本日の日誌

昨夜は特に夢も見ず。本日は所用を足しに出かける日であったので、作業はお休みする。兄さん達の「掲示」があったので、「王の肉」を買いに出かけて。地場産の特産品コーナーにあったので、無事に買うことができて。で、古い家によったので、荷物もちょこちょこと持ってきて。ここのところ、東洋と西洋をつなぐ遊牧民の文化であるスキタイの流れを組む人々の「ナルト叙事詩」をもう一度しっかり読んでみたい、という気分に駆られていて。そうしたら、家に「アマテラスの原像」とか「アーサー王伝説の起源」とかあって、「おおー」と思いながら持ってくる。「アマテラスの原像」とか、表紙にアナーヒタ女神の絵が描いてあって、いかにもそれっぽい気がする。で、少しだけさわりを読んでみたわけですが、最初にいきなり「マハーバーラタ」のドラウパティー姫のエピソードが出てきて、「おおー」と思う。「マハーバーラタ」とはヒンドゥー教の聖典であって、「バラタ家の物語」という意味であるらしい。バラタ家とは、昔北西インドで栄えた王家の名前であって、その王家の伝説を語る一大叙事詩が「マハーバーラタ」である。その中にクシャトリア階級であるドゥルパダ王の娘のドゥラウパティー姫という人が出てくるのだけれども、インドというのは父系の文化の国であるので、結婚形態は一妻一夫か一夫多妻である。でも、何故か女神の化身と言われるドゥラウパティー姫は、夫が五人いる一妻多夫の女性なのである。物語の中では、その理由としていろいろと説明があるわけですが、でも一番の言外の理由は、ドゥラウパティー姫が元々父系のアーリア系の女神ではなく、おそらく先住の一妻多夫の女神だから、であると思う。だいたい、名前の子音から見て、ドゥルパダ・ドゥラウパディーはほぼ同じ構成の名であるので、父親が男性形の名前、娘が女性形の名前で、その二人は元々「同じもの」であることが分かる。しかも、頭に「DV」はつくのは、古い時代には「虎」のことをさす言葉なので。要するに、ドゥラウパディー姫は、虎をトーテムとする一妻多夫の文化の女神が変化したものなのである。「アマテラスの原像」というタイトルで、のっけからこのネタ? と思ったのですが。少しずつ読んでみようと思います。

そして、「白い羊」を現す「石」が水晶であるなら、「白虎」を示す石とはなんなのだろう? と思う。そうすると、それは「琥珀でしょ?」と言われる気がするわけで。琥珀とは、中国の伝承では、「虎が死んで、その魂が土に帰って変化したもの」であるらしくて。「虎の魂魄」という意味らしい。でも、「琥珀」の「琥」は「虎の王」と書きますよねえ? と思う。そして、象形文字で「天」という字は、元々「目に足がついたもの」であったわけで、「空の上の目」が「天」を現すものだったのである。要するに、「黄色く輝く太陽」が、「虎の目」だし、「目には魂が宿る」ということで、「太陽が虎の目でもあるし虎の魂でもあるもの」だったのだと思う。太陽信仰が盛んであった古代エジプトでも、琥珀は珍重されていました。アジアで最古の琥珀の小玉は日本で発見されていて、約2万年前のものです。ヨーロッパでも1万5千年前にデンマークの遊牧民が護符として使用していた、とのこと。琥珀信仰の起源は、そのまま「天の虎の太陽女神」の信仰の起源ともなると思います。要するに、「羊の王」の肉を食べると、「水晶」を「王の首」として護符として利用できるようになる。琥珀は、そもそも自分自身である、ということになるらしくて。どういうわけか、どちらも手元にあるわけですがー;。

