本日の日誌

昨夜は特に夢も見ず。作業はそこそこであって。今日は、コンクリートガラがたくさん出た気がします。

蚩尤(しゆう)とは、「中国神話に登場する神である。『路史』では姓は姜で炎帝神農氏の子孫であるとされる。獣身で銅の頭に鉄の額を持つという。また四目六臂で人の身体に牛の頭と鳥の蹄を持つとか、頭に角があるなどといわれる。 古代中国の帝であった黄帝から王座を奪うという野望を持っており神農氏の世の末期(帝楡罔の代)に、乱を起こして、兄弟の他に無数の魑魅魍魎を味方にし、風・雨・煙・霧などを巻き起こして黄帝と?鹿の野に戦った(?鹿の戦い)。濃霧を起こして視界を悪くしたり魑魅魍魎たちを駆使して黄帝の軍勢を苦しめたが、黄帝は指南車を使って方位を示して霧を突破し、妖怪たちのおそれる龍の鳴き声に似た音を角笛などを使って響かせてひるませ、軍を押し進めて遂にこれを捕え殺したといわれている。『山海経』大荒北経に記されている黄帝による蚩尤との交戦の描写には具体的な龍としては応竜が黄帝に加勢しており、蚩尤を殺したとされている。最後に捕らえられた蚩尤は、諸悪の根源として殺されたが、このとき逃げられるのを恐れて、手枷と足枷を外さず、息絶えてからようやく外された。身体から滴り落ちた鮮血で赤く染まった枷は、その後「楓(フウ)」となり、毎年秋になると赤く染まるのは、蚩尤の血に染められた恨みが宿っているからだという。(Wikipediaより)」ということです。「牛の頭」というのを「水牛の頭」と置き換えると、チベット高原由来の母系の水稲耕作文化においては、太陽女神の「夫」に相当する神といえます。また、「古代中国の鼎(かなえ)に文様として描かれている怪物のような顔は饕餮(とうてつ)を示したものとされることが多いが、この顔は蚩尤のものであるとする伝承も存在している。黄帝によって討たれた蚩尤の首をあらわしているとされる。(Wikipediaより)」とのことでもあります。

鼎に関する記述は、ともかく切り落とした「饕餮(蚩尤)」の首を、黄帝の権力強化の道具として使っていることが分かります。敗者の首を勝者の霊力強化のために使用できる、というのは首狩り族の文化ですので、黄帝とその子孫の起源は、首狩り族にあることが分かります。一方、負けて殺された蚩尤が、長江文明由来の「水牛の神」であったことを思うと、滅ぼされた方も首狩り族だ、ということが分かります。要するに、同族同士の勢力争い、といえます。

古代中国には、主に3つの古代文明がありましたが、水稲耕作が始まったのは、長江流域の長江文明でした。紀元前12000年頃の遺跡からは、栽培された稲が発見されています。長江下流域の河姆渡(かぼと)文化(紀元前5000年? - 紀元前4000年?)は、下流域では最古の稲作の文化で、狩猟や漁労も合わせて行われ、ブタの家畜化なども行われていました。鹿と人間が水稲耕作に関する祭祀で、同時に埋められていた城頭山遺跡は、河姆渡文化と同じ時期の、長江中流域の遺跡で、水田の跡があり、中国最古の城でした。要するに、この時期から、長江流域には城を必要とするような侵入者があったのではないか、と思われます。河姆渡文化からは、太陽に2羽の鳥が寄り添う図が描かれた象牙の器が発見されています。また、人頭をかたどった器が発見されていますので、首狩りの名残と思われます。また、河姆渡文化では、人間の赤ん坊を魚と一緒に煮て食べた形跡があります。占いは、おそらく動物の骨を使って行っていた、と考えられますが、それほど盛んではありませんでした。要するに、紀元前5000~4000年頃には、長江の下流域にまで水稲耕作の文化が行き渡り、太陽女神と2人の王、そしてその下に位置する庶民(鹿)という階級社会が萌芽していたと思われます。彼らはチベット高原に由来する、母系の首狩り族の末裔で、首狩りの名残が残っていたり、食人の習慣がありました。おそらく、彼らの大母は虎の女神である西王母であって、長江そのものが、西王母の吐き出す「天の水」と考えられていました。

一方の黄河文明は、起源的には長江文明と同じくらい古いものでした。この文明は、古い時代には粟の工作と豚などの牧畜を行っていました。紀元前6600年頃の賈湖(かこ)遺跡からは賈湖契刻文字という、甲骨文字の全身となる文字が、「甲骨」の文字通り亀の甲羅に刻まれた形で発見されてます。この文明では甲骨による占いが盛んでした。賈湖遺跡からは、鶴の骨で作った笛も発見されていますから、鶴や亀を特別な縁起ものとみなす文化の起源は、ここにあるといえます。賈湖契刻文字には、「父」という漢字の起源となる文字が含まれていますので、黄河文明では、この頃から「父」という概念が誕生していたことが分かります。純粋な母系社会では「父」というものは存在しませんから、父系の文化の萌芽といえます。ただし、賈湖遺跡を含む、裴李崗文化 (はいりこうぶんか)は、平等な社会で、母系であると考えられていました。

賈湖契刻文字というのは、このようなものでした。

Jiahu_writing 私は以前に、これは「太陽の目が戦う人を見ている」とか、そういう意味なのかなあ? と思っていました。そうしたら、7番目の兄さんに、「自分だったら『天の父曰く』と読む。」と言われる気がするわけで@@。そっか、最初の「目」とその下の足みたいなものを併せて「天」と読むのか、と気がついて。「天の父」とは、「天の父神」のことだと思います。亀甲の占いは、「天の父のお告げ」とか、そういう意味のことなのかなあ、と始めて思う。でも、本来の母系の文化では、天にいるのは母神のはずです。ということは、賈湖契刻文字が刻まれた紀元前6600年頃には、古代中国の思想における陰陽の入れ替え、天の神と地の神の入れ替えが、もう生じていたのではないのか、と思うのです。でも、入れ替わった最初の頃は、まだ母系社会のままであり、社会は平等でした。これが、長い時間をかけて、変化していくことになるのです。

本日の日誌

昨夜は特に夢も見ず。作業はそこそこであって。今日は、コンクリートガラがたくさん出た気がします。

蚩尤(しゆう)とは、「中国神話に登場する神である。『路史』では姓は姜で炎帝神農氏の子孫であるとされる。獣身で銅の頭に鉄の額を持つという。また四目六臂で人の身体に牛の頭と鳥の蹄を持つとか、頭に角があるなどといわれる。 古代中国の帝であった黄帝から王座を奪うという野望を持っており神農氏の世の末期(帝楡罔の代)に、乱を起こして、兄弟の他に無数の魑魅魍魎を味方にし、風・雨・煙・霧などを巻き起こして黄帝と?鹿の野に戦った(?鹿の戦い)。濃霧を起こして視界を悪くしたり魑魅魍魎たちを駆使して黄帝の軍勢を苦しめたが、黄帝は指南車を使って方位を示して霧を突破し、妖怪たちのおそれる龍の鳴き声に似た音を角笛などを使って響かせてひるませ、軍を押し進めて遂にこれを捕え殺したといわれている。『山海経』大荒北経に記されている黄帝による蚩尤との交戦の描写には具体的な龍としては応竜が黄帝に加勢しており、蚩尤を殺したとされている。最後に捕らえられた蚩尤は、諸悪の根源として殺されたが、このとき逃げられるのを恐れて、手枷と足枷を外さず、息絶えてからようやく外された。身体から滴り落ちた鮮血で赤く染まった枷は、その後「楓(フウ)」となり、毎年秋になると赤く染まるのは、蚩尤の血に染められた恨みが宿っているからだという。(Wikipediaより)」ということです。「牛の頭」というのを「水牛の頭」と置き換えると、チベット高原由来の母系の水稲耕作文化においては、太陽女神の「夫」に相当する神といえます。また、「古代中国の鼎(かなえ)に文様として描かれている怪物のような顔は饕餮(とうてつ)を示したものとされることが多いが、この顔は蚩尤のものであるとする伝承も存在している。黄帝によって討たれた蚩尤の首をあらわしているとされる。(Wikipediaより)」とのことでもあります。

鼎に関する記述は、ともかく切り落とした「饕餮(蚩尤)」の首を、黄帝の権力強化の道具として使っていることが分かります。敗者の首を勝者の霊力強化のために使用できる、というのは首狩り族の文化ですので、黄帝とその子孫の起源は、首狩り族にあることが分かります。一方、負けて殺された蚩尤が、長江文明由来の「水牛の神」であったことを思うと、滅ぼされた方も首狩り族だ、ということが分かります。要するに、同族同士の勢力争い、といえます。

古代中国には、主に3つの古代文明がありましたが、水稲耕作が始まったのは、長江流域の長江文明でした。紀元前12000年頃の遺跡からは、栽培された稲が発見されています。長江下流域の河姆渡(かぼと)文化(紀元前5000年? - 紀元前4000年?)は、下流域では最古の稲作の文化で、狩猟や漁労も合わせて行われ、ブタの家畜化なども行われていました。鹿と人間が水稲耕作に関する祭祀で、同時に埋められていた城頭山遺跡は、河姆渡文化と同じ時期の、長江中流域の遺跡で、水田の跡があり、中国最古の城でした。要するに、この時期から、長江流域には城を必要とするような侵入者があったのではないか、と思われます。河姆渡文化からは、太陽に2羽の鳥が寄り添う図が描かれた象牙の器が発見されています。また、人頭をかたどった器が発見されていますので、首狩りの名残と思われます。また、河姆渡文化では、人間の赤ん坊を魚と一緒に煮て食べた形跡があります。占いは、おそらく動物の骨を使って行っていた、と考えられますが、それほど盛んではありませんでした。要するに、紀元前5000~4000年頃には、長江の下流域にまで水稲耕作の文化が行き渡り、太陽女神と2人の王、そしてその下に位置する庶民(鹿)という階級社会が萌芽していたと思われます。彼らはチベット高原に由来する、母系の首狩り族の末裔で、首狩りの名残が残っていたり、食人の習慣がありました。おそらく、彼らの大母は虎の女神である西王母であって、長江そのものが、西王母の吐き出す「天の水」と考えられていました。

