本日の日誌

昨夜は特に夢も見ず。昼寝の時に夢を見て、なんだか、どこかの洞窟に閉じ込められていて、色鉛筆で絵を描いていたら、白虎に化けた蛇の兄さんが助けにきてくれる、という夢で。作業の方は相変わらずで。どうもコンクリートの欠片もたくさん埋まっているのですが、それ以外になんだか木の腐ったようなものに、細かいビニールゴミを混ぜたようなものが埋められていて、なんだろう? と思うのです。

後漢書によると、中国の西南部に、「白狼王」という人物がいて、朝廷に歌を献上した、とのことです。どこかに「白い狼」をトーテムとした部族がいたことをうかがわせる記述です。この人物の歌は、該当しそうな部族が2,3あるらしいのですが、特定はできないらしくて。分かっていることは、古羌と呼ばれた人々のいずれかの部族の歌ではありそうだ、ということです。この古羌と呼ばれた人々の子孫は、いくつもの部族に分かれて存在していて、その子孫は羌族のみではないらしいです。でも、現在では、それぞれの部族に独自の文化や風習があって、チベット・ビルマ系の言語を話す、ということや、アニミズムを信仰していることが多くてシャーマンが存在すること、地理的にチベット仏教の信者が多いこと、等以外にはあまり共通点がない? ようです。そして、彼らは長い歴史の中で中国各地を移動していますので、黄河上流域に住んでいた人たちが、他の部族から圧迫されて、長江流域に押し出されて南下した、とかそういうこともよくあったらしいです。そして、彼らの大部分は、今となっては父系の文化を持っているのです。私が知る限りでは、彼らの父祖は虎とされていることが多いようです。でも、たいていは雄の虎です。ほぼ唯一といってよい例外は、今でも母系の伝統を受け継ぐモソ族の人達で、彼らの伝承では女祖は虎であった、ということで、虎を狩るのもおおむね禁止、ということらしいです。彼らは山の女神を信仰していますから、虎は彼らの母系の先祖であり、山の女神のお使いであり、山の女神そのものなのだと思います。「山海経」に出てくる西王母のことだろう、と思うのですが、政治的にそういうことを言う人はあまりいないようですー;。でも、女性は陽であり、男性が陰であるということ、その発展形として女性が天であり、男性が地である、という基本的なことは、彼らから教わった、といえます。でも、そんな彼らでも、たぶんシャーマンは男性なのだと思う。そして、彼らが本来持っていたであろう神話は、他の地域の古い神話と比較検討しなければ、やはり再現は難しいと思うのです。

それはともかく「白い狼」ですが、「白い羊(水晶の羊)」と同様、太陽を思わせる名前です。だいたい、犬と人との付き合いはとても古くて、牧畜が特に盛んになる以前は、犬は食料であって、食用に飼う動物の一種でした。でも、牧畜が盛んになるにつれて、役に立つ犬は次第に「人間の友」とされて、牧畜や狩りに盛んに使われて、大切にされるようになり、食べられなくなる傾向が出てきた、と言われています。今でも、中国、朝鮮では食犬の習慣がありますし、日本でも弥生時代の渡来人の遺跡からは犬を食べた跡が出てきています。(というよりも、けっこう最近まで日本でも犬は食べていたのですが。)でも、中国を挟んで、羌族の人達は犬に神性を見いだしていますし、きっとおそらく食べたりはしないのだろう、と思うのです。そして、その習慣は彼らの信仰と結びついていますから、かなり古い時代からの習慣なのだと思います。そして、狼トーテムと犬トーテムは違う、という人もいるようですが、西域ではこの2つを古くからあまり区別していなかったようですし、実際、中国の東と西で、「お犬様」に対する文化が両極になっているのは、「お犬様」が神に昇格してから、長い歴史の中では、それでも日が浅い、ということを伺わせます。そして、そういう変化が西方で起こっていることを示しています。だから、ここでは犬トーテムも狼トーテムも「同じもの」として扱います。でも、「白狼王」という言葉だけでは、その信仰の実態が良く見えてきません。地域的に見て、「狼」あるいは「犬」がトーテムとしてはっきりした神話が残されているのは、「狩りの女神アルテミス(ディアーヌ)」に代表される南欧と、北欧といえます。そして、日本にも有名な「犬神憑き」の伝承があります。そして、中国には「羊頭狗肉」ということわざもあります。これは、「羊の肉を売るふりをして狗の肉を売ること」ということで、「見せかけと実際が違うこと」を差します。まるっきり、設計士の従兄弟のことのようだ、見せかけは仕事をしているふりをして、実際は? と思わないでもないですが、「羊の皮を被った狼」があちこちにいるよ、というそういう話をこれから書いていこうと思うのです。