それはともかく、「お犬様」の話の続きです。北欧神話は、多神教の神話であり、神々と対立する存在として巨人達がいます。でも、完全に対立する存在ではなく、ときには両者の間に婚姻が成立することもあるのです。そして、他の地域の神話には見られない特性として、「ロキ」というトリックスター的な存在の神がいます。ロキは、下位の神で、巨人の出でありながら、主神オーディンと義兄弟となって神々と共にいます。邪悪な性質であり、狡猾で良く嘘をつきます。でも、その狡猾さで神々の役に立つこともあります。そして裏切ることもあります。ロキの存在によって様々な事件が起き、それが神話の物語、となることもままあります。その名前の意味は「終わらせる者」だということです。そして「空飛ぶ靴」を持っているとされています。

ロキはフェンリルという巨大な狼の父親であり、フェンリルの子供にスコールとハティという狼がいます。スコールは常に太陽神であるソールを追いかけて飲み込もうとしています。その名前の意味は、「嘲るもの」「高笑い」です。ハティの方は月を追いかけていて、その名の意味は「憎しみ」「敵」ということです。日食や月食は彼らが狼に飲み込まれてしまったから、と言われています。ロキからの3代の狼の性質を考えるに、彼らは天空を走る能力を持っていた狼一族であったことが分かります。言い換えれば、フェンリル、スコール、ハティはロキの別の形、で、この4つは元々同じものだった、ともいえると思います。特にスコールの名前を見ると、なんで、私の身の回りをうろつく者は、辺に良く聞こえるような笑い声を上げるのだろう? と思うのです。彼らは「太陽を追いかける」というスコールの化身なのでしょうか。また、北欧神話にはハティと同様月を追いかけ回るマーナガルム(「月の犬」と言う名)の狼がいて、この狼は「すべての死者の肉を腹に満たし、月を捕獲して、天と空に血を塗る。そのために太陽が光を失ってしまう。 」と言われていました(Wikipediaより)。要するに、この狼一族は、太陽や月を追いかけ回すだけでなく、死者の肉を食らい尽くす、貪欲な「お犬様」の集団であったことが分かります。そして、狡猾で残忍な神々ともされていたのでした。

本日の日誌

昨夜は特に夢も見ず。本日は所用を足しに出かける日であったので、作業はお休みする。兄さん達の「掲示」があったので、「王の肉」を買いに出かけて。地場産の特産品コーナーにあったので、無事に買うことができて。で、古い家によったので、荷物もちょこちょこと持ってきて。ここのところ、東洋と西洋をつなぐ遊牧民の文化であるスキタイの流れを組む人々の「ナルト叙事詩」をもう一度しっかり読んでみたい、という気分に駆られていて。そうしたら、家に「アマテラスの原像」とか「アーサー王伝説の起源」とかあって、「おおー」と思いながら持ってくる。「アマテラスの原像」とか、表紙にアナーヒタ女神の絵が描いてあって、いかにもそれっぽい気がする。で、少しだけさわりを読んでみたわけですが、最初にいきなり「マハーバーラタ」のドラウパティー姫のエピソードが出てきて、「おおー」と思う。「マハーバーラタ」とはヒンドゥー教の聖典であって、「バラタ家の物語」という意味であるらしい。バラタ家とは、昔北西インドで栄えた王家の名前であって、その王家の伝説を語る一大叙事詩が「マハーバーラタ」である。その中にクシャトリア階級であるドゥルパダ王の娘のドゥラウパティー姫という人が出てくるのだけれども、インドというのは父系の文化の国であるので、結婚形態は一妻一夫か一夫多妻である。でも、何故か女神の化身と言われるドゥラウパティー姫は、夫が五人いる一妻多夫の女性なのである。物語の中では、その理由としていろいろと説明があるわけですが、でも一番の言外の理由は、ドゥラウパティー姫が元々父系のアーリア系の女神ではなく、おそらく先住の一妻多夫の女神だから、であると思う。だいたい、名前の子音から見て、ドゥルパダ・ドゥラウパディーはほぼ同じ構成の名であるので、父親が男性形の名前、娘が女性形の名前で、その二人は元々「同じもの」であることが分かる。しかも、頭に「DV」はつくのは、古い時代には「虎」のことをさす言葉なので。要するに、ドゥラウパディー姫は、虎をトーテムとする一妻多夫の文化の女神が変化したものなのである。「アマテラスの原像」というタイトルで、のっけからこのネタ? と思ったのですが。少しずつ読んでみようと思います。