一方の黄河文明は、起源的には長江文明と同じくらい古いものでした。この文明は、古い時代には粟の工作と豚などの牧畜を行っていました。紀元前6600年頃の賈湖(かこ)遺跡からは賈湖契刻文字という、甲骨文字の全身となる文字が、「甲骨」の文字通り亀の甲羅に刻まれた形で発見されてます。この文明では甲骨による占いが盛んでした。賈湖遺跡からは、鶴の骨で作った笛も発見されていますから、鶴や亀を特別な縁起ものとみなす文化の起源は、ここにあるといえます。賈湖契刻文字には、「父」という漢字の起源となる文字が含まれていますので、黄河文明では、この頃から「父」という概念が誕生していたことが分かります。純粋な母系社会では「父」というものは存在しませんから、父系の文化の萌芽といえます。ただし、賈湖遺跡を含む、裴李崗文化 (はいりこうぶんか)は、平等な社会で、母系であると考えられていました。

賈湖契刻文字というのは、このようなものでした。

Jiahu_writing 私は以前に、これは「太陽の目が戦う人を見ている」とか、そういう意味なのかなあ? と思っていました。そうしたら、7番目の兄さんに、「自分だったら『天の父曰く』と読む。」と言われる気がするわけで@@。そっか、最初の「目」とその下の足みたいなものを併せて「天」と読むのか、と気がついて。「天の父」とは、「天の父神」のことだと思います。亀甲の占いは、「天の父のお告げ」とか、そういう意味のことなのかなあ、と始めて思う。でも、本来の母系の文化では、天にいるのは母神のはずです。ということは、賈湖契刻文字が刻まれた紀元前6600年頃には、古代中国の思想における陰陽の入れ替え、天の神と地の神の入れ替えが、もう生じていたのではないのか、と思うのです。でも、入れ替わった最初の頃は、まだ母系社会のままであり、社会は平等でした。これが、長い時間をかけて、変化していくことになるのです。

本日の日誌

昨夜は特に夢も見ず。本日は家人が病院へ行ったので、作業はそこそこであって。

「テーバイ攻めの七将」とは、紀元前467年の春、アテナイの大ディオニューシア祭にて、始めて上演された、とあります。ですので、この伝承は、それ以前からあったものと思われます。あらすじは、古代ギリシャの町テーバイに、エテオクレースとポリュネイケースという兄弟がいて、王位を争います。町を追放されたポリュネイケースは、テーバイに攻め込みます。ポリュネイケースは待ちに迫りますが、向かい打つエテオクレースと戦った結果、町は守られますが、二人は相打ちで死んでしまうのです。二人はテーバイの町を巡って争うので、イナンナ女神に相当する女性は登場しません。都市そのものが「女神」を暗示しているともいえます。

古代ローマとギリシャの神話ですが、古代ローマでは、「月の女神」をユーノー女神とディアーヌ女神に分け、ディアーヌ女神は、「皇帝の権力の妻」として、「皇帝」の象徴であるウィルビウスと結婚する、と考えられていました。一方、ユーノー女神は、最高位の女神の位を与えられます。でも、ローマは男系の国家ですから「食い殺される女神」も存在します。それがウェスタです。ウェスタの巫女は、国家に奉仕し、国家のために犠牲になる存在です。そして巫女は「女神の化身」といえますので、要はウェスタが犠牲となる女神、といえます。ウェスタとユーノー(ディアーヌ)の関係は、ギリシャにおけるペルセポネーとデーメーテール女神の関係と相関関係があります。死すべきペルセポネーと、大母であるデーメーテールです。ペルセポネーは、冥界では権威ある女王とされていました。ローマにもペルセポネーに相当する「冥界の女王・プロセルピナ」がいましたから、ギリシャのペルセポネーは、ローマでは更に細分化されて、女王であるプロセルピナと、生け贄になるだけの存在のウェスタに分けられた、といえます。ウェスタの巫女は、現実の世界で、それなりに尊重されて発言権もありましたので、プロセルピナの冥界における発言権を、現世で体現するのがウェスタの巫女、といえました。でも、現実の世界で、大母であるユーノー以外が、みな「死人」であるとするならば、ウェスタの巫女もまた「死人」ということになります。特に彼らは、何かあったら死ぬべき存在ですから、彼らは結局「現世における生きたプロセルピナ」として権力を持っていたに過ぎず、死者も同然の立場でした。

結局、古代ローマにおける「ウェスタの巫女」とは、古代中国における「媚女」に相当する、といえます。彼らは、どちらも国家のために奉仕し、平常時は大切に尊重されたでしょうが、何かあれば、一番に死なねばならない存在だったのです。

古代ローマを建国したのは、ロームルスとレムスの双子と言われています。ウェスタの巫女と、軍神マールースとの間に生まれた、とされるこの双子は、生まれてすぐに捨てられ、雌狼(ディアーヌの化身)に育てられました。彼らは、その後羊飼いに拾われ、羊飼いとして育ちます。ロームルスとレムスは、成長して新しい自分たちの国を作ろうと思いますが、都を建設する場所で争います。戦いの結果、パランティーノの丘に都を作ろうとしていたロームスルが勝って、レムスは亡くなります。パランティーノの丘には、紀元前1000年頃より、ローマ人の先祖が住んでいた、と言われ、ローマ人にとって、一番古い「故郷」といえます。かつてそこにはパレスという双子の牧羊神の住まう丘、とされていました。それが「パランティーノの丘」です。そこでは、ローマを建国した日とされる4月21日に、パリリアという「火の上を牧夫たちが飛越す儀礼」が行われたそうです。要するに、ロームルスとレムスの双子は、元々は牧羊神であり、羊飼いで、ローマは羊飼いの作った国でした。彼らは、火を崇めていましたから、この「火」が、ユーピテルであり、この「火」を起こす火打ち石がユーピテルであった、といえます。これだ男系のローマの始まりです。

殺された弟のレムスの方は、パランティーノの丘ではなく、「アウェンティヌスの丘」に都を作ろうと主張していました。この丘には、ボナ・デアという下位の女神が祀られており、「豊穣、治癒そして処女性の女神」でした。この女神は「古代ローマ時代、ボナ・デアを祀る儀式が毎年12月4日に、執政官(コンスル)もしくはプラエトル(法務官)といった高位職に就いている人物の家で行われていた。ただし、ボナ・デアが酔っ払った時にファウヌスが銀梅花の枝でボナ・デアを打ち据えて殺害してしまったというローマ神話での言い伝えから、ボナ・デアの儀式には「ワイン」や「銀梅花」と共に、男性の参加や雄の動物が描かれた絵画の掲示が禁じられていた。なお、儀式はウェスタの巫女がサポートしていた。 その属性から低階級の人物や奴隷、女性から深い信仰を集めていた。(Wikipediaより)」とのことです。なんだかんだ言って、祭祀に女性しか参加できないのですから、母系の女神といえます。そして、彼女もまた「殺される女神」であり、ウェスタとの関連があります。ということは、もっと身近なところでいうと、殺される「ウケモチの神」や「保食神」と関連があるということです。要するに、レムスは母系の信仰を持つ「羊飼い」で、男系の羊飼いであるロームルスと戦って殺されてしまい、彼らの神は、国家のための「犠牲」とされる下位の女神にされてしまった、といえます。要するに、ローマの建国神話は、明確に「男系の羊飼いが勝利を収めて建設した国家である」と述べています。双子の神々が殺し合う神話が、イナンナとドゥムジの「男系の方」の神話と関連があるのであれば、ローマでは男系の人々が完全に勝利を収めたということになります。あれ? ということになる。男系の羊飼いって羌族の男系の方だよね? ということになる。なんだか、そこにも遠い首狩り族の親戚がいる気がするんだけど? ということになります。実のところ、遊牧民はあちこちを移動して歩きますので、西欧方面にもけっこう親戚がいる、ということになるのです-;。

女神の方からまず述べると、ボナ・デアというのはなんでしょう? ということになります。結論から述べれば、ウェスタと関連するわけですから、これもかつては太陽女神であった、ということになります。これは子音からみて、たいがい隣のギリシャのパラス・アテーナーに相当すると思います。アテーナー女神はアテナイの守護神であり、オリンポス十二神の一つですから、ギリシャでは高位の女神といえます。ギリシャでは高位の女神が、ローマでは下位の女神とされるわけですから、同じような神話を持っているように見えても、「母系の信仰」に対するギリシャとローマの温度差がここにも見えてきます。それにしても、そもそもローマ人は「太陽女神をとっとと殺してしまえばいい」と考えるような人達でした。どっかの総本家の先祖は、女王卑弥呼の時代には、神を自分たちの手の内に閉じ込めておけば良い、と考えていて、それ以上のことはしませんでした。でも、どっかの遠い親戚に感化されて、「そっか、手っ取り早く殺しちゃえばいいんだ。」と思ったに決まってる、絶対、と思うわけで-;。その影響が古事記とかにどんどん出てくるわけです。

まあ、それは置いておくとしても、こんなことですから、ボナ・デアやパラス・アテーナーの「起源」がどこにあるのかというと、それは西欧ではなくて、東洋にあるわけですー;。そこまで説明がたどり着くには、ちと距離的に遠すぎるわけですがー;。でも、彼らの名前は二つに分かれています。それは英語に直すと、「birth」と「death」という言葉になると思うのです。「誕生」と「死」、浮世における人間の人生の「始まり」と「終わり」です。廉君は「始め」と「終わり」で大騒ぎしてたし、岩橋君は英語をペラペラと話してたし、その人達大活躍じゃん、と思う。

