族の影を感じる。そして、その人達、頭は良いけれども、どこか普通の人とは違う、と思う。人を陥れる、ということが息をするように当たり前にできる、そしてそういうことに良心の咎めというものを全く感じないし、だいたい陥れられる方が悪い、くらいにしか思わない。確かに「人間性」というものが、どこか普通の人とは違う。そういうものは、親戚にも家族にも感じる。そして、何より自分自身の中に感じる、と思うわけですが。ともかく、彼らは地中海の周辺に展開していて、そしてその行動範囲は、おそらく紀元前1500年頃に「海の民」と呼ばれた人々の行動範囲と重なる、と思うわけです。彼らは各地を荒らし回って略奪を繰り返し、ヒッタイト帝国を滅ぼしました。彼らはどうやってそういうことを可能にしたのでしょう? と思う。そうすると、富の王家のおっちゃんとかギリシャ系の人々からは「トロイの木馬」でしょ、と言われる気がするわけで。古代の西欧の都市は、みな町の周囲に城壁が築かれていました。だから、敵に攻撃されても、門が破られないと町は落ちない。でも、町の中にスパイがいて、門の鍵を握っていたら? となる。トロイはそうやって陥落しました。というか、それで門の鍵を渡さないのですかね、家を内側から壊すために?? と思う。元々、そういうことが得意な人達なんだね、と思う-;。まあ、それはおいておいても、「羊飼いの若者」を称える旧約の文章は、それだけでは完結しませんでした。それが、現在にまで響く大きな問題となるわけです。
ドゥムジとエンキドゥが、花嫁を争う、という神話は牧畜民と農耕民との間のいさかいも伺わせます。おそらく、メソポタミアでは先行して農業を開始していたのが、熊トーテムの人達だったからだと思います。でも、「似ていて異なる双子」という思想の原型は、羊の皮を被った虎の人達の側にもありました。古い巴蜀の文化の中には、一人の皇を二人の王が支える、という文化があったのです。それは何故かというと、母系の文化では、男性は半人前の存在とされていて、一人前の存在ではありませんでした。だから、二人あわせて、一人前、とそういうことなのです。そして、父系となる、ということは、男性の2神を信仰する、ということに通じるのです。要するに、古い思想で、一つの「勃起した水牛」で現される神は、本当は「二人」を一緒にした姿、といえるのです。
古代殷の王族は、政権の末期には鬼神信仰に走っていたとあります。その「鬼神」とは何? と思ったら、それは「蚩尤と饕餮」と言われる気がするわけです@@。蚩尤(しゆう)とは、「獣身で銅の頭に鉄の額を持つという。また四目六臂で人の身体に牛の頭と鳥の蹄を持つとか、頭に角があるなどといわれる。 (Wikipediaより)」とされています。「牛の頭」というのは、元々「水牛の頭」だったのでしょう。この神は、ともかく「殺される神」であって、殺されると秋の楓に再生しました。要するに、植物神であり、死んで農業の豊作に貢献する農業神といえます。饕餮(とうてつ)というのは、切り落とした蚩尤の頭、と言われ、「饕餮の「饕」は財産を貪る、「餮」は食物を貪るの意である。何でも食べる猛獣、というイメージから転じて、魔を喰らう、という考えが生まれ、後代には魔除けの意味を持つようになった。一説によると、蚩尤の頭だとされる。(Wikipediaより)」とされていました。饕餮は祭祀用の鼎(鍋)の文様として描かれました。饕餮に食べ物(生の肉)を与えると、それを煮た肉(すなわち人間が食せる肉)にして吐き出してくれる鍋釜のこととされました。蚩尤が「殺される」農業神であるとすると、饕餮は牧畜の獣の肉を食べられる形に「生み出して」くれる神でした。両方併せて、「生み出す神」であり、「死ぬ神」であるわけです。特に肉を煮てくれる「豊穣の大釜」は聖なるものとされて、遊牧民の間では大切にされました。要するに、言い換えると、羊飼いのドゥムジは肉を煮る鍋の神饕餮、農業神のエンキドゥは蚩尤といえます。特に神話における饕餮は、祭祀用の釜ですから、女神を食べる口を持っていて、その口から女神の煮た肉を吐き出して、王の食料にするための釜だったのだと思います。だから、男系の饕餮と結婚すると女神は食われて、煮物の肉にされてしまう、ということになります。その一部は王の食料になりますが、他の一部は蚩尤を生き返らせるための肥料になります。要するに、王は牧畜の神と農耕の神に女神を食わせて、そこからのあがりを得る、とそういうことで、これが本来の形になります。でも、メソポタミアから西に展開した人達は、この思想を、熊トーテムの人達を押さえるのに利用しましたので、しまいには女神と結婚できなかった方が死ぬ、という話になってしまいました。一方、豊穣の釜である饕餮は、遊牧民に尊重されて、父系の文化の広がりと共にその信仰が拡散して、印欧語族に取り込まれ、彼らの「天の父神」となりました。ユーピテル、ゼウス・サバジオス、トール、テシュブといった西欧の雷神系軍神は、元はみんな饕餮(とうてつ)だったのです。鍋で煮るには火が必要ですが、遊牧民にとっては火の維持はとても大切なことですので、彼らは釜の神から、火の神へと変化し、それが更に天空神に昇格したのでした。蚩尤の方は、元は虎の女神に犠牲に捧げられたであろう存在ですので、女神信仰と共に拡がって、アッティスとか、アドニースとか、殺される方のドゥムジとかに変化しました。
でも、彼らの本来の姿は、「女神の夫となって父となる王」と、「女神の夫となって犠牲となる王」だったと思うのです。西欧の伝承がそれを物語っています。女神に新たに命を授ける「王」と、女神のために命を捧げて死ぬ「王」です。男系の思想を作り出すときに、男系の人々は、これを「女神を食い物にする王」と「女神を犠牲にして育つ王」に変えてしまったのでした。もはや女神に「子供の父となる王」は必要ないのです。彼女は単なる餌なわけですから-;。
というわけで、「勃起した水牛の王」は、「勃起した体」と「頭」に分けられてしまいました。頭の方の饕餮は、食べる口はついていますが、体がありません。だから、どちらにしても男性機能がなくて女神の夫にはなれません。そして、女神を食べなかったとしても、祭祀者である王の差し出したものを食べ続けるしかないのです。体の方の蚩尤は、動くのだけれども頭がない(意思がない)ので、何を考えているのかが分かりません。ゾンビのように、祭祀者である王のいいなり、ということになります。このような奇怪な神が、東洋では作り出されました。これが、西欧における「どちらかが死ぬ双子」の原型だったのです。