そして、「白い羊」を現す「石」が水晶であるなら、「白虎」を示す石とはなんなのだろう? と思う。そうすると、それは「琥珀でしょ?」と言われる気がするわけで。琥珀とは、中国の伝承では、「虎が死んで、その魂が土に帰って変化したもの」であるらしくて。「虎の魂魄」という意味らしい。でも、「琥珀」の「琥」は「虎の王」と書きますよねえ? と思う。そして、象形文字で「天」という字は、元々「目に足がついたもの」であったわけで、「空の上の目」が「天」を現すものだったのである。要するに、「黄色く輝く太陽」が、「虎の目」だし、「目には魂が宿る」ということで、「太陽が虎の目でもあるし虎の魂でもあるもの」だったのだと思う。太陽信仰が盛んであった古代エジプトでも、琥珀は珍重されていました。アジアで最古の琥珀の小玉は日本で発見されていて、約2万年前のものです。ヨーロッパでも1万5千年前にデンマークの遊牧民が護符として使用していた、とのこと。琥珀信仰の起源は、そのまま「天の虎の太陽女神」の信仰の起源ともなると思います。要するに、「羊の王」の肉を食べると、「水晶」を「王の首」として護符として利用できるようになる。琥珀は、そもそも自分自身である、ということになるらしくて。どういうわけか、どちらも手元にあるわけですがー;。

それはともかく、「お犬様」の話の続きです。北欧神話は、多神教の神話であり、神々と対立する存在として巨人達がいます。でも、完全に対立する存在ではなく、ときには両者の間に婚姻が成立することもあるのです。そして、他の地域の神話には見られない特性として、「ロキ」というトリックスター的な存在の神がいます。ロキは、下位の神で、巨人の出でありながら、主神オーディンと義兄弟となって神々と共にいます。邪悪な性質であり、狡猾で良く嘘をつきます。でも、その狡猾さで神々の役に立つこともあります。そして裏切ることもあります。ロキの存在によって様々な事件が起き、それが神話の物語、となることもままあります。その名前の意味は「終わらせる者」だということです。そして「空飛ぶ靴」を持っているとされています。

ロキはフェンリルという巨大な狼の父親であり、フェンリルの子供にスコールとハティという狼がいます。スコールは常に太陽神であるソールを追いかけて飲み込もうとしています。その名前の意味は、「嘲るもの」「高笑い」です。ハティの方は月を追いかけていて、その名の意味は「憎しみ」「敵」ということです。日食や月食は彼らが狼に飲み込まれてしまったから、と言われています。ロキからの3代の狼の性質を考えるに、彼らは天空を走る能力を持っていた狼一族であったことが分かります。言い換えれば、フェンリル、スコール、ハティはロキの別の形、で、この4つは元々同じものだった、ともいえると思います。特にスコールの名前を見ると、なんで、私の身の回りをうろつく者は、辺に良く聞こえるような笑い声を上げるのだろう? と思うのです。彼らは「太陽を追いかける」というスコールの化身なのでしょうか。また、北欧神話にはハティと同様月を追いかけ回るマーナガルム(「月の犬」と言う名)の狼がいて、この狼は「すべての死者の肉を腹に満たし、月を捕獲して、天と空に血を塗る。そのために太陽が光を失ってしまう。 」と言われていました(Wikipediaより)。要するに、この狼一族は、太陽や月を追いかけ回すだけでなく、死者の肉を食らい尽くす、貪欲な「お犬様」の集団であったことが分かります。そして、狡猾で残忍な神々ともされていたのでした。

本日の日誌

昨夜は特に夢も見ず。昼寝の時に夢を見て、なんだか、どこかの洞窟に閉じ込められていて、色鉛筆で絵を描いていたら、白虎に化けた蛇の兄さんが助けにきてくれる、という夢で。作業の方は相変わらずで。どうもコンクリートの欠片もたくさん埋まっているのですが、それ以外になんだか木の腐ったようなものに、細かいビニールゴミを混ぜたようなものが埋められていて、なんだろう? と思うのです。