でも、先に「対立する双子の男子」の方から述べましょう。女神の方と同様、こちらも起源は東洋にあるのです。双子といえばいえるかもしれない。本家の彼らは双子以上に奇妙な関係であって、私ですら「いったい、自分は何を見ているのか」という気分になるわけです。それはともかく、起源に迫る前に、もう一つの「羊飼い」の物語を見ていきましょう。

聖書によると、人類の初めは「アダムとイブ」という二人の男女であった、とされています。アダムとイブが禁断のリンゴを食べて、楽園から人間の世界に追放された、という神話は非常に有名であって、リンゴを食べるようにすすめたイブが悪いのか、食べたアダムが悪いのか、みたいなことが昔は良く言われていました。そもそも、アダムってなんでしょう? ということになるのですが、もう名前の通り、それは「ドゥムジ」とほぼ同じ子音構成ですから、「虎の羊飼い」ということです。ということは、「アダムとイブの楽園喪失」もまた、「イナンナとドゥムジの冥界下り」の変形版といえます。彼らが元は、永遠の命を持つ神人だとすると、どちらも罪を犯して、限りある命の人界に落とされたことになります。死すべき人の溢れた人界は、死人が溢れた「黄泉の国」ですから、要は、イナンナとドゥムジの両方が食い合って死に、黄泉の国に落とされた、ということになります。当事者がどちらも死んでしまう、というのは、ハムレットとかテーバイ攻めの七将と類似した展開です。そして、「争う双子」のエピソードは、アダムとイブではなく、「カインとアベル」の項に移動させられています。

「カインとアベル」は有名な話で、嫉妬深い兄のカインが弟のアベルを殺してしまった、という話です。で、この部分だけが強調されがちですが、本当はそれではいけないのです。彼らにはもう一人セツという弟がいました。カインがアベルを殺して追放されたので、アダムとイブの跡取りはセツということになって、セツの子孫が正統な二人の後継者、後のイスラエルの民の先祖、とされているのです。カインは追放されて、その子孫は「青銅や鉄で道具を作る者」となったとされています。だいたい、このあたりに問題があるわけで。カインというのは、名前からして「熊」です。それが悪しき存在とされて、かつその子孫は鍛治師とされています。要するに、これはカインを悪者にすることで、イスラエルの民の中では、鍛治師は「卑しい階級の者」と規定する神話です。要は、人種差別を正当化する神話といえる。これは富の王家にとっては、全く面白くない神話と言えます。富の王家のおっちゃんあたりは、「これだから、くだらないことをつらつらと書いて、子々孫々にまで残しちゃいけないんだよ。」と言いそうな気がするわけで-;。結局は、どんなに北と南の人が和解して仲直りしても、聖書のこの記述が全世界中から消えない限り、微妙な遺恨は残ることになる。だって、これは南の人達が北の人達を差別して、圧迫したダビデとソロモンの統治を正当化する文章だからです。しかも、今現在、旧約の管理権は、元々その神話を作った人達の子孫の元に完全にはない、という痛恨の事実があるわけで。そして、セツという名は、これもまた「虎」を意味しますので。「虎」という名のアダムから生まれた、「虎」という名のセツがアダムの正統な後継者であって、カインという「熊」は、一段と低い身分のもの、ということです。しかし、「ドゥムジとイナンナ」の神話と「争う双子の兄弟」の神話は、ここでは二つに分かれています。それは何故でしょう? ということになります。

どうやら、その原因は、やはり古代メソポタミアにあります。なぜなら、wikipediaに「「カインとアベル」の説話に先行するものとして、シュメール神話の「ドゥムジ(タンムーズ)神とエンキムドゥ(エンキドゥ)神」が存在する。女神「イナンナ」の花婿選びにおいて、牧畜神「ドゥムジ(タンムーズ)」と農耕神「エンキムドゥ(エンキドゥ)」の二柱の夫候補がおり、イナンナは美男のエンキムドゥ(エンキドゥ)の方を気に入っていたが、エンキムドゥ(エンキドゥ)は辞退し、花婿の座をドゥムジ(タンムーズ)に譲ってしまう。こうしてイナンナの夫にドゥムジ(タンムーズ)が選ばれたのである。」と書いてあるからです。これは「善良な羊飼いのドゥムジ」と「悪人の羊飼いのドゥムジ」以上にまずい話といえます-;。旧約の方から述べると、旧約の「カインとアベル」は、セツがカインを意図的に悪者に仕立て上げて勝った神話、といえなくもありません。というか、そういうことを勝者の都合の良いように書いてある神話、といえますー;。

ユダヤ神話の前身といえる古代メソポタミアの神話には、「ギルガメシュ叙事詩」というものがあります。そこにも、エンキドゥという人物が登場します。イナンナと結婚しそこねたエンキドゥがどうなったのかは、神話には書かれていません。でも、カインとアベルにならえば、エンキドゥもまた死んでしまったと考えられます。これは、乾期に植物が枯死するさまを現したもの、でも良いわけですが、そもそも「植物」はトーテムとしては、草食動物よりも更に下位にくるので、彼らには「食べられて死ぬ」運命しかないといえます。ギルガメシュ叙事詩でもエンキドゥはギルガメシュ王の罪を肩代わりして死ぬ運命を背負っています。要するにエンキドゥとは、「最下位の神」であって、誰かのための犠牲になる神といえます。ローマにおけるウェスタと同じ立場です。一方、古代メソポタミアには古くからエンキという神がいました。こちらは権威のある川の神です。そして、名前からして「熊」の神です。その神に「ドゥ」という言葉がつくと、なんで「最下位の神」になってしまうのでしょうか? 答えは一つ、誰かが、エンキ神の権威を陥れようとして、偽物の「エンキドゥ」というものを作ったのです。そして、それは最下位の卑しい神、とされました。そうすると、知らない人は、エンキドゥとエンキってどう違うの? どっちもおなじものなら、エンキも卑しい神だよね? と思うことになります。要するにエンキドゥはエンキの権威を陥れるために、「悪人の羊飼い達」が作り上げた人造の神、といえます。そして、エンキをイナンナから切り離して、イナンナ女神を取り込んで殺してしまおうとしてたわけだ。それはある程度は成功していて、聖書に登場するカインは、もはや「ドゥ」という言葉尻をつけなくても悪人になってしまいました。こうして、「悪人の羊飼い」は熊トーテムの人達をどんどん思想的に弾圧していたわけです。でも、エンキってそもそもなんでしょう? ということになります。それは、母系信仰が強固な熊トーテムの人達が、世相の男系化を受けて、イナンナから変化させた男神、といえます。だから、本当はエンキとイナンナは同じもので、切って分けられるような関係ではないのです。

でも、こういうことを見ていると、なんだか私も、自分のやったことで、さもないこと、非難されるようなことでもないことで、ずいぶん非難されたり、当てこすりみたいなことを言われて来た記憶があるわけで。元々、そういうことをやって、人を追い込むことが得意な一族郎党なのね、と思う。というか、私自身も本気を出せば、相手の悪いところだけを選択的に強調して追い込むことは得意な気がするわけで。神話の歴史の中に、どこか、自分に似た「遺伝子」の存在は感じる。でも、全然褒める気にはなれないわけですが-;。

で、話を旧約に戻しますと、ユダ族の輝かしい王の中にダビデという人物がいるわけで。この若者は羊飼いをしていたわけですが、エフライム族のサウル王に取り立てられて、しまいには、王に対してクーデターを起こして自分が王になってしまいましたとさ、ということで。ダビデとその息子のソロモンは実在の人物であって、古代イスラエルを繁栄に導いたけれども、アナト女神を大母としていたと思われる鍛治師の集団であったエフライム族を弾圧したので、結局王国は二つに分裂しました。でも鍛冶師のエフライム族が作り出した金属がダビデとソロモンの繁栄を支えたのは事実であるわけで。そもそも、サウルが王になれたのは、同族の作った金属のおかげ、ダビデとソロモンが繁栄できたのはサウルを殺して、エフライム族を奴隷にして、彼らの作り出した金属を勝手に召し上げたおかげ、ってそういうことだよね? と思う。ダビデというのも「虎」という意味であるので、そもそも、その「悪人の羊飼い」の若者をなんとかして、と思うわけですが-;。北の王国が滅びた後、残った南の人達は、バビロニアの都で、自分たちのアイデンティティーを保つために、ダビデ王家の正当性を主張してたたえる「旧約」を作り出しました。まあ、ダビデ王家が正統、と言いたいわけだから、アナト女神を擁する人達は、身分の卑しい者だし、悪者、って、性懲りも無く書いたわけでー;。ある意味、「懲りる」ということを知らなかったとも言えなくもない気がする。というか、「懲りる」ということを知らない親戚一同が世界中にいる、とそんな気がするわけで。だいたい、自分の先祖にもダビデとかソロモン、とかそんな名前の人がいた気がするんだけれど?? となんとなく思う。でも、現在の西欧からみると、ギリシャ・ローマと、キリスト教として流入した旧約の文化は、西欧の文化の根幹をなすものであるので。ともかく、そういうものを作り出した人々は頭の悪い人達ではない、と思う。そして、どこにも「悪しき羊飼い」である羌族の影を感じる。そして、その人達、頭は良いけれども、どこか普通の人とは違う、と思う。人を陥れる、ということが息をするように当たり前にできる、そしてそういうことに良心の咎めというものを全く感じないし、だいたい陥れられる方が悪い、くらいにしか思わない。確かに「人間性」というものが、どこか普通の人とは違う。そういうものは、親戚にも家族にも感じる。そして、何より自分自身の中に感じる、と思うわけですが。ともかく、彼らは地中海の周辺に展開していて、そしてその行動範囲は、おそらく紀元前1500年頃に「海の民」と呼ばれた人々の行動範囲と重なる、と思うわけです。彼らは各地を荒らし回って略奪を繰り返し、ヒッタイト帝国を滅ぼしました。彼らはどうやってそういうことを可能にしたのでしょう? と思う。そうすると、富の王家のおっちゃんとかギリシャ系の人々からは「トロイの木馬」でしょ、と言われる気がするわけで。古代の西欧の都市は、みな町の周囲に城壁が築かれていました。だから、敵に攻撃されても、門が破られないと町は落ちない。でも、町の中にスパイがいて、門の鍵を握っていたら? となる。トロイはそうやって陥落しました。というか、それで門の鍵を渡さないのですかね、家を内側から壊すために?? と思う。元々、そういうことが得意な人達なんだね、と思う-;。まあ、それはおいておいても、「羊飼いの若者」を称える旧約の文章は、それだけでは完結しませんでした。それが、現在にまで響く大きな問題となるわけです。