本日の日誌

昨夜は特に夢も見ず。昼寝の時に夢を見て、なんだか、どこかの洞窟に閉じ込められていて、色鉛筆で絵を描いていたら、白虎に化けた蛇の兄さんが助けにきてくれる、という夢で。作業の方は相変わらずで。どうもコンクリートの欠片もたくさん埋まっているのですが、それ以外になんだか木の腐ったようなものに、細かいビニールゴミを混ぜたようなものが埋められていて、なんだろう? と思うのです。

後漢書によると、中国の西南部に、「白狼王」という人物がいて、朝廷に歌を献上した、とのことです。どこかに「白い狼」をトーテムとした部族がいたことをうかがわせる記述です。この人物の歌は、該当しそうな部族が2,3あるらしいのですが、特定はできないらしくて。分かっていることは、古羌と呼ばれた人々のいずれかの部族の歌ではありそうだ、ということです。この古羌と呼ばれた人々の子孫は、いくつもの部族に分かれて存在していて、その子孫は羌族のみではないらしいです。でも、現在では、それぞれの部族に独自の文化や風習があって、チベット・ビルマ系の言語を話す、ということや、アニミズムを信仰していることが多くてシャーマンが存在すること、地理的にチベット仏教の信者が多いこと、等以外にはあまり共通点がない? ようです。そして、彼らは長い歴史の中で中国各地を移動していますので、黄河上流域に住んでいた人たちが、他の部族から圧迫されて、長江流域に押し出されて南下した、とかそういうこともよくあったらしいです。そして、彼らの大部分は、今となっては父系の文化を持っているのです。私が知る限りでは、彼らの父祖は虎とされていることが多いようです。でも、たいていは雄の虎です。ほぼ唯一といってよい例外は、今でも母系の伝統を受け継ぐモソ族の人達で、彼らの伝承では女祖は虎であった、ということで、虎を狩るのもおおむね禁止、ということらしいです。彼らは山の女神を信仰していますから、虎は彼らの母系の先祖であり、山の女神のお使いであり、山の女神そのものなのだと思います。「山海経」に出てくる西王母のことだろう、と思うのですが、政治的にそういうことを言う人はあまりいないようですー;。でも、女性は陽であり、男性が陰であるということ、その発展形として女性が天であり、男性が地である、という基本的なことは、彼らから教わった、といえます。でも、そんな彼らでも、たぶんシャーマンは男性なのだと思う。そして、彼らが本来持っていたであろう神話は、他の地域の古い神話と比較検討しなければ、やはり再現は難しいと思うのです。

それはともかく「白い狼」ですが、「白い羊(水晶の羊)」と同様、太陽を思わせる名前です。だいたい、犬と人との付き合いはとても古くて、牧畜が特に盛んになる以前は、犬は食料であって、食用に飼う動物の一種でした。でも、牧畜が盛んになるにつれて、役に立つ犬は次第に「人間の友」とされて、牧畜や狩りに盛んに使われて、大切にされるようになり、食べられなくなる傾向が出てきた、と言われています。今でも、中国、朝鮮では食犬の習慣がありますし、日本でも弥生時代の渡来人の遺跡からは犬を食べた跡が出てきています。(というよりも、けっこう最近まで日本でも犬は食べていたのですが。)でも、中国を挟んで、羌族の人達は犬に神性を見いだしていますし、きっとおそらく食べたりはしないのだろう、と思うのです。そして、その習慣は彼らの信仰と結びついていますから、かなり古い時代からの習慣なのだと思います。そして、狼トーテムと犬トーテムは違う、という人もいるようですが、西域ではこの2つを古くからあまり区別していなかったようですし、実際、中国の東と西で、「お犬様」に対する文化が両極になっているのは、「お犬様」が神に昇格してから、長い歴史の中では、それでも日が浅い、ということを伺わせます。そして、そういう変化が西方で起こっていることを示しています。だから、ここでは犬トーテムも狼トーテムも「同じもの」として扱います。でも、「白狼王」という言葉だけでは、その信仰の実態が良く見えてきません。地域的に見て、「狼」あるいは「犬」がトーテムとしてはっきりした神話が残されているのは、「狩りの女神アルテミス(ディアーヌ)」に代表される南欧と、北欧といえます。そして、日本にも有名な「犬神憑き」の伝承があります。そして、中国には「羊頭狗肉」ということわざもあります。これは、「羊の肉を売るふりをして狗の肉を売ること」ということで、「見せかけと実際が違うこと」を差します。まるっきり、設計士の従兄弟のことのようだ、見せかけは仕事をしているふりをして、実際は? と思わないでもないですが、「羊の皮を被った狼」があちこちにいるよ、というそういう話をこれから書いていこうと思うのです。