後漢書によると、中国の西南部に、「白狼王」という人物がいて、朝廷に歌を献上した、とのことです。どこかに「白い狼」をトーテムとした部族がいたことをうかがわせる記述です。この人物の歌は、該当しそうな部族が2,3あるらしいのですが、特定はできないらしくて。分かっていることは、古羌と呼ばれた人々のいずれかの部族の歌ではありそうだ、ということです。この古羌と呼ばれた人々の子孫は、いくつもの部族に分かれて存在していて、その子孫は羌族のみではないらしいです。でも、現在では、それぞれの部族に独自の文化や風習があって、チベット・ビルマ系の言語を話す、ということや、アニミズムを信仰していることが多くてシャーマンが存在すること、地理的にチベット仏教の信者が多いこと、等以外にはあまり共通点がない? ようです。そして、彼らは長い歴史の中で中国各地を移動していますので、黄河上流域に住んでいた人たちが、他の部族から圧迫されて、長江流域に押し出されて南下した、とかそういうこともよくあったらしいです。そして、彼らの大部分は、今となっては父系の文化を持っているのです。私が知る限りでは、彼らの父祖は虎とされていることが多いようです。でも、たいていは雄の虎です。ほぼ唯一といってよい例外は、今でも母系の伝統を受け継ぐモソ族の人達で、彼らの伝承では女祖は虎であった、ということで、虎を狩るのもおおむね禁止、ということらしいです。彼らは山の女神を信仰していますから、虎は彼らの母系の先祖であり、山の女神のお使いであり、山の女神そのものなのだと思います。「山海経」に出てくる西王母のことだろう、と思うのですが、政治的にそういうことを言う人はあまりいないようですー;。でも、女性は陽であり、男性が陰であるということ、その発展形として女性が天であり、男性が地である、という基本的なことは、彼らから教わった、といえます。でも、そんな彼らでも、たぶんシャーマンは男性なのだと思う。そして、彼らが本来持っていたであろう神話は、他の地域の古い神話と比較検討しなければ、やはり再現は難しいと思うのです。

それはともかく「白い狼」ですが、「白い羊(水晶の羊)」と同様、太陽を思わせる名前です。だいたい、犬と人との付き合いはとても古くて、牧畜が特に盛んになる以前は、犬は食料であって、食用に飼う動物の一種でした。でも、牧畜が盛んになるにつれて、役に立つ犬は次第に「人間の友」とされて、牧畜や狩りに盛んに使われて、大切にされるようになり、食べられなくなる傾向が出てきた、と言われています。今でも、中国、朝鮮では食犬の習慣がありますし、日本でも弥生時代の渡来人の遺跡からは犬を食べた跡が出てきています。(というよりも、けっこう最近まで日本でも犬は食べていたのですが。)でも、中国を挟んで、羌族の人達は犬に神性を見いだしていますし、きっとおそらく食べたりはしないのだろう、と思うのです。そして、その習慣は彼らの信仰と結びついていますから、かなり古い時代からの習慣なのだと思います。そして、狼トーテムと犬トーテムは違う、という人もいるようですが、西域ではこの2つを古くからあまり区別していなかったようですし、実際、中国の東と西で、「お犬様」に対する文化が両極になっているのは、「お犬様」が神に昇格してから、長い歴史の中では、それでも日が浅い、ということを伺わせます。そして、そういう変化が西方で起こっていることを示しています。だから、ここでは犬トーテムも狼トーテムも「同じもの」として扱います。でも、「白狼王」という言葉だけでは、その信仰の実態が良く見えてきません。地域的に見て、「狼」あるいは「犬」がトーテムとしてはっきりした神話が残されているのは、「狩りの女神アルテミス(ディアーヌ)」に代表される南欧と、北欧といえます。そして、日本にも有名な「犬神憑き」の伝承があります。そして、中国には「羊頭狗肉」ということわざもあります。これは、「羊の肉を売るふりをして狗の肉を売ること」ということで、「見せかけと実際が違うこと」を差します。まるっきり、設計士の従兄弟のことのようだ、見せかけは仕事をしているふりをして、実際は? と思わないでもないですが、「羊の皮を被った狼」があちこちにいるよ、というそういう話をこれから書いていこうと思うのです。