ドゥムジとエンキドゥが、花嫁を争う、という神話は牧畜民と農耕民との間のいさかいも伺わせます。おそらく、メソポタミアでは先行して農業を開始していたのが、熊トーテムの人達だったからだと思います。でも、「似ていて異なる双子」という思想の原型は、羊の皮を被った虎の人達の側にもありました。古い巴蜀の文化の中には、一人の皇を二人の王が支える、という文化があったのです。それは何故かというと、母系の文化では、男性は半人前の存在とされていて、一人前の存在ではありませんでした。だから、二人あわせて、一人前、とそういうことなのです。そして、父系となる、ということは、男性の2神を信仰する、ということに通じるのです。要するに、古い思想で、一つの「勃起した水牛」で現される神は、本当は「二人」を一緒にした姿、といえるのです。

古代殷の王族は、政権の末期には鬼神信仰に走っていたとあります。その「鬼神」とは何? と思ったら、それは「蚩尤と饕餮」と言われる気がするわけです@@。蚩尤(しゆう)とは、「獣身で銅の頭に鉄の額を持つという。また四目六臂で人の身体に牛の頭と鳥の蹄を持つとか、頭に角があるなどといわれる。 (Wikipediaより)」とされています。「牛の頭」というのは、元々「水牛の頭」だったのでしょう。この神は、ともかく「殺される神」であって、殺されると秋の楓に再生しました。要するに、植物神であり、死んで農業の豊作に貢献する農業神といえます。饕餮(とうてつ)というのは、切り落とした蚩尤の頭、と言われ、「饕餮の「饕」は財産を貪る、「餮」は食物を貪るの意である。何でも食べる猛獣、というイメージから転じて、魔を喰らう、という考えが生まれ、後代には魔除けの意味を持つようになった。一説によると、蚩尤の頭だとされる。(Wikipediaより)」とされていました。饕餮は祭祀用の鼎(鍋)の文様として描かれました。饕餮に食べ物(生の肉)を与えると、それを煮た肉(すなわち人間が食せる肉)にして吐き出してくれる鍋釜のこととされました。蚩尤が「殺される」農業神であるとすると、饕餮は牧畜の獣の肉を食べられる形に「生み出して」くれる神でした。両方併せて、「生み出す神」であり、「死ぬ神」であるわけです。特に肉を煮てくれる「豊穣の大釜」は聖なるものとされて、遊牧民の間では大切にされました。要するに、言い換えると、羊飼いのドゥムジは肉を煮る鍋の神饕餮、農業神のエンキドゥは蚩尤といえます。特に神話における饕餮は、祭祀用の釜ですから、女神を食べる口を持っていて、その口から女神の煮た肉を吐き出して、王の食料にするための釜だったのだと思います。だから、男系の饕餮と結婚すると女神は食われて、煮物の肉にされてしまう、ということになります。その一部は王の食料になりますが、他の一部は蚩尤を生き返らせるための肥料になります。要するに、王は牧畜の神と農耕の神に女神を食わせて、そこからのあがりを得る、とそういうことで、これが本来の形になります。でも、メソポタミアから西に展開した人達は、この思想を、熊トーテムの人達を押さえるのに利用しましたので、しまいには女神と結婚できなかった方が死ぬ、という話になってしまいました。一方、豊穣の釜である饕餮は、遊牧民に尊重されて、父系の文化の広がりと共にその信仰が拡散して、印欧語族に取り込まれ、彼らの「天の父神」となりました。ユーピテル、ゼウス・サバジオス、トール、テシュブといった西欧の雷神系軍神は、元はみんな饕餮(とうてつ)だったのです。鍋で煮るには火が必要ですが、遊牧民にとっては火の維持はとても大切なことですので、彼らは釜の神から、火の神へと変化し、それが更に天空神に昇格したのでした。蚩尤の方は、元は虎の女神に犠牲に捧げられたであろう存在ですので、女神信仰と共に拡がって、アッティスとか、アドニースとか、殺される方のドゥムジとかに変化しました。

でも、彼らの本来の姿は、「女神の夫となって父となる王」と、「女神の夫となって犠牲となる王」だったと思うのです。西欧の伝承がそれを物語っています。女神に新たに命を授ける「王」と、女神のために命を捧げて死ぬ「王」です。男系の思想を作り出すときに、男系の人々は、これを「女神を食い物にする王」と「女神を犠牲にして育つ王」に変えてしまったのでした。もはや女神に「子供の父となる王」は必要ないのです。彼女は単なる餌なわけですから-;。

というわけで、「勃起した水牛の王」は、「勃起した体」と「頭」に分けられてしまいました。頭の方の饕餮は、食べる口はついていますが、体がありません。だから、どちらにしても男性機能がなくて女神の夫にはなれません。そして、女神を食べなかったとしても、祭祀者である王の差し出したものを食べ続けるしかないのです。体の方の蚩尤は、動くのだけれども頭がない(意思がない)ので、何を考えているのかが分かりません。ゾンビのように、祭祀者である王のいいなり、ということになります。このような奇怪な神が、東洋では作り出されました。これが、西欧における「どちらかが死ぬ双子」の原型だったのです。

本日の日誌

昨夜は特に夢も見ず。本日は家人が病院へ行ったので、作業はそこそこであって。

「テーバイ攻めの七将」とは、紀元前467年の春、アテナイの大ディオニューシア祭にて、始めて上演された、とあります。ですので、この伝承は、それ以前からあったものと思われます。あらすじは、古代ギリシャの町テーバイに、エテオクレースとポリュネイケースという兄弟がいて、王位を争います。町を追放されたポリュネイケースは、テーバイに攻め込みます。ポリュネイケースは待ちに迫りますが、向かい打つエテオクレースと戦った結果、町は守られますが、二人は相打ちで死んでしまうのです。二人はテーバイの町を巡って争うので、イナンナ女神に相当する女性は登場しません。都市そのものが「女神」を暗示しているともいえます。

古代ローマとギリシャの神話ですが、古代ローマでは、「月の女神」をユーノー女神とディアーヌ女神に分け、ディアーヌ女神は、「皇帝の権力の妻」として、「皇帝」の象徴であるウィルビウスと結婚する、と考えられていました。一方、ユーノー女神は、最高位の女神の位を与えられます。でも、ローマは男系の国家ですから「食い殺される女神」も存在します。それがウェスタです。ウェスタの巫女は、国家に奉仕し、国家のために犠牲になる存在です。そして巫女は「女神の化身」といえますので、要はウェスタが犠牲となる女神、といえます。ウェスタとユーノー(ディアーヌ)の関係は、ギリシャにおけるペルセポネーとデーメーテール女神の関係と相関関係があります。死すべきペルセポネーと、大母であるデーメーテールです。ペルセポネーは、冥界では権威ある女王とされていました。ローマにもペルセポネーに相当する「冥界の女王・プロセルピナ」がいましたから、ギリシャのペルセポネーは、ローマでは更に細分化されて、女王であるプロセルピナと、生け贄になるだけの存在のウェスタに分けられた、といえます。ウェスタの巫女は、現実の世界で、それなりに尊重されて発言権もありましたので、プロセルピナの冥界における発言権を、現世で体現するのがウェスタの巫女、といえました。でも、現実の世界で、大母であるユーノー以外が、みな「死人」であるとするならば、ウェスタの巫女もまた「死人」ということになります。特に彼らは、何かあったら死ぬべき存在ですから、彼らは結局「現世における生きたプロセルピナ」として権力を持っていたに過ぎず、死者も同然の立場でした。

結局、古代ローマにおける「ウェスタの巫女」とは、古代中国における「媚女」に相当する、といえます。彼らは、どちらも国家のために奉仕し、平常時は大切に尊重されたでしょうが、何かあれば、一番に死なねばならない存在だったのです。

古代ローマを建国したのは、ロームルスとレムスの双子と言われています。ウェスタの巫女と、軍神マールースとの間に生まれた、とされるこの双子は、生まれてすぐに捨てられ、雌狼(ディアーヌの化身)に育てられました。彼らは、その後羊飼いに拾われ、羊飼いとして育ちます。ロームルスとレムスは、成長して新しい自分たちの国を作ろうと思いますが、都を建設する場所で争います。戦いの結果、パランティーノの丘に都を作ろうとしていたロームスルが勝って、レムスは亡くなります。パランティーノの丘には、紀元前1000年頃より、ローマ人の先祖が住んでいた、と言われ、ローマ人にとって、一番古い「故郷」といえます。かつてそこにはパレスという双子の牧羊神の住まう丘、とされていました。それが「パランティーノの丘」です。そこでは、ローマを建国した日とされる4月21日に、パリリアという「火の上を牧夫たちが飛越す儀礼」が行われたそうです。要するに、ロームルスとレムスの双子は、元々は牧羊神であり、羊飼いで、ローマは羊飼いの作った国でした。彼らは、火を崇めていましたから、この「火」が、ユーピテルであり、この「火」を起こす火打ち石がユーピテルであった、といえます。これだ男系のローマの始まりです。

殺された弟のレムスの方は、パランティーノの丘ではなく、「アウェンティヌスの丘」に都を作ろうと主張していました。この丘には、ボナ・デアという下位の女神が祀られており、「豊穣、治癒そして処女性の女神」でした。この女神は「古代ローマ時代、ボナ・デアを祀る儀式が毎年12月4日に、執政官(コンスル)もしくはプラエトル(法務官)といった高位職に就いている人物の家で行われていた。ただし、ボナ・デアが酔っ払った時にファウヌスが銀梅花の枝でボナ・デアを打ち据えて殺害してしまったというローマ神話での言い伝えから、ボナ・デアの儀式には「ワイン」や「銀梅花」と共に、男性の参加や雄の動物が描かれた絵画の掲示が禁じられていた。なお、儀式はウェスタの巫女がサポートしていた。 その属性から低階級の人物や奴隷、女性から深い信仰を集めていた。(Wikipediaより)」とのことです。なんだかんだ言って、祭祀に女性しか参加できないのですから、母系の女神といえます。そして、彼女もまた「殺される女神」であり、ウェスタとの関連があります。ということは、もっと身近なところでいうと、殺される「ウケモチの神」や「保食神」と関連があるということです。要するに、レムスは母系の信仰を持つ「羊飼い」で、男系の羊飼いであるロームルスと戦って殺されてしまい、彼らの神は、国家のための「犠牲」とされる下位の女神にされてしまった、といえます。要するに、ローマの建国神話は、明確に「男系の羊飼いが勝利を収めて建設した国家である」と述べています。双子の神々が殺し合う神話が、イナンナとドゥムジの「男系の方」の神話と関連があるのであれば、ローマでは男系の人々が完全に勝利を収めたということになります。あれ? ということになる。男系の羊飼いって羌族の男系の方だよね? ということになる。なんだか、そこにも遠い首狩り族の親戚がいる気がするんだけど? ということになります。実のところ、遊牧民はあちこちを移動して歩きますので、西欧方面にもけっこう親戚がいる、ということになるのです-;。

女神の方からまず述べると、ボナ・デアというのはなんでしょう? ということになります。結論から述べれば、ウェスタと関連するわけですから、これもかつては太陽女神であった、ということになります。これは子音からみて、たいがい隣のギリシャのパラス・アテーナーに相当すると思います。アテーナー女神はアテナイの守護神であり、オリンポス十二神の一つですから、ギリシャでは高位の女神といえます。ギリシャでは高位の女神が、ローマでは下位の女神とされるわけですから、同じような神話を持っているように見えても、「母系の信仰」に対するギリシャとローマの温度差がここにも見えてきます。それにしても、そもそもローマ人は「太陽女神をとっとと殺してしまえばいい」と考えるような人達でした。どっかの総本家の先祖は、女王卑弥呼の時代には、神を自分たちの手の内に閉じ込めておけば良い、と考えていて、それ以上のことはしませんでした。でも、どっかの遠い親戚に感化されて、「そっか、手っ取り早く殺しちゃえばいいんだ。」と思ったに決まってる、絶対、と思うわけで-;。その影響が古事記とかにどんどん出てくるわけです。

まあ、それは置いておくとしても、こんなことですから、ボナ・デアやパラス・アテーナーの「起源」がどこにあるのかというと、それは西欧ではなくて、東洋にあるわけですー;。そこまで説明がたどり着くには、ちと距離的に遠すぎるわけですがー;。でも、彼らの名前は二つに分かれています。それは英語に直すと、「birth」と「death」という言葉になると思うのです。「誕生」と「死」、浮世における人間の人生の「始まり」と「終わり」です。廉君は「始め」と「終わり」で大騒ぎしてたし、岩橋君は英語をペラペラと話してたし、その人達大活躍じゃん、と思う。

でも、先に「対立する双子の男子」の方から述べましょう。女神の方と同様、こちらも起源は東洋にあるのです。双子といえばいえるかもしれない。本家の彼らは双子以上に奇妙な関係であって、私ですら「いったい、自分は何を見ているのか」という気分になるわけです。それはともかく、起源に迫る前に、もう一つの「羊飼い」の物語を見ていきましょう。

聖書によると、人類の初めは「アダムとイブ」という二人の男女であった、とされています。アダムとイブが禁断のリンゴを食べて、楽園から人間の世界に追放された、という神話は非常に有名であって、リンゴを食べるようにすすめたイブが悪いのか、食べたアダムが悪いのか、みたいなことが昔は良く言われていました。そもそも、アダムってなんでしょう? ということになるのですが、もう名前の通り、それは「ドゥムジ」とほぼ同じ子音構成ですから、「虎の羊飼い」ということです。ということは、「アダムとイブの楽園喪失」もまた、「イナンナとドゥムジの冥界下り」の変形版といえます。彼らが元は、永遠の命を持つ神人だとすると、どちらも罪を犯して、限りある命の人界に落とされたことになります。死すべき人の溢れた人界は、死人が溢れた「黄泉の国」ですから、要は、イナンナとドゥムジの両方が食い合って死に、黄泉の国に落とされた、ということになります。当事者がどちらも死んでしまう、というのは、ハムレットとかテーバイ攻めの七将と類似した展開です。そして、「争う双子」のエピソードは、アダムとイブではなく、「カインとアベル」の項に移動させられています。

「カインとアベル」は有名な話で、嫉妬深い兄のカインが弟のアベルを殺してしまった、という話です。で、この部分だけが強調されがちですが、本当はそれではいけないのです。彼らにはもう一人セツという弟がいました。カインがアベルを殺して追放されたので、アダムとイブの跡取りはセツということになって、セツの子孫が正統な二人の後継者、後のイスラエルの民の先祖、とされているのです。カインは追放されて、その子孫は「青銅や鉄で道具を作る者」となったとされています。だいたい、このあたりに問題があるわけで。カインというのは、名前からして「熊」です。それが悪しき存在とされて、かつその子孫は鍛治師とされています。要するに、これはカインを悪者にすることで、イスラエルの民の中では、鍛治師は「卑しい階級の者」と規定する神話です。要は、人種差別を正当化する神話といえる。これは富の王家にとっては、全く面白くない神話と言えます。富の王家のおっちゃんあたりは、「これだから、くだらないことをつらつらと書いて、子々孫々にまで残しちゃいけないんだよ。」と言いそうな気がするわけで-;。結局は、どんなに北と南の人が和解して仲直りしても、聖書のこの記述が全世界中から消えない限り、微妙な遺恨は残ることになる。だって、これは南の人達が北の人達を差別して、圧迫したダビデとソロモンの統治を正当化する文章だからです。しかも、今現在、旧約の管理権は、元々その神話を作った人達の子孫の元に完全にはない、という痛恨の事実があるわけで。そして、セツという名は、これもまた「虎」を意味しますので。「虎」という名のアダムから生まれた、「虎」という名のセツがアダムの正統な後継者であって、カインという「熊」は、一段と低い身分のもの、ということです。しかし、「ドゥムジとイナンナ」の神話と「争う双子の兄弟」の神話は、ここでは二つに分かれています。それは何故でしょう? ということになります。

どうやら、その原因は、やはり古代メソポタミアにあります。なぜなら、wikipediaに「「カインとアベル」の説話に先行するものとして、シュメール神話の「ドゥムジ(タンムーズ)神とエンキムドゥ(エンキドゥ)神」が存在する。女神「イナンナ」の花婿選びにおいて、牧畜神「ドゥムジ(タンムーズ)」と農耕神「エンキムドゥ(エンキドゥ)」の二柱の夫候補がおり、イナンナは美男のエンキムドゥ(エンキドゥ)の方を気に入っていたが、エンキムドゥ(エンキドゥ)は辞退し、花婿の座をドゥムジ(タンムーズ)に譲ってしまう。こうしてイナンナの夫にドゥムジ(タンムーズ)が選ばれたのである。」と書いてあるからです。これは「善良な羊飼いのドゥムジ」と「悪人の羊飼いのドゥムジ」以上にまずい話といえます-;。旧約の方から述べると、旧約の「カインとアベル」は、セツがカインを意図的に悪者に仕立て上げて勝った神話、といえなくもありません。というか、そういうことを勝者の都合の良いように書いてある神話、といえますー;。

ユダヤ神話の前身といえる古代メソポタミアの神話には、「ギルガメシュ叙事詩」というものがあります。そこにも、エンキドゥという人物が登場します。イナンナと結婚しそこねたエンキドゥがどうなったのかは、神話には書かれていません。でも、カインとアベルにならえば、エンキドゥもまた死んでしまったと考えられます。これは、乾期に植物が枯死するさまを現したもの、でも良いわけですが、そもそも「植物」はトーテムとしては、草食動物よりも更に下位にくるので、彼らには「食べられて死ぬ」運命しかないといえます。ギルガメシュ叙事詩でもエンキドゥはギルガメシュ王の罪を肩代わりして死ぬ運命を背負っています。要するにエンキドゥとは、「最下位の神」であって、誰かのための犠牲になる神といえます。ローマにおけるウェスタと同じ立場です。一方、古代メソポタミアには古くからエンキという神がいました。こちらは権威のある川の神です。そして、名前からして「熊」の神です。その神に「ドゥ」という言葉がつくと、なんで「最下位の神」になってしまうのでしょうか? 答えは一つ、誰かが、エンキ神の権威を陥れようとして、偽物の「エンキドゥ」というものを作ったのです。そして、それは最下位の卑しい神、とされました。そうすると、知らない人は、エンキドゥとエンキってどう違うの? どっちもおなじものなら、エンキも卑しい神だよね? と思うことになります。要するにエンキドゥはエンキの権威を陥れるために、「悪人の羊飼い達」が作り上げた人造の神、といえます。そして、エンキをイナンナから切り離して、イナンナ女神を取り込んで殺してしまおうとしてたわけだ。それはある程度は成功していて、聖書に登場するカインは、もはや「ドゥ」という言葉尻をつけなくても悪人になってしまいました。こうして、「悪人の羊飼い」は熊トーテムの人達をどんどん思想的に弾圧していたわけです。でも、エンキってそもそもなんでしょう? ということになります。それは、母系信仰が強固な熊トーテムの人達が、世相の男系化を受けて、イナンナから変化させた男神、といえます。だから、本当はエンキとイナンナは同じもので、切って分けられるような関係ではないのです。