本日の日誌

昨夜は特に夢も見ず。昼寝の時に夢を見て、なんだか、どこかの洞窟に閉じ込められていて、色鉛筆で絵を描いていたら、白虎に化けた蛇の兄さんが助けにきてくれる、という夢で。作業の方は相変わらずで。どうもコンクリートの欠片もたくさん埋まっているのですが、それ以外になんだか木の腐ったようなものに、細かいビニールゴミを混ぜたようなものが埋められていて、なんだろう? と思うのです。

後漢書によると、中国の西南部に、「白狼王」という人物がいて、朝廷に歌を献上した、とのことです。どこかに「白い狼」をトーテムとした部族がいたことをうかがわせる記述です。この人物の歌は、該当しそうな部族が2,3あるらしいのですが、特定はできないらしくて。分かっていることは、古羌と呼ばれた人々のいずれかの部族の歌ではありそうだ、ということです。この古羌と呼ばれた人々の子孫は、いくつもの部族に分かれて存在していて、その子孫は羌族のみではないらしいです。でも、現在では、それぞれの部族に独自の文化や風習があって、チベット・ビルマ系の言語を話す、ということや、アニミズムを信仰していることが多くてシャーマンが存在すること、地理的にチベット仏教の信者が多いこと、等以外にはあまり共通点がない? ようです。そして、彼らは長い歴史の中で中国各地を移動していますので、黄河上流域に住んでいた人たちが、他の部族から圧迫されて、長江流域に押し出されて南下した、とかそういうこともよくあったらしいです。そして、彼らの大部分は、今となっては父系の文化を持っているのです。私が知る限りでは、彼らの父祖は虎とされていることが多いようです。でも、たいていは雄の虎です。ほぼ唯一といってよい例外は、今でも母系の伝統を受け継ぐモソ族の人達で、彼らの伝承では女祖は虎であった、ということで、虎を狩るのもおおむね禁止、ということらしいです。彼らは山の女神を信仰していますから、虎は彼らの母系の先祖であり、山の女神のお使いであり、山の女神そのものなのだと思います。「山海経」に出てくる西王母のことだろう、と思うのですが、政治的にそういうことを言う人はあまりいないようですー;。でも、女性は陽であり、男性が陰であるということ、その発展形として女性が天であり、男性が地である、という基本的なことは、彼らから教わった、といえます。でも、そんな彼らでも、たぶんシャーマンは男性なのだと思う。そして、彼らが本来持っていたであろう神話は、他の地域の古い神話と比較検討しなければ、やはり再現は難しいと思うのです。

それはともかく「白い狼」ですが、「白い羊(水晶の羊)」と同様、太陽を思わせる名前です。だいたい、犬と人との付き合いはとても古くて、牧畜が特に盛んになる以前は、犬は食料であって、食用に飼う動物の一種でした。でも、牧畜が盛んになるにつれて、役に立つ犬は次第に「人間の友」とされて、牧畜や狩りに盛んに使われて、大切にされるようになり、食べられなくなる傾向が出てきた、と言われています。今でも、中国、朝鮮では食犬の習慣がありますし、日本でも弥生時代の渡来人の遺跡からは犬を食べた跡が出てきています。(というよりも、けっこう最近まで日本でも犬は食べていたのですが。)でも、中国を挟んで、羌族の人達は犬に神性を見いだしていますし、きっとおそらく食べたりはしないのだろう、と思うのです。そして、その習慣は彼らの信仰と結びついていますから、かなり古い時代からの習慣なのだと思います。そして、狼トーテムと犬トーテムは違う、という人もいるようですが、西域ではこの2つを古くからあまり区別していなかったようですし、実際、中国の東と西で、「お犬様」に対する文化が両極になっているのは、「お犬様」が神に昇格してから、長い歴史の中では、それでも日が浅い、ということを伺わせます。そして、そういう変化が西方で起こっていることを示しています。だから、ここでは犬トーテムも狼トーテムも「同じもの」として扱います。でも、「白狼王」という言葉だけでは、その信仰の実態が良く見えてきません。地域的に見て、「狼」あるいは「犬」がトーテムとしてはっきりした神話が残されているのは、「狩りの女神アルテミス(ディアーヌ)」に代表される南欧と、北欧といえます。そして、日本にも有名な「犬神憑き」の伝承があります。そして、中国には「羊頭狗肉」ということわざもあります。これは、「羊の肉を売るふりをして狗の肉を売ること」ということで、「見せかけと実際が違うこと」を差します。まるっきり、設計士の従兄弟のことのようだ、見せかけは仕事をしているふりをして、実際は? と思わないでもないですが、「羊の皮を被った狼」があちこちにいるよ、というそういう話をこれから書いていこうと思うのです。