でも、こういうことを見ていると、なんだか私も、自分のやったことで、さもないこと、非難されるようなことでもないことで、ずいぶん非難されたり、当てこすりみたいなことを言われて来た記憶があるわけで。元々、そういうことをやって、人を追い込むことが得意な一族郎党なのね、と思う。というか、私自身も本気を出せば、相手の悪いところだけを選択的に強調して追い込むことは得意な気がするわけで。神話の歴史の中に、どこか、自分に似た「遺伝子」の存在は感じる。でも、全然褒める気にはなれないわけですが-;。

で、話を旧約に戻しますと、ユダ族の輝かしい王の中にダビデという人物がいるわけで。この若者は羊飼いをしていたわけですが、エフライム族のサウル王に取り立てられて、しまいには、王に対してクーデターを起こして自分が王になってしまいましたとさ、ということで。ダビデとその息子のソロモンは実在の人物であって、古代イスラエルを繁栄に導いたけれども、アナト女神を大母としていたと思われる鍛治師の集団であったエフライム族を弾圧したので、結局王国は二つに分裂しました。でも鍛冶師のエフライム族が作り出した金属がダビデとソロモンの繁栄を支えたのは事実であるわけで。そもそも、サウルが王になれたのは、同族の作った金属のおかげ、ダビデとソロモンが繁栄できたのはサウルを殺して、エフライム族を奴隷にして、彼らの作り出した金属を勝手に召し上げたおかげ、ってそういうことだよね? と思う。ダビデというのも「虎」という意味であるので、そもそも、その「悪人の羊飼い」の若者をなんとかして、と思うわけですが-;。北の王国が滅びた後、残った南の人達は、バビロニアの都で、自分たちのアイデンティティーを保つために、ダビデ王家の正当性を主張してたたえる「旧約」を作り出しました。まあ、ダビデ王家が正統、と言いたいわけだから、アナト女神を擁する人達は、身分の卑しい者だし、悪者、って、性懲りも無く書いたわけでー;。ある意味、「懲りる」ということを知らなかったとも言えなくもない気がする。というか、「懲りる」ということを知らない親戚一同が世界中にいる、とそんな気がするわけで。だいたい、自分の先祖にもダビデとかソロモン、とかそんな名前の人がいた気がするんだけれど?? となんとなく思う。でも、現在の西欧からみると、ギリシャ・ローマと、キリスト教として流入した旧約の文化は、西欧の文化の根幹をなすものであるので。ともかく、そういうものを作り出した人々は頭の悪い人達ではない、と思う。そして、どこにも「悪しき羊飼い」である羌族の影を感じる。そして、その人達、頭は良いけれども、どこか普通の人とは違う、と思う。人を陥れる、ということが息をするように当たり前にできる、そしてそういうことに良心の咎めというものを全く感じないし、だいたい陥れられる方が悪い、くらいにしか思わない。確かに「人間性」というものが、どこか普通の人とは違う。そういうものは、親戚にも家族にも感じる。そして、何より自分自身の中に感じる、と思うわけですが。ともかく、彼らは地中海の周辺に展開していて、そしてその行動範囲は、おそらく紀元前1500年頃に「海の民」と呼ばれた人々の行動範囲と重なる、と思うわけです。彼らは各地を荒らし回って略奪を繰り返し、ヒッタイト帝国を滅ぼしました。彼らはどうやってそういうことを可能にしたのでしょう? と思う。そうすると、富の王家のおっちゃんとかギリシャ系の人々からは「トロイの木馬」でしょ、と言われる気がするわけで。古代の西欧の都市は、みな町の周囲に城壁が築かれていました。だから、敵に攻撃されても、門が破られないと町は落ちない。でも、町の中にスパイがいて、門の鍵を握っていたら? となる。トロイはそうやって陥落しました。というか、それで門の鍵を渡さないのですかね、家を内側から壊すために?? と思う。元々、そういうことが得意な人達なんだね、と思う-;。まあ、それはおいておいても、「羊飼いの若者」を称える旧約の文章は、それだけでは完結しませんでした。それが、現在にまで響く大きな問題となるわけです。

ドゥムジとエンキドゥが、花嫁を争う、という神話は牧畜民と農耕民との間のいさかいも伺わせます。おそらく、メソポタミアでは先行して農業を開始していたのが、熊トーテムの人達だったからだと思います。でも、「似ていて異なる双子」という思想の原型は、羊の皮を被った虎の人達の側にもありました。古い巴蜀の文化の中には、一人の皇を二人の王が支える、という文化があったのです。それは何故かというと、母系の文化では、男性は半人前の存在とされていて、一人前の存在ではありませんでした。だから、二人あわせて、一人前、とそういうことなのです。そして、父系となる、ということは、男性の2神を信仰する、ということに通じるのです。要するに、古い思想で、一つの「勃起した水牛」で現される神は、本当は「二人」を一緒にした姿、といえるのです。

古代殷の王族は、政権の末期には鬼神信仰に走っていたとあります。その「鬼神」とは何? と思ったら、それは「蚩尤と饕餮」と言われる気がするわけです@@。蚩尤(しゆう)とは、「獣身で銅の頭に鉄の額を持つという。また四目六臂で人の身体に牛の頭と鳥の蹄を持つとか、頭に角があるなどといわれる。 (Wikipediaより)」とされています。「牛の頭」というのは、元々「水牛の頭」だったのでしょう。この神は、ともかく「殺される神」であって、殺されると秋の楓に再生しました。要するに、植物神であり、死んで農業の豊作に貢献する農業神といえます。饕餮(とうてつ)というのは、切り落とした蚩尤の頭、と言われ、「饕餮の「饕」は財産を貪る、「餮」は食物を貪るの意である。何でも食べる猛獣、というイメージから転じて、魔を喰らう、という考えが生まれ、後代には魔除けの意味を持つようになった。一説によると、蚩尤の頭だとされる。(Wikipediaより)」とされていました。饕餮は祭祀用の鼎(鍋)の文様として描かれました。饕餮に食べ物(生の肉)を与えると、それを煮た肉(すなわち人間が食せる肉)にして吐き出してくれる鍋釜のこととされました。蚩尤が「殺される」農業神であるとすると、饕餮は牧畜の獣の肉を食べられる形に「生み出して」くれる神でした。両方併せて、「生み出す神」であり、「死ぬ神」であるわけです。特に肉を煮てくれる「豊穣の大釜」は聖なるものとされて、遊牧民の間では大切にされました。要するに、言い換えると、羊飼いのドゥムジは肉を煮る鍋の神饕餮、農業神のエンキドゥは蚩尤といえます。特に神話における饕餮は、祭祀用の釜ですから、女神を食べる口を持っていて、その口から女神の煮た肉を吐き出して、王の食料にするための釜だったのだと思います。だから、男系の饕餮と結婚すると女神は食われて、煮物の肉にされてしまう、ということになります。その一部は王の食料になりますが、他の一部は蚩尤を生き返らせるための肥料になります。要するに、王は牧畜の神と農耕の神に女神を食わせて、そこからのあがりを得る、とそういうことで、これが本来の形になります。でも、メソポタミアから西に展開した人達は、この思想を、熊トーテムの人達を押さえるのに利用しましたので、しまいには女神と結婚できなかった方が死ぬ、という話になってしまいました。一方、豊穣の釜である饕餮は、遊牧民に尊重されて、父系の文化の広がりと共にその信仰が拡散して、印欧語族に取り込まれ、彼らの「天の父神」となりました。ユーピテル、ゼウス・サバジオス、トール、テシュブといった西欧の雷神系軍神は、元はみんな饕餮(とうてつ)だったのです。鍋で煮るには火が必要ですが、遊牧民にとっては火の維持はとても大切なことですので、彼らは釜の神から、火の神へと変化し、それが更に天空神に昇格したのでした。蚩尤の方は、元は虎の女神に犠牲に捧げられたであろう存在ですので、女神信仰と共に拡がって、アッティスとか、アドニースとか、殺される方のドゥムジとかに変化しました。

でも、彼らの本来の姿は、「女神の夫となって父となる王」と、「女神の夫となって犠牲となる王」だったと思うのです。西欧の伝承がそれを物語っています。女神に新たに命を授ける「王」と、女神のために命を捧げて死ぬ「王」です。男系の思想を作り出すときに、男系の人々は、これを「女神を食い物にする王」と「女神を犠牲にして育つ王」に変えてしまったのでした。もはや女神に「子供の父となる王」は必要ないのです。彼女は単なる餌なわけですから-;。

というわけで、「勃起した水牛の王」は、「勃起した体」と「頭」に分けられてしまいました。頭の方の饕餮は、食べる口はついていますが、体がありません。だから、どちらにしても男性機能がなくて女神の夫にはなれません。そして、女神を食べなかったとしても、祭祀者である王の差し出したものを食べ続けるしかないのです。体の方の蚩尤は、動くのだけれども頭がない(意思がない)ので、何を考えているのかが分かりません。ゾンビのように、祭祀者である王のいいなり、ということになります。このような奇怪な神が、東洋では作り出されました。これが、西欧における「どちらかが死ぬ双子」の原型だったのです。

本日の日誌

昨夜は特に夢も見ず。昨夜は台風のせいで大雨が降って。今日は晴れたので、水汲みがたいへんな一日でした。

「嵐にしやがれ」のスペシャルでは気になることがいくつかあって。潤ちゃんが、ぼたもちとおはぎのことを、「同じものなのに、名前が違うので、気になって調べた」と言っていて。なにか、同じものなのに、名前の違うものを調べるように、と言われているのかなあ、と思う。例えば、「天」のことを「てん」と呼んだり、「あま」と呼んだりするような。それから、廉君が「朝の帯番組をやりたい」と言っていて、枡さんと「ZIP」の模擬をしていたわけですが、オープニングの模擬をしてるのに、何故かエンディングの真似ばかりしていて。「はじめ」と「終わり」に何か注意なのかなあ、と思う。後は、大野君の船のコーナーで、黒くて長いヌタウナギのことを、「小学生のち○こみたい」と言っていて。それは、私の顔を見ると、ま○ことか、ち○ことか、おパンツのこととか、小学生の男の子みたいなことしか言わない誰かさんのことを言ってるんだろうなあ、と思ったわけでー;。あとは、潤ちゃんのコーナーで、アクション対決で、だいたいいつも悪者に困らされている女の人を助ける、という役なのは、「悪者に困らされている女の人を助けるために戦っているんだよ」ということを言いたいんだろうな、とかそういうことに気がつくわけで。でも、縛りプレイ? とか思うわけで-;。こっちはこっちで、「性の快楽を教えてあげる」とか言う気がするわけで。それって、結局は、蛇の兄さんの言ってることと同じなんじゃないの??? と思うわけですが-;。

それにしても、頂点に虎の女神がいて、その下に「夫」である王、あるいは王達? である水牛虎がいて、その下に水牛の餌ということは、水牛に仕える鹿がいる、ということは、社会でいうと、「階級制」ということになりますよねえ? と思う。一番下の庶民とか奴隷の階級のトーテムが「鹿」ということになる。そうすると、もう祖神が何か、とか関係なくて、その人のトーテムは階級によって決まってくることになる。そして、階級というものがなかった頃は、女性と男性は一対の対をなす「陰陽」で、だいたい世界は陽と陰のバランスが取れていたはずなのに、階級が決まってくると、神様一人が「陽」であって、穢れた「夫」とそれ以下の階級の人達は全て「陰」になるなんて、バランスが悪すぎる、と思うわけです。そうすると、世の中は、陰の側の「生きた死者」ばかりになってしまうわけで。でも、そういう社会構造の思想は、小乗仏教によく現れている、と言われる気がするわけです。小乗は、一番頂点に神々の世界があって、出家して神々に仕える人達は、修行して神々に結縁したりして、そこに近づこうとしてる。で、僧の周囲にいる人達は、お布施をしたりして、僧の生活を支えることで、霊的に上位の僧に結縁し、間接的に更に上位の神々に結縁しようとしている、と言われる気がするわけです。だから、仏教は、現実的な貧困の解消とかには役立たない。仏教の本来の目的は、より上位の霊的な存在と結縁して、自分の霊性を高めるためのもので、目的とするものは来世だから、と言われる気がするわけで。「それでいいの?」となんとなくそんな気がするわけですが。でも、仏教以前のバラモン教の時代は、現在のカースト制に通じる制度がもう存在していて、神々に仕えるのは特定の家柄の人、と決められていました。でも、そういう神官階級が世襲化すると、神の権威だけをかさにきて、腐敗したり、威張ったり、現実の政治に介入したりする人たちが増えてくるので。神官階級の出以外の人でも、志があれば、出家して神に仕える人になることができる、と身分制を取り払ったのが仏教なので。階級が流動化する、ということは、それ以前に比べて、人々が自由に行動できるようになった、ということ、と言われる気がするわけで。うーむ、と思う。まあ、ともかく、最上位の階級にくる存在が肉食獣であって、最下位の階級に来るのが草食動物なのね? と思う。で、こういう構図が四方に伝播すると、例えば元の思想では、「王」の階級が「牛ときどき虎」であったのが、逆に上位の女神の方が「虎ときどき牛」という構図になって、「雌牛」のときは妻であったり、母であったりするようになっている気がするわけです。「王」とその下の鹿の階級の関係は、「牛ときどき鹿の王」という形になる。

で、イタリアとか、それからスパルタもそうですが、南欧の強固な男系社会、というのは、女の人もけっこう強いわけです。東洋の男系社会は、女性の地位そのものが戦前の日本のごとく、かなり低い気がするわけで。それは何故だろう? と思う。そうすると、西欧は「熊トーテム」も強固であって、熊トーテムは、女性が非常に強いから、と言われる気がするわけです。熊は、冬眠している間に子供を生むので、昔は「いつ子供を生むのか分からない神秘的な存在」とされていました。しかも、冬の間姿をほとんど見ないのに、春になると現れて、かつ子供を連れている。それで、昔の人は熊に性別があるとは考えていなかったので、熊は単為生殖すると考えられていました。神様が、男はいらなくて、子供を生むので、人間の女性も本当は男がいなくて子供を産むのが理想の姿でした。そうすると、男は邪魔な存在でしかないので、熊トーテムの人達の中では、女性が特に強い、と言われる気がするわけで。その他に肉食獣のトーテムとして狼というものもある。古代ローマの主要3神は、しまいにはユーノー女神(虎)、ミネルヴァ女神(熊)、ユーピテル(牡牛)でした。しかも、ローマを建国した双子は狼の乳を飲んで育った、と言われていますから、狼も重要なトーテムでした。牡牛の王が中心の父系の思想と、女性上位の熊トーテムの人々が混血習合して国を作った結果、夫系の国家だけれども、女性もけっこう強い国が形成されたわけです。

西欧における、牡牛トーテムの夫系の思想と熊トーテムの母系の思想の混合の初期は、古代メソポタミアにおける、二つの「イナンナのドゥムジ」の神話に現れます。この2つは、同じ「イナンナとドゥムジの結婚」を扱った話なのですが、母系優位の部族と、父系優位の部族とでは、冥界に下る方が異なっていました。イナンナそのものは、その名前の通り元は、「熊」の女神であったのです。ドゥムジは「羊飼い」とされていますから、一見すると彼のトーテムは羊です。でも、草食動物は「下位の階級」の象徴ですから、彼は表向き「羊」と名乗っているだけで、本当はもっと上位の肉食獣をその仮面の下に隠しているはずなのです。ドゥムジが冥界に下る話では、上位に来るのは熊の大母といえます。イナンナが虐げられて、冥界に下る話では、一応女神の方は、「夫よりも下位に下げられた虎の女神」となります。この2つの神話は、やがて融合して各地に伝播することになります。

今朝は「嵐にしやがれ」のスペシャルを見ていて。相変わらず廉君の「目の力」は落ち着いているなー、と思って見ていたのでした。そして、「始まりと終わり」のことを、いろいろと考えていて。そうしたら、シヴァが「獣の王」と言われる意味を急に知りたくなって。で、調べたら、シヴァは「黄金の角を持つ鹿」の姿で森で遊んだ、という伝承があるそうで。おそらく、その姿で、他の獣(草食獣)を支配する神とされていたのでしょう。でも、「鹿を治める特別な鹿の王」ということは、本当はその姿は「鹿を食べる水牛虎」なはずです。シヴァと、その妻ドゥルガー(あるいはカーリー)の図像は、「地面に横たわって妻に踏みつけるシヴァ」の図で表されます。これは、ドゥルガーが「戦の女神」であるので、勝利に酔って踊ったら、その衝撃で大地が壊れそうになったので、夫が横になってその衝撃を支えた、と神話では言われています。でも、これは後付けの説明であると思う。

ドゥルガー(ドゥーマ)とシヴァの形は、西方に伝播して、主に古代エジプトでは「獅子と牡牛」の形を取るようになりました。古代エジプトの獅子頭女神の一番古い名前はテフヌトと言ったのだと思います。子音からみて、「ドゥーマ」から変化したものだと思う。その前半部分の「テフ」が外れて、ヌト、メヒト、ネイトといった女神群が誕生しました。一方、テフヌトはカルタゴでタニト、対岸のローマではユーノーという名前に変化しましたが、みな子音の構成は同じです。そして、古代エジプトの女神達は、「牡牛の神の妻」ということで、ときには「雌牛」の姿でも現されるようになりました。ネイト女神の場合は、軍神の時は獅子の姿、母神のときは雌牛という感じに変化したのです。私だったら、「同じ名前(同じ子音)の女神が虎から獅子に変わった」というところですが、潤ちゃんからみれば「みな同じ大母なのに、場所によって違う名前になってる」ということなのかもしれないと思う。そして、女性が「上」に来る、「ドゥルガーとシヴァ」の構図は古代エジプトでは「ヌトとゲブ」の構図に変化します。ゲブはセブとも言いますので、ゲブはシヴァのことでもある、ということに疑いはありません。

そして、対岸のローマを見るわけですが、最初ローマにおけるユーノーの立ち位置が良く分かりませんでした。ユーノーはローマの中で最上位の「天の女神」であり、ユーピテルの妻とされていますが、ユーピテルの妻とされていたのはけっこう後世になってからでした。もし彼女が「母系の大母」としてローマに入ったのであれば、最初は固定的な夫は存在しなかった、と思われます。なぜなら、その場合、彼女は一妻多夫の女神、となるからです。そして、インドにおけるシヴァが「金の角を持つ鹿」だと知った瞬間に、「それは金枝のことじゃないの?」と気がついたわけです。アリキアのネミの森のディアーヌの樹に宿るヤドリギの神であるウィルビウスは、「金の枝」とされていました。彼はローマ皇帝の権力の象徴とされていましたが、実際にその役を務めるのは逃亡奴隷であって、奴隷は「金の枝」を折ると、先代の神と戦ってこれを殺し、新しい「森の王」、すなわちディアーヌの夫、となることができました。ローマは父系の国家ですが、ネミの森の祭祀は、夫を次々と若い夫に取り替える「永遠のディアーヌの祭祀」、すなわち母系の女神の祭祀そのものです。ローマにおけるディアーヌ女神のトーテムは狼とされています。すなわち、金枝であり、「森の王」である鹿のウィルビウスは、若く活力に溢れる勃起した状態であるときだけ、女神の夫として「狼」(真の森の王)の姿になれるわけです。