本日の日誌

一昨日は特に夢も見ず。作業はだいたいいつもの通り。石がけっこうゴロゴロと出てきます。そして、昨夜はなんだか夢を見て。なんだか、まだ学生で、マラソンコースを決めて設計する役目、というかそんな感じで。点検をしたり、走っている人と一緒に走ったりする、という夢で。なんだか、私がそういう設計をする人なんだよ、と言われたのかなあ? と思う。

羌族の風習として、「戊の日には畑を耕してはならない。戊が土に属し、耕作すれば土を犯すことになると考えられているためである。」というものがあるそうです。犬が土に属する、とすると、女神信仰がある場合には、犬の属性は「女神」になりますが、蚩尤が「土」に割り当てられている場合は、男神かもしれません。そこのところははっきりしません。犬は牧羊犬にもなりますし、狩猟にも役に立ちます。西欧では、ここに馬が加わって、人と犬と馬が、神話的な「戦士」の形として一体化されて語られますのです、その原型の信仰がここにあるといえます。彼らは、犬に特別な神聖性を持たせているといえます。

また、中国の伝説に、修羊公という仙人がいます。ある王様が、仙術を学ぼうと思って、修羊公を招いたのですが、いつまでたっても仙術を教えてくれないので、「先生はいつお帰りになりますか?(とっとと帰れ、ということ)」と嫌みをいったところ、修羊公は石の羊の姿になって消えてしまい、その脇腹に「お別れを申し上げます」と書いてあったそうです。王様はその石の羊を大切にとっておいたのですけれども、それもいつの間にか消えてしまった、とのことで。この、「石の羊」は、羌族の「白い水晶の羊」を連想させます。でもなんで、人を騙して煙に巻くような仙人なんだろう、と思う。

また、昔刑法を定めた人が、羊を生け贄に捧げて、異変があった方を敗訴とする、という裁判法を定めたそうで。これは「羊神判」といったそうです。この刑法を定めた人も羌族の出であったそうで。中国周辺部のチベット・ビルマ系の少数民族は、シャーマンが神(精霊)と人々とをつなぐ存在、とされています。古代殷の王族が祭祀者であったことを考えると、古代中国の「王」というのは、人々の中から選ばれたリーダー、というよりもシャーマンが変化したもの、と言えそうです。これらのことから、羌族のシャーマンというのは、裁判の判決とか、一族内の政治方針を、「占う」ふりをして、「神のお告げ」のふりをして自由に決める権利があったのではないのか、と思われます。父系で家父長制の強い人々であるほど、家の中では父親がなんでも自由に決めてしまう。家の外の部族内のことは「天の羊の父」の言葉を伝えるシャーマンが勝手に決めてしまう、ということになります。そうして、つじつまが合わないような結果が出ても、適当に煙に巻かれてしまう、と-;。