この狼が、森の女王である赤ずきんちゃんとおばあさんを食べて殺してしまうと、母系の神話が、父系の神話に変換された、ということになるのですが、ローマではそこまでの父系化は進みませんでした。そして、ディアーヌ女神は、ローマを建国したロームルスとレムルスの双子の兄弟を養育した雌狼とされています。要するに、ディアーヌ女神が「ローマの母」といっても過言ではないのに、ローマの主要三神の一つにはユーノーがいて、ディアーヌではない、ということになっているわけで。じゃあ、ディアーヌを差し置いて上位に来るユーノーは、ローマにおいて、どういう立ち位置に来るのだろう? と、私は思ったわけです。でも、よく考えたらユーノーとディアーヌ女神の子音構成も同じです。ということは、その2つも「同じもの」なんじゃないの? ということになる。そして、金枝のウィルビウスの妻も本当はユーノーであったはずです。でも、なぜディアーヌに置き換えられているのか? それは、「ローマの母」の地位を狼トーテムの人達に分けたからではないか、と思います。そのため、獅子女神のユーノーは、狼のディアーヌと、獅子のユーノーに分割された。そして、ディアーヌ女神(狼)は「ローマの母」であるけれども下位の女神、ユーノー女神(獅子)は「ローマの最高位の女神」とされたのだと思います。だから、結局地位の高い方はユーノーだよね? そして、結局「ローマの母」はユーノーってことだよね? と思うわけですが、そこのところを狼トーテムに変更してごまかしているわけです。そして、余談ですが、ウィルビウスという名前は、ギリシャ・トラキア方面ではオルフェウスという名前になるのだと思います。妻を食い殺すような凶暴な神を嫌った古代ギリシャ人達は、オルフェウスのことは「亡くなった妻を黄泉の国に迎えに行ったけれども果たせなかった神」に変えてしまいました。しかも、後にオルフェウスもマイナデスに食い殺されて死んでしまいます。だから、ギリシャ人、トラキア人は、ローマ人と違って、オルフェウスのことを「王権の象徴」とはみなさず、むしろ「死すべき者」とみなしていたことが分かります。ギリシャのトラキアも父系の国ではありましたが、オルフェウスに対する冷遇さが、ギリシャ・トラキアの母系信仰の強さを物語っているのです。

このように、「生きるウィルビウスと、死ぬべきオルフェウス」に分けられた「金の角の鹿の王」の存在は、北欧で更に新しい神話に変化しました。北欧神話における「金の角の鹿の王(ヤドリギ)」は、バルドルという名になります。バルドルは不死の神であって、傷つけられないし、死ぬこともない存在でした。ただし、バルドルが不死の存在となったときに、ヤドリギだけは若すぎて「バルドルを傷つけない」という約束ができなかったのです。神々はその後、バルドルのことを面白がって、バルドルにいろんなものを投げつける、という遊びをしていました。しかし、ヤドリギのことを知ったロキという神が、バルドルの兄弟で盲目のために遊戯の輪から外れていた神ヘズをたぶらかし、ヤドリギ(ミスティルテイン)を投げさせました。これによりバルドルは命を落としてしまったのです。そして、バルドルの妻の名はナンナと言いました。要するに、メソポタミアのシュメール神話のイナンナに相当する神です。つまり、イナンナの夫であったドゥムジは、北欧神話ではバルドルとヘズという兄弟、という存在に分けられて、一方は死すべきもの、一方は生きるべきもの、とされることになったのです。要するに2種類あったシュメールのドゥムジは、「兄弟」という形にまとめられて、それぞれ別の運命を進むこととなったのです。そして、彼らが「殺し合う」ということは、母系の羊トーテムの人々と、父系の羊トーテムの人々との間に、争いがあったことを伺わせています。(北欧神話では、この後ラグナロク(最終戦争)があって、その後、ヘズもバルドルも生き返った、ということになっています。でも、「最終戦争」なんて言うのはキリスト教ぐらいですから、2神が生き返る、という話は後から、それこそ意図的に付け加えられたものであると私は思うので、ここでは触れません。それが蚩尤と饕餮の復活を暗示している証拠、と言われても、それもまた少し別の話になるのです。というか、「蚩尤と饕餮」はれっきとして鬼神なので、復活なんかしない方が世のため、人のためなんじゃん? と単純にウルトラマンとか仮面ライダーを見て育った世代はそう思うわけですが-;。)

ともかく、北欧神話は民間伝承化して、騎士の物語へと変化しました。「サクソ・グラマティクスが著した歴史書『デンマーク人の事績』において、バルドルはオーティヌス(オーディン)の息子である半神の戦士・バルデルス(またはバルデル)として登場し、性格も勇猛に描かれている。その肉体はどんな武器も貫けないが、森に住む神サチュルンであるミミングが持つ剣ならば傷つけることができるとされる。バルデルスはまた、3匹の蛇の毒を混ぜた特殊な食料を食べて力を得ている。ホテルス(ヘズ)の乳兄妹のナンナをめぐってホテルスと争い、オーティヌスやトールの助力の甲斐なくホテルスとの海戦で敗れる。その後も幾度かの対決でバルデルスが優位に立つが、ナンナがホテルスと結婚すると、彼女の幻影に悩まされて病気になり、歩行ができなくなり馬車で移動するようになる。ホテルスにスウェーデンとデンマークを支配されたため、デンマークを回復すべく双方の軍勢をぶつけ合う。そのさなか、洞窟に住む3人の乙女たちから勝利の帯を与えられたホテルスによって剣で脇腹を刺される。自分の死を覚悟しつつバルデルはホテルスとの争いを続けたが、傷の痛みが増して3日後に落命する。死体はデンマーク人によって大きな塚に葬られる。(Wikipediaより)」となったのです。ここでは、女神と結婚できた方が生きるし、できなかった方が死ぬ、となっています。神の恩寵を得た方が勝者となるのです。熊トーテムや狼トーテムの力が強い西欧では、父系であっても、「戦士は弱い立場の女性や子供や老人を守る者」という「騎士道精神」が発達しましたので、民間伝承の中では、大母は死ぬことを許されませんでした。そのため大母が死ぬ、という話は消えて、彼女と結婚できた方が生きて、できなかった方が死ぬ、ということになったのです。これは、母系の「王」が、妻である大母と結婚している時だけ「生きて」いて、結婚できなければ「生きた死人」である、という母系の階級思想にも繋がる話です。

でもって、ここまで調べて「あれ?」と思うわけで。どっかで似たような話を聞いたことがあるぞ? と思う。かつて、イギリス人のチョーサーという人が、14世紀に民間伝承を集めて説話集を書きました。その中に「騎士の話」というのがあって、その内容は「セーセウス公によって捕虜としてアテネに連れて来られたアルシータとパラムンはテーベの王族で従兄弟同士だった。最初は励まし合っていた二人だが、牢獄の窓から偶然見た美女エメリー(セーセウスの妃イポリタの妹)にともに恋をし、不和になる。アルシータは国外追放になるがアテネに戻り、パラムンは脱獄。偶然再会して争っているところをセーセウス公に見つかり、100対100の大がかりな決闘を提案される。そして、戦闘がはじまるが??。(Wikipediaより)」とものです。エメリーというのは、名前からしても、イナンナのことですよねえ? と思う。結論から言うと、パラムンはエムリーと結婚してめでたしめでたし、結婚できなかったアルシータは死ぬ、とそういう話です。要するに、「デンマーク人の事績」のイングランド版です。17世紀にはウィリアム・シェイクスピアとジョン・フレッチャーが、この話を元にして、共作の戯曲『二人の貴公子』を書いた、ということで。この「二人の貴公子」をミュージカルにして、今、絶賛上演中だよね? 主役の二人の男子のうちの一人が光ちゃんなんじゃん??@@ と思うわけで。絶対、偶然じゃないでしょ、それ。と始めて思うわけで。あんまり、兄さん達の個別の具体的な「お仕事」にはそれほど深くは興味を持たないわけで。持ったところで、見に行けるわけではなし?? だし、と思っているからなわけですが。チョーサーは、読んでみたい、と思ったことはあったけれども、読んだことはなかったーーー、と思う。

双子が争って、片方が死ぬ話なら、「テーバイの七将攻め」が思い浮かぶのですけれども、と言ったら、7番目の兄さんに「ああ、色気のない方のやつね。」と言われる気がするわけでー;。七将攻めは色気はないけど、「神の恩寵を得た方が勝つ」という点は一致してるでしょうがーー、と思う。そして、そういうことからいえば、同じくシェークスピアの「ハムレット」も同系統の話ですよねえ? と思う。でも、そうしたら、「ハムレットは縁起悪すぎるでしょ、3人とも死んで、しかも誰も生き返らない」と言われる気がするわけでー;。7番目の兄さんには、「赤ずきんちゃんには、2つのパターンがある。赤ずきんちゃんとおばあさんが狼に食べられて、そのままの話と、ペローの童話のように狩人に助けて貰って、狼の腹の中から出して貰うパターンと。「狼の腹の中」とは「黄泉の国」のことです。赤ずきんを助け出した狩人のことを忘れないでね。」と言われる気がするわけで。さあ、今のところ、狼の腹の中の掃除で忙しい気がするわけですがー;。赤ずきんちゃんっていうのは、「イナンナの冥界下り」が民間伝承化したものだって今知ったよ、赤ずきんちゃんってイナンナのことだったんだーーー、と思うわけですが。でも、たいていの兄さん達は、廉君のことを「さすがに仕事が早い」と言って褒め称える気がするわけで。要するに西欧の「羊トーテム」には2種類あって、その区別がつくようにならないといけない、ってそういうことですよねえ? と思う。その2つは、兄弟のように似ているけれども、別のものなわけだ。そして、「父系の羊トーテム」の方が、親戚一同の方、ということで。一族郎党のやらかしてきたことが、世界中で語り草になっているんだなあ、と思ったわけなのですが-;。