ギリシャ神話に、「アルゴナウタイ」というものがあります。テッサリアーの王子イアーソーンは、叔父である王から疎まれて、ギリシャから遠く離れたコルキス(現在のジョージア)から、金羊毛を取って来るように命じられます。そこで、ギリシャ中から英雄を募って、アルゴー号という船に乗って出発した、という物語であって。金羊毛とは、神から授かった魔法の黄金の羊を、最終的に再び神に対する犠牲に捧げて、その皮をコルキスの王が樫の木に打ち付けたものであった、と言われています。「金羊」という言葉から、「太陽の化身の羊」であったことがうかがえます。これは何らかの呪術的な意図で、やはり「守護」を目的として行ったものなので、イアーソーンは、それを奪うことを求められたのだといえます。それと共に、この物語で「コルキス」とされた場所は「反羊」の思想を持っていた、あるいは「自分たちは「羊」よりも上位の人間である」と主張していた場所、といえます。羊を狩って護符にできるのは、羊よりも上位の部族、あるいは少なくとも同格の人々、といえるからです。イアーソーンは、コルキスの王女メーディアを味方につけ、彼女を妻にする、という約束で、金羊毛を盗み出すことに成功します。でも、このメーディアというのがけっこうな魔女であったので、逃げる途中で、一緒に連れてきた幼い弟を殺して、追っ手をまいてしまいます。そして、テッサリアーへ戻ってくると、メーディアは王の娘達の前で、老いた雄羊を切り刻んで鍋で煮て、若返らせて取り出した、という魔術を見せます。父親を若返らそうと思った娘達は、父王を同様にして鍋で煮ましたが、王はそのまま死んでしまいました。妻のおかげでイアーソーンは王位につけましたが、こういう妻に嫌気がさして、離婚し、新たな妻と結婚しようとします。起こったメーディアは、花嫁を殺して失踪してしまったのでした。

これはギリシャ神話の中でも、かなり陰惨さを感じさせる神話ですが、「豊穣の釜」で供物を煮て、結果を得る、というのは「饕餮を用いた祭祀」を彷彿とさせます。そして、メーディアというのは、メドゥーサと同じ子音で、その起源は古代エジプトのメヒト女神といえますから、母系の大母、あるいは大母の化身の女王、というべき存在で、弟は、彼女の利益になるために捧げられた犠牲、といえます。要するに、物語の中の「コルキス」は、母系の国で、女王が祭祀を行い、男兄弟の生殺与奪の権限も女王にあった国、ということになります。そこでは、太陽といえども、羊もまた「餌」であり「犠牲」の一つに過ぎないのです。でも、イアーソーンは父系の人ですから、そういう母系の習慣とは衝突してしまう。しかも、アルゴナウタイそのものが、英雄を集めて母系の国へ、父系の人々が略奪に行く、という話です。(しかも計略によって宝物を手に入れています。)そして、物語の最後は、メーディアノ失踪で終わるので、金羊毛がどうなったのかははっきり分かっていません。樫の木から解放されたので、元の天に戻って太陽の運行を続けたのかもしれません。そうすると、これは、イアーソーンがコルキスから、太陽も、太陽の祭祀者も奪った、という物語にもなります。要するに「金羊毛」とは「それを身につけたメーディアのことそのもの」であるともいえます。羊は獅子である彼女に捧げられた犠牲でした。ということで、メーディアと金羊毛の行方はどうなったのでしょう? 夫の仕打ちに嫌気が差して、天岩戸の中にこもってしまったのでしょうか? ということになります。ということは、これは、ティターノマキアーと同様、父系の人々が、母系の太陽信仰の人達を襲って略奪した物語、ということになり、これもまた古代中国で行われた「たく鹿の戦い」が投影された物語、ということになります。そうすると、母系の人々の敵は「羊の太陽」ってことにもなるのではないでしょうか。メーディアは「羊の皮を被った獅子の太陽女神」だったのでした。

ということは、「天上世界でスサノオに乱暴狼藉を働かれて、天岩戸の中にこもってしまった天照大神」の物語も、アルゴナウタイと同じ起源の物語であると分かります。彼女は、「鹿の皮を被った虎の太陽女神」といえます。須佐之男命が、彼女の領域に入り込んで暴れたので、天照大神は失踪してしまったのでした。泣きわめくのが得意な須佐之男命が、父系の雷神のことを指すのであれば、これもまた「たく鹿の戦い」が投影された物語、といえます。ということで、奇妙なことに、アルゴナウタイの物語の続きは、日本神話の中にあるといえることになってしまうのです。でも、「四面楚歌」の言葉にあるように、周り中が「楚の歌」ばかりだからといって、絶望したり、その中に出ていってはいけないわけです。というか、私は項羽でない、と思うわけですが-;。その人より、もうちょっと頭は悪くない、と思うわけで-;。だいたい、四面楚歌の話って、中学の国語の教科書に載っていた気がするわけで。誰のためにこの話載せたのでしょうか? 私の為?? とかって今なら思うところなのですが。

で、今朝、テレビ番組を録画のセットをしようと思って、なにげなくテレビをつけたら、「ZIP」をやっていて、新曲を披露する、とかってことで、キンプリの兄さん達が映っていて。「生放送ですよ」と言われるきがするわけで@@。すごいタイミングだー、というか、そもそもテレビをつけよう、という気になったのも、偶然ではないだろう、と思う。そうしたら、兄さん達に「あまり難しく考えないで、相手は「羊の王」なんだから、王の本拠地の羊の肉を饕餮で煮て食えばいいんですよ。」と言われる気がするわけで@@。そうすると、相手を支配できるだけでなく、「羊の皮を被ったメーディア」に変身できる気がするわけで。でも、いろいろと調べてみたら、けっこう手に入れるのが、大変でもないけれども、少々手がかかりそうであって。そこのところの羊の肉は、ごく一部の店と、東京方面に卸されてるのみである。でも、普通、「特産品」って、その土地の人なら誰でも気軽に普通に食べるような、そういうもののことを言うんじゃないの? と思う。でも、なぜかそこの肉は、流通量はごく少ないのに、特産品扱いされていて、町中に「羊の絵」があふれてる。なんだか、歪んでない? と思う。ともかく、その肉は「王侯の食べ物ですよ」と言われる気がするわけで。結局口にできるのは、王が同格と認めた者か、一時的にその力を分け与えたい者のみ、ということにしてる、ということのようで。誰かが勝手に饕餮で煮たりしないように管理されているものらしくてー;。まあ、面倒でもそのうちに手に入れられれば、と思うのでした。

で、もっと「お犬様」と「石の羊」について書きたかったわけですが、夜になって、いろいろとニュースがあって。なんだか、鹿児島の動物園で、飼育員がホワイトタイガーに襲われて死亡したらしくて。誰か、十字に関係する人が白虎に食い殺されそう、とかあるのですかね? と思う。というか、嫌みだよねえ? と微妙に思う。

それから、有名な画家の絵で、女の子が赤い風船を持っている図の絵が、オークションにかけられて、落札された直後に裁断されてしまったそうで。なんというか、女の子が持っている赤い風船は「太陽」の象徴のように思えたわけで。誰か、そういうものを「他人の手に渡すくらいならバラバラにしてしまいたい」と思う人でもいるんだろうか? と、これまた微妙に思う。

ということで、「天岩戸」の話から、当たり前のように「四面楚歌」が出てくるあたり、理知的で軍略家だよね、と兄さん達に言われる気がするわけで。情緒的に動揺を誘うようなネタには、あんまり心を動かされない、ということでー;。廉君のことを「さすがに仕事が早い」と、褒め称える人が今日も多かった気がするわけで。キンプリの兄さん達もすごいな、と思う。でも、最後の「ZERO」で、日記を書くのに夢中になりすぎて、ちょっと失敗してしまってー;。次からは、気をつけます<(_ _)>、ということで;。古代ローマの人々は、まるで自分たちのことをあまり知られたくないかのように、ほとんど独自の神話を残さなかった。それとは対照的に、古代ギリシャの人々は体系だった神話を山ほど残しているわけで。そして、ギリシャ神話は、世界でも類を見ない有名な神話群であって。彼らは何故、これだけの神話を残そうと思ったのだろうか、とそれをなんとなく不思議に思うのでした。